昨日のNHK クローズアップ現代が取り上げた問題。イスラエルの社会学者がまとめた本が今世界中で読まれてるとか。
少子化、キャリアを求める女性の増加 そんな現実に将来への大きな問題が隠れているぞ は感じてきてる。そんな不安の核心部がこんな本になってて、しかも多くの人に読まれてるとなると、僕の想像以上に深刻な状態になってる ということなんでしょう。
母親になった女性の3人に1人は少なくとも1回は「母親にならなければ良かった」と後悔の念を経験してるのだそうです。
結婚して、家庭を作り、子供を育てて、自分達の人生を作る のと同時に、人類を継承していく それを絶対の真理として受け入れてきたんだと思うが、女性がそこに疑問を持ち始めたのだろう。「男性同様キャリアを持って、社会参画する」ことに喜び、希望を感じる女性が増えた。その実践は大変な事だと想像はできたが、夢を捨てることもできない。で始めてみると、子育ての負担が想像以上だったんでしょうね。
それともう一つ、「良き母たれ」という圧力がメチャクチャ重いのでしょう。有史依頼暗黙の内に守ってきた「人類哲学」。まだまだ知的でなかった時代なら、「子を産め、乳を出せる」母性が故に「子育て」は女の仕事となったのには必然性があると思う。現代の文明、文化の中で人間はより知的になった。女性だって「どう生きるか」を考えるよになる。子育て放棄ではないが、もう少し気楽にやらせてよ、いさせてよ、そういう見方で女を決めないでよ なのでしょうね。「女がもっと強くなればいいんじゃん」はちょっと一方的だろうな。こういう思い込み、文化は無意識のところにあるからな。
さてさて、どうしなきゃならんのだろうか。そこが問題だ。
女性が「変よ」と感じ出したことはまず認めてだろう。とすると、「産めるんだし、お乳出るから君の役割」は通せないな。しかし、そこは女性にしかできないことだから担ってもらおう。(いや、人類が滅亡してもいい と考えるなら別。僕はまだ上手くやっていけると思う) 産後一定期間はお母さんにがんばってもらいたい。(これは母の楽しみでもある訳で) 初期の養育期間を過ぎた後をどうしていくかでしょう。
まだ浅いとは思うが、僕はこんな結論を持ってる。子供を育てるという作業をもっと社会が担い、「社会の子」として育てる そんな仕組みを作っていった方がいいのでは と考えてます。我が子が育っていく、成長していく楽しさ、喜びはそのご夫婦に十分あるべきで、それ以上に苦しいこと、辛い事は社会が助ける(保育園のような場所で)。確かに今そういう体制はある。でももっと関与しないといけないんだろうね。夫婦によってその分担割合はいろいろだと思う。そういういろいろも吸収できる体制であるべきでしょう。
ルソーが「社会契約論」の中で「子供は社会の財産。故に社会が育てるべき」というようなことを言ってたように思います。古くからこうなる事に気づいてはいた。しかし実践は近代までされてこなかったということでしょうか。
少子化、キャリアを求める女性の増加 そんな現実に将来への大きな問題が隠れているぞ は感じてきてる。そんな不安の核心部がこんな本になってて、しかも多くの人に読まれてるとなると、僕の想像以上に深刻な状態になってる ということなんでしょう。
母親になった女性の3人に1人は少なくとも1回は「母親にならなければ良かった」と後悔の念を経験してるのだそうです。
結婚して、家庭を作り、子供を育てて、自分達の人生を作る のと同時に、人類を継承していく それを絶対の真理として受け入れてきたんだと思うが、女性がそこに疑問を持ち始めたのだろう。「男性同様キャリアを持って、社会参画する」ことに喜び、希望を感じる女性が増えた。その実践は大変な事だと想像はできたが、夢を捨てることもできない。で始めてみると、子育ての負担が想像以上だったんでしょうね。
それともう一つ、「良き母たれ」という圧力がメチャクチャ重いのでしょう。有史依頼暗黙の内に守ってきた「人類哲学」。まだまだ知的でなかった時代なら、「子を産め、乳を出せる」母性が故に「子育て」は女の仕事となったのには必然性があると思う。現代の文明、文化の中で人間はより知的になった。女性だって「どう生きるか」を考えるよになる。子育て放棄ではないが、もう少し気楽にやらせてよ、いさせてよ、そういう見方で女を決めないでよ なのでしょうね。「女がもっと強くなればいいんじゃん」はちょっと一方的だろうな。こういう思い込み、文化は無意識のところにあるからな。
さてさて、どうしなきゃならんのだろうか。そこが問題だ。
女性が「変よ」と感じ出したことはまず認めてだろう。とすると、「産めるんだし、お乳出るから君の役割」は通せないな。しかし、そこは女性にしかできないことだから担ってもらおう。(いや、人類が滅亡してもいい と考えるなら別。僕はまだ上手くやっていけると思う) 産後一定期間はお母さんにがんばってもらいたい。(これは母の楽しみでもある訳で) 初期の養育期間を過ぎた後をどうしていくかでしょう。
まだ浅いとは思うが、僕はこんな結論を持ってる。子供を育てるという作業をもっと社会が担い、「社会の子」として育てる そんな仕組みを作っていった方がいいのでは と考えてます。我が子が育っていく、成長していく楽しさ、喜びはそのご夫婦に十分あるべきで、それ以上に苦しいこと、辛い事は社会が助ける(保育園のような場所で)。確かに今そういう体制はある。でももっと関与しないといけないんだろうね。夫婦によってその分担割合はいろいろだと思う。そういういろいろも吸収できる体制であるべきでしょう。
ルソーが「社会契約論」の中で「子供は社会の財産。故に社会が育てるべき」というようなことを言ってたように思います。古くからこうなる事に気づいてはいた。しかし実践は近代までされてこなかったということでしょうか。
どうも変な固定概念を持っている僕には考えさせられる問題。
「母親になって後悔している」も。
僕なんかは当然「旧タイプ」の人間、対応できないかもしれないが、古い観念は捨てていかないといけないかも と考えてます。
そうすると現システムは全部不都合になるんでしょうね。そういう意味で21世紀は激変の世紀になりそうな。積極的に適応していった社会が生き延びていくんじゃないかな。そういうとこ日本人はへただからな。
「支援の必要な人が一定数存在する」と解って来たこともシステム変更の要因じゃないでしょうか。