ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

PB過剰重視は国家的犯罪~藤井聡氏

2012-11-30 08:40:08 | 経済
 京都大学大学院教授の藤井聡氏は、大規模災害に備える「国土強靭化」を提唱する一方、経済政策についても多くの提言をしている。藤井氏は現在、日刊ゲンダイに「日本経済の『虚』と『実』~新聞報道に騙されるな!」を連載しているが、気軽に読める記事に、日本経済をめぐる虚実を暴き、端的に表現している。
 私の日記では、7月15日に「増税は止められる」、8月9日「消費増税のウソ」都題して、その連載記事を紹介した。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/7283c6e5d3eb9aa832e184a5835792f2
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/b87c09a626dc1ed012026154bad97aa7
 藤井氏は、10月12日には、「プライマリーバランスを過剰に重視するのは政府の『責任放棄』だ」という記事を書いた。プライマリー・バランス(PB)とは、基礎的財政収支のことである。わが国はデフレ大不況に苛まれ、巨大地震の危機に直面している。藤井氏は、「今日、PBの改善を過剰に重視する『維新の会』に典型的に見られる態度は,大量の国民を見殺しにする巨大な『国家的犯罪』に等しいのだ」と厳しく批判している。
 「大量の国民を見殺しにする巨大な『国家的犯罪』」という言葉は、過剰な表現と感じる人がいるだろうが、わが国はデフレ不況下で、14年連続で年間3万人以上の自殺者が出ている。働き盛りの男性が多い。東日本大震災は、1万5千人超の犠牲者を生んだが、自殺者はその数を上回る。今後、予測される首都直下地震、南海トラフ地震は、東日本大震災を超える被害をもたらす恐れがある。南海トラフ地震は最大死者32万3千人という予測が発表されている。わが国の現状及び将来予測に鑑みれば、政府の財政均衡にとらわれて、有効な施策を打たないでいることは、国家的犯罪に等しいと私も思う。政治家は危機に覚醒し、非常にふさわしい政策を立案・断行しなければ国を救えないことに気付くべきである。
 財政政策について誤った考えの一つが、藤井氏の指摘するプライマリー・バランスの過剰重視だが、経済学者の菊池英博氏は、次のように言っている。「世界中で、プライマリー・バランスの均衡化目標を定めている国はどこにもない。10年ほど前に、アルゼンチンがプライマリー・バランス均衡化政策をとって緊縮デフレ政策を行った。その結果、国内は大不況になり、ついに対外的に債務不履行(デフォルト)に陥り、まさに国家が崩壊してしまったのだ」と。
 また菊池氏は次のように説く。「日本は常に貯蓄が投資を大幅に上回っており、貯蓄超過分を政府が公共投資などの形で使用しないと、資金が順調に回らない」。これがわが国の経済体質である。「まして、デフレのときには、この傾向が顕著である。それゆえ、基礎的財政収支を強引に黒字にする政策は、現実的に妥当な考えではない。黒字にすると、経済が停滞し、財政不況になる。「日本の場合には、黒字にしないで、新規国債(建設国債)、を発行して経済を活性化して、拡大均衡政策をとるべきであり、これが日本の財政を健全化する唯一の道である」と。
 この点は非常に重要である。詳しくは拙稿「経世済民のエコノミスト~菊池英博氏」を参照願いたい。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13i-2.htm
 政治家はもちろん、政治家以上に財務官僚、経済官僚に財政の基本理論を再勉強してもらわねばならない。硬直した財政均衡主義の誤りを認識し、デフレとインフレの状況に応じて政策を変える機能的財政論に切り替えねばならない。機能的財政論は、ケインズの一般理論を継承した弟子のアバ・ラーナーが理論化し、わが国では菊池英博氏の他、丹羽春喜氏や中野剛志氏らがその適切性を論理的かつ実証的に主張している。

 以下は、藤井氏の記事。

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●日刊ゲンダイ 平成24年10月12日

日本経済の「虚」と「実」~新聞報道に騙されるな!~⑮

プライマリーバランスを過剰に重視するのは政府の「責任放棄」だ

京都大学大学院教授 藤井聡

 読者各位は「プライマリー・バランス」(以下,PB)という言葉を大手新聞等で目にされる事があろうかと思う.これは中央政府の歳入と歳出のバランスのことで,これが悪化すれば政府の「借金」は増えていく.
 だから多くの識者や記者,政治家達は「PBを改善すべし」と声高に叫んでいる.例えば日本維新の会の「維新八策」は,このPBの改善を「最も」重要な財政方針として掲げている.
 多くの国民はこのPBの改善方針については,違和感なく理解しているものと思う.筆者もまたPBの改善という目標を,政府が持つべき多様な目標の一つとして掲げる事自体は,当然の事であると考えている.
 しかし,「維新の会」の様にPBの改善「だけ」を過剰に重視するのは,政府による巨大なる「責任放棄」を意味していることを,我々は知らねばならない.
 そもそも「政府」の目標は,国民国家を守り,国民の安寧と幸福を実現する事である.当たり前だ.そしてPBの改善が,この国家の大目標のために求められる場合もある.その場合はPBの改善を目指すべきだ.しかし残念ながら,PBの改善が国民に巨大な被害をもたらす場合もあるのだ.
 典型例が「戦争」だ.侵略された時にPBの悪化を恐れて無為無策を決め込めば,国自体が亡びる.「大震災」も同じだ.今日の様に一千兆円を越える様な巨大地震の危機が間近に迫っているにもかかわらずPBの悪化を恐れて防災/強靱化を怠れば,結局大量の国民が殺められ,巨大な国富が消滅する.今日の「デフレ大不況」も同様だ.大不況を克服するために,高橋是清やルーズベルト大統領の様にPBの改善を一旦さておいて巨大な財政出動を果たさねば(例えばかつての大国アルゼンチンやスペインの様に)永遠に復活できぬ水準までに国力が凋落し,PBの改善それ自体も不可能となる。
 つまり,大不況に苛まれ,大震災の危機に直面した今日,PBの改善を過剰に重視する「維新の会」に典型的に見られる態度は,大量の国民を見殺しにする巨大な「国家的犯罪」に等しいのだ.今日我々は危機の時代に生きている.この大局を忘れ去り,局所的なPBにばかり気を取られる政治は国を滅ぼす以外にない.この一点を,国民には是非深くご理解願いたいと思う.
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「石原首相」と”嘉田=小沢”の「未来」はあるか?

2012-11-28 10:02:49 | 時事
 2回に分けて衆院選について選挙予測を書いたが、現時点の予測は、あくまでこの先、よほど大きなことが起こらなければ、という予測である。場合によっては、意外と自民が伸びず、少数党が躍進するかも知れない。その場合、少数党の党首を総理大臣にして連立政権が組まれる可能性も一応考えておく必要がある。私は、これまで橋下徹氏が出馬した場合、状況によって橋下首相擁立もあり得ることを述べてきた。石原慎太郎氏が維新の代表になった現在、選挙結果によっては、自民党が石原氏を首相に担いで自民・維新を主軸とした連立政権を図る可能性もゼロではない。
 そのことに触れているのが、産経新聞11月25日の記事で、次のように書いている。
 「民主党や自公両党が伸び悩み、維新が自民党に次いで比較第二党になるなど、第三極勢力が躍進したときは、政権の枠組みをめぐる主導権争いが激しくなり、政局は一気に流動化する。自民党が政権奪還を実現するため、維新の石原慎太郎代表を首相に担ぎ出す“奇策”も否定できない。自民党が平成5年の選挙で過半数割れした際、新生党の小沢一郎代表幹事(現『国民の生活が第一』代表)が日本新党の細川護煕元首相を担ぎ、8党による『非自民』連立政権が誕生した。小沢氏がその再現を目指し、再び非自民の連立工作に向けて暗躍する可能性もある」
 最後の小沢氏については、小沢氏率いる生活は滋賀県の嘉田由紀子知事を代表とする「日本未来の党」に合流することを決めた。反TPPの山田吉彦氏、減税の河村たかし氏らも合流する。だが、この党は原発依存を段階的に脱却する「卒原発」の一点で結びついて選挙を戦おうとするもので、基本政策の話し合いさえされていない。それに小沢氏はもともと脱原発ではない。生活では選挙で勝てないと判断し、自民と維新の谷間で、子分たちの議席を守り、選挙後に政界で影響力を保ちたいという私利私欲から、「卒原発」に飛び乗ったものだろう。「国民の生活が第一」実は「生活の議席が第一」の小沢氏にとって、いま都合のいい看板が「卒原発」というだけだろう。長期的には、こういう右も左も環境の一点で結合する政党が伸びていく可能性はある。EU諸国の緑の党がその例である。だが、今回の衆院選では、11月26日の拙稿に書いたように、小沢氏がいくら画策しても非自民連立はあり得ないと私は思う。

 さて、その一方、石原首相という「奇策」は、アイデアとしては排除できない。自民があまり議席を獲得できず、維新が大きく躍進した場合の策である。石原氏には根強い支持者がいる。参考に読売新聞が11月23~25日に行った世論調査では、比例区の投票先について自民党25%、維新14%、民主党10%。共同通信が24~25日に行った調査では、同じく、自民党18・7%、維新10・3%、民主党8・4%だった。ともに維新が第2位になっている。また読売の調査では「誰が衆院選後の首相にふさわしいか」という質問に対し、安倍氏が1位で29%、石原氏が1位で22%、野田首相は3位で19%という結果だった。
 ただし、自民・維新を主軸とした連立になった場合、石原擁立をやるような凄腕の業師が今の自民党にいるとは私には思えない。当の石原氏は、橋下氏について「この人は源義経、牛若丸だ。私も若いころから同じような目に遭ってきて、彼にほれた武蔵坊弁慶みたいなものだ。ただ、橋下氏を義経のままに終わらせてはいけない。源頼朝にしないといけない」と言っている。義経と弁慶は頼朝に追われて敗死した。義経をどうして頼朝にできるのか、よく分からないたとえだが、石原氏は橋下氏をかなり買い被っていると私は思う。石原氏は、自分はワンポントで次は橋下氏に委ねるという主旨のことを言っている。これが維新の代表を引き継ぐという意味なのか、それとも自分が首相になってそれを橋下氏に継がせるという意味なのか、真意は分からない。だが、石原氏には年齢的な問題がある。都知事と首相では責任の重さと業務の大きさが違う。80歳に近い石原氏が、首相の激務に耐えられるか、疑問があろう。
 もし自民党が「奇策」に出た場合、石原氏が自分に代わって維新所属の国会議員を指名するとすれば、平沼赳夫氏だろう。だが、平沼氏と橋下氏は思想・政策が大きく違う。平沼指名は維新内部に対立を生み、維新という党が頭から崩れるおそれがある。その場合、自民党の安倍氏を首相に担いだほうが組織防衛をできるという選択がなされよう。それゆえ、私は、「石原首相」は非常に可能性が低く、自民と維新を主軸にした連立政権となった時は、維新が相当数の議席を獲得した場合であっても、安倍首相となる可能性が高いと考える。
 以下は関連する報道記事。

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●平成24年11月25日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121125/elc12112500550001-n1.htm
【衆院選】
第三極躍進なら政局流動化 「石原首相」の可能性も
2012.11.25 00:51

 自民党の政権奪還か、日本維新の会など第三極勢力の躍進かで注目される12月16日投開票の衆院選。その結果を展望すると、「自民、公明両党で過半数(241議席)」が実現しても両党に待っているのは多難な政権運営だ。維新などが勢力を伸ばせば政局は一気に流動化する。有権者が望むのは「決められる政治」のはずだが…。
   
■ □ ■
 自民党の安倍晋三総裁は23日の岐阜市内での講演で「日本に生まれたことを幸せに感じ、誇りを持てる日本を取り戻すために政権奪還に向かって進んでいる。なんとしても自民党と公明党で過半数を目指す」と強調した。
 自民党が210議席以上を獲得すれば「自公で過半数」はクリアしそうだ。その場合、12月25日にも特別国会が召集され、自公連立政権が発足し「安倍首相」が誕生する。安倍氏は直ちに景気対策のための大型補正予算を組み、成長戦略を盛り込んだ平成25年度予算案につなげたい考えだ。
 しかし、参院の自民党勢力は83議席。公明党と合わせても102議席どまりで過半数(122議席)に届かず、来年夏の参院選まで「衆参ねじれ」状態が続く。来年1月召集の通常国会は「限られた会期の中で補正予算と本予算、予算関連法案の処理をするのがやっと」(自民党幹部)。野党との対立を避けるため「安倍カラー」を封印し、慎重な政権運営に徹しそうだ。
しかも、衆院解散の条件として民自公3党が合意した「議員定数の削減」という難題も抱える。3党とも立場が異なっており、通常国会終了までに結論を出すのは難航しそうだ。維新などの第三極勢力が改革に消極的な「既成政党」と、批判を強めれば、自公政権にとって衆参ねじれ解消のチャンスのはずの参院選にも影響が出る。
   
□ ■ □
 自民党が比較第一党になっても、公明党と合わせて過半数に届かなかった場合、両党は連立パートナーを模索せざるを得ない。
 想定される政権の枠組みは、衆参ねじれを一気に解消できる自公に民主党を加えた「自公民」大連立。あるいは自公に日本維新の会を加えた「自公維」もありうる。
 安倍氏は「税と社会保障の一体改革の関連については一緒にやっていく」と民自公3党合意を尊重する考えを示している。一方で「民主党政権を見誤ってはいけない」とも指摘。自治労や教職員組合などの労組に依存しているとして、民主党とは一線を画す姿勢を崩していない。
 維新に対しては、安倍氏が維新の橋下徹代表代行と教育政策などで考え方が近いことなどから、連立相手として有力視する向きもある。ただ、参院の議席数の少ない維新と組んでも衆参ねじれは解消されない。自民党内には「党内がまとまらないところと組んでも仕方ない」(石破茂幹事長)などと維新との連立に慎重意見も根強い。
衆院選後の「自公プラアルファス」の連立協議が難航すれば特別国会の年内召集ができず、野田佳彦首相のまま新年を迎えることになる。自公にとって「決められない政治」を来年に引きずる事態だけは避けたいところだ。
   
■ □ ■
 民主党や自公両党が伸び悩み、維新が自民党に次いで比較第二党になるなど、第三極勢力が躍進したときは、政権の枠組みをめぐる主導権争いが激しくなり、政局は一気に流動化する。
 自民党が政権奪還を実現するため、維新の石原慎太郎代表を首相に担ぎ出す“奇策”も否定できない。
 自民党が平成5年の選挙で過半数割れした際、新生党の小沢一郎代表幹事(現「国民の生活が第一」代表)が日本新党の細川護煕元首相を担ぎ、8党による「非自民」連立政権が誕生した。小沢氏がその再現を目指し、再び非自民の連立工作に向けて暗躍する可能性もある。(大谷次郎、岡田浩明)

●ZAKZAK 平成24年11月26日
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121126/plt1211261223005-n1.htm
11/26 17:12

「首相にふさわしい」“維新”石原氏2位 世論調査 自民トップ

報道各社の世論調査(夕刊フジ)
 次期衆院選の公示を来週4日に控え、報道各社の世論調査が出そろってきた。比例区の投票先では、政権奪還を狙う安倍晋三総裁率いる自民党がいずれもトップを走っているが、2位に石原慎太郎代表、橋下徹代表代行(大阪市長)の「日本維新の会(維新)」が食い込む調査も見られた。次期首相に、石原氏を推す声もジワジワと上がってきている。
 注目の調査は、朝日新聞(24、25日)と読売新聞(23-25日)、共同通信(24、25日)が行った。
 事実上、序盤戦に突入している次期衆院選について、比例区の投票先を聞いたところ、朝日は、自民党23%、民主党13%、維新9%。読売は、自民党25%、民主党10%、維新14%。共同は、自民党18・7%、民主党8・4%、維新10・3%だった。
 自民党の勢いが一段落し、3年半の大失政への責任を野田佳彦首相率いる民主党が問われるなか、石原、橋下両氏らが大同団結した維新が、読売と共同の調査で2位に躍進した。
 選挙の勝敗を左右する無党派層に、共同が「あえて支持するとすればどの政党か」と聞いたところ、自民党23・0%(前回比0・2ポイント減)、維新13・9%(同0・4ポイント減)3%、民主党12・4%(同1・5ポイント減)。
 読売が「誰が衆院選後の首相にふさわしいか」を聞いたところ、安倍氏が29%で1位、石原氏が22%で2位、現職の野田首相は19%で3位という結果だった。
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衆院選予測:自民244・維新64で民主は86の大惨敗2

2012-11-27 10:33:54 | 時事
 次に、参考のため、「週刊文春」以外の予測を2件紹介する。まず「サンデー毎日」12月2日号の選挙予測。選挙プランナーの松田馨氏によるものである。

・自民は単独過半数の253議席
・民主は87議席の惨敗
・維新は太陽の党と合わせると53議席
・公明27、生活15、みんな21議席

 「週刊文春」の予測との違いは、

自民:文春244、毎日253<誤差+9>
民主:文春 86、毎日 87<誤差+1>
維新:文春 64、毎日 53<誤差―11>
公明:文春 26、毎日 27<誤差+1>

である。毎日の方が文春より、自民の予測値が高く、維新の予測値が低い。選挙後の連立政権の可能性については、毎日の予測に立てば、自公で280と文春の270を上回ることになる。
 逆に自民はそんなに伸びないと見るのは、政治評論家・小林吉弥氏。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121116/plt1211161825010-n1.ht

・自民は220議席。単独過半数にとどかず。
・自民は公明28議席と合わせて過半数。
・民主は99議席まで転落。
・維新は60議席。橋下氏が衆院選に出れば、プラス15議席はいく。
(ほそかわ註: 太陽の党が合流する前の予測)
・生活20、みんな19
・投票率が60%台半ばに達すると、自民党と第3極が肩を並べるケースもある。50%台に留まれば第3極は惨敗、自民党の圧勝となる。

 「週刊文春」の予測との違いは、

自民:文春244、小林220<誤差ー24>
民主:文春 86、小林 99<誤差+13>
維新:文春 64、小林 60<誤差―4>
公明:文春 26、小林 28<誤差+2>

である。小林氏の方が文春より、自民の予測値が低く、維新の予測値も低い。ただし、維新は石原効果以前の予測ゆえ、ちょっと古い。民主が99議席も取るという見方は、大きく見誤っていると私は思う。80議席以下、よくても80議席台半ばだろう。 

 次に、今回の選挙全体について私見を述べると、最も大事なのは、一体今回の選挙で何を争い、勝った政党は何を第一にして政治をやるかである。だが、それ自体が選挙の結果を見てという可能性がある。
 自民党は、今度の衆院選では法改正を争点の第一に挙げるはずだった。だが、21日安倍総裁が発表した政権公約では、憲法改正を含んではいるがはっきり第一には掲げていない。仮に自民党が憲法改正に必要な衆院での3分の2以上をめざすならば、321議席以上必要ゆえ、取るべき路線は自民・維新を中心とした改憲志向の連立となり、これに民主・みんな等から改憲派を集める必要がある。ただし、維新の代表となった石原氏は憲法無効論を説く。氏が代表となったことで改憲か無効かの論争が起こり、まず第96条の改正条項の改正をという動きに、力が結集されない可能性が出てきている。
 自民党が衆院後すぐ憲法改正をめざすのでなく、まずはデフレ脱却・経済成長を主とした路線で行くなら、自民・公明の連立政権が考えられる。選挙結果いかんによって、こういう基本的な路線の選択が行われると思われる。すでに自民党・安倍総裁は、自公連立をかなり意識した発言をしている。

 維新については、もし橋下徹氏が衆院選に自ら出馬すれば、もっと議席数が伸びるだろう。橋下氏は、地方首長と国会議員の兼職が認められるよう規定が変われば、来年の参院選に出るという意向を表明した。だが、まだ今回の衆院選に出るという可能性はゼロではない。仮に出れば“石原代表・橋下代表代行”の二枚看板で維新の議席は、もっと増えるだろう。
 私自身は、橋下氏は大阪改革に専念すべきという考えである。いまのまま橋下氏が国政に進出しても、彼の欠点は是正されず、やがて失速する。また石原氏との意見の違いが表面化し、党としての統一は難しくなる。特に橋下氏は石原氏以外の旧たちあがれ日本のメンバーと合わないはずである。橋下氏は新自由主義と保守系リベラルの混合であり、平沼赳夫氏は新自由主義批判で伝統尊重的保守である。石原氏という大きな重しが効かなくなってくると、根本的な意見の相違が顕在化するだろう。他党から維新に鞍替えした政治家も、選挙で生き残るためだけの目的で、橋下人気にあやかっている者が多い。彼らと石原氏の距離も大きい。選挙後しばらくすると、「日本維新の会」は、ただの選挙互助会だったということになりかねない。そういう要素が目立って来ている。

 衆院選について選挙予測を書いたが、現時点の予測は、あくまでこの先、よほど大きなことが起こらなければ、というものであって、自民単独過半数の勢いといっても、今後の展開によって結果は変わる。これは他の党についても同じであって、選挙期間中の候補者の発言や政党がらみの事件、マスメディアの報道内容等が得票に影響する。特に国政選挙の投票率が低く、支持政党なしの無党派層が多いというと現在のわが国の傾向にあっては、直前の風の吹き方で結果が大きく左右されることがあり得る。有権者は、よくよく考えて、貴重な一票を投じていただきたい。(了)
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衆院選予測:自民244・維新64で民主は86の大惨敗1

2012-11-26 08:48:39 | 時事
 「週刊文春」は、11月29日号に「12・16総選挙当落予測」という記事を載せた。
 9月6日号の予測記事と同じく政治広報システム研究所代表の久保田正志氏と週刊文春取材班による予測である。9月の予測は、「民主は89議席で解党的惨敗、自民は236議席と単独過半数をうかがう勢い、維新は小選挙区24議席・比例34議席の合計58議席、みんなの党は33議席で前回予測より後退、生活は現有より半減以下の計18議席」というものだった。私は日記にそれに基づく分析記事を書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/ff283ccb3493ea70078eddf86b5f1393
 その予測から約3か月。12月16日総選挙が決まったところでの約1か月前予測である。
 今回の久保田氏+文春取材班の予測は、

・自民は前回予測より支持を伸ばし244議席で単独過半数
・公明は26議席で自公合わせると270議席で絶対安定多数に
・民主は前回予測より微減の86議席
・橋下「維新」と石原「太陽の党」が合流し支持を増やして64議席
・維新64とみんな21を足すと85議席。第2極を民主と争う

というもの。
 私が疑問を持つのは、民主党86議席という点。9月の予測では89議席だったが、その後、小沢鋭仁氏、山田正彦氏、福田衣里子氏など離党者が続出し、民主党は現在までに現有議席を18も減らしている。鳩山由紀夫元首相も出馬しないこととなった。予測値を86議席よりさらに5~10議席下げていいのではないか。80議席以下になる可能性が出てきている。ポイントは民主が失う分がどこに行くかだが、私は主に自民と維新で取り合うと予想する。
 下記では文春の記事の党派別獲得議席予測をまとめたものだが、私は自民・維新はそれぞれ3~5議席伸びる可能性が高いと思う。

■民主
 小選挙区 現有173 → 予測 59
 比例区  現有 57 → 予測 27
 合計   現有230 → 予測 86
■自民
 小選挙区 現有 66 → 予測198
 比例区  現有 52 → 予測 46
 合計   現有118 → 予測244
■生活
 小選挙区 現有 26 → 予測  3
 比例区  現有 19 → 予測 13
 合計   現有 45 → 予測 16
■みんな
 小選挙区 現有  3 → 予測  6
 比例区  現有  4 → 予測 15
 合計   現有  7 → 予測 21
■維新
 小選挙区 現有  6 → 予測 19
 比例区  現有  3 → 予測 45
 合計   現有  9 → 予測 64
■公明
 小選挙区 現有  0 → 予測  7
 比例区  現有 21 → 予測 19
 合計   現有 21 → 予測 26
(その他は、略)

 次にこの予測議席数をもとにした、ほそかわの分析を述べる。来る衆院選は自民大勝、民主大敗で、政権再交代が起こることは、ほぼ確実である。自民は単独過半数を取る勢いだが、よほどの圧勝にならなければ、政権の安定のため新たな連立政権を組むことになる。
 安倍総裁が率いる自民党が、なお従来のリベラル系路線で行くのか、決然と保守系路線で行くのかで、新たな政権の方向性が決まるだろう。過半数となる241議席以上の組み合わせを大まかに記すと、

<リベラル系路線>
■自民+公明     270(絶対安定多数の269議席以上)
■自民+民主+公明  356(3分の2となる320議席以上)

<保守系路線>
■自民+維新     308(絶対安定多数以上)
■自民+維新+みんな 329(3分の2以上)

と推計される。
 なお、“反自公連合”または“反自民公連合”は、維新・みんな・生活が組んでも、文春の予測では“維新64+みんな21+生活16”で101議席。少数党や無所属をかきあつめても、110議席程度にしかならない。民主まで非自民で加わっても、200議席程度にしかならない。私の補足的な予測のように自民・維新がそれぞれ3~5議席を伸ばしたとしてもこの形勢は変わらない。

 次回に続く。
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人権21~自由の由来

2012-11-25 09:34:40 | 人権
●自由の由来

 人権の意識は、近代西欧で、宗教から現れ、自由を求める動きとともに発生し、発達した。人権は、世界人権宣言・国際人権規約等の国際人権文書では、「人権と基本的自由」という対で使用されることが多い。そこで、自由とは何かという問いから、人権に関する具体的な検討を始めたい。
 「自由」という日本語は、英語の liberty とfreedom、独語の Freiheit、仏語の liberte 等の西洋語の訳語である。近代西欧において、自由は主要な理念の一つとなっている。私自身は、自由は西欧発の人権という観念の核心にあるものと考えている。
 西洋文明は、古代ギリシャ=ローマ文明を継承した。古代ギリシャには、今日われわれがいうところの自由に正確に対応する言葉はなかった。古代ギリシャは、奴隷制の社会だった。ポリスは、自由民と奴隷から成り立っていた。その比率は1対4~5だった。特権的な市民は奴隷ではないという意味で自由だった。自由民は、参政権を含む諸権利を所有していた。彼らが深い関心を持っていたのは、自由の獲得や拡大ではなく、「善い生活」「善い活動」などの善の実践だった。
 アリストテレスは、ポリスの生活について「私の領域」と「公の領域」を二分した。哲学者ハンナ・アーレントの指摘によると、「私の領域」とは、奴隷所有者が家庭で奴隷を使役してその生産によって生活する領域だった。市民は自ら労働する必要がなく、ポリスの広場(アゴラ)で行われる政治に参加した。それが「公の領域」である。市民は私的な利益のための経済については語らず、ポリスの公共善について議論した。
 ポリスの政治は身分制秩序の社会における支配集団のものだった。政治参加をしていたのは、各家族の家長であり、女性や奴隷、外国人には参政権がなかった。
 19世紀前半フランスの思想家バンジャマン・コンスタンは、『近代人の自由との比較における古代人の自由』において、古代ギリシャのポリスでの政治への参加の自由を「古代人の自由」と呼び、人身の自由、良心・思想・言論の自由、所有の自由、結社の自由等からなる一連の自由を「近代人の自由」と呼んで、これらを峻別した。
「近代人の自由」は、法の支配のもとに私的な領域への政治権力の不介入を求めるものであり、この私的な自由が、近代の自由主義の枢要をなす。「古代人の自由」は、公的な領域で政治に参加し、公共善の実現を図るものだった。ただし、この公的自由は、奴隷所有者の支配集団のみが享受していた。
近代西欧の社会は奴隷制ではなく、封建的な身分から解放された市民が、まず私的な自由を求め、次に政治権力に参加する自由を求めた。その結果、生まれたのが自由民主主義の社会である。ただし、西欧諸国はアジア・アフリカ等の諸民族を支配し、その一部を奴隷として所有し使役した。この中核部が周辺部を支配・収奪する構造において、上層の西欧社会で自由と権利が拡大された。
 私は、近代西欧における自由の希求は、古代ギリシャの思想よりも、ユダヤ=キリスト教に深く根差すものだと考える。キリスト教の新約聖書では、パウロが書簡の中で自由を意味する語を用いた。パウロが自由の語を使うのは、イエスの使命は人間を罪と死と律法から「解放」することにある、という教義を説く場面である。「解放」という観念は、ユダヤ教の聖典でもある旧約聖書の「出エジプト記」による。モーゼの率いるユダヤ民族は、エジプトにおける強制労働の苦役から神(ヤーウェ)によって救出された。この隷属からの解放の物語は、キリスト教の教義に大きな影響を与えた。キリスト教では、人間は、神に背き原罪を犯して、神から断絶した。だが、神は人間を愛するゆえにひとり子イエスを使わし、その犠牲によって人間の罪があがなわれ、再び神と結び付いた。神にいたる道はただ一つ、イエスによるのみであると説く。この原罪からの「解放」が、キリスト教の教義の柱の一つとなっている。
 自由を意味する言葉である英語の liberty と freedomは、「出エジプト記」の「解放」の観念に関わる。liberty の語源は、ラテン語訳聖書で「解放」を意味する言葉として使われた libertas である。ルターは聖書のドイツ語訳を作る際、「解放」を意味する言葉に frey(現代綴りではfrei)を用いた。frey は英語の free に通じる。英語の freedom と独語の Freiheit は元が同じである。近代英語の元はアングル人・サクソン人が伝えた中世の独語の方言であり、freedom はこちらからが来ている。一方、1066年ノルマン・コンクェストでイギリスを征服・支配したノルマン人は、ノルマン・フレンチというフランス語方言を伝えた。そちらからラテン語系の liberty が英語に入った。ともにユダヤ=キリスト教的な「解放」に源を発するものである。

●liberty と freedom の異同

 liberty と freedom はほとんど同義語として修辞的に使われる場合があるが、語義には違いがある。研究社の『新英和大辞典』は、liberty の意味を「権利としての自由で、監禁・奴隷状態から解放されていること」とし、また freedom の意味は「妨害・制限・抑圧などのないこと」とする。大修館の『ジーニアス英和大辞典』は、liberty を「以前の拘束状態を暗示し、 現在の解放状態に重きを置いた消極的な自由」、freedom を「(束縛・拘束のない状態を積極的に享有する)自由(の状態)、束縛のないこと」とする。
 ここで重要なことを指摘したいのは、liberty も freedom も、権利に関する言葉であることである。この点をよく示しているのが、ロングマンの英語辞典である。liberty の語義は、主な部分で次のように説明されている。

1 <freedom> [U] The freedom and the right to do whatever you want without asking permission or being afraid of authority
2 <legal right> [C usually plural] a particular legal right ex. civil liberties

 同じくfreedom は、次のように説明されている。

1 [C, U] the right to do what you want without being controlled or restricted by the government, police etc.
2 freedom of speech/religion etc. the legal right to say what you want, choose your own religion etc.

 liberty にも freedom にも説明に right が使われている。ここに注目したい。right つまり権利・正義・正当性を表す概念が liberty 及び freedom の重要な要素なのである。自由とは、自由な状態であり、その状態を確保する権利をも意味するわけである。

●日本語の「自由」は翻訳語ではない

 ここで、日本語の「自由」について記しておこう。わが国では、自由は明治維新後、はじめてわが国に入った理念だと思っている人が多い。近代以前の日本に自由などなく、自由という言葉も、西洋思想の翻訳語として作られたものではないか、と誤解しているのである。
 事実は、自由という語は古代から使われている漢語であり、日本語となった自由には、長い歴史がある。比較思想の権威である小堀桂一郎氏は、そのことを『日本人の自由の歴史』(文芸春秋)で明らかにした。氏によると、わが国の最初期の例として、日本書紀(720年)に後漢書からの借用で自由という語が出ている。自由は当初、「ほしきまま」と訓じ、狼藉や勝手気まま、恣意放縦などへの非難の意味で使われていた。だが、鎌倉時代に明恵・道元が精神的な自由の意味でも用いた。以後、仏教では自由自在等の言葉で、肯定的な意味で多く使われた。16世紀半ば、キリスト教が渡来すると、隷属からの「解放」、原罪からの「解放」を意味する西洋語の翻訳に、自由の語が使われた。そして、遅くとも安土桃山時代には、庶民の間でも、現在の含意とほぼ同じ意味で自由の語が使われるようになった。幕末から明治の初めに、西洋思想が輸入されたとき、liberty や freedom に適当な訳語がなかった。当時の知識人がいろいろと日本の古典を探した末、自由の語を当てた。
 このように、日本語の自由には長い歴史がある。しかし、今日、多くの人は西欧語の liberty や freedom 等を訳した言葉だと思い込んでいる。また、日本語の自由の方が、西欧語の liberty, freedom より精神的に広く、深い意味を持っていることを知らない。日本人は、まずこの認識を改める必要がある。

 次回に続く。

■追記

本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第1部は、下記に掲示しています。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i.htm
コメント

皇室制度:政府の「論点整理」を批判する3

2012-11-23 18:35:21 | 皇室
 次に本年5月30日に設立された「皇室の伝統を守る国民の会」(三好達会長)の見解を紹介する。この団体は、政府が推進する「女性宮家」創設は女系継承への道を開きかねないとして、男系男子による皇位継承の維持を訴える団体である。設立の経緯、趣意、活動方針は以前、下記に書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20120605
 「皇室の伝統を守る国民の会」は、次のような見解を発表している。―――「尊称による皇室活動の維持」と「元皇族の男系男子の皇室復帰」の両案の検討こそ、今日の皇室制度の課題を克服する道である。論点整理は「女性宮家」創設により生じる重大な問題指摘を軽視するものである。女性宮家という新しい身分の創設には憲法第十四条違反の重大な疑義が生じる。史上初めて一般男性を皇族とする女性宮家制度は、皇室の伝統と矛盾するものであって、「皇室の伝統を踏まえながら」検討するとした基本方針に反する。尊称案は「称号」を付与するだけであって憲法第十四条には違反せず、代案の国家公務員案は有識者からの提案にはなく、「論点整理」の主旨から逸脱している。尊称付与によって内親王や女王が元皇族として、皇室のご活動を支えることは、「皇室のご活動を安定的に維持」する緊急課題に即応している。―――
 これは、皇室を崇敬する多くの人々が了解し得る考え方ではないだろうか。
 以下は、その見解の全文である。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●「皇室の伝統を守る国民の会」の見解

〈平成二十四年十月二十四日公表〉
政府が発表した「皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理」に関する私たちの見解

皇室の伝統を守る国民の会

会長 三好達

 この度政府は「女性皇族が、今後婚姻を機に、順次皇籍を離脱することにより皇族数が減少し、皇室のご活動を維持することが困難になる事態が懸念される」として、女性皇族の身分の問題に関して有識者からヒアリングを実施し、これまでの議論を整理・検討して「論点整理」を公表した。
 この中で政府は、「具体的方策」として次の二案を提案し、(一)案を中心に検討を進めるべきであるとした。

(一)女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案。いわゆる「女性宮家創設」案。
(ニ)女性皇族に皇籍離脱後も皇室のご活動を支援していただくことを可能とする案のうち「国家公務員」案。「尊称案」は困難であるとして否定。

 この提案に対して、「皇室の伝統を守る国民の会」では、以下の見解を表明するものである。

一、「尊称による皇室活動の維持」と「元皇族の男系男子の皇室復帰」の両案の検討こそ、今日の皇室制度の課題を克服する道である。

 本会は、政府のヒアリングが終了した本年八月の時点で、次の方針を提示した。

一、皇室活動の安定的維持を図るための制度の検討が皇室の伝統を踏まえたものとなるよう、「尊称案」による解決を提唱する。
二、男系男子による安定的な皇位継承が可能となる具体的な方策として、元皇族の男系男子を特別立法、婚姻・養子等の方法により皇室に入っていただく方策を検討し、提唱する。

 本会は、皇室活動を安定的に維持する方策として、多くの有識者から提案されていた「尊称案」が、「女性宮家」創設に係る幾多の問題、危険性を払拭する対案として最善の方策であるとの認識に立っている。
 また、論点整理に記述されている「皇族方の減少にも一定の歯止めをかけ」ようとする政府の意図は、元皇族に繋がる男系男子が皇族になっていただくことによって実現され、加えて、皇室活動の維持も、皇位継承制度の維持も、安定的に行なえると判断するものである。

二、論点整理は「女性宮家」創設により生じる重大な問題指摘を軽視するものである

 政府の実施したヒアリングでは、有識者より「女性宮家」の創設に強い懸念が表明された。
 女性宮家創設案のA案、「配偶者及び子に皇族の身分を付与する案」に関しては、歴史上初めて一般男性が皇族となる危険性、女性宮家の創設が「女系皇族」を容認するもので、憲法違反の「女系天皇」に繋がる危険性など、長い皇室の伝統を破壊し、皇室の質的変化を生じさせかねない幾多の問題が指摘されている。
 また、同じくB案の「配偶者及び子に皇族の身分を付与しない案」に関しては、一つの家族でありながら夫婦や親子の間で「姓」も「戸籍」も「家計費」も異なる奇妙な家族になってしまうことへの疑問など、重要な問題が指摘されている。
 しかし、論点整理ではA案の懸念に対しては「歴史上前例がない」と述べるだけであり、B案の懸念に対しては「適切な措置を講じることが必要」としながら、疑念の根本たる「奇妙な家族」の解決には触れることなく、戸籍に関する規定の改正などに触れるに止まっている。
 これでは、有識者からの重大な問題点の指摘に対して誠実に答えたものとは言えず、歴史上かつて例のない制度を導入しようとするうえで、余りにも皇室に対する配慮や慎重さに欠けると断言せざるを得ない。

三、女性宮家という新しい身分の創設には憲法第十四条違反の重大な疑義が生じる。

 政府の過去の国会答弁によれば、皇族の身分が「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と規定した憲法第十四条の例外となるのは、皇族は憲法第二条の「皇位は世襲」の規定による特別な身分であるからだとされている。すなわち男子皇族が宮家として特別扱いされるのは、自らも皇位継承資格を持ち、また男子たるその子孫も皇位継承資格を持つからである。
 しかし、女性宮家案は、皇位継承資格を持たない女性に、更にはその配偶者たる一般男性や子にまで特別な身分を付与することを想定しており、「法の下の平等」や「貴族制度の否定」を定めた憲法第十四条に違反するという、大きな疑義を生じさせることになる。

四、史上初めて一般男性を皇族とする女性宮家制度は、皇室の伝統と矛盾するものであって、「皇室の伝統を踏まえながら」検討するとした基本方針に反する。

 女性宮家について有識者から、「国民に全くなじみのない民間人の成年男子が結婚を介して突然、皇室に入り込んでくる」、「長い歴史を有する我が国の皇室に質的変化を生じさせる」との懸念が指摘された。
 政府は「論点整理」の「検討に当たっての基本的な視点」において、「皇室の伝統を踏まえながら、これまで形づくられてきた象徴天皇制度に整合的なものとする」としているが、女性宮家は「皇室の伝統」を否定し、「これまで形づくられてきた象徴天皇制度」から大きく逸脱するものであって、基本方針と矛盾する。
 また、論点整理では、一般男性が皇族になることは、象徴天皇制度の一環として許容されると断定しているが、こうした考え方を推し進めれば、その帰結として、将来、象徴天皇制度の一環であるとして、女系天皇を容認することとなるおそれが極めて多大である。

五、尊称案は「称号」を付与するだけであって憲法第十四条には違反せず、代案の国家公務員案は有識者からの提案にはなく、「論点整理」の主旨から逸脱している。

 政府は、「尊称案」につき、旧皇室典範の下における制度は、華族制度などの身分制の存在を基礎としたもので、これを前例として、尊称制度を現皇室典範に規定する根拠とはなり得ないとし、法の下の平等を定めた憲法第十四条との関係においても疑義を生じかねないとして、この案の実施は困難と断定する。
 しかし、この案を提唱した有識者の指摘を見れば、尊称はあくまで「称号」であって身分ではないから憲法上の疑義は生じない。また、尊称案の前例となっている旧皇室典範第四十四条は、華族制度のなかった江戸時代に行なわれた九人の方への尊称付与の実例に即したものとされており、政府の「(旧皇室典範の下における制度は、)華族制度などの身分制の存在を基礎としたもの」という尊称案に対する排除理由は、成り立たないというべきである。
 加えて、この代案とされた「国家公務員案」については、この案を多少なりともうかがわせる有識者の発言としては、尊称案を前提として「宮内庁に『皇室御用掛』といった役職を設け」などとの発言があったに止まるのであって、国家公務員案を一つの案として提起することは、「論点整理」の主旨から逸脱している。

六、尊称付与によって内親王や女王が元皇族として、皇室のご活動を支えることは、「皇室のご活動を安定的に維持」する緊急課題に即応している。

 今回の有識者ヒアリングでは、多くの有識者から「尊称案」が提案されている(六名が賛成、一名が反対)。この中には、「眞子様や佳子様、また彬子様らがはつらつと活躍なさるお姿は想像するだけでも本当にうれしくなる」、「御結婚後も格式などを十分に保つことができるような経済的支援を」、「雅な御存在でいらっしゃる女性皇族に終身称号をお持ちいただく」「その方々の活躍の場を整えることは、皇室の未来に明るいエネルギーを注入する」という意見が示されている。
 今回の検討課題は、減少する女性皇族が婚姻後も引続き皇室活動を続けられる方策の検討である。これは、天皇陛下のご公務のうち、「象徴としての地位に基づく公的行為」に関するご負担を軽減するため、女性皇族によるご公務分担の継続をはかろうとするものであり、それには尊称案が最も相応しい制度といえる。
 また、女性宮家制度を採った場合における新たな女性宮家の創設までに要する期間、あるいは創設に伴う経費と対比すれば、尊称制度は、近々女性皇族のご婚姻があっても引き続きご公務に従事していただくことができるし、また経費の面でも抑制された制度といえよう。

七、政府は皇位継承制度の安定的な維持のため、元皇族の男系男子が皇籍を取得できる方策について、速やかに検討を開始すべきである。

 今回政府は、皇位継承制度には触れないことを大前提としていたが、有識者の中には、皇位継承制度の在り方に触れた意見が多々あり、元皇族の養子案や復帰案は有識者の半数(六名)が支持し、反対は僅か二名のみであった。
政府も論点整理で「現在、皇太子殿下、秋篠宮殿下の次の世代の皇位継承資格者は、悠仁親王殿下お一方であり、安定的な皇位の継承を確保するという意味では、将来の不安が解消されているわけではない。安定的な皇位の継承を維持することは、国家の基本に関わる事項であり、…引き続き検討していく必要がある。」と指摘し、野田首相も国会答弁において、「長い伝統を踏まえると、これはやっぱり男系ということは重く受け止めなければなりません」と述べている。
 政府は今後、今回の有識者ヒアリングにおいて多くの識者から支持が表明された、元皇族の男系男子を皇族とするための方策について、早急に検討に入るべきである。これこそが、論点整理が指摘する皇族数の減少に歯止めをかけ、皇室のご活動を安定的にすることにも繋がる最善の道なのである。

 以上
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 12月16日に衆議院総選挙が行われる。民主党は惨敗し、自民党が第1党になることはほぼ確実と見られる。現在の大方の予想通り、安倍晋三内閣が誕生した場合、安倍氏は男系継承を堅持する考えをしっかり持っているので、野田内閣の皇室典範改定方針を否定し、男系継承堅持のための方策を再検討することを期待できよう。

関連掲示
・拙稿「女性宮家よりは尊称保持、だが根本的改善は旧皇族の活用」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion05.htm
 目次より13へ
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皇室制度:政府の「論点整理」を批判する2

2012-11-22 08:51:44 | 皇室
 次に、政府の「論点整理」に対する有識者らの批判を掲載する。有識者ヒヤリングで意見を述べた日本大学教授の百地章氏は、「論点整理」は「極めて作為的・恣意的なもの」と厳しく批判している。
 「皇位継承権を持たない女子皇族に対して、結婚後も『女性宮家』なる特別の身分を与えることは、『華族その他の貴族の制度』を禁止した憲法14条2項に違反するといえよう」「皇族数の減少に対処し、将来、悠仁親王が即位される頃にお支えできる宮家を創設して皇室のご活動を維持するとともに、皇位の安定的継承を確保する方法は1つしかない。いうまでもなく、連合国軍総司令部(GHQ)の圧力で無理矢理、臣籍降下させられた旧宮家の男系男子孫のうち相応しい方々を『皇族』として迎えることである」と百地氏は主張している。
 以下は、氏が見解を著した記事。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成24年10月10日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/121010/imp12101003080001-n1.htm
【正論】
日本大学教授・百地章 「女性宮家」こそ違憲の疑い濃厚
2012.10.10 03:07

 いわゆる「女性宮家」の創設については、2月以来、6回にわたって行われた有識者ヒアリングでも賛否両論が拮抗(きっこう)しており、新聞各紙でも「2案併記」、落とし所は「尊称案」などといった報道が繰り返されてきた。
 事実、ヒアリングに呼ばれた12人のうち、「女性宮家」賛成は8人で反対が4人、一方、「尊称案」は筆者を含め賛成が7人で反対はわずか1人であった。

≪作為的、恣意的に論点整理≫
 ところが10月5日、内閣官房は突然「尊称案」を否定し、「女性宮家案」を中心に検討を進めるべきだとする「論点整理」を発表した。背景に何があったのか。
 推測の域を出ないが、「女性宮家」を支持してきた羽毛田信吾前宮内庁長官や風岡典之現長官ら宮内庁幹部、それに園部逸夫内閣官房参与ら女系天皇推進派と、内容はともあれ、成果を挙げたい官僚らとの結託の結果であることは、まず間違いあるまい。
 「皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理」と題する全文81ページの報告書は、極めて作為的・恣意(しい)的なものである。報道関係者向けに配布された「論点整理(概要)」では、A4判のわずか2ページの取りまとめの中で、「尊称案」は「付与は困難」「実施困難」と、理由も示されないまま重ねて否定されている。それに代わって突然、「国家公務員案」なるものが登場した。
 他方、「女性宮家案」に対しては、ヒアリングの中で「男系で継承されてきた皇統の危機に備えるのが宮家であって、『女性宮家』など意味がない」、「歴史上一度も存在したことがなく、女性皇族の結婚を機に、皇室の中に突然、民間人男性が入り込んでくる危険極まりない制度である」などといった厳しい批判があった。
 さらに「女性宮家案」のうち、「民間人男子配偶者と子にまで皇族の身分を付与する案(I-A案)」には、「女系皇族を容認するもので、憲法違反の女系天皇に繋がる危険がある」との批判が、「男子配偶者や子には皇族の身分を付与しない案(I-B案)」に対しては、「1つの家族でありながら、夫婦や親子の間で、『姓』も『戸籍』も『家計費』も異なる奇妙な家族となってしまうことへの疑問」などの重大な欠陥が指摘された。にもかかわらず、「論点整理」では「更なる検討が必要」と述べただけである。
 「論点整理」では、旧皇室典範44条に倣い、女子皇族が結婚して民間人となられた後も「内親王」「女王」などの尊称を保持する「尊称案」について、一種の身分制度であり、そのような特別待遇を施すことは、法の下の平等を定めた憲法14条との関係において疑義を生じかねないとしている。

≪伊藤博文の『皇室典範義解』≫
 しかしながら、「尊称」はあくまで「称号」であって、身分を示すものではない。このことは伊藤博文著『皇室典範義解』の中で述べられており、筆者もヒアリングではっきり指摘した。にもかかわらず、論点整理では強引に違憲と決めつけたわけだが、それを言うなら、歴史上まったく例のない「女性宮家」こそ、新たな「身分制度」の創設に当たり、はるかに憲法違反の疑いが濃厚となる。
 実は、このほど、筆者の尊敬する元最高裁長官の方から「メモ」を頂戴した。旅先からの走り書きであったが、「男子皇族が宮家として特別扱いされるのは、皇位継承にかかわるからであって、皇位継承と無関係な女性宮家は法の下の平等に反する」「尊称すら許されないというのに、なぜ女性宮家が許されるのか」とあった。
 けだし至言である。憲法第2条の「皇位の世襲」が「男系継承」を意味することは、憲法制定以来の政府見解であり、皇位継承権者たる男子皇族に対し、「宮家」という特別の身分を付与することは憲法の予定するところである。しかし、皇位継承権を持たない女子皇族に対して、結婚後も「女性宮家」なる特別の身分を与えることは、「華族その他の貴族の制度」を禁止した憲法14条2項に違反するといえよう。

≪旧宮家の男系男子孫を皇族に≫
 ヒアリングでは、「皇族数の減少にいかに対処すべきか」「皇室のご活動をいかにして維持すべきか」の2点のみが問われ、「皇位継承権者をいかに確保すべきか」という最も肝心な点については敢えて触れないものとされた。露骨な「旧宮家」外しである。
 皇族数の減少に対処し、将来、悠仁親王が即位される頃にお支えできる宮家を創設して皇室のご活動を維持するとともに、皇位の安定的継承を確保する方法は1つしかない。
 いうまでもなく、連合国軍総司令部(GHQ)の圧力で無理矢理、臣籍降下させられた旧宮家の男系男子孫のうち相応(ふさわ)しい方々を「皇族」として迎えることである。にもかかわらず、敢えてその選択肢を排除し、強引に「女性宮家」を創設しようとする女系天皇推進派の皇室破壊の企てを何としても阻止しなければならない。
 まさに「皇室の危機」である。(ももち あきら)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 次回に続く。
コメント

皇室制度:政府の「論点整理」を批判する1

2012-11-20 10:24:05 | 皇室
 10月5日、政府は「女性宮家」創設をめぐり有識者12人に対して行ったヒアリングをもとにまとめた「論点整理」を公表した。女性宮家創設案は「検討を進めるべき」とする一方、尊称保持案は「実施困難」と事実上否定し、ヒアリングで全く議論されなかった女性皇族がご結婚後、国家公務員として公的な立場を保持するという案を独自に提起した。そして10月9日から12月9日まで、国民に「論点整理」についての意見公募(パブリックコメント)をしたうえで、来年の通常国会に皇室典範改定案の提出を目指してきた。これは危険な動きである。
 ところが、その目論見は11月16日衆議院解散により、ほぼついえた形となった。12月16日に総選挙が行われる。民主党は惨敗し、自民党が第1党になることはほぼ確実と見られており、新たな連立政権が発足した場合、野田内閣の皇室典範改定方針を引き継ぐ可能性は低い。ただし、背後で方向付けをしてきた官僚集団は変わらない。いずれ新政権を官僚主導の皇室典範改定方針で動かそうとするだろう。それゆえ、皇室典範改定問題は、しっかりここでポイントを押さえておく必要がある。
 女性宮家創設は女系継承への道を開き兼ねず、極めて大きな問題がある。有識者ヒアリングでは対案として女性皇族が御結婚後も尊称を保持する尊称保持案が提案され、政府は両案併記の形で検討してきた。尊称保持案は女性宮家創設よりはましだが、当面の皇族のご公務分担の軽減や皇室活動の維持を図るものにすぎない。有益ではあるが、根本的な改善にはならない。
 私は、男系による皇位継承を保持し、かつ皇族の数を確保する方策は、第一に旧皇族の男系男子孫の皇籍復帰、第二に皇族が旧皇族男系男子孫に限って養子を取ることを許可することであると考える。女性宮家創設については、旧皇族の男系男子孫との婚姻の場合に限るべきである。
 皇統の血筋を引く元皇族男系男子孫が、皇籍復帰、皇族との養子、女性皇族との婚姻などの方策によって、男系男子皇族となる制度を整えば、皇族の人数は増加し、かつ安定的な皇位継承が可能になる。これを旧皇族活用策と呼ぶとすれば、旧皇族活用策以外に、皇室の繁栄と皇位の安定的継承を可能とする根本的な改善策はない。旧皇族の活用を先送りすれば、皇室の命運は先細りする。だが、いまこの根本的改善策を実施すれば、悠仁親王殿下が皇位を継承される将来、天皇を支える宮家が数家維持されて、皇室の弥栄は確かなものとすることができる。目の前に最善にして最も確実な方策がある。国民の英知を結集して、その方策を断行すべきである。
 野田政権が進めようとしてきた皇室典範改定は、わが国の皇室の伝統を破壊する恐れがあり、今後新政権に替わった後も、断固阻止しなければならない。
 続いて、政府の「論点整理」の概要を示し、有識者らによる批判を2回に分けて紹介する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成24年10月

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121006/plc12100600090000-n1.htm
女性宮家に関する論点整理(要旨)
2012.10.6 00:07

 政府が5日公表した女性宮家に関する論点整理の要旨は次の通り。

【問題の所在】
 天皇陛下や皇族方は、戦没者の慰霊、被災地のお見舞いなどのご活動を通じて国民との絆をより強固なものとされている。他方、皇室典範12条では、「皇族女子は、天皇および皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と規定されているため、現在の皇室の構成に鑑みると、女性皇族が今後、婚姻を機に、順次皇籍を離脱することにより皇族数が減少し、そう遠くない将来に皇室活動を維持することが困難になる事態が懸念される。

【基本的な視点】
 (1)皇室の伝統を踏まえながら、象徴天皇制度に整合的なものとすること。
 (2)引き続き議論を深めていくことが適当なため、男系男子による皇位継承を規定する皇室典範1条には触れないことを大前提とする。旧11宮家の男系男子孫の皇籍復帰論は皇位継承資格の議論につながるため今回の検討対象とはしない。
 (3)皇室としての一体性に留意しつつ、規模を適正な範囲にとどめ、財政支出を抑制。対象となる女性皇族の範囲は内親王に限定。
 (4)女性皇族のご意思を反映できる仕組みとするとともに、婚姻の障害にならないよう配慮する。

【具体的な方策】
▽女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案(I案)

<A案>配偶者や子に皇族の身分を付与。子は婚姻により皇族の身分を離れる。家族が全て皇族であり、制度として簡明であるが、歴史上の前例はない。範囲は内親王に限定。
<B案>配偶者や子に皇族の身分を付与しない。家族内で身分に違いが生じることから、戸籍や夫婦の氏の取り扱い、家族間における財産の授受、宮内庁の補佐体制の在り方などについて適切な措置が必要。範囲は内親王に限定。

▽女性皇族が皇籍離脱後も皇室活動を支援していただくことを可能にする案(II案)

 皇室典範改正による称号の付与は困難。女性皇族は皇族の身分を離れるが、国家公務員として公的な立場を保持し、皇室活動を支援。その際、「皇室輔(ふ)佐(さ)」や「皇室特使」などの新たな称号をご沙汰により賜ることは考えられないことではない。範囲は内親王に限定。皇族ではないため、摂政就任資格はなく、国事行為の代行もできず、皇族数の減少に歯止めをかけることはできない。

【まとめ】
 象徴天皇制度の下で、皇族数の減少にも一定の歯止めをかけ、皇室活動の維持を確かなものとするためにはI案について検討を進めるべきだが、I-A案、I-B案にはそれぞれ長所、短所があり、さらなる検討が必要。いわゆる尊称保持案は実施困難だが、II案についても併せて検討を進めることが必要だ。

【終わりに】
 政府においては今後、論点整理についての国民各層の議論を踏まえながら検討を進める。安定的な皇位継承の維持は、国家の基本に関わる事項であり、国民各層のさまざまな議論も十分に踏まえ、引き続き検討していくことが必要だ。
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 次回に続く。
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中国:胡温体制から習主導体制へ

2012-11-19 08:54:43 | 国際関係
 11月7日から14日にかけて中国で第18回共産党大会が行われた。今回の党大会は10年に1度の指導者の交代を演出する機会だった。胡錦濤主席、温家宝首相は引退し、15日の中央委員会第1回総会で習近平が総書記に選出された。習氏は中央軍事委員会主席にも就任し、党と軍を掌握する立場となった。来年春、国家主席を胡錦濤氏から受け継ぐ予定である。10年間に及ぶ胡錦体制が終了し、習近平体制が始まる。胡・温両氏は、完全引退と報じられる。その一方、依然として江沢民氏が影響力を保持している。わが国の内閣に相当する政治局常務委員の7名のうち、4名は江沢民派が占めている。ナンバー1の習近平氏に近いのは1名のみ、胡錦濤派はナンバー2の李克強氏ひとり。江派4、習派2、胡派1という構成である。こうした中で、習氏がどのように指導力を発揮していくか注目される。
 このたびの党大会は、胡温体制の終焉だった。大会で胡錦濤主席は、2020年までにGDPと国民一人あたりの収入を倍増するという目標を発表した。その一方、格差の拡大と腐敗の深刻さを挙げ、その解決に取り組む姿勢を表明した。特に党内にはびこる腐敗体質について、「この問題がうまく解決できなければ、党を致命的に傷つけ、ひいては党も国家も亡びてしまうことになる」と、胡氏が公言したことは重要である。「党も国家も亡びてしまう」という一言は、予言的な発言として歴史に刻まれるだろう。
 11月8日の産経新聞にシナ系評論家の石平氏が、「危機にひんする中国社会 胡政権の失敗と不作為」という記事を書いた。石氏は、「過去の10年間にわたって、胡錦濤政権が推進してきた諸政策はほとんどが失敗に終わってしまい、いわば『胡温新政』たるものは、単なる黄粱一炊(こうりょういっすい)の夢に過ぎなかった。そして、10年間にわたる胡政権の失敗と不作為の結果、中国社会全体はかつてないほどの危機にひんしているのである」と書いている。
 マルクス・レーニンの理論によって建設される社会主義国家は、知識人による官僚集団が権力を独占し、労働者・農民を支配する国家を生み出す。旧ソ連では革命後、権力を掌中にした共産党官僚が特権をほしいままにし、「新しい階級」「革命貴族」となった。また、勢力を東欧に広げ、大国が小国を支配する覇権体制を築いた。旧ソ連・東欧の共産党支配体制は、まさにその権力構造ゆえに、崩壊した。私は、旧ソ連の特権階級以上の存在になっているのが、中国の共産党及び人民解放軍の幹部だと思う。彼らは、中国における「新しい階級」であり、「革命貴族」である。この革命の成果を簒奪した貴族階級は、強大な権力を利用して、人民の労働が生み出した富をむさぼり、汚職をほしいままにしている。彼らがその意識と行動を変えない限り、「党も国家も亡びてしまう」のは避けられない。だが、歴史上、特権階級が自らの意識と行動を変えて、自らの特権を否定して国家体制を改革した例はほとんどない。
 中国の新たな最高指導者となった習近平氏は、天皇陛下特例会見ゴリ押し事件で、小沢一郎氏らを通じて、天皇陛下とのご会見を無理やり実現した人物である。その習氏がいよいよトップの座についた。
 習近平氏が指導する中国に関し、今後の10年は、共産主義を脱却するための民主化が進むか、共産党支配を維持するためのファッショ化が進むか、それとも特権階級の腐敗がとめどなく深刻化して国家そのものが衰退・分裂するか、まだ予測しがたい。このうち最も危険なのは、ファッショ化による覇権主義的な対外行動である。今回の共産党大会で、故主席は海洋権益を守ることを強調した。中国は増強する海軍力を以て、わが国を含むアジア太平洋地域、さらには中東・アフリカにも覇権を広げようとしている。領土や資源を獲得するとともに、国民の不満や怨嗟を党ではなく海外に向けさせ、支配体制を継続させようとするものである。腐敗しつつ生き延びようとしてアジアから世界を巻き込もうとするこうした中国共産党特権階級の動きを封じることが、世界の平和と繁栄のための重大課題である。
 以下は、関連する報道と石平氏の記事。後者の文中に出る言葉のうち、「黄梁一炊の夢」とは、「粟飯を炊き上げるほどの短い間の夢。富貴・功名の極めてはかないことのたとえ」。「権貴資本主義」の「権貴」とは、「権勢があって高い地位にあること。またその人」。いずれも広辞苑による。

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●産経新聞 平成24年11月15日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/121115/chn12111514170002-n1.htm
【習指導部発足】
共産党一党独裁への大衆の不満増幅 江沢民氏らの勢力、なお強い影響力
2012.11.15 14:16

 【北京=河崎真澄】中国共産党は第18回党大会の閉幕を受け、第18期中央委員会第1回総会(1中総会)を15日、北京で開催し、胡錦濤氏(69)の後任である新たな総書記(党内序列1位)に習近平国家副主席(59)を選出した。党のトップ交代は10年ぶり。これにより習指導部が正式発足した。
 習総書記が率いる党の最高指導部の政治局常務委員は、これまでの9人体制から、習氏や来年春に首相に昇格する見通しの李克強副首相(57)=党内序列2位=を含め、7人に減員された。胡氏に近い共産主義青年団出身者は李氏のみで、胡氏の前任総書記である江沢民氏(86)らの勢力が、なお強い影響力を残す布陣となっている。
 常務委員の2人減員は総書記の指導力を強め、意思決定のスピードアップを図るためとされる。
 国営新華社通信によると胡氏は、軍トップの党中央軍事委員会主席も退き、「完全引退」することが確定した。胡氏は政府の役職である国家主席も来年3月の全国人民代表大会(全人代=国会)で習氏に渡す。全人代で温家宝首相(70)の後任には李氏が就き、この段階で党、政府ともに「習李体制」が確立する。
 常務委員の顔ぶれは、再任された習、李氏のほか、序列順に江氏派の張徳江副首相(66)、太子党(高級幹部の子弟)の兪正声上海市党委書記(67)、劉雲山党中央宣伝部長(65)、王岐山副首相(64)、江氏派の張高麗天津市党委書記(66)。このうち王氏は党中央規律検査委員会書記に就任した。
 胡指導部の10年間は「和諧(調和)社会」を訴えてバランスの取れた発展を目標にしてきたが、実際は党幹部など特権階級の汚職が拡大、都市と農村の貧富の格差も広がった。共産党一党独裁体制への大衆の不満は増幅しており、習新指導部は経済政策や治安維持など、発足直後から難しいカジ取りを迫られる。
 沖縄県の尖閣諸島をめぐる問題など、どのような対日姿勢を取るかも注目される。

●産経新聞 平成24年11月8日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/121108/chn12110811090003-n1.htm
【石平のChina Watch】
危機にひんする中国社会 胡政権の失敗と不作為 
2012.11.8 11:09

 10年前に胡錦濤政権ができたとき、中国国内では「胡温新政」という言葉がはやった。政治改革の停滞と腐敗の蔓延(まんえん)が彩った「江沢民時代」がやっと終わった後、多くの人々は清新なイメージの胡錦濤・温家宝両氏に多大な期待を寄せ、新しい国家主席と首相となったこの2人が政治を刷新して明るい時代を切り開いてくれるのではないか、との希望的な観測が広がっていた。
 だが蓋を開けてみれば、胡・温両氏が中国の政治をつかさどったこの10年間はむしろ、「新政」への期待が裏切られる日々の連続だった。待望の政治改革は10年にわたって一歩も進まず、「創新」よりも「守旧」の方が胡政権のモードとなったからである。
 政治改革が進まなかった結果、権力と市場経済との癒着から生まれた「権貴資本主義」の利権構造が空前の規模において拡大かつ強化され、腐敗の氾濫は未曽有の新境地に達した。政権末期になると、「清廉潔白」な政治家として腐敗の一掃を期待された温家宝氏その人の身辺でさえ、巨額の不正蓄財の情報が流されるありさまだ。
 「権貴資本主義」の利権構造が拡大されている中で、貧富の格差の是正と社会的対立の解消を目指した胡政権の「和諧社会(調和のとれた社会)建設」はただのかけ声だけに終わっている。胡政権成立時と比べれば、格差はむしろ数倍以上に拡大している観がある。
 人民日報系の雑誌「人民論壇」が今年10月に実施した意識調査で、回答者の70%が「特権階級の腐敗は深刻」とし、87%が特権乱用に対して「恨み」の感情を抱いていると回答したことは前回の本欄でも紹介した。それはまさに「和諧社会建設」の失敗に対する現実からの嘲笑であろう。
 貧富の格差が極端に拡大し「特権階級」に対する人々の「恨み」が増大すると、社会的不安はますます高まってくるものだ。全国で発生した暴動などの集団的抗議活動が年間9万件に上ったのは胡政権中盤の2006年のことだったが、政権末期の11年になると、暴動・騒動事件の発生件数が18万件を超えた。さすがの「胡温新政」、ただの5年間で「国民所得倍増」ならぬ「国民暴動倍増」を見事に実現させたのである。
 胡錦濤政権はその成立した日から、「維穏」、すなわち「社会的安定維持」を最重要課題にして国政の運営を行ってきたが、上述の「暴動倍増」の数字によっても示されているように、政権が「維穏」に熱を入れれば入れるほど社会的不安はむしろ高まってきている。揚げ句の果てには、胡政権最後の年である今年の国家予算に計上された「治安維持費」は当年度の国防費を上回る巨額となったほど、中国社会は完全に乱れている。
 こうしてみると、過去の10年間にわたって、胡錦濤政権が推進してきた諸政策はほとんどが失敗に終わってしまい、いわば「胡温新政」たるものは、単なる黄粱一炊(こうりょういっすい)の夢に過ぎなかった。そして、10年間にわたる胡政権の失敗と不作為の結果、中国社会全体はかつてないほどの危機にひんしているのである。
 今年9月、「中国経済学界の良心」と呼ばれている著名学者の呉敬●(=王へんに連)氏が「中国の経済・社会の矛盾はすでに臨界点に達している」と警告を発したことは、まさに「中国の危機」に対する知識人たちの現状認識を代弁したものであろう。
 危機打開の難題は結局、胡・温の後の新政権に委ねられることになる。ちょうど今日開かれる党大会で誕生する予定の習近平政権には果たして危機脱出の妙案があるのか。お手並み拝見である。
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関連掲示
・拙稿「習近平主導体制に応じ、尖閣を守れ」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/8a23b4714f87eac9f9312e107dc9352d
・拙稿「尖閣:中国の罠にはまるな~石平氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/7e355368e771b54efe9ea3e6926df08a
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人権20~宗教・道徳・法(続)

2012-11-17 08:51:05 | 人権
●法と道徳の違い

 人権という観念は、宗教と道徳と法が分化し、法と道徳が一定の自立性を持つようになった近代西欧において発生し、思想として発達した。今日人権の概念は、人間の普遍的生得的権利とする定義と、歴史的社会的文化的に発達する権利とする定義に大きく分かれている。これら概念の内包を考察するうえで、人権観念の背景にある法と道徳の違いを確認しておく必要がある。
 西欧における法と道徳の違いについては、多くの哲学者や法学者が論じてきた。主な論点を整理してみよう。
 第一の違いは、法は究極的には物理的強制力によって実現されるが、道徳は必ずしも物理的強制力を伴わないという区別である。法学者ルドルフ・フォン・イェーリングは「強制のない法などというものは自己矛盾であり、燃えない火、輝かない光のようなものである」と述べている。この表現は、法に関しては、その通りである。物理的強制力の裏付けを持たない法は、実効性を欠く。ただし、道徳にも制裁を伴う掟や村八分等、一定の強制力のあるものがある。また国際法は、国内法に比べて、実力による強制装置が組織化されておらず、制裁の実施も国家間の力関係や政治的な駆け引きに左右される傾向がある。
 第二の違いは、法は外面的行為を、道徳は内心を規律するという区別である。哲学者クリスティアン・トマジウスは、法は外面的な行為を規律することを使命とするのに対し、道徳は良心に対し内面的な平和を達成することを使命とするとした。カントは、法は動機とは無関係に行為が義務法則に合致することを要求するのに対し、道徳は動機そのものが義務法則に従うことを要求するとした。しかし、これらの区別はキリスト教文化圏には当てはまるが、別の文化圏には妥当しない。また法においても、殺人が故意か過失か問われるように、個人の内面が問題とされる場合もある。一概に内外で区別できない。
 第三の違いは、法には相手に対する義務があり、道徳は相手がいない義務であるという区別である。法に定める義務は、特定の相手に対して、一定の行為を命じるか、または禁じる義務である。道徳は、困っている人に手助けをしないからといって、罰せられるものではない。自分の内なる良心や祖霊・神・天等の超越的存在に対する義務であると考えられる。ただし、道徳も父母・祖先・君主等の特定の対象への義務であったり、恩義を受けた相手への報恩を果たせなければ、自らを処罰したり、社会的な非難を受けたりする場合がある。
 第四の違いは、法は現実規範であり、道徳は理想規範であるという区別である。法は社会の平均的な人間が守ることのできるものであり、また誰もが守らねばならないとする現実的な規範である。法学者ゲオルグ・イェリネックは「法は道徳の最小限」であるとし、経済学者グスタフ・フォン・シュモーラーは「法は倫理の最大限度」であると述べている。これに対し、道徳はよりよい人格を形成するための理想的な規範である。もっとも法にも国家や国民が目指すべき理想を述べたものがあり、道徳にも人間として最低限守るべき規律を定めたものがある。前者の例が国際平和であり、後者の例が近親相姦の禁止である。
 このように法と道徳の違いには、物理的強制力の有無、外面的行為と内心、相手のある義務と相手のない義務、現実規範と理想規範等の区別が挙げられるが、これらは決定的な相違ではなく、相互に重なり合った部分がある。
 人権は近代西欧で発生し、法によって保障される権利として発達してきた。だが、法のもとに道徳があり、道徳のもとに宗教がある。宗教は、超自然的な力や存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度が発達したものであり、宗教から超越的な要素をなくすか、または薄くすると、道徳となる。道徳のうち、制裁を伴う命令・禁止を表すものが、法である。人権は人間の尊厳と個人の人格に基づくものであり、単に法的な権利ではなく、道徳的な側面がある。また、人権は道徳的な側面から宗教にも開かれている。宗教を否定し、道徳を排除したところで、人権を考えるならば、人間の尊厳と個人の人格を見失うことになる。
 非西欧では、宗教の内に道徳と法を含んだ社会規範を保っている社会が、今日も多く存在する。イスラムやヒンズー教はその典型である。そして、超越的存在の観念を堅持し、それを中心とした社会規範を保ちながら、近代化を進めている文明が複数存在する。近代西欧における宗教・道徳・法の分離形態は、非西欧社会で広く承認された形態ではない。そのことをよく踏まえて、人権の考察は行われねばならない。
 これから人権に関して本章で述べる自由、またそれ以後に述べる権利、権力、国家について、ここに書いたことをもとに検討を行う。

 次回に続く。

■追記

本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第1部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-1.htm
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