時節柄さまざまな挨拶を聞く。自分の挨拶の参考にもなるので、預かった文章を読む人以外の挨拶は、あんがい真剣に聞いている。面白い挨拶をしてくれる人がいれば、それなりに感心するし憧れる。しかしながら狙いすぎてもパーソナリティが違うものはどうしようもない。なるほどと思えば心にメモする程度かもしれない。
ところで日本語で厄介なのは、やはり敬語の使い方というのはある。特にこれが挨拶のときに失敗してしまうと、ちょっと恥ずかしい感じが残るかもしれない。失敗くらいは寛容になる必要があるけれど、本人が気付かないだろう残念さにおいては、ちょっと深刻さを覚えることがあるかもしれない。翻って自分を鑑みても、なんとも恐ろしいという気がしないではない。
先日もそういうことがあった。話している人の事業所の役員が変わったという近況を伝えていた。新たな役員として「わざわざ弟に帰ってきていただいて」自分の事業を支えてもらうことにしたらしい。うーん。恐らく家族経営で、そういう気持ちにはうそは無いのだろうけど、これは誰も注意しにくいかもしれない。50代くらいの人なので、ぎりぎり誰か言うかもしれないが、むしろこれは晒される人間になりそうにも思えた。
次に少し若い人、といっても30代後半にさしかかるところだろうか。いろんな人が長時間話した後のことで、「わざわざ聞いていたけれど、面白くもあった」というようなことを言ってしまった。一瞬場が静まったが、これは結構ウケていた。あれ、なんか俺言ったかな、という感じで屈託の無い感じの人だったので、災い転じて、という場面になったかもしれない。これはひょっとすると注意する人がいるかもしれないが、あえて使えるネタとして持っておくのも悪くないかもしれない。とはいえお笑い芸人ではない。難しい芸であることは間違いあるまい。