ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本復興の提言~藤井厳喜氏6

2011-04-30 11:10:19 | 時事
 一応最終回。一応というのは、他にもよい提言があったら、取り上げたいと考えているからである。

3.日本復興のためのエネルギー政策

 藤井(厳)氏は「新エネルギー開発による段階的脱原発化」を提案する。特に注目したいのは、下記の点である。
 「原発事故は自然災害が引き金となってはいるが、基本的に人災である。最悪の事態が起きる前に、日本は現在の核分裂に基づく原子力発電所を段階的に廃棄し、新エネルギーの開発によって、これを代替すべきである」「日本に全く地震が無く、津波も台風も無く、ウラン鉱石が豊富であるならば、日本が原発に依存する事にも、ある程度の合理性は存在する。しかし日本の地理的条件は全くそうではない」「現在、バイオマス、常温核融合、その他の再生可能な自然エネルギー、又、従来の火力発電や水力発電の効率化や節電などの新テクノロジーが既に目白押しであり、国内の発電量の約3割から4割(原発の発電量)をこれらの新しい電力源で代替させる事は、十分に可能である。それどころか、国家の通貨発行権を元にした新エネルギーの実用化は、日本が世界に輸出する新テクノロジーとして、有望な成長産業である」「日本国民は、智恵と工夫の民族であり、一端、新しい課題が与えられれば、これを技術的に克服する事は決して難しくはない。日本人本来の創造性を信じて、新たな一歩を前に踏み出すべき時である」と。
 私は藤井(厳)氏の基本的な考えに賛成である。現在の日本の原発には危険性がある。だが、発電量の約3割を依存している以上、一気に全廃はできない。緊急点検をし、地震・津波への耐性を高め、大きな問題のあるところは使用停止にする。そのうえで、太陽光を中心とした自然エネルギーの活用を推進し、原発への依存を段階的に減らす。また同時に、原子力のもっと安全に活用できる技術の開発を進めるべきだと思う。
 私は拙稿「『太陽の時代』のギガトレンド~21世紀の産業革命を促進しよう」にて、島田晴雄氏、山崎養世氏、村沢義久氏の三氏の主張を紹介した。三氏は共通して、太陽光を中心としたクリーン・エネルギーの活用は、わが国の政府が推進すべきとしている。政府が「戦略的主導と支援」をし、「太陽経済を強く後押し」し、「国家レベルでアクションを起こす」ことを求めている。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13g.htm
 私は今回の東日本大震災で原発事故が起こり、原発依存の危険性が認識された今こそ、太陽光を中心とした自然エネルギーの活用による「21世紀の産業革命」を推進すべきと思う。私は先の拙稿に次のように書いた。
 「わが国は『太陽の時代』に向けて、国家戦略を策定し、政府の主導のもとに、官民を挙げて長期計画を実行すべきである。そして、この取り組みは、大きな需要を生み出すことにより、現在の需要不足によるデフレからの脱却を可能にし、かつ日本が新しい文明を創造する道を切り開くものとなる、と考える。
 人類の文明は、西洋から東洋へと中心を移動しつつある。欧米諸国は、長期的に衰退に向かい、アジア諸国が興隆している。この文明の地理的変化の中で、日本は、固有の文明を発揮し、東洋・アジアの隆盛を人類全体の調和と発展に役立つように仕向けていく役割がある。日本にとって、太陽エネルギーの活用とそれによるアジア、そして世界の共存共栄は、実現すべき大きな課題である。
 『太陽の時代』が始まっている。
 『日の丸』を国旗とする日本から、新しい人類の文明が生まれようとしている。わが国は政府・国民を挙げて、『太陽の時代』のギガトレンドを押し進めていくべきである」と。
 この「『太陽の時代』のギガトレンド」を押し進める「21世紀の産業革命」は、実行のために当然、財源が要る。藤井(厳)氏は「国家の通貨発行権を元にした新エネルギーの実用化」を言っているが、こういう大規模な、人類史的な課題を実行するためにこそ、丹羽春喜氏の「救国の秘策」が有効だろう。丹羽氏は「600兆円マニフェスト」を、単に日本経済の再興を行うだけでなく、人類文明の調和的発展をめざす政策として提唱している。丹羽氏は、その秘策の実行によって、「わが国経済の膨大な『生産能力』が、全人類のために真に貢献しうるようになる。それは、まさに『人類文明の黄金時代』の到来となる」「人類文明は、そして、言うまでもなくわが国も、輝かしい飛躍的興隆の時代を迎えうるのである。21世紀は、必ず、そのような『黄金の世紀』となりうるであろう」と説いている。
 ただし、丹羽氏は経済的な面を言っているに過ぎない。私は日本という国は、もっと大きな意味でこれから迎える「人類文明の黄金時代」を実現する可能性を持った国であり、それを実現する条件も多くそろっている国だと思う。だが、最も肝心な条件が欠けている。それは、日本人が自己本来の精神を取り戻し、団結することである。日本人が日本精神で団結し、天地大自然の法則に沿って知恵と力を発揮すれば、上記のこと以上の大変化、大転換さえ、実現できる。それが日本という他に比類ない歴史・伝統・国柄を持った国である。(了)
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「昭和の日」と主権回復記念日運動

2011-04-29 07:00:39 | 時事
 本日は「昭和の日」である。第5回目となる。この日は本来、昭和天皇の天皇誕生日だった。天皇誕生日が「昭和の日」という新たな意義のもとに、祝日として維持されることになったものである。「昭和の日」は、昭和という激動と復興の時代を振り返る意義のある日である。本日の産経新聞の「主張」は、東日本大震災との関係で、天災を乗り越えてきたという点から、昭和を振り返っている。まことに時宜を得た内容で、味読するに値する。

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●産経新聞 平成23年4月29日

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110429/dst11042903020001-n1.htm
【主張】
昭和の日 苦難学び心一つに再生を
2011.4.29 03:02

 5回目の「昭和の日」を迎えた。この日は言うまでもなく昭和天皇の誕生日だった。平成になり「みどりの日」となっていたが、国民の強い願いもあり「昭和の日」と衣替えし「みどりの日」は5月4日に移された。
 祝日法によると「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日とされている。それだけに「敗戦以来の国難」と言われる東日本大震災から50日目にこの日を迎えた意義は大きい。
 六十余年に及んだ昭和の時代は、あの大戦による国土の荒廃だけでなく、昭和8年の三陸大津波や23年の福井大地震、34年の伊勢湾台風など、数限りない天災に襲われた。昭和の大恐慌や石油ショックなど、経済危機にも幾度となく見舞われている。
 だがその都度、危機を乗りこえ国の新たな発展につなげてきたのも昭和という時代だった。根底には長い歴史に培われた経済的底力もあったが、国民が一致団結して困難に立ち向かったことがそれを可能にしたと言っていい。
 その強い力添えとなったのは、昭和天皇が国民と苦難を共にされたことだった。
 特に日本中がほぼ焼け野原となった終戦直後には、全国を巡幸され国民を励まされた。巡幸中は旅館やホテルではなく、学校の教室に布団を敷き、カーテンをかけてお休みになることもあった。そうした昭和天皇のお姿を見て国民の多くは復興への決意を新たにしたのである。
 今回の大震災でも、天皇、皇后両陛下は27日に宮城県の被災地を見舞われたほか、すでに4回にわたり被災地や避難所を訪れ、被災者を励まされた。今後も岩手県や福島県を訪問される予定だ。東京電力の計画停電に合わせ、自ら停電生活も経験された。
 昭和のご巡幸同様、被災者だけでなく国民みんなをどれだけ勇気づけているか計り知れない。
 大震災からの再建をはかるにあたり最も大切なことは、国民一人一人が「自分の生活さえ守れたらいい」という考え方を捨て、心を一つにすることである。そのためにも、昭和の時代を振り返り、苦難からどう立ち直っていったかを学ぶべきだ。
 連休の始まりでもあるが、今年はとりわけ、そのことを確かめる「昭和の日」としたい。
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 「昭和の日」は、過去を振り返るとともに、昭和の残課題を確認し、その課題の遂行に心を新たにする日でありたい。昭和の残課題の一つに、日本の国家主権の回復がある。
 東日本大震災では、人的・物的被害が拡大する中で、わが国の弱点が明確に浮かび上がった。未曾有の国難に直面しているのに、政府はまともな対応ができない。それは、菅首相に国家意識が薄弱であり、与党民主党の政治家多数も同様だからである。そのうえ、政府の中枢には、左翼学生運動の経験者や元社会党員、過激派の同調者がごろごろいる。彼らは反国家・脱国家の思想の持ち主だから、国家非常事態における危機管理という意識が欠落している。こうした現在のわが国政府の状態には、国民全体の状態が反映している。戦後、昭和から平成へと移るにつれ、国民の多くは国家意識を失い、国家の危機管理という意識を持っていない。こうした国民の状態が、鏡像のように政府の状態として映し出されているのである。ここで浮かび上がってくるのが、戦後日本における国家主権のあり方という問題である。
 わが国は、敗戦後、昭和27年4月28日に、独立を回復した。この4月28日を「主権回復記念日」にしようという運動がある。発起人は拓殖大学日本文化研究所所長の井尻千男(かずお)氏、東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏、明治大学名誉教授の入江隆則氏の三氏である。運動を始めてから、本年で14年となった。
 小堀氏らの呼びかけ文によると、昭和20年8月15日は終戦の日ではない。その日に終わったとされるのは、彼我の間の戦闘状態にすぎない。「法的現実としての真の終戦の日は、軍事占領から完全に解放された昭和27年4月28日である」。4月28日は、わが国とその敵国であった連合国との間に結ばれた平和条約が効力を発生した日付である。「従って国際法的に本来の意味での大東亜戦争終戦の日である」。また同時に、「それまで旧敵国支配下の被占領国であった我が国が晴れて独立自存の国家主権の回復を認められた日付」である。「その日、我が国は、連合国による被占領状態が解消し、国家主権を回復した」のである。
 ところが、日本国民は、わが国の終戦手続き中の最重要案件であった国家主権の回復を、それにふさわしく認識し自覚しなかった。そして、この重要な日を然るべく記念することをせずに、「歴史的記念の日の日付」を「忘却」している。そして、「毎年8月15日のめぐり来るたびに、東京裁判の判決趣旨そのままに、過ぐる戦争への反省と謝罪を口にし、5月3日ともなれば占領軍即席の占領基本法たる1946年憲法への恭順を誓う」。こういうことを繰り返している。そのため、政府も国民も、ますます主権国家としての認識を欠き、主権意識の自覚を欠いている。それは、講和条約の締結によって、被占領状態が終ると共に、戦後処理は基本的に終結したという認識を欠くためである。
 それゆえ、小堀氏らによると、国民が記念すべき日は8月15日ではなく、4月28日である。8月15日は、敗戦による戦闘状態の終結と軍事占領時代の開始の日である。これに対し、4月28日は、連合国との講和条約が発効し、被占領状態の終結と独立の国家主権の回復の日だからである。そして、氏等は、「主権意識の再生と高揚」を推し進め、4月28日を、アメリカにおける独立記念日に当たるような国家的な記念日に制定しようと唱えている。
 私は、主権回復記念日運動を進める方々が、主権とその回復の重要性を指摘していることには、異論がない。ただし、名称と意義付けは、今のままでは一部の人には混乱を与え、多くの人には中途半端な印象を与えると思う。昭和27年4月28日における「国家主権の回復」とは、部分的限定的回復に過ぎない。この日は、そこから全面的回復に向かうためのスタートとなった日であって、それ以上ではない。
 憲法を改正して自主憲法を制定すること、自力で自国の国防を行う国軍を持つこと、不法占拠されている領土を回復すること。これらを成し遂げてはじめて、「国家主権の確立」と言える。新憲法には、今回の大震災で欠落が浮かび上がった非常事態条項も制定しなければならない。4月28日は主権の回復をし終えたことを記念する日ではなく、主権の部分的回復を祝うとともに、主権の全面的回復という課題を確認し、主権の確立を決意する日とすべきと思う。
 私自身はこのような考えを持っているが、まずは「4月28日」という日の持つ重要性を、日本国民の一人でも多くの人に知っていただきたいと思う。昨28日、主権回復記念日運動の提唱者の一人、小堀桂一郎氏が産経新聞の「正論」に、主権回復記念日運動に関する寄稿をした。東日本大震災を踏まえて国家意識の回復を訴える内容となっている。参考に転載する。

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●産経新聞 平成23年4月28日

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110428/dst11042803210004-n1.htm
正論: 「力」と決断の智略が国家なのだ
東京大学名誉教授・小堀桂一郎 
2011.4.28 03:21

◆4月28日を主権回復記念日に
 昭和27年春に対連合国平和条約が効力を発生し、「被占領国日本(オキュパイド・ジャパン)」は漸(ようや)く晴れて独立国としての国家主権を回復する事(こと)を得た。
 ところが、それ以来、半世紀を過ぎた昨今に到つても、我(わ)が国は、特に近隣諸国との国際関係に於(お)いて、未(いま)だに独立主権国家としてのその名に添ふべき実を備へるに至つてゐない。むしろ主権の尊嚴を維持する姿勢に次第に後退の気配が顕著になつてきた事を、最近の外交的事件のいくつかが示してゐる。
 国家安全保障の見地からしても実に憂慮に堪へないこの事態に鑑(かんが)み、一部有志の者が、平和条約発効の日付である4月28日を以(もつ)て「主権回復記念日」なる国民の祝日とし、以て国家主権の尊嚴についての国民の認識を確立しようとの運動を開始したのが、平成9年4月のことである。
 即(すなは)ちこの日に「主権回復記念日国民集会」を開催して広く国民に呼びかけ、この集会を過去14年間休みなく続けてきた事で、遅々たる歩みながらも運動の趣旨は漸く江湖(こうこ)の認知を獲得することができた様(やう)である。
 本年は国会議員諸氏の間にも「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」が結成され、集会の壇上から、この日の祝日化のために議員立法といふ形をとつての祝日法の一部改正を呼びかけて下(くだ)さる、といふ段階にまで、立法準備は具体化した。

◆自然の猛威から国土、国民守る
 ところが、3月11日の東日本大震災を惹起(じゃっき)した激震は東京都内にも少なからぬ被害を及ぼし、その一(ひとつ)として例年国民集会の会場としてゐた九段会館が天井崩落により使用不可能といふ事態になつた。已(や)むを得ず、集会は規模を縮小し、靖国神社境内の集会場を借りて何とか開催する事にしたのだが、恰(あたか)もこの大震災を機に、主権の尊嚴回復の思想は、又(また)新たに一の推進の動機を与へられた如(ごと)くに思はれる。
 未曽有の大地震と巨大津波の災禍に呻吟(しんぎん)してゐる我が国を、親身に支援し被災者の救恤(きゅうじゅつ)に合力してくれる同盟国・友好国が存在すると同時に、国際社会には国の直面してゐる窮状を以て少しも容赦のたねとはしない険しい悪意も亦(また)、蠢動(しゅんどう)してゐる。即ち年来引き続いての、我が国固有の領土が近隣の国による領略の危機にさらされてゐるといふ脅威は依然として緩んでゐない。
 国際関係からくる危険のみではない。自然災害の暴威に対しても亦、国家は畢竟(ひっきょう)、「力」と決断の智略を以て国土と国民を守るより他に究極的な安全保障の手段はないのだ、といふことを、此度(このたび)の大震災が又、国民全体に再認識せしめたのだと言へよう。
 幸ひにして災害救助に出動した自衛隊3軍の士気は高く、機動力は優秀であり、それに何よりも先づ真先に災害に直面した地域の警察・消防・自治体当局でその部処にある人々の責任感と使命感の堅実さには実際頭の下る思ひを禁じ得なかつた。
 伝へられてゐる如く、直接被災した人々の間に於(お)ける社会秩序遵守(じゅんしゅ)の平常心も立派であり、かつて関東大震災の惨害を現場で目撃し、人々の冷静と忍耐に感嘆した泰西の詩人の云ふ、日本人庶民の〈高貴〉の遺伝子は健在であると思はれた。
 それに引替へ、これも亦(また)、既に言ひ尽された言説であつて筆者がここで更(さら)に付加へるまでもない注釈なのだが、現民主党政府の危機管理能力の劣悪さには、災害の猛威に対するのと同じくらゐに心胆の寒くなるのを覚えた。

◆災害や外寇に強い国構想せず
 この政府の最大の欠陥は、本稿の文脈に引付けて指摘してみるならば、国家主権の尊嚴といふ思想を全く持合せてゐないことである。それが欠けてゐるといふよりも、むしろそれを敵視して育つてきた無法者が、偶々(たまたま)選挙といふ仕組(しくみ)の悪戯(いたずら)で政権の座に坐つてしまつた、その凶兆が表面化したまでの話なのだらう。
 民主党の領袖達は、国民の義務を尊ぶ教育を受けることを喜ばずして、市民としての権利の主張を優先する教育を歓迎して育つた世代である。
 彼等(ら)は主権の尊嚴を基軸として国家が「強い」といふ位相を嫌ひ、国が「弱い」事態の方に自分等の市民的権利の拡張が約束されてゐるといつた妄想を奉じて、その政治家生活を送つてきたものの如くである。
 だから、彼等の想像力は災害や外寇に対して強い国の在り方を構想することができず、現実に災害が生じた時に、国土と民生の安全を守るために為政者は強くなくてはならないのだ、との道理をも理解することができなかつた。反国家的市民教育の信奉者には市民を守る力が具(そな)はらないことが、今回証明された形である。
 災害からの復興には国民教育の再興が必須の前提である。その眼目の一に、強い国の再建を目指しての主権意識の育成がある。即ち記念日を制定した上での堅実な啓蒙(けいもう)を今後更に展開したい。(こぼり けいいちろう)
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日本復興の提言~藤井厳喜氏5

2011-04-28 08:15:49 | 時事
2.日本復興のための社会政策

 藤井(厳)氏は「東京への一極集中から、東日本・西日本の均衡のとれた国土発展へ」と提案する。特に注目したいのは、下記の点である。
 「現在、日本の経済的中心は、あまりに東日本に傾いている」。東京への一極集中で、首都圏に国家機能が過剰に集中している。「現在の危機は、この東日本と西日本の極端なアンバランスを改善する好機である」「もし今回のマグニチュード9の地震が首都圏で起きていれば、機能は完全に喪失していただろう」「首都機能の分散は元より、産業再配備による東日本と西日本の、そして大都市と農村の均衡の取れた日本の国土発展を実現すべきである」。そうすれば「例え国家の一地域において、決定的な災害が起ころうとも、他の地域が有機的に機能し、その損害を補う事によって、災害地の復興が可能となる。あらゆる富と生産設備と頭脳が一か所に集中していれば、その一か所が決定的な災害に見舞われた時、国家は、復活する事が出来ない。一地域における災害が、国家そのものの衰退という結果を生む事になる」と。
 日本の生存と発展のため、東京への一極集中を改め、国家機能を分散することに、私は賛成である。単に分散するだけでなく、副首都として機能する都市を定め、具体的に建設すべきだろう。産業再配備による東日本と西日本の均衡の取れた国土発展にも賛成である。この点も合わせ考えると、副首都は関西に置き、東京の周辺でも機能をある程度分散するのがよいと思う。都市と農村の均衡の取れた国土発展は、これとは別の課題であろう。災害に耐える日本を創るためにも、食糧危機の時代に備えるためにも、食糧自給率を高める必要がある。そのために、農業を振興し、農業の労働人口を増やしていけば、構造改革後、疲弊した地方都市に活力を回復することにつながるだろう。これによって、東京と他の大都市の格差、また大都市と中小都市の格差を縮小することもできるだろう。
 藤井(厳)氏は、別の点でも注目すべき提案をしている。
 「この際、『地方主権』などという考え方が如何に国益に反し、現実にそぐわないかを再認識すべきである。もし、『道州制的地域主権』なるものが実現していたらどうなるだろうか。『東北州』の災害には他の道州は全く有機的にこれを救済する事が出来なくなってしまう」「『日本国は、主権国家として一体であり、地方の自主性を重んじながら、国家機能を分散させ、リスクに備える』という考え方と、『道州制的地域主権』とは似て非なるものであり、実は真っ向から対立する国家観なのである」「日本国民全体が、皇室という尊い存在の下、1つの歴史的な有機体として繋がりを持ち、相互に助け合い、各地方は均衡を持って発展してゆく、というのが真の国家経営のあり方である。またそれは、日本国の歴史が我々に教える国家発展の基本でもある」と。
 私は、地域主権には反対である。地方分権の推進であれば賛成だが、自主憲法の制定の出来ていない状態で、分権に走ると重大な問題を生じる。拙稿「友愛を捨てて、日本に返れ~鳩山政治哲学の矛盾・偽善・破綻」に次のように書いた。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13b.htm
 「近代国家の主権とは、一国の政府が他の国に対して持つ自立的な統治権である。また、主権は、国内において領土・国民に対する最高の権限である。もし『地域主権』を実現し、個々の地方自治体の持つ権限こそが主権だとすれば、政府はその自治体に対して主権を持たず、政府の権限は、その地域については、自治体の権限より下になる。そのような政府は、独立主権国家の政府ではない。それゆえ、『地域主権の実現』は、独立主権国家を否定することになる」「『地域主権の実現』は、主権の分散である。外国人参政権付与は主権の分譲である。主権の分散と分譲は、わが国の国家としてのあり方を、劇的に変える。その結果、生まれるのは、『地域主権国家』という新しい形態の国家ではなく、『主権喪失国家』という国家の残骸である」
 「国家統治権と地方自治権が、最も強い緊張関係に置かれるのは、他国による侵攻、内乱・騒擾、大規模自然災害等の場合である。わが国では現状、国民に国防の義務がなく、憲法に非常事態条項がない。こうした憲法のまま、地方分権を極端に進めたならば、万が一の危機のときに、国家分裂に陥りかねない。私は地方分権を進める前に、わが国が独立主権国家として体制を確立することが、絶対不可欠だと考える。この手順を誤ると、日本は崩壊するおそれがある」と。
 今回の大震災は、国家はどうあるべきかを日本人が真剣に考える機会ともなったと思う。藤井(厳)氏の先の提案において、皇室の下、国民全体が繋がり、助け合い、均衡を持って発展すべきことを書いているのは、全く同感である。国家的な危機において自ずと現れる日本精神を、日本人が自覚し、積極的に日本精神を復興することこそ、東北復興、日本復興の最重要課題である。日本人が精神的に復興すれば、日本は立ち直る。逆に精神的に低迷すれば、日本は天災人災の中で自壊・衰亡する。いま日本はそのぎりぎりの地点にある。目覚めよ、日本人。日本精神を取り戻そう。

 次回に続く。
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日本復興の提言~藤井厳喜氏4

2011-04-27 08:45:52 | 時事
 藤井(厳)氏の提言は、経済政策、社会政策、エネルギー政策の三つにまとめられる。私が特に賛同する部分につき、要点をまとめ、私見を述べたい。3回に分けて掲載する。

1.日本復興のための経済政策

 藤井氏は「国家の通貨発行権を活用した大規模公共投資」を提案し、併せて「円高阻止の協調介入の必要なし:短期の円高を利用し、復興の為の大量資源調達を行なえ」と説く。
 特に注目したいのは、下記の点である。
 「震災・津波・原発事故の2つの天災と1つの人災によって、東北地方は巨大な経済損害を受けた」。日本銀行による復興国債の直接引き受けは「国家財政の帳簿上の赤字を増大させる。これは必ず時間差を経て増税の要求に結び付く。これでは国家再建の為の大規模公共投資は不可能である」「この難問を解決する唯一の決定的な方法は、国家の通貨発行権を活用して、日銀が必要な額の通貨を発行し、この財源を行政府(財務省)に贈与する事である。(丹羽春喜先生の十年来の提案)」
 「日本銀行は、この国家の通貨発行権を活用し、10兆円単位の財源を創出し、これを行政府(財務省)に与え、これをもって国家経済復興の為の大公共投資を行なえば、財源は無制限に存在する。恐らく10兆円では不十分であり、数年間、継続して、累積的には数十兆円の国家の通貨発行による公共投資が必要であろう」
 「日本経済においてはそもそも、供給が需要を上回っており、このデフレ・ギャップ(供給マイナス需要)の為に、長期的な不況が発生していた」「そもそも供給力が過剰の為に生じた長期不況であったから、震災復興という巨大な需要を政府の公共投資で現実のものとしさえすれば、経済は力強く復活する事が出来る」と。
 上記のように、藤井(厳)氏は、大震災後、丹羽春喜氏の提案を財政上の難問を解決する「唯一の決定的な方法」と提唱している。藤井(厳)氏は平成17年刊行の『「破綻国家」 希望の戦略』(ビジネス社)以来、丹羽氏の「救国の秘策」を支持している。大震災後、改めて丹羽氏の提案を支持しているわけである。ただし、丹羽氏は、政府が主体であり、政府が政府貨幣の発行特権を発動、発行特権のうち必要額分の権利を日銀に売るという方式を説いている。藤井(厳)氏が、日本銀行が国家の通貨発行権を活用するというのとは、そこは違う。次に、藤井(厳)氏は通貨発行権の活用により、10兆円単位の財源を創出し、数年間で数十兆円の公共投資を行うとするが、丹羽氏の「救国の秘策」は600兆円規模の財源で日本経済を復興させ、同時に政府の債務も半分に削減する大胆な案である。政府貨幣発行特権は、特定の復興事業の財源調達のためよりも、その事業を含む日本経済全体の復興のために大規模に発動すべきものだろう。
 ところで、藤井(厳)氏は、今回の提言で、次のようにも書いている。
「あくまで『国債』という形にこだわるならば、10兆円単位の国債は、期限を定めて返済する必要のない、『永久国債(超長期債)』として、全く別枠の会計として取り扱うべきである。このようにすれば、巨額の国債は、国家の通貨発行権の活用と極めて近い形となる」と。
 また、藤井(厳)氏に4月5日に氏の計画への補足として次のような見解をブログに掲載した。
「▲政治家が柔軟に対応しさえすれば、復興の為の政府財源はいくらでも生み出す事が出来る。
その為には以下の様な手法がある。

(1) 日銀が特別財源の為の通貨を発行し、これを行政府(財務省)に贈与する。
(2) 日銀が、「無期限債(超長期債)」として国債を引き受け、政府に財源を与える。
 この場合、復興目的の無期限債に関しては、当然「無利子」とし、従来の国債のアカウントとは全く別の会計として扱う事とする。
(3) 上記のような形で日銀の協力が得られないとすれば、財務省が「通貨発行権」を行使し、「財務省紙幣(政府発行紙幣)」を独自に発行して、復興投資財源とする。
 この場合、「5万円札」「10万円札」のような従来発行されてこなかった高額紙幣として発行する事が、日銀券との混乱を防ぐ為にも望ましいであろう。

 以上、3つの手段とも、国家のもつ通貨発行権を活用するものであり、インフレさえ起こさなければ、発行額については特に限界を設ける必要はない。需要不足によるデフレ不況に苦しんできた日本経済を一挙に活性化させるには、これらの手段のいずれかを実行するしかないであろう。」
 藤井(厳)氏は、21年(2009)刊行の『どんと来い! 大恐慌』(ジョルダンブックス)では、政府貨幣発行論は反対論が多く(特に日銀)、実現可能性が低いとし、永久国債の発行を第一の策としていた。藤井氏は、丹羽氏の「救国の秘策」の支持者だが、並行して永久国債の研究を行っている。丹羽氏も新規国債の発行という方法もあることは認めている。その場合は、高橋是清が行ったように日銀の直接引き受けをすべしとする。ただし、この方法では、国の債務がさらに増えるので、財源創出と債務削減を同時に実現できる政府貨幣発行特権の発動を提案している。この新規国債を永久国債とする場合、無利子国債とする方法もある。だが、償還という負担はあり、100年から200年程度で償還するための積立は必要である。
 それゆえ、私は丹羽氏の「救国の秘策」が上策と考える。またこの秘策を使うのであれば、大震災からの復興だけでなく、日本経済全体の復興というより大きな課題に使うのがよいと思う。だが「救国の秘策」はまだ国家指導層に理解が進んでいない。そこで、大震災からの復興という緊急課題のために急遽資金を調達するには、震災復興国債の発行が適当と思う。その国債の発行においては、財源を明らかにして発行すべきである。この点は、先に紹介した菊池英博氏の提案を基本とする。菊池氏の提案でやり、それでうまく復興を達成できればよし。もし財政が行きづまったら、最後の奥の手として丹羽氏の秘策を打つ、という方針がよいと思う。

 次回に続く。
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日本復興の提言~藤井厳喜氏3

2011-04-26 12:26:34 | 時事
 藤井(厳)氏の提言の第3回。

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■藤井厳喜氏の「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!」(その3)

4.新エネルギー開発による段階的脱原発化 

▲福島における原発事故は、現在のところ、最悪の事態を免れてはいる。
 大震災と大津波は自然災害であるが、原発事故は自然災害が引き金となってはいるが、基本的に人災である。最悪の事態が起きる前に、日本は現在の核分裂に基づく原子力発電所を段階的に廃棄し、新エネルギーの開発によって、これを代替すべきである。
 原発については、様々な考え方があり、私自身もかつては原発容認派であり、寧ろ最近は「原発推進もやむをえず」との立場を取って来た。しかし、他の国はともかく、いつでもどこでも予測不可能な大震災の起きる可能性のある日本の国土にとっては、現在の原発はあまりに危険すぎる。
▲日本の原子力発電所を各国と対比した場合、相対的に安全であったのは事実であろう。
 しかし、マグニチュード8.5の地震には耐えられても、マグニチュード9とそれに付随して起きる大津波には耐えられなかったというのが現実である。どこにどの程度のマグニチュードの地震が起き、それがどの程度の震度となり、あるいはどの程度の津波被害をもたらすか等を、完全に予測する事は出来ない。
 安全基準は常にある程度の常識の範囲内で行なわざるを得ない。歴史的にマグニチュード9の地震が、過去になかったとすれば、それを想定しないのが経済合理性というものである。しかし、何百年に一度、千年に一度の想定外の大地震はいつでも起きる可能性があり、現実に今日の東北ではそれが起きてしまった訳である。
▲M9の地震や大津波に耐えうる原発を創る事は可能であろう。
 しかしそれでも、M9以上の地震や津波には耐えられないであろう。そうである以上、原子力発電所が日本にとってはあまりに危険であり、不向きな発電方法である事は確かである。
 地震や津波の想定とは、所詮、人間の都合で行なう事であり、もっとハッキリ言えば、企業は常にこれを採算性と照らし合わせて行なっている。安全性最優先ではないのである。地震の絶対ないテキサスや、フランスやドイツならば原発は作ってもよいかもしれない。それは各国それぞれが独自の判断で行なえばよい事だろう。
 日本に原発が向いていないからと言って、地震も津波も台風も来ない自然条件をもった国が原発を全廃すべきである、とは言えない。しかし、日本国に関して見れば、まさに想定外の地震災害が起き、それによって原発の安全神話は完全に崩れてしまったのである。
▲今日までのところ、原発事故に起因した被爆による死者ないし患者は、一人も出ていない事になっている。
 そうであり続ければ結構な話だが、今後、被ばくによる様々な被害者が続出して来ると思われる。
 死者が今のところ発生していないにしろ、かなりの放射線漏れがあり、防災対策員を中心にかなりの被爆者が発生している。これは明らかに電力会社が公言していた「安全」の約束が破られた事を意味している。これに対する社会的責任は誠に重大であると言わなければならない。
▲電力供給は、公共性の高い事業であり、電力会社は、自由競争を免除されて、独占的な立場を享受している。
 それは事業の安全と電力の安定供給の為に与えられた特権的な立場である。その特権的な立場にも関わらず、今回、東京電力は、電力の安定供給が出来ず、安全性を保つ事が出来なかった。その社会的責任は実に甚大である。
 また、原発災害の対策の為に、国家機関がどれほどの費用を負担しなければならなかったのか。 この費用負担に対しても東京電力は全面的に責任がある。企業のあり方そのものの変革が必要である。
▲そもそも原発に関しては、「絶対安全」が謳われ、「安全神話」が造られてきた。
 何故なら、万が一、本格的な原発事故が起きた場合、その被害があまりに膨大な為である。
 今回の福島原発の事故でも、本格的なメルトダウンが発生していれば、首都東京も含む、東日本のかなりの部分が危険地域となり、数百万人の被害者が発生していた可能性がある。また事故が巨大となれば、日本国民そのものの生存が危うくなる可能性もあった。更に事故が巨大になれば、日本国一国の問題ではなく、放射能汚染が地球のかなりの地域にまで拡がり、被害を拡大した可能性もある。それ故に、原発に関しては絶対安全神話が人為的に作られて来たのである。
▲今回、我々は、日本の、もしかすると人類の「最後の日」を垣間見た訳である。
 この恐怖感に我々は素直に反応すべきであると思う。
 そもそも、絶対安全でなければならない技術は使ってはならないというのが原則である。何故なら、人間の作るものに絶対安全は有り得ないからだ。人間の作るものに絶対安全はない。事故が起き、技術が破綻した場合でも、その被害が限られているから、我々は絶対安全でない技術を使い続けているのである。
 例えば旅客機は、「絶対安全」ではない。しばしば墜落事故を起こす事を我々は知っている。しかし、旅客機が墜落した場合の最大の被害は、乗客と乗員の全員死亡である。(それが原発の上に落ちない限りは…。)
 火力発電所が事故を起こしても、その最悪の結果は想定内である。環境の破壊もあるが、それも限られたものである。しかし、現行の原発の事故に関しては、最悪の事態は、地球環境事体の汚染であり、日本人そのものの生存すら危うくなる可能性がある。このような(絶対安全を前提としなければならないような)技術は、使ってはならないというのが、本来の技術哲学である。
▲人類は、スリーマイルアイランドの事故とチェルノブイリの事故と福島第一原発の事故を経験した。
 各国の判断は、各国国民に任せるとしても、少なくともこの地震列島に住む我々が、これ以上、原発に電力供給を依存し続けていく事は許されないだろう。それは又、我々の子孫に対する責任であると同時に、他の国々に対する責任でもある。国土を核汚染して取り返しのつかないような災害をもたらす事を、日本国を愛する全ての人々は許してはならない。
▲日本に全く地震が無く、津波も台風も無く、ウラン鉱石が豊富であるならば、日本が原発に依存する事にも、ある程度の合理性は存在する。
 しかし日本の地理的条件は全くそうではない。
また、原発に対する代案がなければ原発廃絶を訴える事は、あまりに無責任な主張であろう。しかし現在、バイオマス、常温核融合、その他の再生可能な自然エネルギー、又、従来の火力発電や水力発電の効率化や節電などの新テクノロジーが既に目白押しであり、国内の発電量の約3割から4割(原発の発電量)をこれらの新しい電力源で代替させる事は、十分に可能である。それどころか、国家の通貨発行権を元にした新エネルギーの実用化は、日本が世界に輸出する新テクノロジーとして、有望な成長産業である。
 原発推進者自身が認めるように現在の核分裂型の原子炉は、本格的なクリーンで安全なエネルギー源が誕生するまでの過渡期の発電形態に過ぎない。
▲現在、最も革新的なものとしては常温核融合の可能性も大きく拡がっており、それ以外にも、様々なコスト的にも成立可能な代替エネルギーが開発されている。
 これらの普及を阻んでいるのは、寧ろ、現在既に存在しているエネルギー利権である。例えば、植物から取れる安価なアルコール燃料が普及すれば、ガソリンの売上が減少するので、石油会社はこれを阻もうとする。原子力発電にとって代わる安全で安価な常温核融合発電がもし可能であったとしても、既存の電力会社の利益構造がそのような新テクノロジーの発展を阻む事になる。
 要は、如何に合理的で、市場性のある新エネルギーでも、既存の利権構造に阻まれれば、社会に普及する事が出来ないという問題である。今や、このような社会の安全と進歩を阻む旧利権体制を一掃して、国民に安全で安価なエネルギーを供給する体制を打ち立てなければならない。
▲しかし、これには大きな困難が伴う。
 独占的な9電力体制によって守られている電力会社は、巨大な利権機構であり、官僚組織である。
 まして原子力発電は、「めちゃめちゃに儲かる」商売なのである。彼らは政治家と学者とマスコミに対して、巨大な支配力を行使している。
 独占事業をやっている電力会社が本来、マスコミでPRをする必要は全くない筈だが、彼らはPRに厖大な費用を費やしている。原発を中心に電力会社に対する批判を封じ込める為である。今回の福島原発の事故に際しても、テレビ等の解説に登場した学者のほとんど全ては、原発擁護・推進派であり、電力会社の息のかかった御用学者である。
▲更に、この悲劇を増幅しているもう1つの事実がある。
 それは、反原発を唱える人々の主力が、リベラル左派の反体制派であった事である。日本の国益を重視し、日本の文化伝統を愛する立場からの反原発論者は極めて少数派であった。
 その結果、マスコミの中で展開される図式としては、「体制派=原発推進派」VS「反体制派=原発反対派」という不毛の対立図式しか存在しなかった。そこで一般に、国益や伝統を重視する人々の間では、原発に対する批判がタブー視されてきた傾向がある。一言論人として、そのような無言のプレッシャーは私自身も常に感じて来たところである。
▲ハッキリ言えば、保守的な言論人であって、脱原発の立場を明確に打ち出すのは、極めて難しい状況にあった。
 多くの雑誌やマスコミが、電力会社の広告料に依存している以上、ましてこの不況下で、マスコミの広告料が減少傾向にある中、電力会社の主張に相反するような言論を展開する事は、特に保守派の言論人にとっては、致命傷になる可能性がある。多くの言論人はこの事を無言の内、了解しており、このタブーにだけは触れないように、巧みに振舞ってきたと言えるだろう。
 このような国家と民族の未来を破壊する旧利権構造は最早、完全に過去のものとしなければならない。私自身の反省を込めて、そう訴える。
▲話がやや、個人的なレベルに逸脱してしまった感があるが、国家の通貨発行権を軸とした新公共投資の大きな柱として、新エネルギー開発を大胆に推し進めるべき時である。
 日本国民は、智恵と工夫の民族であり、一端、新しい課題が与えられれば、これを技術的に克服する事は決して難しくはない。日本人本来の創造性を信じて、新たな一歩を前に踏み出すべき時である。私自身は勿論、技術者ではないが、原発にとってかわる様々な新テクノロジーについては、常に関心をもって、これを見守っている。
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 以上が、藤井(厳)氏の「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!」である。次回から、氏の提言に関する私見を述べたい。
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日本復興の提言~藤井厳喜氏2

2011-04-25 08:52:59 | 時事
 藤井厳喜氏の提言、その第2回。

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■藤井厳喜氏の「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!」(その2)

2.円高阻止の協調介入の必要なし:短期の円高を利用し、復興の為の大量資源調達を行なえ

▲日銀・財務省は、主要先進国の協力を得て、円高阻止の協調介入を行なった。
 国益に全く相反するパニック行動としか言いようがない。
▲日本の生産設備が大きく傷つき、GDPが下降せざるを得ない状況にあっては、放っておいても円高は終息し、円安の方向に向かう事は明白である。
 日本の輸出力が阻害される一方、災害復興の為に、大量の資源輸入を必要としている。資源の大部分はドルで調達するのだから、需給関係に任せていれば、自ずと円安ドル高となる事は、火を見るよりも明らかである。
▲一時的な円高は、日本企業が海外にもつ資産を国内に還流させる動き(リパトリエーション)が生じるのではないか、との思惑から起きた。
主に投機資金の為に生じた一時的現象である。
▲日本は災害復興の為に、大量の資源を必要としている。
 一時的な円高は「不幸中の幸い」であり、資源を安価に大量に調達する最高のチャンスが現在与えられている。
 日本経済の潜在力がもたらした一時的な好条件である。この天与の好条件を十二分に利用し、国家も企業も資源(特に原油を中心とするエネルギー・鉱物資源・食糧)を可能な限り、調達すべきである。直ぐに日本国に輸送しなくても、先物等も利用して、円が強い内に、可能な限りの資源調達に手を打つべきである。
▲日本経済のダメージの実態が明らかになれば、円が極端な円安方向に動く可能性もある。
 「1ドル=120円」程度の円安まで想定しつつ、今後の国家経済の運営を考えなければならない。加工貿易を行なう日本にとって、そして大規模な経済復興を遂げなければならない日本にとって、安価な資源調達は決定的に重要である。
 悪条件の中の唯一の好条件が、円高であると言ってもよい。「地獄に仏」の円高といっても良いだろう。これをフル活用しなければならない。
▲輸出産業に有利な円安は、放っておいてもやってくる。
 この時に資源コストが高くなっていれば、企業の利幅は当然、小さいものとなってしまう。円高で、調達した資源で製造したものを、円安で売ってこそ、大きな利益を上げる事が出来る。また国内の復興の為にも安価な資源調達は決定的に重要である。

3.東京への一極集中から、東日本・西日本の均衡のとれた国土発展へ

▲日本列島を本州・中央の糸魚川・静岡構造線を境として、東日本と西日本に分けると、現在、日本の経済的中心は、あまりに東日本に傾いている。
 これは人口分布に最もよく表れており、東日本の人口が、約8000万人。これに対して西日本の人口は、約4000万人に過ぎない。東日本の人口が西日本の2倍である。この主な理由は、東京への一極集中であり、首都圏への過剰な国家機能の集中である。
 現在の危機は、この東日本と西日本の極端なアンバランスを改善する好機である。人口分布で言えば、東日本6000万人、西日本6000万人の東西の均衡のとれた国土に編成し直さなければならない。
▲もし今回のマグニチュード9の地震が首都圏で起きていれば、機能は完全に喪失していただろう。
 また、福島原発の事故が更に拡大し、首都圏が放射能汚染されれば、どの様な事になっていたであろうか。日本国は東京という頭部を失い、国家機関の中枢がマヒ状態に陥っていたであろう。国会を始め、中央官庁が機能マヒに陥り、日本国そのものが全く機能し得ない状態に陥ってしまったに違いない。
 災害が起きた時に、その災害対策を発令すべき国家の神経中枢がマヒしてしまう事になる。この恐怖を誰もが認識している内に、かねてから議論されてきた首都機能の分散は元より、産業再配備による東日本と西日本の、そして大都市と農村の均衡の取れた日本の国土発展を実現すべきである。
 大規模な国土計画の実行は、このような天災が起きた直後にしか行なう事は出来ない。「災い転じて福となす」の諺にもあるように、この天災を奇貨として、従来、絵にかいた餅に過ぎなかった首都機能の分散と国土の均衡発展を実現すべきである。好機は現在をおいて他にはない。
▲企業レベルで見ても、東日本の本社機能が万が一、災害により壊滅状態に陥った場合でも、西日本の支社がこれにとって代われるようなリスク分散を今こそ実行すべきチャンスである。
 また西日本に一極集中した企業があるとすれば、東日本に適度なリスク分散を成すべきである。
 これは、東京への過度の集中を是正し、首都圏に経済空間の余剰が生じた時のみに可能となる。 東から西への約2000万人の異動を伴う、国土再構築は、インフラの整備を含めれば、厖大な有効需要の創出となり、これが災害復旧の公共投資に更に上乗せした形で、日本経済を内需主導型で成長させるエンジンとなる。
▲平安時代までの日本は、西日本中心であった。
 東日本はフロンティアであり、新興地域であったに過ぎない。鎌倉幕府の開幕以来、このバランスに変化が生じ、東日本に徐々に国の重心が移って来た。明治維新以降は、東京への一極集中が進み、第二次大戦後の高度成長は、寧ろ、東京への一極集中を過度に推進してしまった。東日本でも、首都圏を除く、北関東・東北地方は、過疎に悩まされて来た。この歴史を踏まえて、西日本を大復活させる事により、東西の均衡のとれた日本が誕生する事になる。
例え国家の一地域において、決定的な災害が起ころうとも、他の地域が有機的に機能し、その損害を補う事によって、災害地の復興が可能となる。あらゆる富と生産設備と頭脳が一か所に集中していれば、その一か所が決定的な災害に見舞われた時、国家は、復活する事が出来ない。一地域における災害が、国家そのものの衰退という結果を生む事になる。
▲リスク分散はこの為にどうしても必要である。
 リスク分散は同時にコストの増大をもたらす。逆に言えば、東京への一極集中はリスクを無視した短期的な高率至上主義によってもたらされたものである。今後はコストを十分に踏まえた上でのリスク分散こそが、国家としての真の安全保障であるという原則に、政財界指導者は目覚めなければならない。それは同時に、過疎過密問題を解決する絶好の新政策ともなる。
 例えば国会に関しても、西日本の岡山や広島で年間何日間かを開催できる状況としておけば、首都東京が大災害に見舞われた場合でも、いつでも国家の緊急事態に対応する事が出来る。中央政府の諸官庁も西日本の主要都市に分散して配置しておけば、東京が壊滅した場合でも、いつでも大阪以西に緊急に機能を移動させる事が出来る。西日本においても、京阪神に一極集中が起きないように、寧ろ、主要中核都市を均衡発展させる政策を取るべきである。
▲又、この際、「地方主権」などという考え方が如何に国益に反し、現実にそぐわないかを再認識すべきである。
 もし、「道州制的地域主権」なるものが実現していたらどうなるだろうか。「東北州」の災害には他の道州は全く有機的にこれを救済する事が出来なくなってしまう。主権とは即ち、独立国家であり、独立財政であるから、国家としての一体性を原則として否定する事になる。
 「東北州」が一主権地域ならば、今回の大災害に対して、単独で災害復旧に立ち向かわなければならない事になる。如何に、地域主権という考えが、現実にそぐわないかは、この一事例をもってしても即座に了解できるであろう。
▲「日本国は、主権国家として一体であり、地方の自主性を重んじながら、国家機能を分散させ、リスクに備える」という考え方と、「道州制的地域主権」とは似て非なるものであり、実は真っ向から対立する国家観なのである。
 日本国民全体が、皇室という尊い存在の下、1つの歴史的な有機体として繋がりを持ち、相互に助け合い、各地方は均衡を持って発展してゆく、というのが真の国家経営のあり方である。
 またそれは、日本国の歴史が我々に教える国家発展の基本でもある。
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 次回に続く。
コメント

日本復興の提言~藤井厳喜氏1

2011-04-24 16:38:03 | 時事
 国際問題アナリストの藤井厳喜氏は、東日本大震災からわずか10日後sである3月21日に、「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!」と題した提言を、自らのサイトにて発表した。
 藤井(厳)氏は、日本の危機を打開する方法として、丹羽春喜氏の「救国の秘策」を支持してきた。私は、藤井(厳)氏を通じて丹羽氏を知った。藤井(厳)氏は国際問題の専門家だが、憲法の改正、国防の充実、領土問題の解決、外国人参政権反対、夫婦親子別姓反対等のために活動する国士である。



 藤井(厳)氏は「日本経済大復興計画」で、主権国家・日本のあり方を根本とし、政治・経済・社会・エネルギー等、幅広い見識をもって提言をしている。3回に分けて掲載させていただき、その後、まとめて私見を述べたい。

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■藤井厳喜氏の「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!」(その1)

http://www.gemki-fujii.com/blog/2011/000719.html
日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!
投稿日:2011,03,21

要旨:
 3・11東日本大震災・大津波・原発事故で、荒廃した日本経済を建て直す為に、以下の四大政策を提言する。

1.国家の通貨発行権を活用した、もしくは日銀の国債直接引き受けによる20兆円以上の大規模公共投資
2.円高阻止の協調介入の必要なし:短期の円高を利用し、必要資源を大量に調達せよ
3.東京一極集中から東日本と西日本の均衡ある発展を実現する国土計画
4.新エネルギー開発による段階的脱原発化

本文:

1. 国家の通貨発行権を活用した大規模公共投資

▲震災・津波・原発事故の2つの天災と1つの人災によって、東北地方は巨大な経済損害を受けた。このままに放置すれば、平成23年度のGDPは大きな落ち込みを記録する事になるだろう。
▲日本銀行による復興国債の直接引き受けが検討されているが、白川日銀総裁はこれに反対している。災害復興を目指す国家財政に必要な政策ではあるが、この手法では先行き財政的手詰まり状態に陥る事は明白である。
 日銀引き受けではあるが、国家の借金が急膨張する訳であり、早くも与謝野大臣らの財政再建派が、日銀の大量国債引き受けに関して強力な反対の声をあげている。
▲国債の引き受け手が日銀という国家機関であるにしても、国債引き受けは確かに国家財政の帳簿上の赤字を増大させる。これは必ず時間差を経て増税の要求に結び付く。
 これでは国家再建の為の大規模公共投資は不可能である。
▲この難問を解決する唯一の決定的な方法は、国家の通貨発行権を活用して、日銀が必要な額の通貨を発行し、この財源を行政府(財務省)に贈与する事である。(丹羽春喜先生の十年来の提案)
 国家の通貨発行権を生かした大規模公共投資を行なえば、今年(2011年)後半には、GDPをプラス成長に転換する事が可能である。
▲そもそも通貨発行権は、国家に与えられた特権である。
 国家の信用のもとに通貨が発行され、国民は国家を信頼するが故にその通貨を利用して経済活動を行なっている。
 現在の国家組織の役割分担の中では、主に中央銀行である日本銀行が、通貨発行の役割を担っている。しかし、日銀にのみ通貨発行権がある訳ではなく、行政府・財務省にも部分的に通貨発行権はあり、現在の500円玉以下の硬貨は、財務省の責任により発行されている。元々、国家に与えられた通貨発行権を日銀と財務省が共有しているのである。
 大事な事は、通貨発行権は、日銀という一組織にのみ与えられた特権ではなく、本来、主権独立国家が保有している権利であり、組織上、これを主に統括しているのが日本銀行であるという当たり前の事実である。
▲日本銀行は、この国家の通貨発行権を活用し、10兆円単位の財源を創出し、これを行政府(財務省)に与え、これをもって国家経済復興の為の大公共投資を行なえば、財源は無制限に存在する。
恐らく10兆円では不十分であり、数年間、継続して、累積的には数十兆円の国家の通貨発行による公共投資が必要であろう。
▲行政府と日銀は、共に、主権国家を構成する二つの機関に過ぎない。
 日銀が通貨を発行し、この財源を行政府に与えるというのは、右手が創ったものを、左手に与えるようなものである。日銀(右手)と行政府(左手)は共に国家(人体)の一部分である。
 これを考えれば、震災復興資金を日銀が通貨発行によって賄うというのは極めて自然な、寧ろ当然成すべき政策である。日銀による国債の直接引き受けでもよい。
▲このように考えれば、行政府が日銀に対して、国債を引き受けてもらい、借金をしているから、これを返済する為に国民に増税をしなければならないというのは、誠にバカげた考え方である。
 これは、需要が供給を上回っているような国家においては、増税という形で国民の需要を減少させる為に必要な政策かもしれない。しかし日本国においては、正に事態は逆であり、供給が需要を上回っているのであるから、通貨の信用を維持する為に、増税をする必要は存在しないのである。
▲極端な通貨発行がハイパーインフレにならない為の保障が日本国には存在する。
 それは、公共投資に従って生じる厖大な需要に応えて行なう国民の生産活動である。
 日本経済においてはそもそも、供給が需要を上回っており、このデフレ・ギャップ(供給マイナス需要)の為に、長期的な不況が発生していた。
 有効な需要さえ創出すれば、日本国民が本来の勤勉さを発揮し、生産活動に従事し、潜在的な供給力を現実の供給力に変える事によって、需給はバランス状態に入る。つまり、インフレを起こす事無く不況を脱出する事が出来るのである。
インフレが発生するのは、需要に供給が結び付かない場合である。日本国においてはそもそも供給力が過剰の為に生じた長期不況であったから、震災復興という巨大な需要を政府の公共投資で現実のものとしさえすれば、経済は力強く復活する事が出来る。
▲眼前に甚大な被害を受けた被災地が存在する。
 そこには、復興の為の厖大な需要が存在する。しかし民間の資金にのみ依存するならば、とてもこの復興を速やかに成し遂げる事は出来ない。国家が大規模な公共投資を発動して初めて、速やかな災害からの復興が可能となる。可能となるばかりではなく、それが新たな経済成長のエンジンとなり、21世紀後半に向けて、新しい日本の国の形を創る事も出来る。
 しかし、もし国家が表面上の財政困難を理由に、大規模公共投資を行なわないならば、地域の復興は不可能とは言えないが極めて緩慢であり、東北諸県の県民の不幸は極めて長期化するであろう。いくつかの地域においては、復興は不可能となり、そこには永久の荒廃地が誕生するであろう。
▲日銀が、10兆円単位の国債を直接引き受ける場合でも、この国債は、この際「永久国債(超長期債)」として扱うべきである。
 限られた期限内に返済を迫られる国債として扱うと、これが必ず増税の必要と結びついて来る。そうすれば、国民の有効需要を奪ってしまう結果となる。これを防ぎ、順調な経済復興を実現する為には、あくまで「国債」という形にこだわるならば、10兆円単位の国債は、期限を定めて返済する必要のない、「永久国債(超長期債)」として、全く別枠の会計として取り扱うべきである。
 このようにすれば、巨額の国債は、国家の通貨発行権の活用と極めて近い形となる。

■追記

 藤井氏は、4月5日「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!(2) 補足:財源篇」として、具体的財源に関する補足をブログに掲載した。
 これを追記として掲載させていただく。

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▲政治家が柔軟に対応しさえすれば、復興の為の政府財源はいくらでも生み出す事が出来る。
 その為には以下の様な手法がある。

(1) 日銀が特別財源の為の通貨を発行し、これを行政府(財務省)に贈与する。
(2) 日銀が、「無期限債(超長期債)」として国債を引き受け、政府に財源を与える。
 この場合、復興目的の無期限債に関しては、当然「無利子」とし、従来の国債のアカウントとは全く別の会計として扱う事とする。
(3) 上記のような形で日銀の協力が得られないとすれば、財務省が「通貨発行権」を行使し、「財務省紙幣(政府発行紙幣)」を独自に発行して、復興投資財源とする。
 この場合、「5万円札」「10万円札」のような従来発行されてこなかった高額紙幣として発行する事が、日銀券との混乱を防ぐ為にも望ましいであろう。

 以上、3つの手段とも、国家のもつ通貨発行権を活用するものであり、インフレさえ起こさなければ、発行額については特に限界を設ける必要はない。
 需要不足によるデフレ不況に苦しんできた日本経済を一挙に活性化させるには、これらの手段のいずれかを実行するしかないであろう。
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 次回に続く。
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トッドの移民論と日本52

2011-04-23 08:51:09 | 国際関係
●トッドの日本論3~脱工業化時代への対応

 トッドによると、直系家族的集団は、伝統的な社会が近代化し、さらに脱工業化社会になっても、親子の結びつきが強く、家族が団結する。それにより、脱工業化時代にあっても、根本的な価値観を維持している。トッドは、次のように言っている。
 「20世紀において、ドイツ、スウェーデンあるいは日本の都市部では、両親と未婚の子供だけから構成される核家族型世帯が、人類学的な中核的制度として主流を占めるにいたる。しかし三世代家族が姿を消したからといって直系家族的システムの根本的価値観が消滅したことにはならない。その存続は別の形で家族生活の中に観察できるのであり、また社会生活の中で多様な具体的形態を通して観察できるのである。
 家族のレベルではその価値観の永続性は、親と既婚の子供の間の緊密な絆の維持に明らかに現れており、その絆は狭い核家族世帯の枠を超えた親族のネットワークを形成する。こうした連帯により、家計面であれ子供の教育に関してであれ相互援助が可能になる。とりわけ、核家族的外見の世帯の中核において直系家族的価値は、権威と規律という価値と家族の知的・職業的世襲財産の相伝と拡大という観念を重要視する教育の中に永続している。直系家族システムの核をなす家系の連続性の原則は、社会的・経済的状況の変化によって破壊されず、むしろ形を変えたのである」と。
 トッドが指摘する上記の傾向は、わが国においてはっきりと見ることができる。先に書いたように敗戦後、わが国の家族制度は外力によって変造されたが、それでもなお直系家族的価値観は存続し、また家系の連続性の原則は形を変えて保持されている。「価値体系としての直系家族は、家庭を形成する形態としての直系型世帯が消滅しても生き残ることができる」とトッドが言っていることは、わが国によく当てはまる。
 トッドは、社会的・経済的変化への直系家族の対応の例として、教育を挙げる。直系家族的集団は、親子の結びつきが強く、家族が団結する。それが、子供の勉学には有利に働き、社会的職業的な上昇を促す。直系家族の教育熱心さは、知識や技術が高度になった脱工業化社会では、次世代の育成に成果を上げている。トッドは、次のように書いている。
 「脱工業化時代の全般的な知的・技術的レベルの上昇の中では、社会的地位向上の欲求は、特に高度な教育を受けた子供の産出を通じて実現されるようになる。こうした目標を達成するために、もはや三世代同居家族ではなく、むしろ心性的システムを特徴とするようになった現代の直系家族は、大抵は子孫の数を制限し、両親の注意と援助をただ独りの子供に集中させるようになる」。日本はその例であることをトッドは指摘する。日本を含む直系家族は「極めて低い出生率が、今日では子供の優秀な学業成績と連動している」と言っている。
 日本人やユダヤ人が、アメリカ社会で、大学に多数進学しているのは、このためである、とトッドは指摘する。直系家族的集団は、産む子供を少なくして、子供一人一人の教育に費用をかけ、教育を財産として子供に与える。そのため少子の傾向がある。一方、絶対核家族は、個人の自由と子供の自立を重んじるため、教育では成果が上がっていない。その代わり、相対的に子供の数は多いという傾向がある。
 トッドは、直系家族的集団は、脱工業化時代になっても、根本的な価値観を維持し、親子の結びつきが強く、家族が団結し、次世代の育成に成果を上げているとし、その典型を日本に見ているのである。この見方は、日本の社会の特徴を評価し、日本人は直系家族的な価値観を保つべきことを示唆していると言えるだろう。

 次回に続く。
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日本復興の提言~藤井聡氏4

2011-04-22 09:32:47 | 時事
 藤井聡氏の参院予算委公聴会での公述。その最終回。

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■平成23年3月23日参議院予算委員会 公聴会 藤井聡公述人 公述禄(その3)

~~列島強靱化10年計画~~
 さて、以上の東日本復活5年計画と平行して、日本の永続的な繁栄を期する「列島強靱化10年計画」を強力に推進することを提案いたします。
 もちろん、初期数年間は東日本復活に注力する必要がありますが、その復活の程度に応じて生ずる余力を結集し、日本全体の強靱化を図るわけであります。
 まずは、100兆円前後もの被害をもたらすと言われている首都直下型、東海・南海・東南海地震への対応が、急務であります。それと同時に、最悪で70兆円もの被害が懸念されている首都を直撃する大洪水への対策も不可欠です。例えば、現在中止されている八ッ場ダムをはじめとしたダム事業や、スーパー堤防事業が、「洪水対策」としても重要な意味を持つことは、工学的に、明白であります。しかも、各地域のダムによる水力発電は、これからの「電力計画」の観点からも、重要なものとなるでしょう。
 なお、原子力政策の見直しは、今回の事故の結果を科学的に分析した上で、冷静に議論されるべきであることは、一言、申し添えさせていただきたいと思います。
 さらには、物流網、エネルギー・電力系統網については、平常時において過剰に効率化することを差し控え、過剰に効率化することを差し控え、まさかの被災時を想定した、二重化 等が必要となるでしょう。例えば、東海側の大地震を想定した、日本海側の交通インフラの強化などが、必要とされるわけであります。なお、そうしたインフラが日本海側の、平時の発展に資するものであることは、言うまでもありません。
 この様な、インフラシステムの強靱化に加えて、産業構造そのものの「強靱化」も不可欠であります。まさかの被災時に、どのようにして事業を続けていくのかという計画、いわゆる、BCP(ほそかわ註 事業継続計画)の策定が、企業、自治体、国といったあらゆるレベルで必要とされています。ついては、BCP策定の義務化も視野に納めた立法的議論が必要と考えられます。
 さらに、エネルギーや食料といった基本的な物資については、「まさか」の時を平時から想定し、可能な限り自給率を高めると共に、備蓄量を一定確保することも必要でしょう。

~~「コンクリートから人」~~
 最後に、当方からの公述を終えるにあたり、どうしても申しあげなければならないことがございます。
 今回の予算の中でも、かつての選挙でマニフェストに掲げられていた「コンクリートから人」への方針は、踏襲され、公共事業が大きく削られたままであり、かつさらに公共事業費が削られようとしています。もちろん、この度の地震・津波は、例えば日本一とも言われた堤防ですら、軽々と乗り越える程の巨大な破壊力を持ったものでした。しかし、ほとんど報道されておりませんが、「堤防によって津波から守られた街」があった事も、事実なのであります。
 さらには、公共事業関係費によって進められた「リスクコミュニケーション」という取り組みの中で、「津波から逃げるべきだ」、ということを人々に地道に伝え続けた事で、あの津波から逃げることができ、助かった人々がおられたことも、事実であります。
 したがいまして、「コンクリートから人へ」といった、公共事業を削減する方針がなければ亡くならずに済んだ方々が、多数おられたであろうことは間違いないのであります。
 それを思いますと、かえってお亡くなりになる「人の数」が増えしてしまうような、「コンクリートから人へ」なるスローガンに基づくような予算編成などは、断じて許すことができないのであります。
 さらに言いますなら、そのような、実際には破滅的であるものの、一定の集票効果が見込めるような軽薄で耳あたりがよい甘い「スローガン」を、「国民の生命と財産をまもるべき政治に直接・間接に関わる人々」には、もう二度と、口になさらないでいただきたいと、強く、祈念せずにはおれません。今国会で議論されております予算案におきましても、是非とも、その点、最大限のご配慮を賜りますよう、一専門家として、声を大にして、申し上げたいと思います。

~~政治決断を~~
 いずれにしても、東日本、そして、日本そのものの復活は、冷静に考えれば考えるほどに、十二分に可能であることが見えてまいります。
 そのための財源は、我が国の中に、確かにあるのです。そして、技術立国日本には、その技術力も、十二分にあるのです。それを思えば、東日本、そして、日本の復活のために今、足らないものは、政治決断だけなのであります。すなわち東日本を復活させんとする政治決断なのであり、日本を強靱な国にせんとする政治的決断こそが今強く求められているのであります。
 是非とも、東日本が復活し、日本が度重なる巨大震災を含めた様々な国難をも乗り越え得る強靱な国になるための政治決断を下されんことを、改めて、お願い申し上げまして、わたくしの公述を終えたいと思います。
 ありがとうございました。
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 以上、参議院予算委員会公聴会における藤井(聡)氏の公述を掲載した。主旨は「東日本復活5年計画」で短期集中的な復興・復旧事業を行なう。また、「列島強靭化10年計画」で東海、東南海、南海地震や首都直下型地震に備えて強靭な日本をつくる。これらを並行して行うというものである。
 私はこの提言に概ね賛同する、首都直下型地震は30年以内で発生確率が70%、東海・南海・東南海地震は30年内で発生確率が50%~87%と言われる。これらの巨大地震に耐え、日本が存続し、繁栄を維持していくためには、防災を強化し、災害に強い日本を創ることが急務である。
 国家としての防災強化を行うためには、資金がいる。藤井(聡)氏は、菊池英博氏が提言する大規模な財政出動に賛同する。財源は「日本銀行の積極的な買いオペレーションを促す日銀・政府間の適切な協調(アコード)の下、年間数兆円から、最大で20兆円規模の国債発行を行なう」とする。この財源を、初期5ヶ年は「東日本復活5年計画」に重点的に配分、後期5ヶ年は「列島強靱化10年計画」に集中配分する。その際、適正なインフレ率(2.5~3.5%程度)を設定してコントロールするというが、わが国の経済は巨大なデフレギャップがあり、この規模の財政出動でインフレになる可能性は低いと私は思う。ここでいうデフレギャップとは、単なる需給ギャップではなく、現在稼動している生産力と潜在的な生産力の差である。
 さて、日本復興の活動を進める一方で、どうしても避けねばならないものがTPPだと藤井(聡)氏は言う。東北地方は日本の食糧 供給 地帯であり、TPPに加入すれば、さらに壊滅的なダメージを受ける。被災地に諸外国からの安い農産品という第二の津波が襲来すれば、ますます壊滅的な被害を被る。被災した農業地帯が復興に専心できるように、TPP交渉不参加の決定の明言を、と藤井氏は強く政府に求めている。私は同感である。
 このTPPに関する主張は、『TPP亡国論』の著者・中野剛志氏の主張でもあるだろう。また、上記計画のうち、経済政策の部分は、中野氏の手腕が相当発揮されているのではないかと推測する。TPP参加の危険性は、東北地方に被害をもたらすに留まらない。日本経済そのものに甚大な被害をもたらす。この点は、後で載せる関連掲示をご参照願いたい。
 藤井(聡)氏は言う。「東日本そして、日本そのものの復活は冷静に考えれば考えるほどに十二分に可能である事が見える。そのための財源はわが国の中に確かにある。そして技術立国日本にはその技術力も十二分にある。東日本そして日本復活にいま足りないのは『政治決断』だけである。すなわち東日本を復活させる為の政治決断、日本を強靭な国にするための政治決断こそが強く求められている」と。これも、まったく同感である。
 私が、「列島強靭化計画」にぜひ加える必要があると思うのは、太陽光を中心とした自然エネルギーの活用による「21世紀の産業革命」である。藤井(聡)氏の計画には、「エネルギー・食料の『自給率』および『一定の備蓄量』の確保」という項目があり、「『列島強靱化』のため、国民生活にとって最も重要なエネルギーと食料については一定の『自給率』と『備蓄』の確保を図る。」と書かれてはいる。だが、それをどのように実現するかが盛られていない。私はエネルギーに関しては、太陽光、風力、地熱、潮力、小水力、バイオマス等の自然エネルギーを積極的に活用し、「21世紀の産業革命」を進めるべきと思う。電力の約3割を依存している現在、原発を一気に全廃することはできない。大震災における原発事故を機に、今こそ自然エネルギーの活用を推進し、原発への依存を段階的に減らしていかねばならない。日本列島周辺に大量に埋蔵されている石油より環境負荷の少ないメタンハイドレートの開発を本格的に進めることも必要である。また常温核融合の実用化を急ぎ、もっと安全に原子力を利用することも推進すべきである。このことを大震災からの復興において、社会的インフラ再建、住宅建設、都市建設、地域再開発等に組み込み、復興構想の柱の一つとすることを提案する。

 次回から、藤井厳喜氏の提言を掲載。

参考資料
・藤井聡著『公共事業が日本を救う』(文春新書)
 氏の「日本復興計画」のもとになる主張が書かれている。
関連掲示
・拙稿「TPPはトロイの木馬~中野剛志氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20110125
・拙稿「TPPの狙いは金融と投資~東谷暁氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20110330
・拙稿「『太陽の時代』のギガトレンド~21世紀の産業革命を促進しよう」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13g.htm
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孫正義氏が自然エネルギー財団設立を発表

2011-04-21 12:19:45 | 時事
 ソフトバンクの孫正義社長が20日、太陽電池など自然エネルギーの普及を促進するため、「自然エネルギー財団」を設置すると発表した。世界中の科学者ら約100人に参加を促し、政府への政策提言などを行うという。
 民主党の会合で講演したもの。ニコニコ動画で生中継されたという。

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●ニコニコニュース 平成23年4月21日

http://news.nicovideo.jp/watch/nw54747
ソフトバンク・孫社長、脱原発の「自然エネルギー財団」設立を発表
NCN 4月21日(木)10時00分配信

 ソフトバンクの孫正義社長は2011年4月20日、民主党の東日本大震災からの復興ビジョンを検討する会合で、「自然エネルギー財団」を設立すると発表した。
 孫社長は、東日本大震災の被災者を支援するため、すでに個人で100億円を寄付すると発表していたが、これとは別に新たに設立した「自然エネルギー財団」へ10億円程度を提供するとされる。「脱原発」を目指すこの財団では、世界からトップレベルの科学者100名を結集し、自然エネルギーの研究発表や政策の提言を行うという。
 また、会合で孫社長は具体的な復興プロジェクト例として「東日本ソーラーベルト構想」を提案。これは、津波の被害を受け塩害により農地として使えなくなった地域を中心に太陽光や風力による発電をおこない、エネルギーだけでなく雇用をも創出していくというものだ。孫社長は、構想について「日本は世界一のテクノロジーを持っている。世界最大のソーラーベルトを作れば、21世紀にもう一度日が登る」と期待を込めて語った。

孫正義講演「震災復興に向けて」(民主党復興ビジョン会合)
「ソフトバンク・孫社長、『自然エネルギー財団』の設立を発表」部分から再生
http://live.nicovideo.jp/watch/lv47113662#39:37
(番組はタイムシフト機能でいつでも視聴できる)
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 私は孫氏の財団設立・構想推進を歓迎する。
 孫氏が言っているのは、自己資金で財団を作り、政策提言をするということである。その提言を採用するかどうかは、政党や政府の判断である。また最終的には国民の意思である。
 孫氏は在日韓国人2世だが、私は、韓国系であれ中国系であれ、日本に帰化し、日本を愛し、日本国民として国益のために行動する人は、同胞とみなす。そういう友人・知人もいる。純粋な日本人であっても、反日的な思想を持ち、日本を破壊するような日本人もいる。その人の思想と行動をもって人物の判断をすべきだと思う。

 孫氏は、東日本大震災において、個人で100億円の義援金を寄付をした。ほかにも多くの篤志家がいるが、孫氏の金額は群を抜いている。孫氏個人のことを私は良く知らないが、これだけの寄付を出すことは、相当の気持ちがなければ出来ることではない。今回氏が発表した構想も、自己資金でやるという。ロックフェラー財団を中心とする石油利権、ロスチャイルド財団を中心とするウラン利権が支配する現代の世界で、実業家が自然エネルギーの開発に挑戦することは、相当の覚悟がいるはずである。孫氏には、圧力に負けずに大いにやってもらいたい。
 私は、大震災を機に、太陽光を中心とした自然エネルギーの活用を推進し、「21世紀の産業革命」を実現すべきと考える。電力の約3割を依存している現在、原発を一気に全廃することはできない。今こそ自然エネルギーの活用を推進し、原発への依存を段階的に減らしていかねばならない。また常温核融合の実用化を急ぎ、もっと安全に原子力を利用することも、進めていくべきである。孫氏の構想がこの方向に貢献することを期待する。
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