●シュミットにおける「敵と友の区別」
ウェーバーは政治団体に固有な特殊の手段として「物理的暴力の行使」を挙げ、実力行使の目的を一定の領域における秩序の保証とした。このことは、権力が闘争的に行使されている集団の一部には妥当である。だが、それがどうしてウェーバーのいう政治団体の特徴となるのか。ウェーバーの見解を理解するには、権力が闘争的に行使されている集団における政治とは、どういうものであるかの考察が必要である。
本章の暴力に関する項目に書いたが、カール・シュミットは、『政治的なものの概念』で、政治的なものを固有に規定するのは、「敵と友の区別」であるとした。また萱野氏は、『国家とはなにか』で、「敵とは、外部のものであれ内部のものであれ、こちら側の秩序と支配を受け入れない個人や集団のことである。そうした敵に対して闘うために暴力を組織化すること、これによって国家をはじめとする政治団体は実在性を得るのだ」と説いている。
シュミットと萱野氏の論を受ければ、敵に対する友とは、こちら側の秩序と支配を受け入れている個人や集団となる。また敵とは、こちら側の意思に従わず、秩序と支配に反対・対抗する者であり、友とは、意思を受け入れて秩序と支配に賛成・協力する者となる。そして、敵に対して共に戦う者が、政治的な意味での友となるだろう。私は、「敵と友の区別」こそ政治的なものを固有に規定するものであるというシュミットの所論を適用すると、ウェーバーによる政治団体の特徴は明瞭になると思う。
シュミットの「敵と友の区別」もまた近代西欧に典型的な政治的な集団に関する事柄である。集団の共同性が崩れ、または共同体が解体したところに、権力の闘争性が顕現する。それとともに、敵と友に分かれて争う政治が展開する。ウェーバーやシュミットは、近代西欧社会の歴史的現実を見て、片や権力の暴力行為や政治団体を論じ、片や政治における敵と友の区別の固有性を説いたのである。
●統治権は政治的権力を強固にする
社会的な権力が、集団の内部であれ外部であれ、敵対する相手に対して実力を組織し、これを行使するとき、政治的な権力となる。政治的な権力は、物理的な実力を組織し、力の強大さにおいて他への優位を得ようとする傾向がある。実力行使によって優位に立った集団は、他の集団に意思を強制し、自らの意思の実現を図る。
集団内の変動であれ、外部からの侵攻であれ、新たな支配者は集団を支配し、土地を領有し、服従者に税を納入させたり、労役を提供させたりする。これを権利としてとらえれば、支配権・領有権・徴税権・使役権等の権利となる。
集団の権利のうち、最大のものは統治権である。統治権は、土地を領有するとともに集団を支配する能力が、権利として承認されたものである。政治的な権力は、一定の領域の統治を行う権利を伴うことによって、強固な政治的権力となる。ウェーバーは物理的実力が人間の集団を対象に行使されるだけでなく、一定の領域において行使されるような集団を政治団体と考えた。これは、統治権を伴う政治的権力を持つ集団が、ウェーバーの政治団体だと言える。私見では家族を除き、氏族・部族・組合・団体・社団等の団体のうち、物理的実力を組織し、一定の領域を統治するものが、政治団体である。これを私は、より広く政治的な集団という。政治的な集団は、政治的な権力を得ようとする集団または政治的権力を持つ集団である。
政治的な集団の持つ権利のうち、最大のものが統治権である。ある集団が、より大きな集団または上位の集団に対して、統治権を主張するとき、これを認められる場合と、認められない場合がある。統治権が認められ、集団が相対的な独立性を持つ場合、その権利を自治権という。自治とは、集団が自己の意思で物事を決定するとともに、その決定された意思を実現するために、他の集団の攻撃から自己防衛を行うことをいう。自治団体は、自ら集団内の秩序を守り、他の侵犯から統治権を守ることのできる団体である。自治権とは、統治に関して自己決定のできる権利である。政治的な集団は、一定の領域における自治権を獲得し、これを行使するようになった時、最も強固な政治的権力を持つ集団となる。
次回に続く。
ウェーバーは政治団体に固有な特殊の手段として「物理的暴力の行使」を挙げ、実力行使の目的を一定の領域における秩序の保証とした。このことは、権力が闘争的に行使されている集団の一部には妥当である。だが、それがどうしてウェーバーのいう政治団体の特徴となるのか。ウェーバーの見解を理解するには、権力が闘争的に行使されている集団における政治とは、どういうものであるかの考察が必要である。
本章の暴力に関する項目に書いたが、カール・シュミットは、『政治的なものの概念』で、政治的なものを固有に規定するのは、「敵と友の区別」であるとした。また萱野氏は、『国家とはなにか』で、「敵とは、外部のものであれ内部のものであれ、こちら側の秩序と支配を受け入れない個人や集団のことである。そうした敵に対して闘うために暴力を組織化すること、これによって国家をはじめとする政治団体は実在性を得るのだ」と説いている。
シュミットと萱野氏の論を受ければ、敵に対する友とは、こちら側の秩序と支配を受け入れている個人や集団となる。また敵とは、こちら側の意思に従わず、秩序と支配に反対・対抗する者であり、友とは、意思を受け入れて秩序と支配に賛成・協力する者となる。そして、敵に対して共に戦う者が、政治的な意味での友となるだろう。私は、「敵と友の区別」こそ政治的なものを固有に規定するものであるというシュミットの所論を適用すると、ウェーバーによる政治団体の特徴は明瞭になると思う。
シュミットの「敵と友の区別」もまた近代西欧に典型的な政治的な集団に関する事柄である。集団の共同性が崩れ、または共同体が解体したところに、権力の闘争性が顕現する。それとともに、敵と友に分かれて争う政治が展開する。ウェーバーやシュミットは、近代西欧社会の歴史的現実を見て、片や権力の暴力行為や政治団体を論じ、片や政治における敵と友の区別の固有性を説いたのである。
●統治権は政治的権力を強固にする
社会的な権力が、集団の内部であれ外部であれ、敵対する相手に対して実力を組織し、これを行使するとき、政治的な権力となる。政治的な権力は、物理的な実力を組織し、力の強大さにおいて他への優位を得ようとする傾向がある。実力行使によって優位に立った集団は、他の集団に意思を強制し、自らの意思の実現を図る。
集団内の変動であれ、外部からの侵攻であれ、新たな支配者は集団を支配し、土地を領有し、服従者に税を納入させたり、労役を提供させたりする。これを権利としてとらえれば、支配権・領有権・徴税権・使役権等の権利となる。
集団の権利のうち、最大のものは統治権である。統治権は、土地を領有するとともに集団を支配する能力が、権利として承認されたものである。政治的な権力は、一定の領域の統治を行う権利を伴うことによって、強固な政治的権力となる。ウェーバーは物理的実力が人間の集団を対象に行使されるだけでなく、一定の領域において行使されるような集団を政治団体と考えた。これは、統治権を伴う政治的権力を持つ集団が、ウェーバーの政治団体だと言える。私見では家族を除き、氏族・部族・組合・団体・社団等の団体のうち、物理的実力を組織し、一定の領域を統治するものが、政治団体である。これを私は、より広く政治的な集団という。政治的な集団は、政治的な権力を得ようとする集団または政治的権力を持つ集団である。
政治的な集団の持つ権利のうち、最大のものが統治権である。ある集団が、より大きな集団または上位の集団に対して、統治権を主張するとき、これを認められる場合と、認められない場合がある。統治権が認められ、集団が相対的な独立性を持つ場合、その権利を自治権という。自治とは、集団が自己の意思で物事を決定するとともに、その決定された意思を実現するために、他の集団の攻撃から自己防衛を行うことをいう。自治団体は、自ら集団内の秩序を守り、他の侵犯から統治権を守ることのできる団体である。自治権とは、統治に関して自己決定のできる権利である。政治的な集団は、一定の領域における自治権を獲得し、これを行使するようになった時、最も強固な政治的権力を持つ集団となる。
次回に続く。