●集団救済の宗教
宗教には、個人救済の宗教と集団救済の宗教がある。ユダヤ教は、個人救済の宗教ではなく、集団救済の宗教である。神が奇跡を起こして救うのは、ユダヤ民族という集団である。集団を救うことによって、その集団を構成する個人をも救う。集団から切り離された個人の救済は、目的としていない。
ユダヤ教徒は、神が自ら選んだ民族のみを救済すると信じる。言い換えれば、自らを選民と信じる民族が神に集団救済を求める宗教が、ユダヤ教である。こうした観念を否定して、信奉する個人を直接対象にして救うという考え方は、ユダヤ教では成り立たない。ユダヤ教は民族的共同体の宗教であって、共通の信仰を持つ個人の集合体の宗教ではない。またそれゆえに、ユダヤ教は、民族的共同体である集団を救済するタイプの集団救済の宗教である。
●啓示宗教
ユダヤ教は、啓示宗教である。神ヤーウェが人間に教えや奇跡をもって真理を示すことを信じ、モーセや預言者が神の言葉として伝えたものを教義の根本とする。
●契約宗教
ユダヤ教は、契約宗教である。ユダヤ民族の祖先アブラハムが神ヤーウェと契約を結び、神からカナンの地を与えるという約束を受けたとする。これをアブラハム契約という。
また、ユダヤ民族の指導者モーセは、シナイ山において神と契約を結んだ。これをシナイ契約という。この契約によって、アブラハム=モーセの神はイスラエル人の唯一の神とされ、後世のユダヤ民族は神ヤーウェに選ばれた唯一の民族と信じられた。
また、古代の王ソロモンは、エルサレムのシオンの丘に神殿を建立した。神ヤーウェはダビデ家をイスラエルの支配者として選び、シオンを神を祀る唯一の場所に定める約束をしたと理解された。これをダビデ契約という。
これら神との三つの契約――アブラハム契約、シナイ契約、ダビデ契約――が、ユダヤ教の信仰の核になっている。また、ユダヤ教では、人と人との間の契約も、神の前に誓い、これを証人とすることで有効とされる。近代西欧の契約観念は、ユダヤ=キリスト教に根差すものである。契約に違反したり、破ったりすることは、罪とされる。その考え方が西欧発の近代法及び資本主義社会に与えた影響は大きい。
●啓典宗教
ユダヤ教は、啓典宗教である。神の言葉を記したとされる啓典を持つ。単に聖典ではなく、啓典と書くのは、神の啓示を記録したものと信じられているからである。
●聖書
ユダヤ教では、いわゆる旧約聖書を単に聖書と呼ぶ。イエスによる神との新たな契約、すなわち新約を認めないから、自らの聖書を旧約聖書とはいわない。
ユダヤ教徒が聖書を確定したのは、紀元90年ごろである。紀元70年にエルサレムの都市と神殿がローマ軍によって破壊され、ユダヤ人は祖国を喪失して流浪の民となった。そのとき彼らは、民族を統合するものとして啓典を定めた。時代背景には、キリスト教徒が急激に増加し、自分たちの文書を作って、それを独自の聖書としはじめていたことがある。
ユダヤ教の聖書はヘブライ語で書かれた。律法(トーラー)、預言書(ネビーイーム)、諸書(ケスービーム)に区分され,その順に並べられている。ユダヤ教徒は、聖書を、3区分の頭文字をとって「タナハ」、または読誦を意味する「ミクラー」と呼ぶ。
「タナハ」または「ミクラー」は、キリスト教の旧約聖書と、基本的には同じ書物である。ただし、成立状況が異なるので、配列が異なる。
●律法
ユダヤ教では、モーセは神と契約を結んだ時、神から十戒を中心とした律法(トーラー)を与えられたとする。ユダヤ教は、この律法に基づく宗教、律法主義の宗教である。
律法は、神から与えられた宗教上・生活上の命令や掟である。同時にそれが書かれているモーセ五書を指す。モーセ五書は、聖書の最初に置かれているもので、『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』をいう。律法は、広義ではこれら以外に口伝のものも含む。
神ヤーウェが定めた律法は、神と人間との間にある大きな断絶を埋め、橋渡しをするものとされる。敬虔なユダヤ教徒は、律法を厳格に守ることによって、神の前に義とされ、神の国に入る資格を得る。それが彼らの人生最大の目的である。
●預言書と諸書
聖書には、16巻の預言書がある。預言書とは、預言者に関する書物である。預言者とは、神の意思を理解し、またそれを自覚できた人間を指す。紀元前9世紀ころに現れたエリヤを最初とする。
聖書の預言書のうち、代表的な預言者の名を冠した『イザヤ書』『エレミヤ書』『エゼキエル書』『ダニエル書』の各書は、大預言書といわれる。その外は小預言書という。
聖書のうち、律法、預言書以外のものを、諸書という。
●タルムード
啓典である聖書以外にも、重視される書物がある。その第一のものが、タルムードである。タルムードは、注解を意味する。タルムードは、律法の注解書である。紀元5世紀から約1200年かけて議論を積み重ねたユダヤ人の知恵の集大成である。タルムードは、律法学者(ラビ)が書いた書物であり、農業、安息日・祝日、結婚等、損害に関する法律、神殿・祭司、祭儀上の清浄の6項目に分かれている。
タルムードには、ユダヤ人の人生に対する教訓が記されている。たとえば、「弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門で踏みにじってはならない」「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない」「悪事を働く者に怒りを覚えたり、主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。悪者に未来はない。主に逆らう者の灯は消える」「貧乏でも、完全な道を歩む人は、二筋の曲がった道を歩む金持ちよりも幸いだ」などである。
●カバラー
カバラーという神秘主義思想の文献もまた重視される。カバラー神秘主義は、ユダヤ教の伝統に基づく創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。終末の救済の秘儀にあずかるために、律法を順守することを説き、また神から律法の真意を学ぶことを目的とした。それゆえ、正統的なユダヤ教から外れるものではないと見られている。西方キリスト教では、神秘主義は、カトリック教会やプロテスタンティズムから排除されたが、ユダヤ教では、正統的な教義と神秘主義とが親和的であることが特徴的である。
次回に続く。
宗教には、個人救済の宗教と集団救済の宗教がある。ユダヤ教は、個人救済の宗教ではなく、集団救済の宗教である。神が奇跡を起こして救うのは、ユダヤ民族という集団である。集団を救うことによって、その集団を構成する個人をも救う。集団から切り離された個人の救済は、目的としていない。
ユダヤ教徒は、神が自ら選んだ民族のみを救済すると信じる。言い換えれば、自らを選民と信じる民族が神に集団救済を求める宗教が、ユダヤ教である。こうした観念を否定して、信奉する個人を直接対象にして救うという考え方は、ユダヤ教では成り立たない。ユダヤ教は民族的共同体の宗教であって、共通の信仰を持つ個人の集合体の宗教ではない。またそれゆえに、ユダヤ教は、民族的共同体である集団を救済するタイプの集団救済の宗教である。
●啓示宗教
ユダヤ教は、啓示宗教である。神ヤーウェが人間に教えや奇跡をもって真理を示すことを信じ、モーセや預言者が神の言葉として伝えたものを教義の根本とする。
●契約宗教
ユダヤ教は、契約宗教である。ユダヤ民族の祖先アブラハムが神ヤーウェと契約を結び、神からカナンの地を与えるという約束を受けたとする。これをアブラハム契約という。
また、ユダヤ民族の指導者モーセは、シナイ山において神と契約を結んだ。これをシナイ契約という。この契約によって、アブラハム=モーセの神はイスラエル人の唯一の神とされ、後世のユダヤ民族は神ヤーウェに選ばれた唯一の民族と信じられた。
また、古代の王ソロモンは、エルサレムのシオンの丘に神殿を建立した。神ヤーウェはダビデ家をイスラエルの支配者として選び、シオンを神を祀る唯一の場所に定める約束をしたと理解された。これをダビデ契約という。
これら神との三つの契約――アブラハム契約、シナイ契約、ダビデ契約――が、ユダヤ教の信仰の核になっている。また、ユダヤ教では、人と人との間の契約も、神の前に誓い、これを証人とすることで有効とされる。近代西欧の契約観念は、ユダヤ=キリスト教に根差すものである。契約に違反したり、破ったりすることは、罪とされる。その考え方が西欧発の近代法及び資本主義社会に与えた影響は大きい。
●啓典宗教
ユダヤ教は、啓典宗教である。神の言葉を記したとされる啓典を持つ。単に聖典ではなく、啓典と書くのは、神の啓示を記録したものと信じられているからである。
●聖書
ユダヤ教では、いわゆる旧約聖書を単に聖書と呼ぶ。イエスによる神との新たな契約、すなわち新約を認めないから、自らの聖書を旧約聖書とはいわない。
ユダヤ教徒が聖書を確定したのは、紀元90年ごろである。紀元70年にエルサレムの都市と神殿がローマ軍によって破壊され、ユダヤ人は祖国を喪失して流浪の民となった。そのとき彼らは、民族を統合するものとして啓典を定めた。時代背景には、キリスト教徒が急激に増加し、自分たちの文書を作って、それを独自の聖書としはじめていたことがある。
ユダヤ教の聖書はヘブライ語で書かれた。律法(トーラー)、預言書(ネビーイーム)、諸書(ケスービーム)に区分され,その順に並べられている。ユダヤ教徒は、聖書を、3区分の頭文字をとって「タナハ」、または読誦を意味する「ミクラー」と呼ぶ。
「タナハ」または「ミクラー」は、キリスト教の旧約聖書と、基本的には同じ書物である。ただし、成立状況が異なるので、配列が異なる。
●律法
ユダヤ教では、モーセは神と契約を結んだ時、神から十戒を中心とした律法(トーラー)を与えられたとする。ユダヤ教は、この律法に基づく宗教、律法主義の宗教である。
律法は、神から与えられた宗教上・生活上の命令や掟である。同時にそれが書かれているモーセ五書を指す。モーセ五書は、聖書の最初に置かれているもので、『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』をいう。律法は、広義ではこれら以外に口伝のものも含む。
神ヤーウェが定めた律法は、神と人間との間にある大きな断絶を埋め、橋渡しをするものとされる。敬虔なユダヤ教徒は、律法を厳格に守ることによって、神の前に義とされ、神の国に入る資格を得る。それが彼らの人生最大の目的である。
●預言書と諸書
聖書には、16巻の預言書がある。預言書とは、預言者に関する書物である。預言者とは、神の意思を理解し、またそれを自覚できた人間を指す。紀元前9世紀ころに現れたエリヤを最初とする。
聖書の預言書のうち、代表的な預言者の名を冠した『イザヤ書』『エレミヤ書』『エゼキエル書』『ダニエル書』の各書は、大預言書といわれる。その外は小預言書という。
聖書のうち、律法、預言書以外のものを、諸書という。
●タルムード
啓典である聖書以外にも、重視される書物がある。その第一のものが、タルムードである。タルムードは、注解を意味する。タルムードは、律法の注解書である。紀元5世紀から約1200年かけて議論を積み重ねたユダヤ人の知恵の集大成である。タルムードは、律法学者(ラビ)が書いた書物であり、農業、安息日・祝日、結婚等、損害に関する法律、神殿・祭司、祭儀上の清浄の6項目に分かれている。
タルムードには、ユダヤ人の人生に対する教訓が記されている。たとえば、「弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門で踏みにじってはならない」「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない」「悪事を働く者に怒りを覚えたり、主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。悪者に未来はない。主に逆らう者の灯は消える」「貧乏でも、完全な道を歩む人は、二筋の曲がった道を歩む金持ちよりも幸いだ」などである。
●カバラー
カバラーという神秘主義思想の文献もまた重視される。カバラー神秘主義は、ユダヤ教の伝統に基づく創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。終末の救済の秘儀にあずかるために、律法を順守することを説き、また神から律法の真意を学ぶことを目的とした。それゆえ、正統的なユダヤ教から外れるものではないと見られている。西方キリスト教では、神秘主義は、カトリック教会やプロテスタンティズムから排除されたが、ユダヤ教では、正統的な教義と神秘主義とが親和的であることが特徴的である。
次回に続く。