県立高校の入試問題をやってみた。毎年頭の体操を兼ねて数学の問題を解くのが趣味になってる。自分の入試から45年も経ってるのであたりまえだが、だいぶ難しくなってるようだ。高1で勉強したことを中3でやってるようだ。
これは今の子供はたいへんで、かわいそうだなというのが率直な感想。こんなことまで理解できないと高校に入れないんだね。学校の授業だけじゃたりないんじゃないか。塾に通うのもわかる。
一方で「落ちこぼれ」がぞろぞろ出てくるのも解かる気がする。先生も親も当の子供もみんな苦しいね。 何か変な感じだ。
今日を最後に東京発九州方面行きの夜行寝台特急がなくなるらしい。ただ感傷的になってるのかもいれないが、どこか寂しいね。「無くなるのは寂しいと言いますが、じゃ貴方は利用しますか?」と聞かれると「う~ん。機会がなさそう」と言うしかない。
でも、鉄道は「点から点への移動手段」とだけ割り切るのは何かを捨て去ってる気がする。もっと「途中経過も楽しむ」ゆとりとして残したいもんだ。そのゆとりを売りにして営業すれば存続できるんじゃないのかな。
例えば「ブルトレで30日間日本一周」なんてどうだろう。
ともかく、なんか急ぎ過ぎてる。途中経過は見向きもされず、ただただ結果を求める風潮に走り過ぎてないだろうか。
これは今の子供はたいへんで、かわいそうだなというのが率直な感想。こんなことまで理解できないと高校に入れないんだね。学校の授業だけじゃたりないんじゃないか。塾に通うのもわかる。
一方で「落ちこぼれ」がぞろぞろ出てくるのも解かる気がする。先生も親も当の子供もみんな苦しいね。 何か変な感じだ。
今日を最後に東京発九州方面行きの夜行寝台特急がなくなるらしい。ただ感傷的になってるのかもいれないが、どこか寂しいね。「無くなるのは寂しいと言いますが、じゃ貴方は利用しますか?」と聞かれると「う~ん。機会がなさそう」と言うしかない。
でも、鉄道は「点から点への移動手段」とだけ割り切るのは何かを捨て去ってる気がする。もっと「途中経過も楽しむ」ゆとりとして残したいもんだ。そのゆとりを売りにして営業すれば存続できるんじゃないのかな。
例えば「ブルトレで30日間日本一周」なんてどうだろう。
ともかく、なんか急ぎ過ぎてる。途中経過は見向きもされず、ただただ結果を求める風潮に走り過ぎてないだろうか。