カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

大食いは特殊すぎる

2023-03-17 | 

 民放を見なくなって久しいので、現在の状況は知らないのだが、今でも大食いタレントさんというのは活躍しているのだろうか。以前はたくさんいたので、今もおそらく需要があるだろうことは想像できるわけだが、やはりあれは奇人変人を見るのが楽しいというのがあるのだろうし、しかしやはり無理のあることをやっているには違いないとも思う訳で、ずっと変わらずに大食いをやり続けている人というのは、どれくらいいるものなのだろうか。
 普段はつい食べ過ぎて困る、というような思いをしているにもかかわらず、それはほかならぬ太るからであるが、実際のところ、限界まで食べているわけでは決してない。食べ過ぎて苦しくなるというようなことはほとんど無い訳だし、そういう臨界点に達するような場面はほとんどなくなった。正月に大勢で食べてまだ食べ物があるし、もう少し、というのはあるが、あれでも限界を超えるような食べ方ではない。それこそ若い頃にちょっと行き過ぎて食べ過ぎたというのはあるが、ほとんど冗談でやっている悪ふざけであり、あれも極限限界だったのか、よく分からない。記憶が定かでは無いが、鍋か何かを囲んでいて、ものすごく厳格で恐ろし気な年長者がいて、〆の麺を大量に注文して残さず食べろというミッションを課されたことがあって、死にそうな気分になりながら皆で必死に食べたことがあった。苦しくて拷問だったが、あんなことをさせて何が楽しいのか理解に苦しむだけのことで、もうそのような集まりに行くようなことは無くなったのだった。彼らももうだいぶん死んだことだろうし、平和になって良かった。
 ところで、そのように苦しいはずの大食いなのだが、実際それができる上に、さらにその上限を超えるような量を食べられるのが、大食いタレントである。何キロという単位の食べ物を、本当に食べきっているように見える。テレビなので、本当にトリックが無いのかは知らないのだが、仮に完全にそのようなことが無いというのであれば、やはりそれは尋常ではないことは確かだ。大食いの人は世の中に確かにいるが、僕の知っている人に、やはりあの全国レベルの人が存在するとも思えない。体を鍛えるように食べられるようになるものなのかどうかも知らないけれど、そのような次元の違う生き方をされている人たちなのではなかろうか。
 そのようにレベルの高いところで食べている人が、体質的に素直に太らないと言われていたりするが、やはり彼らも人間であることを考えると、それは人間性の否定になるのではなかろうか。というか、本当に毎日あの量を食べているのであれば、必ず太らなければ何かがおかしいような気がする。鍛えて量を食べられる人であることと、状態として太らないから体というのは、矛盾なくあり得ることなのだろうか。そもそも食べても消化しないとか、原理的にあり得るのだろうか。
 噂では、食べた後にすぐに出る人であるとか、そもそも吐くのだというのもある。それはおそらくありそうで、それなら少しは納得がいく。わざわざ手の内を明かすことは無いとは思うが、食べてしまったことと太らないことの矛盾には至らない。
 また大食いの人は、大会に向けて食べ方を鍛えてその日に臨み、それをピークにしていて、普段は穏やかにそんなに食べないというメリハリをつけているという話も聞いたことがある。逆にやはり普段からずっと食べ続けている人もいるとも聞く。いったいどっちが本当なんだろうと思う訳だが、それは自分が太ることとの関連性で、信用したりしたくなかったりするだけのことなのかもしれない。ただでさえ信じられない現実を目にし、さらに人間離れした体質であるなんてことに、疑いを持ってしまうだけなのかもしれない。
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