カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

現役MD人生

2014-06-29 | 音楽

 最近は、というかちょっと前からあったことだけど、居酒屋なんかの装飾で、昭和のレトロな感じのものが張ってあったり置いてあったりする店がけっこうある。金鳥の蚊取り線香だとか、そういうの。三丁目の夕日という漫画や映画があったが、ああいう感じのノスタルジーと、そうして若い人にとっても、近い過去のデザインの面白さなども感じられるものなのかもしれない。
 さて、ある店で飲んでいると、やはり以前のポスターが張ってある。それがMDの広告だったわけだ。つれで飲んでいた人(僕より先輩)も、「そういえば、ほんとに一時MDみたいなものがあった時代があったよね~」みたいな話を振ってきた。実にそれで僕は困惑してしまわざるを得なくなったという訳である。
 それというのも、僕はいまだに音楽はMD現役だからである。
 僕にとってはカセットテープこそノスタルジーにあふれた録音媒体であって、MDはまったく古びていない。音楽編集が安易で、文字通りコンパクトで使いやすい。録音時間も長いし、比較的音の劣化も少ない(と今のところ思う)。時々調子の悪い古いのも無いわけではないが、カセットテープとは雲泥の差で、音がよがんで悔しい思いをしたことはほとんどない。間違って消去してしまった経験はあるにせよ、概ね扱いは簡単だし、古くからあるものであっても、そんなに古びていない現役感があるのである。
 もちろん数が多くなってかさばるというのがあるし、既にどこに何の曲が入っているのか分からなくなっているものも多い。ちゃんと記録をつけていればよかったのだが、以前はケースの方にだけ曲名を書いていて、中身が入れ替わって分からなくなってしまったものも結構あるようだ。聞くときはほとんど車を運転している移動中だから、もう曲名などは関係は無いというのはある。しかしこういう聞き方をしていると、聞いたことはあるが誰のものだったのかというのも適当になってしまっていて、検索機能としてのアーカイブの役割は果たしていない。そういうところが難点なのだが、しかしそれでもやはり記録媒体としてのストックがそれなりにあって、安易に離れられなくなっているというのはある。ipodのような音楽プレイヤーへの移行を考えなかったわけではないが、やはりこのストックの数の問題と、録音機材と車の再生機の問題もあって、要するにちょっとめんどくさいのでかえってこのMDに固執してしまう結果になってしまったようだ。さらにいまだにやはり販売されていることを考えても、僕のようにそれなりに不自由なく使用しているユーザーも相応に残っているらしいということは見て取れる。今の時代にあって、それなりに優れた過去の遺品ということになるのではなかろうか。
 要するに、僕はMDに対して、いまだに何のノスタルジー的な感情を持っていない。いつまでも現役でいられるものなのかは不明だが、デジタルでありながらこのアーカイブ性のアナログ的な確かさというのもなかなか良いのではないか。さすがにレコードからCDに移行してしまったものの、やはり同じくCDは生き残っている。これは聞いている人が古いまま生きているせいだという話はあるが、モノとしての消費財として、やはりアナログ的な質感と所持する楽しさがあるためだとも言われている。MDは曲としてはバラをまとめたものがほとんどだろうけど、多少の編集は可能とはいえ、やはり塊として物語を持っている。これがやはり愛着の源泉にもなっていて、この並びの曲の感じが、その時代の個人の記憶とリンクしており、別の価値を生み出しているのではあるまいか。
 今になって気付いたが、そういう意味では、ノスタルジーがある訳だ。そうしてそのような時代を固まりにしているからこそ、シャッフル機能が無いからこそ、MDらしい魅力があるということらしい。現役が長くなると、やはりドラマが付随する。音というのは時間の消費だ。時間というのは、やっぱり不思議な概念ということになるようだ。
コメント
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