ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

安保法案を44カ国以上が支持

2015-08-31 08:53:43 | 時事
 平和安全法制整備法案に対して、反対派は「戦争法案」というレッテルを貼り、戦争に巻き込まれると主張しているが、これは、大きな誤りである。集団的自衛権の行使容認による日米同盟の強化は、中国・北朝鮮等の侵攻による戦争を防ぐ抑止力を高める。逆に、現在の欠陥だらけの法制では、その隙を突かれて、中国による尖閣諸島・沖縄・新潟・佐渡への侵攻等を許すおそれがある。
 安保法案を非難しているのは、中韓等、ごく一部の国のみである。米欧、アジアの各国が次々と支持を表明しており、支持・賛同する国は、44カ国以上となっている。アジアでもベトナムやカンボジアなどが高く評価し、ラオスやミャンマー、フィリピンも支持している。日本が戦争を起こすための法案なら、こうした国々が賛成するはずがない。
 憲法学者の多くが安保法案は「違憲」だと言っているが、戦後間もない時期の鳩山一郎・岸信介が首相だった時には、わが国は集団的自衛権を行使できるというのが政府見解だった。その後、政府の解釈が変わったのを、元に戻そうというのが、安倍内閣の姿勢である。憲法解釈を決めるのは学者ではない。最高裁判所である。最高裁は砂川判決でわが国は主権国家として、個別的自衛権にとどまらない「固有の自衛権」を持つという判断を示している。憲法学者には左翼的な考えの者が多い。そういう学者のいうことに従っていたら、憲法守って国滅ぶということになる。
 自衛隊の海外派遣が際限なく広がりかねないという不安から反対している人もいるだろう。国際平和支援活動は、例外なく国会の事前承認が必要としている。集団的自衛権の行使や重要影響事態への対処も、原則的に事前承認を必要とする。緊急時の対応であれば、例外的に事後承認も可とするが、その場合、国会が承認しなければ、撤退命令が出される。
 安保法制の整備は、起こり得る事態に対処するための選択肢を広げるものである。そのうえで、実際にどう対処するかは、政治の判断である。主権と独立、国民の生命と財産を守るため、国益を第一とした判断がされねばならない。
 集団的自衛権の行使、自衛隊の海外派遣は、国会の承認を必要とする。国会の承認とは、最終的には国民の意思によるということである。ますます厳しくなっている国際環境において、日本人は、安全保障の問題を避けて通れない。政治家がレベルアップしなければならない。国民もレベルアップしなければならない。ただ平和を祈っていれば、平和が守られるのではない。国民が自ら国を守るという意思を欠き、そのための取り組みもしない国民は、他国に支配され、滅びの道をたどるだろう。
 以下は関連する報道記事。

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●産経新聞 平成27年8月20日

http://www.sankei.com/politics/news/150820/plt1508200003-n1.html

2015.8.20 05:00更新
安保法案44カ国が支持 政府資料、欧米・アジア主要国が賛同

 安倍晋三政権が今国会の成立を目指す集団的自衛権の限定的行使を容認する安全保障関連法案について、支持する国が44カ国に上ることが19日、明らかになった。首脳会談や外相協議で米欧、アジアの各国が次々と支持を表明し、積極的平和主義を掲げる日本の国際貢献への取り組みを評価している。国会審議では一部野党が「戦争法案」などと批判を強めているが、世界の見方とは異なるようだ。



 政府がまとめた資料によると、5月に安保関連法案を閣議決定して以降、法案と積極的平和主義に対し、20カ国が支持を表明した。さらに欧州連合(28カ国)が日EU首脳協議で支持と賛同を表明。東南アジア諸国連合(10カ国)も日ASEAN外相会議での議長声明に「日本の現在の取り組みを歓迎」と明記した。
 同盟国の米国は閣議決定した当日に国務省が支持を表明。6月の日独首脳会談では、安倍首相が法案を説明した際、メルケル首相が「国際社会の平和に積極的に貢献していこうとする姿勢を百パーセント支持する」と評価した。英仏やイタリア、クロアチアなどからも支持を得た。
 アジアでもベトナムやカンボジアなどが高く評価。ラオスやミャンマーも支持している。6月に来日したフィリピンのアキノ大統領は国会演説で「国会での審議に強い尊敬の念をもって注目している」と述べた。
 安倍首相は、安保関連法案を審議中の参院平和安全法制特別委員会で「戦争に苦しんだベトナム、カンボジア、フィリピンも法案を強く支持している。ほとんどの国が支持や理解を示しており、『戦争法案』ではない」と強調していた。米国防総省筋は「安保関連法案は世界から見れば常識的な取り組みだ」と指摘している。
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関連掲示
・拙稿「安全保障関連法制の整備を急げ」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08p.htm
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人権194~民衆を扇動したシェイエスは独裁者にも仕えた

2015-08-30 10:33:17 | 人権
●民衆を扇動しながら独裁者にも仕えたシェイエス

 シェイエスは、神父だった。ルソーの影響を受けていた。フリーメイソンのロッジ「九人姉妹」に所属していた。ルイ16世が1789年に三部会を召集したとき、会議は議決方法をめぐって紛糾した。シェイエスは『第三身分とは何か』(1789年)を著し、「第三身分はこれまで無であったが、これからは権力を持つべきだ」と訴えた。
 シェイエスの言う国民は、第三身分のみを意味した。第一身分・第二身分は国民ではないとし、国民から除外した。国家の政治権力は第三身分のみに属すべきであると説いた。それゆえ、国民主権を説いても、国民全体の主権ではなく、第三身分による主権の奪取と独占を説くものである。シェイエスに呼応した第三身分は、独自に国民議会を結成した。マルクス=レーニン主義は、労働者階級によるプロレタリアート独裁を標榜したが、シェイエスは国民主権の名のもとに、第三身分という集団による独裁を煽動したのである。
 国民議会が発した人権宣言は、第3条に「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。いずれの団体、いずれの個人も、国民から明示的に発するものでない権威を行い得ない」と定めた。ここに明確に国民主権の原理が提示された。
 国民主権の原理は、シェイエスの思想に負うところが大きい。シェイエスは、国民主権の原理を次のように述べた。「国民(nation)はすべてに優先して存在し、あらゆるものの源泉である」「その意思は常に合法であり、その意思こそ法そのものである」「国民がたとえどんな意思をもっても、国民が欲するということだけで十分なのだ。そのあらゆる形式はすべて善く、その意思は常に至上至高の法である」と。
 これは明らかにルソーの論理を踏襲している。ただし、国民主権は、ルソーの人民主権と同じではない。人権宣言における主権者は、第三身分という集団であって、国民全体ではない。国王・貴族・聖職者は「国民」ではなく、よって主権者ではないという論理である。「国民」を自称する一部の集団が、権力を掌握したものである。そしてシェイエスは、国民すなわち第三身分の民衆を神のごときものへと理想化している。こういう理想化のもとで、国民主権の考え方が生まれ、国民主権を標榜する政府が誕生したのである。
 16世紀のボダンは、主権論で、「主権的支配者」である君主の上に立つ「世界中のすべての支配者に対する絶対的支配者」である神の存在を強調した。絶対君主は自らの自由意志に基づいて「法律」を作ることはできても、神法・自然法に合致しないものは、法律としての有効性を持たないとした。ところが、シェイエスの国民主権論は、主権者を君主から第三身分に置き換えるだけでなく、第三身分の意思は「常に至上至高の法である」として、もはや規制するものが、なくなっている。
 ルソーの一般意志は、人民全体が主権者であるときの、その人民全体の意思の意味である。ルソーは、一般意志は、常に公の利益を目指すものとし、一般意志に導かれる「主権者」の行為は、「すべての国民のための政治」を実現するものとした。ただし、ルソーは、一般意志が常に正しいと言えるには、「公衆の啓蒙」が不可欠だと主張した。正しい政治的決断を行うには、理性の働きが必要である。集団の一人一人が、自らの意思を理性に一致させるようにすることによって、はじめて一般意志を論じ得るとした。シェイエスは、ルソーの一般意志を自分の「共同意思」という概念に取り入れた。だが、各人が「その意志を理性と一致させる」というルソーの考えを排除した。「公衆の啓蒙」や各自の道徳的な努力もなしに、民衆が欲するものは、すべて善く、常に正しいとしてしまう。ルソーは、一般意志を実現するには「神のような立法者」が必要だとし、民主政について「これほど完璧な政体は人間には適さない」と説いた。しかし、シェイエスはありのままの民衆を神格化した。
 シェイエスは、ジロンド派に属していた。1789年の人権宣言を改定した93年のジロンド権利宣言の起草に当たった。ジロンド宣言は、第25条に「人権の社会的保障は、国民主権の上に基礎を置くものである」、第27条に「主権は、本質的に人民全体に存し、各の市民は、その行使に協力する平等の権利を有する」と盛り込んだ。ジロンド派は、ロベスピエールらのモンターニュ派によって、国民公会から追放・粛清された。シェイエスは、ギロチンを免れたが、幾人ものが断頭台の露と消えた。民衆は、公開処刑に喝さいを送った。
 ロベスピエールは、国民主権ではなく、人民主権を打ち出した。ルソーを信奉し、ルソーの一般意志論をシェイエスよりも徹底した。人民は people である。モンターニュ派憲法における権利宣言では、第25条に「主権は人民に存する。それは単一かつ不可分であり、消滅することがなく、かつ譲渡することができない」と定めた。主権は単一かつ不可分、譲渡不能というのは、その現れである。先に指摘したように、人民主権論では、主権を掌握した権力者は、人民の名において独裁を行うことができる。ロベスピエールは、恐怖政治を行った。人民主権論は、個人独裁の理論に転じ得る。この「人民」を「労働者階級」や「被抑圧人民」に置き換えれば、レーニンや毛沢東が出現する。
 シェイエスは、恐怖政治を生き延びた。1795年に穏健派によって総裁政府が出来ると総裁に指名された。ナポレオンと結んでクーデタを起こして統領政府を樹立すると、統領の一人となった。統領政府のもとで行った国民投票で、国民はナポレオンを終身の第一統領に選んだ。シェイエスは敗退した。国民は、さらにナポレオンを皇帝に選んだ。賛成357万余票、反対わずか2579票。シェイエスは、国民の意思は「常に至上至高の法」だとしたが、国民は選挙によって権利・権力を託した独裁者を、皇帝の座に就かせた。民衆を神格化したシェイエスは、集団の心理のダイナミズムを全く予測することができなかった。
 ロベスピエールとナポレオンは、革命の激動の中で命運尽きた。だが、シェイエスは、革命の初期から王政復古・七月革命の後まで生き延びた。このような人物の説いた国民主権や人権を無批判に受け継いではならない。

 次回に続く。
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米中冷戦時代の幕開け~石平氏

2015-08-29 08:52:50 | 国際関係
 中国発の世界同時株安が起こっている。リーマン・ショック以上のものになる可能性がある。リーマン・ショックの時と比べて、国際情勢が変わっているのは、ロシアがクリミアを併合したことで、米欧と対立関係が生じていること。また中国が南シナ海で岩礁埋め立てによる軍事基地建設を進め、米中に緊張が高まっていること。特に本稿では後者に、注目したい。経済の問題は、安全保障の問題と合わせて考える必要があるからである。
 シナ系日本人の評論家・石平氏は、最近の米中関係を「米中冷戦時代の幕開け」ととらえている。そうした状況が、今回のチャイナ・ショックへの国際的な対応における新たな環境となっている。
 冷戦(the Cold War)とは、第2次世界大戦後の米ソ関係を表した言葉で、砲火は交えないが戦争を思わせるような国際関係の厳しい対立抗争の状況を言う。米ソ冷戦の時代は、二大超大国が核兵器を持ったことで、核による恐怖の均衡状況が生まれた。米ソは全面的な直接対決を避けつつ、一種の代理戦争ともいえる地域紛争を各地で繰り広げた。
 本年4月以降、米中関係は、かつての米ソ関係のような厳しい対立抗争関係となってきた。中国は、軍事的には東シナ海で一方的に防空識別圏を設定し、南シナ海で岩礁を埋め立て軍事基地の建設を進めている。また経済的には、AIIBの設立で日米主導のアジア経済秩序を打ち壊し、中国によるアジアの経済支配を確立しようとしている。こうした中国に対し、米国は日米同盟の強化やTPP経済圏の推進を行っている。石氏は、これらは習近平が進めている戦略に対する「対抗手段の意味合いを持っている」と見る。米中とも一歩も譲らぬ構えである。石氏は「このままでは米中冷戦の本格化は避けられない。対立はますます激しくなる可能性もある」と言う。
 石氏によれば、習近平政権は「トウ小平氏の老獪な『韜光養晦(とうこうようかい)戦略(能力を隠して力を蓄える)』から踏み外し」て暴走している。「アメリカとの対決を性急に早まった習政権の暴走は結局、中国を破滅の道へと導き始めることとなろう。あるいはそれこそがアメリカが望むシナリオかもしれない」と石氏は見る。この見方において、石氏は、中国経済の危機的状況を指摘する。
 「ただでさえ中国経済が衰退し国の財政が悪くなっていく中で急速な軍備拡大は当然国の財政を圧迫して経済成長の足を引っ張ることとなろう。しかも、アメリカとの政治的・軍事的対立が長期化してゆくと、中国の重要な貿易相手国でもある日米両国との経済関係に悪い影響を与えることは必至である。米中抗争の激化によってアジア全体が不安定な地域となれば、中国が次の成長戦略として進めている『AIIB(アジアインフラ投資銀行)経済圏』の構築もうまくいくはずがない。そうすると、中国経済の行く末は暗澹(あんたん)たるものとなっていくだろう。経済がさらに傾いて国内の社会的不安が高まってくると、独裁政権の常として、国民の視線をそらすためにいっそうの対外強硬路線に走るしかない。それがまた米中関係のさらなる悪化を招き、アジアを不安定な状態に陥れ、中国経済をより沈没させてしまう」というのが、石氏の指摘である。
 この石氏の発言は、6月4日の記事におけるものである。そのわずか1週間ほど後の6月12日以降、中国の株バブルが破裂した。8月11日から中国政府がなりふり構わず人民元の切り下げをすると、市場に不安が広がり、中国発の世界同時株安が起こっている。中国政府が打つ対応策は、ほとんど効果が見られず、習政権の威信は低下している。
 ソ連の場合は、冷戦の下の軍事的・経済的な競争において、米国に敗れた。その結果、ソ連は核兵器を使用した侵攻戦争を行うことなく、連邦の解体に至った。中国共産党指導部は、このソ連の例をよく研究しているだろう。私は、中国経済が本格的な危機に陥ってきた今日において、米中冷戦は単なる冷戦にとどまらずに、限定的・地域的な戦争に至る可能性があると考える。その舞台に、南シナ海また東シナ海は、なり得る。だからこそ、わが国は安保法制の整備、さらには憲法改正によって戦争抑止力を高め、中国の冒険主義的な行動を抑止しなければならないと考える。
 以下は、石氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成27年5月21日

http://www.sankei.com/column/news/150521/clm1505210008-n1.html
2015.5.21 12:29更新
【石平のChina Watch】
習近平氏が招いた「米中冷戦」

 先月末から今月中旬までの、日米中露の4カ国による一連の外交上の動きは、アジア太平洋地域における「新しい冷戦時代」の幕開けを予感させるものとなった。
 まず注目すべきなのは、先月26日からの安倍晋三首相の米国訪問である。この訪問において、自衛隊と米軍との軍事連携の全面強化を意味する「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の歴史的再改定が実現し、日米主導のアジア太平洋経済圏構築を目指す、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の早期締結でも合意した。
 政治、経済、軍事の多方面における日米の一体化は、これで一段と進むこととなろう。オバマ大統領の安倍首相に対する手厚い歓待も日米の親密ぶりを強く印象づけた。両国関係はこれで、文字通りの「希望の同盟関係」が佳境に入った。
 日米関係強化の「裏の立役者」はやはり中国の習近平国家主席である。2012年11月の発足以来、習政権はアジアにおける中国の覇権樹立を目指して本格的に動き出した。13年11月の東シナ海上空での一方的な防空識別圏設定はその第一歩だったが、それ以来、南シナ海の島々での埋め立てや軍事基地の建設を着々と進めるなど、中国はアジアの平和と秩序を根底から脅かすような冒険的行動を次から次へと起こしている。
 習主席はまた、「アジアの安全はアジア人自身が守る」という「アジア新安全観」を唱え、アメリカの軍事的影響力をアジアから締め出す考えを明確にした。そして今春、経済面での「アメリカ追い出し作戦」に取りかかった。アメリカの同盟国、イギリスなどを含む57カ国が創設に参加したAIIB(アジアインフラ投資銀行)設立構想を一気に展開し始めた。
 日米主導のアジア経済秩序を打ち壊し、中国によるアジアの経済支配を確立する戦略であるが、アメリカの経済的ヘゲモニーにまで触手を伸ばすことによって習政権は米国との対立をいっそう深めたことになる。
 ここまで追い詰められると、さすがのオバマ政権も反転攻勢に出た。そうしなければ、アジア太平洋地域におけるアメリカのヘゲモニーが完全に崩壊してしまうからだ。日米同盟の強化はまさにその反転戦略の一環であろう。日米両国による軍事協力体制の強化とTPP経済圏の推進はすべて、「習近平戦略」に対する対抗手段の意味合いを持っている。
 これを受け、習主席は5月初旬に主賓格としてロシアの対独戦勝70周年記念の軍事パレードに参加し、プーチン大統領との親密ぶりを演じてみせる一方、地中海におけるロシア軍との合同軍事演習にも踏み切った。習主席からすれば、日米同盟に対抗するためにはロシアとの「共闘体制」をつくるしかないのだろうが、これによって、かつての冷戦構造を「複製」させてしまった観がある。
 その数日後、米軍は南シナ海での中国の軍事的拡張に対し、戦艦や偵察機を使っての具体的な対抗措置を検討し始めた。ようやくアメリカは本気になってきたようである。ケリー米国務長官は先の訪中で、南シナ海での「妄動」を中止するよう中国指導部に強く求めた。
 それに対し、中国の王毅外相は「中国の決意は揺るぎないものだ」と拒否した一方、習主席は「広い太平洋は米中両国を収容できる空間がある」と応じた。要するに習政権は自らの拡張政策の継続を高らかに宣言しながら、アメリカに対しては太平洋の西側の覇権を中国に明け渡すよう迫ったのである。
 これでアジア太平洋地域における米中の覇権争いはもはや決定的なものとなった。対立構造の鮮明化によって、新たな「米中冷戦」の時代が幕を開けようとしている。

●産経新聞 平成27年6月4日

http://www.sankei.com/column/news/150604/clm1506040007-n1.html
2015.6.4 11:11更新
【石平のChina Watch】
国を破滅へ導く習政権暴走

 先月21日掲載の本欄で「米中冷戦の幕開け」と書いたところ、両国関係は、まさにその通りの展開となった。
 まずは5月20日、中国が南シナ海で岩礁埋め立てを進める現場を偵察した米軍機は中国海軍から8回にわたって退去警告を受け、その衝撃的な映像が米CNNテレビによって公開された。翌日、ラッセル米国務次官補は人工島の周辺への米軍の「警戒・監視活動の継続」を強調し、国防総省のウォーレン報道部長はさらに一歩踏み込んで、中国が主張する人工島の「領海内」への米軍偵察機と艦船の進入を示唆した。
 これに対し、中国外務省は同22日、「言葉を慎め」と猛反発したが、同じ日、バイデン米副大統領は中国の動きを強く批判した上で、「航行の自由のため、米国はたじろぐことなく立ち上がる」と高らかに宣した。そして、それを待っていたかのように、中国は26日に国防白書を公表し、「海上軍事闘争への準備」を訴え、米軍との軍事衝突も辞さぬ姿勢をあらわにした。
 アメリカの方ももちろんひるまない。翌27日、カーター米国防長官が人工島付近で米軍の艦船や航空機の活動を続ける方針を改めて示したのと同時に、「米国は今後数十年間、アジア太平洋の安全保障の主導者であり続ける」と強調したのである。
 この発言と、前述のバイデン副大統領の「立ち上がる発言」とあわせてみると、中国の過度な拡張を封じ込め、アジア太平洋地域における米国伝統のヘゲモニーを守り抜こうとする国家的意思が固まったことは明白である。実際、2020年までに海軍力の6割をアジア地域にもってくるという米軍の既成方針は、まさにそのためにある。
 問題は中国がこれからどう対処するかだ。現在のところ、習政権がアメリカに配慮して譲歩する気配はまったくない。5月31日のアジア安全保障会議でも、中国軍の孫建国副総参謀長は「われわれはいかなる強権にも屈しない」と宣言した。このままでは米中冷戦の本格化は避けられない。対立はますます激しくなる可能性もある。
 しかし中国にとって、今の時点でアメリカと対決ムードに入ることは果たして「吉」なのか。国力が以前より衰えたとはいえ、今のアメリカには依然、中国を圧倒する経済力と軍事力がある。今後、アジアで米国勢と全面対決していくためには、習政権はいっそうの軍備拡大を急がなければならない。4月2日掲載の本欄が指摘しているように、ただでさえ中国経済が衰退し国の財政が悪くなっていく中で急速な軍備拡大は当然国の財政を圧迫して経済成長の足を引っ張ることとなろう。
 しかも、アメリカとの政治的・軍事的対立が長期化してゆくと、中国の重要な貿易相手国でもある日米両国との経済関係に悪い影響を与えることは必至である。米中抗争の激化によってアジア全体が不安定な地域となれば、中国が次の成長戦略として進めている「AIIB(アジアインフラ投資銀行)経済圏」の構築もうまくいくはずがない。
 そうすると、中国経済の行く末は暗澹(あんたん)たるものとなっていくだろう。経済がさらに傾いて国内の社会的不安が高まってくると、独裁政権の常として、国民の視線をそらすためにいっそうの対外強硬路線に走るしかない。それがまた米中関係のさらなる悪化を招き、アジアを不安定な状態に陥れ、中国経済をより沈没させてしまう。
 トウ小平氏の老獪(ろうかい)な「韜光養晦(とうこうようかい)戦略(能力を隠して力を蓄える)」から踏み外し、アメリカとの対決を性急に早まった習政権の暴走は結局、中国を破滅の道へと導き始めることとなろう。あるいはそれこそがアメリカが望むシナリオかもしれない。最後に笑うのはやはり、ワシントンの人々だろうか。
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 文中で言及されている4月2日の石平氏の記事については、拙稿「AIIB創設の中国は、既に土台が崩れ始めている~石平氏」で紹介した。ご参考に願いたい。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/9eda2cfde0035dbb06b33bb1b1ce97c1

関連掲示
・拙稿「安全保障関連法制の整備を急げ」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08p.htm
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人権193~矛盾多きゆえのルソーの影響力

2015-08-28 10:14:41 | 人権
●矛盾多きゆえの影響力

 ルソーの主張には矛盾が多く、ルソーほど解釈や評価の別れる思想家は、珍しい。ルソーは高い理想を説き、読む者の気分を高揚させる。それでいて、その理想がほとんど実現不可能であることを説く。立法者の重要性を強調したうえで、立法者はリュクルゴスのような神的な人物であるべきとする。民主政の素晴らしさを描いておいて、「これほど完璧な政体は人間には適さない」と言う。神的な人物が立法者となり、全国民が神々のように高い徳性を持つ国。それは、政治的な目標というより、宗教的・道徳的な理想である。「神々から成る人民」でもなければ、一般意志に基づく民主政は不可能なのである。そのため、ルソーの理想を吹き込まれて精神が高揚した多くの人は、理想の頂点と現実の深淵の間で、引き裂かれることになる。
 ルソーの社会契約による国家は、家族的結合をもとにした氏族的・部族的共同体のような自然的生命的な集団ではない。族長と成員が生命を共有する共同体であれば、指導者と全員の意思が一致することが考えられる。だが、ルソーが想定するのは、自由で平等な個人が自らの意思で結成した集団である。政治結社であれば、意思の一致する者のみで集団を結成できる。しかし、一定の領域に居住する人々の場合、宗教宗派の違う者や民族の異なる者がいれば、完全な意思の一致は難しい。
 ルソーは、征服・支配による自然状態から社会状態への移行をよく検討していない。移行は内部的な要因だけでなく、外部的要因によっても起こり得る。歴史が示しているのは、主人―奴隷の関係は、多くの場合、異民族間の支配関係である。そのため、武力による支配を正当化し、固定化するために法が作られる。法の強制力は、根本的には権威ではなく、武力による。社会契約説は、ルソーにおいても、国家の起源論としては欠陥理論である。
 立法について、ルソーは、公衆の「啓蒙」と各自の道徳的努力を行えば、全体意志は一般意志と一致し得るとする。それは、極限における一致だろう。意思決定は、多くの場合、多数決となる。全会一致以外は一般意志の表明と認めない。あくまで全会一致をめざせというのかと思いきや、多数決の決定は一般意志の表明だ、とルソーはいう。だが、99対1と51対49は同じではない。99対1であっても、その1がソクラテスであったとすれば、真の賢者のみが反対したということになる。立法の過程では、合意形成のために修正や妥協がしばしば行われる。その結果制定された法は、そのまま一般意志の表明とは、言えない。また、そこで合成された意思が、単なる全体意志ではなく一般意志であるかどうかを誰が判断できるのか、そしてその判断者となる立法者を誰が選任できるのかという問題がある。
 全会一致は、必ずしも最善の意思決定とは限らない。全会一致で愚かな決定や狂気の行動をすることも、集団にはある。逆に意見対立が鋭くなり、双方が絶対に譲歩・妥協できない状況となることもあり得る。対立が激化すれば、集団は分裂する。集団が分裂すれば、権力は変動する。主権は分割される。譲渡も簒奪も起こる。ルソーは、権力の動力学を具体的に把握できていない。
 次に執行については、合成された意思は、最終的に執行者によって発動される。完璧な法ができれば、自ずと理想的な政治が行われるのではない。意思決定の参加者と仕組みがどうであれ、執行する場面では、執行者個人または執行機関の意思が働く。いかなる法であっても、権力者はこれを勝手に解釈できる。法を無視し、実力の行使を以て統治することもできる。意に沿わなければ法の効力を停止して、直接権力による政治を行い得る。クーデタや独裁政治がこれである。選挙による任免だけでは、独裁者の出現を防ぎ得ない。むしろ、人民の支持によって独裁者は現れ、しばしば人民の名のもとに専制を行う。フランス市民革命は、ルソーの思想の欠陥や限界を検証する歴史的な題材となっている。
 フランス革命の権力闘争で、ルソーの思想を独自の理解で実行したのが、ロベスピエールとナポレオンだった。革命過程で最大の権力を振るったこの二人は、ともにルソーを信奉していた。
 ロベスピエールはルソーの最大の賛美者であり、徹底した擁護者だった。ルソーは、農業生産を基盤とする直接民主政の小国家を理想とした。ただし、直接民主政は人民の道徳的向上が必要とし、「神々からなる人民」でなければ、不可能であることを示唆した。だが、ロベスピエールは大国で豊かなフランスで、君主政を倒し、人民主権を実力闘争で実現しようとした。その結果、独裁を行い、恐怖政治を進めた。ルソーの説く市民的宗教を模して、「至高の存在」を祀る祝典を行った。独裁者は反発を買って敗死した。
 ナポレオンは、若年期における知的形成で、ルソーから最大の影響を受けた。ナポレオンは、民主的な選挙によって終身統領になり、さらに自らの意思で皇帝になった。ルソーが大国で豊かな国にふさわしいとした君主政を自らの手で創設し、法治主義の帝国を築こうとしたのだろう。皇帝ナポレオンは、武力によって自由と平等の理念をヨーロッパ諸国に広めようとした。だが、大戦争の果てに、流刑の地で死んだ。ルソーの理論は、一国のナショナリズムの形成を促進するものではあっても、国際社会に広く受け入れられるものではなかった。
 ロベスピエールとナポレオンは、ともにフランス革命が生んだ国家指導者である。ともに民衆の支持を受けて、独裁を行った。彼らが出現する土壌となる思想を提示したのは、これもルソーの影響を受けたシェイエスだった。シェイエスについては、次の項目に書く。もう一人、ルソーの影響を受けた重要な人物が、カントである。カントは、ルソーの矛盾が多く多義的な著作から要点を取り出して、哲学的に発展させた。カントについては、フランス革命の思想の後に書く。

 次回に続く。
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中国発の世界同時株安にどう対応するか

2015-08-27 06:50:09 | 経済
 中国初の世界同時株安が起こっている。拙稿「中国は株バブルが破裂し、人民元を切り下げた」を書いた後、中国の株式市場ではさらに株の下落が続いている。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12Z.htm
 中国の影響で、日米欧、東南アジア、ラテン・アメリカ等で同時に株安が起こっている。2012年に中国はGDPで日本を抜いたが、現在の世界経済は、中国経済が成長のエンジンになっている。世界の成長率の3分の1は、中国に依存していると見られる。その中国で株が暴落したため、影響は全世界的となっている。かつて「アメリカがくしゃみをすると、日本が風邪をひく」という言い方があったが、今や「中国が悪質な病にかかると、世界中が感染する」とでもいった状況である。
 中国国内では、個人投資家のパニック心理による投げ売りが続いている。世界各国の投資家が中国経済が予想以上に悪いのではないかという不安を募らせ、大量に株を売りに出している。
 海外投資家の不安を醸成したものの一つに、イギリスの調査会社の報告がある。中国政府が公表する統計数値は信用できないのは常識だが、ロンドンに拠点を構える独立系調査会社ファゾム・コンサルティングは、昨年、公式GDPの予想を公表するのをやめ、実際の成長率とみなす数値を公表することを決めた。同社は、今年の中国成長率は2.8%、2016年はわずか1.0%にとどまると予想している。予想は、電力消費、鉄道貨物量および銀行融資の3つのデータを基にした、全国レベルのシンプルな指標をもとにしている。中国政府による粉飾が最も少ないと見られる指標によるものゆえ、同社の予想には重みがある。
 中国の経済が、日米欧の諸国と違う点の一つは、共産党政府が市場を強権的に管理しているところにある。だが、今回の株の暴落において露呈したのは、いよいよ政府の統制が利かなくなっていることである。これまで中国に過剰な期待を寄せていた投資家たちまでが、不安を抱くようになった。
 そのうえ、8月12日天津開発区で猛毒のシアン化ナトリウムをはじめ硝酸アンモニウム・硝酸カリウム・炭化カルシウム等が貯蔵されている危険物取り扱いの倉庫が爆発した。死者は100名以上と発表されている。世界第4位の港湾がマヒ状態に陥っている。爆発現場では、24トンまでしか保管できないと法律で規定されている危険物が、700トンも置かれていたらしい。あまりにもずさんな保安体制、国民に実態を隠そうとする政府の態度、工場関係者・消防士・周辺住民等の人権の軽視等を見て、中国に幻滅した投資家は多いだろう。GDP世界2位の経済大国になったとはいっても、中国の政治、社会、国民の心性は開発独裁の発展途上国と変わらない状態にある。
 今回のチャイナ・ショックは、リーマン・ショック以上のものになる可能性を秘めている。中国共産党政府は自力で事態を収拾できそうにない。当面の対応策として、G7の国際的な連携による金融緩和が上がっている。だが、中国の政治体制自体が変わらない限り、解決への道筋はつかないだろう。統制主義的な強権政治では、中国経済の再建はできない。株式は、基本的に市場に任せる。通貨は、現在の管理フロート制を止めて変動通貨制に移行する。ただし、IMFは人民元を国際準備通貨に認定しない。実力相応の扱いにする。1%の超富裕層が経済を回している一方、1億人規模の失業者が困窮しているような社会的格差を是正する。極端に輸出に依存した経済を止め、内需拡大に大きく転換する等がなされねばならない。こうした政策を実行するには、中国の民主化が必要である。民主化なくして、中国経済の再建はできないと私は考える。
 以下は、関連する報道記事。

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●ロイター 平成27年8月7日

http://jp.reuters.com/article/2015/08/07/china-economy-data-idJPL3N10I27X20150807
中国経済成長率、実際は公式統計の半分以下か 英調査会社が試算
News | 2015年 08月 7日 14:36 JST

[ロンドン 6日 ロイター] - 中国の経済成長率は実際どの程度なのか──。こんな疑問を抱くアナリストらが試算したところ、中国国内総生産(GDP)伸び率は公式統計の半分、もしくはさらに低い水準であるかもしれないことが分かった。
 中国国家統計局が先月発表した今年上半期のGDP伸び率は7.0%で、政府が掲げる2015年通年目標に沿う内容となった。
 こうした公式統計には、実際の景況感との矛盾を指摘する声が常に聞かれるほか、そもそも14億人の人口を抱える新興国がなぜ、米国や英国といった先進国より数週間も前に四半期データを公表することができるのかといった疑問も付きまとっている。
 しかも、中国がその後、公式統計を改定することはほとんどないにもかかわらずだ。
 ロンドンに拠点を構える独立系調査会社ファゾム・コンサルティングのエリック・ブリトン氏は「中国の公式統計はファンタジーだと考えており、真実に近いということもない」と話す。
 同社は昨年、公式GDPの予想を公表するのをやめ、実際の成長率とみなす数値を公表することを決めた。それによると、今年の中国成長率は2.8%、2016年はわずか1.0%にとどまると予想している。
 内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米外交公電によると、現在は中国首相を務める李克強氏が、遼寧省党委書記を務めていた数年前、中国のGDP統計は「人為的」であるため信頼できないと語ったとされる。
 ファゾム・コンサルティングは、李克強氏が当時、遼寧省の経済評価の際に重視するとした電力消費、鉄道貨物量および銀行融資の3つのデータを基にした、全国レベルのシンプルな指標を公表している。
 それによると、実際の成長率は3.2%であることが示唆されている。鉄道貨物量の減少、トレンド成長を下回る電力消費を反映し、示唆された成長率は2013年終盤以降、公式統計から大幅にかい離している。
 国家統計局にコメントを求めたが、回答はなかった。
 先月の記者会見時には、公式統計に批判的な人は中国が利用するGDP計算方法を完全に理解していないとして、統計は正確だと反論。数値の正確性については常に向上に努めていると説明した。

●ZAKZAK 平成27年8月13日

http://news.livedoor.com/article/detail/10465852/
中国、16年は“成長率1%”の衝撃予測 不動産と株「2大バブル」崩壊で窮地
2015年8月13日 17時12分
ZAKZAK(夕刊フジ)

(略)「世界の工場」と呼ばれたのも今は昔、7月の輸出と輸入を合わせた貿易総額は前年同月比8・2%減となり、5カ月連続で前年割れした。7月の輸出は前年同月比8・3%減と2カ月ぶりにマイナスとなった。輸入も8・1%減と、9カ月連続で前年同月を割り込んだ。
 1~7月の貿易総額累計も7・2%減で、年間で6%増とする政府目標とは大きくかけ離れている。最大の貿易相手である欧州連合(EU)が7・5%減で、日本も11・0%減っている。
 ほかの経済指標も悲惨だ。7月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比1・6%上昇と政府目標の3・0%を大きく下回った。工業品卸売物価指数(PPI)については5・4%の下落を記録し、3年5カ月連続で前年割れするなどデフレの崖っぷちだ。
 背景にあるのが2つのバブル崩壊だ。不動産バブルの崩壊で建設投資が伸び悩み、企業の生産活動も不振に見舞われた。さらに上海など株式市場では6月中旬以降の暴落によって、多くの個人投資家が損失を抱え、自動車の販売に影響があったとの指摘もある。
 いいところがない7月の経済指標をみると、その直前の四半期にあたる4~6月の国内総生産(GDP)成長率が、政府目標とちょうど同じ7・0%を維持できたことがまったくもって不可解だ。
 「中国の公式統計はファンタジーだと考えており、真実に近いということもない」と明言するのは、英調査会社ファゾム・コンサルティングのエリック・ブリトン氏。
 ロイター通信によると、同社は昨年から、中国の公式GDPの予想を公表するのを取りやめ、実際の成長率とみなす数値を公表することを決めたというから徹底している。
 「実際の成長率とみなす数値」の参考になるのは、中国ウオッチャーの間ではおなじみの「李克強指数」だ。李首相が遼寧省の党書記だった2007年、当時の米国大使に「GDP統計は参考用にすぎない」と述べたことが、内部告発サイト「ウィキリークス」に暴露された。李首相は信用できるデータとして、電力消費と鉄道貨物輸送量、銀行融資をあげている。
 英調査会社によると、中国の4~6月期の実際の成長率は3・2%で、公式統計の半分以下にとどまるという。さらに2015年の成長率は2・8%、そして16年はわずか1・0%にとどまると予想している。
 『中国経済まっさかさま』(アイバス出版)の著者で週刊東洋経済元編集長の勝又壽良氏は、「中国経済は不動産バブルが崩壊した後、株式バブルによって支えられてきたが、『ダブル・バブル』崩壊によってハードランディング(墜落)は不可避となった。貯蓄を蒸発させるだけでなく、資産価格下落で新たな負債が生まれる『逆資産効果』も懸念される」と語る。
 人民元を切り下げた習政権が、今後も財政支出や追加緩和を打ち出すとの見方もあるが、勝又氏は根本的な解決にはならないと指摘する。
 「危機を脱出するには市場経済への移行やイノベーション(技術革新)政策が必要だが、共産党政権には実行不可能だろう。中国経済に逃げ場はなくなった」

●産経新聞 平成27年8月24日

http://www.sankei.com/economy/news/150824/ecn1508240019-n1.html
2015.8.24 18:08更新
世界揺さぶる党指令型の破綻 米国と結束して金融自由化早期実行迫れ 編集委員 田村秀男

 人民元切り下げをきっかけに、中国経済の自壊が始まった。チャイナリスクは世界に広がり堅調だった日米の株価まで揺さぶる。党が仕切る異形の市場経済が巨大化しすぎて統制不能に陥ったのだ。打開策は党指令型システムの廃棄と金融市場の自由化しかない。
 中国自壊はカネとモノの両面で同時多発する。11日に元切り下げに踏み切ると、資本が逃げ出した。党・政府による上海株下支え策が無力化した。
 12日には自動車や鉄鋼・金属関連の大型工場が集中している天津開発区で猛毒のシアン化ナトリウムの倉庫が大爆発した。天津爆発の翌日は遼寧省で、22日には山東省の工場が爆発した。過剰生産、過剰在庫にあえぐ企業はコストがかかる保安体制で手を抜く。党官僚は、企業からの賄賂で監視を緩くする。党内の権力闘争もからむだろうが、基本的には党指令体制が引き起こした点で、工場爆発は元安・株価暴落と共通する。
 鉄鋼の場合、余剰生産能力は日本の年産規模1億1千万トンの4倍以上もある。自動車産業の総生産能力は年間4千万台を超えるが、今年の販売予想の2倍もある。これまでの元安幅は4~5%だが、輸出増強に向け、もう一段の元安に動けば資本逃避ラッシュで、金利が急騰し、逆効果になる。
 過剰生産自体、党による市場支配の副産物である。鉄鋼の場合、中国国内の需要の5割以上が建設、不動産およびインフラ部門とされるが、党中央は2008年9月のリーマン・ショック後に人民銀行の資金を不動産開発部門に集中投下させて、ブームをつくり出した。自動車の過剰生産も構造的だ。党内の実力者たちが利権拡張動機で、影響下に置く国有企業各社の増産、シェア競争を促す。
 需給や採算を度外視した企業の行動は通常の場合、万全とはいえないとしても、銀行や株式市場によってかなりの程度、チェックされる。ところが中国の場合、中央銀行も国有商業銀行も党支配下にある。株式市場も党が旗を振れば金融機関もメディアも一斉に株価引き上げに奔走する。その結果、株価は企業価値から大きく乖離(かいり)し、典型的なバブルとなる。
 鉄鋼の場合、余剰生産能力は日本の年産規模1億1千万トンの4倍以上もある。自動車産業の総生産能力は年間4千万台を超えるが、今年の販売予想の2倍もある。これまでの元安幅は4~5%だが、輸出増強に向け、もう一段の元安に動けば資本逃避ラッシュで、金利が急騰し、逆効果になる。
 過剰生産自体、党による市場支配の副産物である。鉄鋼の場合、中国国内の需要の5割以上が建設、不動産およびインフラ部門とされるが、党中央は2008年9月のリーマン・ショック後に人民銀行の資金を不動産開発部門に集中投下させて、ブームをつくり出した。自動車の過剰生産も構造的だ。党内の実力者たちが利権拡張動機で、影響下に置く国有企業各社の増産、シェア競争を促す。
 需給や採算を度外視した企業の行動は通常の場合、万全とはいえないとしても、銀行や株式市場によってかなりの程度、チェックされる。ところが中国の場合、中央銀行も国有商業銀行も党支配下にある。株式市場も党が旗を振れば金融機関もメディアも一斉に株価引き上げに奔走する。その結果、株価は企業価値から大きく乖離(かいり)し、典型的なバブルとなる。
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人権192~ルソーは市民宗教の必要を説いた

2015-08-26 08:50:05 | 人権
●市民的宗教の必要を説く

 ルソーの理論は、単なる政治理論ではない。ルソーにとって、国家の問題は、同時に道徳の問題であり、宗教の問題だった。『社会契約論』には、巻末近くに「市民的宗教」の章がある。社会契約による国家に不可欠のものとして、宗教の必要性を説いている。
 ルソーは、まず宗教を、(1)寺院も儀式も伴わない福音書の宗教、(2)一国に固有の守護神を与える宗教、(3)二人の首長、二つの祖国を与える宗教に分ける。ルソーは、(2)(3)を斥け、(1)のプロテスタント的なキリスト教をよしとする。ちなみに、カトリック教会は(3)であり、悪しきものだと唾棄する。
 次にルソーは、「市民的宗教」の必要性を説く。「市民的宗教」は、市民に対して国家に生命を捧げる義務を愛させるような宗教である。キリスト教は地上の国家より天国を志向しており、それゆえにキリスト教徒の軍隊は弱い。ルソーは、キリスト教的でありながら愛国的であるような宗教が必要だとする。それを国教として強制しようというのではない。そういう宗教を個々の市民が自由に信仰できるようにすることが必要だと説いている。その一方、社会性の意識を欠き、国家への献身の義務を果たせない国民は、追放するという。これは多数による少数の排除を認め、それを以て一般意志の行使と称するわけだろう。
 ルソーは「市民的宗教」の教義について、「全知全能で慈愛に満ち、すべてを予見し配慮する神の存在、来世の存在、正しい者の幸福、悪しき者への懲罰、社会契約と法律の神聖性」を積極的教義とし、「不寛容」を消極的教義として挙げる。キリスト教と社会契約説を融合させた教えであり、それに対して国家献身の義務を説くものである限り、他宗教を許容すべきと説く。ユダヤ教を許容するかどうかは、明言していない。
 ルソーを利用する共和主義者には、キリスト教徒も非キリスト教徒も無神論者もいる。彼らの多くは、ルソーの理論は人民主権の共和主義だとしながら、その理論に不可欠な「市民的宗教」という要素を除去している。だが、デモクラシーとナショナリズムを一体のものとするルソーは、政治と宗教の関係を考察して、国民国家の理論を説いているのである。ナショナリズムと宗教を無視して、ルソーの思想を個人主義的な共和主義や無神論的な社会主義に仕立てるのは、恣意的な歪曲である。

●国際平和への道を素描

 ルソーは、『社会契約論』の結びに、国際平和の実現の検討が残る課題だと記した。この検討における先駆者は、サン・ピエール神父である。サン・ピエールは、18世紀初めスペイン継承戦争を終結させるためのユトレヒト会議に参加し、これを契機に『ヨーロッパの恒久平和』(1713~17年)を著した。欧州連合の案を示し、フランスを中心とする国際平和組織を構想し、「諸国民の最高法廷」の設置の必要を説き、その権威によって戦争の害悪を除こうとした。
 ルソーは、サン・ピエールの理論を批判した論文で、戦争と平和について書いた。国際社会は、ほとんど戦争状態にある。これを世界国家という高次の社会状態に発展させることを、ルソーは「人類にとってのこのうえもなく偉大で美しく、有益な」課題だと書いた。ルソーが残した素描は、その後の国際平和論の基礎となるものとされてきた。
 ルソーは、戦争は人類の最大の災厄である専制政治と結びついていることを指摘する。国際平和の達成のためには、各国家が人民主権とデモクラシーの政体となり、専制的な統治者の恣意という戦争の原因を取り除かねばならない。しかし、国際社会の現状は、戦争状態に近く、まれに平和状態になっても、一時的な休戦にすぎない。国内では専制を廃止しても、国家間の事情は変わらない。人民主権とデモクラシーの国家が結合して、諸国民が平等な資格で参加し、個人も人民も等しく法の権威に従う国家連合を、ルソーは構想した。カントは、ルソーの国際平和論を発展させて、『永遠平和のために』を書いている。
 18世紀半ばの西欧では、既に近代資本主義が発達し、工業化が進みつつあった。国際社会の主要な構成員となり得るのは、大国である。ルソーは、大国には君主政が適しているというから、専制を廃止したイギリス型の制限君主政の国家が連合を結ぶという構図となるだろう。ルソーが理想とするような農業生産を基礎とする小国が、国際社会の主要な構成員とはなり得ない。小国の平和的併存は、18世紀のヨーロッパでは、もはやまったく現実的でない。
 民主政の国家こそが国際平和を建設し得るのではないかという見方については、ルソー自身が疑問を投じるだろう。ルソーは、民主政について次のように書いている。「民主政もしくは人民政体ほど内乱や国内の動揺を招きやすい政府はない」「なぜなら、これほど激しく、しかも絶え間なく政体を変えようと躍起になっている政体は他にはなく、また現下の形態を維持するために、これほど警戒と勇気を要するものはないからである」と。そのうえ、ルソーは言う。「もしも神々から成る人民があるとすれば、この人民は民主政をもって統治を行うだろう。これほど完璧な政体は人間には適さない」と。
 ルソーは、君主政、貴族政、民主政を是認しているが、この点は人民主権とどういう関係になるか。どの政体もみな自然状態から社会状態への移行の際には、社会契約によって設立された国家が採っている政体である。もとが全員による社会契約であれば、人民主権における人民は、君主や貴族を含む人民となる。
 人民主権の国家においても、政治を行うためには、首長を選任する必要がある。その首長が法の支配による政治を行えば、その国家は自由と平等が比較的保たれた国家となる。仮に古代において、優れた首長を出した家系が代々首長を出すこととなり、その家系が善政に努め、人民の支持を維持し続けた国があるとすれば、理想的な君主政国家となる。皇室を中心とするわが国の国体は、その世界史にまれな実例となっている。

 次回に続く。
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戦後70年安倍首相談話とそれへの評価

2015-08-24 08:47:57 | 時事
 8月14日、安倍首相は、戦後70年談話を発表した。談話は、世界の中での日本の歴史を振り返ったうえで、歴代内閣の立場を引き継ぎつつも、子孫に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないとして、未来志向に立ち、積極的平和主義による国際貢献を行う意思を表した。
 談話の作成に当たり、安倍首相は、有識者会議を開いて広く意見を求めてこれを参考にし、また単に総理大臣個人が談話を出すのではなく、閣議決定をするという手続きを取った。その点が、過去の村山談話、小泉談話と異なる。
 談話に対する内外の評価のうち、これまでに印象に残ったものを掲載する。その後に、談話の全文を掲載する。

●読売新聞

平成27年8月15日 社説
 「先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう」「談話は、日本の行動を世界に発信する重要な意味を持つ。未来を語るうえで、歴史認識をきちんと提示することが、日本への国際社会の信頼と期待を高める」
 「談話は、戦争とは何の関わりのない世代に『謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない』とも強調している。この問題に一定の区切りをつけて、子々孫々にまで謝罪行為を強いられないようにすることが大切である。中国や韓国にも、理解と自制を求めたい。
 首相は記者会見で、談話について『できるだけ多くの国民と共有できることを心掛けた』と語った。歴史認識を巡る様々な考えは、今回の談話で国内的にはかなり整理、集約できたと言えよう」。
 「談話は、日本が今後進む方向性に関して、『国際秩序への挑戦者となってしまった過去』を胸に刻みつつ、自由、民主主義、人権といった価値を揺るぎないものとして堅持する、と誓った。『積極的平和主義』を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献することが欠かせない。こうした日本の姿勢は、欧米や東南アジアの諸国から幅広く支持されている。『歴史の声』に耳を傾けつつ、日本の将来を切り拓ひらきたい」。

●産経新聞

平成27年8月15日 主張(註 社説に当たる)
 「首相は平和国家として歩んだ戦後に誇りを持ち、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく決意を披瀝した。
 未来志向に基調を置く談話を目指したのは当然である。首相は会見で『歴史の教訓をくみとり、目指すべき道を展望したい』と語った。平和を実現する責任をいかに実践していくかが、これからの日本の大きな課題となった」
 「首相は侵略について、具体的な定義は歴史家に委ねるとしつつ、全体としてはこれらを認め、おわびに言及した。重要なのは、この談話を機会に謝罪外交を断ち切ることだ」
「歴史で政府が謝罪すれば国内に反発が生じ、改めて相手国の不信を高める。結果として、より大きなマイナスをもたらす。まさに日本の謝罪外交の構図である。
 中国、韓国は今後、歴史問題をカードにすることをやめるべきだ。談話の表現を材料として、日本をおとしめ、いっそうの謝罪など不当な要求は許されないし、応じられない」「中韓は70年の節目に日本の戦争責任などを追及する歴史戦を展開してきた。曲解に基づく攻撃もためらわない。政府は、反論と史実の発信を止めてはならない」

●櫻井よしこ ジャーナリスト

 「第1に、戦後の日本に対する世界の支援に深く感謝し、子や孫たちに『謝罪』を続ける宿命を背負わせないよう明記している。『侵略』という言葉を使ったが、一人称ではなく歴代政権の姿勢として、国際社会の普遍的な価値観としての言及だったのは、非常に良かったと思う。『侵略』『お詫び』という言葉が注目されていたが、日本国民が反省している気持ちを十分に表しながら、外の声に押され、安易な謝罪の道をとらなかったことは、日本のため、世界のためにも建設的だ」
 「第2に、歴史を振り返って、植民地支配の波がアジアにも押し寄せていたことに触れ、『日露戦争は植民地支配のもとにあったアジア、アフリカの人々を勇気づけた』とした。歴代首相で、そういうことを述べた人がいたか。歴史の事実として、人類の歩みの中に日本もあったと確認したことは良かっただろう。また、経済のブロック化が進み日本が孤立感を深めたという指摘は、歴史を学べば学ぶほどそこに近づく真実だと感じる。安倍首相は歴史について日本の視点を忘れてはならないと、示したと思う」

●田久保忠衛 杏林大学名誉教授

 「歴史観は統一できないので『こちら側』の解釈があって然(しか)るべきだ。歴史には複雑な要素が絡み合って因果関係が形成されていくのであって、満州事変の少し前に定規を当て剃刀(かみそり)で切り取って1945年までの15年間を日本の侵略戦争と決めて断罪する不自然さに、学問的な疑問を感じないのか。この間の事情を実態的に調べ上げたリットン報告書以上の詳細な調査結果はない。日本陸軍の暴走を正当化する理由は全く存在しないが、満州問題の複雑性は一言で片付けるにはあまりにも重い」
 「安倍談話は『植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない』と当然の常識を述べたが、チベット、ウイグルなど事実上の植民地を持っている国はどう反応するか。『痛切な反省』が入っているかどうかは『我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました』を読めば一目瞭然だ。時制は現在完了だ」
 「戦後の日本が貫いてきたのは不戦条約の精神尊重の一点だと思う。これを犯している国々から歴史戦を挑まれてきたのに対し、穏やかに応じたのが安倍談話だと私は理解している」

●長谷川三千子 埼玉大学名誉教授

 「『歴史の教訓に学び、未来を望』む、というのは20年前の村山談話にも語られた、或(あ)る意味で当然の心得ですが、ここで大切なのは、『歴史の教訓』を正しく引き出すには歴史を正確に振り返らなければならない、ということです。 その点に関しては、ただ単に、わが国が『国策を誤り、戦争への道を歩ん』だとしか述べていない村山談話は、ややお粗末であったと言わざるをえない。
 これに対して、今回の安倍談話は同じく『歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければ』ならないと語った上で、その『戦争への道』をきわめて正確に描き出しています。わが国が国際社会に参入した19世紀以来の世界の歴史の流れはどうであったか。その中で日本はいかなる課題に直面したのか。それをしっかりと見つめた上で、日本が『挑戦者』としての立場を『力の行使』によって切り開いていこうとしたところに『誤り』を見いだしています。
 この反省は十分に納得のゆくものと言えますし、またそこから導き出される『歴史の教訓』、ことに『力の行使』による現状変更への戒めは、わが国のみならず世界中の人々に役立つ『未来への知恵』にほかなりません。その意味で、今回の談話は村山談話をさらに充実、発展させたものであると言うことができるでしょう」

●高橋洋一 嘉悦大学教授

 「70年談話では、西欧列強も悪いことをした、日本も悪かった、そして今の中国も悪いことをしているという、ごく普通の歴史が書かれている」
 「国際政治の常識がバックグランドにあるので、戦後70年談話は世界から受け入れられるだろう。『植民地支配』『侵略』『痛切な反省』『お詫び』というワードがあるかどうかは、かなり矮小な観点であるが、戦後70年談話では、その点にも配慮がされている。そうした矮小な観点から見る人たちは、ワードが入っているかどうかだけを気にするので、逆にいえば、ワードを入れたら本格的な批判ができなくなるということだ。事実、中国も韓国もまともに、戦後70年談話を批判できていない。
 その上で、安倍首相が言いたいことは『第二次世界大戦を忘れてはいけないが、謝罪しつづけることもない』ということだ。ここはしっかり書き込まれている。当事者の子供や子孫は、事実を忘れてはいけないが、当事者の子孫としての責任を引き継ぐのではないだろう。責任問題は講和条約などで既に清算済みである。以上の意味で、戦後70年談話はよく書かれており、政治的に『無難』である」

●ジェームズ・プリシュタップ 米国防大学国家戦略研究所上級研究員

 「品格と威厳があり、適切な言葉を使いながら、あらゆる側面に触れた大変印象深い談話だ。安倍晋三首相は日本の政治指導者として、予想と期待を超えるものを示した。
 日本の侵略の責任を受け入れるとともに、『村山談話』と『河野談話』を示唆的に含蓄させながら、『心からのおわびの気持ち』を表明した。また、歴代内閣の立場を継承していくと改めて明確にするなど、含まれるべき要素がすべて包含されている」
 「米政府は談話を歓迎し評価している。米国民も談話に光を照らし、非常に好意的、前向きに受け止めているだろう。談話は日米の結束を強化する」
 「中国が日本に対し、主張して求めていたことは、基本的には歴史の直視ということだ。安倍首相の談話は、歴史を尊重し直視した内容となっている。もし私が中国政府の人間であり、日本と安倍首相に対しこれまで要求してきたことと、談話とを照らし合わせた場合、あらゆる側面に触れている談話を批判し、不満を唱えることは非常に難しいと思う。談話は、日中首脳会談の実現へ向けた基礎にもなるかもしれない。謝罪というものは一方的であってはならず、これを相手も受け入れなければならない。安倍首相は談話で明確な謝罪を表明しており、韓国と中国も受け入れるべきだ」

●フランシス・パイク 英国人歴史家

 「談話は、アジア諸国と国内のナショナリストからの敵対的な反応を和らげるという意味で上出来だった。さらに、歴代の日本の首相が行ったどの謝罪よりも意味深く、誠実なものであった」
 「安倍氏が戦争とは何ら関わりのない、子や孫、その先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないと発言したくだりには、全面的に賛成する。
 さらに言うならば、謝罪を求め続ければ、日本の若者たちは罪の意識を植え付けられていると憤慨し始めるだろう。それは、中国やほかのアジアの国々にとってまったく逆効果を招くことになりかねない。この傾向は、同じ敗戦国のドイツでも見受けられる。
 それでも、中国政府は今後も日本との領土問題を抱えている限り、歴史の問題について敵対的な姿勢を継続してくるだろう。
 中国共産党政権が1950年代に『大躍進政策』を推進した際、土地の集団農場化や工業化を進める過程で多くの中国人が犠牲になった。そうした史実をジャーナリストはもっと取り上げるべきだ」

 以下は、談話の全文。

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■戦後70年安倍首相談話全文

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日

 内閣総理大臣 安倍晋三
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コメント (2)

人権191~ルソーの一般意志に基づく理想国家

2015-08-23 08:53:25 | 人権
●一般意志に基づく理想国家を提示

 ルソーの政治理論は、国家の形成に関しては社会契約論であり、主権に関しては一般意志の理論である。
 ホッブスは自然状態に「万人の万人に対する闘争」を想定した。戦争状態を克服するために絶対的権力を導き出した。これに対して、ルソーは、人間の自然の善性を前提として、人民の一般意志のみが絶対であり、善であるとする論理で、絶対的権力を導き出した。そして、ホッブスの絶対主義的な主権論を人民主権論へと転換した。一般意志の理論は、徹底した人民主権の理論である。そこから理想の国家が説かれる。
 ルソーによると、一人一人の個別の利害や関心は「特殊意志」である。これを足し合わせたものは、「全体意志」である。全体意志は、個々人の利益の総和でしかないが、一般意志はただ共通の利益を考慮する。人民の一般意志は、常に公共の利益を目指すものであり、絶対的であって、誤ることがないという。
 ルソーにおいて、主権は、一般意志の行使である。主権は譲渡することができない。なぜなら、主権は一般意志の行使でしかなく、一般意志は譲り渡されたり、移されたりすることはできないからである。主権は分割することができない。主権が譲渡できないと同じ理由によってである。一般意志を分割すればそれは特殊意志となり、特殊意志の行使では主権となることができない。主権は一般的約束の範囲から出ることはできない。いかに絶対的であり、神聖で侵すべからざるものであっても、主権は市民に対して理不尽な要求をすることはできない。
 社会契約によって各人は自己の力と自由を全面的に譲渡するが、その国家が一般意志の実現である限り、各人は一構成員として平等の権利を持つ主権者となる。主権者の行為は、公の利益を目指す一般意志に導かれ、「すべての国民のための政治」を実現する行為となるという。
一般意志が常に正しいと言えるには、公衆の「啓蒙」が不可欠だとルソーは主張した。正しい政治的決断を行うには、理性の働きが必要である。集団の一人一人が、自らの意思を理性に一致させるようにすることによって、はじめて一般意志を論じ得るとした。
 ルソーは、一般意志は、法律に全面的に表現される、法は一般意志の表明である、とする。だが、人民は何が真の共通の利益であり、また何が真の幸福であるかを必ずしも知っているとは言えない。ルソーは、主権者である人民が正しい善の観念を以て行為することができるように啓蒙する役目を持つ者が必要だと考える。それが立法者である。
 立法者は、主権者である人民が議論をして、共通する利益を表す一般意志をもって、法を作る際、それが公共の利益に適っているかどうかを判断する。立法者は、権力も利害関係も持たずに、公平と明知をもって洞察のできる「すぐれた知性の人」「非凡な人間」でなければならない。ルソーは、古代スパルタの「神のような立法者」リュクルゴスを、その模範とする。リュクルゴスは、特異なスパルタの鎖国制や軍国主義的な市民生活を定めた伝説的な立法者である。
 ややこしいのは、立法者と言っても、主体的に法を立案・制定する者ではない。立法者は立法権を持ってはいけない。立法者は主権者でもなければ、行政官でもない。役割は、啓蒙だとする。立法者は、国家の一員でありながら主権者ではなく、立法に関わりながら自分自身は立法権を持たない。外国人の法律顧問のようでもあり、人民を啓蒙する精神的指導者のようでもある。最終的に法を審判する権限があるわけでもない。ルソーは、「人民自ら承認したのでない法律は無効であって、断じて法律ではない」と明言している。主権者としての人民があくまで主体である。
 ルソーにおいて、主権は立法権を主とする。政府は、法を執行する機関である。政府は、従来主権と混同され、絶対の権威を持つと見られてきたが、主権者たる人民の意思の執行機関に過ぎない。首長は、人民の主人ではなくて、「単なる役人」であり、「主権者が彼らを受託者とした権力を、主権者の名において行使しているわけであり、主権者はこの権力をいつでも好きな時に制限し、変更し、取り戻すことができる」とされる。
 ルソーの構想した理想国家は、ロックやモンテスキューが説いた議会制デモクラシーの国家や権力分立による立憲君主制ではなく、全人民を主権者とする直接民主政の国家だった。主権は、全構成員が参加する全体会議、いわば人民総会でのみ行使される。ただし、ルソーは、直接民主政をすべての西欧諸国で実現せよ、と主張したのではない。そもそもルソーは、民主政について「もしも神々から成る人民があるとすれば、この人民は民主政をもって統治を行うだろう。これほど完璧な政体は人間には適さない」と言っている。極限的な理想として提示しているだけなのである。また、ルソーは、租税の負担という点から、「君主政は富裕な国民にのみ適するものであり、貴族政は富から言っても大きさから言っても中くらいの国家に適し、民主政は貧しい小国に適する」と書いている。これらを比較し、それぞれの長所と短所を指摘し、どれも長く続くと欠陥が出てくる。それを防ぐために最低限、立法権と執行権は分けるべきと説いている。
 この論に従えば、フランスは豊かな大国だから、君主政が相応しい。フランスで目指すべきは、君主専制から民衆の政治参加へ、絶対君主政から制限君主政への改革だということになるだろう。しかもルソーは武力によって権力を奪取して社会秩序を打ち立てようとは、まったく考えなかった。ルソーは、武力は権利を与えない、それに屈服する義務はないとした。それゆえ、ルソーはフランスで武力革命を起こして、クロムウェルのように君主を除いて共和政を目指せ、と説いたのではない。だが、君主政の打倒を目指す者は、ルソーは人民主権の共和主義を説いたのだとし、自分たちの主張に利用してきた。

 次回に続く。

■追記

本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第2部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm
コメント

成長なくして安保なし~田村秀男氏

2015-08-22 09:34:46 | 経済
 産経新聞の編集委員の田村秀男氏は、国会における安保法制を巡る論戦に関して、エコノミストの立場から、「安保法制推進派ですら経済成長の重大さについての認識が貧弱なように思える」と懸念を述べ、「成長なくして安保なし」と主張している。
 田村氏は、6月28日の記事でいつものようにグラフを揚げる。「日中の国防費と名目GDPの推移」を1997年から2014年にかけて、比較したものである。



 田村氏は、次のように解説する。「日本のGDPと国防費は低迷を続けた揚げ句、2011年以降はともに縮小を重ねている。対照的に、中国は10年に日本のGDPを抜き去り、その勢いを駆る形で国防費を伸ばしている。14年、中国の国防費は日本の4・7倍と圧倒的だ」と。
このデータを踏まえて、田村氏は主張する。「膨張する一途の中国脅威を前に、集団的自衛権によって日米同盟強化の形をつくるにしても、問われるのは中身だ。いくら意気込んでも経済力の裏付けがない軍事力は画餅に過ぎない」と。
法制を整備しただけで、戦争抑止力が格段と高まるわけではない。当然、新たな法的枠組みにおいて予算を組み、防衛のための装備を充実させ、訓練を重ねなければならない。
 田村氏は、「14年度マイナスに落ち込んだ実質経済成長率を大きく反転させるためには、日銀による異次元金融緩和に偏重気味のアベノミクスを巻き直す必要がある。中長期的な効果を狙う第3の矢『成長戦略』はともかくとして、成長に結びつく第2の矢「機動的な財政出動」がそこで鍵になる」と説く。「効果に限界が見える異次元緩和の金融に加えて、財政のエンジンを臨機応変に稼働させ成長率を引き上げないと、アベノミクスへの市場評価は地に落ちるだろう」と予測する。
 「機動的な財政出動」は、安全保障の強化という観点からも必要である。中国の動きによって、そういう状況になっている。
 田村氏は言う。「安保を念頭に置けば、政府が投資すべき分野は幅広い。月面無人探査、超音速旅客機開発など航空宇宙分野は軍事用技術につながると同時に、成長産業を創造し、人材を育成する。成長なければ財政は楽にならず、安保上の需要に対応できない。成長なくして安保なし、である」と。
 以下は、記事の全文。

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●産経新聞 平成27年6月28日

http://www.sankei.com/economy/news/150628/ecn1506280004-n1.html
2015.6.28 11:00更新
【日曜経済講座】
成長なくして安保なし 硬直財政を憂う 編集委員・田村秀男

 国会では安全保障法制をめぐる論戦がたけなわだが、気掛かりな点がある。安保法制推進派ですら経済成長の重大さについての認識が貧弱なように思えるからだ。
 グラフは、日中の国内総生産(GDP)と国防費の推移である。日本のGDPと国防費は低迷を続けた揚げ句、2011年以降はともに縮小を重ねている。対照的に、中国は10年に日本のGDPを抜き去り、その勢いを駆る形で国防費を伸ばしている。14年、中国の国防費は日本の4・7倍と圧倒的だ。膨張する一途の中国脅威を前に、集団的自衛権によって日米同盟強化の形をつくるにしても、問われるのは中身だ。いくら意気込んでも経済力の裏付けがない軍事力は画餅(がべい)に過ぎない。
 現下の経済情勢はどうか。株高に先導される形で民間設備投資は回復気配が出ているが、GDPの6割を占める家計消費は消費税率8%への引き上げに伴う後遺症を引きずり、依然低調だ。円安の急速な進行は全雇用の7割を占める中小企業にとってはコスト・アップになる。
 14年度マイナスに落ち込んだ実質経済成長率を大きく反転させるためには、日銀による異次元金融緩和に偏重気味のアベノミクスを巻き直す必要がある。中長期的な効果を狙う第3の矢「成長戦略」はともかくとして、成長に結びつく第2の矢「機動的な財政出動」がそこで鍵になる。
 安倍晋三首相が議長を務める政府の経済財政諮問会議がこのほど打ち出した経済財政運営の「骨太方針」素案は曖昧さが目立った。「経済成長なくして財政再建なし」とする安倍首相に対して、増税・歳出削減を優先する稲田朋美政調会長ら自民党内勢力が巻き返した結果である。
 稲田氏は財務省寄りで知られる学者のアドバイスを受けていると聞く。氏は財政再建のためには経済成長による税収増をあてにできないと断じ、18年度の歳出額に上限額を設定するよう首相に提言した。諮問会議は結局、18年度までの3年間の歳出増を1・6兆円に抑えることで折り合ったが、そのうち1・5兆円は社会保障費である。つまり、財政の機動性が大きく制約される。
 稲田氏らの考え方は従来のデフレ容認路線の踏襲だ。政府は1997年度以来、社会保障費の増加を公共投資の削減と消費税増税で相殺する緊縮策を続けてきた。14年度のGDPを97年度と比較すると、公共投資主体の「公的固定資本形成」は15・8兆円減ったが、名目GDPはその倍近い30・7兆円も縮小した。緊縮財政が経済規模萎縮(いしゅく)の大きな要因になったのだ。しかも、消費税収を除く一般会計税収は約6兆円減り、財政収支の悪化を招いてきた。
 この恐るべき現実を直視しようとしない財務官僚に対し、首相を中心とする官邸が不信感を抱くのは当然だ。効果に限界が見える異次元緩和の金融に加えて、財政のエンジンを臨機応変に稼働させ成長率を引き上げないと、アベノミクスへの市場評価は地に落ちるだろう。
 柔軟な財政に回帰すべき理由は他にもある。安全保障である。中国の軍事攻勢は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺、さらに南シナ海にとどまらない。例を挙げよう。
 米軍筋によると、中国はこの3月下旬、台湾とフィリピン間の海域で動画誘導型巡航ミサイルを空中発射し、日本列島沖合2カ所を標的にした実験に成功した。巡航ミサイルは日本で配置済みのレーダーによる捕捉、追跡が困難で、高度な探知網の構築が必要になる。米軍自体、対応が遅れ、4月初めに情報収集に躍起となったが、本来は日本自ら対応する必要がある。
 先週はワシントンで米中経済・戦略対話が開かれた。主要議題の一つが、中国人民解放軍によるサイバー攻撃だ。米情報専門家は、最近の米連邦職員数100万人、さらに日本年金機構からの125万人分もの個人情報流出事件にも中国軍が関与していると疑っている。中国側の標的は官公庁、防衛産業、研究機関などと多岐にわたり、相手の情報システムに潜入、潜伏する。日本の防御体制は弱く、今年1月に設置された内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)の人員は約80人で、数百人単位といわれる最低必要規模にはほど遠い。
 安保を念頭に置けば、政府が投資すべき分野は幅広い。月面無人探査、超音速旅客機開発など航空宇宙分野は軍事用技術につながると同時に、成長産業を創造し、人材を育成する。成長なければ財政は楽にならず、安保上の需要に対応できない。成長なくして安保なし、である。
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人権190~ルソーは社会契約論を独自に展開

2015-08-21 09:21:18 | 人権
●社会契約論を独自に展開

 ルソーは『社会契約論』の開始部に、「人は本来自由なものとして生まれた。だが、至る所で鎖につながれている」と書いた。
 本書の主題は、『人間不平等起源論』における考察を踏まえて、自然人がかつて持っていた自然・本性、すなわち自由・平等・善良等を、いかにすれば取り戻せるか、そのためにはどういう社会に改革すべきか、である。ルソーは、本書で人民主権による社会契約の原理を述べ、奴隷的な状態にある人民が、社会の主人となって政治に参加することにより、精神的・道徳的にも本来の姿を回復し得ることを説いた。
 ルソーは、私有財産が発生し、不平等が拡大したため、人民は契約によって自然状態から社会状態に入ったという。ルソーによれば、契約とは自由にして平等なものとして生まれた人間が、社会生活の必要上、自発的に結ぶものである。
 ルソーは想定する。自然の状態を保つために各個人が使うことができる力が、その自然の状態における保存を妨げる障害に勝つことができなくなった、と。この状況では、「自己保存のためには、力を集合して力の総和を作って、障害の抵抗を克服できるようにし、ただ一つの原動力でこれらの力を動かし、そろって作用させるよりほかに方法はない」。もはや自然状態に止まることができなくなったために、人間は社会契約をせざるを得なくなったとルソーは推測する。
 人々の力の総和によって社会契約が成立するとき問題になることは、「共同の力をあげて、各構成員の身体と財産を防御し、保護する結合形態を発見すること」である。また「この結合形態によって各構成員は全体に結合するが、しかし自分自身にしか服従することなく、結合前と同様に自由である」ことが可能となる、とルソーは言う。
 私見を以て補うと、力とは能力であり、能力は集団において合成される。合成された能力は権力としても働く。権力は権利の相互作用を力の観念でとらえたものである。自由とは、自由な状態への権利であり、自由に行為する権利である。
 社会契約において、究極的な条項は、次の条項に帰着するとルソーはいう。「各構成員は、自己をそのあらゆる権利とともに共同体全体に譲り渡すこと」。
 この時、各人は、すべての人に自らを与えても、結局は誰にも自らを与えないことになる。自らが譲ったのと同じ権利を得ない者はいない。したがって、各人はすべての人と同じものを持ち、また自らが持っているものを保存するためのより以上の力を得ることになる。ルソーは、このような社会契約について、次のように言っている。「われわれの誰もが自分の身体とあらゆる力を共同にして、一般意志の最高の指揮のもとに置く。そうしてわれわれは、政治体をなす限り、各構成員を全体の不可分の部分として受け入れる」と。
 ルソーは言う。「人間が社会契約によって喪失するものは、その生来の自由と、彼の心を引き、手の届くものすべてに対する無制限の権利とである。これに対して人間の獲得するものは、社会的自由と、その占有する一切の所有権とである」と。
 ルソーは、社会契約を権力者との服従契約ではなく、主権者たる人民相互の間の結合契約とした。この分け方ではホッブスはもちろん、ロックも服従契約説になる。ただし、ロックの場合は、君主も服従する。ルソーの契約は、全員一致による約束である。個人個人が結合することで、彼らが主権者であると同時に国家の構成員となる。契約の目標は、平等な構成員による「共和国の建設」である。共和国 republique とは、ルソーの場合、一般意志の表現としての法が支配し、市民の自由と権利を保証する国家を意味する。その条件を満たす限り、君主政でも貴族政でも民主政でも、共和国と呼ばれる。
 社会契約で生まれる国家について、ルソーは、次のように言う。「共同体が形成される時、各構成員は現在あるがままの自己、すなわち彼自身とあらゆる力を共同体に譲り渡す。この時、構成員の占有する財産も彼の力の一部である」「国家に捧げた生命さえ、国家によってたえず保護されている。国家防衛のために生命を危険にさらず時でも、国家から受けたもの国家に戻す」に過ぎない、と。
 共同体国家においては、権利より義務が強調される。「市民は、法が危険に身をさらすことを要求する時、もはやこの危険を云々する立場にはない。施政体が『お前の死ぬのは、国家のためになる』と言えば、市民は死ななければならない。それまで彼が安全に生活してきたのは、そういう条件下においてのみであり、その生命はもはや単に自然の恵みではなく、国家の条件つきの贈り物であるからである」と。
 ルソーは、権力について、「私はあらゆる権力が神から由来することを認める」と書いている。ルソーにおける人民主権という権力は、神に由来するものである。主権とは統治権であり、統治の権利にして統治の権力である。ルソーは、主権者 Souverain について、能動的に法を作る能力を持つことを強調する。主権者は、集合的には人民 Peuple であり、個別的には市民 Citoyensである。人民は主権者であると同時に、臣従者 Sujects である。臣従者とは、この場合、君主に対する臣下ではなく、国法に従う者の意味である。ルソーによれば、主権者と臣従者は盾の両面であり、この二つの言葉の概念は、「市民」という一語に合一する、と。
 ルソーは、国家忠誠の義務、国防の義務を当然のことと説く。ルソーの理論は、デモクラシーとナショナリズムを一体のものとして提示する。国民国家の理論となっている。注意しなければならないのは、ルソーの社会契約論は、一面において現実の国家の由来を説明する仮説であり、他面において現実の国家を変革してこれから建設すべき国家の目標を説く構想であることである。前者の場合、契約は過去に行われたと想像される行為であり、後者の場合、契約は将来行うべきと提案する行為である。歴史が示すところでは、同時代のヒュームが示したように、過去にそのような契約で国家が設立された事実はない。それゆえ、ルソーの社会契約論は、これからなされるべき契約の構想を提示する理論である。
 ホッブスは、社会契約は国家を設立し、正義を実現するためのものだとした。契約に反することは不正義であり、契約を守らせるように強制する権力は正義の権力であるとして、絶対王政を擁護し、主権者に対するあらゆる反逆は不正義とした。ロックは社会契約が行われるのは、自然状態の正義が失われ、不正な状態になったのを解消するためとした。絶対王政は社会契約を締結した人民に対して不正義の体制であるとして市民革命を正当化した。ルソーは、ロックの思想を急進化した。ルソーによると、社会契約は正義を実現するためのものであり、正義が実現されなくなった社会契約は本来の意味を喪失している。そうした社会では、正義のために革命と新たな社会契約の締結が必要だと説いた。
 ここで本稿の主題である人権に関して書いておくと、ルソー流の社会契約による国家においては、自然人が持っていた人間性を回復することが、人間的な権利の獲得となる。人間的な権利が確保されるのは、法治国家においてである。普遍的・生得的な人間の権利の観念は、国民の権利としてのみ現実化される。国家の主権あっての個人の人権である。集団の権利あっての個人の権利であり、集団の権利を守るために個人は献身しなければならない。自由・平等の権利の実現は、同時に善良な徳性の開発となる。このように、整理できるだろう。引き続き、ルソーの思想として、一般意志に基づく理想国家、市民的宗教、法治国家による国際平和について書くが、それらは普遍的・生得的な人間の権利に基づく理論ではなく、発達する人間的な権利の理論として理解されるべきものである。

 次回に続く。

■追記

本稿を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第2部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm
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