ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ユダヤ69~幕末・維新期のわが国とユダヤ人資本家との関係

2017-06-30 09:38:54 | ユダヤ的価値観
●幕末・維新期のわが国とユダヤ人資本家との関係

 ところで、わが国とユダヤ人金融資本家との関係は、日露戦争の時に突然生じたものではない。そのことを振り返っておこう。
 ロスチャイルド家は、イギリスやフランス等のアジア進出とともに、インド・シナ・東南アジアへと業務を広げた。その系列の銀行・商社が貿易・金融等を行った。19世紀後半、欧米列強は極東の日本にも触手を伸ばし、幕藩体制下で鎖国政策を取るわが国にも進出しようとした。
 この時、活発に活動したイギリスの貿易商社が、ジャーディン=マセソン商会である。同社は、1832年にシナのマカオで設立された。共同出資者は、ともにスコットランド出身のユダヤ人であるウィリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンだった。同社は、茶や生糸の買い付け、アヘンの密貿易などに従事し、イギリス・インド・シナを結ぶ三角貿易で大きな利益を得た。先に触れたサッスーン財閥とはライバル関係にあった。
 1834年に東インド会社のシナ貿易独占権が廃止されると、同社は民間の商社として急速に活動範囲を広げた。船舶を所有して運輸業を行い、建設や銀行業にも進出した。日本が開国に向かうと、1859年(安政6年)に横浜に支店を設立した。日本に進出した外資第1号だった。この年、トーマス・ブレーク・グラバーが、同社の長崎代理店として、グラバー商会を設立した。
 グラバーは、土佐の坂本龍馬、岩崎弥太郎、薩摩の五代友厚等の若者を積極的に支援した。龍馬は、グラバーを通じて、ジャーディン=マセソン商会から討幕派の薩摩藩や長州藩が銃や軍艦等を購入することに協力した。同時に、幕府にもアームストロング砲などの武器を提供して利益を上げた。龍馬の亀山社中は、後に海援隊に改称された。五代は商都大阪の発展に貢献した。岩崎は政商として活躍し、一代で三菱財閥を築いた。
 1863年(文久3年)に、長州藩は、井上聞多(馨)、伊藤博文ら長州五傑をロンドンに留学させた。グラバーが仲介し、ジャーディン=マセソン商会が渡航の船を提供した。英国滞在中は、ジェームズの甥で同商会のロンドン社長であるヒュー・マセソンが世話した。
 イギリス人がこれほど日本人を厚遇したのは、日本人の中にイギリスに忠誠を誓う者を作り出し、彼らを使って日本を支配しようとする企図があったと思われる。
 幕末の日本は、黒船で来航したアメリカのペリー提督に開国を迫られ、1854年(嘉永7年)に日米和親条約を結んだ。それが開国の第一歩となり、以後、ロシア・オランダ等とも和親条約を結んだ。植民政策に巧みなイギリスは薩摩藩や長州藩に武器・機械等を売った。フランスは幕府に武器・機械等を売った。国内を分裂させて有色人種同士を戦わせ、その隙を突いて、支配力を及ぼそうとするのは、欧米白人種の常套手段である。その先兵となっていたのが、ユダヤ人である。欧米列強は、それぞれの国益を追求して行動するが、ロスチャイルド家等のユダヤ人資本家は国家の枠組みを超えてつながっている。貿易であれ、戦争であれ、融資であれ、すべてもうけを得る手段となる。こちらが普通の商売のつもりで深入りすると、侵入を許すことになる。
 だが、幕末の日本人は、アヘン戦争に敗れたシナが欧米列強の半植民地にされたのを見て、白人種の支配下に置かれることのないよう強い危機感と熱い民族意識を持って対応した。長州には吉田松陰、薩摩には西郷隆盛という偉大な人物がいた。坂本龍馬は、藩の枠を超え出て、日本という国のために行動した。松陰の弟子である桂小五郎(木戸孝允)と西郷隆盛の間に立ち、両藩の遺恨を超えて薩長同盟を実現させた。これによって、討幕勢力の結集ができた。龍馬は、朝廷に政権を返上する大政奉還を推進した。志半ばで暗殺されたが、大調和の日本精神を発揮して、民族存亡の危機を乗り越えるべく、天皇を中心とした国家の建設に献身した。
 1867年(慶応3年)、王政復古の大号令が発せられ、明治維新が開始された。翌年討幕軍の西郷隆盛は、幕府方の勝海舟と話し合い、江戸無血開城を成し遂げた。日本民族の内部で相争って、江戸が戦火の海になると、白人種の支配を許してしまう。それを避けるための合意だった。ここにも大調和の日本精神が現れている。
 明治政府による近代国家建設は、欧米金融資本の資金力・技術力・情報力等を利用して進めたものである。明治政府と最初に関係を深めたのは、やはりロスチャイルド家だった。当時、欧米の銀行・商社・製造者等は、ロスチャイルド系かまたはそれに連なものが圧倒的に多かった。独立後の日本をロスチャイルド家等の欧米資本は、武器・機械等の先端技術による商品を売ることで支配下に置こうとした。維新の元勲はその策に飲まれないようにしながら、欧米の文物を購入することで、文明開化・富国強兵・殖産興業を成し遂げた。
 政府は、江戸時代から続く商家・三井家を重用した。長州藩出身の内務卿、井上馨がロスチャイルド家と三井家を結びつける窓口を担った。井上は三井の番頭といわれた。だが、井上には実務能力がなく、彼に代わって実務を取り仕切ったのが、大蔵省時代の渋沢栄一だった。
 渋沢は、1867年パリ万博の時にフランスに渡り、フリュリ・エラールから銀行業、近代の金融業を学んでいた。エラールは、フランス・ロスチャイルド家の総帥、アルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵に仕える銀行家だった。渋沢は、そこで得た知識と人脈を使って、野に下ると、日本初の国立銀行を作り、約500の企業の創設に関わった。それによって「日本資本主義の父」と呼ばれる。渋沢の偉業は彼の個人的な実力だけではなく、背後にロスチャイルド家の支援があったからと考えられる。
 三菱の岩崎弥太郎は、西南戦争をきっかけに、アメリカのロックフェラー家と手を組んだ。こうして、わが国ではロスチャイルド=三井系とロックフェラー=三菱系という二大財閥グループが対抗する構図が生まれた。
 日本は、帝国議会の開設、憲法の制定、産業の重工業化を進めた。こうしてアジア初の近代国家として国際社会に参入した日本に、最初に立ちふさがったのが、シナの清国だった。わが国は、1894年(明治27年)の日清戦争で清国を破り、朝鮮半島における権益を獲得し、また台湾の割譲を受けた。
 こうして欧米資本の資金力・技術力・情報力を利用しながら成長を続ける日本にとって、どうしても矛を交えねばならない相手があった。ロシアである。日本は、開国からわずか半世紀の後には、大国ロシアを撃破するほどの国力を蓄えていたのである。

 次回に続く。
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ユダヤ68~日露戦争とユダヤ人

2017-06-28 09:34:35 | ユダヤ的価値観
●日露戦争とユダヤ人

 英米に続いて、次に20世紀前半のロシアについて書く。20世紀の初頭、ロシアが当事者となった世界史的な事件が起こった。日露戦争である。新興国の日本と欧米列強の一角であるロシアが激突したのである。その結果、アジアで初めて近代化を成し遂げたわが国が、ロシアを打ち破った。これは15世紀末以降、白人種が有色人種を支配してきた歴史を止め、さらに逆転させる動きの始まりとなった。
 日本は、幕末に欧米列強の圧力によって開国を余儀なくされ、白人種の植民地支配を避けるため、明治維新を成し遂げて、幕藩体制を廃止し、中央集権国家を建設した。その後、急速に近代化の道を歩み、資本主義的な重工業化を進めた。そうした日本が参入したのが、帝国主義諸国がしのぎを削る争闘の世界だった。
 当時、東アジアでは、ロシアが朝鮮半島に触手を伸ばしていた。朝鮮半島は、日本にとって、死活にかかわる地域だった。1904年(明治37年)2月、その帰属をめぐって日本とロシアが激突した。世界各国の予想を覆して、奇跡的に日本が勝った。
 日露戦争での日本の勝利の要因はいろいろあるが、ここで強調したいのは、戦争継続のための資金に不足するわが国にとって、ユダヤ人資本家の協力を得たことが大きかったことである。
 日本銀行総裁の高橋是清は、政府の特命を受けて戦争資金の調達のためにロンドンに行った。そこで、アメリカのユダヤ人資本家であるクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフから、外債の大量購入の申し出を受けた。2億ドルという巨額の融資だった。戦費全体の4分の1弱に上った。シフは、ユダヤ教改革派の信者で、在米ユダヤ人社会のリーダーの一人だった。クーン・ローブ商会は今日のゴールドマン・サックス社に匹敵する金融業界の大手だった。シフの背後には、ロスチャイルド家がいた。クーン・ローブ商会は、アメリカにおけるロスチャイルド商会の代理人だったからである。世界に張り巡らされた彼らの情報網は、日本政府及び高橋の資金調達の動きを明確に把握していたのだろう。
 日本は、シフのおかげで大量の国債を売ることができ、その金でイギリスから戦艦を購入した。日本の最新鋭戦艦6隻はすべてイギリスからの輸入だった。イギリスは当時、世界一の造船王国で、戦艦三笠は1200万円で購入した。今日の金額で約300億円と推算される。その三笠が旗艦となり、東郷平八郎の指揮によって、ロシアのバルチック艦隊を撃破した。
終戦の翌年、わが国はシフ夫妻を国賓待遇で日本に招き、皇居の午餐会で明治天皇が勲二等を授けた。
 シフやその背後にいるロスチャイルド家が日本を支援したのは、ユダヤ人としての目的があった。帝政ロシアでは、ユダヤ人が激しい迫害を受けていた。欧米のユダヤ人資本家たちは、ロシアと戦う日本を支援してロマノフ朝に打撃を与えようと考えたのである。
 当時、日本はイギリスと同盟を結んでいた。世界最強の大英帝国が、アジアの新興国と同盟を結ぶというのは、画期的なことだった。日本は日露戦争において、同盟国のイギリスの支援を受けた。その支援がなければ、日本一国の実力だけで、大国ロシアを打ち負かすことはできなかった。また、日英同盟時代のイギリスの政策は、ロスチャイルド家の意向と切り離せない。イギリス王室とロスチャイルド家の利害は、ほぼ一致していた。日露戦争は、そうしたイギリスとの同盟を支えとして展開され、わが国は元寇以来の存亡の危機に勝利したのである。その背後には、ユダヤ人資本家の意思が働いていた。
 日本に敗れたロシアでは、ロマノフ朝の衰退が進んでいった。国内は混乱の度を増し、1917年の10月革命に結果することになる。一方、わが国の指導層は、シフの支援を通じて、欧米のユダヤ人資本家の実力の大きさを理解した。日本政府は、1930年代末にナチス・ドイツと関係を深めていった時期にも、オトポール事件ではナチスの意思に逆らってユダヤ人難民を救援した。そこには、シフへの恩義を忘れなかったということだけでなく、英米を中心とするユダヤ人社会を敵にしないという政治的・経済的な判断があったと思われる。だが、わが国は、指導層がアドルフ・ヒトラーに幻惑され、戦略的な判断力を失って、独と同盟を結んで英米を敵にする最悪の政策を選択してしまった。

 次回に続く。
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米国はパリ協定離脱宣言を撤回すべし4

2017-06-27 09:23:30 | 地球環境
●科学者の警告を無視した政策が強行

 トランプ氏は大統領選出馬表明前の2012年ごろから、ツイッターで「気候変動という概念は中国が米国の製造業を弱くするために作りあげたものだ」などと主張してきた。選挙期間中は、気候変動問題は存在せず、過剰な環境規制が経済を圧迫していると主張した。ツイッターに「気候変動の話は中国のでっち上げだ」と書いて話題になった。出馬表明後の2015年11月に出版された著書でも「地球には氷河期もあった。気候変動が人為的なものだとは簡単には信じられない」と言及し、パリ協定からの離脱を政策として掲げた。
 こうしたトランプ氏に対し、2016年9月、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士をはじめ375名の科学者が、トランプ氏に警告する公式書簡に署名したことが、世界的に報道された。
 トランプ氏が大統領選に勝利すると、科学者の間で次期大統領の科学政策を不安視する声が上がった。
 本年1月20日、トランプ氏が大統領に就任すると、直後にリニューアルされたホワイトハウスのWebサイトから気候変動に関するページがなくなった。翌週、トランプ新大統領は、環境保護局に対して研究資金援助と新しい契約を即時停止し、Webサイトから気候変動に関するページを削除するように命じた。気候変動に関わりの深い環境保護局、内務省、保健福祉省、農務省に対しては、メディアを含む一般向けの情報提供を一時的に停止するように箝口令を出した。アメリカ疾病予防管理センター(CDC)は、以前から予定されていた気候変動と健康に関する会議を突然中止した。さらに、今後は環境保護局から発表される科学的な成果やデータについては、政府から出向した職員が事前にチェックするという方針が出された。
 こうした政策に対して、気候変動の研究者を中心に大きな批判の声が上がり、トランプ政権に対抗する動きが起った。第一に「科学者たちの行進」の提唱。「科学的な成果やデータを政治的な意向で検閲すべきではない」と訴える研究者とそれに賛同する人々のデモの呼びかけである。第二に、データアーカイブ・プロジェクト。気候変動のデータが消される前に有志によって保存しようという取り組みである。第三に、アル・ゴア元米副大統領や共同主催者だった公衆衛生協会(APHA)などが中心となり、CDCが中止した会議と同様の会合が有志の手で開催されることになった。
 これらの動きがきっかけとなって、箝口令が敷かれた政府組織に属する職員らしき人々が非公式アカウントを作り、気候変動とトランプ政権に対する批判をツイートし始めた。それらのアカウントは1日で数万人のフォロアーを獲得し、先の三つの動きとともに大きな社会運動となっていった。
 これが、トランプ政権の発足から、わずか1週間の間に米国で起きたことだった。新政権は、最初の1週間で気候変動の研究者だけでなく、米国及び世界の多くの研究者の反発を買った。サイエンス・ライターで編集者の柏井勇魚氏は、2017年1月当時、次のように書いた。
 「研究者というのは基本的にオープンであることを是とする人たちです。それはサイエンスそのものがオープンであることにその正しさの論拠をおいているからです。論文が公開され、データが公開され、その研究手法が明らかにされて初めて、誰もがその研究の妥当性を評価できます。とくに気候変動の研究は、全世界規模で長期間、広範囲に渡って継続的に取られた様々なデータを突き合わせて、ようやく何かが見えてくるという分野です。その意味では気候学はサイエンスの持つオープンさに支えられているといってもいいでしょう。そういう彼らに対して「口をつぐめ、政府のチェックを受けるまでは研究成果もデータも公開するな」といえば、怒るのは当然です。サイエンスをなんだと思っているのか?」と。 
 トランプ大統領は、環境保護庁の長官に、スコット・プルート氏を任命した。プルート氏は、オクラホマ州の司法長官時代に、主な石油&ガス生産会社、電力会社、政治グループと緊密に協力し、多数の環境規制の撤廃に努めていた。同氏は、2017年3月、「CO2の排出量が気候変動の直接的原因であるとは思わない」と述べ、「気候変動を懸念する科学者および環境グループはCO2の排出量を強調しすぎる」と主張した。これに対し、3月13日、30人の著名な気象科学者は、プルート宛てに抗議の手紙を送った。彼らは「崖から落ちると、重力から逃げる方法はないことと同様、余分な二酸化炭素や他の温室効果ガスを大気に加えると、それに続く温暖化を免れることはできない」と書いた。このグループには、カリフォルニア大学サンディエゴ校のノーベル賞受賞化学者マリオ・モリーナ博士及び国立科学アカデミーの8人の科学者が含まれていた。
 トランプ政権の閣僚の中で、ジェイムズ・マティス国防長官は、「気候変動は本物であり、アメリカの国益とペンタゴンの資産をどこにでも脅かす」と主張していると伝えられた。レックス・ティラーソン国務長官も、エクソン・モービルの元CEOだが、気候変動を信じていると報じられた。
 しかし、トランプ大統領は、地球温暖化を「でっちあげだ」と主張し、科学技術予算を大幅に削減する方針を示した。これに対し、科学者団体や環境団体などが、さらに行動を起こすようになった。

次回に続く。
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ユダヤ67~ウォール街でのユダヤ人の活躍

2017-06-26 10:04:13 | ユダヤ的価値観
●ウォール街でのユダヤ人の活躍
 
 1913年から21年にわたるウィルソン大統領の政権のもとで、アメリカの社会に大きな変化が起こった。それまでのWASP支配の体制に、ユダヤ人が参入したのである。ロスチャイルド家とそれに連携するユダヤ人金融資本家らによって中央銀行(連邦準備制度)が設立され、アメリカが第1次世界大戦に参戦したことでユダヤ系軍需産業が発展し、大戦後はユダヤ人の入会を認める外交問題評議会が開設されるなどして、ユダヤ人が米国の政治・経済に深く参入するようになっていった。
 第1次大戦後、国際金融の中心は、ロンドンのシティからニューヨークのウォール街に移った。近代世界システムの中心都市となったニューヨークは、1920年には人口800万人を超える世界最大の都市となった。ウォール街では、全盛期のアムステルダムやロンドンの金融街がそうだったように、ユダヤ人が多く活躍するようになった。その中には、1830年代にドイツから移民したマーカス・ゴールドマンが創設したゴールドマン・サックス社に集うユダヤ人たちがいた。また同じ時期にドイツから移民したエイブラハム・クーンとソロモン・ローブが創設したクーン・ローブ商会に集うユダヤ人もいた。ドイツのユダヤ人銀行家ウォーバーグ家のポールとフェリックスの兄弟は、1902年にアメリカに渡り、クーン・ローブ商会の共同経営者となって、ウォール街で活躍した。こうしたユダヤ人は、婚姻関係を通じて強固な人脈を築いていった。ポールはソロモン・ローブの娘と、フェリックスはジェイコブ・シフの娘と結婚した。ポールの娘はフランクリン・D・ルーズベルトの息子と結婚した。
 ウォール街のユダヤ人の多くが、同じくユダヤ人であるロスチャイルド家の代理人をしたり、支援を受けたりしていた。アメリカにおけるユダヤ人投資家の活躍は、ヨーロッパのロスチャイルド家がアメリカの支配集団に影響力を増していくことにもなっていた。国家としての英米の連携の背後には、国境を越えた英米資本の連携があり、その連携の一部はユダヤ人の連携による。そして、ユダヤ的な価値観を身に付けた非ユダヤ人が、ユダヤ人資本家と競争または協調しながら世界経済システムを牽引していく体制が、第1次大戦後に欧米で完成したのである。

●FDR政権でのユダヤ人の躍進
 
 第1次世界大戦後、アメリカ合衆国では好景気が続き、投機熱が高まった。その狂乱の果てに、1929年アメリカ発の世界恐慌が起こった。1920年代までウォール街ではWASP支配が強固だったが、大恐慌によって、WASPの投資家の一部が没落し、ユダヤ人の投資家が躍進した。大恐慌による混迷を打開するために大胆な政策を提案したフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)が、現職大統領のフーヴァーを破って、1933年に大統領に就任した。FDR政権では、大統領の周囲に多くのユダヤ人が集まり、米国の政治を直接動かしていくほどになった。WASPは伝統的に生産部門を支配していたが、1930年代にはユダヤ人がWASPに対抗して消費産業や百貨店・通信販売・新聞・ラジオ・映画等で事業を発展させた。ユダヤ人の新興事業家たちはニューディール政策を支持する財界の支柱の一つになった。ウィルソン政権の時代から支配集団に参入して存在感を高めていたユダヤ人は、FDR政権の時代以降、さらに勢力を強め、WASPとほぼ拮抗するほどになった。
 ところで、ルーズベルト家の先祖は、オランダからニューヨークに移住したユダヤ人で、プロテスタントだった。FDR自身は通婚によって4分の3がWASP、4分の1がユダヤだったと見られる。FDRは、全米のユダヤ系市民から「モーゼの再来」と仰がれた。大統領になると、表面にFDR、裏面にダビデの星が刻まれているメダルが大々的に売りに出された。ユダヤ人が民主党と結びつき、強固な同盟関係を築いたのは、FDR政権の時代だった。1936、40、44年の大統領選ではユダヤ票の約9割がFDRに投じられた。
 FDRは、同じ民主党のウィルソン政権の政策を踏襲した。それはハウスが中心となって立案した政策である。ハウスは、FDR政権でも大統領に助言し、閣僚・高官にCFRの会員を任命するように働きかけるなどして、影響力を及ぼした。
 ルーズベルトは、ニューディール政策を強力に推進した。ニューディール政策は、それまでの政府は市場に介入せず、経済政策は最低限なものにとどめる自由主義的な経済政策から、政府が積極的に経済に関与する修正自由主義的な経済政策へと転換したものだった。このニューディ―ルという標語は、大統領特別顧問のサミュエル・ローゼンマンが作り出した。ニューディール諸立法の立案では、大統領補佐官のベンジャミン・コーエンが中心となった。ともにユダヤ人である。
 ルーズベルトが任命した高位の公職者は、15%強がユダヤ人で占められた。FDRは、閣僚に複数のユダヤ人を起用した。財務長官のヘンリー・モーゲンソーは、ドイツ系ユダヤ人で、戦後処理をめぐって対独強硬案を出した最もユダヤ的なユダヤ人だった。米国初の女性閣僚として労働長官となったフランシス・パーキンスは、ロシア系ユダヤ人だった。ルーズベルト政権の12年間一貫してその職を務めたほど、大統領の信任が篤かった。
 モーゲンソーの右腕だった財務省高官のハリー・デクスター・ホワイトは、両親がユダヤ人だった。ハル・ノートを起草し、日本を対米戦に引き込んだ。戦後はブレトン・ウッズ体制を実現させ、IMFの理事長となった。
 ルーズベルトは、私的なブレーン・トラストと呼ばれる頭脳集団を持っていた。多くは、政界・財界・学界・法曹界で活躍するユダヤ人だった。ブレーン・トラストには、マルクス主義者が多くいた。その代表格がフェリックス・フランクフルターで、ハーバード大学の左翼教授だったが、FDRによって最高裁判事に任命された。レックス・ジー・ダッグウエルは、コロンビア大学教授でマルクス主義経済学者だった。ガイ・ダグウェルもコロンビア大学教授で米国でもロシア革命のような革命が可能という意見を持っていた。大戦後、GHQの職員として日本国憲法を起草したチャールズ・ケーディスは、FDRの若手法律ブレーンの一人だった。ケーディスは、フランクフルターの弟子であり、またドイツの法学者でラビの息子だったゲオルグ・イェリネックの弟子でもあった。
 FDRを取り巻くユダヤ人の中で、最大の大物は、大富豪バーナード・バルークである。バルークは、戦争を通じて巨額の利益を得る「死の商人」だった。FDRの顧問として、第2次大戦で米国の軍需生産全般に強い影響力を及ぼした。バルークについては、後に原爆の開発・製造に関する項目に詳しく書く。

 次回に続く。
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ユダヤ66~RIIAとCFRの設立

2017-06-24 08:13:44 | ユダヤ的価値観
●RIIAとCFRの設立
 
 ヴェルサイユ講和会議に参加した英米の円卓会議のメンバーらは、会議の結果に失望した。そこで「国際問題の科学的研究を促す」ため、イギリスとアメリカに支部を持つ組織を創設することで合意した。その合意のもとに、1920年ロンドンに創られたのが王立国際問題研究所(RIIA:The Royal Institute of International Affairs、チャタム・ハウス)であり、21年ニューヨークに創られたのが外交評議会(CFR:Council on Foreign Relations)である。これらの機関は、第1次世界大戦終結時に世界の指導者が国際連盟を真の世界政府にしようとして失敗したために生まれた組織だったと考えられる。
 第1次世界大戦の終結時、円卓会議は、組織を大々的に拡大する必要を生じた。その仕事は、アルフレッド・ミルナーの指導を受けた「ミルナー幼稚園」と呼ばれるグループのリーダー格だったライオネル・カーティスに委ねられた。そのカーティスが中心となって作られたのが、RIIAである。所在地にちなんで、チャタム・ハウスともいう。諸大陸に植民地を所有する大英帝国における国際問題の調査・研究機関である。設立当時の目的は、イギリスの覇権を維持・拡大することにあった。1923年以降、歴代の首相と植民地総督が名誉所長を務め、理事長は王族の一員であるケント公である。また、イギリス女王が後援会総裁の座にある。
 RIIAは前線組織であり、その中核は、各地に隠れて存在する円卓会議グループだった。一方、CFRは、RIIAのニューヨーク支部として、1921年にエドワード・マンデル・ハウスが中心となって設立された。そして、円卓会議の指揮のもとに、RIIAとCFRは、英米の外交を動かす表向きの組織として活動していった。
 CFRは、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織である。同会の公式見解によると、その目的は「アメリカの政治、経済、金融問題の国際的局面に関して継続的に協議を行うこと」にあるという。しかし、元はイギリスがアメリカを管理下に置き、一大帝国連邦を築くことに目的があった。
 CFRの初代会長には、元国務長官エリフ・ルートが就いた。ルートは、モルガン商会とクーン・ローブ商会の弁護士をしていた。モルガン家の実態はロスチャイルド家の代理人であり、クーン・ローブ商会もロスチャイルド家との関係が深いから、ルートはロスチャイルド=モルガン・グループの一員と考えられる。
 ただし、CFRは、RIIAの完全な支部ではなく、一定の自立性を持った組織としてスタートした。設立時点では、イギリス円卓会議・ロスチャイルド家の意向が強かっただろうが、段々アメリカ側の主体的な傾向が強くなっていったと考えられる。設立後、CFRは、アメリカの政治、特に外交政策の決定に対し、著しい影響力を振るってきた。現在もCFRは、会員を合衆国市民と永住権獲得者に限っている。外交問題に関し、全米最大のシンクタンクであり続けている。
 CFRは超党派の組織であり、共和党・民主党の違いに関わらず、歴代大統領の多くがその会員である。第31代ハーバート・フーヴァーに始まり第45代ドナルド・トランプまでの15人中で9人がそうである。60%に上る。また、CFRは、アメリカ政府の最重要ポストに多数の会員を送り込んできた。この組織に所属するエリートたちが、アメリカの支配集団の主要部分をなすと考えられる。その中には、多くのユダヤ人がいる。
 アメリカ合衆国は、伝統的にWASP(ワスプ)すなわちホワイト=アングロ・サクソン=プロテスタントが社会の主流を成してきた。上流階層の社交クラブでは、ユダヤ系アメリカ人の入会が認められない時代が続いた。しかし、CFRは、早くからユダヤ人にも門戸を開いてきた。CFRは、設立当時のメンバーにユダヤ人を含んでいた。ジェイコブ・シフ、ポール・ウォーバーグのほか、実業家のバーナード・バルーク、『世論』で有名になるウォルター・リップマン等がいた。設立の中心となったハウスはユダヤ社会の一員か、それに非常に近い人間だったと思われる。
 CFRは、WASPが支配する社会で、ユダヤ人が地位を築き、活躍していくのに、格好の場となった。それを可能にしたのは、ロスチャイルド家等のユダヤ人国際金融資本家たちの資金力だろう。
 私は、CFR隆盛の一要因は、アングロ・サクソン系とユダヤ系の人脈的・文化的・経済的結合にあると思われる。CFRの由来はイギリスの円卓会議にあり、円卓会議にはイギリス貴族とともに、その一員としてユダヤ人ロスチャイルド家の者が列席した。そうした円卓会議が前線組織の支部を開いたのがCFRだとすれば、CFRがアングロ・サクソン=ユダヤ連合をアメリカに拡大する機関としても機能してきたのは、当然だろうと私は理解している。
 CFRメンバーの中で今日のアメリカの外交政策に最も強い影響を与えているのが、ユダヤ人のヘンリー・キッシンジャーとユダヤ系と言われるズビグニュー・ブレジンスキーである。彼らについては、後にあらためて書く。

 次回に続く。
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米国はパリ協定離脱宣言を撤回すべし3

2017-06-23 09:54:48 | 地球環境
●2013年IPCC第5次評価報告書より

 IPCCは、2013年(平成25年)に第5次報告書を出した。わが国の気象庁のサイトに掲載されている第1次作業部会の報告書の「政策決定者向け要約 主なメッセージ」を次に掲載する。< >で括った部分は、最重要の要旨である。
http://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/ipcc/ar5/ipcc_ar5_wg1_spm_hl.pdf

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
政策決定者向け要約 主なメッセージ
~気候変動に関する政府間パネル 第5 次評価報告書 第11作業部会報告書~

気候システムの観測された変化
 <気候システムの温暖化には疑う余地がなく、また1950年代以降、観測された変化の多くは数十年から数千年間にわたり前例のないものである。大気と海洋は温暖化し、雪氷の量は減少し、海面水位は上昇し、温室効果ガス濃度は増加している。>
 地球の表面では、最近30年の各10年間はいずれも、1850年以降の各々に先立つどの10年間よりも高温でありつづけた。北半球では、1983~2012年は過去1400年において最も高温の30年間であった可能性が高い(中程度の確信度)。
 海洋の温暖化は気候システムに蓄積されたエネルギーの増加量において卓越しており、1971年から2010年の間に蓄積されたエネルギーの90%以上を占める(高い確信度)。1971年から2010年において、海洋表層(0~700 m)で水温が上昇したことはほぼ確実であり、また1870年代から1971年の間に水温が上昇した可能性が高い。
 過去20年にわたり、グリーンランド及び南極の氷床の質量は減少しており、氷河はほぼ世界中で縮小し続けている。また、北極域の海氷及び北半球の春季の積雪面積は減少し続けている(高い確信度)。
 19世紀半ば以降の海面水位の上昇率は、過去2千年間の平均的な上昇率より大きかった(高い確信度)。1901年から2010年の期間に、世界平均海面水位は0.19[0.17~0.21]# m上昇した。
 大気中の二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素濃度は、少なくとも過去80万年間で前例のない水準にまで増加している。 二酸化炭素濃度は、第一に化石燃料からの排出、第二に正味の土地利用変化による排出により、工業化以前より40%増加した。海洋は排出された人為起源の二酸化炭素の約30%を吸収し、海洋酸性化を引き起こしている。

気候変動をもたらす要因
 <放射強制力の合計は正であり、その結果、気候システムによるエネルギーの吸収をもたらしている。合計放射強制力に最大の寄与をしているのは、1750年以降の大気中の二酸化炭素濃度の増加である。>

気候システム及びその近年の変化についての理解
 <気候システムに対する人間の影響は明瞭である。これは、大気中の温室効果ガス濃度の増加、正の放射強制力、観測された温度上昇、そして気候システムに関する理解から明白である>
 第4次評価報告書以降、気候モデルは改良されている。モデルは、20世紀半ば以降のより急速な温暖化や、大規模火山噴火直後の寒冷化を含め、観測された地上気温の大陸規模の分布や数十年にわたる変化傾向を再現している(非常に高い確信度)。
 温度変化、気候フィードバック、及び地球のエネルギー収支の変化に関する観測やモデルによる研究が総合されて、過去及び将来の強制力への応答としての地球温暖化の大きさについての確信度を与えている。
 気候に対する人為的影響は、大気と海洋の温暖化、世界の水循環の変化、雪氷の減少、世界平均海面水位の上昇、及びいくつかの気候の極端現象の変化において検出されている。人為的影響に関するこの証拠は、第4次評価報告書以降増加し続けている。人間による影響が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な原因であった可能性が極めて高い。

将来の世界及び地域における気候変動
 <温室効果ガスの継続的な排出は、更なる温暖化と気候システム全ての要素の変化をもたらすだろう。気候変動を抑制するには、温室効果ガス排出量の大幅かつ持続的な削減が必要である>
 21世紀末における世界平均地上気温の変化は、RCP2.6シナリオを除く全てのRCPシナリオで1850年から1900年の平均に対して1.5℃を上回る可能性が高い。RCP6.0シナリオとRCP8.5シナリオでは2℃を上回る可能性が高く、RCP4.5シナリオではどちらかと言えば2℃を上回る。RCP2.6シナリオを除く全てのRCPシナリオにおいて、気温上昇は2100年を越えて持続するだろう。気温上昇は年々から十年規模の変動性を示し続け、地域的に一様ではないだろう。
 21世紀にわたる温暖化に対する世界の水循環の変化は一様ではないだろう。地域的な例外はあるかもしれないが、湿潤地域と乾燥地域、湿潤な季節と乾燥した季節の間での降水量の差が増加するだろう。
 21世紀の間、世界全体で海洋は昇温し続けるであろう。熱は海面から海洋深層に広がり、海洋循環に影響するであろう。
 21世紀の間、世界平均地上気温の上昇とともに、北極域の海氷面積が縮小し厚さが薄くなり続けること、また北半球の春季の積雪面積が減少することの可能性は非常に高い。世界規模で氷河の体積はさらに減少するだろう。
 21世紀の間、世界平均海面水位は上昇を続けるだろう。海洋の温暖化が強まることと、氷河と氷床の質量損失が増加することにより、全てのRCPシナリオについて海面水位の上昇率は1971年から2010年の期間に観測された上昇率を超える可能性が非常に高い。
 気候変動は、大気中の二酸化炭素の増加をさらに促進するような形で炭素循環過程に影響を与えるであろう(高い確信度)。海洋のさらなる炭素吸収により、海洋酸性化が進行するであろう。
 二酸化炭素の累積排出量によって、21世紀後半及びその後の世界平均の地表面の温暖化の大部分が決定づけられる。気候変動の特徴の大部分は、たとえ二酸化炭素の排出が停止したとしても、何世紀にもわたって持続するだろう。このことは、過去、現在、及び将来の二酸化炭素の排出の結果による、大規模で数世紀にわたる気候変動の不可避性を表している。
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 次回に続く。
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ユダヤ65~ハウスを補佐したリップマンとバーネイズ

2017-06-21 09:20:50 | ユダヤ的価値観
●ハウスを補佐したリップマンとバーネイズ

 次に、1910年代からハウスを補佐した二人のユダヤ人について述べたい。ウォルター・リップマンとエドワード・バーネイズである。
 リップマンは、ドイツからのユダヤ人移民の3世として、ニューヨークに生まれた。ハウスが主要メンバーであるアメリカ円卓会議のメンバーだった。ウィルソン政権では、アメリカの世論を対ドイツ参戦へ誘導する宣伝工作を行う広報委員会で活躍した。また、大統領のアドヴァイザーを務めた。第1次大戦中は情報将校として渡仏し、対ドイツ軍に対する宣伝ビラの作成などをした。またハウスのもとで「14か条の平和原則」の原案作成に携わり、国際連盟構想の立案を助力した。ハウスはヴェルサイユ講和会議にリップマンを補佐役の一人として連れて行った。戦争省の次官補だったリップマンは、政府代表団の一員として参加した。
 リップマンは、戦後間もない1922年に『世論』(Public Opinion)を刊行した。本書は、世論工作の理論書である。また1925年に『幻の公衆』(The Phantom Public)を発刊した。同書には、「大衆に対して自らが民主的権力を行使しているとの幻想を抱かせなければならない。この幻想は、支配される側の大衆の同意を創り出すことによって形成されなければならない」と書いた。第2次大戦後、ジャーナリストにとって権威のあるピューリッツアー賞を二度も受賞している。諜報活動とジャーナリズムと世論工作の関係を体現した人物である。
 ウィルソン政権で、リップマンとともに世論を誘導する宣伝工作を行う広報委員会で活躍し、大統領のアドヴァイザーも務めたのが、エドガー・バーネイズである。
 バーネイズは、精神分析医ジークムント・フロイトの甥である。群衆心理学に着目し、これを応用して大衆広報の基礎を築いた。広報活動とプロパガンダの専門家であり、「広報の父」として知られる。1928年に『プロパガンダ』を刊行した。マスメディアによる世論形成の手法を記したものである。本書には、次のように書かれている。「一般大衆が、どのような習慣を持ち、どのような意見を持つべきかといった事例を、相手にそれと意識されずに知的にコントロールすることは、民主主義を前提とする社会において非常に重要である。この仕組みを大衆の目に見えない形でコントロールすることができる人々こそが、現在のアメリカで目に見えない統治機構を構成し、アメリカの真の支配者として君臨している」と。
 バーネイズは、フロイト派の心理学理論をアメリカに持ち込んで普及させた功労者でもあり、第2次大戦後、アメリカに起こった精神分析ブームの火付け役となった。

●ヨーロッパ統合運動の始まり
 
 ここでヨーロッパ統合運動について書いておきたい。第1次世界大戦後、国際連盟が設立されたのとは別に、西欧でヨーロッパ統合運動が起こった。大戦の悲劇は、平和への願いを切実なものとした。
 欧州統合論は、大戦後、オーストリア・ハプスブルグ家のクーデンホーフ=カレルギー伯爵が提唱したのが、初めと言われる。近代の戦争は、巨大な工業力を必要とする。だからもし資源を共通の権威の下に置くことができれば、大国同士の戦争を避けることが出来る、とクーデンホーフ=カレルギーは考えた。ドイツの石炭とフランスの鉄鋼が、両国にまたがる権威の管理下にあるなら、独仏の戦争の回避が期待できると主張した。単なる理想を説くのではなく、国際関係に係る具体策を提示したところに実現の可能性があった。
 クーデンホーフ=カレルギーは『回想録』の中で、彼の汎ヨーロッパ同盟は、ルイス・ド・ロスチャイルド男爵すなわちウィーンのロスチャイルド商会の当主とマックス・ウォーバーグから資金援助を受けたと述べている。マックス・ウォーバーグは、全生涯にわたって汎ヨーロッパ同盟に真剣に関心を持ち続けたという。またマックスの紹介でアメリカを訪ねたクーデンホーフ=カレルギーは、その弟のポール・ウォーバーグとバーナード・バルークからも資金を提供されたと述べている。ユダヤ人の大富豪が、ヨーロッパ統合運動に資金を出したのである。
 アメリカには、汎ヨーロッパ同盟のアメリカ支部が設立された。中心となって設立を進めたのは、ハウスとハーバート・フーヴァーだった。彼らは、また国際連盟への加盟の批准を促すため合衆国を遊説した。ヨーロッパの統合を進めるとともに、国際連盟にアメリカが加盟するようにすることは、連携した動きだった。その動きを国際金融資本は、資金的に支援したのである。
 ハウスが支え、操ったウィルソンは1921年、2期8年の大統領職を勤め上げて離職した。それとともにハウスも政権を離れたが、ハウスは、その後も政界に隠然たる影響力を振るった。フーヴァーは、政界に入る前から、ハウスに協力していた。そして、共和党から選挙に出て大統領となった。
 欧州統合運動は、ナチスの台頭によって破綻する。だが、第2次世界大戦後、EUという形に結実することになった。

 次回に続く。
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米国はパリ協定離脱宣言を撤回すべし2

2017-06-20 10:01:54 | 地球環境
国連気候変動に関するIPCCの役割

 1988年(昭和63年)以降、地球温暖化の問題について科学的な評価報告をして、国際社会の政策協議に基礎的な資料を提供してきたのは、IPCCすなわち「国連気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change)」である。IPCCは、人為起源による気候変化、影響、適応及び緩和方策に関し、科学的、技術的、社会経済学的な見地から包括的な評価を行うことを目的として、1988年に国連環境計画(UNEP)と世界気象機関(WMO)により設立された。世界の科学者が発表する論文や観測・予測データから、政府の推薦などで選ばれた専門家がまとめている。事務局はジュネーブのWMO本部の中に置かれ、現在、参加国は195カ国に上っている。
 IPCCには、各国政府を通じて推薦された科学者が参加し、5~6年ごとにその間の気候変動に関する科学研究から得られた最新の知見を評価し、評価報告書(assessment report)にまとめて公表する。報告書には、科学的な分析のほか、社会経済への影響、気候変動を抑える対策なども盛り込まれる。国際的な対策に科学的根拠を与える重みのある文書となるため、報告書は国際交渉に強い影響力を持っている。
 IPCCには、三つの作業部会があり、第1作業部会(WG1)は科学的根拠、第2作業部会(WG2)は影響・適応・脆弱性、第3作業部会(WG3)は緩和策に関する報告書を作成する。また、それらの報告書を統合した統合報告書(Synthesis Report)が作成される。
 各作業部会の報告書は、「政策決定者向け要約(SPM)(Summary for Policy-Makers)」と、より専門的で詳細な情報が記載された「技術要約(Technical Summary)」からなる。
 IPCC総会で、評価報告書の作業計画に関する決定を行う。報告書作成のための執筆者や査読者等を決定する。
 IPCCは第4次評価報告書を発表した際に、『不都合な真実』で啓発活動を行っているアル・ゴア元米国副大統領とともに、2007年のノーベル平和賞を受賞して話題となった。

●IPCCへの信頼がゆらいだ事件

 ところが、IPCCへの信頼が揺らぐ事件が2つ起きた。それらの事件について、地球物理学者・環境科学者、増田耕一氏の見解の大要を記す。
http://macroscope.world.coocan.jp/ja/memo/ondanka/ipcc_ar4_error_etc.html

 「2010年1月に、2007年に発表されたIPCCの第4次評価報告書(AR4)に間違いがあるという報道があった。批判の論調は、第1部会が示した気候の将来見通しの科学的根拠を疑うものとなりがちだった。だが、具体的な指摘のほとんどはIPCC第2作業部会の報告書の記述についてのものだった。
 深刻なまちがいだったのは、第2作業部会の巻のアジアの章の、ヒマラヤの氷河が『2035年までに消滅する可能性が高い』あるいは『2035年までに面積が5分の1になる可能性が高い』という趣旨の記述だった。これは第1作業部会による雪氷の将来見通しとは独立したものだった。情報源をたどると、前者はある科学者の主観的発言を伝える雑誌の報道記事、後者は『極域を除く世界の氷河の面積が2350年までに5分の1になる』という見積もりが間違って伝わったものだった。
 IPCCでは、根拠とする文献は査読済み論文を原則とし、それ以外の材料を採用する場合は著者たちによって査読に相当する検討をすることになっていた。しかしこの場合は実質的にそれができていなかった。また、AR4原稿への査読者からコメントがあったにもかかわらず適切な対応がとられていなかった。
 また、オランダの海面下の面積比率がまちがっていた。これはオランダ環境評価庁が作成した資料の間違いを引き継いでしまったものだった。明らかな間違いだが、現状の説明の間違いであり、将来見通しへの影響はないものだった。
 ほかにも間違いや問題点がチェックされ、IPCCは翌年の総会で、報告書の査読のしかたなどいくつかの制度改革を行なった。
 次に、2番目の事件は、2009年11月、イギリスのイーストアングリア大学の気候研究ユニット(CRU)の研究者の電子メールが暴露された事件である。警察は、誰かが控えのメールサーバーに不当にアクセスした犯罪である可能性が高いとして捜査したが、容疑者や動機は特定されないまま捜査は、2012年に打ち切られた。この事件は、気候研究ユニット電子メール事件、クライメート事件と呼ばれる。
 追及は、不当アクセスの動機ではなく、暴露されたメールを書いた科学者に向かった。特に強い非難を受けたのは、CRUの所長のフィリップ・ジョーンズとアメリカのペンシルベニア州立大学教授のマイケル・マンだった。
 マンが筆頭著者となった過去千年間の北半球平均気温の推定は、IPCC第3次報告書(2001年)の第1作業部会の巻にとりあげられ、IPCCからの報道発表で、20世紀の温暖化の事実が検出されたことを示す代表例として使われた。一方、ジョーンズは、機器観測による過去百数十年間の気温を総合し、地球全体や北半球の平均値の時系列を示した。IPCC第4次報告書の温暖化の検出と原因特定に関する主要な根拠は気候モデルによる20世紀気候再現実験だが、そこで再現されるべき観測事実を示す役割をしている。暴露されたメール内容を使った言説は、この2種類の研究を疑うものだった。
 イーストアングリア大学、イギリス国会、ペンシルベニア州立大学はそれぞれ複数の外部有識者による委員会を作ってこの問題の評価をした。その結果、捏造などの不正の疑いは晴れたと思われるが、研究過程の情報の公開についてはさらに努力が必要だという指摘がされている。
 全地球平均気温の200世紀の変化傾向に関する限り、NASA GISS(Goddard Institute for Space Studies)のハンセンらや、NOAA NCDC (National Climatic Data Center)のピーターソンらが公開された観測データだけを使った推計で、基本的に同じ結論を得ており、仮にCRUを疑ってもAR4の結論はゆらぐものではなかった。温暖化にときどき懐疑的であったカリフォルニア大学バークレーの物理学者モラーが公開された観測データを推計するプロジェクトを始めたが、その初期的結果(2012年7月報道発表)も、AR4と基本的に同じだった。以後、20世紀の温度上昇の事実を疑う言説の影響力は弱まったと思われる。」

 以上が、増田氏の見解の大要である。氏の見解に対しては異論・反論があるが、結果として、これらの2つの事件は、IPCCへの信頼を損なうものとなっていない。2015年(平成27年)11月に行われたCOP21の協議は、IPCCの評価報告書をもとに行われ、パリ協定が締結されている。IPCCの評価報告書が科学的に間違いだらけで、無意味なものであれば、150カ国もの首脳が参加した会議が合意に達するわけがない。同協定には、196カ国が参加している。それらの国には、多くの科学者がおり、また気象・環境等に関する政府機構や科学研究機関がある。全く根拠のないものを、人類の大多数が信じ、人類の運命に関わるものとして取り組んでいるとは、私には考えられない。理論もデータも完璧ではない。問題点、検討点はある。だが、概ね正しいとして、世界全体で実行すべき課題が地球温暖化対策である、と私は理解している。

 次回に続く。
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ユダヤ64~第1次世界大戦と国際連盟の設立

2017-06-18 08:50:54 | ユダヤ的価値観
第1次世界大戦と国際連盟の設立
 
 19世紀末から資本主義は帝国主義の時代に入った。帝国主義諸国は資源と市場を求めて争い合い、1914年遂に人類史上初の世界大戦の勃発に至った。アメリカ連邦準備制度の実現の翌年だった。
 第1次世界大戦は、英仏対独の戦いを主軸とした。この戦いの帰趨で決定的だったのは、アメリカの参戦である。アメリカは強力な工業力と軍事力を発揮して、英仏をドイツに勝利せしめた。大戦後、戦いで疲弊した西欧諸国は、アメリカの経済力に頼らざるを得なくなった。イギリスの支配集団は、こうしたアメリカを金融的・政治的・外交的にコントロールすることで、英米の連携による覇権の維持を画策した。アングロ・サクソン=ユダヤ連合による覇権の強化と言うことができるだろう。
 グリフィンは、エドワード・マンデル・ハウスについて「第1次世界大戦の際には、アメリカ人の中で誰よりイギリス側に立ってアメリカの参戦に尽力し、それによってモルガン商会の英仏に対する巨額債権を救った」と書いている。
 ウィルソンは平和主義者として知られ、1914年7月の第1次大戦勃発時、「それはわれわれと何ら関係のない戦争であり、その原因もわれわれには関わりがない」と参戦しない方針を打ち出して、国民に支持されていた。そして、アメリカは中立国の立場を利用して交戦国双方と通商を行って大きな利益を上げていた。
 アメリカは、ドイツが無制限潜水艦作戦を行ったことに対して、1917年4月にドイツに宣戦布告した。アメリカは受動的で、やむをえず参戦したかに見える。しかし、実は以前から、ウィルソン政権は参戦を計画していた。16年、ウィルソンが2期目の当選を果たす10ヶ月前、ウィルソンの代理としてハウスが、アメリカが連合国側に味方して参戦する方向で英仏と秘密協定を結ぶ交渉を始めた。ウィルソンはその密約をもとに、参戦の機会をうかがっていたのである。
 グリフィンによると、「ハウスとウィルソンの最も強い絆は世界政府という共通の夢だった。どちらも、アメリカ人はよほどのことがない限り世界政府という考え方を受け入れるはずがないと承知していた。そこで、長期にわたる血なまぐさい戦争が起これば、そして戦争に永久的に終止符を打つためだということなら、国家主権が失われてもやむをえないとアメリカ人は納得するだろう、それしかないと考えた」と書いている。世界政府の実現とは、ロスチャイルド家の目標である。
 ロスチャイルド家のもくろみは、世界政府を実現するために、戦争を利用し、戦争が長引き、諸国民に厭戦気分が高まったところで、世界政府の構想を打ち出すという計画だったと見られる。
 第1次大戦は、誰もの予想に反して長期化した。その間に、ロシアでは1917年10月に共産革命が起こった。ロシア革命の成功は、巨大国際金融資本家が共産主義者を支援しなければ、不可能だった。この点については、後にロシアの項目に書く。
 大戦は消耗の果てに、ようやく18年11月に終結した。ウィルソン米大統領は、講和会議で国際連盟の構想を打ち出した。
 第1次大戦の戦後処理のために、パリ講和会議が行われた。ウィルソンは、ハウスを中心とする代表団を連れて会議に臨んだ。議員は一人もつれず、代表団は彼の取り巻きや銀行家で占められていた。講和会議にはフランスのエドモン・ド・ロスチャイルド男爵が参加し、会議の展開を方向付けようとした。これに対し、ウィルソンは、秘密外交の廃止や軍備縮小、民族自決、国際連盟の設立などを唱えた「14か条の平和原則」を提案した。14か条は、ハウスが中心となって策定した。講和会議の期間、「ハウスは英米両国の円卓会議グループのホストを務めた」とグリフィンは書いている。ハウスは、英仏等の代表に14か条を受け入れさせるために行動した。しかし、英仏はドイツへの報復を主張し、平和原則は実現を阻まれた。講和会議で採用されたのは、国際連盟の設立のみだった。しかもそれは、巨大国際金融資本家たちの思い通りには、いかなかった。
 国際連盟の構想は、ハウスが中心になって立案し、ウィルソンが講和会議で提案した。国際連盟の設立の根本に、恒久平和のために、各国が主権の一部を委譲して世界政府を作るという構想があった。その構想は、ロスチャイルド家等の国際金融資本家が望むものだった。もしウィルソンの構想どおり実現すれば、英米のアングロ・サクソン=ユダヤ連合が中心となって、国際秩序を管理する組織が、ここに誕生したかもしれない。
 しかし、アメリカは、国際連盟に加盟しなかった。アメリカ国民の間では、伝統的なアイソレイショニズム(不干渉主義)が根強かった。議会はウィルソンの提案を退け、ヴェルサイユ条約の批准も、国際連盟の加盟も否決した。このため、国際連盟構想は失敗した。当時、アメリカは、世界随一の存在になっていた。アメリカを欠く国際組織は、基盤が脆弱だった。
 世界政府の構想は、遅くとも1910年代に英米の支配集団に芽生えた。起源をどこまでさかのぼり得るかわからないが、共産主義の思想は、理論的にプロレタリア独裁による世界政府の樹立が導き出される。それに対抗するには、ブルジョワジーによる世界政府の樹立が構想される。むしろ、共産主義の統制主義国家群を取り込む形で、この資本主義世界政府が企画されたのだろう。企画実現を主導するのは、英米である。その構想の第一歩となったのが、国際連盟と考えられる。しかし、国際連盟はアメリカの不加盟によってつまずいた。そこで、英米主導で世界政府を目指す新たな動きが続けられることになった。

 次回に続く。
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米国はパリ協定離脱宣言を撤回すべし1

2017-06-17 08:48:50 | 地球環境
 米国のトランプ大統領は、6月1日パリ協定から離脱することを宣言した。これに対し、米国内で反発の動きが起っている。そのことについては、下記の拙稿に書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/f2639e68e540d6d97186b05cca24cef3
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/acd8fdf3d2d4bd319c66a1482731bd2c
 本稿では、背景にある地球温暖化の問題とトランプ大統領のパリ協定離脱の経緯と問題点を書く。

●京都議定書からパリ協定へ

 1968年(昭和43年)、ハーバード大学のロジャー・レヴェル教授は、地球の大気中の二酸化炭素の濃度を観測したデータを発表した。地球温暖化の原因を解明する先駆的な研究だった。
1972年(昭和47年)から地球環境破壊に関する報告書に地球温暖化の問題が盛られ、1980年代には、世界的に広く知られるようになった。CO2等が温室効果をもたらし、それによって地球が温暖化しているという仮説は、これを認めない科学者もおり、現在も論争が続いている。私は科学者ではなく、独自の見識を以て判断する能力を持っていない。一般論としては、広く支持されている説が必ずしも正しいとはいえず、常識は常に疑ってみる必要がある。だが、過去40年以上、この一見茫洋とした仮説が多くの人の理解するところとなり、国際社会が重大課題として取り組むようになってきたという過程を観察してきた者として、私はこの仮説を支持する。科学的な仮説でこれほど広く国際社会に理解が広がり、地球規模の対応を要する深刻な問題として国際的な取り組みがされるようになっているものは、他にないのではないか。地球温暖化の人工的な原因に関する部分の解決に、人類は一致協力して努力すべきと考える。それゆえ、トランプ大統領がパリ協定の離脱を宣言したことは暴挙であり、米国内でこれに反発する動きが広がっているのは、当然と考える。
 さて、1992年(平成4年)6月、ブラジルのリオ・デジャネイロで、国連環境開発会議、いわゆる第1回「地球サミット」が開催された。この会議は、21世紀に向けて、環境と経済発展を対立したものとして捉えるのではなく、両者を調和させながら実現することを目指したものだった。「持続可能な発展」の実現のための基本理念となる「リオ宣言」、これを具体化するための行動計画としての「アジェンダ21」、さらに気候変動枠組条約、生物多様性条約、森林原則声明などが採択された。この時、地球温暖化問題についても、国際的な取組みが協議された。
 その5年後、地球温暖化に対処するため、国際的な取り組みが話し合われ、1997年(平成9年)12月に京都議定書が議決された。議定書によって、2008年(平成20年)から二酸化炭素の削減への取り組みが始まった。
 京都議定書には、世界132ヶ国が参加した。だが、先進国のうち、アメリカとオーストラリアは、批准しなかった。なかでもアメリカは、中南米・アフリカ・中東・オーストラリア・日本・アジアのすべてを合計した以上の量の温室効果ガスを排出している。アメリカの人口は世界の5%だが、世界全体の25%近くの温室効果ガスを出している。一人当たりの炭素排出量で見ても、アメリカがずば抜けて多い。こうしたアメリカが、地球温暖化の問題への取り組みにおいて極めて消極的であることは、この取り組みを大きな限界のあるものにしている。アメリカが変わらなければ、地球の温暖化は止まらない。
 さらに京都議定書では、インドや中国などの大量排出国が規制対象外となった。その他の削減対象になっていない発展途上国からの排出は続き、かつ急速に増加した。そのうえ、カナダは削減目標の達成を断念するなど、多くの問題が発生した。
 京都議定書は、2013年(平成25年)までの5年間に関する協定だった。それ以降の地球温暖化防止の実効的な枠組みを作る必要がある。だが、ポスト京都議定書については、5年間のうちには結論が出ず、また協議や議論の途中であり、合意の目処は立たなかった。
 そうしたなか、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)が続けられてきた。2015年(平成27年)11月30日にパリでCOP21が開催され、初日は初日に安倍晋三首相、オバマ米大統領、習近平中国国家主席ら150カ国もの首脳が参加する会合を開き、温暖化対策への決意を確認した。12月12日に、2020年以降の温暖化対策の国際枠組みとしてパリ協定が採択された。この協定は、京都議定書と同じく、法的拘束力の持つ強い協定として合意された。京都議定書以来、18年ぶりの枠組みの設定であり、196カ国が締約した。
 全体目標として、産業革命前からの世界の平均気温の上昇幅を2度未満に抑えることを目標とし、1.5度未満にするよう努力する方針などを盛り込み、世界全体で今世紀後半には、人間活動による温室効果ガス排出量を実質的にゼロにする方針を打ち出した。そのために、全ての国が、排出量削減目標を作り、提出することが義務づけられ、その達成のための国内対策を取ることも義務付けられた。各国の国情を考慮しながら、全ての国が徐々に国全体を対象とした目標に移行することとし、5年ごとに目標の見直しをする。アメリカ・中国・インドも従来より積極的に排出量実質ゼロに取り組むこととなり、ようやく世界全体で地球温暖化対策に取り組む国際合意ができたといえる。
 地球環境問題では、各国がエゴの張り合いをしていたのでは、人類全体が共倒れになる。人類全体としての「持続可能な成長」の枠内で、先進国、途上国、それぞれが「持続可能な成長」のあり方を見出せなければ、海面上昇による主要な巨大臨海都市の水没、凶暴化する台風・竜巻の襲来、一層の砂漠化による農地の荒廃、大気・水・土壌の汚染による健康喪失等によって、人類は衰亡へと向かうだろう。これほど人間の生存・生活の権利を自ら危うくすることは、核戦争以外に他にない。
 パリ協定は、2016年11月4日発効した。批准国の温室ガス排出量が世界の総排出量の55%以上になることなどが発効要件だったが、2大排出国の米中が同年9月に批准し、採択から1年足らずのスピード発効となった。同年11月7~19日にモロッコで開かれたCOP22では、協定の実施ルールを2018年に決めることで合意した。日本は昨年11月8日に批准した。そして、いよいよ各国が協定に従って、実行に取り組んで、約7か月というところで、米国の新大統領トランプ氏はパリ協定離脱を宣言した。これが実行されれば、国際社会の取り組みへの影響は深刻なものとなる。

 次回に続く。
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