●インドシナ半島・マレー半島とその周辺の国々とキリスト教(続き)
タイは、インドシナ半島中部からマレー半島北部に広がる。この地域では、13世紀からタイ族がアユタヤ朝等の王朝を樹立し、1782年に現在まで続くチャクリー朝が成立した。西欧列強が席巻する東南アジアにあって、タイは英仏の勢力圏の緩衝地帯として唯一独立を維持し、植民地化を免れた。
タイは1940年にインドシナ南部に侵攻し、タイ・フランス領インドシナ紛争を優勢に戦って領土を拡大した。大東亜戦争では、日泰攻守同盟を結び枢軸国として戦った。敗戦後は40年以降に獲得した領地を返還することで英米と講和を結び、降伏や占領を免れた。
もともとタイでは、先住民族がピー信仰(アニミズム)をしていた。タイ族が支配するようになってから上座部仏教が最大の勢力となった。現在も、ジェトロの資料によると、上座部仏教の信徒が95%を占める。次いでイスラーム教徒が4%で、キリスト教徒は0.6%とされる。キリスト教徒の大半はカトリックで、タイ族以外に多い。
インドシナ半島西部からマレー半島北部に延びるミャンマーは、通称ビルマという。11世紀以降、ビルマ族が王朝を建てた。18世紀半ばに樹立されたコンバウン朝は、3度に渡る英緬戦争を戦って敗れ、1886年にイギリス領インド帝国に併合された。第1次世界大戦中から独立運動が始まった。大東亜戦争勃発後、アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦ってイギリス軍を駆逐し、1943年にバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。45年、アウンサンが指揮するビルマ国民軍はクーデタを起こしたが、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となった。その後、48年にイギリス連邦を離脱してビルマ連邦として独立した。88年に国軍がクーデタを起こして軍政を敷き、89年に国名をミャンマー連邦に改称した。
宗教は、ジェトロの資料によると、上座部仏教が89.4%を占め、キリスト教は4.9%。イスラーム教が3.9%である。キリスト教徒の中では、7割以上がイギリス系のパブテスト、残りの多くがカトリックとされる。
マレー半島南部からボルネオ島にまたがるマレーシアでは、もともと仏教・ヒンドゥー教が分布していた。13世紀からアラブ商人やインド商人がイスラーム教を伝え、イスラーム教が優勢になった。14世紀末に樹立されたマラッカ王国の国王が15世紀初めにイスラーム教を国教とした。16世紀初めにポルトガルがマラッカを占領し、17世紀半ばにはオランダがとって代わった。イギリスは、1824年にはオランダと英蘭協約を結び、ペナン・シンガポール・マラッカのマレー半島を植民地として獲得した。その後、北ボルネオにも範囲を広げた。大東亜戦争で日本はマラヤ全域を占領した。敗戦によりこの地域はイギリスの植民地状態に戻ったが、1957年にマラヤ連邦として独立した。63年シンガポール、イギリス保護国北ボルネオ、イギリス領サラワクがマラヤ連邦と統合し、マレーシアが成立した。その後、65年にシンガポールがマレーシアから独立した。
マレーシアは、イスラーム教を国教とする。ただし、民族構成が複雑であり、他の宗教の信者も多い。ムスリムはマレー人、パキスタン系に多い。インド系はヒンドゥー教、シナ系は仏教・道教を主に信仰している。日本外務省の資料によると、イスラーム教が61%、仏教が20%、ヒンドゥー教が6%で、イギリス植民地時代の影響でキリスト教徒が9%いるとされる。
シンガポールの宗教は、シナの浄土系の仏教が主に華人により信仰されており、2015年現在、人口の33.2%を占める。華人には道教も多く、人口の10.0%に上る。イスラーム教は14.0%を占め、主にマレー系が信仰し、シナ系・インド系の信者も少なくない。ヒンドゥー教は、主にインド系に信仰され、5.0%を占める。キリスト教は、民族にかかわらず広く信仰されており、人口の18.8%を有する。キリスト教徒の中では、プロテスタントが2に対しカトリックが1の割合とされる。
●フィリピンとキリスト教
東南アジア北部に位置するフィリピンは、アジアで数少ないキリスト教国の一つであり、またその最大の国である。キリスト教の宣教は、1521年にマゼラン率いるスペイン艦隊が太平洋を渡って到着した時に始まる。スペインは71年にフィリピン諸島の大部分を植民地とした。その後、19世紀末までスペインの支配が続いた。
スペイン人の到来以前に南部のミンダナオ島などの島々には、イスラーム教が進出していた。そうした地域を除くフィリピンの大部分を、ローマ・カトリックが教化した。その前は、シャーマニズム的・アニミズム的な部族宗教が信仰されていた。
1898年米西戦争の結果、フィリピンの統治権はスペインからアメリカに譲渡された。この間、エミリオ・アギナルドが独立を宣言したが、米国はフィリピン共和国を認めず、植民地化を進めた。大東亜戦争が勃発すると、日本は1943年にフィリピンの独立を決定し、第二共和国が成立した。45年に日本が敗戦に至ると、フィリピンは米国の植民地に戻ったが、翌年、戦前から米国が約束していた独立が認められ、第三共和国が樹立された。
フィリピンでは、300年を超えるスペインの植民地時代にカトリックが広まった。ジェトロの資料では、現在人口の92.9%がキリスト教徒であり、次いでイスラーム教徒が5.1%とされる。キリスト教徒のうち約9割がカトリックである。米国が支配した約半世紀の時代にプロテスタントの布教がされたが、カトリックの圧倒的優勢は変わっていない。カトリックの影響は強く、法律上離婚を認めない国は、世界でヴァチカン市国とフィリピンだけである。
以上、東南アジアを見てきたが、この地域は世界で最も宗教的に多様な地域である。インドネシア・マレーシアはイスラーム教国、ミャンマー・カンボジア・ラオス・タイは仏教国、フィリピンはキリスト教国である。また国によって複数の世界宗教が互いに近い割合で併存しており、またヒンドゥー教、道教もかなりの割合を占める。どの宗教も地域全体を主導し得る勢力とはなっていない。その中でキリスト教は多くの国に分布するが、地域全体では少数派にとどまっている。
次回に続く。
タイは、インドシナ半島中部からマレー半島北部に広がる。この地域では、13世紀からタイ族がアユタヤ朝等の王朝を樹立し、1782年に現在まで続くチャクリー朝が成立した。西欧列強が席巻する東南アジアにあって、タイは英仏の勢力圏の緩衝地帯として唯一独立を維持し、植民地化を免れた。
タイは1940年にインドシナ南部に侵攻し、タイ・フランス領インドシナ紛争を優勢に戦って領土を拡大した。大東亜戦争では、日泰攻守同盟を結び枢軸国として戦った。敗戦後は40年以降に獲得した領地を返還することで英米と講和を結び、降伏や占領を免れた。
もともとタイでは、先住民族がピー信仰(アニミズム)をしていた。タイ族が支配するようになってから上座部仏教が最大の勢力となった。現在も、ジェトロの資料によると、上座部仏教の信徒が95%を占める。次いでイスラーム教徒が4%で、キリスト教徒は0.6%とされる。キリスト教徒の大半はカトリックで、タイ族以外に多い。
インドシナ半島西部からマレー半島北部に延びるミャンマーは、通称ビルマという。11世紀以降、ビルマ族が王朝を建てた。18世紀半ばに樹立されたコンバウン朝は、3度に渡る英緬戦争を戦って敗れ、1886年にイギリス領インド帝国に併合された。第1次世界大戦中から独立運動が始まった。大東亜戦争勃発後、アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦ってイギリス軍を駆逐し、1943年にバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。45年、アウンサンが指揮するビルマ国民軍はクーデタを起こしたが、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となった。その後、48年にイギリス連邦を離脱してビルマ連邦として独立した。88年に国軍がクーデタを起こして軍政を敷き、89年に国名をミャンマー連邦に改称した。
宗教は、ジェトロの資料によると、上座部仏教が89.4%を占め、キリスト教は4.9%。イスラーム教が3.9%である。キリスト教徒の中では、7割以上がイギリス系のパブテスト、残りの多くがカトリックとされる。
マレー半島南部からボルネオ島にまたがるマレーシアでは、もともと仏教・ヒンドゥー教が分布していた。13世紀からアラブ商人やインド商人がイスラーム教を伝え、イスラーム教が優勢になった。14世紀末に樹立されたマラッカ王国の国王が15世紀初めにイスラーム教を国教とした。16世紀初めにポルトガルがマラッカを占領し、17世紀半ばにはオランダがとって代わった。イギリスは、1824年にはオランダと英蘭協約を結び、ペナン・シンガポール・マラッカのマレー半島を植民地として獲得した。その後、北ボルネオにも範囲を広げた。大東亜戦争で日本はマラヤ全域を占領した。敗戦によりこの地域はイギリスの植民地状態に戻ったが、1957年にマラヤ連邦として独立した。63年シンガポール、イギリス保護国北ボルネオ、イギリス領サラワクがマラヤ連邦と統合し、マレーシアが成立した。その後、65年にシンガポールがマレーシアから独立した。
マレーシアは、イスラーム教を国教とする。ただし、民族構成が複雑であり、他の宗教の信者も多い。ムスリムはマレー人、パキスタン系に多い。インド系はヒンドゥー教、シナ系は仏教・道教を主に信仰している。日本外務省の資料によると、イスラーム教が61%、仏教が20%、ヒンドゥー教が6%で、イギリス植民地時代の影響でキリスト教徒が9%いるとされる。
シンガポールの宗教は、シナの浄土系の仏教が主に華人により信仰されており、2015年現在、人口の33.2%を占める。華人には道教も多く、人口の10.0%に上る。イスラーム教は14.0%を占め、主にマレー系が信仰し、シナ系・インド系の信者も少なくない。ヒンドゥー教は、主にインド系に信仰され、5.0%を占める。キリスト教は、民族にかかわらず広く信仰されており、人口の18.8%を有する。キリスト教徒の中では、プロテスタントが2に対しカトリックが1の割合とされる。
●フィリピンとキリスト教
東南アジア北部に位置するフィリピンは、アジアで数少ないキリスト教国の一つであり、またその最大の国である。キリスト教の宣教は、1521年にマゼラン率いるスペイン艦隊が太平洋を渡って到着した時に始まる。スペインは71年にフィリピン諸島の大部分を植民地とした。その後、19世紀末までスペインの支配が続いた。
スペイン人の到来以前に南部のミンダナオ島などの島々には、イスラーム教が進出していた。そうした地域を除くフィリピンの大部分を、ローマ・カトリックが教化した。その前は、シャーマニズム的・アニミズム的な部族宗教が信仰されていた。
1898年米西戦争の結果、フィリピンの統治権はスペインからアメリカに譲渡された。この間、エミリオ・アギナルドが独立を宣言したが、米国はフィリピン共和国を認めず、植民地化を進めた。大東亜戦争が勃発すると、日本は1943年にフィリピンの独立を決定し、第二共和国が成立した。45年に日本が敗戦に至ると、フィリピンは米国の植民地に戻ったが、翌年、戦前から米国が約束していた独立が認められ、第三共和国が樹立された。
フィリピンでは、300年を超えるスペインの植民地時代にカトリックが広まった。ジェトロの資料では、現在人口の92.9%がキリスト教徒であり、次いでイスラーム教徒が5.1%とされる。キリスト教徒のうち約9割がカトリックである。米国が支配した約半世紀の時代にプロテスタントの布教がされたが、カトリックの圧倒的優勢は変わっていない。カトリックの影響は強く、法律上離婚を認めない国は、世界でヴァチカン市国とフィリピンだけである。
以上、東南アジアを見てきたが、この地域は世界で最も宗教的に多様な地域である。インドネシア・マレーシアはイスラーム教国、ミャンマー・カンボジア・ラオス・タイは仏教国、フィリピンはキリスト教国である。また国によって複数の世界宗教が互いに近い割合で併存しており、またヒンドゥー教、道教もかなりの割合を占める。どの宗教も地域全体を主導し得る勢力とはなっていない。その中でキリスト教は多くの国に分布するが、地域全体では少数派にとどまっている。
次回に続く。