ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

教育勅語には現代に生かすべきものがある

2018-10-12 08:55:40 | 教育
 第4次安倍内閣の文科相となった柴山昌彦氏は、10月2日就任後の記者会見で教育勅語に関し、次のように述べました。
 「アレンジした形で、今の例えば道徳などに使える分野が十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分がある」
 「同胞を大切にするとか、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について、現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」
 これに対し、野党から「戦前回帰につながる」という批判が上がりました。柴山文科相は5日の閣議後会見で、記者からの質問に答え、教育勅語について「(2日の発言は)いまなお部分的に現代的なアレンジをする形で、利用できる理念というものがあるということを申し上げたまでで、決して教育勅語を復活させるということを話したわけではない」「政府として教育勅語の活用を(学校現場などに)促す考えはない」と述べました。
 政府は昨年3月、教育勅語について「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」とする答弁書を閣議決定しています。野党の一部のように、教育勅語を全否定する姿勢は間違っています。教育勅語とはどういうものか、下記の拙稿に書いていますので、ご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion02c.htm
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学習指導要領に聖徳太子の名前を堅持

2017-04-10 09:35:29 | 教育
 本年2月に文部科学省が公表した中学校の次期学習指導要領改定案は、現行の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」に変更していた。これに対し、多くの有識者が批判を述べ、また文科省へのパブリック・コメントでも批判的な意見が多く寄せられた。教員からも「小中で呼称が異なれば子供たちが混乱する」「指導の継続性が損なわれる」といった意見が出された。その結果、学校現場に混乱を招く恐れがあるなどとして、文科省は現行の表記に戻す方向で最終調整していると伝えられる文科省は小中ともに聖徳太子の表記に統一し、中学では日本書紀や古事記に「厩戸皇子」などと表記されていることも明記する方向だという。
 学習指導要領の改悪を防ぐことができたのは、良かった。2月の改定案は、日本人の精神の形成において重要な役割を果たした聖徳太子を抹消しようという暴挙である。今後も、同じ動きが繰り返されないように、注意して見守りたい。
 本件に関して、有識者が見解を述べたうち、拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏が本件について書いた記事を転載する。

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●産経新聞 平成29年2月23日付

http://www.sankei.com/column/news/170223/clm1702230006-n1.html
2017.2.23 12:00更新
【正論】
周到な「聖徳太子抹殺計画」 次期指導要領案は看過できない 拓殖大学客員教授・藤岡信勝

≪国民に「厩戸王」の定着を狙う≫
 文部科学省は2月14日、次期学習指導要領の改訂案を公表した。その中に、国民として決して看過できない問題がある。日本史上重要な人物で、日本国家自立の精神的よりどころとなった聖徳太子の名を歴史教育から抹殺し、「厩戸王(うまやどのおう)」という呼称に置き換える案が含まれているのである。
 聖徳太子(574~622)は、冠位十二階と十七条憲法によって国家の仕組みを整備し、天皇を中心とする国づくりへ前進させた指導者だった。中国大陸との外交では、「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」という文言で知られる自立外交を展開し、日本が支那の皇帝に服属する華夷秩序に組み込まれるのではなく、独立した国家として発展する理念を示した。
 こうして聖徳太子はその後1世紀にわたる日本の古代国家建設の大きな方向付けをした。
 そこで当然のことながら、現行の学習指導要領(平成20年)では「聖徳太子の政治」を学習すべき一項目として設け、日本の古代律令国家確立の出発点に位置づける次のような指示が書かれている。
【「律令国家の確立に至るまでの過程」については、『聖徳太子』の政治、大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を、小学校での学習内容を活用して大きくとらえさせるようにすること】(中学社会歴史的分野「内容の取扱い」の項。二重カギは引用者)
 この一文は改訂案でもそのまま踏襲されているのだが、ただ1カ所、右の「聖徳太子」が「厩戸王(聖徳太子)」に突如として置き換えられたのである。
 括弧を使ったこの書き方の意味するところは、「厩戸王」が正式な歴史用語であるが、すぐには誰のことかわからない者もいるので、それは一般には聖徳太子と呼ばれてきた人物のことだ、と注記をしたというものである。
 ということは、新学習指導要領とそれに基づく歴史教科書によって「厩戸王」が国民の間に定着すれば、次期改訂ではこの注記は無くしてしまえるということになる。

≪反日左翼に利用される珍説≫
 改訂案は、小学校ではこの表記の前後を入れ替えて「聖徳太子(厩戸王)」と教えることにするという。学校段階に応じて「厩戸王」という呼称に順次慣れさせ、「聖徳太子」の呼称をフェイド・アウトさせる。周到な「聖徳太子抹殺計画」といえるだろう。
なぜこんなことになったのか。その根拠は、今から20年近く前に、日本史学界の一部で唱えられた「聖徳太子虚構説」と呼ばれる学説だ。その説は「王族の一人として厩戸王という人物が実在したことは確かであるが」「『日本書紀』や法隆寺の史料は、厩戸王(聖徳太子)の死後一世紀ものちの奈良時代に作られたものである。それ故、〈聖徳太子〉は架空の人物である」(大山誠一『〈聖徳太子〉の誕生』平成11年)と主張する。
 しかし、この説には根拠が乏しい。「聖徳太子」は100年以上たってから使われた称号だが、核となる「聖徳」という美称は、『日本書紀』以前に出現しているからだ。この学説が公表されたあとも、「聖徳太子」の名を冠した書物はたくさん出版されている。
 戦後の日本史学界では、さまざまな奇説・珍説が登場した。騎馬民族征服王朝説、大化改新否定論、三王朝交替説などが典型例である。それらはしばらくもてはやされても、やがてうたかたのように消え去った。「聖徳太子虚構説」もそのような一過性の話題として消え去る運命にあった。
 ところが、事情は不明だが文科省は、この珍説が歴史学界の通説であるととらえてしまったようだ。この説は日本国家を否定する反日左翼の運動に利用されているのであり、その触手が中央教育行政にまで及んだ結果である。

≪日本を精神的に解体させるのか≫
 死後付けられたということを理由にその呼称が使えないとすれば、歴代の天皇はすべて諡号(しごう)(没後のおくり名)であるから、いちいち、大和言葉の長い名称を書かなければならず、歴史教育の用語体系は大混乱となる。そもそも歴史教育は歴史学のコピーではない。歴史教育には国民の歴史意識を育てる独自の役目がある。
 聖徳太子抹殺の影響は古代史のみにとどまらない。明治以降発行された紙幣の人物像として最も多く登場したのは聖徳太子である。このことが象徴するように、聖徳太子は日本人の精神の支えとなる人物だったのだ。
 聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩である。「日本を取り戻す」ことを掲げて誕生した安倍晋三政権のもとで見逃されてよいはずがない。
 だが、まだ間に合う。文科省は学習指導要領の改訂案について、3月15日まで国民の意見をパブリック・コメントとして募集している。「聖徳太子の呼称を厩戸王に変えるな」という明確なメッセージを文科省に届けて、日本の歴史教育を救わねばならない。(拓殖大学客員教授・藤岡信勝 ふじおかのぶかつ)
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 藤岡氏は「明治以降発行された紙幣の人物像として最も多く登場したのは聖徳太子である。このことが象徴するように、聖徳太子は日本人の精神の支えとなる人物だったのだ。聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩である。」と書いている。
 伝統的な日本精神を語る時に、聖徳太子は欠かせない人物である。拙稿では、下記のものなどで太子について述べている。「厩戸王」の呼称では、その精神をよく語ることができない。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind05.htm 目次より01へ
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion04d.htm
 藤岡氏が「聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩」と言うとおりである。今後も文科相の官僚、その背後にいる左翼の政治家、歴史学者、教育学者、日教組等が、日本解体のために、聖徳太子の抹殺や日本精神を体現した人物の削除を図ってくるだろう。これを断固としてはねのけていかなければならない。
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道徳教科化に意見公募で6割が賛成

2015-05-22 08:50:00 | 教育
 昨年10月21日、中央教育審議会は、道徳教育の教科化について下村博文文部科学相に答申した。答申は、小中学校の「道徳の時間」を、数値評価を行わない「特別の教科」に格上げし、検定教科書を導入することを主旨とする。文科省は答申を受けて学習指導要領を改定し、早ければ平成30年度からの教科化を目指している。
 本件については、拙稿「いよいよ道徳が教科化される」に書いた。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02l.htm
 道徳の教科化を待ち望む人は、多くいることと思う。産経新聞3月28日付によると、平成30年度以降に教科化される小中学校の道徳の学習指導要領改定案について、文部科学省が2~3月に実施した意見公募(パブリックコメント)に寄せられた計5993件の57%が賛成意見だったという。文科省には、日教組の反対や偏向マスコミの圧力に屈せず、粛々と教科化を進めてもらいたいものである。
 以下は、関連する報道記事。

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●産経新聞 平成27年3月28日

http://www.sankei.com/life/news/150328/lif1503280017-n1.html
2015.3.28 08:10更新
道徳教科化「賛成」6割 文科省意見公募 指導充実に期待

 平成30年度以降に教科化される小中学校の道徳の学習指導要領改定案について、文部科学省が2~3月に実施した意見公募(パブリックコメント)に寄せられた計5993件の約6割が賛成意見だったことが27日、分かった。戦後、日本教職員組合(日教組)などの反対の影響で、おざなりにされてきた道徳教育だが、教科化や指導充実への国民の期待感が高いことが改めて浮かび上がった。(河合龍一)
 ◇
 パブリックコメントは、国民の意見を政策に生かすことが目的のため、賛否の数を明らかにしていないが、産経新聞が文科省内で公開されている全意見を集計したところ、賛成を前提にした提案や要望を含め賛成意見は約3400件で、全体の約57%を占めた。
 戦前、「修身」として教えてきた道徳は、昭和33年に「道徳の時間」として復活。だが日教組などは「軍国主義を助長した修身を復活させてはならない」と激しい反対運動を展開し、学習指導要領に基づいた道徳の授業を行わない風潮が学校現場に広がった。
 パブリックコメントで、4月から中学教諭になるという学生は、教育実習中に道徳の時間が校外学習の事前準備に変更されるのを見たとして「いじめなど重大な問題が起きているのに、道徳がないがしろにされるのを見るのはすごく怖いと感じた」と指摘。「今回の改革が教師の道徳的な意識をより高めていくきっかけになればよい」と寄せた。
 ある中学教諭は、道徳の時間が行事の準備にあてられながら、文科省の実施状況調査には授業を行ったと嘘の報告をしていたと告白。「教科化にあたり、本当に子供の心に響き、実践力に結びつく魅力的な教材開発や教師の指導力向上のための効果的な研修なども考えてほしい」と要望し、「私たち、現場の教師も頑張ります」と記した。
 一方、反対意見は「価値観の押し付け」という内容が圧倒的に多かった。中には全く同じ文面のはがきやメールが数十通ずつ、合わせると400件以上あった。団体などが組織的に送った可能性があるとみられる。
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中学教科書は領土・歴史・天皇・自衛隊等の記述に改善

2015-05-12 09:02:38 | 教育
 4月6日文部科学省は、来春から中学校で使われる教科書の検定結果を公表した。
社会科の全教科書で、竹島と尖閣諸島が「日本の領土」と明記された。近現代史の事項で通説的見解のないものはそのことを明記したり、政府見解を記述するようになった。天皇・自衛隊に関する記述が増え、神話・伝統文化に関する内容も多く盛られたと伝えられる。安倍政権のもと教科書の正常化が、一歩前進したと言えよう。
 各種報道記事を編集して、今回の教科書検定に関する情報を整理しておきたい。

●竹島・尖閣諸島は「日本の領土」と明記

 新しい教科書では、社会科の全教科書で竹島と尖閣諸島が記述された。現行では7点中1点しか記述がなかった歴史でも8点全てが扱い、地理、歴史、公民と中学3年間を通して生徒たちが自国の領土を学ぶ態勢が整った。教科書作成の指針となる学習指導要領の解説書が昨年1月に改定され、地理、歴史、公民の全てで指導するよう明記されたためとみられる。
 竹島については、地理と公民の10点中9点が日本の政府見解を踏まえ、韓国が不法占拠していると明記した。尖閣諸島についても「日本固有の領土」と強調するなど、控えめだった領土記述が一変した。
 東京書籍は地理、歴史、公民の全てで見開き2ページの領土に関する特集を掲載。竹島や尖閣諸島などについて、日本の領土である根拠と他国の主張の不当性を詳述した。公民では17世紀初めから鳥取藩の漁民が竹島で行った漁業の記録の存在や、韓国の不法占拠を受け、日本が国際司法裁判所に委ね、平和的に解決するという提案を韓国が拒否していることを紹介した。
 帝国書院は、公民の教科書において見開き2ページで大きく取り上げた。尖閣諸島については日本の領海に頻繁に侵入する中国船の写真も掲載した。
 育鵬社は、現行の公民教科書でも竹島や尖閣諸島について詳しく記述しているが、今回さらに見開き2ページで「領土を取り戻す、守るということ」と題した特集を掲載した。尖閣諸島は日本人実業家が開拓し、最盛期には242人が居住していたことなどを紹介している
 自由社の歴史も「日本は『尖閣諸島は日本固有の領土であり、領土問題は存在しない」との立場をとっている」と明記した。
 今年度から使用される小学校教科書でも社会の全社が竹島と尖閣諸島について記述しており、義務教育段階で全ての児童・生徒が学ぶことになった。

●通説的見解のない歴史的事象にはその旨を明記、政府見解を記述

 今回の検定では、社会科の近現代史で通説的見解がない事項の記述にその旨を明示することや、政府見解を尊重する記述を求めた新検定基準が初めて適用された。
 慰安婦については16年度検定以降、記述がなかったが、今回「慰安婦」を取り上げた教科書があった。これに対しては、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」との政府見解を記述した。
 関東大震災の朝鮮人虐殺数を「数千人」とした教科書に対しては、初めて検定意見が付けられ、「通説はない」などと書き加えて合格した。
 自由社の歴史は、南京事件について書かなかった。その一方、「日中戦争」と言う単元で通州事件について、次のように書いた。「北京東方の通州には親日政権がつくられていたが、7月29日、日本の駐屯軍不在の間に、その政権の中国人部隊は、日本人居住区を襲い、日本人居留民385人のうち子供や女性を含む223人が惨殺された(通州事件)」
 戦後補償問題では、日本への補償要求が続いていることを取り上げた箇所に対し、検定では戦後処理は解決済みであるとの日本の立場を踏まえるよう求めた。
 昭和57年の高校教科書検定で、中国華北への日本の「侵略」を「進出」に書き換えさせたとのマスコミ各社の誤報を機に中韓が反発し、近現代史の記述で近隣アジア諸国への配慮を求めた近隣諸国条項が検定基準に導入された。これ以降、自虐史観記述が30年にわたり横行してきたが、今回の検定で自虐史観の傾向がやや改善された。

●天皇の被災地慰問等を記述

 天皇について、これまでは憲法が定める国事行為を行う点ばかりを強調したり、敬称を付けずに記述したりするなど皇室軽視の教科書が少なくなかった。今回は東日本大震災の被災地や外国訪問などの公的活動を紹介するなど記述を増やす教科書が目立った。
 東京書籍の公民は、天皇の国事行為について説明した後、「天皇は、国事行為以外にも、国際親善のための外国訪問や、式典への参加、被災地の訪問など、法的、政治的な権限の行使に当たらない範囲で、公的な活動を行っています」と付け加え、東日本大震災の被災地を訪問される天皇、皇后両陛下の写真を掲載した。
 日本文教出版の公民は、「儀式への臨席や外国への親善訪問などの社交も行います」と記述し、東日本大震災の被災者をいたわられる両陛下の写真を掲載した。
 教育出版は本文に加え、コラムでも「皇室と人々との交流」と題し、天皇、皇后両陛下が「こどもの日」の児童施設ご訪問と敬老の日の高齢者施設ご訪問を平成4年以降、毎年続けられてきたことを紹介した。

●自衛隊を評価する記述が目立つ

 自衛隊については、これまで憲法違反とする意見を強調するなど否定的に伝える教科書が多かった。今回の教科書は、東日本大震災などの災害出動や国際貢献で高い評価を受けている事実を紹介する記述が目立った。
 教育出版の公民は、現行版は「自衛隊と文民統制」とした項目を「自衛隊の役割と存在をめぐって」に変え、「国内外の災害時の支援活動においても、大きな活躍をしています」と記述した。さらに「今後自衛隊が力を入れていくと良い面」として、1位「災害派遣」、2位「国の安全の確保」などとの結果が出た平成23年の内閣府の世論調査を掲載した。別の項目では、自衛隊の海外活動を地図付きで紹介した。「国内外の災害派遣や平和維持活動において、その活動の成果が評価されています」とし、「自国の領土をしっかりと守りながら、世界の平和の構築や国際貢献をさらに進めていくためには、今後の日本の平和主義や自衛隊のあり方を、どのように考えていったらよいのでしょうか」と問いかけた。
 帝国書院の公民も、自衛隊について、「東日本大震災の復旧・復興支援などでも大きな役割を果たしました」と記述した。

●神話・伝統文化の紹介も増加

 新しい中学校教科書には、神話や伝統文化に関する内容も数多く盛り込まれた。
 神話を通じた学習は中学社会科の学習指導要領に明記されているため、歴史教科書の8点全てに記述され、「古事記」や「日本書紀」などについて解説が加えられた。このほか、三省堂と東京書籍の国語が古事記を取り上げ、「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」の伝承や倭建命(やまとたけるのみこと)の「望郷の歌」を掲載した。
 平成25年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された「和食」については、国語や社会、技術・家庭など5教科14点に掲載された。
 開隆堂出版の家庭科では正月のおせち料理を皮切りに年間の行事食を紹介し、京都の和食料理人が「『和食』というものを中心に家族や地域のつながりが成り立っている」と解説した。
教育出版の公民は、世界に広がる「クールジャパン」の一つとして和食を取り上げ、「外国の人たちには『かっこいい』ものとして受け入れられ、流行しています」と説明を加えた。

●適正な採択を

 夏に向けて各地の教育委員会で教科書の採択が行われる。各地の教育委員会で、日教組等の組織的な圧力に屈することなく、適正な判断がされることを望む。
 なお、今年度と来年度に検定が行われる高校教科書は、慰安婦の強制連行を強くにじませる記述など、中学教科書より自虐史観傾向がより強い。竹島と尖閣諸島についても、日本固有の領土とはっきり書かない教科書がある。義務教育の教科書の改善が進みつつあるなか、今後の課題は、本丸ともいえる高校教科書の是正にある。

関連掲示
・拙稿「教科書を改善し、誇りある歴史を伝えようーー戦後教科書の歴史と教科書改善運動の歩み」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion06c.htm
・拙稿「日本人の誇りを育てる教育」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02d.htm
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少子化を助長する家庭科教育を見直せ~高橋史朗氏

2015-01-16 09:58:44 | 教育
 明星大教授・高橋史朗氏は、教育改革に的確な意見を述べるオピニオンリーダーの一人である。高橋氏は、産経新聞平成26年10月18日付の記事で、家庭科教科書が少子化を助長しているとし、家庭科教育を抜本的に見直すべきことを述べている。
 先に道徳が教科化されることについて書いたが、教科として道徳が教えられるようになっても、一方で家庭科では少子化が助長されるような教育がされているのでは、道徳教育の効果は減殺される。
 高橋氏は、現行並びに来年度から使用される高校の家庭科教科書と教師用指導書について調査を行った。その報告については、後で記事全文を掲載するので、ここでは省く。高橋氏は各社の教科書の記述内容の問題点を指摘したうえで、次のように述べている。
 「明治大学の加藤彰彦教授によれば、近代核家族の個人主義イデオロギーが1990年代に、より過激な自己選択・決定・責任のイデオロギーとして喧伝(けんでん)され『共同体的結婚のシステムを否定』したことが『未婚化』を一気に推進した主因の一つであるという。
この『家族からの自立』イデオロギーが、『家族の個人化』を強調する家庭科教科書によって喧伝され、『親になる』準備教育を担うべき家庭科教科書が、逆に少子化の根因である未婚化を推進する役割を果たしてきたのである」と。
 そして、「日本は今、家庭崩壊の危機に直面している。家庭科教育を抜本的に見直す必要がある」と訴えている。
 家庭科の教科書及び教育内容は、個人主義的な傾向を強めてきた。思春期に入り、異性を意識し、恋愛や結婚を考える年齢にある高校生に対し、家族の絆より個人の自立、結婚に対する希望より否定的な意識を教えてきたのが、わが国の学校教育である。個人主義に偏った教育が、晩婚化・非婚化やDINKSの増加を助長している。一方で、少子高齢化に対処する政策を行っても、一方で家族の形成を妨げるような教育を行っているのでは、効果は相殺される。
 こうした「家族からの自立」「家族の個人化」を教える教育の根底には、日本国憲法第24条の規定がある。第24条は第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立」すると定める。だが、憲法に婚姻に関する規定が設けられていることは、世界的に見て異例である。男女が性的に結びつくことには、法律はいらない。その限りでは、結婚は私的な事柄であり、政府が介入すべきことではない。結婚が法律上定められるとすれば、それは結婚が単なる男女の結びつきではなく、家族という一つの社会を形成する公共的な行為だからである。そのために婚姻の安定性を求める法律も定められるのである。恋愛・性交をするのは両性の自由だが、婚姻は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的である。それゆえ、憲法に必要なのは、婚姻よりも家族に関する規定なのである。家族の崩壊が進み、それが少子化と高齢化と重なり合って、重大な社会問題を生み出している。これに対し、有効な手立てを講じるには、憲法に家族条項を設け、日本の家族を立て直すことが必須である。
 以下は、高橋氏の記事。

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●産経新聞 平成26年10月18日

http://www.sankei.com/life/news/141018/lif1410180011-n1.html
2014.10.18 10:30更新
【解答乱麻】
少子化助長する家庭科教科書 明星大教授・高橋史朗

 現行並びに来年度から使用される高校の家庭科教科書と教師用指導書について調査した。『母という病』『父という病』(岡田尊司氏著)、『親になれない親たち』(斎藤嘉孝氏著)という本が読まれる時代を反映し、多くの教科書が「親になること」「親の役割」をテーマに取り上げている。
 教育図書は、「子どもと密接にかかわることで、親としての学習をし、自覚を育て、親自身も人間として成長していく」と述べ、大修館書店は「愛着は生きる力の源」であり、親の責任、役割の一つは「乳児期に親との愛着を形成することである」と述べている。
 発達段階に応じた親のかかわり方が明記されている点も注目されるが、個人の自己選択、自己決定を強調する「家族からの自立」イデオロギーも目立つ。
 実教出版は「性的自立」の重要性を強調し、「性の喜びの権利」「自由な性的関係をつくる権利」「生殖の選択の権利」などを含む『性の権利宣言』を掲載している。性行動や結婚、出産、子育てなどはプライベートな行為であるから、個人が自由に選択し、決定すればよいというわけである。
 結婚して子供を持つことも「性別役割分業にもとづいた考え」であるとして、家族の多様化、個人化が強調され、東京書籍は小学校教科書から「自立」を強調し、高校教科書では、「家から個人へ」との見出しで、「結婚とは個人的な、男女2人の愛と意思の問題である」と明記している。
開隆堂は「動物や物を家族の一員としてイメージする人もいる」「家族生活が個人によって選択されるライフスタイルになりつつある。このような変化を『家族の個人化』という」と述べ、結婚、出産、家族は個人が選択するライフスタイルであることを強調。
 同指導書では「できちゃった婚が主流」「事実婚を選択する理由」「事実婚・同棲(どうせい)比率国際比較」について詳述し、「事実婚、ステップ・ファミリーなど結婚に関する現代の特徴」を知り、結婚のメリットとデメリットについて話し合うことを重視している。
 教育図書にも「独身生活の利点」として、「行動や生き方が自由」「家族扶養の責任がなく気楽」「異性との交遊が自由」などの項目が列挙されたグラフが掲載されているが、高校生に結婚のデメリットや「独身生活の利点」について考えさせる必要があるのであろうか。
 明治大学の加藤彰彦教授によれば、近代核家族の個人主義イデオロギーが1990年代に、より過激な自己選択・決定・責任のイデオロギーとして喧伝(けんでん)され「共同体的結婚のシステムを否定」したことが「未婚化」を一気に推進した主因の一つであるという。
この「家族からの自立」イデオロギーが、「家族の個人化」を強調する家庭科教科書によって喧伝され、「親になる」準備教育を担うべき家庭科教科書が、逆に少子化の根因である未婚化を推進する役割を果たしてきたのである。
 アメリカの文明評論家アルビン・トフラーは「これまで家庭は、外で闘い、傷ついた心を癒やすショックの緩衝地帯としての役割を果たしてきた。しかし、やがて家庭こそショックの震源地となるであろう」と予言したが、この予言は的中し、日本は今、家庭崩壊の危機に直面している。家庭科教育を抜本的に見直す必要がある。
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関連掲示
・拙稿「いよいよ道徳が教科化される」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02l.htm
・拙稿「家族の危機を救え!」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02a.htm
・拙稿「日本再建のための新憲法――ほそかわ私案」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08h.htm
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「いよいよ道徳が教科化される」をアップ

2015-01-10 08:58:54 | 教育
 1月6~9日にブログとMIXIに連載した道徳教育に関する拙稿を編集し、マイサイトに掲載しました。通してお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■いよいよ道徳が教科化される
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02l.htm
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いよいよ道徳が教科化される3

2015-01-09 08:45:32 | 教育
 次に、元国立市教育長で教育評論家の石井昌浩氏は、「道徳の教科化により、道徳教育は新しい時代を迎えたのだ」と評価している。「道徳教育で問われているのは、社会の一員としてどう生きるかについて自ら学び、自ら考え、問いを立て、答えを見つけて実践する力である。未来の社会の在り方を見据えつつ、独立自尊の精神を身につけ、自らの生き方の座標軸を持つことである」と石井氏は言う。
 ただし、石井氏は「道徳の教科化さえ実現すれば、『いじめ』などの難問が、すぐにでも解決するように期待する人もいるが、それは幻想というものだ。教科化は特効薬ではない」と指摘する。
 道徳が教科化されることで何がどのように改善されるかについて、石井氏は「まず、検定教科書が使われることが特筆すべき変化である。従来の副読本などに加えて、教科書を使用することにより、学校や教員によって授業内容に格差が生まれていた状況が解消されるだろう」と述べる。
 次に石井氏は「教科化に伴い、大学において道徳を対象とする領域が開設され、専門の教員配置が実現するだろう」と言う。「これによって初めて、道徳の目的・内容・評価・指導法などについての学問的な研究体制の確立が期待できる」とする。
 石井氏によると、道徳教育に限って教員免許制度と教員養成制度が未整備のままに長い間放置されてきた。教職課程で道徳の必修単位は2単位、つまり、1回90分の「道徳の指導法」の講義を年間15回受ければ小中学校の道徳授業が可能という軽い位置づけである。さらに道徳が教科でないため、道徳を専門とする研究者の育成がされずに、大半は専門家ではない大学教員が道徳の講義を担当しているのだという。
 とはいえ、戦後の長きにわたり試行錯誤の連続だった道徳教育が教科化した途端に手品のように変容するはずもない、と石井氏は指摘する。「戦後70年、私たちは教育の根本にあるはずの道徳について深く論じることはなかった。教科化をきっかけに、他の教科と同じように科学的な学問体系を築いていく必要がある」と石井氏は主張している。
http://www.sankei.com/column/news/141213/clm1412130008-n1.html
 次に武蔵野大教授で日本道徳史・道徳教育論が専門の貝塚茂樹氏は、「今回の教科化によって、道徳教育の形骸化が解消されたかといえば、問題はそれほど単純ではない」と言う。
貝塚氏は、中教審の答申が検定教科書の導入を提案し、授業の指導法にも積極的な提言を盛り込んだことは大きな成果であるとして評価する。だがその一方で、答申では、道徳の専門免許は見送られ、大学での教員養成改革への実質的な提言はない。「これで本当に形骸化が克服できるのか。私には疑問である」と言う。
 貝塚氏は、「形骸化の元凶」は「道徳教育の理論研究の貧困」であるとし、それは「道徳が教科でないことで、大学に道徳教育を専門的に研究する講座や専攻分野がほとんどないことに起因する」と指摘する。そのために、道徳教育の研究者は極めて少数であり、道徳教育の専門でない教員が大学の講義を担当することは決して珍しくない。大学での理論研究の貧困は教員養成の機能不全をもたらし、教育現場での教育実践(指導法)の停滞を引き起こしている。これこそが道徳教育の形骸化の本質だ、と貝塚氏は主張する。いわば「負のスパイラル」に陥っているわけである。
 貝塚氏は、道徳を教科化する根本的な理由は、この状況に風穴を開け、「正のスパイラル」へと構造的に転換することだ、と述べる。そして、この構造転換に必要なものが、道徳の専門免許だと主張する。その理由は、教員養成は免許と連動しているので、専門免許を制度的に担保しなければ、大学で道徳教育を研究する基盤が形成されないからだという。これに加えて、いじめと自殺の深刻化やインターネットの拡大など、子供たちが直面している現実はますます複雑となっている。こうした中で、子供の心に響く適切な授業を展開するためには、教師の側に高度な専門性が求められることも、貝塚氏は指摘する。そして、次のように主張する。「教科化しても何も変わらない」ではもはや済まされない。「仏作って魂入れず」と後世に揶揄されるような教科化では何の意味もない。道徳教育改革に魂を入れるのは、これからが正念場である」と。
http://www.sankei.com/life/news/150103/lif1501030014-n1.html

 冒頭に、私見として、親学の振興が必要だと述べた。学校での道徳教育の回復・強化は急務だが、もっと重要なことは、学校教育に先立ち、家庭で親が子供にしつけをし、子どもの心を育てることである。家庭教育は、人格形成の基礎作りとなる。基礎が出来ていないと、その上に、立派な建物を建てようとしても、柱も立たない。それゆえ、学校における道徳教育の充実以上に、親が親になる教育、親学の振興が必要である。親学を振興してこそ、学校における道徳の教科化を成功させることができる。また、親や大人が協力して行う社会教育も成果を上げることができるだろう。親学については、様々な機会に書いてきたので、下記の拙稿をご参照願いたい。(了)

関連掲示
・拙稿「親学を学ぼう、広めよう」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02j.htm
・拙稿「しつけあっての教育」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02.htm
 目次から17へ
・拙稿「道徳の教科化と親学の振興で道徳教育の充実を」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02.htm
 目次から23へ

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いよいよ道徳が教科化される2

2015-01-07 09:39:28 | 教育
 道徳の教科化について、有識者の意見を紹介する。
 昭和女子大学人間社会学部教授で日本道徳教育学会会長の押谷由夫氏は、道徳の教科化の意義を次のように述べる。
 「不透明な時代。不安は尽きない。だからこそ確かな未来を求めて、子どもの教育に目が向けられる。そして、学力の育成。その学力も、社会の変化に主体的に対応できる知識や技能が強調される。確かに、それらは重要である。しかし、何かが足りない。未来を生きていくのは、子どもたちなのだ。子どもたちの幸せ感と一体となったところに、それらの知識や技能の獲得がなければならぬ。それには、何が必要か。いうまでもなく、人間としての心の育成、つまり道徳教育である。その道徳教育を充実させる切り札として『特別の教科道徳』が提案されているのである」と。
 「そもそも道徳は、一般に言われる教科とは異なる。教科はそれぞれに専門分化したものだが、道徳は総合されたものである。したがって、道徳は、各教科全体を包み込んで人間として生きる根幹となる道徳的価値の自覚を計画的発展的に図るという意味で、特別の教科なのである」という。そのために、道徳教育をどのようなものにしていくべきなのか、について、押谷氏は、目標は「自律的に道徳的実践のできる子どもを育てる」、教科書は「開発資料も使えるようにする」、指導者は「全員で取り組む」、評価は「良さの成長を伝える」という4点を挙げる。
 これらのうち、目標については、「自ら気づき(感じ)、考え、判断し、意欲して道徳的な行為ができる人間」を育てることとし、さらに重要なのは「そのような道徳的思考や実践を習慣化(日常化)すること」と述べている。そして、押谷氏は、次のように呼びかけている。「道徳教育は、子どもたちの未来やこれからの社会を、明るく希望に満ちたものにしていくものでなければならない。基本的な道徳的価値を窓口として、互いに励まし合い、助け合って、それらを共に発展させ高めていけるようにしていくのが『特別の教科道徳』である。『特別の教科道徳』が教育課程にしっかりと位置づけられ機能するようになることによって、学校教育が人間教育の場となっていく。そのことに夢を託して、皆さんと一緒に『特別の教科道徳』を創り上げていこうではありませんか」と。
http://www.akaruisenkyo.or.jp/wp/wp-content/uploads/2014/05/Voters19%E5%8F%B7.pdf

 次に、シナ思想史家の加地伸行氏は、道徳の教科化への反対論は「〈道徳教育は一定の価値観の押しつけ〉という硬直した思いこみの感情論であり、道徳とは何かと考えたことがないことを露呈している」と指摘する。
 加地氏によると、道徳は、絶対的道徳と相対的道徳とに二大別できる。絶対的道徳とは、古今東西において共通する道徳である。人を殺すなかれ、他人の財物を盗んだり焼亡することなかれ…といった、社会秩序の鉄則である。それは公徳であり、きちんと教えなくてはならない。相対的道徳とは、それを実行するには自己が判断し決定する種類のものである。これは、古くから道徳教育の大きなテーマとして存在する。今日では、ディスカッションの形で学ぶことが多い。一般にはモラルジレンマ(生きかたにおける苦渋の決断)と言う。例えば、海上に3人が乗っている1隻の舟があるとする。しかし、その舟の能力では1人しか乗れない。では3人はどうするかーーというような問題について考えさせるものである。正解はないが、議論して道徳の実践における選択と自己の決断という生き方を学ぶ訓練となり、それが道徳心を高める。
 加地氏は、さらに個人における修養を挙げる。「小中学生が自分一人で修養を積むのはなかなか難しい。そこで例えば偉人の伝記や人々のエピソードを知ることによって啓発される可能性が高い。こうした修養は、私徳であり、生涯にわたって続くこととなり、その人の人生を左右する。そのための種まきが道徳教育なのである。そのどこがいけないのか」と加地氏は言う。
 そして加地氏は、次のように主張する。「日本の教育の不幸は、政府の行うことを、左筋の者が常に悪く悪く解釈し悪宣伝をするところにある。モラルジレンマの訓練・討論など知らないで悪口雑言だけ。彼らにこそ道徳教育が必要だ。文部科学省よ、自信をもって道徳教育を推進すべし。それは明日を担う少年少女のためである」と。
http://www.sankei.com/column/news/141229/clm1412290001-n1.html

 次回に続く。
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いよいよ道徳が教科化される1

2015-01-06 10:34:03 | 教育
 道徳の教科化がようやく実現する。昨年10月21日、中央教育審議会(会長・安西祐一郎日本学術振興会理事長)は、道徳教育の教科化について下村博文文部科学相に答申した。
 答申は、小中学校の「道徳の時間」を、数値評価を行わない「特別の教科」に格上げし、検定教科書を導入することを主旨とする。文科省は答申を受けて学習指導要領を改定し、早ければ平成30年度からの教科化を目指すとのことである。
 道徳は戦後、日教組などの反対にあい、正式な教科とされなかった。昭和33年に「道徳の時間」が特設され、「道徳教育の要」とされ、各教科や他の領域を補充・深化・統合する役割を果たすものとされてきた。だが実際はホームルームや運動会の練習、自習、他教科に振り分けられるなどし、きちんとした道徳教育がされてこなかった。
 教育には、知育・徳育・体育の三要素がある。これらがバランスよく機能して、始めて健全な青少年が育つ。ところが、日本の青少年は、学校で徳育がほとんど実施されていないため、礼儀やマナーの低下、いじめや凶悪な少年犯罪の増加など、道徳面での劣化が目立つ。
 中教審の答申は、道徳教育について「本来、学校教育の中核として位置付けられるべきもの」と明記した。道徳教育について「学校や教員によって指導の格差が大きいなど多くの課題が指摘されている」などと強調し、道徳の時間が他の教科に比べて軽視されがちだと指摘し、教育課程に「特別の教科 道徳」(仮称)として新たに位置づけることを求めた。
 道徳の教科化については、「価値観の押しつけ」だという批判がある。しかし、答申は、価値観の押しつけや言われたままに行動するような指導は「道徳教育が目指す方向の対極にある」と、明確に否定した。
 答申は、「道徳教育の充実を図るためには、充実した教材が不可欠であり、全ての児童生徒に無償で供与される検定教科書を導入することが適当」と指摘した。民間の教科書会社の創意工夫により「バランスのとれた多様な教科書を認める」とし、郷土資料など多様な教材を活用することも提案している。
 答申は、小中学校の発達段階や学年により「正直」「誠実」「公正」・「正義」「信頼」「思いやり」など留意するキーワードを明示した。いじめ問題への対応を求め、学校での指導方法を改善して、対話や討論など言語活動を重視することも要望した。
 答申は、「道徳性は、極めて多様な児童生徒の人格全体に関わるもの」とし、数値などによる評価は不適切とした。数値評価をする代わりに、指導要録に専用の記録欄を設け、道徳性に関わる子供たちの成長の様子を多面的・継続的に文書で記述することを提案した。
 今後、文部科学省は平成30年度から特別教科としての実施を目指し、学習指導要領の改定と教科書の作成を進める。
 ここにおける課題は、まず充実した内容の教科書づくりである。戦後のわが国は、民間の教科書会社が学習指導要領に沿って作った教科書を検定するという仕方を取っている。道徳の場合、他の教科より、題材の選択や主題の表現に自由度が大きい。それゆえに、わが国の伝統・文化・国柄を踏まえた内容の教科書をつくることもできれば、共産主義・フェミニズム・反日思想を盛り込んだ教科書をつくることも可能だろう。より良い内容の教科書が作成されるようにするには、教育関係者だけでなく政治家や保護者、さらに一般の国民が道徳教育に関心を持ち、発言していくが必要だと思う。
 次の課題は、教師の姿勢や指導力の向上である。仮に良い内容の教科書が作られても、それを使って道徳を教える教師が、道徳教育に情熱を持ち、また子供たちの心に響く指導を行う教育技術を磨くことが必要である。イデオロギー教育や過激な性教育を行うなど、もってのほかである。私は、学校長が中心となって、教育者として、また社会人として豊かな経験を持った教師が、しっかり研究を重ねて、子どもの心を育てる教育をできるように努めてほしいと思う。他の教科と同じく道徳を専門とする教師の養成も必要だろう。
 次の課題は、道徳教育に関する学術的な研究である。戦後わが国には、大学に道徳教育を本格的に研究する専門家がほとんどいない。教職課程では、ごくわずかの時間の履修であり、他の専門の教授者が教える。その程度だから、道徳教育の本格的研究者が必要とされなかった。だが、教育における徳育の重要性を考えると、まず道徳教育の裏付けとなる学問を、哲学・倫理学・心理学・教育学・宗教学・文化人類学・国際関係学等を結集して構築することが必要だろう。学際的な道徳教育学が発展してこそ、現場で教育に当たる教師の養成も、質的に向上するだろう。
 最後に、実は学校における道徳教育以上に重要なものがある。教育は、家庭教育、学校教育、社会教育が有機的に連携してこそ、充実したものになる。これらの基礎となるのは、家庭における親によるしつけである。親が子供をしつけ、人間としての土台をつくってこそ、その上に学校・社会における教育が豊かな花を咲かせることができる。今の日本では、子供にちゃんとしつけのできない親が増えている。実は世界的な傾向でもある。そこで振興が求められているのが、親学である。私は、学校における道徳の教科化を成功させるには、親学の振興が最も重要だと考える。
 次回は教育の専門家、有識者の見解を紹介する。

関連掲示
・家族・教育に関する拙稿は、下記のページをご覧下さい。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02.htm
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高校で日本史必修、近現代史新設へ

2014-09-29 08:47:21 | 教育
 文部科学省は、平成28~29年度に予定される学習指導要領の全面改定にあたり、高校での日本史を必修化する方針と、8月中旬に報じられた。また、日本史と世界史を統合した科目「近現代史」を新設する検討を始めたとも報じられた。文科省は、高校日本史の必修化を秋にも中央教育審議会に諮問する方針だが、その際、近現代史の新設も議論の対象となる見通しという。
 私は、高校日本史の必修化に賛成である。また近現代史をしっかり教えることは極めて重要だと思う。わが国の歴史教育は、現在小中学校の社会科で日本史を中心に学び、高校では、世界史が必修、日本史と地理が選択科目になっている。小中学校の日本史は基礎的な知識を得るにとどまるから、日本の歴史を深く学び、自国の歩みや伝統・文化に誇りを持つことができるようにするには、高校で日本史を必修とすることが望ましい。高校の選択科目で日本史を履修していない学生は、歴史に関する常識的な知識にも欠けやすい。
 日本史の授業は古代から始まり中世・近世と進むため、近現代史は、十分時間を当てて教えられない。そのため、明治以降の日本の歩みについて、国際社会で自国の立場をきちんと主張できる人材を育てられていない。日教組による自虐史観を真に受け、歴史認識をめぐる中国・韓国の日本批判に対してポイントを得た反論ができない。もっと近現代史をしっかり学ぶようにする必要がある。
 今回、文科省が検討している日本史と世界史を統合した「近現代史」の新設は、近現代史の教育を重視するものとして注目される。日本史と世界史の近現代の部分を統合するには、世界の歴史の中の日本という座標軸が明確に打ち立てられなければならない。世界史の付け足しとして、もう一つの各国史として日本を加えるだけなら、大して教育効果は見込めないだろう。また、日本史は必修で、選択科目の一つとして世界史、地理のほかに近現代史が追加されるのであれば、近現代史を欠く日本史だけを履修する学生も出るのはよくない。どういう風に、日本史と世界史を統合した近現代史を構成するのか、またその場合、日本史・世界史の科目はそれぞれどういう風に改編するのか、日本史にも一応近現代史の部分はあり、それとは別に拡充た科目として近現代史を設けるのか等、具体的な構想を示してもらいたいところである。
 近現代史の新設がよいかどうかは、その構想によると思う。私は、現在の日本史という科目のままでも、近現代史に重点を置いた教育はできると思っている。歴史を近現代史から教えるという方法を取るのである。まず近現代史を教え、それから歴史をさかのぼって教える。私はこの方法を10数年前から支持している。
 いまの学校の授業では、原始時代から始まり、明治以降や戦後史などは3学期となってしまい、ほとんど教えられていない。しかし、なんのために歴史を学ぶのかを考えると、自分たちの時代のことを学ぶほうが大切である。近現代史から初めて、そうなってきたわけを探っていくと、ずっと歴史が面白く感じられると思う。
 教科書の内容を、現代からはじめ、平成→昭和→大正→明治→江戸等とさかのぼる構成にする方法もある。歴史を現代から古代へとさかのぼる仕方で書いた名著がある。梅干し博士と呼ばれた樋口清之氏の『逆(さかさ)日本史』である。樋口氏は、日本の歴史を、戦後から始める。そして、戦後の日本がこうなってきたわけを、明治、江戸等と、古代までさかのぼっていく。この構成が絶妙で、読み物として面白く書かれている。その時代、その時代の日本人の姿や、生活・文化、登場人物たちのエピソードなど、歴史嫌いの人でも楽しめる内容になっていると思う。山本七平氏、渡部昇一氏などが、『逆・日本史』を絶賛している。祥伝社の文庫で読める。
 『逆(さかさ)日本史』を参考例として、歴史を逆にさかのぼる教科書をつくって、日本史を必修にすれば、高校生全員が日本史と日本を中心とした近現代史を学ぶことができる。世界の歴史の中の日本ということを強調したいのであれば、平成から幕末の部分に、世界史的観点の記述を手厚く盛り込めばよいだろう。

 最大のポイントは、どの方法を取るにしても、この改革を機会に、米ソ相乗りの東京裁判の判決に盛られた歴史観、さらに、これに中韓の反日思想を加えた自虐史観を廃棄し、日本人の立場に立ち、日本人としての誇りの持てる近現代史を、青少年にしっかり教えることである。
 なかでも慰安婦問題については、積極的な対処が必要である。9月24日の日記に書いたが、高校の教科書の多くには、今も「若い女性が強制的に集められ、日本兵の性の相手を強いられた人たち」「女性のなかには、日本軍に連行され、『軍』慰安婦にされる者もいた」「朝鮮人女性などの中には従軍慰安婦になることを強要されたものもあった」等の記述がされている。「強制連行」という文言は使われていないが、「強制的」「連行」「強要」等、日本の官憲による強制連行があったかのように誤解させる文言を、放置してはいけない。こうした記述は、速やかに訂正すべきである。 
 以下は、関連する報道記事。

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●産経新聞 平成26年8月17日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140817/edc14081710100001-n1.htm
高校に「近現代史」新設検討 文科省、日本史必修化で
2014.8.17 10:10

 平成28、29年度にも予定される学習指導要領の全面改定にあたり、文部科学省が高校の地理歴史科で、日本史と世界史を統合した科目「近現代史」を新設する検討を始めたことが16日、関係者への取材で分かった。文科省は、高校日本史の必修化を秋にも中央教育審議会に諮問する方針だが、その際、近現代史の新設も議論の対象となる見通し。
 文科省関係者によると、近現代史の新設は、文科省が目指す高校日本史の必修化に伴う措置。単純に必修科目を増やしただけでは生徒や教員の負担が大きくなるため、必修科目の入れ替えや複数科目の統合が必要になるが、近現代史を学ぶ現行の「日本史A」と「世界史A」を統合して新科目を創設する案が浮上しているという。
 また、先の大戦をめぐり中国や韓国が日本への批判を強める中、明治以降の日本の近代化の歩みを世界史と関連づけながら深く学ばせることで、国際社会で自国の立場をきちんと主張できる日本人を育成する狙いもあるとみられる。
 高校社会科は元年の学習指導要領改定で「地理歴史」と「公民」に分割。歴史は小中学校の社会科で日本史を中心に学ぶため、高校では現在、世界史が必修、日本史と地理が選択科目になっている。
 しかし文科省では、戦後教育の中でなおざりにされてきた日本人としてのアイデンティティー育成には、高校で自国の歴史をじっくりと学ばせる必要があると判断。次の学習指導要領改定で高校日本史を必修化する方針を固めている。
 学習指導要領は小中学校が28年度、高校が29年度に改定される見通し。

◆学習指導要領
 学校で教えなければならない学習内容をまとめたもので、文部科学省が定める最低基準。約10年ごとに、文科相の諮問機関である中央教育審議会が審議した上で改定される。教科書作成などのため、改定してから3、4年を経て全面実施される。
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関連掲示
・拙稿「慰安婦問題:高校教科書の記述を訂正すべき」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/e4203f69509ed2fc61d1781b160c1d8b
・拙稿「教科書を改善し、誇りある歴史を伝えようーー戦後教科書の歴史と教科書改善運動の歩み」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion06c.htm
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