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過激な意見かな?

2006年12月17日 22時02分24秒 | 国を憂う
「○○大学」を全て廃止してはどうだろう。

子供世界の荒廃(自殺、いじめ、凶悪犯罪の若年化etc)を憂いている。一方で「必要性の理解できない」改定教育基本法が可決された。僕は大きなギャップを感じてる。現実を直視せず、党是だからと法律を決めていく大人、そんな大人世界を写してるのが今の子供世界のはずだからだ。

最初に書いた1行は僕なりの今の回答です。
小中学校くらいは義務教育として存在しててもいいのではないかと考えてる。そこではこれからどう自分を磨いていくか、その制度はどうなってるかを教える。当然その年齢で身に付けるべき社会性(協調性)とか健康な肉体などの増進は教育の一環として実施します。
大学は全てなくすとして、高校をどうするかはちょっと不明な状態。高校もなくなってもいいかなとも思えるけど・・・。
高校以上を「高等教育」と呼んで論をすすめるけど、ここを今とがらっと変えてしまえと考えるのです。
高等教育は自主選択で学べる体制をつくるんです。インターネットです。「○○先生の物理学」とか「××先生の徒然草」とか「△△先生の国際情報論」 こんな講座をNET上に多く設けるんです。勉強したい側が選んで勉強すればいいじゃないですか。試験なんて全部廃止するんです。
こんな自学環境ができると
 ・自分を磨くことに自己責任が明確になる。
 ・友人との蹴落とし型の競争がなくなる。
 ・何歳になっても、やりたくなったときに勉強ができる。
 ・学歴社会がなくなる。
 ・「こうでなきゃいけない」とする型はめ教育がなくなる。
 ・昔の知識で出ています型の先生は淘汰される。
こういうメリットが創造できるんじゃないだろうか。
企業など「人を採用する」側はその人の力を見抜く技術が必要になるでしょうね。そこは試験でも面接でもいいですよ。

デメリットはなにかあるだろうか。僕にはなにも思いつかないんだけどな。
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