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福井・飛騨古川旅行-2

2012年08月22日 09時57分46秒 | 旅紀行
19日の朝福井を出、飛騨古川にむかった。昨年の7月は父の三回忌で福井に行ったあと白川郷を散策したが、こんな旅スタイルを2年続けたことになる。
飛騨にこんな町があるのを知ったのは2つある。ひとつは「鶴瓶の家族に乾杯」で森山直太郎が訪れたこと。もうひとつは新聞の特集記事で武満徹も認めた文化圏だと知ったこと。チャンスがあれば1度ゆっくりしてみたいと思ってた。

町はとっても小さいです。島根の津和野とそっくりとかみさんの評。木工文化、祭り、山車を見ると栃木の鹿沼とよく似てる。静かで綺麗な町です。

            

3枚目の写真 屋根の上で電気の引き込み線を2m程高くしてます。山車を通すために道路を横断する線は他の町よりはるかに高く設置されてます。

飛騨国際文化交流センター  文化的な町だなを思わせる空間。 

           

日根野美術館  町中にあるふつうの家の美術館。故人が集めた文化財(特に古伊万里、蒔絵)を見せてくれる。
           珈琲、チーズケーキがいただけます。古伊万里の茶器、これだけで大満足。

           

他に印象的だったのは「三寺まいり」の真宗寺、本光寺、円光寺 浄土真宗のお寺らしいのと大きくてりっぱな寺だった。
食べ物では「ヤナ」でいただいた鮎の刺身、塩焼き。美味でした。

     それとこのコロッケ。おいしいので19日のおやつ、20日は帰りの車のなかでのおやつにといただきました。15年前駅前でコンビニやってた夫婦が「何か食べ物でも」と商売替えを考えて始めたお店なんだそうです。飛騨牛とおいしいジャガイモに的をしぼった結果とのこと。たった2坪ほどのスペースを町から借りて、全国区の商売をやってるんです。御主人としばし歓談ができた。

20日の13時 古川を出、白州に戻った。一般道だけで帰ったが5時過ぎには帰り着いた。
というのも快適な道を発見。塩尻峠を越えて諏訪湖に出たあと、いつも諏訪湖東側の20号を真面目に走ってきた。諏訪の街中は信号が多く、快適に走るなんて期待できないのは知ってる。そこで今回は湖の西側を試してみた。これが快適なんですね。岡谷の街中も問題なく通過できる。信号も少なく快適。20号と合流するところの混雑はしょうがない。これからは諏訪の街中を走ることはないだろう。
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福井・飛騨古川旅行-1

2012年08月22日 09時00分07秒 | 旅紀行
伯父さんの一周忌法要があり、福井、飛騨古川と回ってきた。これはその福井編。

17日に親族会議、18日法要とあったので、16日は白州に泊まり、17日の朝5時に福井に向かった。
ガラガラの一般道を塩尻の先まで。ここからはいつも使ってる「サラダ街道」で波田までをスイカ畑、リンゴ畑の中を快適に走る。新島々を通って、安房トンネルを抜け岐阜県へ。高山に向かうも町には入らず、北側を迂回して中部横断道路の工事路線(今は無料)へ。飛騨清見で東海北陸道に入り南下。白鳥で高速を降り、福井県に入る。ここから福井県の東西に一番幅の広い所を横断する。大野、勝山と通って小学校時代からの友人宅へ。
御両親と奥さんの3人暮らしの家にお邪魔して昼を御馳走になる。友人は相模原で単身生活。「この歳になると、やれる時にやっとかないと後悔することに」「父母が待ってるから行って、話をしてやってくれ」との提案でずうずうしくお邪魔したわけ。1時間ほど昔話をして失礼したが、友人の言う通り「行ってよかった」。
僕は親族会議へ。かみさんは友人の奥さんと2人の時間を楽しむことにした。

午後の親族会議は滞りなく終り、夕方は東京から行った連中(かみさんも合流)7人で宴会。福井の銘酒(一本義、黒龍)を飲み比べ、日本海の魚を堪能。うまかったな。

18日の午前中に親戚のお墓を順番にまわり(3軒だが一か所の墓地にある)、うちのお墓に行ってきた。午後は法要と会食。りっぱな法要になった。面識のない親戚の方から昔話なども聞かせてもらった。

  福井城址のお堀です。たいした石積みだとあらためてながめました。柴田勝家がお市といた「北の庄」はここではないんです。家康が天下を取った時に建立されたようです。今は県庁が建ってます。

  石積みの中、県庁の横にあった蓮の池です。ちょうど華が咲いてました。

19日朝 福井を離れ、飛騨古川に向かった。
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