ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権156~愛国心とアイデンティティ

2015-05-30 08:52:03 | 人権
●愛国心とアイデンティティ

 郷土愛や祖国愛は、郷土や祖国を対象とした感情や意識である。そうした感情や意識と、自己の同一性を意味するアイデンティティには、深い関係がある。郷土に対して、人はローカルなアイデンティティを抱く。郷土との関係で「自分は、○○生まれの人間である」という時、この規定を肯定的に感じるのは、郷土愛を抱いている場合である。また祖国との関係で、「自分は、○○国の国民である」という時、この規定を肯定的に感じるのは、祖国愛を抱いている場合である。
 郷土的なローカル・アイデンティティは、民族的なエスニック・アイデンティティと同様、国家的・国民的なナショナル・アイデンティティのもとになるものである。ナショナル・アイデンティティはエスニック・アイデンティティを排除しないのと同様に、ローカル・アイデンティティを排除しない。これらは並立し得るし、また互いに他を強化することもできる。なお、イギリスでは、連合王国のレベルの忠誠心をパトリオティズムといい、スコットランド、ウェールズ等への忠誠心であるナショナリズムと対置される。そのうえ、英語圏にはパトリオティズムを健全な愛国心、ナショナリズムを独善的または狂信的な愛国心と対比して使う人がいるので、議論が錯綜しやすい。注意を要する。
 ネイションの最も強固なあり方は、運命共同体としてのネイションである。ネイションでありながら、複数の言語が使用される多言語社会、複数の文化が混在する多文化社会、複数の宗教が併存する多宗教社会、階級で利害が違う階級社会など、ネイションの実態はさまざまである。しかし、こうした違いを超えて、自分たちは運命を共有し、生死・興亡をともにしているという意識が、ネイションを強固にする。そして、運命共同体としての自覚は、他の集団からの侵攻・外圧・課税等への反発、それらからの防衛において強まる。国民という集団は、生死・興亡を共にする運命共同体となることによって、家族や氏族のような共有生命的な共同体と意識される。
 こうした運命共同体となったネイションにおいて、ナショナル・アイデンティティは、最も深くまた強いものとなる。自己の生命と集団の生命が不離一体のものと感じられ、自己は集団のために生き、集団は自己のために存在すると確信される。また、生きる自己と死せる祖先は、心霊的なつながりの中にあると感じられる。集団のために貢献し、献身した者は、尊敬され、死後も感謝と崇敬の対象となる。自己は、集団への貢献・献身によって、死後も子孫の感謝と崇敬を受けるものと信じられる。この信念によって、人は、死の恐怖と、死による生の無意味化への疑いを、乗り越えることができる。そこに、ナショナリズムとアイデンティティの関係の最も深いポイントがある。ネイションは、集団としてのアイデンティティを確立し、さらに構成員の内面にその集団の一員であるというアイデンティティを確立してこそ、安泰と繁栄を実現することができる。個人もまた死を乗り越え、生に有意味を確認することで、安心と喜びを得ることができる。
 この点で、ナショナリズムは近代国家の宗教になったという見方がある。もし宗教性を認めるとするならば、本来人間がそこに生まれ、死ぬ共同体が持っている文化が、宗教という形態に特化したのであり、宗教の原型には生命を共有する共同体の精神文化があると言わねばならない。ヨーロッパについて言えば、古代のラテン民族もゲルマン民族も、そうした共同体の文化を持っていた。そこに、ユダヤ民族に表れた創唱宗教であるキリスト教が普及したことにより、本来の先祖伝来の文化を失った。人々は、先祖の生命とつながる神ではなく、先祖とはつながりのないアブラハムの神を信仰することになった。そうした社会が近代化・産業化したことによって、ますます生命を共有する共同体の精神文化から遠ざかった。共同体が解体され、アトム的な個人に分解された人々を国家と資本の論理によって再び結集する必要が生じた時、ナショナリズムは、社会の共同性を回復する働きをした。近代化・産業化する社会において、集団としてのアイデンティティを確立し、構成員の内面に集団の一員であるというアイデンティティを確立して、個人が死を乗り越え、生に有意味を確認することができるようにする役割を果たすことになったのである。
 死すべきものとしての人間は、死の恐怖を乗り越え、自己の生が無意味になる不安から逃れることを望む。この恐怖と不安からの自由は、人間が目指すべき一個の権利である。ナショナリズムは、宗教とともに、その権利の実現を可能にするものとなってもいるのである。これは近代に特有の現象ではない。ナショナリズムはエスニシズムの特殊近代的な形態であり、エスニック・グループにおいて、また家族的・生命的共同体において実現されていた権利が、ネイションという集団においても実現可能となっているものである。

 次回に続く。
コメント

米国学者グループが慰安婦問題で安倍首相に声明2

2015-05-29 10:17:59 | 現代世界史
 5月5日欧米を中心とする日本研究者や歴史学者187人が、「日本の歴史家を支持する声明」と題する文書を公表し、安倍首相宛てに送付されたと報じられる件については、産経新聞の古森義久氏(ワシントン駐在客員特派員)が、次のように書いている。
http://www.sankei.com/column/news/150517/clm1505170006-n1.html
 「この一文は『日本の歴史家』を支持する声明」とされていたが、『日本の歴史家』が誰かは不明、日本政府や国民への一方的な説教めいた内容だった」
 当然、米教育出版社「マグロウヒル」の世界史教科書の慰安婦問題に関する記述と同じ主旨のことを書いている歴史家だろう。同教科書は、「日本軍は14~20歳の約20万人の女性を慰安所で働かせるために強制的に徴用し、慰安婦になることを強要した」「逃げようとして殺害された慰安婦もいた」などと強制連行があったかのように記述し、「日本軍は慰安婦を天皇からの贈り物として軍隊にささげた」と虚偽の内容を書いている。このような記述と同じような主張をしている自虐的・反日的な「日本の歴史家」を支持するというのが、先の声明と考えられる。
 古森氏は、声明の発信者について次のように分析している。
 「発信者とされる187人には『米国の日本研究者』とは異なるような人物たちも多い。安倍政権非難の活動に熱心な日本在住のアイルランド人フリー記者や性転換者の権利主張の運動に専念する在米の日本人活動家、作家、映画監督らも名を連ねる。中国系、韓国系そして日本と、アジア系の名も40ほどに達する」と。
 そして同声明は「米国全体からみれば極端な政治傾向の人物たちの主導で発せられた」とし、主導者について次のように書いている。
 「声明作成の中心となったコネティカット大学教授のアレクシス・ダデン氏は日本の尖閣や竹島の領有権主張を膨張主義と非難し、安倍首相を『軍国主義者』とか『裸の王様』とののしってきた。マサチューセッツ工科大学名誉教授のジョン・ダワー氏は日本の天皇制を批判し、日米同盟の強化も危険だと断じてきた。コロンビア大学教授のキャロル・グラック氏は朝日新聞が過ちだと認めた慰安婦問題記事の筆者の植村隆氏の米国での弁解宣伝を全面支援している。要するにこれら『米国の日本研究者』たちは米国の多数派の対日認識を含む政治傾向や歴代政権の日本への政策や態度よりもはるかに左の端に立つ過激派なのである」と。
 また、彼らのような反日・親中・親韓のニュー・レフト(新左翼)であっても、今回の声明では、「強制連行」「20万人」「性奴隷」という言葉は使っていない。
 声明については、拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏も発言している。その全文を転載にて紹介する。
2月5日米国の歴史学者19人が日本政府の訂正要求を拒否する声明を出したのに対し、3月17日秦郁彦氏ら日本の19人の有識者が連名で反論を行い、明確な事実誤認部分8カ所について、教科書出版社に訂正を求める声明を公表した。藤岡氏は、この19人のうちの一人である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●ZAKZAK 平成27年5月22~23日

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150522/dms1505221140010-n1.htm
欧米学者による「日本の歴史家を支持する声明」に異議あり 藤岡信勝氏緊急寄稿(上)
2015.05.22

 安倍晋三首相が8月に発表する「戦後70年談話」を見据えて、欧米を中心とした日本研究者450人以上が署名した「日本の歴史家を支持する声明」が注目されている。韓国や中国の「民族主義的な暴言」を問題視する一方、日本政府に慰安婦問題など「過去の清算」を促している。当初、「比較的フェア」という見方もあったが、専門家が分析すると「怪しさ」や「狡猾な罠」も感じられるという。日本の知識人による反撃の覚悟とは。拓殖大学の藤岡信勝客員教授が緊急寄稿した。

 欧米を中心とした各国の歴史学者・日本研究者187人の声明が発表されたのは今月5日だった。20日までに賛同者は457人に増加したと朝日新聞が報道している。朝日新聞、本日も反省なしか。
 声明の趣旨は、戦後70年にあたり、安倍首相は日本の過去の戦争における「過ち」について、「全体的で偏見のない清算」をするように呼びかけ、慰安婦問題の解決に「大胆な行動」を期待する、というものである。明示していないが、安倍首相の「戦後70年談話」で「謝罪」せよと要求したものであると考えられる。
 それにしても、この声明は一体、何なのか。まことに怪しい。
 まず、誰にあてて出されたものか、名宛人がハッキリしない。代表者が誰なのかも分からない(=声明の署名者一覧は、名字のアルファベッド順に並んでいるだけ。取りまとめ役の1人としては、慰安婦問題で日本に批判的なコネティカット大学のアレクシス・ダデン教授の名前が報じられている)。江戸時代、唐傘に円形に署名して首謀者を分からないようにした傘連判(かされんぱん)のようだ。連絡先の事務所も不明で、日付もない。いわば、怪文書の体裁だ。それでいて、首相官邸にも届けたというが、真偽、消息とも不明。
 タイトルは「日本の歴史家を支持する声明」である。この発想は、3月に米国の全米歴史学会の雑誌に投稿された「日本の歴史家たちと連帯する」とそっくりだ。この時は19人が署名した(後に1人が加わって20人)。テーマは米マグロウヒル社の世界史教科書に載っている、「慰安婦」というコラムの記述だった。
 昨年11月3日、産経新聞がマグロウヒル社の世界史教科書の内容を報道した。20万人の若い女性を強制連行し、天皇の贈り物であるとして部隊に下賜した-というデタラメ極まりない、ひどい内容である。すると、今まで動いたことのない日本の外務省が、11月から12月にかけて、マグロウヒル社に訂正の申し入れをした。
 米国から見ると日本は属国である。「この国はどんな辱めを受けても反撃してこない特殊なところだ」と高をくくっていたら、意外にも反乱を起こした。ここは示しをつけなければならない、という雰囲気で文書は書かれていた。日本の軍慰安婦は「国営性奴隷制」であるというのが、本質規定だった。
 ところが、今回の声明には「強制連行」「性奴隷」「20万人」などの言葉がすっかり消えているのである。驚くべき変化だ。
 実は、5月の187人の署名者の中には、3月の19人の文書にも名を連ねた人物が12人もいるのである。3月の声明と5月の声明の間に、一体何があったのか。そこには、日本側の毅然とした反論があったのだ。

米大学名誉教授ら450人超署名
 問題の声明は今月5日、「日本の歴史家を支持する声明」として発表された。ベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者であるハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授ら187人が名前を連ねていたが、21日までにオランダ人ジャーナリスト、イアン・ブルマ氏ら約270人が新たに署名し、450人を超えたという。
声明の中身だが、「戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、政治的寛容さなどは祝福に値する」としたうえで、「慰安婦問題などの歴史解釈が(祝福の)障害となっている」と指摘している。
 一方で、「韓国と中国の民族主義的な暴言にもゆがめられてきた」と明言。韓国側が「20万人以上」などと主張する慰安婦の数についても「恐らく、永久に正確な数字が確定されることはない」とした。韓国や左派勢力が使う「性奴隷」(Sex slaves)といった言葉は使われていない。
 安倍晋三首相が4月の米上下両院合同会議での演説で「人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性」について語ったことを称賛し、「その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません」と訴えている。
 声明の最後には「ここに表明されている意見は、いかなる組織や機関を代表したものではなく、署名した個々の研究者の総意にすぎません」とあった。(続く)

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150523/dms1505231530004-n1.htm
欧米学者声明に異議 “持ち上げ”は慰安婦で謝罪させる罠か 藤岡信勝氏緊急寄稿(下)
2015.05.23

 3月に出された声明「日本の歴史家たちと連帯する」(19人が署名。後で1人加わる)と、5月の「日本の歴史家を支持する声明」(187人が署名。現在は450人超)の間には、日本側の毅然とした動きがあった。現代史家の秦郁彦氏を代表とする日本の歴史家19人が3月17日、米大手教育出版社「マグロウヒル」の教科書の誤り8カ所を指摘し、同社に訂正勧告をしたのだ。
 一例をあげよう。
 教科書は、慰安婦の総数を「20万人」としつつ、「慰安婦が毎日20人~30人の男性を相手にした」と書いている。そうすると、日本軍は毎日、400万回~600万回の性的奉仕を調達したことになる。他方、相手となるべき日本陸軍の海外兵力は、最盛期の1943年で100万人であった。そこで、教科書に従えば、彼らは全員が「毎日4回~6回」慰安所に通ったことになる。これでは戦闘準備をする時間はおろか、まともに生活する暇もなくなる。
 こうした反論は、手裏剣のように相手の論理の急所に突き刺さった。さすがに「20万」という数字は言えなくなった。この推定が当たっているとすると、日本からの訂正勧告は、今年の歴史戦の大戦果の1つになる。
 5月声明の187人の署名者の中には、3月声明の19人の文書にも名を連ねた人物が12人もいる。それらの人々が自説を変えたのなら、まずマグロウヒル社の教科書是正をわれわれと一緒に要求すべきだ。
187人の声明では、戦後日本の国際貢献をやたらに持ち上げている。「世界の祝福に値する」とまで言う。だが、それは1つの伏線で、その祝福を受けるにあたって障害となっているものが「歴史解釈」の問題だとして慰安婦問題を持ち出すのである。
 「20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春のなかでも、『慰安婦』制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして、日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります」
 何のことはない。「19人」は刑事部屋の鬼刑事である。被疑者を恫喝(どうかつ)して、ひたすら自白させようとする。嘘がバレてうまくいかなくなったので、今度は「187人」が温情刑事として登場する。「お前さんはいいこともした。罪を認めて謝罪すればもっと褒められる」という。どっちも日本に謝罪させようとする目的は同一なのだ。
 日本政府は怪文書(声明)を無視したらいい。われわれ民間は徹底的に論争する。反日包囲網を敷かれても真実はこちらにあるから、必ず勝利する、と私は確信している。 =おわり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

関連掲示
・拙稿「慰安婦問題:米教科書会社に秦郁彦氏らが訂正要求」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/7464ca0fabc8f24ce6c47cf64400a7a5
・拙稿「米教科書が7年以上前から、慰安婦は『30万人』『強制連行』と記述」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/s/%A5%DE%A5%AF%A5%B0%A5%ED%A5%A6
コメント

人権155~ナショナリズムと愛国心

2015-05-28 08:51:19 | 人権
●ナショナリズムと愛国心

 ナショナリズム及びナショナル・アイデンティティと深く関係するものに、愛国心がある。
 ゲルナーの項目で、ゲルナーのナショナリズム論は、産業革命以後の段階について述べたものだと書いた。近代化しさらに産業化する社会において、多数の人々が共通語や標準化された知的・技術的能力を習得するには、大規模な教育制度が必要である。その教育制度を整備し得るのは、政府以外にない。政府は産業社会の要請に従って、教育制度を整え、共通の言語や基礎的な知的・技術的能力を人々に身に付けさせた。教育の発達がさらに産業化を推し進め、社会の流動性を高めた。政府はまた強力な軍隊をつくろうとして国民皆兵制を敷いた。ゲルナーは、近代的な軍隊が産業社会におけると同じように、人々を集権的に教育し、文化的に同質化したとも説いている。
 私見を述べると、工場も軍隊も、一定の目的の下に人々を組織し、合理的に動かす集団である。そのような集団の構成員は、指示・命令を理解し、互いに意思を疎通し、決められた作業を同じようにできなければならない。それには、共通語の読み書きと基礎的な計算能力を身に付け、集団的行動の訓練ができていなければならない。学校や軍事教練場は、そのような構成員を養成する機関である。
 問題は、産業革命以後の段階において、近代的・合理的な組織人を養成し、集団の能力を高めることと、ナショナリズムとの関係である。私は、ここで重要なのは、学校で愛国心を教え、軍隊で国防に従事することだと考える。愛国心の涵養と国防への従事が、国民意識を高め、ナショナリズムを発達させた。もし工場労働者に愛国心を教えなければ国家に無関心であり、また国防に従事させなければ国防に無関心だろう。
 愛国心は、パトリオティズム(patriotism)の訳語である。祖国愛とも訳す。パトリオティズムは、もともと郷土(ラテン語のpatria パトリア)への愛情である。ナチオが「生まれ」「同郷の集団」を意味するのに対し、それへの愛着や忠誠を表す。郷土愛、愛郷心である。郷土愛、愛郷心としてのパトリオティズムは、近代以前から存在し、近代以後も存在している。パトリオティズムは、ナショナリズムにおける前近代的かつエスニックな要素の一つである。このどの時代どの地域にも見られる郷土愛・愛郷心に対して、ナショナリズムは、個人の忠誠心を近代的なネイションに向けることによって成立する政治的な意識と行動である。
 人は自分の帰属する集団に対して、愛着、誇り、一体感を抱くと、忠誠心を以て行動する。この感情と意思が向かう対象には、家族・氏族・部族・結社・団体・民族等から、国民全体が住む国家までの広がりがある。また、内容には、懐かしさ、親近感、郷愁のような淡い感情から、対象との一体感、熱烈な献身までの幅がある。これらのうち、郷土に向かうものが郷土愛・愛郷心である。ここでいう郷土には、生まれ育った土地だけでなく、故郷に住む人々、その先祖を含む。郷土愛・愛郷心は、地域の生活環境の中で育まれる感情や意識であり、自分の属している地域集団が外から侵害された時は、集団を防衛しようとする意思と行動となって現れる。
 ネイションの形成の過程で、社会集団の規模が拡大し、郷土愛の対象が祖国に一致したものが、祖国愛・愛国心である。ナショナリズムは、祖国愛・愛国心の意味で使われる場合もある。領域内の諸地域を統合しながらネイションが形成される過程で、パトリオティズムはナショナリズムに発展し得る。対象が郷土から、祖国へと拡大される。それによって郷土愛が祖国愛に発展し、もともとの郷土愛に加えて、祖国愛が成立する。それゆえ、本来、祖国愛は郷土愛を否定するものではない。国民という上位集団への愛情と郷土という下位集団への愛情は、相互に排斥するのではなく、相補的であり得る。また祖国愛は、源泉としての郷土愛に根付き、またそれに裏付けられてこそ、強固なものとなる。ここで祖国愛を愛国心、郷土愛を愛郷心と置き換えても同じものである。

 次回に続く。
コメント

米国学者グループが慰安婦問題で安倍首相に声明1

2015-05-27 08:54:06 | 慰安婦
 5月5日欧米を中心とする日本研究者や歴史学者187人が、「日本の歴史家を支持する声明」と題する文書を公表し、戦後70年の今年を「過去の植民地支配と侵略の問題に立ち向かう絶好の機会」「可能な限り、偏見のない清算を共に残そう」と呼びかけた。声明は慰安婦問題などに言及したもので、安倍首相宛てに送付されたと報じられる。署名者は、その後450名以上になったという。
 ただし、この声明は、誰にあてて出されたものかも、代表者が誰なのかも分からない、連絡先の事務所も不明で、日付もないというから、首相に送る文書としては、基本的な要件を書いている。
声明には、ハーバード大のエズラ・ボーゲル名誉教授、ニューヨーク州立大のハーバート・ビックス名誉教授、マサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授ら著名な学者が名を連ねている。日本研究者とはいえない人物も含まれているという。
 声明は「戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、政治的寛容さなどは祝福に値する」と評価しつつ、「慰安婦問題などの歴史解釈が障害となっている」と指摘した。これまで責任の所在はすべて日本側にあるとしていた韓国側などの主張に対しては、「日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言にもゆがめられてきた」と指摘している。慰安婦らが「女性としての尊厳を奪われた事実を変えることはできない」としながら、韓国側が「20万人以上」などと主張する慰安婦の数については、「恐らく、永久に正確な数字が確定されることはない」として明示を避けた。「セックス・スレイブ(性奴隷)」といった従来の文書でみられた用語は使っていない。日本側が否定する「強制性」については、「特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねること」は「広い文脈を無視すること」と判断を避けた。
 元慰安婦の証言は多様で、記憶に一貫性がないものもあると認め、「証言は心に訴え、それ以外にも公的資料によって裏付けられている」と述べているにもかかわらず、資料の詳細には触れていないという。
 声明は、安倍晋三首相に「大胆な行動」を求めているというのだが、上記のように具体的な根拠を示さずに要求しているものに過ぎない。
 このような形で欧米を中心とする日本研究者らが日本の首相に声明を送るという行動を起こしたようだが、今日慰安婦問題について学術レベルで発言するのであらば、まず朝日新聞が誤報を認めて記事を取り消した吉田清治氏の証言について、明確な見解を出すべきだろう。次に、その吉田証言を資料とした国連人権委員会のクマラスワミ報告書について、学術的な分析を行うべきだろう。こうした最も重要なポイントを書いた状態で、慰安婦の「証言は心に訴え、それ以外にも公的資料によって裏付けられている」として、首相に「大胆な行動」を求めるというのは、日本国内の左翼人権主義者とよく似た姿勢である。
 声明に名を連ねた学者の中には、わが国の外務省が米教育出版社「マグロウヒル」の世界史教科書の慰安婦問題に関する記述の是正を求めたのに対して、修正を拒否する声明を出した学者が含まれているという。修正声明拒否を発表した学者は19人だったが、今回の首相への要望声明は187人で出された。19人のうち12人ものが名を連ねている。基本的な姿勢は同じで、人数を多くして圧力を加えているつもりのようなである。

 ところで、評論家の江崎道朗氏は、フェイスブックに載せた文章で、声明に名を連ねた学者の中にはニューレフトがいることを指摘し、「ジョン・ダワーらは、反日宣伝を行っている中国系・韓国系ロビーと連携している、ニュー・レフトと呼ばれる知識人たちであり、アメリカの一般的な対日認識とは相当なズレがあることを留意しておくべきだ」と書いている。「ニュー・レフト」とは、新左翼を意味する。参考のため、以下に転載して紹介する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●フェイスブック 江崎道朗氏
5月9日 16:12

アメリカのニュー・レフトに騙されるな

 ニューヨーク州立大のハーバート・ビックス名誉教授とマサチューセッツ工科大のジョン・ダワー名誉教授ら日本研究者や歴史学者187人が、「日本の歴史家を支持する声明」と題する文書を5日公表、戦後70年の今年を「過去の植民地支配と侵略の問題に立ち向かう絶好の機会」「可能な限り、偏見のない清算を共に残そう」と呼びかけた。
この問題の背景については、既に拙著『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』で書いたが、要は、ジョン・ダワーらは、反日宣伝を行っている中国系・韓国系ロビーと連携している、ニュー・レフトと呼ばれる知識人たちであり、アメリカの一般的な対日認識とは相当なズレがあることを留意しておくべきだ。
 このニュー・レフトの学者たちが、日本の戦争犯罪について追及するのはなぜなのか、以下、説明した部分を紹介する。
 彼らニュー・レフトの主張を、アメリカの対日世論だと勘違いして「アメリカけしからん」と、反米感情を募らせることは、敵の思うつぼなので、十分に気をつけたいものである。
なお、歴史学者187人の中には、良識的な学者も多く、名前を連ねた学者すべてがニュー・レフトであるわけではないことも付言しておきたい。

<中国ロビーを支える左翼ネットワーク
 厄介なのは、こうした反日活動が中国系・韓国系だけではない、ということだ。その背後には、ニュー・レフトと呼ばれる米国の知識人たちがいるのである。
 きっかけは、ベトナム反戦運動であった。米ソ冷戦下で南北に分断されていたベトナムに対して、米国は1962年に軍事介入を開始し、1965年2月に開始された米軍による北ベトナムへの、いわゆる「北爆」で一般市民の犠牲者が増えたことが報道されるや、左派勢力が全世界でベトナム反戦運動を起こした。
 当時、ベトナム反戦運動を繰り広げていた活動家たちは、ソ連の支援を受けた北ベトナムが勝利し、共産主義政権ができれば、東南アジア諸国にも次々に共産主義政権が誕生し、世界共産化が進むと考えていた。
 しかし1965年10月に起こったインドネシア共産クーデターは、スハルト将軍率いる陸軍によって阻止され、1967年には反共を掲げるアセアン(東南アジア諸国連合)が創設された。1968年には、北ベトナム側が大規模な南ベトナム侵攻作戦を実施し、米国に大打撃を与えたものの、直ちに共産ベトナムの誕生というわけにはいかなかった。

 ニュー・レフトの指導者たちは、この事態を深刻に受け止めた。理論的指導者のひとり、ヘルベルト・マルクーゼ(カリフォルニア大学教授)は1969年、『解放論の試み』という新著の中で、アジア・アフリカ諸国での解放、つまり共産革命が進まないのは、現地での革命闘争を先進資本主義国(つまり欧米諸国)が豊富な資金と武器援助によって抑圧してしまうからだと分析し、アジア・アフリカの解放を実現するためには、現地での共産勢力を強化するよりも、先進資本主義国の弱体化が必要なのだと訴えた。
 このマルクーゼ理論を更に進めたのが、ピューリッツァー賞を受賞した『敗北を抱きしめて』などで有名なジョン・ダワー・マサツューセッツ工科大学教授らであった。彼らは、ベトナムの“民主化”、ひいてはアジアの“民主化”を阻む米国の“帝国主義者たち”がアジアで影響力を保持しているのは、日米同盟と日本の経済力があるからであり、日米同盟を解体し日本を弱体化することが、アジアの“民主化”を早めることになると考えた。

 では、どうしたらいいのか。
 日本の敗戦後、米国政府は当初、二度と米国に逆らうことができないよう大日本帝国を徹底的に解体するつもりであった。ところが、共産中国の誕生と朝鮮戦争の勃発という事態を受けて米国は日本を東アジアの“反共の防波堤”とすべく占領政策を転換し、懲罰的な占領政策は取りやめる一方で、日米安保条約を結んで同盟国に格上げし、日本の経済発展を支援するようにした。
こうした日本の戦後史を分析したダワー教授らは、「逆コース」が起らず、あのまま徹底した民主化政策が実行されていれば、天皇制が廃止されて大混乱に陥った日本で共産革命が起こり、(アジアの民主化を妨害した)その後の日米同盟も、日本の経済発展もなかったかもしれない――こう考えたのだ。
 そしてダワー教授らは1975年、以下のように主張した。

①占領政策のおかげで日本の民主化は進んだが、日本の官僚制を活用する間接統治と、「逆コース」によって占領政策が骨抜きとなった結果、「天皇制」に代表される戦前の専制体制は温存されてしまった。
②昭和天皇の戦争責任を不問に付すなど東京裁判が不徹底なものとなった上、日本自身もアジア諸国への加害責任を問わなかったため、現在の日本は「過去の侵略を反省できない、アジアから信頼されない国家」になってしまった。
③日本がアジア諸国から信頼される民主国家となるためには、もう一度、徹底した民主化(現行憲法の国民主権に基づく皇室の解体)と、東京裁判のやり直し、つまりアジア諸国への加害責任の追及を行うべきである。
④そのためにも、民主化と加害責任の追及を行う日本の民主勢力(例えば、家永三郎氏のような「勇気」ある歴史家たち)を支援しようではないか(ダワー教授やピックス教授は1999年、世界抗日連合カナダ支部や土井たか子元社民党党首らと連携して、家永三郎氏にノーベル平和賞を授賞させる運動を展開している)。

 かくして、日本の加害責任を改めて追及することで日本を弱体化させ、アジアの民主化を促進するという世界戦略が米国のニュー・レフトの間で確立されていったのである。>
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

関連掲示
・拙稿「急進的なフェミニズムはウーマン・リブ的共産主義」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03d.htm
 フランクフルト学派と新左翼については、下記の章を中心にご参照ください。
  第7章 フランクフルト学派の批判的否定
  第9章 エロス的革命を唱導したマルクーゼ
  第11章 共産主義は死んでなどいない
コメント

人権154~ナショナル・アイデンティティ

2015-05-26 09:52:40 | 人権
●ナショナル・アイデンティティの形成の仕方

 ナショナル・アイデンティの形成においては、言語が重要な役割を担う。言語は、諸文化の中核的な要素である。それは、人間は、自分を認識する時、何か特定の言語によって「自分は誰誰である」「自分は何々の一員である」と思考するからである。その言語は、近代化の過程で無から創造されたものではなく、主要なエスニック・グループで使用されていた言語がもとになったものである。近代西欧では言文一致運動と印刷技術の発達、義務教育等によって、共有の言語が創造され、共用されるようになった。その結果、言語共同体的な集団意識が生まれた。ただし、アイデンティティを形成するもとは、言語だけではない。アイデンティティ共有の別の要素は、宗教またはその宗派の信仰である。自分たちは同じ信仰をともにしているという意識によって、信仰共同体的な集団意識が生まれた。また、別の要素は、歴史である。自分たちは共通の祖先の体験を共有しているという意識が成立したところに、歴史共同体的な集団意識が生まれた。また、次の別の要素は、経済生活である。生産・消費・流通・金融のネットワークが地理的に拡大し、一つの政府のもとに経済を営み利害を共有するという意識が成立したところに、経済共同体的な集団意識が生まれた。その他にも、血統・文化・生活習慣等、いくつかの要素が考えられる。こうした要素のどれが主要となってネイションが形成されたかは、そのネイションによって異なる。言語は非常に重要だが、必ずしも言語が常に決定的な要素ではない。
 意思の交通には共通の言語で会話・文通する言語的能力が必要だが、アイデンティティの形成には、これに加えて象徴的な想像力が必要である。アンダーソンは、ネイションとは「想像された共同体」と定義した。ネイションは一定の領域において主権を持つ政治的共同体として想像される。人間は、直接的な体験できる関係、つまり共同で生活する、会って意思の交通を行う、集団の一員として一緒に行動する等の関係については、体験を通して認識する。だが、そうした関係を超えた規模の集団を認識するには、想像力を要する。それゆえ、直接体験できる関係を超えた規模の共同体は、“想像された共同体”である。ネイションに限らない。ローカル(地域的)な集団も、エスニック(民族的)な集団も、その他の集団も、“想像された共同体”である。またこれらの共同体におけるアイデンティティは、“想像されたアイデンティティ”である。ナショナル・アイデンティティに限らない。郷土的なローカル・アイデンティティも、民族的なエスニック・アイデンティティも、またその他の集団のアイデンティティも、“想像されたアイデンティティ”である。違いは、ナショナル・アイデンティティは、一定の領域で主権を持つ集団の一員だという自己同定であるという点である。
 直接体験した関係を認識する能力は、具象的な能力である。直接体験できる範囲を超えた関係を認識する能力は、抽象的な能力である。ローカル・アイデンティティもエスニック・アイデンティティ等も、抽象的な能力によって“想像されたアイデンティティ”である。ナショナル・アイデンティティは、より拡大された共同体における“想像されたアイデンティティ”である。関係の範囲が広がれば、それだけ高度な抽象的能力を必要とする。ネイションの形成及びナショナル・アイデンティティの確立に必要なのは、ローカルな集団やエスニックな集団におけるよりも高度な抽象性を理解する能力である。
 その抽象的能力を育成・開発する方法が、出版物の読書や公教育の履修、集団的な行事への参加等である。ここで重要なのが、象徴(シンボル)の利用である。人間には、分析―総合によって、物事を論理的に理解する能力とともに、象徴によってその意味する全体を直観的に理解する能力がある。前者は主に論理的な言語や数式、後者は主に詩的な言語や図像・形象を通じた理解力である。
 ネイションをとらえるには、論理的な理解力だけでなく、直観的な理解力が必要である。直観的な理解力を育て働かせる象徴としては、神話における祖先神、歴史的な記憶を表す物語における英雄、現在における中心指導者、国旗、国歌等がある。アンダーソンは、ネイションについて「想像された共同体」といい、出版物を通じた共通言語による想像力の働きを強調したが、象徴によって全体を理解する能力は、単なる想像力ではなく、象徴的想像力である。出版物や教育内容、集団的な行事等に、神話や物語、象徴的な図像や形象が盛り込まれることによって、象徴的想像力が育成・開発され、ネイションが一定の領域において主権を持つ共同体として想像される。またその一員としてのアイデンティティが内面的に確立されていく。国家・国民・最高指導者と自分が一体的なものと感じられる時、国民個人個人のアイデンティティの意識は、最も強まる。

 次回に続く。
コメント

習主席は腐敗摘発運動継続で個人独裁を図る~石平氏

2015-05-25 10:16:39 | 国際関係
 中国の習近平指導部は発足以来、「トラもハエもたたく」というスローガンを掲げて党内の腐敗摘発を推進してきた。腐敗摘発運動は民衆の支持を取り付け、政権の信望を高める重要な手段となった。同時に、習主席にとっても権力基盤を固める有力な武器となった。これに対し、昨年来、党内で反発や批判の声が高まっている。すると、本年1月13日、中央規律検査委員会の全体会議で、習主席は「反腐敗闘争は持久戦だ」と演説し、反腐敗運動を継続する方針を明確に打ち出した。石平氏は、こうした動向に対し、産経新聞1月22日の記事で「この1年、習主席の『反腐敗』と幹部集団の『反・反腐敗』との戦いは、権力闘争の様相を呈し、いっそう激しく展開することとなろう」と予測した。
 約2か月後の3月19日、石氏は別の記事で、「『経済の発展を妨げる』との理由で反腐敗運動への反発が党内で広がっている」「党内の一部勢力が、顕著となった経済の減速をそれと関連づけて、経済衰退の責任を習主席の反腐敗運動になすり付けようとしている」との見解を書いた。こうした党内の反発に妥協して腐敗摘発の手を緩めて党内の融和と安定を図ると、民衆の不満は高まり、習主席の信用は失墜する。逆に、民衆の期待に応えて引き続き摘発を続けると、党内の反発はますます強まって習主席の権力基盤を揺るがすこととなる。また、党内の別の派閥が幹部集団の反対を吸収して反習主席の権力闘争を引き起こす可能性もある。石氏は、「猪突猛進してきた習主席はまさに四面楚歌の状況である」と書いている。
 石氏は、上記二つの記事で、党内で腐敗摘発運動に反発する勢力や党内の別の派閥について具体的に書いていないが、その中に江沢民派、胡錦濤派が含まれるだろう。腐敗摘発運動は、純粋に共産党幹部の腐敗を是正することが目的ではなく、それを大義名分として習近平への反対勢力を粛正することが、実際の目的だろう。もし習主席がそうした目的を以て腐敗摘発運動を今後も継続するのであれば、「四面楚歌の状況」を打開するために、反対勢力を一掃粛清することで民衆の支持を高め、毛沢東流の個人独裁を図るのではないか、と私は思う。
 実は、石氏は、上記二つの記事の間となる2月5日の記事では、腐敗摘発運動には触れることなく、「蘇る個人独裁と恐怖政治の亡霊」と題した記事を書いている。この記事と腐敗摘発運動に関する二つの記事のつながりが、私にはよく分からないのだが、石氏は2月5日には次のように書いている。
 「先月(註 1月)13日、習近平共産党総書記(国家主席)は党の規律検査委員会で『重要講話』を行った。その中で党内における『政治ルール』の重要性を強調し全党員に対し『ルールの厳守』を呼びかけた」。1月19日の「人民日報は明確に、今の中国共産党の党員幹部に対し、かつて毛沢東の命令に無条件に従ったのと同じように、習総書記に対しても無条件に従うことを要求したのだ」「今、共産党の新しい指導者となった習氏は明らかに、トウ小平以来の集団的指導体制の伝統を破って、自分自身の絶対的な政治権威の樹立と毛沢東流の個人独裁の復活を図ろうとしている」「個人独裁と恐怖政治の亡霊は再び、中国の大地で蘇ろうとしている」と。
 先に、習主席は反対勢力を粛正することを実際の目的として腐敗摘発運動を今後も継続するのであれば、「四面楚歌の状況」を打開するために、反対勢力を一掃粛清することで民衆の支持を高め、毛沢東流の個人独裁を図るのではないか、と思うと書いたが、このような私の推測は、石氏の「個人独裁と恐怖政治の亡霊は再び、中国の大地で蘇ろうとしている」という見方の線に立つものである。このような推測は、石氏の3つの記事を整合的なものとして理解することを可能にするものでもある。
 もう一つ重要なことを加えると、習近平が個人独裁と恐怖政治を行うとすれば、それは決して人民解放軍の指導層と対立するものではないだろう。むしろ、軍の指導層が習近平を傀儡のように表に立てながら、実質的に軍が政治を掌握する体制を確立するものとなるのではないか。すでに最近軍の指導層は政治や外交で越権的な言動を繰り返している。
 昨年10月石氏は、次のように書いて日本人に強く警戒を呼び掛けた。「今の中国では、中央指導部の外交権や政策の遂行に対する軍人たちの干犯や妨害がますます増幅しているように見えるし、名目上の最高指導者である習主席の『権威』は彼らの眼目にはなきもの同然のようだ。あるいは、習主席という『みこし』を担いで軍人が専権するような時代が知らずしらずのうちに始まっているのではないか、という可能性も考えられるのである」と。
 こうした動向を合わせて考えると、習主席の個人独裁を表向きとした軍部主導のファッショ的な体制が、腐敗摘発運動を通じて登場することを警戒する必要がある。我が国は、当面できることとして、安保法制の整備を急ぎ、戦争抑止力を高めたうえで、できるだけ早期に憲法を改正し、中国の覇権主義的な侵攻を防ぐ体制を強化する必要がある。
 以下は石氏の3本の記事。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●産経新聞 平成27年1月22日

2015.1.22 08:05更新

【石平のChina Watch】
習近平指導部の「反腐敗運動」に内部から批判 人民日報指摘「やり過ぎ論」「泥塗り論」「無意味論」で権力闘争激化か

 13日付の人民日報が興味深いコラムを掲載した。それは習近平指導部が推進する腐敗摘発運動に対し、「やり過ぎ論」「泥塗り論」「無意味論」の「3つの誤った議論」が広がっていることを取り上げて批判したものである。
 「やり過ぎ論」は文字通り「今の腐敗摘発はやりすぎである」との意見で、「泥塗り論」は要するに、共産党大幹部たちの驚くべき腐敗の実態を暴露した摘発運動が「逆に政権の顔に泥を塗るのではないか」との議論だ。そして「無意味論」は、政権内で腐敗は既に広く浸透しているから、いくら摘発してもそれを撲滅することはできない。だから「やっても無意味だ」という議論である。
 このうち、3番目の「無意味論」は明らかに、共産党の腐敗摘発運動を外から冷ややかな目で眺める民間の議論であろう。「やり過ぎ論」と「泥塗り論」はやはり、「政権を守る」という立場からの内部批判と思われる。
 つまり、共産党中央委員会機関紙の人民日報は、党指導部の腐敗摘発運動に対し、党内からも反発や批判の声が上がっていることを公的に認めたわけだ。それは、運動開始以来初めての由々しき事態である。
 周知のように、習近平指導部は発足以来、「トラもハエもたたく」というスローガンを掲げて党内の腐敗摘発に全力を挙げている。それは民衆の支持を取り付け、政権の信望を高める重要な手段となった一方、習主席自身にとっても権力基盤を固める有力な武器となった。
 「腐敗」の話となると、大小の幹部たちは多かれ少なかれ「身に覚えがある」から、「摘発」という武器を手にした習主席には、誰も逆らうことができなくなったからである。
 過去1年間、習政権が急速に足場を固めた背景にはこういう事情があったのだろうが、習主席にとっての「腐敗摘発」は、もろ刃の剣でもある。周永康氏や徐才厚氏などの大物幹部を次から次へと摘発の血祭りに上げていく中で、民衆の期待はますます高まり、指導部はいっそうの摘発を断行し、それに応えなければならない。
 しかし、党幹部の大半に身の危険を感じさせる摘発がどこまでも突き進むと、それはまた、幹部集団からの強い反発を招くこととなる。
 前述の人民日報コラムはまさにこの辺の事情の表れである。同じ13日、新華通信社も関連報道の中で、「腐敗摘発は良いところで収束すべきだ」という党内の反対意見を紹介している。反発がかなり広がっていることがうかがえるであろう。
 このような状況で、今の習主席には「選ぶべき2つの道」がある。
 1つは、「良いところ」で腐敗摘発の手を緩めて党内の融和と安定を図る道だが、それをやってしまうと、「裏切られた」と感じる民衆の不満は高まり、習主席の信用は失墜することとなろう。
 逆に、民衆の高まる期待に応えて今後も引き続き摘発に血道を上げていくと、党内からの反発はますます強まって習主席自身の権力基盤を揺るがすこととなる。
 また、党内の別の派閥が幹部集団の反対を吸収して反習主席の権力闘争を引き起こす可能性もあるから、今の習主席はまさに、「進むも地獄、退くも地獄」の大変な立場にいるわけだ。
 本紙でも報じているように、13日、中央規律検査委員会の全体会議で「反腐敗闘争は持久戦だ」と演説した習主席は、今年も反腐敗運動を継続させていく方針を明確に打ち出した。彼はどうやら不退転の決意をもって「突き進む」道を選んだようである。
 そうなると、この1年、習主席の「反腐敗」と幹部集団の「反・反腐敗」との戦いは、権力闘争の様相を呈し、いっそう激しく展開することとなろう。

http://www.sankei.com/column/news/150319/clm1503190009-n1.html
2015.3.19 12:49更新
【石平のChina Watch】
異例の〝弁解〟 「反腐敗運動」抵抗勢力に追い詰められる習近平主席

 今月6日、習近平国家主席は全国人民代表大会(全人代)において江西省代表団との座談会に臨んだ。座談会の中、代表の一人が「江西省の昨年の経済発展はすさまじい」と語ったところ、習主席は直ちに「だから反腐敗運動は経済の発展に影響することなく、むしろ経済の持続的発展を利する」と応じた。
 翌日、「反腐敗は経済発展を妨げることはない」という習主席発言が新聞各紙に大きく報じられたが、座談会でのこの発言は実に異様なものであった。
 反腐敗と経済発展との関連性を誰から聞かれたわけでもなく、反腐敗運動の主役である習主席が自らこう言い出したのは、いかにも自己弁護に聞こえるからである。
 最高指導者の立場にある彼が地方からの代表団の前でこのような弁解をしなければならない理由は一体どこにあるのか。実は全人代が開幕した5日、関連があると思われる別の発言があった。代表の一人で北京首都旅行集団会長の段強氏はメディアの取材に対して、官官接待・官民接待の激減で北京市内60軒の五つ星ホテルが業績不振となったことを例に挙げ、反腐敗運動の展開は経済発展にマイナスの影響を与えた、との認識を示した。
 翌日の習主席発言は、段氏の見解に対する「反論」とも捉えられる。国家主席の彼が一民間旅行会社の経営者に反論することは、まさに前代未聞の異常事態である。
 その際、習主席にとってのけんか相手は決して段氏という一個人ではない。主席が強く意識しているのはやはり、段氏発言の背後にある反腐敗運動に対する政権内の根強い反対意見と、それを政争に利用しようとする党内の反対勢力であろう。要するに、「経済の発展を妨げる」との理由で反腐敗運動への反発が党内で広がっているのである。
 たとえば7日付の新京報という国内紙は別の角度から、「反腐敗運動」の経済に対する悪影響を論じている。「官僚の不作為について」と題するこの記事は、一部の全人代代表への取材を基にして、中国の各地では今、反腐敗運動の中で身を縮めている幹部たちが仕事へのやる気を失い、「不作為」的に日々を過ごしているありさまをリポートした。このような状況が各地方の経済発展に大きな支障を来しているとも論じている。
 昨年7月10日掲載の本欄でも、反腐敗運動の中で幹部たちが仕事を集団的にボイコットする状況を報告したが、どうやら今になってもいっこうに変わっていない。共産党の幹部たちはそもそも、賄賂を取るために幹部になったようなものだから、「腐敗」ができなくなると仕事への情熱を失うのは当然のこと。5日の全人代で行われた李克強首相の「政府活動報告」でも幹部たちの「不作為」を取り上げて強く批判しているから、仕事をボイコットするような形で反腐敗運動に抵抗する幹部たちの動きがかなり広がっていると思われる。
 そして党内の一部勢力が、顕著となった経済の減速をそれと関連づけて、経済衰退の責任を習主席の反腐敗運動になすり付けようとしていることも明らかだ。だからこそ、習主席は異例な弁解を行うこととなったのだが、一国の最高指導者が自己弁護を始めたこと自体、彼自身がかなり追いつめられていることの証拠でもあろう。
 このようにして、反腐敗運動を急速に推進した結果、政権の手足となる幹部たちの「不作為」と抵抗が広がり、「経済への悪影響」を懸念する声とそれを理由にした党内反発が強まってきているのは間違いない。猪突(ちょとつ)猛進してきた習主席はまさに四面楚歌(そか)の状況であるが、民衆の期待が高まってきている腐敗摘発の手を緩めるわけにもいかない。主席の悩みは深まるばかりである。

http://www.sankei.com/column/news/150205/clm1502050009-n1.html
2015.2.5 12:38更新
【石平のChina Watch】
「無条件従属」と「命奪う権限集中」明確に求めた「習近平」…蘇る個人独裁と恐怖政治の亡霊
 先月13日、習近平共産党総書記(国家主席)は党の規律検査委員会で「重要講話」を行った。その中で党内における「政治ルール」の重要性を強調し全党員に対し「ルールの厳守」を呼びかけた。そして19日、人民日報は論評で、習総書記の言う「政治ルール」の解説を行った。
 論評は冒頭から、故人である共産党古参幹部の黄克誠氏の話を取り上げた。黄氏は生前、抗日戦争時代に中国共産党が延安に本部を置いたときのことを次のように回顧したという。「当時、毛沢東主席は電報機の1台で全党全軍の指揮をとっていた。電報機の信号はすなわち毛主席と党中央の命令であり、全党全軍は無条件にそれに従った。疑う人は誰もいない。皆はただ、延安からの電信に従って行動するだけでした」と。
 論評は黄氏の回顧を紹介した上、「これこそはわが党の良い伝統である」と絶賛した。そして、「習総書記の語る政治ルールとは、まさに党の伝統から生まれたこのようなルールである」と結論づけたのである。
 つまり共産党中央委員会機関紙の人民日報は明確に、今の中国共産党の党員幹部に対し、かつて毛沢東の命令に無条件に従ったのと同じように、習総書記に対しても無条件に従うことを要求したのだ。習総書記自身が持ち出した「政治ルール」という言葉の真意は、結局そういうものであった。
三十数年前、中国共産党はトウ小平の主導下で、毛沢東の個人独裁に対する反省から改革・開放の道を歩み始めた。それ以来、共産党は一党独裁を堅持しながらも党内における集団的指導体制の構築に力を入れてきた。
 しかし今、共産党の新しい指導者となった習氏は明らかに、トウ小平以来の集団的指導体制の伝統を破って、自分自身の絶対的な政治権威の樹立と毛沢東流の個人独裁の復活を図ろうとしている。
 毛沢東流政治の復活を思わせるもう一つの重大発言も最近、習氏の口から出た。先月20日、共産党政法(公安・司法)工作会議が北京で開かれたとき、習氏は「刀把子(刀のつか)」という恐ろしい言葉を持ち出して、国の「刀把子」は党がきちんと握っておくべきだと強調した。
 中国語の「刀把子」は直訳すれば「刀のつか」「刃物の柄」のことだが、公安・司法関連の会議で語られたこの言葉の意味は当然、「人の命を奪う権力・権限」を指している。本来なら、司法が法律に基づいて犯罪者の命を奪うような権限を、共産党の握る「刀把子」と例えるのはいかにも前近代的な恐ろしい発想であるが、実はそれも毛沢東の発明である。
毛沢東は生前、まさにこの「刀把子」をしっかりと握って数百万人の国民の命を奪った。「刀把子」という言葉は、毛沢東時代の恐怖政治の代名詞でもあった。
 トウ小平の時代以来、共産党が「法治国家の建設」を唱え始めると、「刀把子」という言葉は完全に消え去り、江沢民政権や胡錦濤政権下ではまったくの死語となった。
 しかし今、習総書記はこの言葉を再び持ち出した。人の命を奪うような恐ろしい権力を、共産党という一政党によって握っておくべきだと公言してはばからなかった。もちろんその際、彼自身が毛沢東と同様、共産党の最高指導者として「刀把子」を自由に使える立場になるのである。
 このようにして、今の習総書記は、自分自身に対する無条件な服従を「全党全軍」に求める一方、国民の命を恣意(しい)的に奪う権限をも手に入れたいのである。毛沢東が死去してから39年、中国人民に多大な災いをもたらした個人独裁と恐怖政治の亡霊は再び、中国の大地で蘇(よみがえ)ろうとしている。共産党内の改革派や「開明派」の反応は未知数だが、このままでは、この国の未来は真っ暗である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

関連掲示
・拙稿「中国で軍部が政治・外交に介入~石平氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/be69efa704aa6dde4d06af27c740fa7d
コメント

人権153~ナショナリズムとアイデンティティ

2015-05-24 08:47:31 | 人権
●ナショナリズムとアイデンティティ

 ナショナリズムは単なる思想・運動ではなく、集団及び個人におけるアイデンティティの重要な要素ともなる。ナショナリズムはネイションの形成・発展を進めるが、単に主権を獲得・拡大するだけでは、調和と発展のあるネイションを建設することができない。ネイションは、集団としてのアイデンティティを確立し、さらに構成員の内面にその集団の一員であるというアイデンティティを確立してこそ、安泰と繁栄を実現することができる。
 アイデンティティとは、「自分は○○である」という自己意識・自己規定である。自己同一性と訳す。ここで述語となるのは、まず自分を特定する名詞・代名詞である。次に自分が所属する集団を表す集合名詞及びそれとの関係である。例えば、「自分は、○○家の一員である」「自分は、○○族の人間である」等という文が、アイデンティティを表す。
 萱野稔人は、「アイデンティティの構成はけっして自分ひとりだけではできない」と述べている。「それは、他者とのコミュニケーションに参加し、他者からのまなざしをつうじて自己を了解することで初めて可能になる」と。「『私とは誰か』という自己了解」や「どのような集団や人間関係に属しているか」は、「他者からのまなざしを想像的に先取りする限りで成り立つ」と説く。
 萱野の主張は、アイデンティティを共同主観的=間主体的なものととらえ、「まなざし」に係る想像力の働きによるものとしている。だが、主体=主観の側のアイデンティティの個人的な意識を述べているだけで、集団におけるアイデンティティの社会的事実に触れていない。
 アイデンティティは、個人の自己了解だけで成立するのではなく、自己了解の前に集団がその個人を誰誰であり、この集団に所属する者だと認定することが必要である。人は、親や保護者によって名前を与えられ、誰の子供であると聞かされ、集団の一員だと教えられる。ここで集団が共有している事実が、アイデンティティの社会的事実である。個人はその事実の理解を以て、関係の中における自己を了解し、また帰属意識を持つ。それがアイデンティティの意識のもとになる。自己了解も帰属意識も、自分を誰誰と認め、帰属を承認・保障する集団があって、初めて可能である。
 アイデンティティは、事実を表す同一性の論理である。だが、その事実を価値と感じられる時に、人は自己の存在を肯定し、自己の価値を認めることができる。人は、何らかの形で、自己の存在を肯定し、自己の価値を認めることのできるアイデンティティを持たねば、心身ともに健康で幸福に生きることができない。単なる事実ではなく、価値としてのアイデンティティを成立させるものは、自分が所属する集団への愛着と誇り、一体感である。

●ナショナル・アイデンティティの優位の確立

 集団には、家族的・地域的・文化的・宗教的等の集団がある。それぞれの集団において、アイデンティティがある。ナショナリズムは、近代西欧において、家族的・地域的・文化的・宗教的等の集団におけるアイデンティティとは異なる、新たなレベルのアイデンティティを創造した。そして、人々に自分が独自の文化と歴史を持つ世代を超えた共同体の一員であることを認識させた。人々は、家族的・地域的・文化的・宗教的等の集団の一員であるというアイデンティティに加えて、一個のネイションの一員であるというアイデンティティを保有するようになった。
 ネイションは、自分がある集団に帰属しているというアイデンティティの対象の一つである。ネイションは、「自分は○○人である」「自分たちは○○人である」という意識を、人々が共有するところにのみ成立する。構成員の間に広く共通意識を醸成できれば、ネイションは成長・拡大する。
 ある地域に存在するさまざまな集団が一つネイションになっていくには、自分たちが、より大きな集団に帰属しているというアイデンティティの共有が必要となる。近代化の過程で、市場の拡大、都市の発展、国家の建設等が進み、それまで地域的・職業的・民族的等の集団への帰属を意識していた人間が、より大きな社会集団への帰属に、強い意義を感じるようになった。この変化は、アイデンティティの対象の変化だった。
 ネイションの形成は、主にエスニック・グループが主権を獲得することによるものだった。エスニック・グループは、「われわれは○○である」という自己意識を持ち、他の集団との区別意識を持つ集団である。血統または祖先、言語・宗教・文化・生活習慣等の何らの要素を共有しているという集団的な自己意識は、エスニックなアイデンティティと言える。ネイションにおけるナショナル・アイデンティティの基盤には、多かれ少なかれエスニックなアイデンティティがある。エスニック・アイデンティティは、前近代的な共同体における集団的な共同性と深い関係がある。エスニック・グループの一員は集団の一部という意識が強く、集団との一体感がアイデンティティの基盤になっている。ナショナル・アイデンティティにおけるエスニックな要素を排除すると、ナショナル・アイデンティティは歴史や伝統という根を断ち切ったものとなる。憲法等の基本的な制度の共有という社会契約的な市民の国民意識となる。そうした市民的(シビック)なナショナル・アイデンティティは、個人主義的なリベラリズムと親和的である。これに対し、民族的(エスニック)なナショナル・アイデンティティは、諸個人を結ぶ社会の共同性の基礎にあるべき同胞意識や連帯感につながっている。
 国民国家では、形式的な国民の間に、一個の集団としての意識が形成され、国民意識が普及した。国民の実質化の過程は、ナショナル・アイデンティティが、地域的なローカル・アイデンティティや民族的なエスニック・アイデンティティ等に対して、優位を確立していく過程でもあった。そこに、共通のアイデンティティを持つ国民としての同胞意識や連帯感が発達した。

 次回に続く。
コメント

道徳教科化に意見公募で6割が賛成

2015-05-22 08:50:00 | 教育
 昨年10月21日、中央教育審議会は、道徳教育の教科化について下村博文文部科学相に答申した。答申は、小中学校の「道徳の時間」を、数値評価を行わない「特別の教科」に格上げし、検定教科書を導入することを主旨とする。文科省は答申を受けて学習指導要領を改定し、早ければ平成30年度からの教科化を目指している。
 本件については、拙稿「いよいよ道徳が教科化される」に書いた。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02l.htm
 道徳の教科化を待ち望む人は、多くいることと思う。産経新聞3月28日付によると、平成30年度以降に教科化される小中学校の道徳の学習指導要領改定案について、文部科学省が2~3月に実施した意見公募(パブリックコメント)に寄せられた計5993件の57%が賛成意見だったという。文科省には、日教組の反対や偏向マスコミの圧力に屈せず、粛々と教科化を進めてもらいたいものである。
 以下は、関連する報道記事。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ー
●産経新聞 平成27年3月28日

http://www.sankei.com/life/news/150328/lif1503280017-n1.html
2015.3.28 08:10更新
道徳教科化「賛成」6割 文科省意見公募 指導充実に期待

 平成30年度以降に教科化される小中学校の道徳の学習指導要領改定案について、文部科学省が2~3月に実施した意見公募(パブリックコメント)に寄せられた計5993件の約6割が賛成意見だったことが27日、分かった。戦後、日本教職員組合(日教組)などの反対の影響で、おざなりにされてきた道徳教育だが、教科化や指導充実への国民の期待感が高いことが改めて浮かび上がった。(河合龍一)
 ◇
 パブリックコメントは、国民の意見を政策に生かすことが目的のため、賛否の数を明らかにしていないが、産経新聞が文科省内で公開されている全意見を集計したところ、賛成を前提にした提案や要望を含め賛成意見は約3400件で、全体の約57%を占めた。
 戦前、「修身」として教えてきた道徳は、昭和33年に「道徳の時間」として復活。だが日教組などは「軍国主義を助長した修身を復活させてはならない」と激しい反対運動を展開し、学習指導要領に基づいた道徳の授業を行わない風潮が学校現場に広がった。
 パブリックコメントで、4月から中学教諭になるという学生は、教育実習中に道徳の時間が校外学習の事前準備に変更されるのを見たとして「いじめなど重大な問題が起きているのに、道徳がないがしろにされるのを見るのはすごく怖いと感じた」と指摘。「今回の改革が教師の道徳的な意識をより高めていくきっかけになればよい」と寄せた。
 ある中学教諭は、道徳の時間が行事の準備にあてられながら、文科省の実施状況調査には授業を行ったと嘘の報告をしていたと告白。「教科化にあたり、本当に子供の心に響き、実践力に結びつく魅力的な教材開発や教師の指導力向上のための効果的な研修なども考えてほしい」と要望し、「私たち、現場の教師も頑張ります」と記した。
 一方、反対意見は「価値観の押し付け」という内容が圧倒的に多かった。中には全く同じ文面のはがきやメールが数十通ずつ、合わせると400件以上あった。団体などが組織的に送った可能性があるとみられる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ー
コメント

人権152~連邦国家の事情(続き)

2015-05-21 08:49:49 | 人権
●連邦国家の複雑な事情(続き)

 イギリスに続いて創設された近代国家は、国によって事情が違い、また統治機構がそれぞれ異なっている。多民族・多文化・多言語・多宗教の国家は、込み入った事情を抱えている。
 アメリカ合衆国は、ネイションのレベルでは大統領・連邦議会・連邦裁判所があるが、その下に一定の政治権力を有する州(state)と訳される政治的単位がある。州は日本の県(prefecture)
より自治権が大きく、サブ・ネイションと見ることができる。連邦政府の権限は強大だが、同時にかなり分権的である。
 米国がイギリスの植民地から独立した当時、移民国家ゆえ多数のエスニック・グループが移住していたが、それらのエスニック・グループは一つの州に集中せず、各地に分散して居住していた。建国の指導者は、連邦体制を作る際、エスニック・グループと行政単位の州が一致しない構成にした。
 米国のネイションの歴史で最大の出来事は、先に述べた南北戦争である。南部と北部は産業や貿易、奴隷制等に関する意見の対立により、実力闘争を行った。南部諸州は、連邦からの独立を宣言したのに対し、北部諸州は、その独立を認めず、戦争となった。南部諸州の独立運動は、サブ・ネイションによる独立建国型ナショナリズムと言える。戦争は、北部諸州が勝利し、南部諸州を再び一個のネイションに統合した。仮にリベラリズムの思想によって、北部諸州が南部諸州の自由と権利を尊重していれば、米国は二つの連邦国家に分裂していただろう。北部諸州でリベラリズムよりナショナリズムが優位だったので、南北が一体化したネイションができた。この点で、米国は、連邦からの独立の自由を認めない「イリベラル(illiberal)」な原理による連邦的ナショナリズムの国家である。
 ナショナリズムは、政治的には統一を目指すが、文化的には多様性を許容し、異民族・異文化・異宗教に対して寛容なものであり得る。アメリカ合衆国は、限定された範囲で一定程度これを実現した。アメリカのナショナリズムは、政治哲学者ジョン・ロールズの言葉を借りれば、一種の「政治的リベラリズム」の上に立っている。言語は英語を前提とし、その言語による憲法を中心とする法制度を受諾・遵守すれば、民族・文化・宗教は多様でよいという考え方である。国民(ネイション)としては一つだが、民族(エスニック・グループ)としては多様でよいとする。政治的統一と文化的寛容を両立する論理である。ただし、先住民族のインディアン、アフリカから強制連行した黒人に対しては、長く人種差別を行ってきた。白色人種の人権は、彼ら有色人種の自由と権利の剥奪のうえに成立したものだった。
 アメリカ合衆国のエスニック・グループのうち、当初最も有力だったのは、WASPである。WASPとは、ホワイト(W)、アングロ・サクソン(AS)、プロテスタント(P)の略で、主に大ブリテン島出身の白人プロテスタントをいう。WASPは、もともとのアメリカの支配集団で、今日も上流階級をなす。これに対し、非WASPには、アイルランド系・イタリア系等の白人で主にカトリックのホワイト・エスニックと呼ばれる集団や、ユダヤ系が含まれる。WASPが支配していたアメリカでは、20世紀に入ると、欧州のロスチャイルド家を後ろ盾に持つユダヤ系が経済的な実力を発揮し、ニューディール政策を行ったF・D・ルーズベルト政権の時代以降は、WASPとほぼ拮抗するようになった。
 次に、スイスは、1648年にウェストファリア条約で正式に独立を求められた主権国家である。正式にはスイス連邦という連邦共和国であり、州と訳される政治単位がある。国民は主にドイツ系、フランス系、イタリア系の3つのエスニック・グループによって構成され、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏と言語で地域が分かれている。ドイツ系が人口の6割以上を占めるが、文化的にはほぼ対等な多民族・多文化国家と言える。また、カトリックとプロテスタントがほぼ半々である。共有の歴史的記憶を持つことによって国民意識が強く、ナショナリズムの中にエスニシズムやサブ・ナショナリズムが取り込まれている。1815年から長く永世中立国だった。国民皆兵による国防体制が徹底されている。
 次に、カナダは、1763年に英植民地となったが、ケベック地方はフランス語・フランス文化を保っていた。1774年にケベック法を制定し、フランス人の伝統尊重を約束した。その後、20世紀半ばに話が及ぶが、カナダは、1931年にイギリス連邦内の独立主権国家としての法的地位が確立した。統治機構は州と準州による連邦制を取っている。多数原語は英語だが、ケベック州はフランス系住民が多く、フランス語が用いられている。カナダでは、英語系と仏語系の2つのネイションがあるという言い方をする。これらは、サブ・ネイションというべきものである。ケベック州には、分離独立運動がある。それを押さえるために、多文化主義の政策が取られてきた。
 次も20世紀初め以降に及ぶが、ロシア革命で誕生したソ連は、連邦制国家であり、統治機構は、連邦レベルのネイションの中に、多数の共和国がサブ・ネイションとして所属する構造だった。また、それぞれのサブ・ネイションにおいて、主要なエスニック・グループと、少数派または弱小のエスニック・グループが存在した。マルクス=レーニン主義は階級闘争の理論であり、民族より階級を上位に置く。だが、ソ連の実態は、人口で5割を占めるロシア民族が他の少数民族を実質的に支配していた。その構造は、社会主義圏にも及び、国家としてのソ連が東欧諸国を支配・収奪していた。
 なお、江戸時代の日本は、連邦国家と見ることはできない。徳川幕藩体制は、皇室から統治権力を委託された幕府が統治する封建社会の体制だった。幕藩体制の藩は一定の自治権をもった封建国家だったが、当時の日本は連邦国家とは言えない。皇室による朝廷があり、その下に幕府、さらにその下に藩のあるという単一国家だった。国民は主にシナとの対比により、古代から続く天皇を中心とした国柄の独自性を認識し、幕府の正当性の根拠は天皇による統治権の委託にあることを理解していた。それゆえ、日本の幕末ナショナリズムは、一個のエスニック・グループがネイションを形成しようとしたものだった。後の項目でアイデンティティに関して述べるが、日本では、藩ごとのローカル・アイデンティティを、民族としてのエスニック・アイデンティティが上回ったところに、中央集権の近代国家を目指すナショナリズムが興隆した。

 次回に続く。
コメント

日本弱体化を進めたWGIP文書が発見された

2015-05-20 10:44:26 | 歴史
 わが国は大東亜戦争で大敗を喫した。敗戦後、アメリカの日本占領政策は、日本人に戦争の罪悪感を植え付け、民族の誇りと自尊心を奪い、日本が決してアメリカに報復することのないようにすることを目的としていた。
 日本占領の最高司令官マッカーサーがワシントン政府から受けた第1号命令は、日本を再び米国及び連合国の脅威にならないよう、徹底的に無力化、弱体化することだった。すなわち「降伏後における米国の初期対日方針」(昭和20年9月6日受け、26日公表)に「日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」とその目的は明記されている。そして、この目的の下に行われた占領政策は、日本人を精神的に去勢し、当時の日本人が持っていた愛国心を抹殺し、アメリカの属国的・被保護国な存在へと貶めようとするものだった。すなわち日本弱体化政策である。
この政策を実行するにあたっては、秘密計画が存在した。その名は、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム。「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」だった。私は「戦争犯罪周知宣伝計画」と呼ぶ。
 日本弱体化政策には、周到な計画が存在した。それは、日米戦争中から立案され、占領後は、その方針にそって、日本人から、力と弾圧によって、民族の歴史、道徳、団結心等を奪っていった。「戦争犯罪周知宣伝計画」の実行は、連合国軍総司令部の民間情報教育局(CI&E)が強力に展開した。これは民間検閲支隊(CCD)による検閲と相乗効果をなして、日本弱体化を進めるものだった。
 このたび「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の原資料が発見された。戦後70年という年に原資料が発見された意義は大きい。発見者は、関野通夫氏という本田技研出身の実務翻訳家である。関野氏の報告が月刊『正論』5月号に掲載された。ネットに一部掲載されているので、その部分を以下に転載して紹介する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●月刊『正論』 平成27年5月号

http://www.sankei.com/life/news/150408/lif1504080003-n1.html

2015.4.8 03:04更新
【月刊正論】
これが戦後の元凶だ! 米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘

 WGIP(War Guilt Information Program)とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画です。
 はじめに何故、私がWGIPを取りあげたのか、という理由から述べます。WGIPが行われたのは今から約65年前ですが、決して過去の話ではありません。むしろ今でも効き目を発揮し、ますます毒性が強まっている、いわば現在進行中の話なのです。
 WGIPが残した毒は、政、財、官、法律、教育等あらゆる分野で、今も枢要の地位を占める人を含む、多くの日本人の思考を今も縛っています。最近も、戦後70年の首相談話を検討する「21世紀を構想する有識者懇談会」の北岡伸一座長代理が、「総理に侵略だといわせたい」などと、およそ信じがたい発言をされました。自民党の三役の一人が、「慰安婦問題は終わっていない」などと、歴史事実を知りもせず、韓国に媚びた発言をする光景には、あきれ返るばかりです。普通の国では起こりえない、自虐的な発想や、非常識な外交対応などが頻発する背景には教育などさまざまな要因があるでしょう。ですがその源流はWGIPによる洗脳にほかなりません。そしてその洗脳から日本人は解放されていないのです。
 このままでは日本は、どうかなってしまうのではないか。諸悪の根源を突きとめ、その元凶を絶つ必要がある。そのために多くの日本人にWGIPについてしっかりとした認識を持って欲しいという思いがありました。
 WGIPについてはこれまで、江藤淳氏や高橋史朗教授が、立派な著作を残されています。なぜ、私が屋上屋を重ねるようなことをするのかという疑問もあるかもしれない。ですがインターネット上の百科事典とされるウィキペディアにはWGIPについてこう書かれているのです。
 《文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない》
 今や一部では存在すら危ぶまれているのです。現資料が紛れもなく存在することを世の中に示したい。それがWGIPの文書を探し始めた大きな理由でした。

ピンポイントで文書を特定する困難
 そのようなわけで文書を探し始めた私はまず私は国会図書館に足を運びました。検索で資料が出ないか、と試みましたがどうにもうまく進みません。自宅でも検索を重ね、目当ての文書がどうやら明星大学(東京都日野市)戦後教育史研究センターに所蔵されていることがわかりました。早速、明星大学に足を運びましたが、2万5千点もの膨大な資料があって、この中から目当ての文書を特定しなければなりません。全ての文書に目を通すことは到底できないし、絞るにしても目録だけで500ページ近くあって、至難のワザでした。
 高橋史朗教授や勝岡寛次氏にもアドバイスをいただき、さらに私なりの“読み”を加えながら、丹念に絞り込んでいきました。そしてようやく目指す文書を手にすることができました。ここにその文書のリスト(表1)を示します。「江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない」というウィキペディアの記述が誤りであることがこれで明白になりました。

日本人洗脳工作の構図
 まず、ブロックダイヤグラム(図1)を見て下さい。文書に入る前に、洗脳作戦の全体的構図を説明し、その中でWGIPとは何かを説明します。
 占領下の日本人洗脳作戦において、実際、一番権力を持っていたのは、アメリカ本国の大統領府であり、当時の大統領トルーマンは、極め付きの反日、侮日主義者で、原爆投下については、「獣を扱うには、獣にふさわしい方法でやった」と、日本人を獣扱いしていたと言われています。
 それに比べると、日本に進駐してきた軍人は、進駐当時こそ、JAPとか黄色い猿とか言っていた人も、暫く経つと親日的に変わっていった人が多かったようです。特に、海軍の場合は、海軍同志で、戦前から交流の機会が多く、特にワシントン海軍軍縮交渉で知り合った同志は、終戦直後でも、比較的友好的な交流があったようです。
 日本で最高権力者として権勢を誇ったマッカーサーですが、最後はアメリカ大統領には適いませんでした。後に、朝鮮戦争での原爆使用の可否で意見が対立し、トルーマンによって解任されています。
 日本の中での最高権力組織は、もちろんGHQですが、これは正確には、GHQ/SCAPという名称でした。GHQは、General Headquartersの略で、いわゆる総司令部、SCAPは、Supreme Commander for the Allied Powers(連合国総司令官)の略です。マッカーサーは、両方を兼ねています。
 このGHQ/SCAPの下に、WGIPの主役となる、CIE或いはCI&E(民間情報教育局)や、G-2(参謀第2部)、CIS(民間諜報局)或いは、CCD(民間情報検閲支隊)、極東国際軍事法廷(いわゆる東京裁判法廷)などがあり、そして日本政府も、この一翼を担っていたわけです。
 CIEは、日本人を洗脳するために、どのように日本のメディアを操り、どのような情報を流すかを考え実行したわけです。その内容が、私が収集した原資料に繰り返し出てきます。これに対して日本人に知られたくない情報を日本人から隠したのが、焚書(占領軍にとって有害な図書の没収)や、報道の削除や禁止を定めた命令でした。
 しかし、いずれの場合でも、占領軍は、日本の一般人に対しては直接実行する方式ではありませんでした。日本政府や日本の報道機関を通じて実施した間接統治であったことが、この作戦の巧妙な所であり、多くの日本人は、それらの思想が、占領軍から押し付けられたことに気づかない。日本政府や日本人自らが行ったと錯覚させられてしまう。そういう巧妙な構造のもとで進められました。

WGIPとは何か
 東京裁判と「日本=戦犯国家」という刷り込みは、どのように行われたのでしょう。前段でも触れましたが、WGIPは、占領軍が行った日本人洗脳作戦の中核をなすものです。そして、そのなかで最優先かつ最重要な案件が、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)です。
 そのことは、最初に紹介するCIE文書にも-まだウォーギルトインフォメーションプログラムという言葉はこの時点では使われてはおらず「インフォメーションプラン(Information Plan)」となっていますが-出てきます。
 まず昭和20(1945)年12月21日付で、GHQ/SCAPから出されたものと思われる、CIEの局長あての文書をご覧下さい(写真(1)(2)と英訳)。
 これは、日本の占領初期に出されたものです。非常に基本的ですが、その後の作戦の主要部分の根幹を示す重要な文書です。その3ページ分の英文の全訳を示しました。下記にその趣旨を説明します。
 この文書の原文には、各ページの上下に、極秘(Confidential)と表示されていて、日本人には見せたくない文書であることを示しています。
 WGIPには、積極的に日本人を洗脳する作戦と、アメリカにとって都合の悪いことを糊塗する作戦の二つの側面がありますが、この文書では、積極的に日本人を洗脳する作戦の基本が書かれています。
 この文書は、I、II、IIIの3部からなっており、第I部は、日本の戦争犯罪を定義したものであり、極東国際軍事裁判(東京裁判)における、戦犯訴追の基本をなす、非常に重要なものです。CIE文書の始めに出てくるということは、東京裁判が、WGIPの1丁目1番地であることを示しています。
 ここで述べられた、BおよびCは、それほど不当な内容ではありませんが、Aに書かれていること(いわゆるA級戦犯の訴追原因)は、非常に問題があります。これは、一般に事後法で裁いたと批判されていますが、反論する人は、おそらく1928年のパリ不戦条約(Pact of Paris)、別名ケロッグ=ブリアン条約(Kellogg-Brian Pact)を持ち出してくると思われます。このパリ不戦条約も考慮しながら、このA項を考察、批判してみましょう。続きは月刊正論5月号でお読みください

★関野通夫氏 昭和14年神奈川県鎌倉市生まれ。39年、東京大学工学部航空学科卒業後、本田技研工業に入社。フランス、イランなど海外駐在が長く、米国ではホンダ関連法人の社長を務めた。平成13年に退職。実務翻訳に従事。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

関連掲示
・拙稿「日本弱体化政策の検証~日本の再生をめざして」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08b.htm
コメント