カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

考え方をお互いに曲げないで一緒にやるということ

2014-06-21 | culture

 宇宙ステーションへの補給機「こうのとり」のドキュメンタリーを見た。
 JAXAの開発苦労話だったのだが、いろいろと考えさせられた。
 まずNASAとの考え方の違いで何度も軋轢というか、開発段階でのダメだしを食らうことだ。基本的に日本は新しいアイディアを、一定の制限の元に緻密に行うことに長けているわけだが、NASAは恐らくそういうことは認めつつも、根本的に日本のやり方に同意することは無い。自分たちの考える安全基準を満たすことが第一だし、あんがい保守的という感じだ。さらに新しい技術にしても、アイディアの段階だとまずは信用していない。出来もしないことを提案することに、馬鹿にしたり不信感をあらわにしたりする。多少の演出はあろうが、まあ、そんなもんだろうな、とは思う。
 試行錯誤してかなりいい線まで開発は進むが、最終的に試験をする段階になると、安全に対する考え方に大きな違いが現れる。日本側は重量の制限がある中、予備のシステムはひとつしか準備しないのだが、米国側は予備を二つ準備することでなければ承認しないのだ。いわゆる想定外の事故の対する擁護策に対して厳しいわけだ。何が起こるのかと日本側が問いただしても、想定外は何が起こるかわからないからこそ想定外で、機械が二度壊れることでも対応するというマニュアルに固執する。これはこれでその通りとは思うものの、日本側は、そもそも故障しないように開発することに力を入れているわけで、そこまで想定外が続くことの方に疑問を抱いていたようだ。なんとなく思い当たることがあるわけで、これが確かに日本の弱点という気もしないではなかった。
 さて結果的には予備を二つ準備することではなく、計画を途中で止められるシステムを予備につけて何とか了承を得(つまり二度の想定外に対応できるわけだ)、さらに本番では想定以上の結果を残すという大成功を収めるわけだ。なんだかんだで足掛け10年。執念というか根性というか、とにかく日本らしいということはよく分かった。
 しかしながらその後、直接には成功後に震災が起きて日本側のオフェスは機能しなくなり、長期にわたって支障をきたす、まさに想定外の事故に見舞われることになる。何とか復旧し、難を逃れたということのようだが、人命のかかるミッションにおいての備えという点では、根本的に考えが違うことはよく分かった。アメリカが何でも巨大化してパワーをつけて対応しようとする考え方の根本には、このような思考の出発点の違いにあることは間違いなさそうだ。どちらが正しいということはいえないが、壊れることを前提にプランを積み重ねて巨大化することと、日本のように最初から制限を設けて、その中で最善を尽くすということには大きな隔たりがあるようだ。結果的にはお互いが得意分野でよい結果を出すということに尽きるわけだが、言葉だけでないお互いの理解の道の遠いことは、プロジェクトにおいては大変な障害であることはよく分かったのだった。
コメント
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