ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権59~敵と友の区別

2013-08-31 08:40:09 | 人権
●シュミットにおける「敵と友の区別」

 ウェーバーは政治団体に固有な特殊の手段として「物理的暴力の行使」を挙げ、実力行使の目的を一定の領域における秩序の保証とした。このことは、権力が闘争的に行使されている集団の一部には妥当である。だが、それがどうしてウェーバーのいう政治団体の特徴となるのか。ウェーバーの見解を理解するには、権力が闘争的に行使されている集団における政治とは、どういうものであるかの考察が必要である。
 本章の暴力に関する項目に書いたが、カール・シュミットは、『政治的なものの概念』で、政治的なものを固有に規定するのは、「敵と友の区別」であるとした。また萱野氏は、『国家とはなにか』で、「敵とは、外部のものであれ内部のものであれ、こちら側の秩序と支配を受け入れない個人や集団のことである。そうした敵に対して闘うために暴力を組織化すること、これによって国家をはじめとする政治団体は実在性を得るのだ」と説いている。
 シュミットと萱野氏の論を受ければ、敵に対する友とは、こちら側の秩序と支配を受け入れている個人や集団となる。また敵とは、こちら側の意思に従わず、秩序と支配に反対・対抗する者であり、友とは、意思を受け入れて秩序と支配に賛成・協力する者となる。そして、敵に対して共に戦う者が、政治的な意味での友となるだろう。私は、「敵と友の区別」こそ政治的なものを固有に規定するものであるというシュミットの所論を適用すると、ウェーバーによる政治団体の特徴は明瞭になると思う。
 シュミットの「敵と友の区別」もまた近代西欧に典型的な政治的な集団に関する事柄である。集団の共同性が崩れ、または共同体が解体したところに、権力の闘争性が顕現する。それとともに、敵と友に分かれて争う政治が展開する。ウェーバーやシュミットは、近代西欧社会の歴史的現実を見て、片や権力の暴力行為や政治団体を論じ、片や政治における敵と友の区別の固有性を説いたのである。

●統治権は政治的権力を強固にする

 社会的な権力が、集団の内部であれ外部であれ、敵対する相手に対して実力を組織し、これを行使するとき、政治的な権力となる。政治的な権力は、物理的な実力を組織し、力の強大さにおいて他への優位を得ようとする傾向がある。実力行使によって優位に立った集団は、他の集団に意思を強制し、自らの意思の実現を図る。
 集団内の変動であれ、外部からの侵攻であれ、新たな支配者は集団を支配し、土地を領有し、服従者に税を納入させたり、労役を提供させたりする。これを権利としてとらえれば、支配権・領有権・徴税権・使役権等の権利となる。
 集団の権利のうち、最大のものは統治権である。統治権は、土地を領有するとともに集団を支配する能力が、権利として承認されたものである。政治的な権力は、一定の領域の統治を行う権利を伴うことによって、強固な政治的権力となる。ウェーバーは物理的実力が人間の集団を対象に行使されるだけでなく、一定の領域において行使されるような集団を政治団体と考えた。これは、統治権を伴う政治的権力を持つ集団が、ウェーバーの政治団体だと言える。私見では家族を除き、氏族・部族・組合・団体・社団等の団体のうち、物理的実力を組織し、一定の領域を統治するものが、政治団体である。これを私は、より広く政治的な集団という。政治的な集団は、政治的な権力を得ようとする集団または政治的権力を持つ集団である。
 政治的な集団の持つ権利のうち、最大のものが統治権である。ある集団が、より大きな集団または上位の集団に対して、統治権を主張するとき、これを認められる場合と、認められない場合がある。統治権が認められ、集団が相対的な独立性を持つ場合、その権利を自治権という。自治とは、集団が自己の意思で物事を決定するとともに、その決定された意思を実現するために、他の集団の攻撃から自己防衛を行うことをいう。自治団体は、自ら集団内の秩序を守り、他の侵犯から統治権を守ることのできる団体である。自治権とは、統治に関して自己決定のできる権利である。政治的な集団は、一定の領域における自治権を獲得し、これを行使するようになった時、最も強固な政治的権力を持つ集団となる。

 次回に続く。
コメント

カント10~心霊論的信条を保持

2013-08-30 08:43:58 | 人間観
●独断篇に書いた心霊論的信条を保持

 カントは、『視霊者の夢』第1部第2章に、次のように書いた。
 「この世にもあの世にもメンバーとして属しているのは常に同一の実体であり、二つの種類の表象は、実は同一主体に属し、互いに結び合わさっている」と書いている。これは、同一の主体が、物質的な身体と非物質的な霊魂を持ち、身体と霊魂が結合していることをいうものだろう。
 またカントは「われわれが、明瞭さを獲得するために、霊の概念にかなり近いわれわれの高度の理性概念に普通いわば物質的な衣装を着せる有様をじっくり観察するならば、これについての可能性がわかりやすくなるであろう」と書いた。カントの考える人間理性は階層的であり、高い階層は霊の概念に近いことを示唆している。
 理性に従って道徳的に実践することを命じる定言命法は、人間が神―霊的共同体と繋がっており、神―霊的共同体から人間に命じられるものという考えが基本にあるのだろう。カントは、道徳的衝動は「霊的存在を互いに交流させ合う真に活動的な力の結果」と考え、「道徳的感情とは個人の意志が一般意志にまさにその通りだと感じられるように拘束されていることであり、非物質的世界に道徳的統一を獲得させる上で必要な自然にしてかつ一般的な相互作用の所産ということになるだろう」と書いた。一般意志とは万人の意志であり、普遍的道徳法則を表す。拘束されているとは、それに一致するように導かれていることだろう。また「一般的な相互作用の所産」というのは、地上に天国を建設するように霊的な働きかけがされているということだろう。
 またカントは「人間の魂は、この世に生きている時でも、霊界のすべての非物質的存在と解きがたく結ばれた共同体の中にあること、さらに、人間の魂は、交互に霊界内に作用し、霊界からも印象を受けているのだが、すべてが調子よくいっている時は、魂は人間としては意識されていないということは、大学の講義流に言えば、すでに証明されたも同然か、あるいは、もっとつまびらかに研究すれば容易に証明されることとされるだろう。いっそう巧みに表現すれば、どこで、いつということは、私にも分からないけれども、きっと将来、証明されることになるであろう」と書いた。この信条は、後のベルグソンやユング、トランスパーソナロジストに通じる。18世紀において、将来証明されることを期待して、自分は自分の時代でできることをするというカントの選択は、賢明なものだったと私は評価する。
 またカントは「人間の魂はすでにこの世に生きている間にも、道徳的状態に従い、おのれの場所を宇宙の霊的なもろもろの実体の中に占めねばならないということが起こってくる。それはちょうど、運動の法則に従い、宇宙空間の物質が、それぞれの物質的な力に即した秩序の中に互いに位置を占めるようになるのと同じようなことである」と書いた。カントは、現象界・自然界を貫くニュートンの物理学的法則と同じような法則が、道徳の領域、叡智界を貫いているのだろうと考えていた。
 またカントは「あの世における生命は、魂がすでにこの世に生きている時持っていた結びつきの自然な継続となるであろう。さらにこの世で行われた道徳性のすべての結果は、あの世においても、霊界全体と不可分の共存関係にある存在が、すでに以前に霊の法則に従って行ってきた作用の中に再び見出されるであろう」と書いた。これは現世における行動が原因となって、来世において結果を受けるという因果応報の考え方だろう。
 上記にカントが心中持ち続けた人間観、道徳観が書かれていると私は考える。カントは、ここで、人間は現世にあっても、常に霊的共同体の一員として存在しており、霊的存在と相互作用している。人間は感性界・現象界に身体的生命を受けて生活しているが、同時に魂は叡智界につながっている、といった心霊論的な信条を書いている。
 カントは、『視霊者の夢』の第2部第3章で、独断的形而上学者の説くことも夢想的視霊者の描くこともともに斥けて、人間理性の限界を定める学へ向かう意思を述べた。この時、カントは、霊魂や霊界の存在を否定してはいない。第1部第2章に書いた心霊論的信条を否定していない。斥けるのは、経験することのできないことを思弁する態度や、霊魂や霊界に過度の関心を持ち、現実の世界における務めを疎かにする態度である。スヴェーデンボリのような視霊者は、例外的な存在である。視霊者の為すことや語ることは、一部は事実のようでもあり、また多くは幻想のようでもある。霊魂や霊界に係ることは、誰もが経験できることではない。客観的に検討し、真偽を判断することは困難である。霊魂や霊界に関することは、誰もが経験できることではないので、立ち入らず、あえて語らないという態度を取ることにしたのだろう。
 『視霊者の夢』刊行後、カントはスヴェーデンボリをどう評価していたか。『視霊者の夢』出版の4年後、カントはケーニヒスベルク大学の教授になった。その後、10年以上の長い沈黙期間を経て、『純粋理性批判』を出版し、不動の名声を確立した。この沈黙の期間の講義で彼が再びスヴェーデンボリに言及し、次のように評していた。
 「スヴェーデンボリの思想は崇高である。霊界は特別な実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない叡智界である、と彼は述べている」(K・ベーリッツ編『カントの形而上学講義』)。
 ここには、『視霊者の夢』第2部で、スヴェーデンボリに対し、「一滴の理性も見当たらない」「ナンセンスでいっぱい」「狂信的な直観」等と、強く否定的に書き、揶揄したカントは、影を潜めている。「霊界は特別な実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない叡智界である」というスヴェーデンボリの思想と、カントの思想は基本的な考え方において一致している。霊界の構造やそこにおる歴史的な人物の霊がどういう状態になっているかというような具体的な話を別とすれば、感性界と区別されるものとして叡智界の存在を述べる点では、カントとスヴェーデンボリは、共通している。だが、スヴェーデンボリは、優れた数学者、自然科学者でもあったが、晩年ますます霊界の研究に没頭したため、カントのように、科学と道徳・宗教を両立させ、現実社会における道徳的実践を来世の幸福にも意義あるものとする哲学を構築することはできなかった。カントは、心霊論的信条を保持しつつ、批判哲学を樹立したことにより、その思想は今日にまで広く影響を及ぼしている。

 次回に続く。
コメント

カント9~「形而上学の夢」への断罪

2013-08-29 08:43:22 | 人間観
●「形而上学の夢」への断罪

 歴史篇の第2章の途中で、カントは、「私は、実際には、はじめに打ち出した目的よりも、ずっと重要に思われる目的を念頭に置いており、そのことはうまく達成できたと思っている」と書いている。読者はここで初めてカントの秘められた意図を知らされることになる。
 カントは「形而上学が二つの利点を示してくれた」とし、一つの利点は、独断的形而上学では、「解答は出ないままであった」とする。そして、もう一つの利点は、形而上学は、「人間理性の限界についての学問」であるとし、この部分も主旨が明瞭でないが、私は、この「目的」とは、独断的形而上学によっては、霊魂や霊界について「解答」は出ないことを示すこと。その一方、「人間理性の限界についての学問」である新しい形而上学が必要であることを示すことと理解される。
 カントは、独断的形而上学は、理性による夢想をしており、視霊者スヴェーデンボリは、感覚による夢想をしているとして、これら双方を斥けて、新しい形而上学の構築へ向かう。カントによれば、独断的形而上学(数学、自然科学を含む)の認識も、視霊者の認識も、ともに主観的な構成物であり、現実的な経験に基づく思考ではなく、経験を超えた夢想という点では同じである。そのうち、独断的形而上学の理性の編み出した幻想は、あまりにも現実から遊離していている。空想をほしいままにする理性は、まともに現実の世界に取り組んでいる悟性の力を消滅させるという。そして、カントは、次に言う。「偽りの物語への軽率な信仰によってだまされるよりも、理性の似非根拠への盲目的な信頼によってだまされる方が、なぜまさにいっそう称揚すべきでもあると言うのであろうか」と。これは、ライプニッツ、ヴォルフを批判するために投げかけた疑問だろう。スヴェーデンボリの霊界訪問記の方が、独断的形而上学の夢想よりましということになる。それほどまでにカントは、独断的形而上学に対して、厳しく批判的な態度を示している。そして、『視霊者の夢』は、視霊者の夢想を検討することを通じて、実は独断的形而上学の夢想を批判することに、真の目的があったのだというのである。
 そしてカントは、現世にあって現実の世界で為すべきことを為すことが大切だという道徳論的信条を次のように述べる。
 「目的地に達する以前にわれわれは、ちょうどデモクリトスのように形而上学のチョウの羽に運ばれて虚空をさまよい、そこで、霊の姿をした者たちと語り合った。だが今や自己意識の凝縮力が、絹のような羽を閉じたので、われわれは再び経験と通常の悟性という低地の上で、われとわが身を見ることになった。もしわれわれがこの低地をわれわれが罰せられずにはけっして脱出することができない土地であることを悟り、さらにこの土地こそわれわれが有効な事柄のみに取り組む限りわれわれを満足させてくれるすべてを含んでいると悟るようになれば、何と幸福なことであろう!」と。
 カントは、霊界または夢想の世界から戻って「経験と通常の悟性という低地」に立ち、現実の世界で有効な事柄に取り組むべきこと、また現実の世界はわれわれを満足させてくれるものをすべて含んでいることを悟るべきだと説いている。
 そして、第三章「本論文全体の実践的結末」で、カントは『視霊者の夢』全体の結論として、次のように書いている。
 「そうはいうものの死んでしまえばすべてが終わりだとの考えに耐えられず、持ち前の気高い人情に基づいて未来に希望をつないでいないような優れた魂の持ち主は決していなかった。したがってあの世への期待は優れた性質を持つ魂の感覚によるものだとする方が、逆に良い行為は、実はあの世への期待があるからだとするよりも、人間の性質と、道徳の純粋さにずっと適しているように思われる」
 「人間の理性もわれわれにあの世の秘密を隠しているあの高い夢を、眼前から取り払うことができるほど高揚することはない。さらに熱烈にその世を渇望する好奇心旺盛な人々に対しては彼らがあの世に行くまで、じっくり待つことに甘んじるならば、それがいちばん得策だという、単純だけれども、極めて自然な回答を与えることができよう。そうはいうもののあの世におけるわれわれの運命は、おそらくわれわれがこの世におけるおのれの立場をいかに保っていくかということにかかっているらしく思われることからしても、私は本論文をかのヴォルテールがあの誠実なカンディードに、多くの無駄な学問論争のあと最後に言わせた『われわれはおのれの幸福の心配をしよう。庭に行って働こうではないか』という言葉を以て閉じることにする」と。
 上記の結論を要約すれば、あの世への期待は優れた性質を持つ魂の感覚によるものである。あの世に行くまで、じっくり待つのが、いちばん得策だ。あの世におけるわれわれの運命は、われわれがこの世におけるおのれの立場をいかに保っていくかということにかかっている、ということになるだろう。
 カントは、『視霊者の夢』の第1部第4章で、霊魂・霊界については、いろいろ考えても分からない。経験に基づかないことだから、霊魂や霊界については、これ以上語らないことにしよう。今後、再び霊に関する材料を取り上げて、検討することはしないという主旨を書いていた。そして、第2部第3章本書全体の結論部では、あの世への期待は優れた性質を持つ魂の感覚によるものである。あの世に行くまで、じっくり待つのが、いちばん得策だ。あの世におけるわれわれの運命は、われわれがこの世におけるおのれの立場をいかに保っていくかということにかかっている、という主旨の結論で締めくくったわけである。
 こうした結論を読むと、一見カントは、本書第1部第2章に書いた心霊論的信条を否定したかのように見えるが、それは今後、霊魂や霊界については語らない、現実の社会で為すべきことを為すという態度を決めただけであって、実際は、カントは第2章に書いたことを信条として持ち続けた。その信条は、カントの人間観、道徳観の根底にあるものであり、『視霊者の夢』以後に展開する批判哲学、またそれによって構築された道徳哲学の前提となっていると私は考える。そこで、次に再度、カントが『視霊者の夢』第1部第2章に書いたことを振り返っておこう。

 次回に続く。
コメント

カント8~『視霊者の夢』第2部のスヴェーデンボリ論(続き)

2013-08-28 10:01:56 | 人間観
●第2部歴史篇におけるスヴェーデンボリの考察(続き)

 続いて第2章「夢想家の有頂天になった霊界旅行」で、カントは、スヴェーデンボリの著書『神秘な天体』について書いている。その内容について、金森氏は次のように述べている。カントは「『神秘な天体』は、ナンセンスでいっぱいであり、また著者の文体は平板であるとしている」「カントはさらに彼の物語やまとめ方は狂信的直観から発しており、物事を逆へ逆へと考えていく理論的迷妄によって動かされているとし、『彼の大著述の中にはもはや一滴の理性も見当たらない』と断言している」と。金森氏は、カントの否認的な姿勢を強調する。
 カントは、第2章に、実際どのように書いているか。
「彼の大著述の中にはもはや一滴の理性も見当たらない。それにもかかわらず、彼の著作には、理性的な慎重な吟味が似たような対象について行った結果との不思議な一致が見られる」
 「この著述家の大労作は、ナンセンスでいっぱいの四つ折り判8巻からなっており『神秘な天体』と題し、世界に対する新しい啓示として刊行された」
 「著者の文体は平板である。彼のもろもろの物語や、まとめ方は、実際に狂信的な直観から発したように思われる。さらに、こうしたことを創作し、嘘偽りを仕掛ける目的に従って物事を逆に逆にと考えていく理性の所産である理論的迷妄がもしかして彼を動かしたのではないかという疑いも多少でてくる」と。
 確かにカントは「一滴の理性も見当たらない」「ナンセンスでいっぱい」「狂信的な直観」等と、強く否定的な言葉を書き連ねている。ただし、そのうち、金森氏が「『彼の大著述の中にはもはや一滴の理性も見当たらない』」と断言している」と書いていることについては、その部分にすぐ続けて、カントは「それにもかかわらず、彼の著作には、理性的な慎重な吟味が似たような対象について行った結果との不思議な一致が見られる」と述べている点に注意したい。「一滴の理性も見当たらない」と断言しながら、「理性的な慎重な吟味が似たような対象について行った結果との不思議な一致が見られる」と書くのは、先の断定が間違っているか、後の一致が誤った思い込みか、のどちらかだろう。
 いずれにしてもカントは、スヴェーデンボリの描く霊界訪問記を「ナンセンスでいっぱい」「狂信的な直観」等と見るのだが、それはカントが霊魂や霊界の存在を否定しているからではない。実は欧米のキリスト教徒には、神や天使や霊魂の存在は信じるが、スヴェーデンボリの霊界訪問記に対しては、これを受け入れないという人が少なくない。スヴェーデンボリは、自分の視霊体験によって、聖書の創世記・黙示録等を独自に解釈しているが、その解釈にはキリスト教諸派の教えと相容れないところがある。特にキリスト教学の基礎を作ったパウロが地獄に堕ちていると書いていることは、キリスト教徒の多くが拒否するところだろう。スヴェーデンボリは、イエズス会を非難し、これも地獄に堕ちているという。同時代のスェーデン王カール2世については、悪霊中の悪霊というような、激しく感情的な評価をしている。このような具合だから、丸ごと無批判に信じる人は、少ないのである。
 ここで独断篇におけるカントの心霊論的信条を思い起こす必要がある。カントは霊魂や霊界の存在を否定していない。霊魂や霊界の存在は信じるが、スヴェーデンボリの霊界訪問記については幻想という見方をしているのである。
 私見を述べると、私は、自らの体験をもとに心霊論的人間観を持つ者だが、スヴェーデンボリの霊界訪問記については、ほとんど受け入れられない。スヴェーデンボリの霊界訪問記が何らかの霊的体験に基づいているとしても、霊界の一部を見たことを想像力で膨張させ、または幻想が多く加わり、一種の体験的幻想文学とでもいえるような類のものになっていると思う。
 ちなみにキリスト教と仏教では、天国と地獄、極楽と地獄の構造や様相が異なる。スヴェーデンボリの描く天国や地獄は、キリスト教文化圏のイメージであり、文化や宗教を超えた普遍性がない。霊魂について、キリスト教の最後の審判説と、ヒンズー教の輪廻転生説では、体験する内容が異なる。霊界を語る霊能者は、スヴェーデンボリ以後の欧米にも今日の日本にもいるが、みな話が違っている。その違いを表現することが、主張や著書の市場価値を高めることにもなっている。いくばくかの霊的体験をもとに、あたかも霊界を知り尽くしているかのごとく、霊界の構造や過去の人物の境涯等を書いている者がいるが、だれも客観的に確認できないことをいいことに、霊的経験のない大衆を驚かせ、惑わし、生活の糧にしていると思われるものが目立つ。
 それゆえ、カントがスヴェーデンボリの霊界訪問記を慎重に検討したのは賢明だったと私は考える。またスヴェーデンボリの霊界訪問記を概ね幻想と判断する一方、霊魂や霊界の存在は否定せず、その存在を信じる態度を維持したのも賢明である。物質科学の成果を認めることと、科学ではまだ解明できていない霊魂や霊界を信じることは矛盾しない。また、顕著な遠隔視やテレパシー、透視は認めるが、霊的交通は認めないとか、事実の裏付けの取れる霊的交通は認めるが、霊界訪問記は認めないといった態度も取り得る。

 次回に続く。
コメント

カント7~『視霊者の夢』第2部のスヴェーデンボリ論

2013-08-27 08:45:48 | 人間観
●第2部歴史篇におけるスヴェーデンボリの考察

 次に第2部歴史篇に移る。この部分こそ、カントが視霊者スヴェーデンボリを直接対象とした部分である。第1部独断篇では結論部で不可知論的な立場を表明したものの、霊魂の考察の過程では心霊論的信条を書いていたカントが、歴史篇では、スヴェーデンボリに対して、懐疑的で揶揄的な態度を示す。
 歴史篇でカントが取り組んだのは、同時代のスヴェーデンボリ一人である。歴史篇と題しながら、過去に事例を探ることなく、また同時代に他の視霊者の事例を集めることもない。キリスト教文化圏には、聖書があり、そこには神や天使や霊魂や霊界に関することが随所に書かれている。だが、それらについては、検討しない。ただ一人、スヴェーデンボリだけを対象とする。また著書と伝聞だけで判断する。スヴェーデンボリに直接会っていない。カントは、自分の目で、耳で検証しようとしていない。
 第2部第1章「それが本当かどうかは読者の皆さんの随意の探究にお委せする一つの物語」で、カントは、まずスヴェーデンボリの視霊能力または超能力に関する三つの逸話を紹介する。そのうちの二つは、8年ほど前にクノープロッホ嬢宛の手紙に書いたものだった。その逸話こそ、カントがスヴェーデンボリに強い関心を持つきっかけとなったものである。カントは、『視霊者の夢』で三つの逸話を紹介するにあたり、まず「ほら話」と前置きする。「それが本当かどうかは読者の皆さんの随意の探究にお委せする」とも書いてはいるが、「ほら話」と前もって書くことによって、読者を否定的な見方へと誘導している。
 その三つの逸話を転載しよう。
 「1761年のおわり頃、スヴェーデンボリ氏は、たいへん頭がよく、洞察力も深いことからよもやこの種の事柄に関与することはありえないと思われたある大公婦人に招かれた。どうしてそのようになったかというと彼が見たという幻視がたいへん評判になっていたからである。実際にあの世からの情報を聞くというよりむしろ、彼がくりひろげる空想の数々をたのしむことを狙ったいくつかの質問をしたあと、大公夫人は、霊の共同体にかかわる秘密の使命を彼に前もって与えたあと、別れを告げた。数日後スヴェーデンボリ氏は、大公夫人自身の告白に従えば彼女の度肝をぬくほど驚かせたような返答をもって現れた。この返答がまさに適中しており、しかも現存生存中の人ならとうていスヴェーデンボリ氏に与えられないような返答であることを彼女が発見したのだ。この実話は、そのころストックホルムにおり、同地の宮廷に駐在した使節が、コペンハーゲンにいた他の外国使節に与えた報告にもとづいており、特別の問い合わせに応じてなされた調査結果ともぴたりとあっていた。
 次にかかげるもろもろの実話も正鵠を得た証明になるかどうかはなはだあやしい大衆の風説以外の何らの保証もえられていない。スウェーデン駐在のオランダ公使の未亡人、マルトヴィーユ夫人は、ある金属細工師の家族から製作済みの銀製食器の未払分の支払いを求められた。亡夫が几帳面に家計のやりくりをしていたことを知っていた彼女は、債務は夫の生存中すでに支払済みであったと確信していた。そうはいっても彼女は彼からのこされた書類の中から証拠になるものを見出せなかった。この婦人は占い、夢判断、その他ありとあらゆるオカルト的な事柄にまつわる実話をとりわけ信用する傾きがあった。そこで彼女はスヴェーデンボリ氏に、彼と死人の魂と交渉があるとの噂がもしほんとうならば、あの世にいる亡くなった主人から、例の支払い要求の一件はいったいどんな事情になっていたのかという情報を聞き彼女にしらせて欲しいと依頼した。スヴェーデンボリ氏はその実行を約束し、数日後夫人の家に赴き彼が求められた情報を集めたと述べ、さらに夫人の考えではすっかりからっぽになっているはずの戸棚を示し、そのなかに、必要な領収書の入っているかくれた引き出しがあることを報告した。そこでただちにこの報告に基づいて調査が行われたところ、オランダ国政府の機密文書の他にすべての債務が完済されていることを示す証拠書類が見つかった。
 第三の実話は、正しいか、それとも正しくないかの完全な証明がきわめて容易に与えられるような種類のものである。わたしが正しく伝えているとすれば、1759年(ほそかわ註 正しくは1756年)の終りの頃、イギリスから帰国したスヴェーデンボリ氏は、ある午後イエーテボリに上陸した。彼はその晩、同地の商人の会合に招かれたが、しばらく同席しているうちに、驚愕の表情をあらわにしながら、いまストックホルムのゼーデルマルム地区でおそろしい火災が発生したとの情報を伝えた。途中で何度も座をはずしたが、数時間後、彼は参集者一同にたしかに火災は一面にひろがったもののついにおさまったと報告した。その夜のうちにたちまちこの不思議な情報が広がり翌朝には全市に伝えられた。しかし2日たってはじめて、スヴェーデンボリ氏の幻視と完全に一致したといわれる報告がストックホルムからイエーテボリに入ってきた」
 以上である。カントは「ほら話」と前置きした割に、第一の例については、「そのころストックホルムにおり、同地の宮廷に駐在した使節が、コペンハーゲンにいた他の外国使節に与えた報告に基づいており、特別の問い合わせに応じてなされた調査結果ともぴたりと合っていた」と書いている。肯定的な書き方である。第二の例については、前置きに「次に掲げるもろもろの実話も正鵠を射た証明になるかどうかははなはだあやしい大衆の風説以外の何らの保証も得られていない」と書いた。これは否定的または判断を保留した書き方である。第三の例は、「正しいか、それとも正しくないかの完全な証明が極めて容易に与えられるような種類のものである」とし、友人が現地調査をし、多数の証言者の話を聞いてきた話だと書いた。これは肯定的な書き方である。
 第一の例は、霊的交通またはテレパシー、第二の例は霊的交通または透視、第三の例は遠隔視の例である可能性がある。これら三例に対するカントの態度に共通しているのは、自分自身が調査して真偽を確認していないことである。特に第三の例は、「正しいか、それとも正しくないかの完全な証明が極めて容易に与えられるような種類のものである」と書き、友人が現地調査をし、多数の証言を聞いてきたと書いているのに、カントは正しいか正しくないかの「完全な証明」が得られたとも、そうでないとも自分の判断を示していない。強い関心を示し、事実である可能性を示唆しながら、一方では否認したいという心理が働いているものだろう。だが、肯定するなら肯定の根拠を、否定するなら否定の根拠を示さなければ、単なる伝聞の紹介に過ぎない。常識では考えられないから、信じられない、だから「ほら話」だろう、と言っているのと同じである。自然科学の研究をしてきたカントであれば、これらの逸話について、自ら立ち入って検討すべきだったと私は思う。

 次回に続く。
コメント

カント6~『視霊者の夢』第1部の霊魂論(続き)

2013-08-26 07:36:04 | 人間観
●第1部独断篇における霊魂論(続き)

 カントは第2章で心霊論的な見方を書いたのに対し、第3章では、打って変わって、視霊現象は脳内現象だとする唯物論的な見方を示す。カントはここで自分の外に物が存在すると認識する仕組みについて考察する。金森訳によると、「感覚が印象を受ける方向線の集合点、すなわち虚焦点」が体の外に想定される。「感覚の対象が感官と直接触れあい、したがって感覚的刺激のもろもろの方向線がこれらの感官自身の中で交わる点を持つ」と考えられる。
 カントは、続けて書く。「このことを想像が生み出す、もろもろの幻像に適用するためには、さきにデカルトが認めたのについて彼以後の大多数の哲学者たちが同意した次のような考え方を基本とすることを認めていただきたい。それは想像力のすべての表象は同時に質料的観念と呼ばれる脳内の神経組織あるいは神経中枢のある種の運動に伴われているということだ」
 「私は、何らかの偶然、あるいは病気によって脳のどこかの器官が障害を起こして、しかるべきバランスを失うと、いくつかの空想と調和して振動する神経の運動が脳の外側に移動して横切るような線に沿って起こるために、虚焦点は思考する主体の外部に置かれること、それに、単なる空想力の所産に他ならない心像が外的感覚にとっても存在する対象として表象されると仮定しておく」
 「私としては、読者のみなさんが、視霊者をあの世に半分住んでいる市民とはみなさずに、一刀両断に、彼らを病院に送り込み今後一切この種の探究をおやめになっても決して悪く取ったりはしない。だがすべてこの調子で進むにしても、霊界に通じた達人を、上述の概念通りのような人物とは、まったく異なる方式で扱わねばなるまい。それにかつては、しばしばこの種の人々を焼き殺すことが必要であると思われたが、今では彼らの腸内を下剤で浄化するだけで十分であろう」と、カントは書いている。最後の火あぶりは、魔女狩りを連想させるが、その代わりに「霊界に通じた達人」に下剤をかけるというのは、蔑視的である。
 こうした第2章「霊界との連帯を開くための隠秘哲学の断片」、第3章は「反カバラ。霊界との共同体を取り壊そうとする通俗哲学の断片」を突き合わせる時、カントの真意がどこにあるのか、判然としなくなる。第2章と第3章の併記を、理論理性が陥る二律背反(アンチノミー)の原形とする見方もある。
 結論として、カントは、第4章「第1部の全考察からの理論的結論」と題された章で、哲学的学説は不可知論の立場を表明すべきだとして、次のように書いている。
 「哲学的学説は、われわれの洞察の限界をはっきりと定め、次のようなことをわれわれに確信させるからである。すなわち、まず自然の中の各種各様の生命の現象及びその法則だけが、われわれの認識を許しているすべてであること、しかしこの生命の原理つまり霊の性質については、なんらの材料もわれわれの感覚に与えられないために、まったく知ることはできず、ただ憶測するだけで、決して、積極的に考えることなどできないこと、さらにすべての感覚的なものからあまりにかけ離れた事物を考えるためには、どうしても否定、否定の一点張りで対処しなければならないこと、そうはいうものの、こうした否定の可能性自体も、経験や推理に基づいているわけではなく、ありとあらゆる補助手段を奪われた理性が逃げ場に求めた虚構に頼っていることなどである。こうした確信に基づけば、人間の霊魂学は、憶測された存在を狙ってはいるが必ず人間の無知をさらけ出す学説と名付けられるだろうし、それにこうしたものとして使命を簡単に果たしていくことになろう。
 さらに私は形而上学の広範な分野を占める霊に関するすべての材料を、まったく用済みのもの、一巻の終わりとして退けることにする。こうしたものは将来も、私には何の関係もないであろう」と。
 霊魂については何らの材料も感覚に与えられないので、まったく知ることはできず、憶測するのみ、否定的に考えざるを得ないが、否定の可能性も「理性が逃げ場に求めた虚構に頼っている」。肯定も否定もできない。カントは、大意このように書いている。霊魂・霊界については、いろいろ考えても分からない。経験に基づかないことだから、霊魂や霊界については、これ以上語らないことにしよう。今後、再び霊に関する材料を取り上げて、検討することはしない。カントは、こういう態度を決めたと理解できる。
 しかし、この語らないという態度は、信じないという態度とは違う。信じているが、語ることはしないというのが、カントの取った態度である。私はそう理解する。そのように理解してはじめて、カントの批判哲学、特に道徳哲学は理解可能となる。

 次回に続く。
コメント

カント5~『視霊者の夢』第1部の霊魂論

2013-08-25 08:36:32 | 人間観
●第1部独断篇における霊魂論

 これからカントの著書『視霊者の夢』の内容を検討したい。カントは本書の開始部で、「わたくしは、霊があるかどうかを知らない。いやそればかりか、霊という言葉が何を意味するかすら、まったく分かっていない」と書いたのち、霊について、様々な観点から検討を行う。
 第1部独断篇で、カントは、霊的存在について考察し、物質的存在とは、異なる性質があることを認める。霊魂には活動性、空間への可入性、無延長性等の特性がある。そこから推測して、カントは、霊魂は脳髄の極小部分にあるという物体的な考え方を取らない。また霊魂が身体全体にもその部分にも存在するという考え方も取らない。結局、通説を否定した上で、カントは、自分は霊魂については分からないという。
 カントは、独断篇の第2章と第3章で、大きく異なった見解を併記する。第2章は「霊界との連帯を開くための隠秘哲学の断片」、第3章は「反カバラ。霊界との共同体を取り壊そうとする通俗哲学の断片」と題されているが、二つの章とも、題名と本文が誰か別の哲学者が書いたものを抜粋・引用・要約したものではない。隠秘哲学者や通俗哲学者ならこう書くだろうと成り代わった試みになり切れてもいない。明らかに両章ともカント自身が書いたものである。それをそれぞれ「隠秘哲学」「通俗哲学」と蔑視的な呼び方をしている。また第3章は、どうして「反カバラ」なのか、ユダヤ教の神秘思想であるカバラには、直接言及がない。このように執筆者の意図が分かりにくい書き方になっている。
 カント研究で名高い坂部恵氏は、独断篇の第2章と第3章について、次のように書いている。カントは「互いに相反する二つの方向からする視霊現象の説明理論」を提出した。すなわち、第2章では、「生命現象やあるいはまた道徳感情などからしてその存在が推定される非物質的な霊の世界と物質界との相互交渉による視霊現象の解明の可能性を示唆」する。また第3章では、「逆にデカルトの生理学説を仮に武器として借りながら、視霊の現象が『何らかの偶然あるいは病気によって、二、三の夢想と調和的に震動する大脳神経の運動が、延長されて大脳の外部に交叉するような方向線に従って行われる』ような一種の特殊な夢想として説明され、従って『下剤をかける』ことによって除かれうる可能性を示す」と坂部氏は解説している。坂部氏は『理性の不安 カント哲学の生成と構造』でカント哲学の生成における『視霊者の夢』の重要性を明らかにしたが、カントの心霊論的信条に対しては距離を置いている。超心理学やトランスパーソナル学との関係も考慮していない。本稿は、坂部氏の見方に異論を提示するものでもある。
 独断篇第2章で、カントは、霊魂・霊界の存在を想定する心霊論的な見方を書いている。金森誠也氏の訳(『霊界の研究~プラトン、カントが考えた死後の世界』PHP版)によると、カントは、次のように書いている。
 「この世にもあの世にもメンバーとして属しているのは常に同一の実体であり、二つの種類の表象は、実は同一主体に属し、互いに結び合わさっている」
 「われわれが、明瞭さを獲得するために、霊の概念にかなり近いわれわれの高度の理性概念に普通いわば物質的な衣装を着せる有様をじっくり観察するならば、これについての可能性がわかりやすくなるであろう」。
 道徳的衝動は「霊的存在を互いに交流させ合う真に活動的な力の結果」であり、「道徳的感情とは個人の意志が一般意志にまさにその通りだと感じられるように拘束されていることであり、非物質的世界に道徳的統一を獲得させる上で必要な自然にしてかつ一般的な相互作用の所産ということになるだろう」
 「人間の魂は、この世に生きている時でも、霊界のすべての非物質的存在と解きがたく結ばれた共同体の中にあること、さらに、人間の魂は、交互に霊界内に作用し、霊界からも印象を受けているのだが、すべてが調子よくいっている時は、魂は人間としては意識されていないということは、大学の講義流に言えば、すでに証明されたも同然か、あるいは、もっとつまびらかに研究すれば容易に証明されることとされるだろう。いっそう巧みに表現すれば、どこで、いつということは、私にも分からないけれども、きっと将来、証明されることになるであろう」
 「あの世における生命は、魂がすでにこの世に生きている時持っていた結びつきの自然な継続となるであろう。さらにこの世で行われた道徳性のすべての結果は、あの世においても、霊界全体と不可分の共存関係にある存在が、すでに以前に霊の法則に従って行ってきた作用の中に再び見出されるであろう」と。

 次回に続く。
コメント

人権58~政治的な権力

2013-08-24 08:48:42 | 人権
●政治的な権力

 権力は、家族的な権力を基礎として、氏族・部族・組合・団体・社団等の様々な集団で発生し、発達する。社会的な権力の一部は、政治的な権力となる。政治的権力とは、政治的な集団が持つ権力である。政治的な集団とは、その集団の諸行為が主に政治的な性格を持っている集団である。
 政治とは、集団における秩序の形成と解体をめぐる相互的・協同的な行為である。とりわけ権力の獲得と行使に係る現象をいう。その根底にあるのは、集団における意思の決定と発動である。こうした意味での政治は本来、闘争的ではなく、協同的なものである。政治的権力は、政治的な行為によって形成される社会的な権力である。政治的権力は、もともと協同的に行使されるものであるが、社会的な権力が闘争的に行使される集団においては、政治的権力は闘争的に行使されるものとなる。
 近代西欧以前及び以外の社会では、政治は共同体の宗教と不可分のものだった。氏族・部族や部族連合の国家では、祭儀と政治は一体のものとして行われた。意思決定のための評議は、神や祖霊の前で行われ、神聖な儀式を伴っていた。世界各地において、古代の国家では国王は祭祀王つまり政治のために祭儀を司る王だった。しかし、近代西欧では社会の世俗化が進み、宗教的な基盤を持たない政治的な集団が多く出現した。国家においても、政治と宗教の分離、特に政府と特定の宗派の教会の分離が傾向として見られる。そこで、政治が他の社会現象に対し、相対的な自律性を持つようになった。これに伴い、政治を独自の社会現象と見る学問も発達した。
 だが、現在も英国では女王は英国国教会の首長であり、米国では大統領に就任する者は聖書に右手を置いて宣誓をするなど、政治と宗教が一定の関係を持つ国がある。ドイツ、イタリア等ではキリスト教政党が政権を担っている。非西洋においては、中東・北アフリカ・東南アジア等のイスラム教国で、聖典クルアーンに基づく宗教政治が行われている。また、わが国は祭政一致の国柄であり、天皇は祭儀を行い、神意に沿った政治を心がけてきた。戦後は憲法で緩やかな政教分離が取られているが、天皇が国家と国民統合の象徴とされ、国会開会式に天皇が臨席し、三権の長は天皇が親任するなど、独自の伝統が息づいている。これらの事例が示しているのは、政治的権力は、集団の共同性に基づき、またその宗教的伝統を保ちつつ行使されてきたことである。
 伝統的な共同体においては、集団的に合成された意思は、政治的な権力によって、成員に共有され、成員の協力によって実現される。しかし、権利関係の変化や征服・支配等によって、政治的な権力は共同性を失い、闘争的に行使されるものになる。そうなった集団では、決定した意思に反対・反抗する者に意思を強制するために、物理的実力が組織され、強制の手段として用いられるようになる。

●ウェーバーによる政治団体の特徴

 マックス・ウェーバーは、政治的な集団を「政治団体」と呼ぶ。ウェーバーは「国家を含めたすべての政治団体に固有な特殊の手段」は「物理的暴力の行使」であるとする。ウェーバーの論を受けた萱野稔人氏は、著書『国家とはなにか』(以文社)で、「暴力が手段として組織的に用いられるとき、政治団体が生まれる」と述べている。また、政治団体が「暴力」を手段として用いる目的は、「秩序と支配を保証するため」であるとする。
 ウェーバーは政治団体の特徴を二つ挙げる。まず上記のような「秩序の保証のために暴力行為を使用する(少なくとも併用する)という事実」。それとともにもう一つ、「或る地域に対する行政スタッフ及び秩序の支配を要求し、これを暴力行為によって保証すること」。そして、「暴力行為を使用する団体に右の特徴が見出されれば、村落共同体であろうと、個々の家共同体であろうと、ギルドや労働者団体(ソヴィエト)であろうと、すべて政治団体と呼ぶべきである」と主張する。
 私は「暴力」という用語を、実力に置き換える。ここでウェーバーが「或る地域」というのは、領土や占有地を意味する。ウェーバーは物理的実力が人間の集団を対象に行使されるだけでなく、一定の領域において行使されるような集団を、政治団体と考えているわけである。ウェーバーによる政治団体の特徴は、実力行使と領域支配の2点とまとめられよう。
 私は、ウェーバーによる政治団体の定義は不十分であり、一部誤りを含むと考える。家族は、秩序と支配を守るために、親が子、夫が妻、兄が弟等に暴力を振るったり、家族員が一定の領域を他の家族員に対して排他的に占有したりしても、政治団体とはいえない。家族の関係は親子・夫婦・祖孫等の私的な関係であって、それを超えた公的な関係ではないからである。政治は、集団において公共性のある事柄について意思を決定し、その実現を図る行為である。それゆえ、政治団体と言い得るのは、複数の家族の集団である氏族からである。家族は政治団体から除くべきである。また、政党は、他の政治団体と異なり、政治的な目的で設立された団体だが、議会制度のもとでは通常、物理的実力を使用しない。物理的実力を組織し、これを行使する政党は、武力闘争を行う革命組織や独立運動組織に限られる。また、領域支配についても、自主管理の労働組合や独立運動組織等、政治的な主張と運動をする集団が、必ずしも一定の領域を支配しているとは限らない。それゆえ、ウェーバーの政治団体の定義は不十分であり、誤りを含んでいるのである。この欠点は、彼の政治の概念が、近代西欧国家における政治を主に想定しているためだろう。

 次回に続く。
コメント

カント4~スヴェーデンボリ問題

2013-08-23 08:49:10 | 人間観
●スヴェーデンボリ問題

 先に書いたように、カントは自然科学を研究して優れた業績を上げる一方、ライプニッツ、ヴォルフの合理的形而上学の影響下にあった。しかし、ヒュームによって「独断論のまどろみ」を破られ、ルソーによって人間を尊敬すべきという啓発を受けた。そんな時に、カントが取り組んだのが、スヴェーデンボリ問題だった。ヒュームによる衝撃とルソーによる啓発の交点に、視霊者スヴェーデンボリをどうとらえるかという課題が立ち上がったのである。
 カントは、人間の研究をするに当たり、人間の認識能力を根本的に検討する必要に迫られた。ニュートン物理学を中心とした自然科学の知識及び自然科学をもとにした形而上学の思考法を以て、スヴェーデンボリという優れた数学者・自然科学者であり、かつ特殊な能力によって霊と交流し霊界を語る特異な人間を研究することは、果敢な取り組みだった。
 カントは若い時から、好んで来世や霊界のことを口にする哲学者たちについては、批判的だった。だが、1750年代の半ば過ぎ、スヴェーデンボリの存在を知って、カントは強い関心を持った。1758年に印刷物に掲載されたシャルロッテ・フォン・クノープロッホ嬢宛の手紙で、視霊現象について、これまで自分は適当な距離を取ってきたが、今度のスヴェーデンボリの場合はいささか違う、との旨をカントは書いている。
 手紙には、オランダ公使の未亡人マルトヴィーユ夫人が亡夫の未払金を催促されたのに対して、スヴェーデンボリが亡くなった夫の霊と交通して領収書のありかを示した話と、1756年ストックホルムのゼーデルマルム地区の大火事の様子をスヴェーデンボリが50マイルあまり(約80キロ)も距っているイエーテボリで細かに告げた話が書かれている。前者は霊魂との交流または透視、後者は遠隔視に関する逸話である。後者はカントの友人が現地調査をし、多くの証言者から話を聞いたことが、先の手紙に書かれている。
 カントは、スヴェーデンボリに手紙を書いたが、返事はそっけないものだった。カントは苦労してスヴェーデンボリの著書を手に入れて読んだ。そして友人たちの強い要望に応えて見解を書き、1766年に刊行したのが、『視霊者の夢』である。
 『視霊者の夢』は、ヒュームの懐疑論による衝撃とルソーの人間尊重という啓発を受け、形而上学の見直しと人間の研究に向かったカントが、最初に取り組んだ難問への解答だった。哲学者の坂部恵氏は、『視霊者の夢』について、「1760年代前半のカントの思考の歩みの一つの総決算をなすもの」「人間的ないし人間学的関心と、形而上学をはじめとする諸学をめぐる方法論的な関心という、この時期のカントの二つの主要な関心の流れが、おのずからあい合するところに成立したもの」としている。
 確かに『視霊者の夢』は、当時のカントの二つの主要な関心の流れの交点に成立したものだが、三大批判書を知る後世の者にとっては、特異な作品である。本書におけるカントは、後の著書で厳密かつ整然とした論述をしたカントとは、別人のようである。考えが十分整理されておらず、全体を見通しよく読者に示すことができず、矛盾した見解を併記した後に、それらをともに斥ける。その仕方がまた半ば否定、半ば肯定のような感じになっている。スヴェーデンボリという対象については、相手への驚異と揶揄、敬意と軽蔑等の相反する感情を表し、アンビヴァレンスが見られる。読者に対して自分の態度を取り繕ったり、本書を書く事情を弁解したり、真の目的を後から明らかにするなど、複雑に揺れ動く心理状態を露わにしている。それだけ、スヴェーデンボリ問題は予想以上の難問だったのだろう。
 これは、21世紀の我々にとっても同じことで、超人的な能力を持つ人間の能力や普通人には見えない世界を論じることは、科学者による様々な仮説が出されている現代においても、依然として困難な課題である。
 カントの時代以降、自然科学が大きく発達し、19世紀後半には唯物論が優勢になった。だがその一方、19世紀半ばから心霊主義(スピリチュアリズム)が興隆し、霊的なものへの関心が高まり、霊媒を使った実験が多く行われた。視霊現象や超能力に関心を持つ科学者・哲学者は少なくなく、アルトゥル・ショーペンハウアー(哲学)、アルフレッド・ウォーレス(生物学)、ウィリアム・クルックス卿(物理学)、シュミット・ツェルナー(天文学)、ヘンリー・シジウイック(倫理学)、ウィリアム・ジェイムズ(心理学)、アンリ・ベルグソン(哲学)、カール・グスタフ・ユング(心理学)等が有名である。だが、当時の科学では心霊的な現象の解明は進まなかった。そうしたなか、ジョセフ・バンクス・ラインは、1927年に心霊現象の研究から超能力の研究に転換し、図形カードやサイコロを使って超感覚的知覚(ESP)や念力(PK)を研究する実験を行った。ラインが厳密な実験方法を確立して以降、テレパシー、透視、遠隔視、予知、念力等について、欧米の諸大学・研究所で研究が続けられている。旧ソ連では軍事目的で国家的に研究がされたり、米国ではFBIの犯罪捜査に超能力者が協力したりしている。
 だが、いまだ科学者の間では超能力について、有無自体からコンセンサスは得られていない。幽体離脱、霊界通信等、霊魂や霊界については、実験による検証はさらに困難である。安易に論じると、カントが批判した独断的形而上学者と同じ轍に陥る。まだしも幽体離脱、霊的交通については、証言の事実関係を確認する方法が取れるが、スヴェーデンボリが書いたような霊界訪問記となると、事実か創作か、体験的要素があるのかすべて幻覚か、現段階の科学では検証はほぼ不可能である。まして、私が生涯の師とし、また神とも仰ぐ大塚寛一先生の起こす人類史上に比類ない奇蹟現象の数々については、現代の科学では、まだまったくとらえることができていない。
 カントの場合は、18世紀にあって、まだ超常現象の分類や、現象に応じた研究方法の検討もできていなかった。またカントは、ただ一人の検討対象であるスヴェーデンボリに直接会って調査したわけでもない。より本格的に研究するか、適度なところを打ち止めにするか。カントがもし前者の道に進んでいたら、まともな職業に就くことができず、社会生活は困難になっただろう。後者の道を選んだことによって、哲学者カントの大成が可能になったと言えよう。

参考資料
・大塚寛一先生については、下記をご参照下さい。
http://srk.info/sinreikyo/ayumi/
http://srk.info/experience/
コメント

カント3~第四の問い

2013-08-22 08:54:24 | 人間観
●三つの問い(続き)

 第3の問い、人間は何を望んでよいかについて、カントは宗教を検討した。カントは、第三の批判書『判断力批判』で、悟性と理性を媒介する判断力について検討した。判断力は、特殊が普遍に包含されていると思考する能力である。特殊的なものだけが与えられ、そこから普遍的なものを見出す能力は、反省的判断力と呼ばれる。自然は必然的な法則に支配されているが、最高善を目指す道徳は意思の自律に基づく。感性界において自由を実現するには、自然に合目的性がなければならないとカントは考えた。そして、反省的判断力は、自然に合目的性を見出すとして、美、崇高の感情、有機体における合目的性を論じた。そのうえで、世界を目的に従って脈絡づけられた一つの全体また目的因の体系とみなす根拠または主要条件を持っているとして、一切の存在者の根源にある存在者は叡智体であり、全知にして全能、寛仁にして公正であり、また永遠性・遍在性を持つものでなければならないと説き、目的論によって神学を基礎づけた。一方、カントは啓示宗教としてのキリスト教から、啓示の部分を除き、道徳的宗教へと純化、改善することを試みた。人間は本能や衝動で行動する動物的な感性的存在者であるが、自由で自律的な理性的存在者でもある。人間は、欲望の誘惑に負けやすいが、理性は人間を超感性的な世界へと向かわせる。人間は理性の声に従って道徳を実践する者として、神・不死を望んでよいとした。

●第四の問い

 カントは、三つの問いの検討のため、『純粋理性批判』(1781年)、『実践理性批判』(1788年)、『判断力批判』(1790年)の三大批判書や『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785年)、『単なる理性の限界内における宗教』(1793年)、『人倫の形而上学』(1797年)等の多くの著書を書いた。晩年のカントは、三つの問いに加えて、第四の問いを立てた。それは、人間とは何かという問いである。
 カントは『論理学』(1800年、死後編纂刊行)の序論に次のように書いた。「第1の問いには形而上学が、第2の問いには道徳が、第3の問いには宗教が、第4の問いには人間学が、それぞれ答える。根底において、これらすべては、人間学に数えられることができるだろう。なぜなら、はじめの三つの問いは、最後の問いに関連を持つからである」と。
 人間とは何かという問いは、形而上学、道徳、宗教の検討を踏まえて、人間を総合的に研究するものである。これこそ実はカントの中心主題だったものであり、晩年のカントは『実用的見地における人間学』(1798年)を著した。カントは、本書に次のように書いている。
 「人間は、人々と一つの社会をなし、その社会において、芸術及び学問を通して自己を陶冶し、市民化し、かつ道徳化するよう、自らの理性によって定められている。幸福と呼ばれる心の安逸と歓楽へ受動的に身を任そうとする動物的傾向がいかに強くとも、むしろ能動的に、人間の自然の粗野のために人間につきまとっている妨害と戦いつつ、自らをば、人間性にふさわしいものとなすよう、その理性によって定められている」と。
 こうした思想によるカントの人間学は、近代西欧の人間観に大きな影響を与えてきた。世界人権宣言は、現代世界で重要な価値の一つとなっている人権の思想を表現したものとなっているが、宣言の根底には、ロック=カント的な人間観があり、人権の思想の考察において、カント哲学とその影響の検討は不可欠の課題と私は考えている。
 さて、カントは、上記の四つの問いに取り組み、独自の解答を示した。それによって、今日まで人類の思想に大きな影響を与えている。私はこうしたカントの哲学の構築において、『視霊者の夢』という三大批判書の前に書かれた小著が重要な位置にあると考える。自然科学の研究をし、合理的な形而上学の影響下にあったカントは、ヒュームの懐疑論に衝撃を受け、「独断論のまどろみ」を破られ、ルソーの人間尊重の姿勢に啓発され、人間の研究に向かった。この時、取り組んだのが視霊者スヴェーデンボリであり、スヴェーデンボリの研究が、カントを批判哲学へと向かわせたのである。次に『視霊者の夢』の検討に移ろう。

 次回に続く。

■追記
 上記の拙稿を含む「カントの哲学と心霊論的人間観」は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11c.htm

コメント