カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

アメリカ的小規模楽観主義 スポンジ・ボブ・スクエアパンツ

2006-08-30 | 映画
スポンジ・ボブ・スクエアパンツ/スティファン・ヒーレンバーグ監督

 スポンジ・ボブは海綿なんだそうだ。説明を聞くまで、なんなのかよくわからなかった。市場には天然海綿スポンジというものが売られていて、僕は初めてスポンジに天然があるということを知った。ヘチマがたわしになるのは知っていたが、ヘチマで体を洗うと痛いと思う。
 こういう漫画を見ていると、それなりにおかしいので、ギャグとして国境を越えた普遍性があることがわかる。わかるのだが、ずいぶん違うもんだなあ、という気もする。日本人の普通の会話ではないからだと思うが、日本の漫画の会話が普通の会話ではないから、お互い様である。
 いや、今はそんなことを言いたいわけではなかった。平たく言ってしまうと、ギャグのセンスというものがまるで違う気がする。自虐的なものとバカにしかたとに展開の意外さがある。これがまず面白い。まあ、似たようなことは言うのだろうけれど、似ているようで、ちょっと違う。だから理解できて面白いのであろう。
 スポンジ・ボブは新しくできたハンバーガー店の店長になりたいらしい。これがなんとなく理解できない。ちっとも魅力的に思えないのだが、そういう世界なのだろう。たぶん、これは米国であっても同じなのではないかと思う。大人にはなんとなく理解しがたい。そこのあたりの微妙な設定が、絶妙なのではないか。と後になって思う。けっこう計算されているわけである。しかしながら解決のされ方はちゃんと人を食っている。まじめになると、まじめになっただけ、ひどくバカにされているような気がしてくる。こんなものが面白いお前らはバカではないか。
 そうなんだよな。面白いバカを増やしてハッピーにしたいんじゃないか。
 エンドロールに延々と波の実写映像が流れている。監督はサーファーなのだろうか。少なくとも波に対して愛情が感じられる。僕はサーフィンをやったことがないけれど、そういう快楽と、このアニメの楽天加減に共通性があるのかもしれない。
 目の前の面白さに身を任せる快楽。バカらしいんだが、妙に教訓的に身についた気がする。スポンジ・ボブ、恐るべしである。

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