昨日ガラコンで「セビリアの理髪師」の抜粋を聴いてきたのだが、聞きながら大きな疑問ができた。そこの真実は?で調べたところ、「えっそういうことだったのか」と表面的な解明だけで驚いてる。真実が全て明確になってるわけじゃない。解った分だけその先の「?」が増えたとも言えるのだが。もう少し調べが必要。解説してくれる人がいましたら解説ねがいます。
「セビリアの理髪師」はロッシーニの作曲。今からちょうど200年前の1816年に初演されてる。主人公は理髪師で町の便利屋でもあるフィガロ。彼が巻き起こすドタバタ劇。この内容ではなく、「フィガロ」と聞いて何か思いだしません?
そうです、モーツァルトの「フィガロの結婚」です。これもフィガロが主人公のドタバタ喜劇だったような。
僕が昨日突然抱いた疑問はこの2つのオペラはなにか関係があるのかということ。そんな話は一度も聞いたことはないが。
中学の頃「ロッシーニ作曲の有名な曲は?」 「ハイ、セビリアの理髪師」と聞いたこともなく、知りもしないくせに答えてた。一方「モーツァルトの有名なオペラは?」 「フィガロの結婚です。」 これも丸暗記で答えられた。今抱いてる大きな謎を感じることもなく。(逆に言えば当時の音楽教育の質の悪さだったのかもしれない)
今日調べた範囲では関係してるどころか、戯曲3部作として作られたものらしいのだ。
(ここからは不正確な部分もあるので、鵜のみにはしないでください。)
この3部作を書いたのは「カロン・ド・ボーマルシェ」という人。
戯曲名 戯曲完成年 オペラ化年 オペラ作曲者
1部 「セビリアの理髪師」 1775年 1782年 パイジエッロ
1816年 ロッシーニ
2部 「フィガロの結婚」 1784年 1786年 モーツァルト
3部 「罪ある母」 1792年 オペラ化されてない
モーツァルトはパイジエッロの「セビリアの理髪師」が好評だったのを受けて、「フィガロの結婚」をオペラ化したらしい。
ロッシーニは戯曲の内容を活かしつつ音楽をがらっと変え、題名も「アルマヴィーヴァ」として世に出したが、不評だったようだ。そこで元の題名に変えたところ評判がよく、その後パイジエッロのオペラは忘れられ、「セビリアの理髪師」はロッシーニ作となったようだ。
「セビリアの理髪師」はロッシーニの作曲。今からちょうど200年前の1816年に初演されてる。主人公は理髪師で町の便利屋でもあるフィガロ。彼が巻き起こすドタバタ劇。この内容ではなく、「フィガロ」と聞いて何か思いだしません?
そうです、モーツァルトの「フィガロの結婚」です。これもフィガロが主人公のドタバタ喜劇だったような。
僕が昨日突然抱いた疑問はこの2つのオペラはなにか関係があるのかということ。そんな話は一度も聞いたことはないが。
中学の頃「ロッシーニ作曲の有名な曲は?」 「ハイ、セビリアの理髪師」と聞いたこともなく、知りもしないくせに答えてた。一方「モーツァルトの有名なオペラは?」 「フィガロの結婚です。」 これも丸暗記で答えられた。今抱いてる大きな謎を感じることもなく。(逆に言えば当時の音楽教育の質の悪さだったのかもしれない)
今日調べた範囲では関係してるどころか、戯曲3部作として作られたものらしいのだ。
(ここからは不正確な部分もあるので、鵜のみにはしないでください。)
この3部作を書いたのは「カロン・ド・ボーマルシェ」という人。
戯曲名 戯曲完成年 オペラ化年 オペラ作曲者
1部 「セビリアの理髪師」 1775年 1782年 パイジエッロ
1816年 ロッシーニ
2部 「フィガロの結婚」 1784年 1786年 モーツァルト
3部 「罪ある母」 1792年 オペラ化されてない
モーツァルトはパイジエッロの「セビリアの理髪師」が好評だったのを受けて、「フィガロの結婚」をオペラ化したらしい。
ロッシーニは戯曲の内容を活かしつつ音楽をがらっと変え、題名も「アルマヴィーヴァ」として世に出したが、不評だったようだ。そこで元の題名に変えたところ評判がよく、その後パイジエッロのオペラは忘れられ、「セビリアの理髪師」はロッシーニ作となったようだ。
「フィガロの結婚」は「セビリア・・・」の後日談です。人物の相関関係から入りますと、
①フィガロは、伯爵とロジーナ(のちの伯爵夫人)を結びつけるのに一役買ってよく働きました。
②おかげで、ロジーナを思う医師バルトロは、失恋し、フィガロを恨んでいます。
③フィガロは、医師バルトロと、マルチェリーナ(金貸し)との間の子「ラファエロ」ですが、子供時代誘拐されたため、3人はその関係を知らず、「フィガロの結婚」の終幕に、フィガロの体のあざで、やっと知りえます。
④マルチェリーナは、それを知りませんから、借金の方にフィガロの愛を手に入れようとしています。
⑤ロジーナは伯爵夫人とはなったものの、夫の愛がもう自分にはないことを嘆く日々を送っています。有名なアリア「愛の神よ照覧あれ」「楽しい思い出はどこへ」これは、ソプラノの美しい曲です。
⑥女好きの伯爵は、中世、領主の特権であった初夜権を行使しようと、フィガロとそのフィアンセのスザンナに迫っています。
ここで、初夜権に関して、私なりの考察を入れさせていただきますと、子供の成長に病気などで困難を極めた時代に、領主として、跡取りを確保すべき、生活の知恵だっだのかと推察します。側室みたいなものです。一方領民たちは、それで、最初の子はご領主様の子(かもしれない)なので、大事に育てるわけです。長男、長女を重んじる文化は、初夜権が失せた時代にも何となく残っています。話しを戻しますが、この初夜権に抵抗した悲劇の映画などはやはりあります。
密かに結婚を上げてしまうとか、いろいろあっての
中世の歴史で、ここら辺をひも解こうとの興味はあります。
ざっとですが、登場人物の関係、ご理解されましたでしょうか。またの質問をお待ちしております。
こうNET上で設問すればこういう形で進行するだろうの読み通り。このBLOG上で僕と貴女がOPAに関してこれだけ執拗な会話を繰り返してるのを知っていれば、もっと情報を持ってる人でも遠慮してでてこないでしょう。僕がした設問は暗に解答者を限定してたようなもの。意気揚々と書いて下さるだろう、書くことでインフルもすっ飛ばせれば でした。
さすがプロですね。やはりストーリーまでいれて関連を御存知でしたか。
「初夜権」なんて初めて聞いたよ。そんなこともあったのかよ です。3部目の「罪ある母」はそのへんから始まる人間関係のもつれでしょうかね。
これだけの知識うまく、素人にも解るようにまとめたら。「skyのオペラ考」なんて。貴方ならできそうだけど。
①伯爵の誘惑にまけて、フィガロを裏切った、スザンナ
②伯爵ともできていた、マルチェリーナ、よってフィガロは伯爵の子か?さて、戯曲を調べて一方正解は
ロジーナ伯爵夫人とお小姓ケルビーノ間に男児有、意外や意外。「フィガロの結婚」な中では、夫人にあこがれて有名なアリア「恋とはこんなものかしら」を歌うシーンがあるも、伏線を匂わすほどには取り上げられていない。一方伯爵も他の女との間に女児を設け、養女として育てる。この女性と結婚して、相続せしめんと男が登場してくるが、フィガロとスザンナの計らいにより、退けられ、伯爵夫人とケルビーノの間の子とめでたく(?血は繋がっていないが兄妹みたいなもの)結婚して、相続人となったとさ。
フランス革命後の貴族階級を批判したこの手の戯曲とか、OPAはもてはやされていた、時代の産物だった。
そこへ 普通は知らんでしょう3部(オペラになってない、いわば世に出てない戯曲)を話されたって解るはずないでしょう。
だから言ったじゃないの。「その知識はそのまま棺桶にいれて燃すものじゃない。人の為に活かせ」って。
「罪ある女」は誰 答えるすべ無しです。①も②もへったくらいでない。 解るこの無知識、でもねこれが一般常識ですぞ。