今日の朝刊 ロシアの世界的指揮者「ワレリー・ゲルギエフ」氏が西側での演奏の場を次々と奪われてる との記事が載った。僕はよく知らない指揮者だけど、記事では凄い人みたいですね。知ってる人ではソプラノの「ネトレプコ」 彼女も今年のメトロポリタンので「トゥーランドット」出演、来年の某予定 ともに(どう表現したらいいのかな?)拒絶、はく奪、キャンセル? されたようです。
主催者側は「明確な反プーチンの意志表明をしてくれ」と依頼したが、それが得られなかったことで、やむなく「降りていただいた」という経緯らしい。
「芸術」と「政治」 五輪同様「別でしょう」と捉えたいが、そうはいかんのが現代。特にかの国では芸術家も政治家の一助的に使われる、雇われる、保護される存在故にいたしかたないかな。芸術家も今めちゃくちゃ辛いだろうな。「反プーチンを表明した」がプーチンが残ったとなれば自分の身が危うくなるからね。芸術家自身が判断するしかない。我々がとやかく言えることじゃないだろう。そこで出した結論を含めてその芸術家を今後どう評価するかも我々個人に委ねられていくことなんだと思う。
では西側の主催者があたかも「踏み絵」のような対応に出てることはどうなのか? 僕はしょうがないことだと思う。決してその芸術家個人を否定してるのではない。「プーチン 君は間違ってるよ」の意思表示をどこで、どこまで、どうやるかの選択の形と考えるからだ。
こういう手段まで使わざるを得ない現実を憂うしかないのだろう。
主催者側は「明確な反プーチンの意志表明をしてくれ」と依頼したが、それが得られなかったことで、やむなく「降りていただいた」という経緯らしい。
「芸術」と「政治」 五輪同様「別でしょう」と捉えたいが、そうはいかんのが現代。特にかの国では芸術家も政治家の一助的に使われる、雇われる、保護される存在故にいたしかたないかな。芸術家も今めちゃくちゃ辛いだろうな。「反プーチンを表明した」がプーチンが残ったとなれば自分の身が危うくなるからね。芸術家自身が判断するしかない。我々がとやかく言えることじゃないだろう。そこで出した結論を含めてその芸術家を今後どう評価するかも我々個人に委ねられていくことなんだと思う。
では西側の主催者があたかも「踏み絵」のような対応に出てることはどうなのか? 僕はしょうがないことだと思う。決してその芸術家個人を否定してるのではない。「プーチン 君は間違ってるよ」の意思表示をどこで、どこまで、どうやるかの選択の形と考えるからだ。
こういう手段まで使わざるを得ない現実を憂うしかないのだろう。
しかし、代役のリュドミラ・モナスティルスカは、それはそれで楽しみです。メトの16-17年のシーズンでは、ナブッコのアビガイッレ役でドミンゴとの共演で好評だったそうな。うっかり見逃して惜しかった。
加えて彼女はウクライナ出身、同情も集るだろうし
政治的、興行的にもアメリカメトのやりそうなことですね。
かの国の文化人(体制に異を唱えないのであれば文化人とはいえないか)達も可哀そうだよな。人間だれしも成功すればその地位は捨てたくないからな。専制主義者の脅しには弱い存在。
だから「あれはおかしい」と考える地球人達は彼等に勇気を与えるべく篤い支援をしてないとね。「おかしい」と声をあげる勇気をもたせ、権力者を孤立させるために。我々もその小さい力に。