

毎週こうなります。犯人は1人なのか複数なのか。捕まえて、どづいてやろうと思うのですが、寝静まった夜間にもってきてるようです。
未来を信じさせたい子供が遊ぶ公園のゴミ箱がこうでは「学校で道徳教育」それ以前の問題じゃないだろうか。授業受ける子供は「変じゃない、大人って。いけないことと言うくせに、自分は隠れてやるんだから。」と考えるだろう。異常な「ごみ捨て行為」が子供の中に文化として定着してしまうのはもっと怖い。
行政はゴミ箱をなくすかゴミの回収を辞めるかしか手がないだろう。どちらも選らべないから、黙々と週1の回収を続ける。おおげさに言えば「税金の無駄使い」につながってく。
僕は昔町の自治会活動を長期間やった。そこから引き出してる結論は「住民の自治意識を回復するしかない」だ。これは行政が上からやろうと思ってもできないことです。住民自らが「町をよくしよう」と起ちあがるしかないんです。住んでる地域に「住み良い町のにおい」を漂わせ続けるしかないんだろうと考えてます。
衆院選挙の日 蔓延してる「おまかせ民主主義」から抜け出す道を公園のゴミ箱から考え、そして無力さも感じてる。
公園のゴミ箱。ごく普通のゴミの日などにまとめられない、何らかの事情があるのか、ゴミを捨てに行くと、近所の嫌な人に合うとか、勤めの関係か、ポイ捨てではなく、関連場所で許してもらえないかという気持ちもあり。決まりは守ってはいないのですが、それなりにまとめてはある感じ。昔、弁当のカスを河原に捨てている人々が何人もいました。あれは大岡川沿いをひとり、昼時にウォークしていたとき。やめろよ、と、いえる勇気なしでした。
お母さん 当然90歳前後だよね。ペースメ―カをいれられるだけの体力がまだあるってことだ。言いえてないけど、元気なもんだ。御本人に苦しみがないことを祈ります。
公演のゴミ箱 これを利用する場合は100%「公」≫「私」であるべき。「私」を入れる余地は全くなしだ。
どうどうと注意していい。問題のゴミ箱、今朝はきれいに回収されてる。また今週末は汚されるのだろう。