ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

安倍=モディ首脳会談で日印の連携強化

2014-09-30 11:44:23 | 国際関係
 8月30日~9月3日、インドのナレンドラ・モディ首相が来日し、安倍首相と会談して共同声明を発表した。名宰相マンモハン・シン氏の時代に築いた基礎の上に、日印関係の強化がさらに進んだことを歓迎したい。
 インドでは、国民会議派を中心としマンモハン・シン前首相が率いた政権が経済低迷を打開できず、また汚職・腐敗に有効な手を打てないことによって国民の支持を失い、本年5月の総選挙で最大野党のインド人民党(BJP)が勝利し、10年ぶりに政権交代が起こった。モディはグジャラート州首相から、インド国の首相に就任した。モディ首相は、ヒンズー至上主義団体のRSS(民族義勇団)メンバーで反イスラム的言動でも知られ、イスラム教徒襲撃を黙認したとして批判されている。
 モディ首相は主要国への初訪問先を日本にした。来日前、このことについて、「インドの外交と経済開発での日本の重要性を認識し、ルック・イースト政策の中心に日本がある」ためだと強調した。
 安倍晋三首相は9月1日、モディ首相と会談した。シン前首相との会談の成果をさらに発展させる有意義なものとなった。



 安全保障面では両国の外務・防衛閣僚協議(2プラス2)の設置検討で合意し、海上交通路(シーレーン)の安全確保に向けた海上自衛隊とインド海軍の共同訓練の定期化でも一致した。安保協力は、海洋進出の動きを強めている中国を牽制(けんせい)するのが双方の狙いである。安倍首相は、集団的自衛権行使を限定容認する憲法解釈変更の閣議決定について、モディ首相から支持を得た。会談で安倍首相は「アジアの2大民主主義国である日印の関係は最も可能性を秘めている」と指摘し、モディ首相も「インド外交では日本が一番高い位置付けだ」と応じた。
 経済分野では日印投資促進パートナーシップを立ち上げ、対印の直接投資額と日本企業数を5年間で倍増させる目標を決定した。インドからのレアアース(希土類)輸入を早期に実現することでも合意した。安倍首相は、日本企業の投資を促す環境整備を要請した。またインド西部の高速鉄道計画に関し、日本の新幹線技術を供与する用意があることを表明し、モディ氏は謝意を伝えた。
 共同声明には両国関係について「特別な戦略的パートナーシップ」との文言が盛り込まれ、連携強化を印象づけた。なかでも、安全保障面での協力強化は、非常に大きな意味を持っている。外務・防衛閣僚協議設置の検討で合意したのは、海洋進出を進める中国を牽制し、シーレーンを守る狙いがある。この点に関し、9月2日付の産経新聞で、山本雄史記者は、次のように書いている。
 「安倍首相は海洋安全保障強化を図るため、日本とハワイ(米国)、オーストラリア、インドの4カ所をひし形に結ぶ「安全保障ダイヤモンド構想」を提唱しており、今回の会談は構想実現に向けた大きな一歩となった」「中国は、バングラデシュやスリランカなどインド周辺国への支援を通じてインドを包囲する「真珠の首飾り戦略」を進めており、首相はダイヤモンド構想が中国と隣接するインドにとってもメリットがあると踏んでいた。ただ、インドは伝統的に「非同盟」の外交路線を取っており、特定の国との強い結びつきには慎重な面がある。そこで首相はかねて親交があり、経済政策でも共通点が多いモディ氏との個人的な信頼関係を活用し、インドを日本の安保戦略に引き込んだ」と。
 共同声明には「特別な戦略的パートナーシップ」との文言が盛り込まれたが、この文言は7月の日豪首脳共同声明でも使われている。同盟国である米国を中心に、ベトナム、フィリピン等との安保協力を進めてきたわが国は、豪印両国との連携も進み、ダイヤモンド構想は完成に近づいていると見られる。

 安倍首相は、東京裁判で判事を務め、被告全員の無罪を訴えたパール判事を尊敬している。第1次政権時代の平成19年8月にインドを訪問した際には、東京裁判で判事を務め、被告全員の無罪を訴えたパール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会した。モディ首相は1日夜の安倍晋三首相との夕食会で、パール判事の功績をたたえ、「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と述べた。



 またモディ首相は、日本滞在中、第二次大戦のインパール作戦に従事して、インド国軍の創始者ネタジ・チャンドラ・ボースと共にイギリス軍と戦った99歳の日本兵、三隅(みすみ)佐一郎氏と面会した。モディ氏は、その日本人男性に、インド式の最敬礼をして、敬意を表した。この面会は、インド紙が大々的に報道したことで、日本でも知られる至ったが、わが国のマスメディアは、ほとんど報じることがなかった。
http://bakankokunews.blog.fc2.com/blog-entry-3145.html#OottLct.twitter_tweet_count_m
 インドは、戦前、戦後、そして今も、一貫して重要な親日国である。インドの経済成長とともに、その重要性は、今後ますます大きくなっていく。今回の安倍=モディ共同声明が日印関係の一層の発展を軌道に乗せたことを喜びたい。
 以下は関連する報道記事。

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 ●産経新聞 平成26年9月2日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140902/plc14090200220002-n1.htm
日印共同声明の骨子
2014.9.2 00:22

 「日印特別戦略的グローバル・パートナーシップに関する東京宣言」(骨子)

 【政治、安全保障】
 ・年次首脳会談の継続、外務・防衛閣僚協議(2プラス2)の設置を検討、外相間戦略対話と防衛相会談の年内実施
 ・海上共同訓練の定期化、印米海上共同訓練への日本の継続的参加
 ・防衛装備協力の推進を目的とした事務レベル協議の開始
 ・海上自衛隊の救難飛行艇「US2」の輸出交渉加速
 ・原子力協定交渉の進展を歓迎

 【地域、世界平和】
 ・日本の積極的平和主義を支持
 ・日米印外相会合の開催
 ・北朝鮮による核・ミサイル問題への懸念を表明
 ・国連安保理改革で連携
 【経済】
 ・日印投資促進パートナーシップの立ち上げ。対印の直接投資額、日本企業数を5年間で倍増。5年間で官民合わせて約3・5兆円の対印投融資。インドのインフラ金融公社に500億円の円借款供与
 ・日本へのレアアース(希土類)輸出の早期実現

 【その他】
 ・日印留学生数の大幅増、スポーツ交流促進
 ・女性政策での協力
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関連掲示
・拙稿「パール博士は「日本人よ、日本に帰れ」と訴えた」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/j-mind08.htm
 目次から08へ
・拙稿「インドの独立にも日本人が貢献」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/j-mind06.htm
 目次から19へ
・拙稿「インドへの協力・連携の拡大を~シン首相の国会演説と日印新時代」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12d.htm
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高校で日本史必修、近現代史新設へ

2014-09-29 08:47:21 | 教育
 文部科学省は、平成28~29年度に予定される学習指導要領の全面改定にあたり、高校での日本史を必修化する方針と、8月中旬に報じられた。また、日本史と世界史を統合した科目「近現代史」を新設する検討を始めたとも報じられた。文科省は、高校日本史の必修化を秋にも中央教育審議会に諮問する方針だが、その際、近現代史の新設も議論の対象となる見通しという。
 私は、高校日本史の必修化に賛成である。また近現代史をしっかり教えることは極めて重要だと思う。わが国の歴史教育は、現在小中学校の社会科で日本史を中心に学び、高校では、世界史が必修、日本史と地理が選択科目になっている。小中学校の日本史は基礎的な知識を得るにとどまるから、日本の歴史を深く学び、自国の歩みや伝統・文化に誇りを持つことができるようにするには、高校で日本史を必修とすることが望ましい。高校の選択科目で日本史を履修していない学生は、歴史に関する常識的な知識にも欠けやすい。
 日本史の授業は古代から始まり中世・近世と進むため、近現代史は、十分時間を当てて教えられない。そのため、明治以降の日本の歩みについて、国際社会で自国の立場をきちんと主張できる人材を育てられていない。日教組による自虐史観を真に受け、歴史認識をめぐる中国・韓国の日本批判に対してポイントを得た反論ができない。もっと近現代史をしっかり学ぶようにする必要がある。
 今回、文科省が検討している日本史と世界史を統合した「近現代史」の新設は、近現代史の教育を重視するものとして注目される。日本史と世界史の近現代の部分を統合するには、世界の歴史の中の日本という座標軸が明確に打ち立てられなければならない。世界史の付け足しとして、もう一つの各国史として日本を加えるだけなら、大して教育効果は見込めないだろう。また、日本史は必修で、選択科目の一つとして世界史、地理のほかに近現代史が追加されるのであれば、近現代史を欠く日本史だけを履修する学生も出るのはよくない。どういう風に、日本史と世界史を統合した近現代史を構成するのか、またその場合、日本史・世界史の科目はそれぞれどういう風に改編するのか、日本史にも一応近現代史の部分はあり、それとは別に拡充た科目として近現代史を設けるのか等、具体的な構想を示してもらいたいところである。
 近現代史の新設がよいかどうかは、その構想によると思う。私は、現在の日本史という科目のままでも、近現代史に重点を置いた教育はできると思っている。歴史を近現代史から教えるという方法を取るのである。まず近現代史を教え、それから歴史をさかのぼって教える。私はこの方法を10数年前から支持している。
 いまの学校の授業では、原始時代から始まり、明治以降や戦後史などは3学期となってしまい、ほとんど教えられていない。しかし、なんのために歴史を学ぶのかを考えると、自分たちの時代のことを学ぶほうが大切である。近現代史から初めて、そうなってきたわけを探っていくと、ずっと歴史が面白く感じられると思う。
 教科書の内容を、現代からはじめ、平成→昭和→大正→明治→江戸等とさかのぼる構成にする方法もある。歴史を現代から古代へとさかのぼる仕方で書いた名著がある。梅干し博士と呼ばれた樋口清之氏の『逆(さかさ)日本史』である。樋口氏は、日本の歴史を、戦後から始める。そして、戦後の日本がこうなってきたわけを、明治、江戸等と、古代までさかのぼっていく。この構成が絶妙で、読み物として面白く書かれている。その時代、その時代の日本人の姿や、生活・文化、登場人物たちのエピソードなど、歴史嫌いの人でも楽しめる内容になっていると思う。山本七平氏、渡部昇一氏などが、『逆・日本史』を絶賛している。祥伝社の文庫で読める。
 『逆(さかさ)日本史』を参考例として、歴史を逆にさかのぼる教科書をつくって、日本史を必修にすれば、高校生全員が日本史と日本を中心とした近現代史を学ぶことができる。世界の歴史の中の日本ということを強調したいのであれば、平成から幕末の部分に、世界史的観点の記述を手厚く盛り込めばよいだろう。

 最大のポイントは、どの方法を取るにしても、この改革を機会に、米ソ相乗りの東京裁判の判決に盛られた歴史観、さらに、これに中韓の反日思想を加えた自虐史観を廃棄し、日本人の立場に立ち、日本人としての誇りの持てる近現代史を、青少年にしっかり教えることである。
 なかでも慰安婦問題については、積極的な対処が必要である。9月24日の日記に書いたが、高校の教科書の多くには、今も「若い女性が強制的に集められ、日本兵の性の相手を強いられた人たち」「女性のなかには、日本軍に連行され、『軍』慰安婦にされる者もいた」「朝鮮人女性などの中には従軍慰安婦になることを強要されたものもあった」等の記述がされている。「強制連行」という文言は使われていないが、「強制的」「連行」「強要」等、日本の官憲による強制連行があったかのように誤解させる文言を、放置してはいけない。こうした記述は、速やかに訂正すべきである。 
 以下は、関連する報道記事。

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●産経新聞 平成26年8月17日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140817/edc14081710100001-n1.htm
高校に「近現代史」新設検討 文科省、日本史必修化で
2014.8.17 10:10

 平成28、29年度にも予定される学習指導要領の全面改定にあたり、文部科学省が高校の地理歴史科で、日本史と世界史を統合した科目「近現代史」を新設する検討を始めたことが16日、関係者への取材で分かった。文科省は、高校日本史の必修化を秋にも中央教育審議会に諮問する方針だが、その際、近現代史の新設も議論の対象となる見通し。
 文科省関係者によると、近現代史の新設は、文科省が目指す高校日本史の必修化に伴う措置。単純に必修科目を増やしただけでは生徒や教員の負担が大きくなるため、必修科目の入れ替えや複数科目の統合が必要になるが、近現代史を学ぶ現行の「日本史A」と「世界史A」を統合して新科目を創設する案が浮上しているという。
 また、先の大戦をめぐり中国や韓国が日本への批判を強める中、明治以降の日本の近代化の歩みを世界史と関連づけながら深く学ばせることで、国際社会で自国の立場をきちんと主張できる日本人を育成する狙いもあるとみられる。
 高校社会科は元年の学習指導要領改定で「地理歴史」と「公民」に分割。歴史は小中学校の社会科で日本史を中心に学ぶため、高校では現在、世界史が必修、日本史と地理が選択科目になっている。
 しかし文科省では、戦後教育の中でなおざりにされてきた日本人としてのアイデンティティー育成には、高校で自国の歴史をじっくりと学ばせる必要があると判断。次の学習指導要領改定で高校日本史を必修化する方針を固めている。
 学習指導要領は小中学校が28年度、高校が29年度に改定される見通し。

◆学習指導要領
 学校で教えなければならない学習内容をまとめたもので、文部科学省が定める最低基準。約10年ごとに、文科相の諮問機関である中央教育審議会が審議した上で改定される。教科書作成などのため、改定してから3、4年を経て全面実施される。
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関連掲示
・拙稿「慰安婦問題:高校教科書の記述を訂正すべき」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/e4203f69509ed2fc61d1781b160c1d8b
・拙稿「教科書を改善し、誇りある歴史を伝えようーー戦後教科書の歴史と教科書改善運動の歩み」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion06c.htm
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人権115~ユダヤ人の自由と権利(続)

2014-09-27 08:54:43 | 人権
●ユダヤ人の自由と権利の拡大(続き)

 イギリス市民革命は、イギリスのユダヤ人の自由と権利を拡大し、西洋におけるユダヤ人の自由と権利を拡大する端緒となった。
 イギリスでは、1290年にユダヤ人が追放された。以後、公式に撤回することはなかったが、17世紀後半になると事実上、ユダヤ人の居住を再び認め始めた。彼らの経済的能力への評価による。ピューリタン革命は、ユダヤ人に対する政策が再検討されるきっかけとなった。清教徒たちは、英訳の旧約聖書を読み、ユダヤ人に尊敬の念を持つようになった。クロムウェルは、ユダヤ人の経済力が国益にかなうという現実的判断をし、寛大な政策への道を開いた。王政復古後のチャールズ2世も同様にユダヤ人に対して正式に居住を認めた。理由は、イギリスの商人を守るよりユダヤ人を保護する方が経済的にずっと大きな利益が得られると判断したからだった。こうして17世紀末までには、ユダヤ人が正式にイギリスに住むことが出来るようになった。
 名誉革命は、さらにユダヤ人の地位を高めた。名誉革命は、オランダからオレンジ公ウィレムを招聘して、国王を交代させたが、そこにはユダヤ人の関与があった。
 17世紀後半の西欧は、「朕は国家なり」の句で知られる絶対君主の典型、太陽王ルイ14世が大陸を軍事的に制圧していた。ルイ14世は、イギリス、オランダと国際政治・国際経済の主導権を争い、4次にわたり絶対主義戦争を繰り返した。フランスに対抗して大連合が組まれ、ルイ14世の支配は打ち砕かれた。その際、資金を調達したのは主にユダヤ人だった。1672年から1702年にかけてオランダ統領のウィレムが連合軍を指揮したが、資金と食糧を調達したのは、オランダのユダヤ人グループだった。
 ウィレムこそ、後の英国王ウィリアム3世に他ならない。名誉革命では、1688年に、ユダヤ人のロペス・ソアッソ一族がウィレムに英国出兵の経費として200万グルデンを前貸しした。新国王が誕生すると、大勢のユダヤ人金融業者がロンドンに移り住んだ。ロンドンではウィリアムの時代に金融市場が発達したが、その創設にはユダヤ人が関った。名誉革命を通じて、国際金融の中心は、アムステルダムからロンドンに移った。シティの繁栄は、ユダヤ人の知識・技術・人脈によるところが大きい。
 ユダヤ人の自由と権利がさらに大きく拡大されたのは、フランス市民革命による。フランスでは、8世紀のシャルルマーニュ(カール)大帝はユダヤ人を「王の動産」として保護した。ところが、カトリック教会の権威が増大すると、ユダヤ人に対する迫害が進み、1394年には追放に至った。それがフランス革命を機に一転した。1789年8月、国民議会は人権宣言を採択した。その第1条に「人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」と謳われたが、これがユダヤ人にも適用されるようになった。91年9月、国民会議はユダヤ人解放令を出し、フランスのユダヤ人に完全な市民権を認めたのである。解放令と言っても、当時、フランス中央部にはパリ在住の個人を除いて、ユダヤ人はいなかった。中央部のフランス人はユダヤ人を知らずに、自らの普遍主義の理想を実現するために、ユダヤ人の解放を決めたのだった。
 フランスで市民権が認められた事実は他の国にも影響し、1796年にはオランダ、1798年にはイタリアのローマ、1812年にはプロシアというように、次第にユダヤ人の平等権が保障されるようになった。しかし、ナポレオンの敗北後、フランス以外では以前の状況に戻るなど、歩みは一様ではなかった。
 ここで特筆すべきは、ロスチャイルド家の繁栄である。1743年、フランクフルトでユダヤ人の金匠モーゼス・アムシェル・バウアーが、古銭商の店を開いた。息子のマイヤーは、家名を店の名の「赤い盾」、ドイツ語のロートシルトに変えた。ロスチャイルド家は、その時に始まった。マイヤーは、長男に本拠地のフランクフルトを継がせ、他の四人の息子をウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに送り、その地でそれぞれ銀行を設立させた。ロスチャイルドの息子たちは、その国の王侯・貴族と取引して巨富を得て、その国の主要な銀行家となり、他を圧倒していった。なかでも、ロンドンのネイサンは、産業革命の進むイギリスで木綿製品の事業に成功し、シティで地歩を固めた。
 ナポレオン戦争は、ロスチャイルド家に飛躍をもたらした。各国に戦争のための資金を貸し出して巨額の債権を得、また戦争を通じた投機で大もうけをしたのである。市民革命の時代を超える話になるが、19世紀後半には、イングランド銀行を始め、西欧の主要国のほとんどの中央銀行が、ロスチャイルド家の支配下に入ったり、ロスチャイルド家の所有銀行が中央銀行となったりした。一族は莫大な富と権力を掌中にした。イギリスでは、政府に重用され、上流社会に入り、国会議員にも列する者が出た。
 市民革命後のユダヤ人の自由と権利の拡大は、ロスチャイルド家等のユダヤ人資本家の繁栄によるところが大きい。その一方、彼らへの反発から反ユダヤ感情も強まった。19世紀末にはフランスでドレフュス事件が起こり、反ユダヤ主義が高揚した。これに対して、ユダヤ人の側では、シオニズムが起こった。20世紀にはナチスによる迫害・虐待が行われた。第2次大戦後、ユダヤ人の自由と権利が国際的に保障されるようになったのは、国際連合や世界人権宣言による。背後には、ユダヤ人の国際的な働きかけがあったものと思われる。その一方、ロスチャイルド家が資金を出したイスラエルの建国は、パレスチナ住民の権利を侵害し、中東に深刻な対立構造を生み出した。ユダヤ人の自由と権利の拡大は、人類全体の人間的な権利の発達に、十分つながっていない。

 次回に続く。
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北朝鮮が拉致再調査でまた約束破り

2014-09-26 08:52:16 | 国際関係
 日朝政府間協議に基づいて設置された北朝鮮の特別調査委員会は、7月から活動を始めた。日本人拉致問題に関して全面的な再調査を行い、「夏の終わりから秋の初め」に最初の調査結果報告を行うことだった。ところが、9月の3週目に入っても音沙汰がなく、日本政府が問い合わせると、「調査は全体で1年程度を目標としており、現在はまだ初期段階にある。現時点で、この段階を超えた説明を行うことはできない」と通告してきた。またしても北朝鮮による約束破りである。私としては予想したような展開となり、残念である。
 北朝鮮の通告に対し、岸田文雄外相は、日本と北朝鮮の外務省局長級協議を中国・瀋陽で29日に開催すると発表した。局長級会議には、伊原純一外務省アジア大洋州局長、宋日昊(ソン・イルホ)・朝日国交正常化交渉担当大使が出席し、日本政府は再調査の進捗状況を確認し、調査結果を早急に示すよう強く要求するという。

 振り返ると、北朝鮮は、今年に入ってそれまでの態度を変えてきた。特別調査委員会による再調査が、その結果だが、態度の変化には、2つの理由が考えられる。
 第1の理由は、国連人権理事会による非難決議である。本年2月17日、国連北朝鮮人権調査委員会が最終報告書を公表した。これを受けて、3月28日国連人権理事会は、北朝鮮による国家ぐるみの人権侵害行為は「人道に対する罪」と非難する決議を賛成多数で採択した。決議は、拉致被害者らの帰国、全政治犯収容所の廃止と政治犯の釈放等を要求し、犯罪に関与した人物の責任を追及するよう明記した。人権状況を今後も把握するため「実態の監視と記録を強化する組織」の創設を盛り込んだ。また、国連安保理に対し「適切な国際刑事司法機関」への付託の検討を勧告した。そのため、北朝鮮は国際社会の非難を和らげる必要を感じたのだろう。この決議を前もって意識してか、北朝鮮は今年に入り、にわかに「人道的なふり」してきた。例えば3月初め、日本に赤十字会談を提案してきたのが、それである。
 第2の理由は、経済制裁が効果を上げていることである。金正恩政権は統治のために最低限必要な外貨も枯渇する苦境に陥っている。日本が対北貿易を全面禁止して、有力な外貨獲得源だった松茸や水産物を輸出できなくなったことが大きい。昨年末の張成沢前国防副委員長の処刑には、政権内部署間の外貨争奪が背景にある。親中派の張の処刑により、中朝間が急速に冷え込んだ。中国の対北石油輸出は統計上、ゼロであり、貿易全体も減少している。昨年、韓国の朴槿恵大統領が国賓として訪中したのに、金正恩は北京を訪問できていない。そのため、北朝鮮は、国際関係の改善のため、日本に接近する必要に迫られたのだろう。強い圧力をかけて北を交渉の場に引きずり出すというわが国の戦略の第1段階が成功したといえるだろう。
 北朝鮮側の態度の変化により、日朝両政府は3月、安倍政権下で初めての公式協議を約1年4カ月ぶりに再開させた。5月26~28日には、スウェーデンのストックホルムで外務省局長級会合による日朝政府間協議が開催された。安倍首相は、北朝鮮による拉致被害者の安否についての再調査に関し、北朝鮮側が「拉致被害者と拉致の疑いが排除されない行方不明者を含め、すべての日本人の包括的な全面調査を行うことを約束した」と発表し、「全面解決へ向けて第一歩となることを期待する」と述べた。

 北朝鮮は特別調査委員会を設置し、調査をスタートした。日本政府は北朝鮮に対する制裁を一部解除し、「適切な時期に人道支援の実施も検討する」と発表した。そして、調査の開始を以て、北朝鮮に対する3つの制裁を解除した。人的往来の規制措置、送金に関する措置、人道目的の北朝鮮籍船舶の入港規制措置の解除である。解除の実質的な内容は、総連幹部の北との自由往来の許可、総連人士による北への送金規制の緩和、総連が北に食糧・医薬品などを送る北船舶の入港許可の3つである。すべて総連活動への制限緩和につながる内容となっている。
 北朝鮮問題の専門家・西岡力氏によると、金正恩は本年1月、「朝鮮総連を再建せよ、そのため日本に接近せよ」との特別指令を出したという。指令の内容は、金日成・金正日が作り育てた朝鮮総連が崩壊直前になっている。多くの在日朝鮮人が総連を離れている。自分の代で総連を潰すことはできない。脱退者がこれ以上出ないように思想教育を強化せよ。総連再建のため日本と交渉し圧力を止めよ、というものだという。
 それゆえ、北朝鮮にとって、これら3つの制裁の解除は、有益なものだったろう。だが、再調査の約束は、もともと6年前に日朝間でなされたものである。それを北朝鮮は一方的に約束を破って、放置してきた。その再調査をようやく実行するというだけである。それゆえ、調査を開始しただけで制裁を解除することが、本当に適切な対応だったのかどうかについては、疑問の声が上がった。北朝鮮は、これまでに何度も約束を破っており、果たしてまともな調査をし、誠意ある報告をするかどうかが疑わしい。今回は全面解決を期待する気持とともに、また裏切られるのではないか、という思いが交錯するーーという日本人が多かったのではないか。

 冒頭に触れた今回の北朝鮮の通告は、またまた期待を裏切られるものだった。日本側が、前もって伝えられた調査報告の概要に対し、これでは受け入れられないと突っぱねたため、北朝鮮がとまどっているのではないかという見方がある。また北朝鮮は、日本側との条件闘争に入っており、さらなる制裁解除を条件にして、調査の進捗や報告の内容を変えようとしているという見方もある。
 北朝鮮が最も強く求めているのは、在日本朝鮮人総連合会中央本部ビルの継続使用と、貨客船「万景峰(マンギョンボン)92」の入港許可だろう。
 日朝政府間協議で、北朝鮮側は、朝鮮総連ビルの売却問題を持ち出したという。日本側はこの問題は裁判になっており、政府は司法に介入できないといと説明したが、北朝鮮側はこれを理解しなかったと伝えられる。
 総連中央本部は北朝鮮の大使館としての機能を持つ。対日工作の一大拠点である。破綻した在日朝鮮人系の信用組合の不正融資事件にからみ、総連に対し約627億円の債権を持つ整理回収機構が総連本部の土地建物の強制競売を申し立て、東京高裁が高松市の不動産関連会社への売却を許可した。総連側は不服として最高裁に特別抗告したが、これは日本の司法が判断する問題である。政府間の外交の場で交渉する問題ではない。
 万景峰号の入港禁止は、制裁解除で最後の対象とすべき措置である。総連ビルは、民間企業に売却されるものゆえ、日本国政府が関与する事柄ではない。それゆえ、万景峰号の入港禁止は、最後の切り札となる。この船は工作員、現金、IT情報、重要機器等を運ぶ手段である。その出入りを安易に許可してはならない。

 北朝鮮による特別調査委員会が行う課題は、4つある。(1)日本政府認定の拉致被害者の調査、(2)未認定の拉致被害者の調査(3)引き揚げ者などの遺骨の調査(4)戦前から北に住む日本人や帰国在日朝鮮人の配偶者などに関する調査である。
 西岡力氏は、産経新聞平成26年9月22日付の記事で、これらのうち、日本政府認定の拉致被害者12名の再調査未認定だが拉致の可能性のある行方不明者約900人の調査は「人数からしても、『初期段階』の調査で(1)と(2)の調査結果は出せるはずだ。そもそも菅義偉官房長官が明言しているように、北朝鮮は拉致被害者の現況を把握しているのだから、(1)と(2)は改めて調査する必要などない」と述べている。そして「北が行うという調査は、2002年に金正日総書記が行ったウソの説明を覆す手段としてだけ意味がある。なぜなら、拉致被害者の名簿は既に後継指導者、金正恩第1書記の手中にあるからだ」という。
 西岡氏は、次のように観測している。「北朝鮮は今、日本の世論の動向を見極めているのだろう。拉致被害者を何人、どのような形で返せば、手に入れたい制裁解除、総連からの送金復活、人道支援などにつながるのか計算している」と。
 そして、次のように主張している。
 「何人か帰ってきたら、『行動対行動』原則で見返りを与えるべきだとの論者も一部いる。しかし、そうするかどうかを決めるのは、全ての拉致被害者に関する調査結果が出た後でなければならない。数人が帰国できたとしても、他の被害者が再び証拠もなく『死亡』とされたりするなら、誠実な回答とは言えない。最悪の場合、被害者を殺害して死亡の証拠とすることもやりかねないテロ国家を相手に、被害者全員の帰還交渉をしているとの緊張感が不可欠だ。
 足して2で割るような通常の外交交渉の手法を取ったら、必ず失敗する。拉致を実行し未だに被害者を抑留し続けている『テロ犯』との被害者解放交渉である。
 全ての被害者が無事に助け出されなければ、交渉は成功とは言えない。その点で、妥協の余地はないことを強調しておきたい」と。
 私は、特に最後の「拉致を実行し未だに被害者を抑留し続けている『テロ犯』との被害者解放交渉である」という点が重要だと思う。政府関係者には、普通の外交交渉とは違うということを肝に銘じて当たってほしい。
 以下は西岡氏の記事。

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●産経新聞 平成26年9月22日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140922/kor14092205010001-n1.htm
【正論】
北の約束破りを許してはならぬ 東京基督教大学教授・西岡力
2014.9.22 05:01

 またしても北朝鮮の約束破りである。7月に活動を始めた特別調査委員会は「夏の終わりから秋の初め」に最初の調査結果報告を行うとしていた。だが、9月の3週目に入っても音沙汰がなく、日本側が問い合わせると、「調査は全体で1年程度を目標としており、現在はまだ初期段階にある。現時点で、この段階を超えた説明を行うことはできない」というわけの分からない説明をしてきた。

≪報告先延ばしは見返り狙い≫
 特別調査委は4つの分科会を持つ。(1)日本政府認定の拉致被害者を調査する「拉致被害者分科会」(2)未認定の拉致被害者を担当する「行方不明者分科会」(3)引き揚げ者などの遺骨を取り扱う「日本人遺骨問題分科会」(4)戦前から北に住む日本人や帰国在日朝鮮人の配偶者などに関する「残留日本人・日本人配偶者分科会」である。
 (1)は12人、(2)は約900人(拉致の可能性ありと警察発表)、(3)は約2万人、(4)は7千人以上が対象だ。人数からしても、「初期段階」の調査で(1)と(2)の調査結果は出せるはずだ。そもそも菅義偉官房長官が明言しているように、北朝鮮は拉致被害者の現況を把握しているのだから、(1)と(2)は改めて調査する必要などない。にもかかわらず、約束を違(たが)えて最初の報告を先延ばししたのは、拉致という国家犯罪を行った側の取るべき態度ではない。強く抗議する。
 北朝鮮はなぜ約束を守らなかったのか。10日に平壌で記者会見した宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使の発言を検討すると、理由がよく分かる。宋大使は、すでに調査報告はできているものの日本側が伝達してほしいと言ってこないので渡さないだけだと強弁しつつ、信頼醸成のため日本側のさらなる措置が必要だなどと述べた。調査結果がほしければ、追加で制裁解除をせよというわけだ。
 日本の態度次第で調査期間が延びるかもしれないとも脅した。日本政府は最初の調査結果を約束通りに伝えてくるよう求めていたのだから、宋発言は虚構なのだが、彼が日本のメディアを通じて言おうとしたのは、最初の報告前に見返りを寄越せということだ。

≪総連継続使用と万景峰入港≫
 水面下の交渉で北側は、最初の調査結果報告の見返りに朝鮮総連中央本部の継続使用を保証し万景峰号の日本入港を認めるよう求めてきたという情報がある。日本側が、前者は司法手続きに入っていて時間がかかると説得したため、焦点は後者になったという。
 北朝鮮は、日本が入港を約束したから、カネをかけてロシアの技術者を呼び入港基準に合うよう改造まで行ったとして、万景峰号受け入れを迫った。日本側はそのような約束はしていない、調査結果を見ないうちに制裁を追加解除できないと突っぱねたという。
19日に伊原純一・外務省アジア大洋州局長から説明を受けた拉致被害者家族会のメンバーは口をそろえて、「焦らないでほしい、毅然(きぜん)たる姿勢を貫き、全被害者の救出を実現してほしい」と語った。調査結果を小出しにして、その都度、制裁解除や人道支援を引き出そうとする北の狙いに乗せられてはならない、と政府に忠告したのだ。時間の経過に誰よりも焦りを感じているはずの家族会メンバーの冷静さには頭が下がった。
 安倍晋三首相も「形ばかりの報告には意味がない。北朝鮮は誠意を持って調査し全てを正直に回答すべきだ」「北朝鮮がどういう対応をするかは誰よりも知っているという自負があります」と、家族会とは歩調を合わせている。

≪テロ国家との交渉の覚悟を≫
 大切なのはこれからだ。安倍政権は北朝鮮との交渉に当たり、(1)拉致問題最優先(2)被害者の安全確保(3)拉致問題の一括解決-というもっともな3方針を定めた。
 北が行うという調査は、2002年に金正日総書記が行ったウソの説明を覆す手段としてだけ意味がある。なぜなら、拉致被害者の名簿は既に後継指導者、金正恩第1書記の手中にあるからだ。
 北朝鮮は今、日本の世論の動向を見極めているのだろう。拉致被害者を何人、どのような形で返せば、手に入れたい制裁解除、総連からの送金復活、人道支援などにつながるのか計算している。
 何人か帰ってきたら、「行動対行動」原則で見返りを与えるべきだとの論者も一部いる。しかし、そうするかどうかを決めるのは、全ての拉致被害者に関する調査結果が出た後でなければならない。数人が帰国できたとしても、他の被害者が再び証拠もなく「死亡」とされたりするなら、誠実な回答とは言えない。最悪の場合、被害者を殺害して死亡の証拠とすることもやりかねないテロ国家を相手に、被害者全員の帰還交渉をしているとの緊張感が不可欠だ。
 足して2で割るような通常の外交交渉の手法を取ったら、必ず失敗する。拉致を実行し未(いま)だに被害者を抑留し続けている「テロ犯」との被害者解放交渉である。
 全ての被害者が無事に助け出されなければ、交渉は成功とは言えない。その点で、妥協の余地はないことを強調しておきたい。(にしおか つとむ)
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関連掲示
・拙稿「北朝鮮による拉致とは何か」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08e.htm
 年表を更新しました。
・拙稿「拉致は「人道に対する罪」と国連人権委が報告書」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/45722276f96683eb41ff6972c88cd77a
・拙稿「「北の人権」に中韓は責任果たせ~西岡力氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/defc682cc3b64e6b047551ef5d41d6ea
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慰安婦問題:高校教科書の記述を訂正すべき

2014-09-24 09:43:06 | 慰安婦
 朝日新聞は、吉田清治証言に関する記事の取り消しを行ったが、下村博文文科相は、「現行の教科書には、吉田証言に関する記述がない」として、教科書会社に記述の訂正を求めない姿勢を示した。しかし、慰安婦問題の核心は日本の官憲による強制連行があったかどうかにあり、吉田証言は強制連行を行ったという虚偽の証言によって重大な誤解を生んだ。それゆえ、文科相は教科書会社に慰安婦問題に関する記述に関して訂正を勧告すべきである。
 教科書に慰安婦問題が登場したのは、平成2年から新検定制度が実施されたことによる。この時の新制度で、文部省(当時)が執筆者の意向を大幅に許容する姿勢に変化した。その結果、昭和40年の家永裁判の第1次教科書訴訟以来、争点となっていた大東亜戦争に関する偏向した記述が、フリーパスで素通りした。まず高校教科書に、「従軍慰安婦」をはじめ、関東軍731部隊(細菌戦部隊による生体実験)、「南京大虐殺」、朝鮮人の強制連行等の学界で論議を呼び、事実認識が確定していない事柄が、そのまま教科書に掲載された。
 慰安婦問題は、続いて中学の歴史教科書にも掲載された。これは平成5年の河野談話がきっかけだった。河野談話は、吉田証言の虚構が明らかになった後に出されたものである。吉田証言は、平成4年3月、歴史家の秦郁彦氏が済州島に現地調査し、虚構らしいことを確認していた。それにもかかわらず、河野洋平官房長官が、慰安婦に関し強制性があったという認識を示した。その影響で、平成7年度検定の中学歴史教科書に一斉に慰安婦問題が記述された。義務教育で慰安婦について教えることは極めて不適切だった。
 これには国民の批判が多く、平成18年から使用する中学の教科書は、各社版すべてに記載がなくなった。約10年かかった。だが、本丸は高校の教科書である。高校の教科書の多くには、今も「若い女性が強制的に集められ、日本兵の性の相手を強いられた人たち」「女性のなかには、日本軍に連行され、『軍』慰安婦にされる者もいた」「朝鮮人女性などの中には従軍慰安婦になることを強要されたものもあった」等の記述がされている。
 「強制連行」という文言は使われていないが、「強制的」「連行」「強要」等の文言を文科省がパスしている。これは、おかしい。慰安婦には、親が娘を売った場合や朝鮮人業者にかどわかされた場合があっただろうが、それが本人の「意に反して」いたとしても、日本の官憲とは直接関係ない事柄である。日本の官憲による強制連行があったかのように誤解させる文言を、放置してはいけない。下村文科相は教科書会社に慰安婦問題に関する記述に関して訂正を勧告すべきである。
 以下は関連する報道記事。

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●産経新聞 平成26年9月13日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140913/edc14091322130005-n1.htm
【朝日慰安婦誤報】
高校教科書記述どうなる 一部出版社「訂正を検討」
2014.9.13 22:13

 朝日新聞の報道で国内外に広がった日本軍による慰安婦の強制連行説。国内では一時、全ての中学歴史教科書に「慰安婦」が掲載されるなどの大きな影響を与えた。高校ではいまだに「連行」「強いられた」といった軍による強制連行を強くうかがわせる記述が横行しているが、8月の朝日の「誤報」表明を受け、記述の訂正を検討する教科書会社も出てきた。(河合龍一)

15冊中13冊に
 平成23、24年度に教科書検定に合格した現行の高校日本史教科書は6社15冊あり、このうち13冊に慰安婦に関する記述がある。
 「若い女性が強制的に集められ、日本兵の性の相手を強いられた人たち」。実教出版の「高校日本史A」は「軍が関与した慰安婦問題」との見出しをつけて慰安婦について説明した。
 清水書院の「日本史A」は「女性のなかには、日本軍に連行され、『軍』慰安婦にされる者もいた」、山川出版社の「新日本史B」は「朝鮮人女性などの中には従軍慰安婦になることを強要されたものもあった」などと、各社差はあるが、いずれも日本軍による強制連行があったかのような印象を与える記述ぶりだ。

河野談話契機
 強制連行説は朝日が昭和57年に「若い朝鮮人女性を『狩り出した』」などとする自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の講演記事を掲載し、この「吉田証言」をキャンペーン報道したことから国内外に広がった。
 朝日報道を受け、韓国メディアも集中的に報道し、慰安婦問題は政治・外交問題に発展。日本政府は平成5年、強制連行説には立たないものの「本人の意思に反して行われた」などの表現で慰安婦募集の「強制性」を認めた「河野談話」を出さざるを得なくなった。
 これを契機に、7年度検定の中学歴史教科書では、7冊全てで一斉に「慰安婦」「従軍慰安婦」「慰安施設」が記述された。その後、義務教育段階で教えることへの是非などが議論となって、記述する教科書はなくなった。
 そんな中、朝日は今年8月、吉田証言について「虚偽だと判断し、記事を取り消します」として誤報だったと認めた。強制性を認めた河野談話についても、6月に公表された政府の談話作成過程検討チームの報告書で、「強制連行を直接示す資料はない」との政府見解が再確認された。

各社に温度差
 高校日本史の教科書会社では記述内容の訂正を検討する社も出てきた。産経新聞の取材に対し、山川出版社は「朝日新聞の誤報の問題などを受け、これから検討する」、東京書籍も「慰安婦関係を含め編集委員会で検討する」と回答した。一方、清水書院は「吉田証言をベースに記述していないので訂正する予定はない」、第一学習社も「事実のみを記述しており、現時点では訂正は考えていない」。実教出版は「取材には答えられない」とした。
 慰安婦と教科書問題に詳しい拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「慰安婦問題は、吉田証言を基に言論界や政界に圧倒的影響力を持つ朝日新聞が報じなければ存在せず、教科書にも掲載されることはなかった。朝日新聞が吉田証言を嘘だと認めた今、慰安婦問題そのものが崩れたわけで、高校の全教科書から記述を削除すべきだ」と指摘している。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140913/edc14091322160004-n1.htm
【朝日慰安婦誤報】
文科省の検定すり抜け…「強制連行」×、「連行」○
2014.9.13 22:16

 高校の日本史教科書で、日本軍による慰安婦の強制連行を強くうかがわせる記述が教科書検定に合格するのはなぜなのか。
 文部科学省教科書課によると、慰安婦の記述についての主要な検定スタンスは、河野談話と「強制連行を直接示す資料はない」とする政府見解の2点。
 具体的には、軍が無理やり連れ去ったことはないが、民間業者が集めた女性を軍の船やトラックで移送した事実はあったので「強制連行」はアウトだが、「連行」だけならセーフ。「強いられた」「強要された」なども、「日本軍によって」と記述しなければセーフといった形だ。
 ある文科省幹部は「検定は明確な間違いでなければ修正を求めることはできないため、各社、主語を消すなど“言葉遊び”で検定をすり抜けている状態だ」と明かす。
 今回、朝日新聞が吉田証言の誤報を認めたが、下村博文文科相は「現行教科書には、吉田証言に基づく強制連行の記述がない」として、教科書会社に記述の訂正を求める必要がないとの考えを示している。だが、拓殖大学の藤岡信勝客員教授は「吉田証言は慰安婦問題の根幹。文科相は訂正勧告すべきだ」と訴える。
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関連掲示
・拙稿「教科書を改善し、誇りある歴史を伝えようーー戦後教科書の歴史と教科書改善運動の歩み」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion06c.htm
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朝日新聞に慰安婦記事を書きまくった清田治史教授が退職

2014-09-23 08:55:10 | 慰安婦
 朝日新聞に吉田清治証言を最初に書いたのは、植村隆元記者(現北星学園大学非常勤講師)ではなく、清田治史(きよた・はるひと)元記者だったことが明らかになっている。8月5日付けの朝日新聞の慰安婦誤報検証記事の中では「大阪社会部の記者(66)」として匿名にされていたのが、この清田氏である。
 清田氏は、昭和57年以後、吉田証言について何度も書き続けた。平成4年1月宮沢首相訪韓の直前には、「慰安所への軍関与示す資料」という1面トップ記事で、「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」と解説した。平成9年3月には、「従軍慰安婦 消せない事実」という特集記事で、吉田証言を「真偽は確認できない」としつつ、訂正はしなかった。
 清田氏は、この間、大阪社会部記者から東京本社外報部記者、マニラ支局長、外報部次長、ソウル支局長、外報部長、東京本社編集局次長、総合研究本部長、事業本部長を経て、最後は取締役(西部本社代表)にまで上り詰めた。
 朝日新聞社を退社した後、最近は清田氏は帝塚山学院大学人間科学部の教授を務めていた。中国・韓国との関係の深い国際理解研究所の所長も兼任していた。
 9月11日朝日新聞社の木村伊量社長が記者会見で、吉田証言の記事について謝罪した。その2日後、清田氏は13日付で同大学を本人の申し出で退職した。あわせて同大学の国際理解研究所所長を辞任した。
 朝日新聞の木村社長は、11日の記者会見で次のように言っていた。
 「慰安婦の問題は長い時間が経過した過去の事案について、関係者の責任をどう問うのか、かなり難しい側面があるという風に私は認識しています。会社を退職した方もいるし、亡くなっている方もいるし、私個人としては誰かの具体的責任を取ってさかのぼって処罰するのは難しい問題と考えているが、これも含めて新たに設置をお願いしている第三者委員会の結果を踏まえて総合的に判断していこうと思っています」
 このように答えた木村氏は、当然清田氏について知っていたはずである。第三者委員会に検証を委ねるとのことだが、都合の良い人選をして適当にごまかす可能性が高い。
 国会は、木村社長、清田元取締役、植村元記者を国会に参考人招致し、国民に対して事実を責任を明らかにすべきである。
 「週刊文春」は、9月11日の木村社長会見の前に、清田氏への直撃取材を行っていた。週刊文春Webは、9月8日付で下記の記事を掲示した。

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●週刊文春Web

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4339
「吉田証言」を最初に報じた朝日新聞元記者を直撃!
2014.09.08、週刊文春web

 朝日新聞が8月5日の慰安婦検証記事でようやく虚偽だったと認めた、吉田清治氏(故人)の証言。自分が慰安婦を強制連行したと話してきた吉田氏について、朝日新聞は1982年以降、少なくとも16回記事で取り上げている。32年前に最初の記事を報じたのが、現在、帝塚山学院大学で教授を務める清田治史氏だ。
 1982年当時、大阪社会部記者だった清田氏は吉田氏の講演内容を記事にし、次のように報じている。
 〈(昭和)十八年の初夏の一週間に(韓国の)済州島で二百人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」〉
 清田氏はその後、ソウル支局長や外報部長などを歴任し、2008年には取締役に就任している。
 今回の検証記事作成の過程で、朝日新聞の取材チームは清田氏からも話を聞いているが、検証記事では清田氏について、こう触れたのみだった。
〈執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す〉
 週刊文春は清田氏を直撃し、話を聞いた。
 「今回の検証記事は読みましたよ。思いはありますけど、会社の結論ですから異存はないというか。(82年の自分の記事について)削除とか一部誤報という結論を出しているわけですから、結果はそうだと受け止めているだけです」
 自身の誤報について、清田氏から最後まで反省の言葉は聞かれなかった。
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 この文春の記事の後、11日に木村社長の記者会見が行われた。その2日後の13日に、清田氏は帝塚山学院大学教授及び国際理解研究所所長を退職したという展開である。
 清田氏について、かつて朝日新聞社でその部下だったという元同紙論説委員・長岡昇氏は、清次のように書いている。

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●情報屋台

2014年09月06日11:49 慰安婦報道、一番の責任者は誰か
http://www.johoyatai.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=1136
 古巣の朝日新聞の慰安婦報道については「もう書くまい」と思っていました。虚報と誤報の数のすさまじさ、お粗末さにげんなりしてしまうからです。書くことで、今も取材の一線で頑張っている後輩の記者たちの力になれるのなら書く意味もありますが、それもないだろうと考えていました。
 ただ、それにしても、過ちを認めるのになぜ32年もかかってしまったのかという疑問は残りました。なぜお詫びをしないのかも不思議でした。そして、それを調べていくうちに、一連の報道で一番責任を負うべき人間が責任逃れに終始し、今も逃げようとしていることを知りました。それが自分の身近にいた人間だと知った時の激しい脱力感――外報部時代の直属の上司で、その後、朝日新聞の取締役(西部本社代表)になった清田治史氏だったのです。
 一連の慰安婦報道で、もっともひどいのは「私が朝鮮半島から慰安婦を強制連行した」という吉田清治(せいじ)の証言を扱った記事です。1982年9月2日の大阪本社発行の朝日新聞朝刊社会面に最初の記事が掲載されました。大阪市内で講演する彼の写真とともに「済州島で200人の朝鮮人女性を狩り出した」「当時、朝鮮民族に対する罪の意識を持っていなかった」といった講演内容が紹介されています。この記事の筆者は、今回8月5日の朝日新聞の検証記事では「大阪社会部の記者(66)」とされています。
 その後も、大阪発行の朝日新聞には慰安婦の強制連行を語る吉田清治についての記事がたびたび掲載され、翌年(1983年)11月10日には、ついに全国の朝日新聞3面「ひと」欄に「でもね、美談なんかではないんです」という言葉とともに吉田が登場したのです。「ひと」欄は署名記事で、その筆者が清田治史記者でした。朝日の関係者に聞くと、なんのことはない、上記の第一報を書いた「大阪社会部の記者(66)」もまた清田記者だったと言うのです。だとしたら、彼こそ、いわゆる従軍慰安婦報道の口火を切り、その後の報道のレールを敷いた一番の責任者と言うべきでしょう。
 この頃の記事そのものに、すでに多くの疑問を抱かせる内容が含まれています。勤労動員だった女子挺身隊と慰安婦との混同、軍人でもないのに軍法会議にかけられたという不合理、経歴のあやしさなどなど。講演を聞いてすぐに書いた第一報の段階ではともかく、1年後に「ひと」欄を書くまでには、裏付け取材をする時間は十分にあったはずです。が、朝日新聞の虚報がお墨付きを与えた形になり、吉田清治はその後、講演行脚と著書の販売に精を出しました。そして、清田記者の愛弟子とも言うべき植村隆記者による「元慰安婦の強制連行証言」報道(1991年8月11日)へとつながっていったのです。
 この頃には歴史的な掘り起こしもまだ十分に進んでおらず、自力で裏付け取材をするのが難しい面もあったのかもしれません。けれども、韓国紙には「吉田証言を裏付ける人は見つからない」という記事が出ていました。現代史の研究者、秦郁彦・日大教授も済州島に検証に赴き、吉田証言に疑問を呈していました。証言を疑い、その裏付けを試みるきっかけは与えられていたのです。きちんと取材すれば、「吉田清治はでたらめな話を並べたてるペテン師だ」と見抜くのは、それほど難しい仕事ではなかったはずです。
 なのに、なぜそれが行われなかったのか。清田記者は「大阪社会部のエース」として遇され、その後、東京本社の外報部記者、マニラ支局長、外報部次長、ソウル支局長、外報部長、東京本社編集局次長と順調に出世の階段を上っていきました。1997年、慰安婦報道への批判の高まりを受けて、朝日新聞が1回目の検証に乗り出したその時、彼は外報部長として「過ちを率直に認めて謝罪する道」を自ら閉ざした、と今にして思うのです。
 悲しいことに、社内事情に疎い私は、外報部次長として彼の下で働きながらこうしたことに全く気付きませんでした。当時、社内には「従軍慰安婦問題は大阪社会部と外報部の朝鮮半島担当の問題」と、距離を置くような雰囲気がありました。そうしたことも、この時に十分な検証ができなかった理由の一つかもしれません。彼を高く評価し、引き立ててきた幹部たちが彼を守るために動いたこともあったでしょう。
 東京本社編集局次長の後、彼は総合研究本部長、事業本部長と地歩を固め、ついには西部本社代表(取締役)にまで上り詰めました。慰安婦をめぐる虚報・誤報の一番の責任者が取締役会に名を連ねるグロテスクさ。歴代の朝日新聞社長、重役たちの責任もまた重いと言わなければなりません。こうした経緯を知りつつ、今回、慰安婦報道の検証に踏み切った木村伊量社長の決断は、その意味では評価されてしかるべきです。
 清田氏は2010年に朝日新聞を去り、九州朝日放送の監査役を経て、現在は大阪の帝塚山(てづかやま)学院大学で人間科学部の教授をしています。専門は「ジャーナリズム論」と「文章表現」です。振り返って、一連の慰安婦報道をどう総括しているのか。朝日新聞の苦境をどう受けとめているのか。肉声を聞こうと電話しましたが、不在でした。
 「戦争責任を明確にしない民族は、再び同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか」。彼は、吉田清治の言葉をそのまま引用して「ひと」欄の記事の結びとしました。ペテン師の言葉とはいえ、重い言葉です。そして、それは「報道の責任を明確にしない新聞は、再び同じ過ちを繰り返す」という言葉となって返ってくるのです。今からでも遅くはない。過ちは過ちとして率直に認め、自らの責任を果たすべきではないか。
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「現代の眺望と人類の課題」第2版をアップ

2014-09-21 08:49:09 | 現代世界史
 「現代の眺望と人類の課題」第2版をマイサイトに掲示しました。ブログに連載した1970年代以降の現代世界史は、第8章以下に当たります。まとめてお読みになりたい方は、下記へどうぞ。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09f.htm
 また、この機会に「現代の眺望と人類の課題」初版の第9章以下を独立させ、「現代世界の支配構造とアメリカの衰退」と題して別に掲示しました。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09k.htm
 以上、ご案内いたします。
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人権114~ユダヤ人の自由と権利の拡大

2014-09-20 10:03:44 | 人権
●ユダヤ人の自由と権利の拡大

 第4点として、ユダヤ人の自由と権利の拡大を述べる。
 私は、近代西欧における人権思想の発達は、ユダヤ人の存在と深い関係があると見ている。宗教改革から市民革命の時代、ユダヤ人は社会的な地位を徐々に高めていき、市民革命によって、ユダヤ人の自由と権利は、大きく拡大された。この変化はキリスト教社会において、彼らが経済活動によって富を蓄え、国家への影響力を持ったことによっている。
 中世のヨーロッパでは、キリスト教に改宗しないユダヤ人は異教徒として差別され、市民権を与えられず、職業は金貸し、税の集金等に限定された。12世紀から西欧のユダヤ人には銀行業や商業で成功する者も出たが、社会的地位は低かった。13世紀までには、ユダヤ人はイエス磔刑に処し、死に至らしめた罪により、永久に隷属的地位に置かれるべきだという教えが、カトリック教会で確立された。イギリス・フランス・ドイツ等多くの国でユダヤ人は追放された。中でもイスラム文明から失地を回復したスペインでは、ユダヤ人はキリスト教への改宗を強制された。改宗ユダヤ人(マラーノ)は、表向きはキリスト教だが、ひそかにユダヤ教を信じた。だが異端尋問が厳しくなった。1492年レコンキスタが成ると、すべてのユダヤ人が追放された。96年にはポルトガルでも同様となった。こういう具合ゆえ、西欧のユダヤ人には信教の自由が保障されていなかった。
 16世紀に西方キリスト教で、宗教改革が起こった。その旗手の一人、ルターは、ユダヤ人について、「彼らの財産を没収し、この有害で毒気のある蛆虫どもを強制労働に駆り出し、額に汗して自分の食べるパンを稼ぎ出させるべきだ。そして最終的には永遠に追放すべきだ」と説いた。一方、反宗教改革のために創設されたイエズス会は、ユダヤ人に改宗を強力に迫る運動を繰り広げた。1555年、教皇パウロ4世は、ローマとイタリア国内の教皇領のユダヤ人をゲットー内に隔離することを命じた。
 キリスト教社会で差別と迫害を受けるユダヤ人が、自らの地位を高めていったのは、類まれな経済的能力による。14~15世紀にはイタリア諸都市やスペイン、ポルトガルの繁栄に貢献した。ユダヤ人は商業・貿易・金融の知識を持ち、国際的なネットワークを持つ。彼らはある土地で追放されると、他の土地へ移り、そこで能力を発揮した。神聖ローマ帝国でも同様だった。1577年、ハプスブルク家の皇帝ルドルフ2世は、ユダヤ人に特権を与える勅許状を出した。ユダヤ人の財務能力が有益だと考えたからである。彼は大商人マルクス・マイゼルを最初の宮廷ユダヤ人として迎え入れた。以後、多くのユダヤ人が諸邦の宮廷に財務官あるいは財政顧問として入り、その後他の分野にまで関係していった。中欧のほとんどの国でユダヤ人は政府の財政を支配し、その影響力は1914年まで続く。
 1618年からのドイツ30年戦争では、神聖ローマ帝国の皇帝やドイツの諸侯は莫大な戦費を必要とした。ユダヤ商人はその需要に応じることができた。ユダヤ人から資金の提供を受けなければ、戦争はできなかった。資金と引き換えに居住許可が乱発された。30年戦争は、ユダヤ人の国家財政と軍事物資の供給への大々的な関与の始まりとなった。
 異教徒として蔑視や敵視をされながらも、経済的には諸国で欠かせない存在となったユダヤ人が、自由と権利を確保したのは、まずオランダにおいてだった。
 1580年、ポルトガルがスペインに併合され、隠れユダヤ人を厳しく追及し始めた。当時ヨーロッパで最も信教の自由が保障されていたのは、オランダだった。そのためポルトガルのユダヤ人の多くがアムステルダムに向かった。スペインのマラノも後に加わった。オランダの主要部は、絶対核家族が支配的で、自由主義的な家族型的価値観を持つ。プロテスタントが多く、ユダヤ人にも寛容だった。移住したユダヤ人は、アムステルダム銀行を作り、銀行業務を発展させた。が移住すると、アムステルダムは、17世紀に最高の繁栄を極めた。多くのユダヤ人が集まって豊かな生活を繰り広げたので、「オランダのエルサレム」と呼ばれた。ユダヤ商人は東インド会社・西インド会社に投資し、ギアナ、キュラソー、ブラジル等まで出かけて、オランダに富をもたらした。それとともに、ユダヤ人の自由と権利は確立された。ユダヤ人の地位改善がさらに進んだのは、市民革命による。

 次回に続く。
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慰安婦問題:スマラスワミ元特別報告官は修正を拒否

2014-09-19 10:28:42 | 慰安婦
 朝日新聞は8月5日、韓国・済州島で200人以上の女性を慰安婦にするため強制連行したとする故吉田清治氏の証言を虚偽だったと判断し、報道の一部を取り消した。9月11日には、木村伊量社長が記者会見で謝罪した。朝日新聞が吉田証言を事実として32年間にわたり記事に書き、国内外に浸透してきた罪は、極めて重い。どれほど日本の名誉と誇りが損なわれてきたかわからない。朝日新聞には、この罪を償ってもらわねばならない。
 吉田清治証言を朝日新聞に最初に書いたのは、植村隆元記者(現北星学園大学非常勤講師)ではなく、清田治史(はるひと)元記者(のち取締役等を歴任)だったと伝えられる。清田氏は本年9月13日をもって帝塚山学院大学教授及び国際理解研究所所長を退職したという。国会は、木村社長らともに彼らを参考人招致し、事実と責任を明らかにすべきである。

 さて、吉田証言は、1996年(平成8年)国連人権委員会のクマラスワミ報告の資料とされた。クマラスワミ報告書は、人権委員会の「女性に対する暴力」特別報告官に任命されたスリランカ出身の女性法律家、ラディカ・クマラスワミ氏が日本や韓国を訪問し、戦争被害者らから聞き取りし、まとめた報告書である。北朝鮮には代理人が訪れ調査した。慰安婦に関する記述は「付属文書1」として添付された。クマラスワミ報告書は、河野談話を引用し、これを根拠として強制連行を認定し、さらに慰安婦を強制連行された「性奴隷」であり、その数は20万人として、日本政府に謝罪や賠償を勧告した。
 また概略次のような内容を報告したものである。――「慰安婦」よりも「軍性奴隷」が正確かつ適切な用語とした。女子挺身隊が設立され、多くの女性がだまされて性奴隷として働かされた。終戦でも「慰安婦」の大半は救出されず、日本軍に殺されたり放置されたりした。女性の多くは兵隊と一緒に軍事作戦にも駆り出された。吉田青治は戦時中の体験を書いた中で、1000人もの女性を慰安婦として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している。村から連行された少女は14~18歳が大半だったーーー。

 共同通信社は、この報告書を作成したクマラスワミ元特別報告者にコロンボで会見し、その見解を伝えた。9月5日の共同の記事によると、クマラスワミ氏は報告書の内容について、「修正は必要ない」との考えを示した。吉田証言は「証拠の一つにすぎない」と述べ、元慰安婦への聞き取り調査などに基づき「日本軍が雇った民間業者が(元慰安婦らを)誘拐した」事例があったと主張した。クマラスワミ氏は調査に基づき「慰安婦たちには逃げる自由がなかった」と強調し、慰安婦を「性奴隷」と定義したのは妥当だったと述べたという。

 「逃げる自由がなかった」というのは、クマラスワミ氏が慰安婦について基本的な理解を欠いていることを端的に明らかにしている。
 慰安婦の中には、日本兵と結婚した者がいる。また前借金を返済して帰還した者がいる。奴隷のように、手枷足枷をされていたのでも、拘束・監禁されていいたのでもない。契約のもとに自由意思で性労働をしていたのである。しかも、超高給取りだった。
 『京城日報』紙1944年7月26日付けの慰安婦募集広告には、「月収300円以上、前借金3000円可」と記されていた。米国戦争情報局心理作戦班報告によれば、北ビルマのミートキーナの慰安所の慰安婦たちは月平均で1500円の総収益を上げ、750円を前借金の返済にあてた。同報告によれば稼ぎは月に1000~2000円、年季は半年から1年で一部は帰還した者もいた。兵士の月給は15~25円だったと記されている。兵士の給与の数倍~10数倍も稼ぐ女子労働者が、奴隷ではありえない。前借金を返済し終えても、自由意思で継続して働き、多額の貯金をしていたのである。

 菅義偉(よしひで)官房長官は9月5日の記者会見で、クマラスワミ氏の見解に対し「報告書が、わが国の基本的立場や取り組みを踏まえていないことは遺憾だ」と述べた。菅氏は、「報告書の一部が(吉田氏の証言)内容に影響を受けていることは間違いない」とした上で、「強制連行を証明する客観的資料は確認されていない。(報告書は)不適切であるという、政府の立場をこれからも説明していく」と強調した。
 また、菅氏は「朝日新聞は記事を取り消したが、慰安婦問題に関して国際社会で誤解を生じている」と述べた。対外的な広報戦略に関しては「(スイスの)ジュネーブにおける自由権の規約委員会で『性奴隷』という表現は極めて不適切だと指摘している。国連をはじめ国際社会で、わが国の立場や取り組みの姿勢をしっかり主張、説明をしていきたい」と述べたと報じられる。
 菅長官が触れた自由権規約委員会とは、本年7月15~16日国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)で開催された同委員会の会議をいう。今回の会議では、日本の人権状況が審査された。日本政府代表団の山中修・外務省人権人道課長は、2008年の前回審査で同委員会から出た質問に言及し、「質問には『性奴隷慣行』との不適切な表現がある点を指摘する」と述べた。そして、慰安婦について、戦時の日本の官憲が組織的に朝鮮半島から女性たちを無理やりに連行するという「強制」は確認できないと説明した。だが、自由権規約委員会は7月24日に発表した最終見解で、慰安婦を「性奴隷」と明記し、日本政府を非難した。
 「性奴隷」の表現は、クマラスワミ報告書で認定されて以降、拷問禁止委員会の2013年の最終見解でも使用されているほか、米国で設置された慰安婦碑や慰安婦像などでも登場している。今回の自由権規約委員会で、日本国政府が公の場で性奴隷の表現は不適切と述べたことは、注目に値するものだった。
 菅氏は「国連をはじめ国際社会で、わが国の立場や取り組みの姿勢をしっかり主張、説明をしていきたい」と述べており、朝日新聞の吉田証言記事取り消しを機会に、積極的に国際社会に発信してもらいたい。
 まずその手始めに、今年4月1日産経新聞が報道した、日本政府がいったん国連人権委員会(現人権理事会)に提出しながらすぐに撤回した反論文書を公開すべきである。文書はクマラスワミ報告書が国連人権委に提出された直後の1996年3月にまとめられたもので全42ページ。文書は報告書を「極めて不当」「無責任で予断に満ち」「歴史の歪(わい)曲(きょく)に等しい」「随所に主観的な誇張」などと厳しく批判していた。クマラスワミ報告書が明確な誤りの多いオーストラリア人ジャーナリストのジョージ・ヒックスや、戦時中に下関で労務調達に従事し「奴隷狩り」で慰安婦を集めたと虚偽証言した吉田清治らの著作を引用していることから、「本来依拠すべきでない資料を無批判に採用」と批判した。法的議論についても、報告書が日本の法的責任を求めたことを「誤った国際法の解釈」とし、「およそ法的には成り立たない恣意(しい)的な解釈に基づく政治主張」と断じていた。だが、国連人権委員会に提出しながらすぐ撤回したのは、反論することで、かえって慰安婦問題の議論を起こしかねないと懸念したためだったらしい。残念なことだった。
 今こそ政府は、この反論文書を復活させ、国際社会への広報に活かすべきである。
 以下は、幻の反論文書に関する報道記事。

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●産経新聞 平成26年4月1日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140401/plc14040109280021-n1.htm
【歴史戦】
「クマラスワミ報告書」に対する日本政府の反論文書の要旨
2014.4.1 09:19

 女性に対する暴力に関する特別報告書(クマラスワミ女史)提出にかかる報告書付属文書1に対する日本政府の見解

第1章 本文書の要点
 1.「女性に対する暴力」問題へのわが国の取り組み(略)
 2.特別報告者は中立的客観的な調査を行い、十分な根拠に基づく事実関係を記し、法的見解を示す場合も国際法を踏まえた見解を示すべきであることが当然である。
 3.付属文書1は極めて問題が多い。日本政府は国連人権委がこの文書にはっきりとした否定的な見解を示し、わが国の取り組みを正当に評価するよう強く希望する。
 (1)報告者のマンデートは「女性に関する暴力、その原因および結果」に関し報告を行うことである。現在の国際社会においては旧ユーゴ、ルワンダの問題等、未だ有効な対策が講じられていない女性に対する暴力という深刻な問題が進行中だ。にもかかわらず、50年以上前の出来事であって、かつ、日本政府が関連する条約等に従って誠実に対応してきている「従軍慰安婦」問題を、あたかも現代における女性に対する暴力に関する最重要課題であるがごとく最初の提出文書において取り上げており、極めて不当である。(2)調査方法および内容上の問題点 極めて限定された資料に依拠して書かれているといわざるをえない。限られた情報をすべて一面的に一般化するという誤りを犯している。人権委に提出されるものとして明らかに不適切である。(3)法的議論の問題点 誤った国際法の解釈に基づく主張は今日の国際社会にとり到底受け入れられるものではない。特別報告者の議論は法的色彩を帯びているが、実際はおよそ法的には成り立たない恣意的な解釈に基づく政治的主張である。
4.いわゆる従軍慰安婦に関するわが国の取り組み(略)
 5.結論(略)
 6.本反論文書の構成(略)

第2章 日本の取り組み(略)

第3章 事実面に関する反論
 1.付属文書がその立論の前提としている事実に関する記述は、信頼するに足りないものである。
 2.特別報告者の事実調査に対する姿勢は甚だ不誠実である。特別報告者は、旧日本軍の慰安所に関する歴史的経緯や、いわゆる従軍慰安婦の募集、慰安所における生活等について記述しているが、ほぼ全面的に、日本政府に批判的な立場のG.Hicks氏の著書から、特別報告者の結論を導くのに都合の良い部分のみを抜粋して引用しているに過ぎない。一般刊行物に依拠する場合、十分な裏付け調査を行わなければならないことは職責上当然のことだが検証が行われた形跡がない。その上主観的な誇張を加えている。無責任かつ予断に満ちた付属文書は調査と呼ぶに値しない。
 3.付属文書は本来依拠すべきでない資料を無批判に採用している点においても不当である。従軍慰安婦募集のためslave raidを行ったとする吉田清治氏の著書を引用している。しかし、同人の告白する事実については、これを実証的に否定する研究もあるなど、歴史研究者の間でもその信憑性については疑問が呈されている。軽率のそしりを免れない。北朝鮮在住の女性の「証言」は、特別報告者が直接聴取していない「伝聞証言」である。特別報告者自ら問いただして確認するなどの努力もなしに、いかに供述の真実性を確認することができたのか、全く不明である。
 4.文書の記述は一面的、かつmisleadingである。いわゆる従軍慰安婦の実態は地域によっても千差万別であるとともに、歴史的に見てもかなりの変遷がある。特別報告者は、極めて限定された資料と、若干の「証言」に安易に依拠しつつ、それらを一般化し、あたかも付属文書に記述されていることが、すべての場合に真実であるかのような誤った印象を与えるものになっている。付属文書のごとき偏見に基づく一般化は歴史の歪曲に等しい。
 5.特別報告者は、日本政府の調査結果に十分な注意を払うべきであった。
 6.結論 付属文書の事実関係は信頼するに足りないものであり、これを前提とした特別報告者の立論を、日本政府として受け入れる余地はない。特別報告者がこのように無責任かつ不適当な付属文書を人権委に提出したことを遺憾に思うとともに、人権委の取り扱い方によっては、特別報告者制度一般ひいては人権委そのものに対する国際社会の信頼を損なう結果となることを深く憂慮する。

第4章 法律面に関する反論
 I 付属文書1にかかる国際情報の基本的論点
 1.国際法の法源及びその適用 特別報告者の主張は法律的な論理が欠如した主観的見解の表明であると言わざるをえない。例えば、1929年の捕虜に関するジュネーヴ条約に関する主張の如く、わが国が当事国ではない条約を論拠として条約違反を主張したり、1904年の醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女賣買取締ニ関スル國際協定等にかかる主張の如く、条約の規定内容を何ら点検することなく短絡的にすべて「従軍慰安婦」に結びつけわが国の条約違反を主張している。
2.時際法の理論 歴史の一時点における一定の行為ないし事実について法的な評価を行う場合にはその時点において有効な法に基づいて評価する必要がある。現行法規の遡及的な適用は、当事国間の合意なき限りは認められない。人権侵害を受けた被害者又はその遺族による加害国家への補償請求を可能とする法の遡及適用を認める議論は、およそ過去の戦争により人権侵害を受けた被害者又はその遺族はすべて加害国家に補償請求を行うことが可能であるとの結論を招くことになるが、世界史における数々の戦争被害者の遺族等が今日、加害国家に補償請求権を行使することができるとすることが、現在の国際関係を根本的に混乱させるものであることは論をまたないのであり、また、かかる事態を招くような規範が国際法として確立していることにつき、国際社会の多数の国が同意ないし許容していると考えることには根本的に無理がある。
 II 法的論点に対する具体的コメント
 1.定義について 「従軍慰安婦」の制度を「奴隷制度」と定義することは法的観点から極めて不適当。
 2.日本国政府の立場(法的責任)について サンフランシスコ平和条約、日韓請求権・経済協力協定等においてはほかに未償請求権があっても追及しないという「完償条項」があるところ、サンフランシスコ平和条約等の交渉過程において「従軍慰安婦」問題が具体的に議論されていないとしても、わが国としては、条約等の定めるところを誠実に履行してきており、先の大戦にかかる一切の賠償、財産・請求権の問題は「従軍慰安婦」の損害の問題を含めてサンフランシスコ平和条約等の当事国との間では法的に解決済みである。関係国政府も同様の立場であると承知しており、現に特別報告者の報告においても韓国政府が同様の立場である旨指摘されている。賠償を規律する法規は、当該二国間で効力を有する国際法の法規であって、不法行為を行った国と損害を受けた個人との関係を規律する法ではない。

第5章 勧告に対する日本政府の見解
 特別報告者が展開しているような法律論を受け入れる余地は全くない。政府として元慰安婦の方々に対して個人補償を行うことは考えておらず、特別行政裁判所を設立することも考えていない。
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関連掲示
・拙稿「『慰安婦=性奴隷』に対する政府の反論文書」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/8b6acca35938f17a280087640b18b539?fm=entry_awp

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現代世界史45~新しい精神文化の興隆

2014-09-18 08:17:14 | 現代世界史
 最終回。

●日本から新しい精神文化の興隆が待望されている

 精神科学発達のための計画は、従来の宗教や霊的伝統の再評価にとどまるものであってはならないだろう。私は、拙稿「心の近代化と新しい精神文化の興隆」において、西欧発の近代化の進行を、心の近代化という観点からとらえ、人々の心は全面的に「近代化=合理化」するのではないことを論じ、21世紀における新しい精神文化の興隆について書いた。
 キリスト教、イスラム、仏教等の伝統的宗教は、紀元前から古代にかけて現れた宗教であり、科学が発達し、人々の意識が向上するにつれて、その役割を終え、発展的に解消していくだろう、と私は考える。
 現代は科学が発達した時代である。従来の宗教では人々の心は満たされない。従来の宗教は、天動説の時代に現われた宗教である。今では、地球が太陽の周りを回っていることは、小学生でも知っている。パソコンやスマートフォンや宇宙ステーション等がないどころか、電気や電燈すらなかった時代の宗教では、到底、現代人の心を導けない。
 伝統的宗教の衰退は、宗教そのものの消滅を意味しない。むしろ既成観念の束縛から解放された人々は、より高い精神性・霊性を目指すようになり、従来の宗教を超えた宗教を求めるようになると考える。近代化の指標としての識字化と出生調節は、人々が古代的な宗教から抜け出て、精神的に成長し、さらに高い水準へと向上する動きの一環だろうと私は思う。
 「近代化=合理化」が一定程度進み、個人の意識が発達し、世界や歴史や宇宙に関する知識が拡大したところで、なお合理化し得ない人間の心の深層から、新しい精神文化が興隆する。新しい精神文化は、既成宗教を脱した霊性を発揮し、個人的(パーソナル)ではなく超個人的(トランスパーソナル)なものとなる。それに応じた政治・経済・社会への改革がされていく。
 いまや科学が高度に発達した時代にふさわしい、科学的な裏付けのある宗教の出現が求められている。これからは、新しい精神科学的な宗教を中心とした、新しい精神文化の興隆によって、近代文明の矛盾・限界を解決する道が開かれるだろう。(註1)
 人類は、この地球において、真の神を再発見し、宇宙・自然・生命・精神を貫く法則と宇宙本源の力にそった文明を創造し、新しい生き方を始めなければならない。そのために、今日、科学と宗教の両面に通じる精神的指導原理の出現が期待されている。世界平和の実現と地球環境の回復のために、そしてなにより人類の心の成長と向上のために、近代化・合理化を包越する新しい精神文化の興隆が待望されているのである。
 今後、現れるべき精神文化は、自然と調和し、太陽光・風力・水素等の自然エネルギーの活用による「21世紀の産業革命」と協調するものとなるだろう。こうした動きが拡大していって、初めて世界の平和と人類の繁栄を実現し得ると私は考える。
 新しい精神文化の出現が最も期待される地域は、精神文化の豊かな伝統を持ったアジアである。ここにおいて日本文明が担うべき役割には、まことに大きなものがある。西欧において始まった近代化を、非西洋社会で初めて成し遂げ、独自の展開をしてきた日本文明は、新しい精神文化の興隆が待望される時代に、大きな貢献を果たす可能性を秘めている。

 現代世界人類の二大課題は、世界平和の実現と地球環境の保全である。そのためには、核戦争を防ぎ、また環境と調和した文明を創造しなければならない。これらの課題を実現するうえで、日本には重要な役割がある、と私は確信している。人と人、人と自然が調和する日本精神には、人類の文明を転換し、この地球で人類が生存・発展していくための鍵があると思う。
 人類は、21世紀に物心調和・共存共栄の新文明を地球上に創造できるかどうかに、自らの運命がかかっている。日本人は、人類の一員として、自らの特徴を発揮し、物心調和・共存共栄の新文明の実現に貢献することによってのみ、自らの運命を切り開くことができる。
 すべては、日本及び日本人の自覚と行動にかかっている。日本及び日本人は、自らに与えられた使命を担い、自己の本質に沿って進まないと、逆に混迷・衰亡の方向に陥ってしまうことになるだろう。
 私たち日本人は、この21世紀において、日本精神を取り戻し、世界的にユニークな日本文明の特長を活性化し、新しい世界秩序の構築と、新しい人類文明の創造に寄与したいものである。(了)

註1 「新しい精神科学的な宗教」と「新しい精神文化の興隆」については、次のサイトをご参照下さい。
http://www.srk.info/
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