ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

衆院選予測1~自民党は単独過半数を維持か割るか

2021-10-14 11:26:42 | 時事
 私は近年、選挙のたびに週刊文春の予測記事に注目して、SNSで紹介しています。ほかの週刊誌、新聞社、通信社の予測に比べ、なかなかよい予測をしてきた実績があるからです。週刊文春は、本年10月21日号に「10・31総選挙 自民、想定外! 289全選挙区完全予測」と題した記事を掲載しました。
 この予測記事は、政治広報システム研究所代表の久保田正志氏と同誌編集部が情報分析を行ったもの。
 記事は、内閣支持率の低さを指摘し、甘利氏の幹事長起用等の影響に言及。
 議席数の予想は、自民党は現有の276議席から32議席減の244議席。単独過半数(465議席中の233議席)は辛うじて上回るというもの。内訳は、選挙区で210⇒171、比例区で66⇒73。
 ただし、久保田氏は「4年前の選挙では激戦区が70程度でしたが、今回は120と一気に増えました。復党問題への対応や閣僚の失言など一歩間違えば、激戦区はひっくり返る。そうなると単独過半数割れも現実味を帯びてきます」とも予想。
 岸田首相が目指す任期中の憲法改正については、「改正発議に必要な3分の2、310議席には全く届かない」との見立て。
 公明党は、現有29議席から4議席増やして33議席。自公の与党で、合計277議席と予想。仮に自民が単独過半数割れになっても、自公では過半数を維持できるという予想と読めます。
 立憲民主党については、現有の110議席から5議席増やして115議席と予想。選挙区では48⇒81と増加だが、比例区では62⇒34と激減。差し引きではわずか5議席の増。
 自民が減らす分、共産が12⇒17、維新が10⇒26、国民が8⇒12などと野党が増加と予想。立民は伸びず、共産、国民に成果を取られ、維新が躍進するという感じです。
 今後、投開票日までの18日間に、何が起こり、世論はどう動くか。注目していきたいと思います。

皇位継承4~女性天皇の歴史的な事例

2021-10-14 10:08:41 | 皇室
●女性天皇の歴史的な事例

 天皇は神武天皇以来、今上天皇まで126代のほとんどが男性だが、過去に8方10代の女性の天皇の例がある。古代の6世紀から8世紀にかけての6方8代、すなわち推古・皇極・斉明(皇極重祚)・持統・元明・元正・孝謙・称徳(孝謙重祚)と、江戸時代の2代、すなわち明正・後桜町の各天皇である。
 女性天皇は父方で皇室とつながっている。男系の女子である。
 女性天皇は、あくまで男系継承を維持するためにとられた手段の一つだった。男系男子による皇位継承を維持するための一時的・例外的方策だった。次の皇位継承候補の男子が成長するまで適当な男子がいない時に、「中継ぎ」として立てられた、というのが一般的な理解である。私見では、むしろそれ以上に政治的な情勢判断によって女帝を擁立したと考えられる例(推古天皇など)もある。
 明治維新後、女性天皇の即位の是非について熱い論争が行われた。井上毅は、過去の女帝は「摂位」(代理的な役割)であり、先例ではなく例外であると主張した。それによって、女帝は幼い天子が成長するまでの中継ぎ、「中天皇(なかつすめらみこと)」という見方が有力になった。その結果、明治20年(1887年)に制定された皇室典範では、女帝が否認され、皇位継承者は男系男子に限定された。この規定は、大東亜戦争の敗戦後も維持され、現行の皇室典範も天皇は男系男子が継承すると定めている。
 明治時代に女帝が否認された理由の一つには、近代西洋文明が普及している世界において、わが国の伝統におけるような女帝は国際的な理解を得難いことがあったと考えられる。過去の女帝は在位中は独身だった。配偶者なしで生涯独身だったか、皇后もしくは皇后に準ずる地位だった女性が、夫が亡くなって寡婦の身で即位したかのいずれかである。天皇になる前に産んだ子が天皇になった例はあるが、即位後に天皇の立場にありながら結婚し、その間に生まれた子供が天皇になった例はない。こうした伝統的な女帝は、近代化・西洋化する日本において、明治時代に否定されたのである。(註3)
 もし女性天皇を認め、わが国の伝統を変え、欧州諸国のように結婚している女性が配偶者を持ったまま皇位に就いたり、女帝が在位中に結婚することを認めることになれば、配偶者が皇族以外であれば女系継承になる可能性がある。それを防ぐために、皇位継承者を男系男子に限定したと考えられる。


(3) 女性天皇は、皇后が夫・天皇の死後に皇位に就いた例が半数を占める。第33代推古天皇は第30代敏達天皇、第35代皇極天皇(重祚して第37代斉明天皇)第34代舒明天皇、第41代持統天皇は第40代天武天皇のそれぞれの皇后だった。
 女性天皇になった男系女子が、即位前に結婚していて子供を産み、その子が天皇になった例として、第43代元明天皇がある。元明天皇は、即位前に産んだ息子が第42代文武天皇になった。天皇の母だったわけだが、女帝となったのは、文武天皇が若死にし、自分の孫が第45代聖武天皇になるまでの中継ぎをするためだった。その当時、皇后を経ない初の女帝だった。元明天皇はまた自分に続いて、やはり即位前に産んだ娘が第44代元正天皇となった。やはり聖武天皇への継承を確実にするための中継ぎだった。2代続けて女性天皇が男系男子が即位するまでのつなぎをした。
 女性天皇になった男系女子が即位前、在位中、譲位後を通じて生涯独身だった例には、第44代元正天皇、第46代孝謙天皇(重祚して第48代称徳天皇)、第109代明正天皇、第117代後桜町天皇がある。
 明正天皇は、江戸時代初期に859年ぶりの女帝となった。第108代後水尾天皇の皇女として誕生した。2代目将軍・徳川秀忠の孫だった。即位した時、まだ7歳だった。15年後に、21歳で皇位を弟(後光明天皇)に譲った。その後も生涯結婚することなく74歳で死去した。

 次回に続く。

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