今回は生々しい努力と苦労話。
これは僕が歌う詞を別に作成したもの。
こうすることで詞とメロディーの暗記が早いと考えたこと。楽譜にはカタカナ読みが書いてあるので、ついついそれを読みに行っちゃう。これでは「いかん」と思い作りました。楽譜を離れてこれで練習してます。
ちなみに、僕が歌う詞はこれだけなんです。少ないでしょう。村人一般ですからね。
言ってることはまだ理解してません。どうも前半は「蝶々 お前はなんてことするんじゃ。村八じゃ」みたいなことをいってるようです。後半は蝶々さんが悲しむ場面でのバックコーラスです。
次は苦労。
写真の中に音域を書いておきました。僕の声は低いらしく、バスのパートと言われ、いちばん低いところを練習してます。それでもト音記号で書かれた音域です。バスと言わず、「テノールの2」と楽譜には書かれてます。高いところは出ませんよ。やってみてください。
スキャットの最高音は裏声で出してと言われてますが、これがまたむずかしくて、かつ裏でも出ない。
今最も困ってるのが最初の「Dove」の「Do」の音がきちんとした高さで出ないこと。最初が出ないから、そこでパニックが始まって、あとはめちゃくちゃ。
僕が声を出す前に女子のパートが「レ-ソ」(上がる)と「Dove」を歌います。その後すぐ「シ-♭ラ」(下がる)と「Dove」を歌うんです。このシは女子のソより高いんです。僕の音楽能力ではレ-ソからつづけてシを出せません。1音低いラになっちゃう。
ここを克服しないと、たださえも少ない詞、パニックに入ったら何も歌いませんでしたになりかねない。

こうすることで詞とメロディーの暗記が早いと考えたこと。楽譜にはカタカナ読みが書いてあるので、ついついそれを読みに行っちゃう。これでは「いかん」と思い作りました。楽譜を離れてこれで練習してます。
ちなみに、僕が歌う詞はこれだけなんです。少ないでしょう。村人一般ですからね。
言ってることはまだ理解してません。どうも前半は「蝶々 お前はなんてことするんじゃ。村八じゃ」みたいなことをいってるようです。後半は蝶々さんが悲しむ場面でのバックコーラスです。
次は苦労。
写真の中に音域を書いておきました。僕の声は低いらしく、バスのパートと言われ、いちばん低いところを練習してます。それでもト音記号で書かれた音域です。バスと言わず、「テノールの2」と楽譜には書かれてます。高いところは出ませんよ。やってみてください。
スキャットの最高音は裏声で出してと言われてますが、これがまたむずかしくて、かつ裏でも出ない。
今最も困ってるのが最初の「Dove」の「Do」の音がきちんとした高さで出ないこと。最初が出ないから、そこでパニックが始まって、あとはめちゃくちゃ。
僕が声を出す前に女子のパートが「レ-ソ」(上がる)と「Dove」を歌います。その後すぐ「シ-♭ラ」(下がる)と「Dove」を歌うんです。このシは女子のソより高いんです。僕の音楽能力ではレ-ソからつづけてシを出せません。1音低いラになっちゃう。
ここを克服しないと、たださえも少ない詞、パニックに入ったら何も歌いませんでしたになりかねない。
「部」じゃなく「分」でしたか。 うん、確かにこっちが合ってる感じ。「分ける」んだもんな。
ハイ スィーツは追っかけるほど好きではないですね。しかも「東戸塚」だとこれからの人生で「立ち寄る」ことがあるかどうか、ほぼ無いだろうと思われる土地。だから難しそう。
でもです、こんなことで想像だにしてなかった「洋光台」という土地に足を踏み入れるわけですから、「絶対無し」はないですね。
すみません、漢字まちがえたました。
「三分一湧水」と同じ「三分」です、三分の一に分けるの意味。
一つ事前に 昨日解った調律師さん 本業じゃなかったみたいです。今は本業は辞められて、調律師を趣味半分でやってらっしゃるようなことでした。
また新しい知識の入り口をくれたね? 「三部損益法」。 なんか音楽じゃないみたい。八ヶ岳にある「三分一湧水」を連想させるから面白い。要は「12当分」したあたりのいくつかの音の重なりは心地よい響きに聞こえるということ。そして12は2でも3でも4でも6でも割れるといいう多様さ、さらにピタゴラスが3:2を見つけたこと、全部一つのことなんであって、昔から親しんできた世界の解析結果なんだね。人間はどこまで進歩してもドミソの和音は「美しい」と感じつづけるんでしょうかね。遺伝子の琴線に響く みたいな。
数学嫌いなんて言いながら、等比級数のr=1.059・・・なんて書くんですから、職業柄というものでしょうか。
さて新しい⑥へのコメントに移りますかね。
今まで見えなかったことが、興味を持って動く事で「見えるようになった」り「気が付いた」という現象ですね。今まで隣に居たけど、気が付かなかっただけ。面白いですね~。
調律師は元々音楽好きな人が多いし、趣味の音楽現場に隠れ調律師(笑)は多いと思いますよ。(普通、わざわざ何の仕事してるかなんて言わないし。)全国あちこちに楽器店あるし、ピアノの数に比例して?調律師が存在しますからね。ますます、これからの稽古や飲み会が楽しみになりましたね~。
因みに「理系」でも「理数系」でも、私にとっては不可解な分野なんで同じです。(一緒にしちゃ駄目??)私は文系で、「理科」「数学」いずれも不得意で理解しがたい分野でしたから、そちら側の方は尊敬に値すると思っております。(今まで偉そうに数式並べてましたが、私は数学はめちゃめちゃ不得意です。(笑))
オクターブを12等分する発想は「ピタゴラス音音階」を調べてみて下さい。東洋でも「三部損益法」と言う、同じく12等分する発想があるので「人間が聞き分けやすい音程」は12等分して出来る半音が単位なんだな~と思います。西洋と東洋では微妙に音が違うみたいですが、現状は西洋の音階に無理やり当てはめてしまってる様子。
すみません、まず軽くお断りを。僕理系です。1.06公比の卑屈はバッチリわかります。解らんのは「現実そんなの使ってないくせに、なんでそれを決めたことが音楽の発展に寄与したのか」なんです。「Aは442HZ。オクターブは倍のHZ。」だけ決めて、「他の調弦は気持ちいい音になればよい」でもよかったのではないかな が素朴なところ。 ここの謎な未だ解けず。
ううん、ちょっと待てよ。1オクターブ倍音はいんだよね。じゃなんでその間を12に分けたんだろうか? 「9つ」じゃ無かったのはなぜ? ピタゴラス音階が何か影響してるのかな? ほらまたこうして「?」の世界が広がっていくんだよ。「夢は限が無い」じゃなく「疑問は限が無い」になっちゃう。
そして今日ビックリすることが。ほんとうはこれを書きたくてコメント打ってるんですが。
今いっしょにバス歌ってる仲間に「調律師」の名刺を持ってるかたがいたんですよ。練習してると隣近所と「音が高い、低い」の話になりますね。「今僕調律師の人と平均律の話で盛り上がってるんです」と話して、440だの442だの、知ったかぶりで話ました。そしたらその方が「実は僕・・・」と名刺くれたんです。驚きました。オンサはやはり2つ持ってるようです。 最近は445で調弦するケースもありますなんてことも話てた。今日はじっくり話せませんでしたが、いずれ呑み会があるはず。そこが期待です。
そして今日の練習。 歌に集中できた、あまりテレを感じなかった、というより「人にいい歌聞かせよう」じゃなく「自分がいい歌を歌おう」に専念できたかな と思う結果でした。自分の内側に向かって集中することじゃないかなの感触は持ったよ。 以上ここまで。
私から追記出来る部分
○なぜ、音階 公比が1.06の等比数列なのか?
これの答えは簡単
(理数系の方なら、大丈夫でしょう?)
A=440Hzの1オクターブ上は880Hz
(つまりオクターブの周波数比率が2)
12回掛ければ"2"になる数字と言うことで
(2の12乗根)12√2を計算すると(=1.05946309・・・・)になります。
問題はこの先!
ピタゴラスが美しい音が出来ると提唱した3:2で出来ると和音は完全5度(ラーミ)とか(ドーソ)
(純正完全5度の周波数比率は3/2)
A=440として完全5度上の音に3/2掛けて出る振動数(660)は整数で、同時に鳴らすと綺麗な音になります。(弦振動は倍音があり、元の音の2倍3倍の振動数の音が同時に響くのです)
所が、平均率で求める完全5度(半音がいくつあるかを掛けるので、この場合7回。鍵盤で考えてみてくださいね)は
(1.05946309・・・・×7)整数にはならない。つまり、振動数は複雑で調和せず、僅かな唸りを生じさせてしまう。
しかも楽曲を演奏する際に、本来なら#は半音より若干高め、♭は半音より若干低めとか。つまり鍵盤で言う黒鍵からズレるって事(実現しようとしたら黒鍵が2つ必要になっちゃいます)。それを真ん中取って折半したのだから凄い。平均率がなかったら、今の音楽の発展はなかった事でしょう。
でも、岳さん今までオペラ歌う上でそんなこと感じなかったでしょう?私も曲を演奏するときに困ったことないし。やっぱりここはグレーゾーンなんでしょうね。気にすると気になるけど、一般的にはよく分からない(分かりにくい、微妙でデリケートな)部分。
知れば面白いけど、ギリシャ時代から人間が悩んできた部分だから答えは???曲を聞いて美しいと感じられるなら、無理してひとつの答えを出さなくても良いんじゃないかな?って思えます。
ピアノ、平均律、和音 教えられたというんじゃなく、「門を開けられた」感じで、自分の内なる好奇心に火が点き、いろんな疑問を作って楽しんでます。
・快く感じる和音って 何Hzと何Hzと何Hzだ?
・長調に感じる和音と短調に感じる和音の差って?
・音階 公比=1.06の等比数列にしなければならなかった訳は?
・Aの440(442でもいいけど)だけ決めて、あとは感性まかせでよかったんじゃないか?
・人間は何Hzだと差を感じとれるんだろう?
2014年2月の新聞の切り抜きから
「古代ギリシャの数学者ピタゴラスは鍛冶屋の槌音に心地良く響き合う音があることに気づいた。弦の長さの比が3対2だと美しい和音になることを発見した。・・・・これが『ピタゴラス音階』です。・・・・」
ここから始まり、現代の平均律音階を解説してくれてます。 いやいや不思議な世界、普段慣れしたしんでるのに・・・。
絶対音感がある人なら、分かるでしょう。
そんなクイズみたいな事した事ない(だって、音叉に書いてあるんだもの)から、分かりませ
んが。私、鈍ちゃんだから分からないかも(あとでこっそり試してみようっと)。
音楽の世界のグレーゾーンですね。平均率は計算で出せても、結局割りきれない。手順あるけど、これでピッタリと言う正解がない世界です。だって割りきれないんですから。その中でも、いかに美しい音がつくれるかが勝負です。
歌はイイ。その場で音を作り出すから、濁りのない美しい和声を生み出せる。
明日はお稽古日ですね、楽しみ。行ってらっしゃいませ。
そうなんだ、平均律(現代音階)は和音汚いんだ。そうなんだろうね。数学的に作った音だものな。 そうなるとますます疑問が。じゃ実際のピアノの音階は? そうか、人間の耳が決めてるんだな。ギターだってそうだな。いやいや、オケだってそのはず。ということは「平均律音階」は理論であって、実際には使ってないんじゃないかな。
今はここまで。
和音を美しくしたいなら、本来なら使う調に合わせた調律をいちいちし直さないとイケない。
調によって使わない音に汚い唸りを閉じ込めたのが、古典調律。どの調でも演奏できるように、唸りを平均化して振り分けた(だからどの和音にも唸りがある、特に三度が汚い)のが12平均率。本来の和音の美しさからは離れてしまうけれで、とても合理的。
音律を作る上では「うなり(汚い音)」は無くせない。その問題は古代ギリシャにてピタゴラスが悩んでましたから、歴史は古い。
なかなかここまで話を聞いてくれる人はいないんで、楽しいです。
ぼくんは理系なんですが、音階、平均律にがぜん興味が出ちゃって、NET検索までやっちゃいました。おかげでまた賢くなったみたい。音階って半音前の周波数の約1.06倍の周波数で構成されてて、そこが平均律なんですね。なるほどな。 バッハの時代なんて楽器間の音の調和なんていい加減だったんでしょうね。それでも素敵な和音に聞こえたんでしょう。なんかゆったりしてて、寛容性大でいいですね。僕の音程でも「名ソリスト」といわれたかも。
楽器 オーケストラ 演奏前の舞台での調音 ピアノは絶対(今更なにもできない)。 バイオリン系は弦の張りで調整可。フルートは接合部の長さ調整で可(?)。金管楽器はクラリネットは どうやって微妙な調音やるんだろうと次の疑問が。これからの研究課題だな。
調律師さんは440と442のオンサって区別できるんですか? 相対的はだめですよ。どっちかをコーンと鳴らして「これは442」ってね。
ドニゼッティは、ベートーベンの27歳年下なので大体その辺としてイメージすると、今、岳さんが歌っている「愛の妙薬」は今より低い音で作曲されているんです。つまり、出しにくい高温域も、当時のピッチならも少し楽に出せたかも?と言う。(こんな話、知ってるとちょっと「にやり」としません?)
A=440Hzの半音下(平均率で計算)の音は415.3・・・Hz。比較するとバッハの時代とは半音近い差があると言うこと。
自分が常識的に思ってることも、時代により変動してるんですよね。
あとオマケ(既にご存知かもしれませんが)
NHKの時報「ピッピッピッ ポーン」は、440Hzを2回、その1オクターブ上の880Hzを一回鳴らしたものです。
440,442の話はじつに面白く読ませてもらいました。ピアノにも重い歴史があるんだな。それとその道の人じゃないと知らない知識。こういう知識に触れた瞬間って好きです。なんか偉くなったような。
うちのピアノは孫の道具となって、息子宅に行ってます。調律がうちにくることはこのままではないでしょうね。何かチャンスがあったら、知ったかぶりして「440ですか442ですか」なんて聞ちゃったりして。相手ドキッとした顔っておもしろい。
音を探す話ね、和音を感じながら歌うのは基本だと思うんです。ただ今見つけられない「その1音」についてはその瞬間スイッチを切り換えて(貴女が言う)単旋律で出せるように訓練だとおもうんですよ。
もう庭仕事に出るからね。
ビミョーな様ですが、思うほどビミョーではありません。ピアノが日本で猫も杓子もの時代は、440でした。今は、緊張感ある張りのある音を好まれて共通して442です。一般家庭で調律頼まれたら何も言わずに442。20年ぶりの調律なんて頼まれた場合は「440と442どちらにしますか?」と聞く。合わせる楽器類があるなら442(一般的に442の時代だから。2Hzのズレは気持ち悪いんですよ)で、なければ440にしちゃいます。たかが2Hzでも(鍵盤は88でも、1音に弦は1~3本あるんで)280本の弦の音を引き上げるのは労力、あと440設計のピアノの張力を急に上げるとピアノの負担になるかな?と言う辺り。
和音の中から自分の音を探そうと思うから、迷うんじゃないですか?自分の受け持つ単旋律(メロディー)を流れで覚えてしまえば問題なさそうに見えますが。最終的には、和音の中の音は補佐でしょう。(自分はやったことないくせに、偉そうにすみません。)
こういう日は軽やかに行こう。
AからG7だったかもしれない。 井上陽水の好きな曲にこの進行があって、指をスライドした時の感じが好きでね。曲が何だったか思いだせない。楽譜見ながらじゃないと歌えないタイプでね。ここにギターがなく、鳴らすこともできず。
オンサですが、どうしてそんな微妙なのをもってるんですか? どう使い分けるんですか? 全く推察できず。
せいぜい、クラシック系なら440、jazz系なら442なんだろうか? です。
「出せない音」ね、ギターでも複雑なコードだといろんな音が混ざってるじゃないでか。それが複雑な感情につながるんだろうけど、そこから自分の音を取り出せとなると、どの音でも和音になりそうで固定できないまま変な高さで歌うはめに。 困ったものです。 「「自分の感で歌う。すぐピアノで正しい音を聞く。正しいか確認する。」これを続けろと言われました。訓練ってことでしょう。
さてセーハ系の話は何となく分かる。カポと同じ効果でしょうね。
AからGm?AからG7の方がしっくり来る気がするけど、曲によるのかしら。セーハ系で上のAから降りてくるのでは違うと言うのは分かります。私としては、半音ずつ下がる動きと言うか響きは好きですがね。
調律の音叉は440Hzと442Hzの2本が基本。古典調律だともっと下だったり、オーケストラで上を使ったりする事もありますが。通常は442です。
音は、脳のシミをつけるしかない模様。シミだけに。練習して少しずつ慣れるしかないですね~。声楽の授業ならコールユーブンゲンやコンコーネで徹底的な音程感覚を訓練する所ですが。結局、先生もそんな時代に努力して身に付けたはず。大丈夫、岳さんもイケます。トライあるのみ。
ギターにはセーハ系コードがあるじゃないですか。Eから上とAから上。他にC、D、Gがあってできてるんだけど、セーハ系だけで弾くと、どの調で弾いても曲想は一緒というのが僕の感想。ただこのなかにC、D、Gを入れると変わるのは解る。AからGm(だったと思うが)に移動する雰囲気が好きなんだけど、下のAから指をずらしながら3フレット上げてGmに行くのがいいのであって、上の5フレットセーハAから2フレット下げたんでは感じが出ない。 これだけじゃないだろうけど、この辺に「楽器の特性」だろうとは思い当たります。
ピアノの調律を見たことありますが、持ってる「オンサ」は一つなんですかね。考えてみれば特定の鍵盤の音をオンサに合わせて、その他は決めた鍵盤音との調和、調整で決めていくんだろうな。貴女が言うように機械的な1/12をやるわけじゃない。ということは調律師さんによって微妙にちがってくるものなんですね。そうなると、有名なピアニストさんは専属の調律師さんを抱えてるってことなんだな。
和音、調性に関して 今練習してる曲のなかに1か所どうしてもその音に下がれない音があります。「この音みつからないんですが」と先生に質問したくらい。逆にどうして普通にはその高さがさっと解るんだろうと考えた。これ全部和音をききわけてるんですよね。その音の前の和音進行から次の音(和音)はこれというのが感じられるからだせるんですよね。先生からの答えもそうでした。僕は自分の音を見つける(感じる)力は十分あると自信もってますが、今の見つからない音にはまだ困ってます。隣で歌ってる友人が「ギターのA7sus4系のコードですよ、ここの和音」と教えてくれました。そんなこと言われてもね。 「繰り返し練習すればぴたっとくるから」と先生に言われました。 長くなったな。
音の世界は、目に見えないから難しい。半音上がった時の振動数とか計算で求められるけど、調律時に実際に必ずその通りの音を作るかと言えばそうではない。最終的には人間の感性、聞いていて心地よい音にする。まずは人間ありき、理論はあと。
疑問もちながら色々やってく内に、自分の耳が肥えて感覚も研ぎ澄まされて(あ~、なんとなく納得!)とふに落ちる瞬間がきっと来ると思います。
今自分の分かる感覚的部分としては、カポで半音上げ下げするのは簡易的行為であまり支障ない(つまり感じる調性が薄い)けど、これ以上下げられない場合、やむを得ずコードを変えてしまう事があるけれどこれは曲の持つ雰囲気をガラリと変えてしまう(調性の特徴を強く感じる行為)。ここが、ヒントかな?これが楽器の持つ特性からくるものか?面白い。
カポの上げ下げは、機械的な半音の上げ下げ。つまりピアノの12平均率に相当、コードを変えて演奏するのは古典調律で演奏するに近いのかも。さて、どうやって調べる?まぁ、このブログが現在の部分に読み進む頃に何かつかめるかもしれない。ゆるりといきましょう。
貴女を「音楽を勉強して(ピアノ科だろう)、音感のある人」と推測して日頃からある自分の疑問をぶつけてみました。どうだ想定通りの答えじゃないか。違う違う「難しい、めんどくさ」じゃない。「EmとFmでは違います。」をまず主張してから、ちょっと音楽的分析を聞かせてくれるだろうな が想定。
「調には顔があって個性がある」そうなんでしょうね。ここなんですよ。僕には見えないんです、その顔が。
僕ギターを調弦するする時、音程の笛を使わないんです。(持ってはいますが) 6本の弦が相対的に正しい音になればOKで歌ってます。後は適当な位置のカポ多用です。そんなせいでしょうかね、昨日Emで歌ってた曲を今日はDmでへいきで歌ってるんだから。これでは調の顔が見れるはずないですよね。
「平均律」 バッハにそんな名前の曲があったね。そこから「そうか、バッハの時代か、12等分して音が絶対化されたのは」と学術的な夢想をしたり。
そして「楽器ごとの得意範囲」に至って、「なるほど、だから調を大事にした作曲家も出てきたわけだ」 と超納得。
ことほどさように「この程度の回答だと嬉しい」の想定にぴったりだったんですよ。そして「私も疑問があるので少し調べてみる」と言ってくれれば、「よし、少しは波を残したぞ」と小さな満足感。
たぶん僕は「調の顔」が解るようにはなれんだろうと思いつつ。
調には顔があって各々個性ありますよ。それをピアノが平均率と言う調律方法で1オクターブを12等分しちゃったんで没個性的になっちゃった話。これを使うとどの調へも半音ずつ上がり下がりして弾けちゃうようになったから、調性もも問われない時代になってしまったけど。昔は古典調律が何種類もあり、今より調性もハッキリと感じられたものらしい。またオーケストラにおいては楽器毎に出せる得意な響きが各々違うから、調性により雰囲気と言うか、違いが出るんだとか。
ギターでは音に色味を感じますね。Eはやっぱりスパニッシュな雰囲気あるし(ピアノで弾くコードのEじゃこの味わいがない。やはりギターならではの響き)、じゃあ同じ曲をCに移調して弾くと?間抜けな感じ。ではカポしたら?Em.、Fm、F#mは半音ズレただけだけど。これについては、私も疑問があるので少し調べてみることにします。
例えばEmの曲に出てくる、経過音としてのF#7(mは間違いでした)が、少し緊張感のある味のある響きがあって好き。と言う事です。
因みにF△7は、単品でそのコードの響きが、不思議な雰囲気があって好きです。理論的にはおなじでもC△7じゃないんですよね。
そうですかコードFをガバッと押さえられたんですか。ちょっと怖くなってもきたな。どれかの弦の音が濁るのが普通ですよ。F#mの響きが好き とおっしゃってますが、この系でぼくには前々から疑問があるんです。簡単に書けば、F#mが好きなら、EmもFmも同じ響きでしょう? なんです。 「モーツァルトのト短調」といわれますが、ハ短調だっていっしょじゃないの? 人間の感性ってキーの違いで感じ方も違うんだろうか? ぼくにはその差がわからないんです。 どう説明されても納得しなさそうなので、質問したことはありません。
「声は楽器」 この言葉BLOGのどこかにありますよ。6年前にオペラにぶつかり、それから世界的ソリストさんの歌声を聞くようになって実感した言葉です。鍛えなきゃだめっていうのは当然ですが、鍛えられた声はもうブァイオリンを超えた楽器だと思えるようになりましたね。
6年後ですか、変わってますよ。きっと大きく変化してると思いますよ。
むう、音感は微妙。ピアノの音を作るのと、歌うのは別。(あれ、私どっちもマトモに出来てない?深く考えるのはよそう)声は楽器だから、やっぱり磨かないと思うような音はだせない。
ふふっ、Fについては元々手がデカイのと握力があるので、パワーで押し切り。F#mとかF△7の響きが大好きで積極的に弾いていました。ギター始めて1ヶ月目に人前で弾く機会があり(弾き語りだから、ギターは簡単なコード弾き)、今に至る。あれま、やってることは6年前と大差ない!?今も昔も変わらずに、ギターも歌も楽しんでます。(その点だけは、自信あり)
変わらずに努力を継続している自分なら、素直に誉めてあげられます。
6年後もきっと、変わってないかな~(笑)。
ギター始めたのが6年前だったよね。 Fコードが押さえられなくて泣き言いってたんじゃないですか。音楽の勉強してきたって、人より音感があったって、物理的にできんものはできんわけだもんな。
それがどうだ、今じゃ人前で弾き語っちゃうんだからね。凄い凄い、私も努力してきたな と褒めてやっていいんじゃないか。
次の6年後を想像してみて。楽しくなってこない? 1人で にたっ としたりして。
無我夢中で曲を弾いてた。ギターからコード音が出るだけで楽しかった。所謂「正しくコードを指で押さえて音を出す」のが精一杯で、「美しい音」「歌声とギター音のバランス」なんて考える余裕は無く、かなり汚い音でギターを弾いていた気がするけど。当時よりは少し「見えるようになった自分」がいる気がします。
懐かしい、6年ひと昔です。
もう6年前です、どうだったか覚えてないんですが、「諦めた」記憶はないので歌った、歌えたんだと思います。
そうか最初(蝶々さん)は我流楽譜もここまでだったんだ。自分でもわかるな、「我流楽譜」も進化してきたんですよ。今は「これいい」信者もいるからね。
僕もギター弾き語りやるから解ります。そうね、コードだけですね。メロディーは「覚えてるよね」だね。これで ん十年やってきたから「五線楽譜」でなぞって歌う力はありませんね。逆に五線楽譜は邪魔です。だからしょうがない、メロディーは覚える。 これぞ我流。
今の合唱団のなかに居らっしゃいますよ、五線婦でその音をパッと出す人。羨ましいんですが、ぼくにはもう時間がない。今の方式でやっていくだな。
因みに、ギターを初めて弾いた頃、初めてギターのコード譜見て感心。シンプルで、こんな楽譜もあるものかと。お玉じゃくしに慣れていた自分にとって、コードだけの簡単すぎる譜は、頼りなく。メロディーをしっかり覚えるまでは、音の動き(上がる、下がる)を書き込んだものです。それは今も同じ。(成長してない??)
所詮、楽譜なんぞ曲を演奏する上での覚え書きに過ぎないですものね。