何事も永遠のものは無い。始まりがあるのだから終わりがある。そういうことのほうが物の道理なのであって、悲しいが受け入れるより仕方が無い。
そういうわけで永遠に輝いているように思われる太陽だって、いつかは死んでしまう。というか今のようにはいつまでも燃え続けられないということらしい。ただし燃え尽きるまで後50億年くらいあるらしいけど(一説には70億という話もある)。実際には太陽が燃え尽きる前に巨大化し、廻りの星、つまり地球はその前に燃えてなくなってしまうらしい。地球が燃えてなくなってしまうということは、だから地球も死んでしまうわけで、われら人類どころか、生きているものはすべてその前に死んでしまうわけだ。考えただけでも恐ろしく寂しいことだが、繰り返すがそれは数十億年後の話だ。もっともそれは決定的な人類滅亡のように思われるが、恐らくその前に人類は消滅している可能性のほうが高い。隕石が地球に衝突するかもしれないし、月が離れていって自転が狂っているかもしれない。今では考えられない災害で滅亡する可能性のほうが高いらしいし、さらに何か人為的に自滅することだってありうる。SFチックだが、宇宙人が征服しに来る可能性も無いではない。わざわざ地球まで来るという目的を持っている宇宙人が、友好的な存在である可能性は限りなく低いらしい。
そういう長いスパンで考えると、今地球上で人間が生きている時間というのは、宇宙的には短い間のことで、さらにこのように比較的平和な時期を生きられるというのは、奇跡的な一瞬のことなのかもしれない(局所的なことであったとしても)。たまたまその時間に生きられている幸運ということであるらしく、実にラッキーなのであった。宝くじなんて当たらなくても十分ではないか。
先日日本の将来、とりわけ年金医療問題について討論している番組を見た。どちらも将来的には持続不可能なことは自明であるのだが、当然ながら今から打てる対策というものは、ほんのわずかな可能性であるにしても、無いではない。もちろん、今の状態を維持することは既に不可能だし、どうしようもないからやらなくてはならない現実であるに過ぎない。しかし、やらないよりは少しくらいはやった方が、現実的に倫理的にも当然必要なことなのだ。
しかしながら、これがやはり実際に医療費の削減策を伴うわけで、今から高齢になる人ほど反発する意見が多いようだった。今のようにが絶対にダメという前提なのに、どうしてくれるのだ、という不安はぬぐえないためだ。さらに年金問題なんかだと、今まで働いてきた報いは当然だという意見が必ず出たりする。いや、今まで働いた以上のものを手にする制度に過ぎないのだから、将来の人に頼りすぎてしまう方が身勝手に過ぎないのに、そのことはどうしても理解したくないらしい。しまいにはこのようなことになることが分かっていながら(実際30年くらい前からそういわれ続けているのだが)、なぜ対策を打たなかったのか? などという意見も出ていた。だからそのようなことを言う人が、30年以上も改革の道を阻んできたのだし、それに迎合する政治家や官僚が、問題を先送りする選択をせざるを得なかったのが現在なのだ。
将来的には人類は滅亡するが、その前に今の日本も持続は不可能なのだという話である。そうしてこれは絶対に逃げられない。瞬間的にしあわせな時間が、後どれくらい残されているのだろう。僕らには、それすらも知ることが出来ない。唯一のしあわせは、その前に死んでしまうことくらいなのであろう。または、みんな焼け野原に放り出される。不幸なのは自分だけではないということが、救いといえばそうなるのかもしれない。