カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

執念深さと脱力感

2006-08-23 | 雑記

 朝からおにぎり食って小学校へ行く。寺子屋パート2である。今回はカレーじゃなくてI本君の差し入れソーメン(何キロくれたんだろう。太っ腹である)だということで前回よりやることが少ない。オクラの漬物とかあってつまみ食い。誰も注意しないが、考えてみるとみんなあんまり知らない人ばかりなので遠慮しているのかもしれない。こんなことを書くとあとでつれあいに叱られるので自制しなければならない。
 外ではペットボトルロケットを飛ばしている。ロケットが遠くまで飛んでいくと、後を小さな子供がダーッと駆けて追っかける。なんどもなんども飛ばしていて、それを飽きずにまた子供が追っかける。子供ってこういうところが大人より偉いのではないかと思う。ただ、見ているほうが疲れてしまった。
 山の上の氷屋さんで大量の氷を買い込む。2メートルの氷柱を48時間かけて作るんだとか。実はよくわからんのだが、フムフムと感心する。
 そうやってもってきた氷でカキ氷を作る。たくさんのガキどもがたかってきて、まさに大騒ぎである。PTA役員は、たぶんこれがやりたくてこの催しをやっているんじゃないか。少なくとも僕は、これをずっとやっていたい。みんなにいきわたってしまうと、寂しくて、もっとつくりたい。不公平かもしれないが、欲しければもっと食わせたいものである。仕事もこういう忙しさなら、きっと楽しいのになあと思う。

 夕方から神事部会の準備。O塚さんから今日も裏切ると聞いていたので、一人である。仕事の会議は仕方のないことであるが、僕の気持ちは仕方がないで片付くものではない。きっと仕返ししてやる、などと怒りがこみ上げる。
 定刻どおり会議は始まり、予想通り、M本さんの不毛な質問で大半の時間が消化される。怒り(僕はM本さんに対してはこの感情は少なく、事務局に要求をする返答の方に怒りを覚える。困るのは分かるが不毛なのだから、その場でひとつひとつ会話を完結するべきであろう。もしくは、無視してもいいのではないか)より哀れみさえ感じる。この爺さんが元気なうちは、こういう時間が毎年やってくるわけである。いなくなっても寂しくはならないが、このしつこさはなんかの役に立たないものだろうか。いやな相手に嫌がらせをしたいという欲求で、正気(他人からは狂気に見えるけれど)を維持しているのかもしれない。普段道で会うとしっかり挨拶をされるかただし、人にいたわりの声をかけることもある人なので、僕はこの情熱が不思議でならないのである。何年も怒りを持続させる根性は、迷惑ではあるけれど、生きる力なのかもしれない。憎まれっ子世にはばかる。僕は浮世が大嫌いだ。合掌。
 しかしよく考えると、こういう社会システムというものは、若い世代では崩壊して久しいわけで、こういうお年寄りが、何とか維持しながら支えているものなのかもしれない。世界は終わってしまったのに気づいていなくて、鳥たちが鳴いていると考えたほうがいいのかもしれない。僕らは先祖代々の土地にこれからも住んでいくのではない。青年会議所のメンバーというのは、仕事を通して地域性の大切さを実感しているが、社会システムとしての人間のつながりは、許容という問題も含めて流動性が激しい。つまり地域のお宮を守ってコミュニティを維持していく旧世界は、今でもこれからでも、復活する見込みはない。祭りの精神性は、既にノスタルジーですらないのかもしれない。僕はもう一回この祭りにたずさわるわけだが、コミュニティの喪失をどのように補うのか、狭いと広いをどのように使い分けるのか、考えてみなければならないような気がする。先輩方が目指した夢は、完全に挫折している。青年会議所(だけの)の祭りであれば、もう少し思い切ったことができるのだが、その道は自ら閉ざしてしまっている。青年会議所の祭りであると市民からは認識されているにもかかわらず、そうではないものを目指している限り、この矛盾を内包したまま、後輩が苦労するだけではないか。本心としては石(バトン)だけ渡してとんずらしたいのだけど、石を別のところにやる方法を真剣に考える時ではないか。まあ、最初は誤解され迫害(それも身内から)されるだろうが、10年ぐらいすると、ひょっとすると理解されるのかもしれない。それだけで自分をかけられるものか、自分自身の精神性に疑問はあるけれど、あたかも他人のごとく、この仕事をできないものかとも思う。
 終わって、何故か「きりん」。けっこう豪華な刺身だったような気がする。Y本君の体育界系の思い出話で、なんだか気分が暗くなる。日本のスポーツ界は、戦中の軍隊そのものである。少なくとも僕らの頃はそうだった。あれは若かったから辛抱できたのであって、今ならとても無理だろう。ああ、だから若いうちは戦争もできるのかもしれない。まあ、年寄りは自分が関係ないと思えるから戦争できるともいえるが…。僕はそういう世界から引退しているんだと思う。夏には戦争もののドラマも多いが、僕はもう見る気もしない。特に日本の戦中ものは、げんなりして嫌である。もし、そういうものを強要される時代がきたら、僕は恥ずかしげもなく国外逃亡するだろう。日本語を使えないのは残念だが、とどまっても、言葉なんてたぶん必要ないだろう。
 二次会スナックでは何故かルーマニア人が前に座っていた。彼女の話だと、ルーマニア人はスラブ系ではなく、ラテン系なのだそうだ。言語もそうなのだという。ドイツ語少し、ウクライナも少し、だそうだ。気候は寒くない、日本と同じぐらいだとか。僕はルービックキューブとチャウシェツクとドラキュラしか知らなかったが、あそこはラテンだったのか…。あ、別にエッチな店ではないので、あしからず。ショータイムだってありません。
 あんがい酔っていて、もう年だなあと思う。これぐらい何でもなかったのに、と思う。一緒にいた青年達は3次会へ流れ、ロートルO塚さんコンビで帰路に着く。送っていただくのはありがたいが、相変わらず自宅をかなりオーバーランして降ろしていただく。仕返しは次回に持ち越してやるからな。
 実はパソコンをほとんど触らなかった(って事務局に寄った時に少し触ってしまった。今はどこにでもパソコンってあるんだよね)。こういう日が新鮮に感じられる不思議な日だった。
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