今朝の深夜便「明日へのことば」を聞いてみてください。柔らかい事から、堅い事までいろいろ考えさせてくれました。
まず マリ・クリスティーヌという多才な女性が居たんだと言う事。僕の記憶の中でも「そういえばこんなタレントいたな」くらいに残ってる。 結局多才だったんですね。周りが放って置かなかった。 おのずとこういう道を進むことになった。 そういう人ってたくさんいますね。 身の回りに普通に有る問題に気づき、「何とかならないの?」と考え、自分ができそうな範囲で「何か対策」してみる。知らぬまに周りが助けてくれて、小さいながらも解決に一歩前進していく。次々とそんな活動を続けてるって人ですね。「動く」力が凄いな。
僕が「そうなんだろうな」と感心したというか、ちょっと反省したのは 「社会問題の捉え方。対策を考える段階は?」ということ。
ある問題に目が行く。 解決したいと考える。 その原因は何かと考える。 ここからが悩ましいと考えるんだが、そこで見つかった原因はほんとに「真の原因」か? と考えちゃうんですよ。 サッと見つかる(出て来る)原因ってたいてい表面的なもので、もう少し考えると、その「原因」を生んでる「原因」があるわけですよ。 社会人時代「問題解決活動」として「改善活動」をやる中でいつも悩まされたジレンマでしょうかね。
こんな分析法をクセにしてると(今でも)、「中途半端な原因に対策打ったってしょうがないじゃん。そんな対策は所詮一時の自己満足でしかないだろう。時間が経つとその奥にあった真の原因が見えて来て、また対策するのがおちだろう。」となるんですね。今回の放送聞いてて、僕の中にはどうもこういうクセがあるように見えてきたんです。
「その段階で対策打ってもしょうがない」じゃなく、その人が捉えた、ここだと思った段階で対策打つ、いろんな考えの人がいて、いろんな段階に対して改善活動する、それでいいんだよな と思えたのです。 まっ所詮 書くか、しゃべるかだけで、行動しないんだから 同じですがね。 ちょっと勉強しました。
まず マリ・クリスティーヌという多才な女性が居たんだと言う事。僕の記憶の中でも「そういえばこんなタレントいたな」くらいに残ってる。 結局多才だったんですね。周りが放って置かなかった。 おのずとこういう道を進むことになった。 そういう人ってたくさんいますね。 身の回りに普通に有る問題に気づき、「何とかならないの?」と考え、自分ができそうな範囲で「何か対策」してみる。知らぬまに周りが助けてくれて、小さいながらも解決に一歩前進していく。次々とそんな活動を続けてるって人ですね。「動く」力が凄いな。
僕が「そうなんだろうな」と感心したというか、ちょっと反省したのは 「社会問題の捉え方。対策を考える段階は?」ということ。
ある問題に目が行く。 解決したいと考える。 その原因は何かと考える。 ここからが悩ましいと考えるんだが、そこで見つかった原因はほんとに「真の原因」か? と考えちゃうんですよ。 サッと見つかる(出て来る)原因ってたいてい表面的なもので、もう少し考えると、その「原因」を生んでる「原因」があるわけですよ。 社会人時代「問題解決活動」として「改善活動」をやる中でいつも悩まされたジレンマでしょうかね。
こんな分析法をクセにしてると(今でも)、「中途半端な原因に対策打ったってしょうがないじゃん。そんな対策は所詮一時の自己満足でしかないだろう。時間が経つとその奥にあった真の原因が見えて来て、また対策するのがおちだろう。」となるんですね。今回の放送聞いてて、僕の中にはどうもこういうクセがあるように見えてきたんです。
「その段階で対策打ってもしょうがない」じゃなく、その人が捉えた、ここだと思った段階で対策打つ、いろんな考えの人がいて、いろんな段階に対して改善活動する、それでいいんだよな と思えたのです。 まっ所詮 書くか、しゃべるかだけで、行動しないんだから 同じですがね。 ちょっと勉強しました。
初めて見たのはTV番組の「オーケストラがやって来た」の司会で10代だったような。
その後1986年に著作「マリ・クリスチーヌのメニュー読めますか」を世に出しました。私の海外の旅のバイブルとして座右の書であり、帰国後は蔵書の一角を照らしています。
大昔ですが、彼女のアメリカ人のお父上を、横浜高島屋の地下のカフェでお見かけしたこともありました。そのカフェのオーナーさんでした。ウエッジウッド製のカップでコーヒーを飲みながら、ジブーストがおいしいとて、私のデパ地下の楽しみでした。日陰茶屋で茶屋ケーキを出したのも彼女の発案かも。
日影茶屋に行きたいと思っていても、まだ一回も行っていません。なんとなくは葉山は遠いようです。
お店の横にプラタナスの大木があって、それからイメージされた、プラタナスの葉の形をしたパイのお菓子はデパ地下でよく買いました。校歌際のあとのランチ会で配ったこともあったんですよ。岳さん、思い出してくれるとうれしいな。
「なるべくして、そうなってきた」という人の1人なんでしょうね。大谷君とか藤井君のように。
「プラタナスの葉の形をしたパイのお菓子」残念というか申し訳ないがですね、覚えてないですね。そう説明されたうえで頂いたのでしょうが、所詮そういう方面にはとんとアンテナが向かないタイプですから。お許しあれ。