ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

現代の眺望と人類の課題115

2009-02-28 06:30:00 | 歴史
●アメリカによる対日経済戦争

 1993年(平成5年)、大統領に就任したビル・クリントンは、日本を「敵国」と名指しで表現した。バブルの崩壊後、深刻な不況にあえぐ日本に対し、ここぞとばかりに「経済戦争」を開始したのである。クリントン政権は、我が国に激しく経済的・外交的攻撃をかけてきた。対日経済戦争は、グローバル・スタンダードという名の下に、アメリカ主軸の世界を築くための戦略に基づくものだった。
 93年、宮沢喜一首相とクリントン大統領の首脳会談が行われ、日米包括経済協議が開始された。宮沢喜一とビル・クリントンは、ともにTCのメンバーだった。この首脳会談は、TCの日本への影響を象徴していると私は思う。
 宮沢・クリントン会談の翌年、94年(6年)10月から、アメリカによる「年次改革要望書」が毎年わが国に対して提出されるようになった。この文書が日米経済関係における決定的文書であることを発見したのは、関岡英之氏である。

 関岡氏の「拒否できない日本――アメリカの日本改造が進んでいる」(文春新書)は、衝撃的な事実を明らかにした。ここ10年以上の間、日本で「改革」と称して実行されてきた政策は、ほとんどアメリカの国益のためのものであったというのである。関岡氏は、これを「アメリカによる日本改造」と呼んでいる。この改造の「指針書」となっているのが、「年次改革要望書」だという。
 94年以来、毎年10月アメリカは日本に要望書を提出してくる。これを読めば、日本の構造改革はアメリカの指示によるものであり、「米国政府の、米国政府による、米国政府のための大改造」であることが理解できる。
 例えば、半世紀ぶりの商法の大改正は、アメリカ企業が乗っ取りをしやすいものとなっている。会計基準は、アングロ・サクソン諸国のルールを国際統一基準にする動きが進んでいる。時価主義会計の導入は、多くの日本の企業を破綻に追い込む。株価が安く、不良債権をかかえているからである。公正取引委員会の規制強化のため、アメリカは委員の人数まで要望し、郵政民営化に先だって所轄庁を総務省から内閣府に移させまでした。司法制度の改革も、アメリカ企業が日本の政府や企業を相手に訴訟しやすくするためのものとなっている。他にも、枚挙に暇がない。関岡氏が明らかにした日米関係の構造を知らずして、今日の日本は語れない。

●わが国の「第二の敗戦」

 アメリカによる「年次改革要望書」が提出されるようになってから、「アメリカによる日本改造」が強力に進められた。日米経済戦争が始って5年後の98年(10年)10月、決定的な段階に至った。アメリカの強い圧力によって、外国為替法が改正され、金融ビッグバンが起こった。金融の自由化により、外資が直接日本の銀行を買収できるようになり、日本市場への外資の進出が相次いだ。これによって、わが国は、日米経済戦争に、ほとんどなすすべなく大敗した。この事態は、「マネー敗戦」(吉川元忠)と呼ばれる。「第二の敗戦」ともいう。大東亜戦争の敗北に匹敵する出来事ということである。
 98年(10年)10月、「第二の敗戦」の結果、北海道拓殖銀行の倒産、山一証券の廃業等が続いた。山一をほぼそっくり買い取ったのは、メリルリンチだった。当時デイヴィッド・ロックフェラーが大株主だった大手証券会社である。このほかシティ・トラベラーズ(現シティ・グループ)、J・P・モルガン(現J・P・モルガン・チェイス)、GEキャピタル等、世界屈指の金融会社が続々と日本上陸を果たし、わが国の銀行、証券会社などを掌中に収めた。
 半世紀前、大東亜戦争に敗れ、焦土と化した日本に、占領軍が進駐して各所を接収した。今度は、経済的に「焼け跡」と化した日本に、アメリカ資本が乗り込み、日本人が戦後営々と築き上げてきた資産を奪い取った。かつては軍事占領。今度は金融による日本の再占領である。
 しかも、ただ奪うだけではない。アメリカは、日本の富を吸い上げ続ける構造を構築した。日本にドルを支えさせ、アメリカの借金を国債の形で背負わせる仕組みである。日本は金融的にもアメリカに属国化した。今日も日本は、金融的従属構造から抜け出せていない。
 アメリカに対する「マネー敗戦」と金融的属国化は、日本のアメリカへの再従属化だったといえる。この日本の再従米化は、双方の政府に影響を与える民間組織があればこそ、強力に推進された。CFRとTCが介在して大きな推進力を発揮し、ビルダーバーグ・クラブも深く関わった。アメリカへの再従属化は、同時に米欧資本による日本支配の過程でもあった。

 次回に続く。


現代の眺望と人類の課題114

2009-02-21 08:41:12 | 歴史
●仕掛けられたバブルとその崩壊

 1985年(昭和60年)9月、レーガン政権のもとで、プラザ合意が結ばれた。プラザ合意とは、アメリカが日欧にドル防衛を求めたものだが、軍拡競争でソ連を破ろうというアメリカの世界戦略に、日本は経済面で協力する約束をした。これにより、日本がアメリカの財政赤字を支え、アメリカは日本を利用して繁栄を続ける構造が作られた。
 プラザ合意は、国際経済研究所(IIE、現ピーターソン国際経済研究所)の所長フレッド・バーグステンが下書きを書き、レーガン政権の財務長官ジェームズ・ベイカーが主導して進めた。ベイカーはCFRの会員。ブッシュ父の側近であり、その政権では国務長官となった。
 プラザ合意は、ドル安円高に誘導するものであり、急激な円高が起こった。プラザ合意と同じ年、旧大蔵省は国債の60年償還を決めた。通常、翌年には返済しなければならない借金を、60年かけて返すという破天荒なルールである。この時点で、将来の財政破綻が、はらまれた。

 日本は経常収支の黒字是正を目的とした内需拡大策により、積極的な金融緩和措置を取った。86年(61年)には公定歩合引き下げが相次ぎ、大量の資金が市場に溢れ出した。政府は低金利政策を89年(平成元年)5月まで、2年3ヵ月もの長期間にわたり継続した。この間、銀行や金融機関は、だぶついた資金を投資する先を求めた。余剰資金は土地と株に向かった。地価の上昇と株価の高騰は、天井知らずと見えるほどだった。89年(元年)の年末には、ダウ平均3万8915円という史上最高値を記録した。
 しかし、こうした傾向がバブルとなるのは、近現代の資本主義経済が繰り返してきたパターンだった。過去のイギリスやアメリカの教訓に、わが国は学ばなかった。欲望が欲望を呼び、国民は虚構の繁栄にのぼせあがっていた。
  
 年が明けた90年(2年)2月以降、株価の急落が相次いだ。それがバブルの崩壊の始まりとなった。崩壊を決定的にしたのは、同年3月、大蔵省銀行局長の通達で、不動産融資に対する総量規制を行ったことである。この通達は、不動産価格の高騰を沈静化させることを目的としたものだったが、急激な景気後退をもたらした。銀行局長は土田正顕だった。大蔵大臣の橋本龍太郎、さらに元蔵相で次に首相となる宮沢喜一に強く迫られて打ち出した政策だったという。
 アメリカは、日本に円高を容認させ、公定歩合の引き下げや内需の拡大を求めた。これは、バブルが発生するように仕掛け、破裂に導く作戦だったのだろう。多額の不良債権を抱えた金融機関は経営難に陥った。中小企業への貸し渋りが蔓延し、倒産が続出した。1970年代~80年代前半には、アメリカの繁栄に迫り、アメリカを抜くとさえ予想された日本経済は、バブルの崩壊で大打撃を受けた。

 振り返って見ると、プラザ合意の翌年である1986年(昭和61年)、バブル経済の中で、前川レポートが発表された。前川レポートは、前川春雄元日銀総裁を会長とする「国際協調のための経済構造調整研究会」による報告書である。この研究会は、日米経済摩擦によるアメリカの圧力に対応するため、中曽根首相が設置した私的諮問機関だった。報告書は、内需拡大、市場開放、金融自由化等を打ち出し、その後の日本の経済政策の基本方針になった。
 またバブルの絶頂に近づいていた89年(平成元年)7月、ブッシュ父大統領の提案により日米構造協議が始まった。わが国は、海部内閣だった。日米構造協議は、アメリカのイニシアティブ(主導権)による日本の構造改革の場となった。アメリカは、わが国に対して、スーパーコンピューターの入札参加、大規模店舗法の見直し、商用通信衛星の購入や農産物の自由化等、市場開放を迫る内容となっていた。合衆国政府が日本国政府にアメリカ企業の日本進出を認めさせ、日本国政府が米資の参入を手引きするための協議だったのである。
 日米構造協議が開始されたわずか数ヵ月後、バブルがはじけた。それが、1989年(元年)12月である。レーガン政権の対ソ軍拡とプラザ合意、ブッシュ父政権の日米構造協議によって、アメリカは、二大ライバルであるソ連と日本を一挙に叩き潰すチャンスを得た。経済危機に陥ったソ連は、1991年(平成3年)12月に崩壊した。一方の日本は、長期不況、不良債権処理、失業率の上昇に苦しんだ。そうした日本に対し、アメリカは容赦なくさらなる攻撃を開始した。

 次回に続く。

現代の眺望と人類の課題113

2009-02-14 08:47:25 | 歴史
●食い物にされる日本

 私は本稿で、現代社会の集団構造として、所有者(the owners)、経営者(the managers)、労働者(the workers)、困窮者(the distressed)の集団について述べ、続いて現代の国際社会を動かす四つの組織として、王立国際問題研究所(RIIA)、外交問題評議会(CFR)、ビルダーバーグ・クラブ(BC)、三極委員会(TC)について書いてきた。所有者・経営者の集団は、これらの組織を通じて、西欧諸国やアメリカの外交政策、さらには日本やアジアの外交政策にも影響を及ぼしている。この点に関し、とりわけCFR、BC、TCとアメリカの歴代政権との関係を、本稿は歴史的にたどってきた。
 ここで、わが国とアメリカの関係を中心に、経済的な面について記述を補足したい。

 1952年(昭和27年)独立回復後の日本は、アメリカに押しつけられた憲法を改正し、自主国防を充実させ、石油・食糧を含む総合的な安全保障体制を構築することが、国家第一の課題だった。しかし、わが国の指導層は、この第一の課題に懸命に取り組むことなく、経済復興・経済成長の道を歩んだ。
 1960年代には、日本は高度経済成長を続け、アメリカに次ぐ世界第2の経済大国となった。1969年(昭和44年)アメリカの未来学者で軍事理論家のハーマン・カーンが、「超大国日本の挑戦」を出版して、日本の高い成長率からすると、「2000年頃に日本の国民一人当りの所得がアメリカと並んで世界一のレベルに達する」「21世紀は日本の世紀」と予想した。そして、79年(54年)社会学者で日本研究者のエズラ・ヴォーゲルが書いた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(TBSブリタニカ)がベストセラーになった。ヴォーゲルは、戦後日本経済の成功の秘訣を解き明かし、当時停滞していたアメリカ復活の教訓として、日本から学ぶことの重要性を説いた。日本人の中には、カーンやヴォーゲルの言うように、日本はこのまま繁栄の頂点へと上り得ると考えた者もいた。
 しかし、経済の成長だけでは、国家の繁栄を維持・拡大することは出来ない。それは、資本と国家を総合的にとらえ、文明の観点から近現代史を見る者には、基礎的な認識の一つである。わが国は敗戦後、憲法を放置し、国防をアメリカに依存し、石油と食糧という命の糧を握られた状態を続けてきた。独立主権国家として、大きな欠陥を持ったままである。何より国民が、自国のこうした状態を直視し、自らの手で根本的な改革を成し遂げようという意志に薄い。長い伝統に基づく自己本来の精神を取り戻し、国民が一致団結することなくして、この大改革はなしえない。そのことに思い至って日本精神に目覚めることなく得たものは、虚構の栄華にすぎない。

 先に書いたように、デヴィッド・ロックフェラーは、CFRを率いながら、1973年(昭和48年)には日米欧三極委員会(TC)を設立し、日本を米欧の支配下に取り込み、その経済力を利用する戦略を立てていたと思われる。これに比し、1970~80年代の日本の指導層は、国家第一の課題を忘れ、皮相的で短期的な政策に終始した。対米外交は、戦後日本の歴代政権が取ってきたアメリカへの従属外交を継続した。日本の外交は、高度経済成長で獲得した経済力を国益のために積極的に生かすのではなく、アメリカに富を貢ぐという関係を結び直した。そして日本は、アメリカに金融的にも隷属する立場へと身を落とした。

 次回に続く。


現代の眺望と人類の課題112

2009-02-07 10:17:01 | 歴史
●現在最も活動が目立つのはゴールドマン・サックス

 三つ目の例は、ゴールドマン・サックスである。近年、アメリカで政権への参加が最も目立つ企業が、ゴールドマン・サックスである。ゴールドマン・サックス(GS)は、ドイツ系ユダヤ人マーカス・ゴールドマンが設立した銀行で、もとはロスチャイルド財閥との関係が深かったが、現在はロックフェラー財閥とも融合している金融機関である。1990年代からウォール街を代表する投資銀行として巨大化した「強欲資本主義」(神谷秀樹氏)の象徴的存在である。2008年(平成20年)の経済危機で、生き残りのために商業銀行に変わった。
 ゴールドマン・サックスの共同会長だったジョン・ホワイトヘッドは、レーガン政権のシュルツ国務長官のもとで国務副長官を務めた。やはりGSの共同会長だったロバート・ルービンは、クリントン政権の財務長官になった。ルービンはクリントンの選挙参謀として資金集めに奔走した。クリントンが大統領になると、経済担当補佐官から財務長官となった。
 ニクソン政権の国防総省高官だったヘンリー・ポールソンは、ゴールドマン・サックスに入って会長兼最高経営責任者(CEO)を務め、その後、ブッシュ子政権の財務長官になった。ブッシュ子政権では、大統領補佐官スティーブン・フリードマンがGSの元共同会長、首席補佐官ジョシュア・ボルテンは元エグゼクティブ・ディレクターだった。米商品先物取引委員会委員長ジェフリー・ルーベンも、ゴールドマン社出身である。国務副長官だったロバート・ゼーリック、国家安全保障補佐官だったファリア・シルザドは、退職後、GSに雇用された。
 彼らは一個人として、GS社員から政治家へ、あるいは政治家からGS社員へと転職したわけだが、GSという会社にとっては、アメリカの政治・経済を動かす人間を送れば、その人脈によって自社に有利な情報を得たり、政策を誘導したりできる。また政府要職にあった人間が自社に入って重役に就けば、それが同社の強みになる。

 ロックフェラー家では、デヴィッド・ロックフェラーとその甥のジョン・デイヴィソン "ジェイ" ロックフェラー4世との間で、世代交代の争いが行われているようである。ジェイは、初代以来の直系の長男の長男であり、ウェストヴァージニア州選出の民主党上院議員である。
 2008年の経済危機でデヴィッドが所有者として支配してきたシティ・グループは、大きな打撃を受け、その系列のメリルリンチ、リーマン・ブラザーズは経営破綻した。
 一方、ジェイが所有者であるゴールドマン・サックスは、サブプライムローン危機でほとんど損害を受けず、逆に勢力を増した。ブッシュ子政権の財務長官となったポールソンはGS出身らしく、シティ・グループよりGSに有利な政策を決定した。GSが政治に影響力を強めていることは、デヴィッドからジェイへと、ロックフェラー家の実権の移動がうかがわれる。

●アメリカにおける政治の実態

 覇権国家アメリカの政策は、巨大国際金融資本家や石油や軍事等の多国籍企業の経営者たちによって、ほとんど決められている。これらの所有者・経営者の集団が、支配集団をなしている。彼らは、アメリカの大統領を選ぶだけではなく。大統領顧問団や政策までも決定する力を持っている。そして、誰が大統領かに関係なく、大統領を管理し、アメリカという国家を実質的に支配し続けている。彼らは、しばしば直接政府の要職に就いて、政府を動かしてもいる。彼らの多くは、自らがCFR、ビルダーバーグ・クラブ、TCの会員であり、また彼らの意思を理解する優秀な人材をこれらの組織に参加させ、政府に送り出している。
 こうした政治支配を可能にしているのは、莫大な富、資金力である。アメリカの財閥は、18~19世紀に巨富をなした家が多い。鉄道王ヴァンダービルト、その親族のホイットニー、不動産王アスター、死の商人デュポン、鉄道王ハリマン、鉱山王グッケンハイム、金融王モルガン、石油王ロックフェラー、石油王メロン等は、巨額の資産を子孫が相続している。個人相続税が設けられる前に、こうした財閥・富豪が出来上がった。アメリカの所有者集団は、免税財団を作ることで、課税をまぬかれ、その富を維持し続けている。

 多くの財閥・富豪は所有者として資産の運用を、経営者に任せている。資産家の資金を運用するのは、信託基金(トラスト)の管理者やウォール街の投資専門家たちである。こうした経営者たちは、遺産資金の運用を委託されている立場である。資産の運用を成功させるには、銀行や企業の活動だけでは足りない。政府そのものを支配し、国家という組織を操って、より大きな富を生み出し、またその富を守ることができる。
 ヨーロッパの政府は、歴史的に王家の政府だった。デモクラシーの発達によって、政府に労働者集団が参加するようになっても、基本的な構造は変わらない。これに対しアメリカは、連合王国イギリスから独立した国王のいない国家である。その国家の政府は、資本家の政府である。大統領が国民によって選挙で選ばれても、所有者集団が政府を管理する構造は変わっていない。これが資本主義であり、また自由民主主義の実態である。
 資本主義に替わるものとして、20世紀に期待された共産主義は、一部の知識人党派が権力を手にし、新たな所有者集団に成り代わるものでしかなかった。しかも、巨大国際金融資本は、共産主義を育成・支援して、富を産む機構に取り込んでいた。共産主義は国家統制的資本主義であって、いわゆる資本主義との差は、自由主義的か統制主義的かの違いにある。それゆえ、21世紀に資本主義に替わるものが共産主義ではありえない。従来の資本主義ではなく、また共産主義でもない新たな経済体制が創出されなければならない。

●物質的な発展・繁栄から精神的な成長・向上へ

 現代の人類の課題の一つは、現在繰り広げられている猛烈な富の追求と極端な富の偏在を改め、共存共栄を実現することにある。共存共栄とは、自然の法則と調和して、個人と個人、国家と国家、民族と民族が共存共栄することである。
 これを実現する方法は、資本主義を全く否定することではない。資本主義を改善し、価値を生み出す合理的な経済機構を人類全体を益するものになるように管理する仕組みを創ることにあると私は思う。そのためには、物質的な発展・繁栄だけを追及する価値観ではなく、精神的な成長・向上をこそ追及する価値観が高揚・普及しなければならない。
 21世紀の人類は、新たな精神文化を興隆させ、物質文明を物心調和の文明へと高次化する段階に入っている。私はこの文明の転換を先導する役割を負っているのが日本であると思う。そして、日本から世界に伝播すべき価値観が、アメリカで受容・浸透しうるかどうかに、人類の将来の相当部分がかかっていると思う。
 次に重要なのが、共産中国の改革であり、中国が民主化され、シナ伝統の道徳・思想を取り戻し、日本文明から学ぶようになりうるかに、人類の将来の相当部分がかかっていると思う。
 そして、これらすべては、日本及び日本人の自覚と行動にかかっていると思う。日本及び日本人は、そういう役割を使命として与えられている。日本及び日本人は、その使命を担い、自己の本質に沿って進まないと、逆に混迷・衰亡の方向に陥ってしまうことになると思う。実は1980年代からのここ20数年間のわが国の状態がこれだと思う。これはわが国一国の問題ではなく、世界人類全体に関わることだと思うので、次項ではその過程については述べたい。

 次回に続く。


現代の眺望と人類の課題111

2009-02-06 11:41:26 | 歴史
●ロックフェラー財団から政府中枢へ

 先にアメリカ合衆国では、共和党・民主党という政党はあるが、実態は「財閥党」が政権を維持・管理していると書いた。その例証を三つ挙げたい。
 一つ目の例は、ロックフェラー財団である。ロックフェラー家は6400億ドル(1ドル=100円として64兆円)の財産を管理し、アメリカの10大メーカーのうちの6社、10大保険会社のうちの6社、多国籍企業200社を支配している。その資産は全米国民総生産の50%を越えるといわれる。
 ロックフェラー家はアメリカの政治を動かすために、ロックフェラー財団と関係の深い人材を送り、財団に有利なように連邦政府の政策に影響を与えてきた。ケネディ・ジョンソン両政権の国務長官だったディーン・ラスクは、ロックフェラー財団の理事長だった。カーター政権の国務長官サイラス・ヴァンスも、同財団の理事長だった。他にも財団の関係者が政府の要職に就いている例は多い。
 カーター政権の国家安全保障担当大統領補佐官だったブレジンスキーや、ニクソン・フォード両政権の同担当大統領補佐官及び国務長官だったキッシンジャーは、デヴィッド・ロックフェラーとの関係が深かった。カーターは民主党、ニクソン、フォードは共和党だが、政党に関わりなく、デヴィッドは、自分の意思と利益を理解している人材を、政権に配置していたわけである。歴代政権にCFRやTCの会員が多いことを見てきたが、デヴィッドはこうした組織を通じて、他にも多数の人材を経営者として政府に送ってきた。
 ロックフェラー家から、直接政界に乗り出した人間もいる。なかでもデヴィッドの兄ネルソンは、ニューヨーク州知事を経て、1960年代に三度にわたって共和党の大統領候補を目指した。1960年にはニクソンに指名を奪われた。1969年に大統領になったニクソンがウオーターゲイト事件で辞任し、副大統領から昇格したフォードは、ネルソンを副大統領に指名した。ネルソンが副大統領だった時代、ロックフェラー家の意思を体得したキッシンジャーが国務長官として外交を担当し、同じくブッシュ父がCIA長官として諜報活動を統括した。副大統領はあまり力を持てなかったとはいわれるが、ネルソンが大統領の横にいることで、ロックフェラー家が相当の影響力を及ぼしたことは想像に難くない。

●同時に国務長官・国防長官を出したベクテル

 二つの目の例は、ベクテル社である。世界一の建設業者ベクテル社は、全世界の石油メジャー精製プラントのほとんどを建設し、原子力発電所の半分を建設し、石炭火力発電所と大型ダムを建設してきた。超巨大ゼネコンである。ベクテル社は、レーガン政権の国務長官と国防長官を生み出した。
 ベクテル社の2代目スティーブン・ベクテルは第2次大戦後、友人のジョン・マコーンと別会社ベクテル・マコーン社を作った。共同経営者のマコーンはトルーマン政権の国防長官となり、アイゼンハワー政権で原子力委員会委員長、ケネディ政権でCIA長官になった。それ以後も、ベクテルは国家指導層と密接に連携し、便宜供与を受けてきた会社である。
 レーガンを共和党の大統領候補に担ぎ出したのは、スティーブン・ベクテルだった。そして、レーガンが当選すると、ベクテル社から国務長官にジョージ・プラット・シュルツ、国防長官にキャスパー・ワインバーガーが就いた。
 シュルツはニクソン政権で労働長官、財務長官を務めた。ワインバーガーも同政権で保健教育福祉長官を務めた。ニクソン失脚とともに二人は政府を離れ、ベクテル社の社長・副社長に就任した。そして1980年の大統領選挙運動で、レーガン陣営を取り仕切った。彼らが経営するベクテル社は、レーガンに大口の寄付を行った。レーガンが大統領になると、シュルツは国務長官、ワインバーガーは国防長官になった。一企業の社長・副社長コンビが、政府の外交と軍事を担うことになったわけである。これほどあからさまに一つの企業が大統領の権力と結びついたことは、かつて例がなかった。
 レーガンの選挙には、デヴィッド・ロックフェラーが巨額の選挙資金を提供した。デヴィッドの意思を入れて、レーガンは、ブッシュ父を副大統領候補に指名した。シュルツ、ワインバーガーのベクテル・コンビが国務長官と国防長官となるには、デヴィッド・ロックフェラーの要望または了解があったはずである。ベクテル社は、ロックフェラー財閥の傘下の企業であり、シュルツとワインバーガーは、ともにデヴィッド肝いりのCFRとTCの会員だった。
 ベクテル社は、その後も政治との関わりを維持している。たとえば、湾岸戦争のとき、統合参謀本部議長としてアメリカを勝利に導いたコリン・パウエルは、退任後、ベクテルの役員になった。その後、ブッシュ子政権の国務長官となった。ブッシュ父政権で、米国通商代表部代表として日本に強硬な要求を突きつけたカーラ・ヒルズは、ベクテルの理事に就任した。全世界に施設と人脈を持つベクテル社は、CIAと連携・協力していることでも知られる。今日もベクテル社は、元CIA長官のリチャード・ヘルムズ、ウィリアム・ケイシーを顧問にするなど、政界や情報機関とのコネクションを誇っている。

 次回に続く。

現代の眺望と人類の課題110

2009-02-04 16:00:47 | 歴史
●アメリカの政治構造

 ここでアメリカの政治構造について補足したい。わが国は、議院内閣制を取っている。総理大臣は、国民の選挙で選ばれた国会議員の中から選出される。内閣の閣僚も多くは、国会議員から任命される。民間から入閣する閣僚は、ごく少ない。日本人には、アメリカの政府も同じようなものと見ている人が多い。しかし、アメリカは全く違う。
 アメリカの大統領は、連邦議会の議員とは関係なく、立候補できる。戦後の大統領は、ケネディやオバマのように上院議員からなる場合より、州知事からなる例のほうが多い。カーター、レーガン、クリントン、ブッシュ子等がそうである。日本では、県知事が直接総理大臣になることはできない。アイゼンハワーは陸軍退役後、大学の学長から大統領になった。日本では、東大の学長がいきなり首相になることはない。
 次に重要なことは、アメリカの大統領は、議会に関係なく、閣僚を選ぶことである。議会の承認はいるが、裁量は大きい。議員から閣僚を選ぶ場合もあるが、民間人から選ぶことが非常に多い。わが国の外務大臣に当たる国務長官、防衛大臣に当たる国防長官、財務大臣に当たる財務長官を始め、CIA長官、商務長官、国家安全保障担当補佐官等、政府の要職の多くに民間人が就く。学者がなる場合もあるが、財界人が政府の要職に就く例が目立つ。大手投資銀行の会長、巨大財団の理事長、石油会社や軍需企業の役員等が、選挙による国民の信任を受けることなく、国政を動かす立場になれてしまう。
 わが国でも、財界人や学者が大臣になることはあるが、その例は少ない。たとえば、日本財団の会長が外務大臣、三菱重工の社長が防衛大臣、野村證券の社長が財務大臣になって、閣僚にずらりと財界人が並ぶことは、ありえない。

 アメリカ合衆国の政治構造を理解するには、上記のことを踏まえる必要があると思う。大統領は国民が選ぶが、閣僚は大統領が議員にかかわりなく選ぶ。この仕組みを利用すれば、大統領候補を支援する財界人が、当選後大統領に圧力をかけることで、実質的に政権スタッフの陣容を決めることさえできる。実際、政権の変わる度に、財界人のグループが入れ替わり立ち代り、政府の主要部分を構成している。
 アメリカの連邦政府は、大統領を中心とした行政組織というより、財界を基盤とした行政組織と見たほうがよいと思う。国民が選んだ大統領が自由に組閣するというより、むしろ財界人やその代理人が政府の要所を占める。政治の実権を握っているのは財閥であって、大統領は表向きの「顔」のような存在となっている。国民が選んだ「顔」を掲げてあれば、政府は機能する。だから、誰が大統領になっても、所有者集団は自分たちの利益のために、国家の外交や内政を動かすことができる。このようになっているのが、アメリカの政治構造だと思う。

●所有者集団は合法的に意思を実現

 大統領には、もちろん独自の意思があり、政策や判断がある。単なるロボットや操り人形ではない。だから、大統領と財界人グループとのぶつかり合いはある。しかし、大統領には大きな枠がはめられている。権限のうち最も強い権限は人事権だが、人事権を実質的に限られていれば、大統領の出来ることは、かなり制約される。なぜ人事権を握られているかというと、アメリカの大統領選挙には、莫大な費用がかかる。資金を提供してくれるスポンサーに対して、大統領はその意思を受け容れ、応えざるを得ない。
 アメリカは、実質的な二大政党制である。国民は二つの大政党が立てる候補のどちらかを選ぶ。片方が駄目だと思えば、もう片方を選ぶ。そういう二者択一の自由はある。しかし、アメリカでは、大統領が共和党か民主党かということは、決定的な違いとなっていない。表向きの「顔」である大統領が赤であれ青であれ、所有者集団は外交・国防・財務等を自分たちの意思に沿うように動かすことができる。共和党・民主党という政党はあるが、実態は政党の違いを越えた「財閥党」が後ろから政権を維持・管理していると考えられる。
 わが国では、財界人が政治に影響力を及ぼそうとすれば、政治家と料亭で食事をしたり、懇談会をしたりして意見を述べなければならない。しかし、アメリカでは、自分たちやその代理人が直接外務大臣や防衛大臣や財務大臣になる。大統領のスタッフとして、日常的に意見を言い、自分たちの意思を、大衆向けの「顔」としての大統領に言わせるようにすることができる。

 アメリカは三権分立の国家であり、連邦議会も存在する。連邦議会は立法組織であり、行政や司法とは独立した自立的組織である。財界人グループないし大統領が、こうしたいと打ち出しても、議会は否決することがある。そこがアメリカのリベラル・デモクラシーの特徴であり、アメリカは「財閥党」による独裁国家ではない。自由民主主義の仕組みの中で、所有者集団は、自分たちの意思を合法的に、または違法とされない範囲で実現しようとするわけである。
 ここで重要なことが、連邦議会の議員に対する働きかけである。資金力や情報力によって、議員に圧力をかけ、また利益を提供することにより、大多数の議員を協力者にすることができる。これに最も成功しているのが、イスラエル・ロビーとその背後にいるユダヤ系を中心とした巨大国際金融資本である。
 意思の実現のためにもう一つ重要なことは、マスメディアの利用である。大衆の政治意識は、マスメディアの情報によって、大きく左右される。だから金融資本は、新聞・雑誌・テレビ等のマスメディアを所有し、情報を操作している。アメリカは、統制国家ではないから、表現の自由はある。しかし、流れる情報の量を管理すれば、大衆の意識を方向付けることができる。多少の反対意見があっても、大勢には影響しない。
 こうして自由の国・アメリカにおいては、国民の自由と権利は保障されつつ、富と権力を所有する集団の意思が合法的に実現される。そういう構造が出来上がっていると考えられる。
 わが国には、明治以来、立憲君主制のもとで議会政治が行われてきた。帝国憲法は、臣民に一定の自由と権利を保障しており、この体制はデモクラシーの日本的形態だった。大東亜戦争の敗戦後、わが国には、アメリカからGHQ製翻訳憲法の押し付けとともに、アメリカ型のリベラル・デモクラシーが強制移植された。しかし、もとになるアメリカの政治構造とは、上記のようなものである。アメリカ的な価値観や制度を無批判に取り入れ、模倣するのは、愚者の道である。

 次回に続く。

現代の眺望と人類の課題109

2009-02-03 08:53:14 | 歴史
●オバマは「Change」をなしうるか

 ガイトナーとともにオバマ政権の経済閣僚となった大物の一人が、国家経済会議(NEC)委員長のサマーズである。サマーズは、クリントン政権で市場を尊重し自由貿易の維持を主張していたルービンの後任として財務長官を務めた。サマーズは、ルービンと政策的に近く、新自由主義とグローバリズムの信奉者として知られる。中国を重視したクリントン政権で対外経済関係を担当し、日本には内政干渉に近いほど厳しく、不良債権処理や減税、公的資金の投入を要求した。
 ルービンもサマーズもユダヤ人である。サマーズはビルダーバーグ・クラブの会員である。ルービンは2007年(平成19年)からCFRの共同理事長となっている。
 次に、オバマ政権の経済回復諮問委員会委員長ヴォルカーは、カーター、レーガン両政権下でFRB議長を務めた。レーガノミックスを主導し、金融引き締め策でインフレを鎮圧したと評価されるが、景気回復は一時的で、赤字は再び膨らんだ。ヴォルカーはFRB議長となる前は、ロックフェラー系のチェイス・マンハッタン銀行の副社長だった。CFRの会員であり、TCでは事務局長、北米議長を務めた。ビルダーバーグ・クラブの会員でもある。ロックフェラーとロスチャイルドが相乗りで買収した旧長銀、新生銀行のシニア・アドバイザーともなっている。

 ガイトナー、サマーズ、ヴォルカーーーオバマ政権の主要経済閣僚には、共和党のレーガン政権に居た者や民主党のクリントン政権に居た者がいる。一見異なる理念と経済政策をもった人間の寄り集まりのようである。しかし、彼らには共通項がある。彼ら三人は、みなビルダーバーグ・クラブの参加者であることである。またガイトナーとヴォルカーはCFRの会員であり、サマーズもCFRに近い位置に居る。
 アメリカでは、経済政策は、政府よりも連邦準備制度(FRS)が実権を握っている。FRSは、米欧の巨大国際金融資本の連合による国際経済管理機構である。現在のFRB議長は、ブッシュ子政権の途中から担当しているベン・バーナンキである。バーナンキは、プリンストン大学の教授だったが、ブッシュ政権下でFRBの理事となり、2006年(平成18年)に議長となった。
 前任者は、それまで18年間FRBに君臨したアラン・グリーンスパンである。グリーンスパンは、今日の住宅バブル、石油バブルを招いた責任を問われている。バーナンキはグリーンスパンを批判するのでなく、基本的にグリーンスパンの路線を踏襲している。結果が良くなかった部分を是正するという対応である。グリーンスパン、バーナンキはともにユダヤ人であり、ユダヤ系金融資本、さらにロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥につながっている。

 オバマ大統領は、「Change(変革)」をスローガンに掲げ、共和党に替わって、民主党による新たな政権を樹立した。しかし、これまで書いてきたように、アメリカの二大政党の後には、巨大国際金融資本が存在する。私は、オバマもまたアメリカの歴代大統領と同様、アメリカ及び西欧の所有者集団の意思に妥協・融和せざるをえないだろうと予想する。
 オバマにせよ、今後のアメリカの大統領にせよ、アメリカを「Change(変革)」しようとするならば、その挑戦はアメリカの政治構造の変革へと進まざるを得ない。そして、もし本気で挑戦しようとすれば、ケネディ大統領暗殺事件から9・11に至る多くの事件の真相を究明することなくして、変革を成し遂げることはできないだろう。とりわけ9・11の真相究明が重要である。

 次回に続く。

現代の眺望と人類の課題108

2009-02-01 08:39:12 | 歴史
●オバマ新大統領もCFR会員が取り巻く

 2008年(平成20年)の大統領選挙で、アメリカ初の黒人大統領が誕生した。バラク・オバマである。15世紀以来白人種の優勢が続く歴史の中で、有色人種からアメリカ合衆国の大統領が出たことは、文明史的にも画期的なことである。
 オバマは、共和党のジョン・マケインと戦って、これを破った。マケインは、ブッシュの外交・軍事政策を支持・継承する立場で、自説を主張した。選挙戦の中盤までは、両候補のどちらが勝つか予断を許さなかった。しかし、08年9月、リーマンブラザーズの倒産に始まる世界的な経済危機が襲うと、「Change(変革)」をスローガンに掲げるオバマを支持する国民が急速に増えた。そして、本年(2009年、平成21年)1月、民主党による新たな政権がスタートした。
 アメリカの大衆の多くは、「Change(変革)」を求めている。しかし、オバマ大統領が変革の旗手として、大胆な変化を生み出し得るかどうかは、じっくり様子を見る必要がある。

 その様子の見方だが、まずCFRとの関係から言えば、オバマは、自分はCFRの会員ではないと公言している。しかし、CFRの機関誌「フォーリン・アフェアーズ」に論文を寄せており、CFRと無関係ではありえない。ちなみに、大統領選を戦った共和党のマケインはCFRの会員であり、予備選の段階で、民主党の指名候補者だったヒラリー・クリントン、ジョン・エドワーズも、同じく共和党のミット・ロムニー、ルドルフ・ジュリアーニは、みなCFRの会員である。
 オバマ政権の閣僚には、ビル・クリントン政権の時のスタッフが多く起用されている。最高の大物は元大統領夫人のヒラリー・クリントンである。ヒラリーは国務長官として、これからのアメリカ外交を担う。彼女は、CFRの会員であり、TCの会員でもある。さらにビルダーバーグ会議の参加者でもある。CFR、TC、BCの三つすべてに参加している政治家は、アメリカでも少ない。ヒラリーが米欧の所有者集団にとって、重要な経営者であることの証である。ヒラリーは、所有者集団には未知数のオバマという指導者を抑え、操作するための要となるだろう。
 国務長官に並ぶ要職・国防長官には、オバマはロバート・ゲイツを任命した。ゲイツは、ブッシュ子政権後半の国防長官である。オバマはブッシュの戦争政策を厳しく批判して大統領になったのだから、ブッシュのもとでアフガン=イラク戦争を指揮した人間を留任させることは、普通に考えるとありえない選択である。ゲイツはレーガン政権のCIA副長官として、アメリカが敵国イランに武器を輸出したイラン・コントラ事件に関わった。ブッシュ父の政権ではCIA長官となり、父子2代に仕えてきた人物でもある。民主党のオバマにとっては、まず排除すべき存在ではないか。
 しかし、このゲイツもまたCFRの会員なのである。歴代政権で政党が変わっても、CFRから多くの人材が一貫して供給されてきたことが、オバマ政権でも繰り返されているのである。
 次に触れるオバマ政権の重要経済閣僚ティモシー・ガイトナー、ポール・ヴォルカーもCFRの会員である。

●経済危機に対処する主要経済閣僚の顔ぶれ

 オバマ政権は、オバマ大統領は、「Change(変革)」をスローガンに掲げて政権を獲得した。時あたかも、1929年の世界恐慌以来の経済危機の真っ最中である。同政権がどのような経済政策を行うか、そこに世界経済の行方が深く係っている。そこで、オバマ政権の経済担当閣僚の顔ぶれが注目される。
 財務長官にはティモシー・ガイトナー、国家経済会議(NEC)委員長にローレンス・サマーズ、新設の経済回復諮問委員会委員長にポール・ヴォルカーが任命された。彼ら3人が、これからアメリカの経済危機に対処する主要経済閣僚である。彼らがFRB議長のベン・バーナンキとともに、経済政策を動かしていく。
 ガイトナーはCFRの会員であり、ビルダーバーグ・クラブのメンバーでもある。彼の父親は、フォード財団の主任研究員だった。ガイトナーはダートマス大学、次いでジョンズ・ホプキンス大学大学院でアジアの地域研究を専攻した。卒業後、ヘンリー・キッシンジャーのコンサルタント会社キッシンジャー・アソシエイツに就職した。その後、ガイトナーは財務省に入り、国際担当の財務官僚として頭角を現す。そして、クリントン政権下、1999年から2001年(平成11~13年)にかけて、ロバート・ルービン、ローレンス・サマーズという2人の財務長官の下で、国際担当財務次官を務めた。その時の長官であるサマーズとともに、今回オバマ政権のスタッフとなった。

 ガイトナーは財務次官時代、1997年(平成9年)のアジア通貨危機において、巨大国際金融資本のアジア市場進出に寄与した。とりわけ韓国を国際通貨基金(IMF)の管理下に置くことを主張した。98年(10年)、アメリカとの「マネー戦争」に大敗した日本に対しては、不良債権処理を迫った。 わが国及びアジア諸国にとっては、手ごわい相手である。
 ガイトナーは、ブッシュ子政権時代には、財務省を離れて、CFRの国際経済担当の上級研究員となった。CFRで経済政策を立案する主要メンバーなのである。2003年(平成15年)に、ガイトナーは、ニューヨーク連邦準備銀行の総裁となった。07年(19年)からのアメリカ経済危機では、J・P・モルガン・チェイスのベアースターンズ吸収の仲介や金融業界の規制見直し、リ-マン・ブラザーズの破綻における政府の決定などに重要な役割を果たしてきた。その実績を買われて、オバマ政権で財務長官になった。
 こうした経歴から、ガイトナーはキッシンジャーの人脈に連なる人物であり、さらにその後ろ盾・ロックフェラー家の庇護を受けていると推測される。またゴールドマン・サックスの共同会長だったルービンの下で財務次官を務めたことや、連邦準備制度(FRS)の主要銀行であるニューヨーク連銀の総裁だったことから、ウォール街に集結する米欧の巨大国際資本の意思を体した経営者と見てよいだろう。

 次回に続く。