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ゴーヤの成長

2014年06月29日 11時23分12秒 | つれづれなるままに
          うちの西面。

6月1日に植えつけたゴーヤがひさしに届くまでに成長した。1月で1.7m伸びたとすると、日に5cm伸びてきたことになる。見て感じてきたのと符合する。
今年の種は葉っぱが大きいようだ。日陰を作る目的だから最適だろう。のき下まで伸びた主軸は頭を切ることにした。これ以上伸ばしようがない。頭を切れば横に大きくなるだろうとの期待もある。黄色い花も付けだした。次は食べられる実ができること。

右はテッセン。もう盛りを過ぎて上部にいくつかの花が付いてる程度。花が終わるとそこに種ができるが、これは切り取ることにしてる。そんなエネルギー使うより、株をしっかりさせる方に使ってほしいから。

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なるほど、植物の気持ちを (kanou37)
2014-06-30 04:01:30
そらすということですね。僕はそれが出来ない。この季節が過ぎると夏。草との格闘が始まる。植物の気持ちはわからないままだが。
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いい木にするなら ()
2014-06-30 09:13:11
kanou37君おはよう。
数年前造園屋さんで手伝いしてた時教わったことなんだ。いい木にする、いい売り物に作るんだったら実を作らせるなと教わったのです。眼からうろこ、とっても納得したものです。それ以来臨機応変にこの理論を活用してます。
同じ木でも弱ってるようなら花が済んだらすぐ摘んでしまうとか。
上への成長を止めれば横に成長。これも納得だね。
写真のテッセン、これは先を止めなかったので、上でからみあってる。そのからみの中で花咲いてるよ。
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なるほど (kanou37)
2014-06-30 17:17:35
岳さん、これはなかなかな話です。人間が植物を観て、あるいは愛でている時の感覚と、植物の感覚とは違う。たとえば盆栽。松は自然ではない人間の剪定に苦しんでいるのではないか…と、思いもしますが、ここいらは僕には言う資格なし。植物を愛する感覚も、鳥を愛する感覚も、よく考えないままここまで来た。
 巣箱、10家屋はきつそう。3つで供養okと、思います。
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難しい、程度問題? ()
2014-07-01 09:57:13
kanou37君 おはよう。 難しいこと言ってきたね。
一理ある。 確かに剪定なんて人間のかってですね。木は「痛い」とおもってるかもしれん。じゃ蔦にからまれて枝まで曲げられてる木にとってはどうなんだろう。
だから程度問題かもな。
難しい領域は彼等を綺麗にしてあげるとしていじくること。
僕もこの域によく入ってるようだけど。現に倒れると家が潰れるからと大きい桜を何本か切る計画中。
所詮 人間上位かもな。
巣箱10個は倉庫の古材の始末も兼ねてるんだよ。
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