「理想主義を超えよう」を読んで

2006年02月11日 20時42分55秒 | 国を憂う
ちょっと古いのですが、1月の朝日新聞「私の視点」コラムに東大の藤原教授が論を載せてます。
今までの世界は理想像を掲げて、それに向かって努力する世界だった。またその軸で世界中がひとつになれると妄想してきた。でもそれは限界にきてるにではないか。昨今の情勢を見ると、現実に根ざした「妥協」を基本とした論理、交渉をやっていかないとラチがあかない時代でしょう と教授はおっしゃってる。
ひとつの事象は「イスラム社会とアメリカ」の対立であり、もうひとつは「ブッシュ大統領による保守主義とネオコン思想の存在」をあげてらっしゃる。
共に「理想」のぶつけ合いであり、それはテロと鎮圧武力の殺し合いしか生んでいないでしょう と言う。
この2つの問題は結局「妥協」する精神がなかったらおさまらないでしょう としている。
上の2つの事象から現代社会のとるべき方法論は結局「理想をひっこめて、妥協を選択する対話」しかないとおっしゃってる。
僕はこの論を読んで「そういう事なんだ」と感心し、納得しました。「妥協」ってゆずりあいですよね。言い当ててる洞察と見ました。
さて僕自身 理想にかたよった理論展開でありすぎた反省もし、少し妥協する精神を持って現実を見ていこうと考えるようになりました。
でも「理想」をわすれてはいけないと思うのですよ。
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最近の国政で気になる2事象

2006年02月11日 20時16分12秒 | 国を憂う
国政で気になる事象を2つお話して僕の考えをUPします。
・防衛庁が汚職を期にある組織を解体しようとしたり、庁省議案が消えた事態。
・紀子様の御解任を期に皇室典範の改定がうやむやにされそうな事態。
それぞれ別のようで別ではないんですよ。それを宣言しておきます。

だいたい組織を作るとか、法律を作るというのは永いレンジで国民が幸せたれとの根本理念を基に発想され、作られるべきものです。だから目の前の事象で右往左往するようではこまるのです。
それなのに、数人の担当者が悪さをしたことに対して、組織そのものが不要だと結論するのは問題のすり替え以上です。まず、その組織は必要だったの、だれが、どういう論理で作ると決めたの、今その組織が不要だと言うなら、作った人達の責任はどうしてくれるの。そういう事を明確にしないで、組織そのものが不要ですと決めていいの?いいかげん過ぎません。組織が意味あるものなら、当然残るべきだし、悪さした人達に適正な罰を与え、人を替えればいいのです。
今の我国に必要な論理は「信賞必罰」です。国会議員にそれを強く求めたい。
防衛庁関連でもうひとつ。「庁を省に格上げ案」が今国会で審議される予定だった。しかし、今回の汚職発覚で議案の提出をあきらめたようだ。これもおかしくないですか。ほんとうに必要な議案提出なら何がなんでも提出すべきでしょう。それが数人の悪のために提出を見送る。だったら不要なことなんですね。
中学生でも感じるだろうこの違和感、国会議員への期待感が薄れるのは当然でしょう。
皇室典範も同じです。紀子様が解任したからといって、昨日までの動きが変わる、これって恥ずかしくないですか。もうひとつ、皇室に対して失礼すぎません。貴方自分が皇室の一員になったとして考えてみてよ。「我々をばかににするな。利用するんじゃない」と言いたくなりません。
国会議員のレベルの低さを痛感するしかないと思うのです。こんな国会を作ってる我々って諸外国に対して恥ずかしく思う僕です。
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