戦艦ポチョムキン/セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督
映画の中の映画だとか、世界的大名作だということはさんざん聞かされていて、そういうことではあるけれど何故だか見逃していて、そのまま無視して観なくてもいいような気にはなっていたわけではあるけれど、やっぱりあれ見てないの?というようなことをいう若者とは今は付き合いが無くなったにせよ、今更だとは思っても何となく英会話を勉強したくなるようなことはある訳で、つまりは思わず目にとまった折になんともなしにレジまでもっていくような行動を敢行できたおかげもあって、やっと名作を堪能する機会にあいなったということである。
いや、妙に長いセンテンスで言い訳をいう必要もないわけであるが、名作と言われる古典作品を観る場合は多少の根気も必要かと覚悟くらいはしていたものの、実に単純に楽しんで観賞することはできた。いや、面白い映画ですね、流石に。
この映画では当然「オデッサの階段」の名シーンだけでも観るべきだということがいわれており、もちろん僕はその場面に出くわして直ぐに、ああ、そういえばこれは観たことがあるような気がするなあ(いかに多くの映画がこの場面をパクって〈オマージュともいうらしい〉いることか)という感慨とともに、なるほどなるほどと二回ほど膝を打つように見入ってしまったのも確かで、古いといえば古いけれど、大仰といえばその通りだけど、流石に迫力があって凄いものだなあとは思った。もちろん、映画を観終わった後に再度そのシーンはピックアップして再見した。
Battleship Potempkin - Odessa Steps scene (Einsenstein 1925)
しかしながら、もともとは食事用の肉にウジがわいていることに怒った船員たちの暴乱が引き金になるわけで、そういう意味では食い物の恨みは恐ろしいということが改めて言えることで、もともとの抑圧のはけ口となるきっかけがそうであるとはいえるにせよ、ひょっとするとそういう具合に革命というものは起こってしまうのかもしれないとも思ったのだった。
いづれにしろ、日本人なら我慢強く辛抱して終わるのかもしれないとも思う訳で、ある程度の血の気の多さが無いと、世の中というのものは変わらないのかもしれない。
映画の中の映画だとか、世界的大名作だということはさんざん聞かされていて、そういうことではあるけれど何故だか見逃していて、そのまま無視して観なくてもいいような気にはなっていたわけではあるけれど、やっぱりあれ見てないの?というようなことをいう若者とは今は付き合いが無くなったにせよ、今更だとは思っても何となく英会話を勉強したくなるようなことはある訳で、つまりは思わず目にとまった折になんともなしにレジまでもっていくような行動を敢行できたおかげもあって、やっと名作を堪能する機会にあいなったということである。
いや、妙に長いセンテンスで言い訳をいう必要もないわけであるが、名作と言われる古典作品を観る場合は多少の根気も必要かと覚悟くらいはしていたものの、実に単純に楽しんで観賞することはできた。いや、面白い映画ですね、流石に。
この映画では当然「オデッサの階段」の名シーンだけでも観るべきだということがいわれており、もちろん僕はその場面に出くわして直ぐに、ああ、そういえばこれは観たことがあるような気がするなあ(いかに多くの映画がこの場面をパクって〈オマージュともいうらしい〉いることか)という感慨とともに、なるほどなるほどと二回ほど膝を打つように見入ってしまったのも確かで、古いといえば古いけれど、大仰といえばその通りだけど、流石に迫力があって凄いものだなあとは思った。もちろん、映画を観終わった後に再度そのシーンはピックアップして再見した。
Battleship Potempkin - Odessa Steps scene (Einsenstein 1925)
しかしながら、もともとは食事用の肉にウジがわいていることに怒った船員たちの暴乱が引き金になるわけで、そういう意味では食い物の恨みは恐ろしいということが改めて言えることで、もともとの抑圧のはけ口となるきっかけがそうであるとはいえるにせよ、ひょっとするとそういう具合に革命というものは起こってしまうのかもしれないとも思ったのだった。
いづれにしろ、日本人なら我慢強く辛抱して終わるのかもしれないとも思う訳で、ある程度の血の気の多さが無いと、世の中というのものは変わらないのかもしれない。