さっきNHK-TV放送をなにげなく点けたらタレント「青木さやか」の人、人生をインタビュー形式で放送してた。 お笑い芸人でいいのかな、あんな明るい顔して人前に立ってる人が生の生活ではこんな葛藤を抱えて自分を作って来た、作ってるのを知って、ある意味感動モノでした。
同じような「母と娘の葛藤」を知ってるんだが、一概に「母と娘の葛藤」といってもいろいろ、千差万別やな も実感。青木さんの場合、友人の後押しで「自分を変えて、母に会おう」と立ちあがったところが転機だったんだろうな。その時を境にそれまでの暗が倍以上の明になって戻って来た ということでしょうか。自分に正直になれた所がりっぱですよ。
この記事を書こうになったのはこの放送をみたのが大きい。ほんとに「人って難しい。現代はますます難しくなってる」を今痛切に感じてるからです。
ここ白州のあるグループで中に1人ちょっと変わった考えをする人がいて、会の運営がどんどん上手く行かなくなってる事態があるんです。事は10年も前からで、どうにか会を維持はしてきたのだが、3年ほど前にある事件が発生し、その事後処理をどうするかでもめにもめてるんです。田舎の「なぁなぁでいいかげん主義」もからんでとっても複雑骨折状態なんです。
ここ2年ほど、「社会的責任」だけはきちんと履行して、穏便に解散することに苦心してきたが、どうも限界らしい。裁判という強行手段に出れば「負ける要素はひとつも無い」と考えるが、「そこまでして・・・」もある。当事者数人が「権利」を放棄することで「社会的責任」も逃れるという形の決着に行かざるをえないのかな が現状。 寂しさと不満は残るがね。
ほんとに「人ってやっかいな生き物」だね。また現代の「権利主張が先」風潮が「火に油」となってるようにも思う。
同じような「母と娘の葛藤」を知ってるんだが、一概に「母と娘の葛藤」といってもいろいろ、千差万別やな も実感。青木さんの場合、友人の後押しで「自分を変えて、母に会おう」と立ちあがったところが転機だったんだろうな。その時を境にそれまでの暗が倍以上の明になって戻って来た ということでしょうか。自分に正直になれた所がりっぱですよ。
この記事を書こうになったのはこの放送をみたのが大きい。ほんとに「人って難しい。現代はますます難しくなってる」を今痛切に感じてるからです。
ここ白州のあるグループで中に1人ちょっと変わった考えをする人がいて、会の運営がどんどん上手く行かなくなってる事態があるんです。事は10年も前からで、どうにか会を維持はしてきたのだが、3年ほど前にある事件が発生し、その事後処理をどうするかでもめにもめてるんです。田舎の「なぁなぁでいいかげん主義」もからんでとっても複雑骨折状態なんです。
ここ2年ほど、「社会的責任」だけはきちんと履行して、穏便に解散することに苦心してきたが、どうも限界らしい。裁判という強行手段に出れば「負ける要素はひとつも無い」と考えるが、「そこまでして・・・」もある。当事者数人が「権利」を放棄することで「社会的責任」も逃れるという形の決着に行かざるをえないのかな が現状。 寂しさと不満は残るがね。
ほんとに「人ってやっかいな生き物」だね。また現代の「権利主張が先」風潮が「火に油」となってるようにも思う。
青木さんを見ながら、少し相手に対する寛容さを広げる努力をしてみるかと考えている。
お二人のコメントを読んで、やはり最も根本で、大事にせにゃならんことは 「自分の権利と義務」を常にわきまえること。 時には人からアドバイスを貰ってでも「客観的に正しい判断」を見極め、行動することなんだろうと思うんですわ。
さらに実際の行動に出る際は「周りに対する寛容精神」がプラスされてこないと上手くいかんのが今の世の中と見ました。
本文に書いた「白州でのいざこざ」も「裁判してても自分達の権利を主張」じゃなく、不満が残る部分は「寛容に譲って」納めるのが妥当かなと考えてるのです。当然「そこまで寛容でなくてもいいだろう」という人もいますよ。でも「煩わしい事」を増やす必要はないし、もうそんな事に関わって痛くないというのも本音です。