日本国憲法では、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されています。この象徴とは何でしょうか。
広義には、象徴とは別のなにものかを指し示す記号と定義することができます。ただし、象徴は単なる記号と違い、しばしば両義的・多義的な意味を表し、また言葉で表現しきれない深さを持っています。天皇を象徴であるとする時にも、そこには汲み尽くせない意味が含まれていると考えるべきでしょう。
象徴という表現は、GHQの憲法起草者が、英国で国王が象徴とされていることにアイデアを得たと述べています。しかし、天皇を象徴ととらえる考え方は、既に日本にありました。天皇を象徴と規定した最初の人は、戦前を代表する歴史学者・津田左右吉と見られます。津田は「元号の問題について」(『中央公論』昭和25年7月号)で、次のように述べています。
「象徴ということばは、法律上の用語としては、今度の憲法に初めて現れたものでありますが、実際は昔から象徴であらせられた。憲法で象徴ということばを使ったのは、誰の考えから出たことかは知りませんが、私はよいことばを使ったものだと思います。私自身のことを申すのは言いにくい気がしますが、私は皇室は国民的精神の象徴、または国民的結合の象徴であるということを、30何年も前に公にした著書の中に、明白に書いております」
津田が天皇を象徴であるととらえたのは、「アラヒトガミ」の概念に基づくものでした。日本の「カミ」の意味の分からないGHQの米国人の着想とは、まったく違うのです。津田は、アラヒトガミの意味を次のようなものととらえました。
(1)「日本書紀」は「神代」と「人代」を分け、天皇は「人代」で出現している。
(2)天皇は神を祀る者、いわば神祇官であって、祀られる対象ではない。
(3)天皇が祈祷の対象であったことはない。困難が来たときには、天皇が神々に祈る。
そこで、津田は、天皇は「アラヒト」つまり「ヒト」であり、「カミ」がつくのは「統治者への尊称」であるとしました。そして、天皇は人間であるが、同時に象徴であると考えました。そして、天皇は「文化的統合」の象徴であり、同時に「民族の継続性」の象徴ととらえたのです。これは天皇をGOD(天地創造の唯一神)ととらえるのとは、まったく違います。
この文化的共同体の象徴という側面を強調したのが、哲学者の和辻哲郎です。和辻は、戦後、政治的権能を失った天皇を、日本文化の連続性・統一性を体現するものとして理念化しました。この解釈は戦後の政体になじむものであったため、天皇は昔から象徴であったのであり、非政治的で文化的な存在だったという考えが広まりました。これが、今日多くの人々の天皇観の基礎となっているでしょう。
しかし、見落としてはならないことがあります。それは、津田のいうところの「民族の継続性」の象徴という側面です。この点が、戦後の文化論的な天皇観では、積極的に把握されていないと思います。それは、現行憲法に原因があります。GHQ製の憲法は、日本人を、民族の歴史・伝統を担うものとしての「国民」ではなく、歴史・伝統を忘れた「人民(people)」に改造しようとするものだからです。
天皇が象徴する「民族の継続性」とは、単に文化的な集団の連続性を意味するのではありません。なぜなら、人間は文化的存在である前に、生命的存在であるからです。そして、天皇を国家と国民統合の象徴とするものは、民族の生命の連続性でなければなりません。すなわち、先祖・自分たち・子孫という、過去・現在・未来に広がる世代間の、生命の連続性です。この生命の連続性は、文化的共同体の基礎にあるものです。それゆえ、天皇は、こうした生命的かつ文化的な共同体の象徴であると、とらえるべきでしょう。そこに、天皇と国民は親子のような関係だとか、国民の先祖は皇室とつながっている、皇室と各国民の家は本家と分家のような関係だという考え方が生まれてくるわけです。
象徴とは、統合された状態とともに、統合する作用を象徴します。言い換えると、一体となった状態と一体化する働き、一体性と一体化の両方を、象徴しているのです。
ある集団が一つの集団としてまとまるためには、集団を統合するものが必要です。それは、統合力のある人物や思想や象徴などです。言いかえれば、統合の中心です。中心がなければ、集団はばらばらになってしまいます。国家においても同様であり、国民が団結するには、統合の中心が必要です。
日本ではその中心として、古代より天皇が存在してきました。天皇による統合作用・一体化は、政治的な権力ではなく精神的な権威によっています。これは長い歴史・伝統の中で、自然につちかわれてきたものです。
中心という概念に関して、天皇機関説で有名な憲法学者・美濃部達吉は戦後、『民主政治と議会制度』において次のように書いています。
「すべて国家には国民の国家的団結心を構成する中心(国民統合の象徴)がなければならず、しかして我が国においては、有史以来、常に万世一系の天皇が国民団結の中心に御在(いま)しまし、それに依って始めて国家の統一が保たれているからである。それは久しい間の武家政治の時代にあってもかつて動揺しなかったもので、明治維新の如き国政の根本的な大改革が流血の惨を見ず平和の裡に断行せられたのも、この国家中心の御在しますがためであり、近く無条件降伏、陸海軍の解消と言うような古来未曾有の屈辱的な変動が、さしたる混乱もなく遂行せられたのも、一に衆心のむかうべき所を指示したもう聖旨があったればこそであることは、さらに疑いを入れないところである」
美濃部の言うように、天皇を「国家的団結心を構成する中心」としてとらえて初めて、天皇の象徴性を深く理解できるでしょう。ここで天皇は、単に文化的な共同体の中心ではなく、生命的な共同体の中心と把握されます。こうした天皇の存在は、蜂の社会における女王蜂にたとえられます。ローレンス・ヴァン・デル・ポストは、天皇を「雄の女王蜂」と表現しています。
次に重要なことは、天皇と国民の統合作用・統合状態は、強大な権力者による支配ー服従の関係とは異なっていることです。ここが西欧やシナと違うのです。
初代・神武天皇は、古事記・日本書紀によれば、奈良の橿原(かしはら)の地で、初代天皇に即位したとされます。『日本書紀』は、建国の年を紀元前660年としています。この時、神武天皇は、日本建国の理念を高らかに謳い上げたと伝えられます。その理念は「橿原建都の詔」に示されています。そこに「苟(いやし)くも民に利あらば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)はむ」という言葉があります。「民」は「おおみたから」と読みます。そこに示されているのは、天皇が国民を宝のように大切にするという思想です。国民は奴隷として搾取する対象ではなく、宝なのです。そして、国民全体の福利をめざす政策を行おうという姿勢が示されています。こうした神武天皇の理想が、日本皇室にずっと受け継がれてきているのです。
それを伝統的には、天皇は「民の父母」であり、国民は「天皇の赤子」と表現しました。つまり、天皇は国民を子供のように慈しみ、国民は天皇を親のように敬愛し、天皇と国民が家族的な感情で一つに結ばれた統合状態を理想とし、天皇も国民もそれを目指してきたのです。それは他の国々には見られない日本独自の国柄です。
それゆえ、天皇が日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるということの意味は、天皇と国民との深く暖かい感情的なつながりを、実感できたときに初めて、感じられるものでしょう。
戦後70年以上の年月を経て、日本は今、深刻な危機にあります。ここで日本を建て直すためには、憲法に盛られた「象徴」という言葉の意味を捉え直すことが必要だと思います。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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広義には、象徴とは別のなにものかを指し示す記号と定義することができます。ただし、象徴は単なる記号と違い、しばしば両義的・多義的な意味を表し、また言葉で表現しきれない深さを持っています。天皇を象徴であるとする時にも、そこには汲み尽くせない意味が含まれていると考えるべきでしょう。
象徴という表現は、GHQの憲法起草者が、英国で国王が象徴とされていることにアイデアを得たと述べています。しかし、天皇を象徴ととらえる考え方は、既に日本にありました。天皇を象徴と規定した最初の人は、戦前を代表する歴史学者・津田左右吉と見られます。津田は「元号の問題について」(『中央公論』昭和25年7月号)で、次のように述べています。
「象徴ということばは、法律上の用語としては、今度の憲法に初めて現れたものでありますが、実際は昔から象徴であらせられた。憲法で象徴ということばを使ったのは、誰の考えから出たことかは知りませんが、私はよいことばを使ったものだと思います。私自身のことを申すのは言いにくい気がしますが、私は皇室は国民的精神の象徴、または国民的結合の象徴であるということを、30何年も前に公にした著書の中に、明白に書いております」
津田が天皇を象徴であるととらえたのは、「アラヒトガミ」の概念に基づくものでした。日本の「カミ」の意味の分からないGHQの米国人の着想とは、まったく違うのです。津田は、アラヒトガミの意味を次のようなものととらえました。
(1)「日本書紀」は「神代」と「人代」を分け、天皇は「人代」で出現している。
(2)天皇は神を祀る者、いわば神祇官であって、祀られる対象ではない。
(3)天皇が祈祷の対象であったことはない。困難が来たときには、天皇が神々に祈る。
そこで、津田は、天皇は「アラヒト」つまり「ヒト」であり、「カミ」がつくのは「統治者への尊称」であるとしました。そして、天皇は人間であるが、同時に象徴であると考えました。そして、天皇は「文化的統合」の象徴であり、同時に「民族の継続性」の象徴ととらえたのです。これは天皇をGOD(天地創造の唯一神)ととらえるのとは、まったく違います。
この文化的共同体の象徴という側面を強調したのが、哲学者の和辻哲郎です。和辻は、戦後、政治的権能を失った天皇を、日本文化の連続性・統一性を体現するものとして理念化しました。この解釈は戦後の政体になじむものであったため、天皇は昔から象徴であったのであり、非政治的で文化的な存在だったという考えが広まりました。これが、今日多くの人々の天皇観の基礎となっているでしょう。
しかし、見落としてはならないことがあります。それは、津田のいうところの「民族の継続性」の象徴という側面です。この点が、戦後の文化論的な天皇観では、積極的に把握されていないと思います。それは、現行憲法に原因があります。GHQ製の憲法は、日本人を、民族の歴史・伝統を担うものとしての「国民」ではなく、歴史・伝統を忘れた「人民(people)」に改造しようとするものだからです。
天皇が象徴する「民族の継続性」とは、単に文化的な集団の連続性を意味するのではありません。なぜなら、人間は文化的存在である前に、生命的存在であるからです。そして、天皇を国家と国民統合の象徴とするものは、民族の生命の連続性でなければなりません。すなわち、先祖・自分たち・子孫という、過去・現在・未来に広がる世代間の、生命の連続性です。この生命の連続性は、文化的共同体の基礎にあるものです。それゆえ、天皇は、こうした生命的かつ文化的な共同体の象徴であると、とらえるべきでしょう。そこに、天皇と国民は親子のような関係だとか、国民の先祖は皇室とつながっている、皇室と各国民の家は本家と分家のような関係だという考え方が生まれてくるわけです。
象徴とは、統合された状態とともに、統合する作用を象徴します。言い換えると、一体となった状態と一体化する働き、一体性と一体化の両方を、象徴しているのです。
ある集団が一つの集団としてまとまるためには、集団を統合するものが必要です。それは、統合力のある人物や思想や象徴などです。言いかえれば、統合の中心です。中心がなければ、集団はばらばらになってしまいます。国家においても同様であり、国民が団結するには、統合の中心が必要です。
日本ではその中心として、古代より天皇が存在してきました。天皇による統合作用・一体化は、政治的な権力ではなく精神的な権威によっています。これは長い歴史・伝統の中で、自然につちかわれてきたものです。
中心という概念に関して、天皇機関説で有名な憲法学者・美濃部達吉は戦後、『民主政治と議会制度』において次のように書いています。
「すべて国家には国民の国家的団結心を構成する中心(国民統合の象徴)がなければならず、しかして我が国においては、有史以来、常に万世一系の天皇が国民団結の中心に御在(いま)しまし、それに依って始めて国家の統一が保たれているからである。それは久しい間の武家政治の時代にあってもかつて動揺しなかったもので、明治維新の如き国政の根本的な大改革が流血の惨を見ず平和の裡に断行せられたのも、この国家中心の御在しますがためであり、近く無条件降伏、陸海軍の解消と言うような古来未曾有の屈辱的な変動が、さしたる混乱もなく遂行せられたのも、一に衆心のむかうべき所を指示したもう聖旨があったればこそであることは、さらに疑いを入れないところである」
美濃部の言うように、天皇を「国家的団結心を構成する中心」としてとらえて初めて、天皇の象徴性を深く理解できるでしょう。ここで天皇は、単に文化的な共同体の中心ではなく、生命的な共同体の中心と把握されます。こうした天皇の存在は、蜂の社会における女王蜂にたとえられます。ローレンス・ヴァン・デル・ポストは、天皇を「雄の女王蜂」と表現しています。
次に重要なことは、天皇と国民の統合作用・統合状態は、強大な権力者による支配ー服従の関係とは異なっていることです。ここが西欧やシナと違うのです。
初代・神武天皇は、古事記・日本書紀によれば、奈良の橿原(かしはら)の地で、初代天皇に即位したとされます。『日本書紀』は、建国の年を紀元前660年としています。この時、神武天皇は、日本建国の理念を高らかに謳い上げたと伝えられます。その理念は「橿原建都の詔」に示されています。そこに「苟(いやし)くも民に利あらば、何ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)はむ」という言葉があります。「民」は「おおみたから」と読みます。そこに示されているのは、天皇が国民を宝のように大切にするという思想です。国民は奴隷として搾取する対象ではなく、宝なのです。そして、国民全体の福利をめざす政策を行おうという姿勢が示されています。こうした神武天皇の理想が、日本皇室にずっと受け継がれてきているのです。
それを伝統的には、天皇は「民の父母」であり、国民は「天皇の赤子」と表現しました。つまり、天皇は国民を子供のように慈しみ、国民は天皇を親のように敬愛し、天皇と国民が家族的な感情で一つに結ばれた統合状態を理想とし、天皇も国民もそれを目指してきたのです。それは他の国々には見られない日本独自の国柄です。
それゆえ、天皇が日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるということの意味は、天皇と国民との深く暖かい感情的なつながりを、実感できたときに初めて、感じられるものでしょう。
戦後70年以上の年月を経て、日本は今、深刻な危機にあります。ここで日本を建て直すためには、憲法に盛られた「象徴」という言葉の意味を捉え直すことが必要だと思います。
次回に続く。
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『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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