ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権38~権利の要素:正当性と利益

2013-03-30 08:28:37 | 人権
●権利の要素③ 正当性

 権利は、意思の発動としての能力の行使であるが、能力の行使は、他者の承認を要する。「~することができる」ということと、「~してよい」ということは別である。前者は能力であり、後者は承認に関係する事柄である。能力の行使は他者との意思交通によって他者の承認を得たときに、初めて権利となる。他者より行使を承認された能力が、権利である。またこの権利を持つ立場を資格という。
 権利を主張することは、能力の行使に承認を求めること、及び承認を得ていることの正当性を主張することである。他者の承認を受けた能力行使は、正当な行為である。他者による承認またはそれを得た資格が、正当性の根拠となる。ここに権利の第3の要素として正当性を挙げられる。
英語で正当性を表す言葉は right である。right は「権利・正当性・正義」等を意味する。例えば、ロングマンの英語辞典では、right の語義を次のように説明する。

1 <allowed> [C usually singular] if you have the right to do something, you are morally, legally, or officially allowed to do it.
2 <freedom/advantages> rights [plural] the freedom and advantages that everyone should be allowed to have.

 ここで、right の意味の核心は、allowed にある。すなわち、何かをすることを承認・許可されていることである。
 権利には、それを承認・許可する者と、承認・許可される者との間で、了解が必要である。政府の承認や保障は、基本的に必要ない。人々が社会において、統治機関の存在の有無にかかわらず、相互に能力の行使を承認していればよい。政府は、それを公的な権力によって公認し、実力の裏付けを以て保障する役割をする機関である。
 西欧語の多くで、「権利」を表わす言葉は、「正当性・正義」も意味する。英語のright と同じく、独語のRecht、仏語のdroitには、「正しさ」という意味がある。これらが示しているのは、西欧における「権利」とは、「正しさ」を主張し、承認された事柄であることである。すなわち、「~する権利(right)がある」ということは、「~する正当性(right)がある」ということと同義である。
 わが国では、権利と正義の両義を持つ right/Recht/droit を「権利」と訳した。そのため、元の西欧単語が持っていた「正当性・正義」の意味が隠れてしまった。だが、西欧語の多くでは、権利とは、正しいと認められていること、正当であることを意味することに留意すべきである。
 社会的な承認は、何らかの基準に基づいて行われる。その基準は、行為や評価が正当か否かを判断する基準となる。何かを「する能力」を用いる時、西洋人は、何をもってその行為を正当であると考えるか。また何を正当性の根拠を考えるか。もともと西洋では、人々が自己の「正しさ」を主張するとき、先祖から伝わる慣習、伝統的な道徳、宗教的な教義をもとにしていた。そうした何らかの根拠があり、それを基準として「正しい」と認められたものが、「権利」だった。ところが、近代社会においては、そうした基準が否定されるか、括弧に入れられるようになった。原因は、共同体の解体、キリスト教の権威の低下、世俗化の進行による。そして、正当性の根拠は、現実の人間同士の約束や取り決めのみに求められるように変化した。それによって、権利は人間の間における利害関係を意味することが多くなった。ここに権利の第4の要素としての利益が浮かび上がる。

●権利の要素④ 利益

 権利は、広義では、能力の行使について、他者の承認を受け、正当性を持つものをいう。一方、狭義では、一定の利益を主張し、またこれを享受する手段として、法が一定の者に与える能力をいう。権利は個人や集団の利益に関わるものであり、権利の第4の要素に利益がある。
 利益とは、能力を行使した結果、得られる善いもの、善い結果である。権利は利益であり、また利益を追求し、実現する能力であり、その行使を承認された能力である。「利益」と訳す西欧単語は、英語 interests、独語 interessen、仏語 interestsである。英語では profit、benefit 等も利益の概念に当たる。これらの訳語に充てられた「利益」という漢語は、もともと仏教の言葉である。仏教では利益の語を「りやく」と読み、法力によって恩恵を与えることを意味する。自らを益するのを功徳(くどく)というのに対し、他を益するのを利益という。つまり、「利益(りやく)」は利他的な意味を持つ言葉だった。
 ところが、利益の語は西欧語の翻訳に使われて「利益(りえき)」となったことで、宗教的な意味を失い、世俗的な意味を表すようになった。現代日本語の利益は、「ためになること」「益になること」である。また「利すること」「得分」「もうけ」「有利」「好都合」等を意味する。経済的な意味で使うときは、経済活動を通じて獲得・実現された富の増加分を意味する。
 こうした利益の概念は、善、快楽、幸福等の概念と重なり合う。利益とは、能力を行使した結果、得られる善いもの、善い結果である。何を善いものとするかによって、さまざまな利益があり得る。物質的利益だけでなく精神的利益、個人的な利益だけでなく集団的な利益がある。精神的な利益とは、必ずしも物質的な結果を伴わない精神的な満足や幸福感をいう。集団的な利益は、その集団にとって善いもの、善い結果である。国家においては、国家国民の利益としての国益が追求される。国益には、政治的・経済的・軍事的・外交的等の利益があり、国益の追求とは生命的・経済的・社会的・精神的価値の実現によって、国民の幸福を実現し、増大することである。こうして国民の幸福を実現・拡大することは、国民諸個人の幸福追求の権利を集団的に行使し、諸個人にとって善い結果を集団的に実現することとなる。
 権利は、こうした幅広い意味での利益であり、利益を追求し、実現する能力であり、またその行使を承認された能力である。その利益の保持及び追求の正当性を保護するものが、法である。次に、権利の第5の要素として、法について述べる。

 次回に続く。

北朝鮮の資金源を断つ制裁を~西岡力氏

2013-03-29 08:46:39 | 国際関係
 北朝鮮は1月12日に3回目の核実験を強行した。わが国の政府は即座に、5人の朝鮮総連副議長を再入国不許可の対象に追加するという制裁を科した。彼らは、わが国が再入国を禁止している許宗万議長らに代わって、日本からの資金を北朝鮮に運搬してきた。その資金は、核・ミサイル開発等に使われてきたとみられる。
 北朝鮮問題の専門家である東京基督教大学教授の西岡力氏は、「北核・ミサイルの資金源を断て」と題した産経新聞2月20日の記事で、さらなる対応策を提案している。
 第一は、「在日本朝鮮人科学技術協会(科協)所属の核・ミサイル技術者に再入国不許可の対象を広げること」。彼ら北朝鮮の核・ミサイル開発を支援している技術者を訪朝させないようにする方法である。
 第二は、北朝鮮への不法送金をさせないこと。北朝鮮の世襲独裁政権が維持されているのは、「朝鮮総連が送金し続けた秘密資金」による。原資は朝鮮総連の不法活動であり、組織的脱税と朝銀信用組合を使った不正融資による。これを厳しく取り締まる方法である。
 西岡氏は、第二の方法による制裁を強調している。「不法送金は、第1次安倍晋三政権が『厳格な法執行』を掲げて行った事実上の対北制裁措置で、大幅に減少した。第2次安倍政権は1月の拉致問題対策本部会合で、『厳格な法執行』の継続を決めた」といい、これを「正しい方針である」と評価する。
 「北朝鮮はイランなどとは違い、海外に売るべき資源を持っていない。彼らを追い込むには、39号室資金を枯渇させればよいのだ」と西岡氏は言う。39号室資金とは、朝鮮労働党39号室のことで、北朝鮮の外貨獲得機関である。故金正日が麻薬密売、通貨偽造、偽造タバコ密売等の不法活動を指揮して獲得した外貨を管理している機関である。米国の金融制裁は、39号室資金の動きを制する効果があった。西岡氏は、北朝鮮の核・ミサイルの資金源を断つため、「安倍政権は、総連への厳しい法執行を続けるとともに、米国に金融制裁の再発動を、韓国には開城工業団地の閉鎖を求め、北朝鮮の外貨源を断つ国際包囲網の構築を目指し積極的に動いていくべきだ」と提案している。
 第一の方法、第二の方法とも断固実行すべきである。
 以下、西岡氏の記事。

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●産経新聞 平成25年2月20日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130220/plc13022003140005-n1.htm
【正論】
東京基督教大学教授・西岡力 北核・ミサイルの資金源を断て
2013.2.20 03:13 [正論]

 北朝鮮が3回目の核実験を強行した。日本政府は12日当日中に、再入国不許可の対象に5人の朝鮮総連副議長を追加する制裁を科した。本欄などで北朝鮮が拉致問題で誠実な対応をしないことを理由に5人の再入国不許可を繰り返し求めてきた者として、遅きに失した観はあるものの歓迎したい。

≪総連副議長5人は資金運び屋≫
 彼らは、再入国が許されていない許宗万議長らに代わり頻繁に訪朝し、北朝鮮工作機関幹部からの指令で日本からの資金の運搬役を務めてきた。金正日氏が死亡した一昨年12月から金日成生誕百周年行事があった昨年4月までに届け出額で3億7760万円が北朝鮮に運ばれ、体制維持や核・ミサイル開発に使われたとみられる。
 韓国の検察によれば、5人の1人、●眞求副議長は、拉致やテロを行ってきた北朝鮮工作機関225局(旧対外連絡部)の日本での責任者で、核実験前日の11日にも北朝鮮に出国している。こんな人物を行き来させてはならない。
 2011年に韓国で摘発された北朝鮮の党の地下組織「旺載山」の幹部が訪日して●氏と接触していたことも分かっている。その前身組織に加担し、1993年8月に石川県から半潜水艇で北朝鮮に渡り金日成氏と面談し、「南朝鮮で革命を起こすために地域指導部を組織しろ」と指示を受けたと自白したソウル大教授は、裴氏から指導を受け、金日成氏との面談にも裴氏が同席していたという。

≪科学技術者も再入国不許可に≫
 日本による制裁の余地はまだある。かねて主張してきたように、訪朝し北朝鮮の核・ミサイル開発を支援している在日本朝鮮人科学技術協会(科協)所属の核・ミサイル技術者に再入国不許可の対象を広げることが、その1つだ。
 例えば、ミサイル・エンジン専門家の金剛原動機合弁会社副社長の徐判道氏は昨年、3回訪朝している。関係者によると、彼が訪朝する度にミサイルが発射され、ミサイル基地で点検作業に立ち会っている疑いがあるという。2006、09年のミサイル実験の前にも徐氏の訪朝が確認されている。
 北朝鮮は在朝日本人に出国の自由を与えていない。日本は人権を尊重する自由民主主義国だから同じような措置を取ってはならないとはいえ、誰に再入国許可を出すかは主権国家固有の権限である。北朝鮮の核・ミサイル開発の資金と技術の持ち出しを放置してきたことは反省されるべきだろう。
 北朝鮮の世襲独裁政権が3代も維持できているのはひとつには、朝鮮総連が送金し続けた秘密資金があったればこそだ。内閣調査室の1993年の調査では、90年代初めには、年間1800億~2000億円相当が送られていた。
 原資は朝鮮総連の不法活動だった。第1の手法が組織的脱税だ。総連系商工人の税務書類を総連が代行して作成し、税務署と談判して税金を大幅にまけさせていたとの証言は多い。彼らは自ら、76年に税務署との間で5項目の合意をしていると豪語していた。パチンコ・マネーが北朝鮮に送られた背景にも、組織的脱税があった。
 第2は朝銀信用組合を使った不正融資だった。朝鮮学校などを含む総連所有の不動産を担保に、朝銀が総連系個人やペーパー会社に多額の融資を行う。借り手は端から返すつもりがなく、その資金が総連経由で北朝鮮に送られる。当然、融資は焦げ付いて、朝銀は全国で次々に破綻した。その度に、「善意の預金者保護」の建前の下で公的資金が投入され、対北送金でできた穴を埋めていく。その総額は1兆4千億円にも上った。

≪39号室の資金を枯渇させよ≫
 これらの不法送金は、第1次安倍晋三政権が「厳格な法執行」を掲げて行った事実上の対北制裁措置で、大幅に減少した。第2次安倍政権は1月の拉致問題対策本部会合で、「厳格な法執行」の継続を決めた。正しい方針である。
 日本からの不法送金や、武器輸出、麻薬やドル偽造などで得られた外貨は、金正日氏個人の資金として朝鮮労働党39号室などが、スイスなどの銀行の秘密口座で極秘に管理していた。米金融制裁が効いたのは、世界の銀行が米国からの制裁を恐れて39号室の秘密資金の取り扱いを敬遠したからだ。
 北朝鮮に石油や食糧を支援する中国も外貨は渡していない。むしろ韓国が、開城工業団地を中心とする南北交易で北朝鮮に外貨を落としている。李明博政権5年間の南北交易額は90億9600万ドル、年平均で18億1920万ドル。これは北朝鮮財政の約4割に当たる。韓国統一省は「北朝鮮は南北交易では黒字構造で、中朝貿易では慢性的な赤字構造であるので、南北交易で稼いだ外貨が中朝貿易の増大を支えている」としている。
 北朝鮮はイランなどとは違い、海外に売るべき資源を持っていない。彼らを追い込むには、39号室資金を枯渇させればよいのだ。安倍政権は、総連への厳しい法執行を続けるとともに、米国に金融制裁の再発動を、韓国には開城工業団地の閉鎖を求め、北朝鮮の外貨源を断つ国際包囲網の構築を目指し積極的に動いていくべきだ。(にしおか つとむ)

●=褒の保を非に
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デフレ脱却の経済学12~岩田規久男氏

2013-03-21 08:56:40 | 経済
 最終回。

●デフレは必ず脱却できる、そして日本は復興できる

 「デフレ脱却のメカニズム」について、岩田氏は、『日本銀行――デフレの番人』で次のように書いている。
 「日銀がインフレ目標の達成にコミットした上で、マネタリー・ベースを増やすと、予想インフレ率が上がる。予想インフレ率の上昇は①円安、②株高、③予想実質金利の低下の三つのルートを通じて、総需要を増やす。この総需要の増加により、デフレに終止符が打たれる」
 コミットとは、目標値や目標達成期間を発表し、達成できなかったら説明責任と結果責任を負う約束をすることをいう。責任を取ると約束することを言う。上記引用の後半は、大意次のように展開する。予想インフレ率の上昇は、①円安をもたらす。円安になると、輸出が増え、輸入が減り、企業の設備投資が増える。②株価が上がる。株価が上昇すると、設備投資が増える。また③予想実質金利は下がり、企業設備投資が増える。これらによって、実質国内総生産が増え、雇用が増える。総需要が増加し、需給ギャップが縮小して、物価が上がる。こうして、デフレは終わる。
 昨年12月、安倍政権の誕生の前後から、株高円安となり、本年1月22日の政府・日銀の共同声明で、日銀がインフレ目標2%の受け入れを発表すると、一層株高円安が進んでいる。この現象は、岩田氏の説くデフレ脱却のメカニズムの妥当性を裏付けつつあると言えよう。
 岩田氏は本書で、次のように主張する。「日銀の金融政策を世界標準の金融政策に変えれば、デフレを脱却できる」と。具体的には、「日銀法を改正し、日銀にインフレ率を中期的に2%に維持することにコミットさせる。インフレ率の許容範囲は2%の上下1%とする」。岩田氏は、物価の安定と雇用の最大化を両方めざしつつ安定的な成長を達成するには、これが許容範囲だという。 
 「デフレ下では、需要が供給能力を下回る(この状況を需給ギャップが存在するという)ために、実際の実質成長率は日本経済が達成可能な潜在成長率よりも低くなる。しかしデフレを脱却すれば、実際の実質成長率は潜在成長率まで上昇する。ここまでが、金融政策の役割である。一方、潜在成長率そのものを引き上げるためには、規制緩和や市場開放などの競争政策によって、民間の能力を引き出して、労働生産性を引き上げなければならない。この競争政策は政府の役割である。競争政策によって潜在成長率を高めることは供給能力を高めることに他ならない。したがって、デフレを解消する金融政策が伴わずに、競争政策だけを実施して供給能力を高めるならば、需給ギャップがさらに拡大するだけで、高められた潜在成長率は実現しない。つまり、競争政策はデフレ脱却の金融政策が伴わなければ、その成果は実現しない」と岩田氏は説いている。
 ここで岩田氏が「規制緩和や市場開放などの競争政策」と書いているのは、岩田氏が過去の著作で「市場の競争を維持・促進するような構造改革」と呼んでいたものである。この点、岩田氏は、平成13年(2001)の『デフレの経済学』の時点から、ある種の構造改革の必要性を認める姿勢は変わっていない。デフレ下でやると失敗するが、デフレ脱却の後は、構造改革を進めるべきだというのが、岩田氏の立場である。本書では、「市場の競争を維持・促進するような構造改革」を競争政策と呼び、「デフレを解消する金融政策が伴わずに、競争政策だけを実施して供給能力を高めるならば、需給ギャップがさらに拡大するだけで、高められた潜在成長率は実現しない。つまり、競争政策はデフレ脱却の金融政策が伴わなければ、その成果は実現しない」と強調している。
 わが国の政府が為すべき課題は、東日本大震災からの復興、対中国・北朝鮮等に対する国防の強化、来るべき巨大地震に備える国土強靭化、次世代育成のための教育、高齢化に対応する社会保障、地球的課題としての環境保全、自然と調和したエネルギー開発等、多くある。これらの政策課題は、民間に任せていれば、自ずと実現されるものではなく、政府が国家構想を打ち出し、道筋をつけてこそ、民間の力が生かされる。岩田氏のいうような構造改革は、デフレを脱却してからの中長期的課題である。その際、過去の橋本=小泉構造改革の誤りを徹底的に総括し、本当に日本のためになる改革案を練り上げなければならない。特に米国追従、米国模倣の姿勢はだめである。日本には日本の道がある。
 昨23年12月から本年1月にかけて、安倍内閣は、日銀法の改正もちらつかせながら、白川方明日銀総裁に迫り、インフレ目標政策を呑ませた。白川総裁は任期前の辞任を表明している。岩田氏は、日銀法を改正しないと日銀は変わらないという見方だったが、安倍首相の交渉力が、こういう展開を生み出したのだろう。安倍内閣は、現時点では日銀法の改革はせずに、日銀にインフレ目標下での大胆な金融改革をさせるという姿勢である。そして、その日銀の総裁に黒田東彦氏、副総裁に岩田氏と中曽宏氏を起用する人事案を国会に提示し、同意を得た。誰よりも厳しく日銀を批判し続け、日銀法の改正を訴えてきた岩田氏が副総裁に就任したことを支持するとともに、氏の活躍に期待したい。
 私は、財政政策・金融政策を一本化し、政府と日銀が一体となって、デフレ脱却を成し遂げ、日本経済を力強く成長軌道に乗せるには、インフレ目標政策だけでなく、現行の日銀法の改正が必要と考える。日銀法の改正を訴えてきた岩田規久男氏が、日銀の幹部となって日銀の改革を進め、今後、政府が日銀法の改正に踏み切るならば、日本の経済的復興は加速するに違いない。
 デフレは必ず脱却できる。そして日本は復興できる。日本と日本人の底力を信じよう。(了)

関連掲示
・拙稿「経世済民のエコノミスト~菊池英博氏」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13i-2.htm
・拙稿「構造改革を告発~山家悠紀夫氏」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13i-1.htm
・拙稿「デフレを脱却し、新しい文明へ~三橋貴明氏」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13f.htm
参考資料
・岩田規久男著『デフレの経済学』『昭和恐慌の研究』(以上、東洋経済新報社)『日本経済を学ぶ』『「小さな政府」を問い直す』『世界同時不況』(ちくま新書)『日本銀行は信用できるか』『デフレと超円高』『インフレとデフレ』(以上、講談社)『ユーロ危機と超円高恐慌』『日本銀行 デフレの番人』(以上、日本経済新聞出版社)

■追記

 本項を含む拙稿「デフレ脱却の経済学~岩田規久男氏」は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13s.htm

デフレ脱却の経済学11~岩田規久男氏

2013-03-20 08:35:26 | 経済
●「デフレの番人」の改革に“最もタフなデフレ・ファイター”が参上

 岩田氏は、著書『日本銀行は信用できるか』で、「政府は新日銀法を改正して、『政策目標設定の権限』を日銀から取り戻し、金融政策の目的としてインフレ目標を設定し、日銀にその目標達成の義務を課すと同時に、日銀の金融政策を監視・評価する第三者機関を創設すべきである」と提言した。著書『デフレと超円高』(講談社)でも、岩田氏は、日銀法の改正が必要と力説する。
 「日本経済の不幸は、98年(ほそかわ註 平成10年〔1998〕)4月1日施行の新日銀法で、金融政策の目標の設定に関して、日銀に政府からの独立を認めてしまったことに始まったといっても過言ではない。実際に、消費者物価指数でみて、デフレが始まったのは、新日銀法が施行されてから3か月後の98年7月からである。したがって、政府は、早急に、インフレ目標の達成を日銀に義務付ける日銀法改正案を国会に提出して、その成立に全力を傾けるべきである」
 そして、新日銀法を改正して、日銀にインフレ目標の達成を義務付け、日銀総裁をはじめ政策委員を「リフレ派」に入れ替え、日銀の金融政策レジームをインフレ目標採用国並みの『インフレ目標レジーム』に変えることを、岩田氏は提案している。
 ここでリフレ派とは、デフレで停滞した経済を回復させるために、適正なインフレへの回帰を図るリフレ政策を目指す経済学者や経済専門家である。リフレ政策は、世界大恐慌の時、ルーズベルト米大統領に、経済学者アーヴィング・フィッシャーが提案した政策が原型である。米国が大恐慌を脱することに貢献した実績がある。岩田氏は、現代日本におけるリフレ派の代表格である。その岩田氏が、安倍内閣によって、日銀副総裁に指名された。日銀幹部をリフレ派に入れ替えよ、と要望してきた岩田氏自身が、日銀改革を進める立場になろうとしている。
 岩田氏の日銀批判は、留まるところを知らない。23年の著書『日本銀行――デフレの番人』(日本経済新聞出版社)では、日銀を「デフレの番人」と呼んで、それを書名にまでした。
 日銀は物価の安定を目的とする機関ゆえ、一般に「物価の番人」と呼ばれる。ところが、岩田氏は次のように言う。
 「『物価の番人』である日銀の成績を冷静に判断すれば、物価上昇率をゼロ%以下に抑え、デフレを金科玉条のごとく守ってきた役所としか、評価できない。『デフレの番人』とは皮肉に聞こえるかもしれないが、事実の客観的な表現だと言えよう」と。
 この「デフレの番人」の改革に、“最もタフなデフレ・ファイター”である岩田氏が与ろうとしている。
 本書で岩田氏は、わが国がデフレを脱却するための具体策を提示する。
 なぜわが国は、デフレに陥ったか。「人々の間にデフレ予想が定着したのは、日銀の『日銀理論』に基づく金融政策のためである」と岩田氏は断じる。「いったんデフレ予想が人々の間に定着すると、家計や企業や金融機関などはデフレを予想して、消費や投資や資産選択を決定するようになる。そのため結果的に、デフレが実現する」。そこから脱却するには、「逆に、人々がインフレを予想して行動するようになれば、結果的に、インフレが実現する。したがって、1990年代中ごろから、私たちの間に定着したデフレ予想を覆して、インフレ予想に転換することができれば、デフレからの脱却に成功する。デフレを脱却すれば、穏やかなインフレの下で、名目成長率も実質成長率も上がり、雇用も増加する」。
 日銀の『日銀理論』に基づく金融政策によって、人々の間にデフレ予想が定着した。それゆえ、「デフレ予想を覆し、インフレ予想の形成を図るためには、金融政策の枠組みを変えればよい」。そして、「インフレ予想の形成を促す金融政策の枠組みは、インフレ目標政策である」と岩田氏は主張する。
 インフレ目標政策(インフレ―ション・ターゲティング)とは、インフレを目標とする政策ではない。デフレを脱却し、物価の安定と雇用の最大化の両方をめざして、穏やかなインフレに持っていきながら、経済成長を図る政策である。2006年現在、世界で25カ国が採用し、実績を上げている。岩田氏は、インフレ目標政策を「世界標準の『最適金融政策』」であると言う。
 インフレ目標値について、岩田氏は次のように述べている。
 「インフレ目標値は雇用の最大化と両立するような水準に決定する。最近20年ほどの期間の失業率とインフレ率(総合消費者物価指数前年比)の関係を観察すると、インフレ率が中期的に1~3%の間にあれば、雇用最大化(失業率の最小)が達成される可能性が大きいと推測される。したがって、中期的なインフレ目標を2%に設定し、上下1%を許容範囲とすることが適当であろう」と。

 次回に続く。

デフレ脱却の経済学10~岩田規久男氏

2013-03-19 08:49:46 | 経済
●デフレを止めれば、円高も止まる

 近年のわが国は、デフレとともに円高に苦しんできた。デフレと円高の関係とこれらへの対処について、岩田氏は、平成23年刊行の『デフレと超円高』(講談社)と『ユーロ危機と超円高恐慌』(日本経済新聞社)に書いた。
 岩田氏は前者の著書で次のように言う。「超円高の原因はデフレである」「デフレを止めれば、円高も止まる」と。では、デフレと超円高をもたらしている「真犯人」は、誰か。それは「日銀」だと岩田氏は断定する。「デフレの真の原因は日本銀行の金融政策」であり、「過度の円高の究極的原因もまた日銀の金融政策にある」。ならば、これらを止めることができるのは、誰か。「デフレと超円高を止めることができる唯一の機関は、政府ではなく、日本銀行である」と岩田氏は主張する。
 岩田氏は後者の著書でも次のように言う。「デフレの真の原因は日本銀行の金融政策」であり、「過度の円高の究極的原因もまた日銀の金融政策にある」と岩田氏は主張する。「日銀の金融政策はデフレ予想を生み出し、そのデフレ予想がデフレと超円高を生み出している」。それゆえ、日銀の金融政策を「世界標準の『穏やかなインフレを維持する金融政策』に修正」すれば、「デフレと超円高に終止符を打って、日本経済を再生する基礎ができる」。岩田氏は、「政府にはインフレ目標を掲げて、デフレと円高を止める手段はない」「政府にデフレ対策や円高対策を求めても無駄である。デフレと円高をともに止める手段を持っているのは、日銀だけだからである」と強調する。
 さて、前者の『デフレと超円高』で、岩田氏は、デフレの原因に関するさまざまな「構造デフレ説」を検討する。そして、「構造デフレ説」は「理論的にも実証的にも間違っている」として、大意次のように論じる。

①中国安値輸入デフレ説
 中国からの安値輸入品が原因だとする説。1999~2000年で、日本よりも中国からの輸入の対国内総生産比が大きいか、ほぼ等しい国」、韓国、ニュージーランド、チェコ、ハンガリーは、すべてインフレである。

②中抜きデフレ説
 流通において小売店が問屋を通さない中抜きが原因だとする説。中国製品の輸入と同じように、多くの国で起きている現象であるが、デフレになっているのは、日本だけである。

③生産性の向上デフレ説
 生産性の向上が原因だとする説。1995~2007年で、OECD加盟国15か国を見ると、日本よりも生産性上昇率が高い国も、低い国も、日本よりもインフレ率が高く、日本だけがデフレである。

④銀行の貸し渋りデフレ説
 不良債権を抱えた銀行の貸し渋りがデフレの原因だとする説、2002~2008年に、企業の設備投資が停滞したのは、銀行が貸し渋ったため、企業が設備資金を調達できなかったためではない。不良債権が増えたために、デフレになったのでもない。デフレになったために、不良債権が増えたのである。

 このように岩田氏は、代表的な構造デフレ説の誤りを明らかにする。岩田氏自身は、日銀の金融政策がデフレの真の原因だと説いている。いわば日銀デフレ説である。
 構造デフレ説は、どれもデフレと貨幣とは無関係である、と見る点で共通していると岩田氏は指摘する。だが、「デフレは貨幣的な現象である」と岩田氏は主張する。
 岩田氏によると、デフレとインフレの関係は次の通り。

「(1)貨幣供給が貨幣需要を上回って増加し続ければ、やがて、貨幣の実質価値は低下し続けるようになり、逆に、消費者物価は上昇し続ける、すなわち、インフレになる。
(2)貨幣需要が貨幣供給を上回って増加し続ければ、やがて貨幣の実質価値は上昇し続けるようになり、逆に、消費者物価は低下し続ける、すなわち、デフレになる。
 このように、インフレもデフレも貨幣の需要と供給の変化のスピードの違いから発生する。この意味で、『インフレもデフレも貨幣的現象である』といえる」

 岩田氏は、こうした貨幣的現象としてのデフレから脱却するためには、金融政策が有効だという。そして、デフレの脱却は円高の是正にもなるとし、デフレと超円高の解決策を示す。
 「デフレ下の金融政策とは、人々の間におだやかなインフレ予想の形成を促すことによって、デフレと超円高から脱却する政策である」「日銀の金融政策のレジーム(金融政策のスタンス)を『デフレ・ターゲティング』から『おだやかなインフレ・ターゲティング』に転換させれば、インフレ予想が形成され、デフレと超円高から脱却することができる」
 より具体的には、次のようになる。
 「例えば、中央銀行がデフレを脱却して、2%~3%程度のインフレ目標政策の達成のためにあらゆる手段を取ると宣言すると、市場はインフレ予想をそのように修正するために、まず株価が急上昇する。市場の名目金利も上がるが、完全雇用が達成されるまでは予想インフレ率の上昇ほどには上がらないため、予想実質金利は低下する。これにより、為替相場が安くなる。日本で言えば円安になる。株価の上昇と予想実質金利の低下はともに投資(住宅投資と設備投資)と消費を刺激し、円安は輸出の拡大、輸入の減少による国内の輸入代替財の需要増大をもたらす。このようにして、内需と外需がともに増大するため、実際にも、デフレは終息し、やがて、インフレに転じるのである」と。

 次回に続く。

デフレ脱却の経済学9~岩田規久男氏

2013-03-18 15:54:46 | 経済
●日銀を厳しく批判、日銀法の改正を訴える

 私は、デフレ不況に陥った国の政府は積極的な財政出動を行い、同時に中央銀行は大胆な金融緩和を行って充分な貨幣を市場に供給すべきと考える。まして15年もの間、デフレから抜け出せずに来たわが国においては、財政政策・金融政策を一本化し、政府と日銀が一体となって、デフレ脱却に全力を挙げなければならない。現下の日本における政策実行の順序は、まずインフレ目標の下で大胆な金融緩和で、インフレ期待を生み出すのがよい。だが、政府は金融政策のみに任せるのではなく、また単にデフレ脱却のためだけでなく、将来の大きな国家構想を持って成長戦略を打ち出し、その実現のための財政政策を強力に進めるべきである。アベノミクスは「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」を3本の矢とするデフレ脱却から経済成長へと目指す総合的な経済政策となっている。その順番で積極果敢に断行してもらいたいと思う。
 岩田規久男氏は、この点、私と財政政策や成長戦略、また構造改革についての考え方は違うが、日銀の幹部となって大胆な金融政策を推進し、アベノミクスを実効あるものとするには、うってつけのエコノミストであると私は思う。“最もタフなデフレ・ファイター”岩田氏が日銀の幹部になることは、日銀の大改革につながるだろう。
 近年、岩田氏は、日銀の理論・政策・体質に対して、批判的な姿勢を強めてきた。例えば、著書『日本銀行は信用できるか』(平成21年)では、次のように、日銀を批判している。
 「日銀を支配している人は『東京大学法学部卒』である。そうした人の金融政策は、現代の正統派経済学の金融政策の理論とは全く異なる『日銀流理論』に基づく前例主義である。法学部卒が主導する金融政策は前例主義による伝統的金融政策が基本である。そのため、1990年代以降のバブル崩壊や2008年のリーマン・ショック以降の未曽有の大不況などの経済危機に対応するためには不可欠である非伝統的金融政策を積極的に採用することができない」
「日銀にも正統派金融政策の理論を学び、研究している優れた人も少なくない。しかし、そうした人も結局は日銀流理論に基づく金融政策を支持するために政党派金融理論を応用しがちである」
 「日銀の目指す物価安定とはゼロ・インフレである。そうした金融政策は諸外国に比べて低すぎるインフレあるいはデフレをもたらし、日本経済の長期停滞と外需頼みの経済を生んでいる」
 さらに岩田氏は、平成10年(1998)4月に施行された新日銀法の改正が必要だと訴える。
 「新日本銀行法は日銀に『目標設定の独立性』と『政策手段選択の独立性』の両方を与えた。しかし、中央銀行に『目標設定の独立性』を与えて、目標設定の裁量性を認めることは、日銀法第2条の『物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する』という日銀の理念と相容れない。したがって、日銀法の改正を含めた日銀の改革が必要である」
 「政府は新日銀法を改正して、『政策目標設定の権限』を日銀から取り戻し、金融政策の目的としてインフレ目標を設定し、日銀にその目標達成の義務を課すと同時に、日銀の金融政策を監視・評価する第三者機関を創設すべきである。この改革により、日銀の金融政策の透明性と説明責任は大幅に向上し、その金融政策の有効性も、インフレ目標を採用している中央銀行(ほそかわ註 諸外国のそれ)の金融政策と同じ水準まで高まるであろう。そうなって初めて、日銀の金融政策は国民に信頼され、その国民の信頼が日銀の金融政策の有効性を高めるという好循環が生まれると期待される」と。

 次回に続く。

人権37~権利の要素:能力と意思

2013-03-17 14:20:20 | 人権
●権利に係る基礎概念

 続いて、権利に係る基礎概念を明らかにしたい。権利については、誰が(主体)、誰に対して(対象)、何を(内容)、どうする(行使)、そしてどうなる(効果)という点を明確にすることが必要である。
 権利には主体と対象がある。主体は権利を所有し行使する者である。対象は、権利を行使する相手である。権利の内容は「~できること」「~してよいこと」である。意思と意思が合成された内容が、権利の内容である。権利の主体は、個人または集団である。対人的権利、対物的権利の違いにかかわらず、権利の対象は他の個人または集団である。対人的権利は「人⇔人」、対物的権利は「人⇔物⇔人」という関係になるが、いずれも人と人の関係である。
 主体と対象は相互に主体となり、対象となる。これを主体と対象の相互性と呼ぶ。主体かつ対象である人と人の間には、相互関係がある。権利に係る主体―対象の相互関係を権利関係と呼ぶ。この関係は、時間的過程的に動態をとらえれば、相互作用である。なお、本稿において主体と呼ぶものは、歴史的文化的な社会を生きる共同主観的・間主体的な認識・実践の主体を意味する。
 権利の作用は、主体の行為による。主体―対象は、権利関係において、相互的に行為を行う。行為は意思の活動による能力の発揮であり、権力の行使またはこれへの対応である。権利に係る行為は、主体―対象の双方に効果を生む。この行為による権利の行使・対応及びその効果を、作用と呼ぶ。権利の作用は、主体―対象の相互関係における相互的な作用である。こうした権利の相互作用を力の観念でとらえたものが、権力である。権力は意思を現実化する能力であり、他者の行為に対する強制力である。特に強制力を中心として権利の作用をとらえて、権力と呼んでいるのである。

●権利の要素① 能力

 私は、西洋文明の中で発達した権利の概念には、六つの要素があると考える。列挙的な提示だが、①能力、②意思、③正当性、④利益、⑤法、⑥強制力の六つである。英語で言えば、能力(ability)、意思(mind)、正当性(rightness)、利益(interests)、法(law)、強制力(force)である。
 これらの要素を用いて権利を定義するならば、権利とは個人または集団の意思に基づく能力の発揮が相互に承認され、正当性を持ったものである。権利は保有者に利益をもたらし、法によって制度化されることがあり、しばしば強制力に裏付けられる。なお、権利と深い関係のある権力とは、こうした権利の主体―対象間の相互作用を力の観念でとらえたものである。権力については、次章で詳しく述べる。ここでは、権利の六つの要素に項目別に述べたい。
権利の第1の要素は、何かをすること、またはしないことができる能力である。ここで能力とは、実際に他者に対して何らかの影響もしくは効果を及ぼす可能性または資格である。能力を働かせ、他者に対して何らかの影響もしくは効果を及ぼすことを、能力の行使という。
 人間は生命ある存在である。人間の能力は、生物としての生きる力に基づく。生活・生存・繁栄のための生物的な能力が、権利の根底にある第1次的な能力である。次に、人間に共通するのは、人間は単なる生物ではなく、知恵と自由を持つ存在であることである。そして、権利とは、知恵と自由に基づく精神的な能力である。知恵を発揮し、自由に判断・行動する能力が、権利の根底にある第2次的な能力である。権利は、こうした生命と知恵と自由の働きに基づいて、何かをする、またはしないことのできる能力である。
 何かをする、またはしないという判断・行動は、意思の発動である。それゆえ、能力としての権利は、意思の発動である。能力を行使する対象は、人や物である。対象に向かって能力を行使するとき、他者もまたその能力を行使する場合、互いの対象が重なり合い、利益が対立することが起こる。そこに意思の交通が必要になる。ここに権利の第1の要素である能力と、第2の要素である意思との関係が出てくる。
なお、能力という点から見ると、個人または集団の能力を、後に述べる要素である正当性や承認に重点を置いてとらえたものが権利であり、また別の要素である強制性に重点を置いてとらえたものが権力と言える。

●権利の要素② 意思

 権利は、意思の発動による能力の行使である。意思の発動としての権利は、自由との関係で考えねばならない。自由とは自由な状態であり、また自由な状態への権利である。自由権は自己決定の自由に関する権利である。これは能力の行使について自らの意思を自由に決定する自己決定権である。
 ミルは、『自由論』で自由について、次のように述べていた。「その名に値する唯一の自由は、われわれが他人から彼らの幸福を奪おうとしたり、幸福を得ようとしたりする彼らの努力の邪魔をせぬ限り、われわれ自身の幸福をわれわれ自身の仕方で追求する自由である」と。ここで、自由とは、自由への権利の意味であり、ミルの定義における自由を権利に置き換えることができる。すなわち、「その名に値する唯一の権利は、われわれが他人から彼らの幸福を奪おうとしたり、幸福を得ようとしたりする彼らの努力の邪魔をせぬ限り、われわれ自身の幸福をわれわれ自身の仕方で追求する権利である」と言い換えられる。
 自由はそれが他の人々によって認められ、社会的に保障されたときに権利となる。人は自由に何かをする能力があるからといって、何をしてもよいということにはならない。意思の発動による能力の行使は、他者に不利益をもたらす場合がある。生命・身体・財産・貞操・信仰への侵害等であり、殺人・虐待・略奪・強姦・涜聖等である。たとえば人を殺したいと意思する自由はあっても、思い通りに人を殺す権利はない。個人の自由は、他者から承認され、社会的に公認された範囲での自由である。無法・無規範の状態は自由ではなく、単なる混乱である。法が個人の自由を保障するということは、自由はもともと一定の社会的な制限の枠内でのみ成り立つものであることを示している。そして、何の制約もない絶対的自由は、現実の社会では存在しない。これと同様に個人の意思は、他者から承認され、社会的に公認された範囲でのみ権利となる。
 権利の行使には、自らの意思の表示が必要である。だが、誰かが何かを権利だと主張すれば権利になるというものではない。自他双方の主張によって、意思の交通がなされ、合意・拒否、対立・闘争が生じる。対立・闘争の状態においては、能力行使の主張は権利に至っていない。能力行使の主張は、他者の承認を受けねばならない。この点が、権利の第3の要素である正当性と関係してくる。

 次回に続く。

デフレ脱却の経済学8~岩田規久男氏

2013-03-16 08:53:43 | 経済
 連載のはじめに7回の予定と書きましたが、全12回となりそうです。
 日銀総裁の人事は、政府が提案し、国会の同意を得ねばなりませんが、14日の衆院本会議、15日の参院本会議で、総裁に黒田東彦氏、副総裁に岩田規久男氏と中曽宏氏を起用する人事案が可決されました。政府の任命を経て、20日に日銀の新体制がスタートします。本稿が紹介する岩田氏は、日銀新体制においてデフレ脱却の理論的支柱となり、また改革の旗手となるでしょう。私は、岩田氏の副総裁就任を歓迎するとともに、黒田・岩田・中曽のデフレ・ファイターズが安倍内閣と連携して活躍することを期待します。

●金融政策と財政政策の組み合わせが必要

 平成20年(2008)9月15日、アメリカでリーマン・ショックが起こった。前年のサブプライム・ローンの破綻に続く、米国大手投資会社の倒産は、1929年の世界大恐慌以後最大の世界的な経済危機をもたらした。米国は大胆な金融緩和を行うとともに、積極的な財政出動を行った。
 岩田氏は、翌21年(2009)に『世界同時不況』(ちくま新書)を出した。この書は、リーマン・ショック後の世界同時不況を、世界大恐慌、昭和恐慌、平成不況の歴史と比較し、世界及び日本がこの不況からどのようにすれば脱出できるかについて提言したものである。本稿では、わが国に限り、また金融政策と財政政策の組み合わせに絞って紹介する。
 岩田氏は、「1933年3月以降のアメリカの不況対策も昭和恐慌期の高橋財政も、金融政策と財政政策の組み合わせであった」と言う。「33年以降のアメリカの場合は、政府が財政支出を増やす一方で、FRBは市場から国債を買い取ることによって、新たに貨幣を供給した」「高橋財政の場合は、政府が発行する国債を日銀に引き受けさせ、政府は日銀から支払われた国債購入代金で、財政支出をまかなった。このようにして、財政支出とともに、市場に貨幣が供給されたのである」と。
 そして、世界大不況から日本が一日も早く脱出するために、岩田氏は量的緩和政策の実行が必要だと説く。わが国が取るべき金融政策と財政政策の組み合わせについては、「日銀の国債買いオペが財政支出政策や減税政策に伴えば、仮に、財政支出拡大政策や減税の需要創出効果が小さくても、貨幣供給量の増大子かが期待できる。しかも、いったん供給された貨幣は日銀が売りオペで吸収しない限り、市場に残って効果を発揮し続ける。この長期的・持続的な効果があるという点で、金融政策は短期的な効果しか持たない財政政策よりも不況脱出に有効なのである」と説く。
 金融政策については、本書でも「政府は日銀法を改正して、インフレ目標を設定すべきである」と持論を繰り返す。注目したいのは、財政政策への言及である。というのは、本書で岩田氏は、「財政政策を実施する場合は、金融緩和政策が伴わなければ効果がない」としながら、財政政策について、氏としてはかなり肯定的な見解を述べているからである。すなわち、平成21年(2009)3月当時、「麻生政権が実施しようとしている、非正規社員の雇用保険の適用基準の緩和などの雇用対策は、緊急避難のセーフティ・ネット対策としては妥当であり、早急な実施が望まれる。公共投資もなんでも効果がないというわけではなく、東京圏の渋滞解消などの道路建設や羽田空港の機能強化のための投資などは、不況対策としてだけでなく、日本経済の生産性を高めるためにも有効であろう」「減税も一時的なものでなく、かつ、対象を中低所得者以下に限定すれば、景気浮揚効果がある。しかし、減税は場当たり的なものでなく、中長期的な視点から実施すべきである」と、岩田氏は述べている。これは、当時、米国が大胆な金融緩和を行うとともに、積極的な財政出動を実施して効果を上げているのを目の当たりにしたからだろう。
 その後も、岩田氏に一貫しているのは、わが国はまずデフレを脱却しなければいけない、デフレ脱却には金融政策こそ効果的、インフレ目標政策を採用せよ、という主張である。近年の著書『日本銀行は信用できるか』(21年)『デフレと超円高』『ユーロ危機と超円高恐慌』(以上、23年)『インフレとデフレ』(註 第10章)『日本銀行 デフレの番人』(以上、24年)等でも、繰り返し金融政策によるデフレ脱却・超円高是正策を提示している。その一方、財政政策については、ほとんど言及がない。これは、岩田氏の経済学者としての姿勢と国家観によるものではないかと私は思う。経済学者としての姿勢というのは、経済学を経済学として専門化させる姿勢であり、政治経済学という本来の総合性の回復を目指す姿勢ではないことである。国家観というのは、この個別科学的な経済学の観点からの国家観であり、国家論なき国家観である。
 平成18年(2006)に、岩田氏は『「小さな政府」を問い直す』(ちくま新書)を出した。岩田氏は、基本的に「小さな政府」を志向している。この点では、新古典派経済学やフリードマンの流れをくむ新自由主義の経済理論に賛同している。ケインズ主義的な福祉国家は、政府を肥大化させるとともに、インフレと高失業率によるスタグフレーションを引き起こすとし、マクロ経済安定化政策の下での構造改革の必要性を説く。市場における競争という経済的自由を確保し、政府の役割をできるだけ小さくすることで、人々の勤労意欲を高めつつ国民所得を向上させるという方向性を示している。これは、岩田氏が戦後日本の高度成長は省庁の産業政策がもたらしたものではなく、自由な市場の競争が成長の原動力になっていたと見ていることによる。先の方向性を示した上で、岩田氏は、「低所得者の所得も増加するが、それ以上に中所得者以上の所得が増加することによって拡大する所得格差」を許容し、格差問題については「機会の平等」の確保を求め、その観点から教育切符制度、公的な能力開発支援等は有効であるとする。また、ここでもインフレ率2%を目指す金融政策の重要性を繰り返している。
 だが、私は、インフレの時は「小さな政府」を目指すべきだが、デフレの時は「大きな政府」でいくしかないと思う。デフレ脱却と「小さな政府」を同時に追求するのは、無理がある。デフレを脱却するためには、積極的な財政出動を行い、その資金を大胆な金融緩和で調達する。その際、成長を期待できる分野への重点的な資源配分やイノベーションを促進する産業政策を行って、新たな雇用を生み出しながら、経済成長を目指す。デフレを脱却でき、2~3%のインフレに安定すれば、民間に任せられることは、民間に任せる。歳出を削減し、金融を引き締め、適度なインフレを持続しながら、経済成長を続ける。財政の規模や公務員の人数は、経済状況に応じて、調整すべきものと考える。
 新古典派・新自由主義の「小さな政府」志向は、市場原理主義の考え方である。資本の論理であって、国家(ネイション)の論理ではない。だが、国防、防災、教育、社会保障、環境保全、エネルギー開発等、中央政府が国家の発展のために、ビジョン・構想・計画を打ち出し、取り組むべき課題は多くある。新自由主義・市場原理主義を生んだ米国は、絶対核家族が主たる社会であり、個人主義的な傾向が強い。これと、直系家族が主で共同体重視の傾向を保つ日本は、国民の価値観が基本的に違う。単に経済的な価値の実現を追求するだけでなく、国家の独立と主権、国民の生命と財産を守り、共同体の文化的価値・精神的な価値の実現を図るところに、政府の役割があると私は考える。
 岩田氏は、政治経済学という経済学が本来持っていた総合性の回復を目指す学者ではなく、また個別科学的専門的な視野に限られた国家論なき国家観しか持っていないようである。この点、例えば「国家のグランド・デザイン」を説くエコノミストで国政を志す三橋貴明氏などとは、対照的である。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「デフレを脱却し、新しい文明へ~三橋貴明氏」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13f.htm

■追記
 本項を含む拙稿「デフレ脱却の経済学~岩田規久男氏」は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13s.htm

デフレ脱却の経済学7~岩田規久男氏

2013-03-15 15:00:41 | 経済
●マクロ経済安定化のための金融政策を提唱

 岩田氏は『デフレの経済学』で、昭和恐慌期の高橋是清の財政金融政策を、1990年代からのデフレ脱却のために学ぶべきものと書いた。その一方、デフレ脱却のための財政政策について、効果はかなり限定的なものと見ていた。民間投資が増加するまでの「つなぎの効果」しかなく、財政支出を止めればもとに戻るとした。だが、平成16年(2004)に岩田氏が編著者として刊行した『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)では、高橋是清の脱デフレ政策への理解をさらに深めた。そして、リーマン・ショック後の米国の積極的財政出動を目の当たりにした21年(2009)の著書『世界同時不況』(ちくま新書)では、「1933年3月以降のアメリカの不況対策も昭和恐慌期の高橋財政も、金融政策と財政政策の組み合わせであった」と結論づけている。
 ここで岩田氏の経済理論・経済政策における金融政策と財政政策の組み合わせについて、詳しく見ておこう。
 岩田氏は、『昭和恐慌の研究』刊行の翌年、平成17年(2005)に出した『日本経済を学ぶ』(ちくま新書)で、金融政策・財政政策・構造改革の関係について述べている。
 物価や雇用が安定し、国内総生産が安定的に成長することを、マクロ経済が安定するという。岩田氏は、本書で、「デフレ下で、政府が財政支出の大幅カットや増税によって、本格的に財政構造改革を進めれば一層のデフレになり、失業率も大きく上昇して、マクロ経済は不安定になります。さらに、所得や消費の減少のため、かえって所得税や消費税などの税収が大きく落ち込んでしまい、財政構造改革自体が失敗するでしょう。97年(ほそかわ註 平成7年〔1997〕)の橋本内閣の財政構造改革(消費増税など)の失敗はその典型的な例です」と言う。この見方は、私の認識と一致する。
 岩田氏は、小泉内閣の構造改革について、「市場の競争を維持・促進するような構造改革は生産性と成長率を高めるための重要な経済政策」だとして、郵貯・簡保の民営化についても基本的に賛同の意見を述べた。米国の圧力による郵政民営化の危険性を警告してきた私は、この点については、岩田氏のとらえ方は浅いと思う。
 それはともあれ、岩田氏の主張のポイントは、「デフレを放置したまま構造改革を実施しても、物価や雇用の安定的な経済成長には結実しない可能性が大きい」という点にある。英国病の原因は、生産性向上を妨げる労使関係や教育制度及び非効率的な国有企業の存在など、供給サイドにあった。岩田氏は、「それに対して、平成の長期経済停滞の原因はデフレを伴った需要不足にあり、供給サイドにはありません。この場合に優先すべき政策は需要不足を解消するマクロ経済安定化政策です」と説く。そして、「マクロ経済を安定させる政策は、構造改革などの供給サイドの政策ではなく、需要サイドに働きかける政策です」「マクロ経済が安定してはじめて、構造改革も成功するでしょう」と述べた。
 岩田氏は、次のように続ける。マクロ経済の安定化政策には、財政政策と金融政策がある。前者は政府の、後者は日銀の担当である。財政政策には財政支出政策と減税政策がある。だが、財政支出は、それが増加している間は需要不足を補うことができるが、財政支出の増加自体には民需を持続的に拡大させる力がないため、民需へのバトンタッチがうまくいかない。また減税は、所得減税が消費増税で相殺されたりしたし、法人税や設備投資税等の減税もデフレ不況を克服する効果は限定的であったりする。そこで実施すべき政策は、金融政策であると岩田氏は主張する。また、「競争を促進する構造改革や公取の競争政策とマクロ経済安定化政策を組み合わせることの重要性」を強調する。
 このように岩田氏は、平成17年(2005)の『日本経済を学ぶ』で金融政策・財政政策・構造改革の関係を述べ、デフレ脱却に金融政策が有効であることを力説する一方、財政政策の限界を指摘し、競争促進の構造改革は必要だが、マクロ経済が安定してはじめて成功するものだと説いた。

 次回に続く。

デフレ脱却の経済学6~岩田規久男氏

2013-03-14 09:27:04 | 経済
●デフレ脱却の経済理論・経済政策(続き)

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6 インフレ・ターゲット付き長期国債買い切りオペ増額政策は、当初は銀行の貸出の増加を通ずる経路よりも、債券や株式や外貨建て資産といった資産の価格上昇を通じて、デフレ阻止の効果を発揮するであろう。これにより、総需要が拡大して、デフレが収束するにつれて、銀行の貸出も増加に転じ、やがて、インフレ期待が発生するであろう。しかし、経済が潜在成長経路に乗って、完全雇用が達成されないかぎり、名目金利は期待インフレ率ほどには上昇しないため、期待実質金利は低下する。それにより、経済は潜在成長経路に向かって拡大し続けるであろう。

7 デフレ阻止は日本経済が再生するための必要条件であるが、潜在成長率を高める政策ではない。財政構造改革や健康保険・公的年金などの福祉政策の安定化、さらに、少子・高齢化による労働力不足などの問題を解決するためには、長期的には、全体の生産性を高める構造改革を進めて、資本、労働、土地などの資源を低生産部門から高生産部門へと移動させる必要がある。しかし、デフレが続くかぎりは、財政構造改革などのデフレ圧力をともなうものは慎重に進めるべきで、規制緩和などによって需要創出につながる構造改革を優先すべきである。
 構造改革は、民間でやれることは民間にまかせ、政府の仕事を民間ではやれないことに限定するという原則にしたがって進めるべきである。この原則からは、構造改革のなかでまず優先すべきは規制改革と行政改革である。それに対して、政府がリーディング産業や今後、需要が増えると思われる産業(たとえば福祉部門)を指定して補助金や税の優遇措置を与えるべきだという考えがある。しかし、この種の従来型の産業政策は、右の原則からは避けるべきである。産業の育成における政府の役割は、参入障壁のような成長を阻害している規制等を撤廃したり、公正な競争ルールを設定することである。

8 政府の長期債務残高がGDPの130%程度にも達している現在、長期的に見て財政構造改革は不可欠である。しかし、デフレ経済では、財政構造改革は一挙に進めるべきでなく、まず、①歳出の中身を検討してむだなものを省いて、需要創出効果の大きな支出を増やし、②デフレが解消した時点で歳出の削減に踏み切り、③さらに経済が安定的に成長する段階に入ったのを見きわめて増税する、という三段階アプローチをとるべきである。

9 不良債権問題について第一に実施すべき政策は、デフレを阻止することによって、不良債権が発生する元を断つことである。すでに発生してしまった不良債権については、金融庁が実態に合った資産査定をすることによって、銀行が引当金の適切な繰入れ、適切な最終処理、自己資本の増強などを積極的に進めるよう、強い動機付けを与えるべきである。そのうえで、最終処理するとしてどのような方法をとるかは銀行にまかせるべきである。
 ペイ・オフの一部解禁を6カ月後(2001年秋現在)に控えて、不良債権の適正な処理が遅れ、過小資本に陥る銀行は、市場の淘汰のメカニズムにさらされるであろう。不良債権はそうした市場の規律が機能する下で、銀行の自己責任において処理されるべきである。また、政府が優先株の取得により銀行に資本を注入し、その対価として配当を求めたり、経営健全計画の名の下に中小企業貸出の増加を求めたりすることは、不良債権の発生を抑制し、自己資本の増強を図ることによって、銀行経営を健全化させるという資本注入の目的と矛盾する。したがって、資本注入行に優先株配当と中小企業貸出の増加を求めることはやめるべきである。

10 銀行に対する市場の規律が働くなかで、自己資本比率が著しく低下する銀行が続出して、システミック・リスクが顕在することが予想されるような事態が発生した場合には、政府は銀行に公的資金を注入することを躊躇すべきではない。
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 以上が、岩田規久男氏自身による『デフレの経済学』の要約である。平成13年時点のものだが、デフレ脱却を最優先、インフレ目標、金融緩和、長期国債の買い切りオペを行うこと。また第一に無駄の削減と重点的支出、第二にデフレ脱却後に歳出削減、第三に増税は安定的な成長に入ってから、という3段階アプローチとすること。こうした政策は、今日もデフレ下にある日本において、適切妥当な政策と私は考える。一方、要約の7~8にある「需要創出につながる構造改革」については、そのような改革をあえて構造改革と呼ばなくてよいと思う。総需要拡大政策を、インフレ目標のもと大胆な金融緩和を行いながら実行すればよいからである。
 岩田氏は『デフレの経済学』での上記要約の見解を、以後一部修正したり、発展させたりして、今日に至っている。この間、岩田氏はデフレ脱却の経済学を説き続けてきた。氏は“最もタフなデフレ・ファイター”と言えよう。

 次回に続く。