ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権47~権力の定義

2013-05-31 08:45:09 | 人権
●権力の定義

 権力とは何か。さまざまな学者が権力の定義を行ってきた。最も有名なのは、マックス・ウェーバーによるものである。ウェーバーは、「権力(Macht)とは、ある社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性を意味し、この可能性が何に基づくかは問うところではない」(『社会学の根本概念』)と定義した。
 他の定義の多くは、ウェーバーの説の応用というべきものである。例えば、政治学者デイヴィッド・イーストンは「権力とは、ある個人または集団が、自らの目的の方向へと他者の行為を決定できるような関係である」と述べ、権力の主体を「個人または集団」とし、また対象を「他者の行為」とした。主体が意志を貫徹した結果、相手の行為が目的の方向へと決定されると考えられる。ウェーバーが「可能性」と表現したものをイーストンは「関係」ととらえた。社会学者D・H・ロングは「権力とは、他者に対して意図され、また予見された効果を産出し得る能力(capacity)である」とし、ウェーバーが「可能性」をしたものを「能力」へと具体化した。また政治学者ロバート・ダールは、「AはBがさもなければなさなかったであろうことをBになさしめる程度において、Bに対する権力を持つ」と定義し、人間関係に介在する「影響力(influence)」の概念を設定した。私は、権力は関係より能力が妥当だと思う。主体が他者の行為に影響を与える能力である。
 ウェーバー、ロング、イーストン、ダールは、権力を個人の行為や意志や利害といった個人的な側面からとらえている。これに対し、権力を集団的な側面からとらえているのが、社会学者タルコット・パーソンズである。パーソンズは「権力は集合的組織体系の諸単位による拘束的義務の遂行を確保する一般的能力である」とした。パーソンズによると、権力は個人の能力ではなく、集団としての組織の能力である。この能力は、個人に対し、服従ではなく「拘束的義務」を確保する能力である。拘束的義務とは、個人が他者に課す個人的な義務ではなく、集団がその成員に対してその役割に応じて課す義務のことである。パーソンズが権力は集団において強制的であるだけでなく、協同的な働きを持つことを示したことは、重要である。集団の目的を達成するために、成員による協力的行為を確保する能力が、パーソンズにとっての権力である。権力を集団的な側面からとらえるとき、権力は強制的・抑圧的な働きを持つだけでなく、協力的・結束的な働きを持つことが理解できよう。
 上記の諸定義をまとめるならば、権力は、他者または他集団との関係において、協力または強制によって、自らの意思に沿った行為をさせる能力であり、またその影響の作用といえよう。私は、その定義を了解しつつ、ここに権利との関係を加えるべきだと考える。権力の概念の前提には権利の概念があり、個人または集団の関係において、権利の相互作用を力の観念でとらえたものが、権力であるというのが、私の見解である。権利と権力の関係を抜きにして、権力を理解することはできない。そして、人権論において、権力の検討が不可欠なのは、権力とは権利の相互作用を力の観念で表したものだからである。この点は、後に改めて詳しく述べる。

●権力のマクロ分析とミクロ分析

 権力論は、主に国家権力・政治権力を想定し、それを論じるものが多かった。しかし、権力は権利の相互作用を力の観念でとらえたものと考えると、政治的国家的な権力だけでなく、人間関係の様々な場面に権力は発生し、機能しているものと理解できる。私は権利の項目で家族から氏族・部族・組合・団体・社団等について述べたが、権力は集団の諸階層における様々な権利の作用として働いていると考えられる。
 この点で画期的な研究をしたのが、20世紀後半西欧屈指の哲学者ミシェル・フーコーである。フーコーは、「単に、国家権力というのではなく、様々な諸制度の中で行使されている権力が問題である」と言い、彼以前の権力論が主に国家権力・政治権力の分析を主としていたのに対し、社会の様々な関係における権力を分析した。前者を権力のマクロ分析とすれば、フーコーは権力のミクロ分析を行った。
 フーコーは、『性の歴史』の第1巻『知への意志』で、次のように権力(pouvoir)を考察した。
 権力は、無数の点から出発し、揺れ動く関係の中で機能する。あらゆる社会現象の中に、権力関係が存在する。社会の末端にある家族や小集団などで生み出される力の関係が、権力関係の基盤となっている。権力を振るうのは、特定の個人や指導者ではない。その時々の関係の中で生み出された作用によって権力が振るわれる。権力への抵抗は、権力の外部にあるのではなく、内部に不規則に出現する。権力は、この抵抗を完全に排除できない。従って、この抵抗の点が戦略的に結び付けられ、網の目のような権力関係が崩れた時に、革命が生ずる、と。
 フーコーは、あらゆる人間関係において「無数の力関係」が存在するとして、家族・学校・病院・団体等、社会のあらゆる集団を分析の対象とした。マクロ的な権力はミクロ的な権力に基づき、これに「根差しつつこれを利用するもの」であることを指摘した。フーコーの見方は、権力を権利との関係からとらえる私にとっても、画期的なものといえる。ただし、フーコー自身は、権力を権利との関係で把握してはいない。
 第1部の人間とは何かの項目に書いたように、私は、人間とは集団生活を行う動物であり、特に家族を構成することに特徴があると考える。そして、家族から氏族・部族・組合・団体・社団等の集団の各階層における権利の分析が、権力の分析の前提になければならず、またそれが国家権力・政治権力の分析の基礎となると考える。フーコーについては、本章の最後にあらためて書くこととし、以下権力の検討を行う。

 次回に続く。

■追記

本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第1部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm

円安が中韓に衝撃を与えている~田村秀男氏

2013-05-30 08:57:43 | 経済
 アベノミクスによって、インフレ目標2%のもと、大胆な金融緩和が進められている。それによって、昨年衆院選後、新政権への期待から起こった株高円安が進んでいる。円安は周辺アジアにどのような影響を与えているのだろうか。
 産経新聞の名物エコノミスト、田村秀男氏は、平成25年4月14日の「アジアへの衝撃…円安が浮き彫りにする中韓の深刻な構造問題」と題した記事に、大意次のように書いた。
 東南アジアの場合は、アジア通貨危機後、ペッグ制をやめて、変動相場制など通貨を柔軟に変動させる仕組みに変え、ヘッジファンドなどの通貨投機勢力が入り込みにくくした。また、日中韓と東南アジア諸国連合(ASEAN)は、通貨の相互融通制度を柱とする「チェンマイ・イニシアティブ」で緊急時に協調する体制を組むことにしている。このため、東南アジア諸国では「円に比べて通貨が割高になっても、投機勢力に対する防御体制は整備されている」と田村氏は言う。
 だが、韓国・中国は違う。「韓国の場合、外国マネーへの依存度が極めて高い」。米欧などの投資家はウォンが円に対して安くなれば、日本株を売って韓国株を買い、逆にウォン高になれば韓国株を売る。このため、「円がウォン以上に対ドルで安くなればなるほど、韓国株は売られ、資本が流出する」。円安に対抗してウォン安政策をとるためには、金利を大幅に下げることが必要である。だが、そうすると海外の金融機関は韓国から融資を引き揚げる恐れがある。そこで韓国では、「円安を促進するアベノミクスや黒田日銀の金融緩和に危機感が高まっている」と田村氏は書いている。
 また、田村氏によると、中国の実体経済が実質ゼロ成長状態にある。大半の主力業種で過剰生産と過剰在庫が膨らんでいる。尖閣諸島の領有権をめぐる日中関係の悪化に、今回の円安が加わり、今後日本企業の対中投資の減速は拍車がかかるだろう。「中国は流入している海外からの巨額の投機資金が一斉に流出する恐れがあるので、人民元を切り下げできない。円高是正は図らずも、中韓それぞれの構造問題を浮き上がらせている」と田村氏は述べている。
 わが国は、周辺諸国に経済的な衝撃を与えるために、円安政策を取っているのではない。15年も続いているデフレから脱却するために、ようやく金融緩和をしているところである。円安はその結果に過ぎない。だが、日本の円安は、韓国や中国の経済に衝撃を与えている。その現象は、韓国・中国にそれぞれ国民経済の歪みを自覚させ、経済構造の是正を促すものとなっているわけである。それだけに、韓国・中国は安倍政権を敵視して、さまざまな外交術策を繰り出してきているのだろう。領土をめぐる圧力、靖国参拝、歴史認識等の激しい攻勢は、安倍政権を早期に打倒しようとするものであり、背後には両国の経済事情があると考えられる。
 以下は、田村氏の記事。

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●産経新聞 平成25年4月14日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130414/fnc13041414460000-n1.htm
【日曜経済講座】
アジアへの衝撃…円安が浮き彫りにする中韓の深刻な構造問題
2013.4.14 14:45

編集委員・田村秀男

 おカネの供給残高を来年末までに2倍に増やすという、日銀の異次元で大胆な金融緩和政策により円高是正に加速がかかった。これに対し韓国と中国は警戒を強めているが、円安は周辺アジアにどのような衝撃を与えるのだろうか。



 まず、グラフを見よう。衆院解散が決まった昨年11月16日の1ドル当たりの相場を100としてみたアジア各国の通貨の4月5日までの推移である。それまで独歩高だった円は下落に転じ、中国人民元を中に包み込むようにして小幅に変動する各通貨からどんどん遠ざかる。円相場は円高のピーク時に比べ25%も下がった。この各国通貨相場水準の円との乖離(かいり)こそが、過去にアジア通貨危機を招き寄せた大きな要因だった。
 アジア通貨危機前の円安は、1997年5月までの2年間で円の対ドル相場が約3割安くなったのに対し、アジア各国は基本的にドルに対する自国通貨相場をくぎ付けする「ペッグ制」をとっており、日本円に対して3割前後高かった。この間、円より強い通貨での資産運用をもくろむ海外からの短期資金流入で、不動産や株価が上昇を続けた。
 ところが、通貨が過大評価されているとみたヘッジファンドが突如、現地通貨の投機売り攻勢をかけた。すると東南アジアの経済と金融を支配する華僑・華人系資本による資本逃避が起き、各国通貨が暴落。インドネシアでは経済ばかりでなくスハルト大統領(当時)による独裁体制も崩壊した。危機は韓国にも飛び火し、通貨ウォンが崩落、一部大手財閥が消滅した。
 今回も、急速な円高是正は共通するが、東南アジアの場合はペッグ制をやめて、変動相場制など通貨を柔軟に変動させる仕組みに変え、ヘッジファンドなどの通貨投機勢力が入り込みにくくした。さらに、日中韓と東南アジア諸国連合(ASEAN)は、外貨など通貨の相互融通制度を柱とする「チェンマイ・イニシアティブ」で緊急時に協調する体制を組む。このため、円に比べて通貨が割高になっても、投機勢力に対する防御体制は整備されていると評価できる。インドネシア、タイなど東南アジア各国はアジア通貨危機当時のような逃げ足の速い資金ではなく、日本企業などの直接投資中心の外資受け入れに重点を置いている。
 ところが、韓国と中国の場合は趣を異にする。韓国の場合、外国マネーへの依存度が極めて高いことだ。韓国はアジア通貨危機後、海外投資家の韓国企業への株式投資を受け入れてきた。その結果、海外の韓国株保有残高は昨年末時点で国内総生産(GDP)比31%に達している(アジア危機前は3%程度)。海外からの借入残高のGDP比は11.5%(同15%)と依然高水準だ。米欧などの投資家は韓国ウォンが円に対して安くなれば日本株を売って韓国株を買い、逆にウォン高になれば韓国株を売る運用方法をとっている。このため、円がウォン以上に対ドルで安くなればなるほど、韓国株は売られ、資本が流出することになる。つまり、日韓の経済は「共栄」というよりも、一方が浮上すれば他方が沈む「ゼロ・サム」関係にある。
円安に対抗してウォン安政策をとるためには、金利を大幅に下げる金融緩和策が必要だ。そうすると海外の金融機関は韓国から融資を引き揚げる恐れがある。そこで韓国では、円安を促進するアベノミクスや黒田日銀の金融緩和に危機感が高まっている。
 一方、中国の実体経済は実質ゼロ成長状態にある。中国政府は昨年の実質成長率を7.8%、今年の成長率目標を7.5%前後としているが、中国の経済統計のうちで最も信頼性の高い鉄道貨物量は昨年は前年比マイナス0.7%で、今年1、2月の合計でも同0%と低迷している。つまり、中国はモノを前年より多く生産しても、多くの製品を工場の外へ出荷していないわけで、鉄鋼、家電、自動車など大半の主力業種で過剰生産と過剰在庫が膨らんでいると推定できる。大量の廃棄物を生み出し、「PM2.5」に象徴されるような汚染物の排出も放置されるわけである。
 昨夏からの尖閣諸島の領有権をめぐる日中関係の悪化に、円安進行が加わり、今後日本企業の対中投資の減速は拍車がかかるだろう。米企業の間でも、中国の人件費上昇などを考慮して米国内に回帰する動きも出ている。
 中国は流入している海外からの巨額の投機資金が一斉に流出する恐れがあるので、人民元を切り下げできない。円高是正は図らずも、中韓それぞれの構造問題を浮き上がらせている。
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拉致問題は安保理を主戦場にすべし~西岡力氏

2013-05-28 10:16:15 | 国際関係
 安倍首相は就任直後から「拉致問題は私の政権で必ず解決する」と決意を述べてきた。5月14日飯島勲内閣官房参与が北朝鮮を訪問した。極秘に進められた電撃的な訪朝だった。飯島氏は北朝鮮高官と協議を行って、18日帰国した。日本人拉致問題が協議された模様だが、内容は公開されていない。飯島氏の帰国後、安倍首相は、金正恩第1書記と首脳会談については、「首脳会談のような重要な外交的決断をする上では、拉致問題についてしっかりと結論が出なければ、そもそも行うべきではないと思っている」として、拉致問題の解決が前提になるとの考えを示した。拉致問題の解決に進展のあることを期待したい。
 ところで、北朝鮮による拉致問題に献身的に取り組んでいる東京基督教大学教授の西岡力氏は、産経新聞平成25年3月25日号に、「拉致解決は安保理を『主戦場』に」と題した記事を書いた。拉致問題解決には、わが国が自国民の救出を行うために直接的な行動を行うとともに、国際機関を利用することも必要である。
 国連人権理事会は、3月21日に、拉致問題を含む北朝鮮の人権問題を調査する委員会を設ける決議を採択した。国連が北朝鮮の人権問題を調査する委員会を発足させ調査に乗り出すことは、国際的な関心を高めて、北朝鮮に一定の圧力をかけるという点で意味がある、と西岡氏は評価しながら、「それはあくまで側面での戦いであって、被害者全員救出を目指す『主戦場』ではない」と言う。主戦場は「北に強制力を加えられる所でなければならない。国連でいえば安全保障理事会だ」と主張するのである。
 北朝鮮は、3度目の核実験を強行した。それを受けた3月8日の安保理決議は、対北経済制裁の履行を加盟国に義務化し、制裁を、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」を定めた国連憲章7章に基づくと位置付けた。しかし、日本政府が求める『拉致を含む人道上の懸念』」という文言は入らなかった。西岡氏は、「それがうたわれないなら国連分担金の支払い停止を検討するというぐらいの圧力を、国連にかけるべきではないか」と問いかける。
 西岡氏は、次のように述べる。
 「安倍晋三政権はこの1月、『認定の有無にかかわらず、全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国のために全力を尽くす』との政府方針を決めた。それには、何といっても、強制力が必要だ。わが国は、拉致と核・ミサイル開発を理由に単独でも厳しい制裁を科している。だが、在日朝鮮人と日本人の日朝往来がほぼ放置されている現状は大いに問題だ。人の往来を原則として止め、米国と協力して金正恩政権が海外の銀行の秘密口座に隠す数十億ドルの資金を凍結して、外貨収入源を断つ努力をしなければならない」と。
 また、これに加えて、「北による核開発・拡散の阻止へ向け日米同盟と日韓友好関係を固め中国による北甘やかしを牽制(けんせい)しつつ、日本が絶対に譲れない拉致問題で独自に北朝鮮と接触できる環境も作ってほしい。北の体制崩壊と混乱に備え、被害者救出作戦の準備も進めなければならない」とも述べている。
 いつもながら、拉致問題の解決に向けて、重要な発言だと思う。
 以下は、西岡氏の記事。

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●産経新聞 平成25年3月25日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130325/kor13032503140001-n1.htm
【正論】
東京基督教大学教授・西岡力 拉致解決は安保理を「主戦場」に
2013.3.25 03:13

 国連人権理事会が21日に、拉致問題を含む北朝鮮の人権問題を調査する委員会を設ける決議を採択した。委員会設置へ向けて積極的に動いてきた日本の政府、民間関係者の努力を多としたい。

≪政治犯収容所発覚から20年≫
 13日にジュネーブで開かれた非政府組織(NGO)の集会では、北朝鮮の政治犯収容所出身の脱北者が「自分は何回、この体験を話さなければならないのか」と嘆息しながら語ったともいう。
 残虐極まりない政治犯収容所の実態が明らかになったのは1990年代半ばだ。咸鏡南道耀徳郡にある収容所(第15号管理所)に10年間入れられていた姜哲煥氏が92年に韓国に亡命し、95年に初めてその実態を告発した手記『北朝鮮脱出』を日韓で発表した。
 同じ95年、韓国有力月刊誌、月刊朝鮮3月号が、元収容所警備兵で脱北した安明哲氏の手記を掲載した。時の同誌編集長だった趙甲済氏から、「収容所で行われている許しがたい人権蹂躙(じゅうりん)を日本でも広く知らせてほしい」と深刻な顔で訴えられて、その手記を、私が編集長をしていた月刊の現代コリア7月号に全訳して載せ、ブックレットとしても出版した。
 姜哲煥、安明哲の両氏の告発は事実であることが後に、多くの脱北者の証言や衛星画像などから証明された。その当時から20年近くもたってやっと、国連が調査をするというのだ。国際社会の対応が遅きに失した恨みは残る。
 調査委設置の拉致問題への効用についても、先のNGO集会で証言した拉致被害者の家族会の増元照明事務局長は、こういう趣旨を述べている。「北朝鮮が調査に協力するわけがないから被害者救出に直接関わる情報が調査の結果出てくることはない。ただ、国際社会が拉致問題に関心を持っているということが北朝鮮に伝わることは若干でも役立つと思う」
 訪朝した小泉純一郎首相に金正日総書記が拉致を認めて謝罪した2002年9月以前、産経新聞を除く大半の日本マスコミが「拉致疑惑」などとして、日本人拉致を事実と認定していなかった時点なら、国連の調査結果は被害者救出運動に助けになっていただろう。だが、当時、国連人権理事会の前身組織の傘下機関、強制的失踪作業部会は、被害者家族とわれわれが行った申請を事前審査で却下して正式議題にしなかった。

≪調査委の「側面支援」に期待≫
 それでも、国連が委員会を発足させ調査に乗り出すことは国際的関心を高めて、北に一定の圧力をかけるという点で意味がある。ただし、それはあくまで側面での戦いであって、被害者全員救出を目指す「主戦場」ではない。
 では、主戦場はどこか。
 それは、北に強制力を加えられる所でなければならない。国連でいえば安全保障理事会だ。
 北の3度目の核実験を受けた3月8日の安保理決議は、対北経済制裁の履行を加盟国に義務化し、制裁を、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」を定めた国連憲章7章に基づくと位置付けた。だが、残念ながら日本政府が求める「拉致を含む人道上の懸念」という文言は入らなかった。それがうたわれないなら国連分担金の支払い停止を検討するというぐらいの圧力を、国連にかけるべきではないか。

≪北に対しては強制力が必要≫
 安倍晋三政権はこの1月、「認定の有無にかかわらず、全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国のために全力を尽くす」との政府方針を決めた。それには、何といっても、強制力が必要だ。
 わが国は、拉致と核・ミサイル開発を理由に単独でも厳しい制裁を科している。だが、在日朝鮮人と日本人の日朝往来がほぼ放置されている現状は大いに問題だ。人の往来を原則として止め、米国と協力して金正恩政権が海外の銀行の秘密口座に隠す数十億ドルの資金を凍結して、外貨収入源を断つ努力をしなければならない。
 経験則に照らせば、核問題で米国が圧力をかけると、北は日本に裏交渉を仕掛けてくる。野田佳彦前政権時代にも、北はさまざまなルートで対日接近を図り、怪しげなブローカーや拉致棚上げをもくろむ親北人士が暗躍した。
 それに比べ、安倍政権は首相と担当相、全閣僚が参加する対策本部とその事務局が一本のラインとなり、実質的交渉ができる体制が整っているようにみえる。
 ここ数年、北の内部情報がかなり取れるようになってきた。北による核開発・拡散の阻止へ向け日米同盟と日韓友好関係を固め中国による北甘やかしを牽制(けんせい)しつつ、日本が絶対に譲れない拉致問題で独自に北朝鮮と接触できる環境も作ってほしい。北の体制崩壊と混乱に備え、被害者救出作戦の準備も進めなければならない。
 曽我ひとみさんは救出されるまでの24年間、月や星を見上げ、同じ夜空を家族や同胞も見ているだろう、いつ日本から救いの手が届くだろうかと思い続けていたという。今、この瞬間も、多くの拉致被害者が同じ思いで待っている。安倍政権の使命は、重い。(にしおか つとむ)
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米中再接近をけん制し、価値観外交の展開を2

2013-05-27 08:44:44 | 国際関係
 安倍首相は、第1期安倍内閣で価値観外交を展開した。安倍氏の外交思想は、著書『新しい国へ』(『美しい国へ』の増補改題版)に書かれており、首相就任直後に発表した論文で、日本、米国ハワイ、オーストラリア、インドを結ぶ「安全保障のダイヤモンド」を形成するという戦略構想を発表した。
 安倍首相は今年1月東南アジア3国を訪問し、「日本外交の新たな5原則」を表明した。タイトルは「開かれた海の恵み」。アジア太平洋地域に重心を移している米国を「大いに歓迎したい」とし、「日米同盟に一層の力と役割を与えなくてはならない」と強調。同時に東南アジアを含め、「海洋アジアとのつながりを強くする」と宣言。その上で、①言論の自由など普遍的価値の重視、②海洋における法の支配、③自由でオープンな経済、④文化のつながり、⑤未来を担う世代の交流促進――を5原則として提示した。この外交5原則は、「自由と繁栄の弧」の構想を外交原則に高めたものと言えよう。
 「自由と繁栄の弧」は、第1期安倍内閣で当時の麻生外相(現副総裁)が打ち出した外交構想。ユーラシア大陸の外縁に沿って、自由、民主主義、法の支配等の価値観を共有する国々と連携するというもの。北欧、バルト海諸国、グルジア、ウクライナ、イラク、アフガニスタン、インド、カンボジア、ラオス、ベトナム、インドネシア等を含む諸国と連携することで、共産中国を牽制する意図がある。「自由と繁栄の弧」については、麻生氏の同名の著書(幻冬舎)に詳しい。
 私は「自由と繁栄の弧」の要は東南アジだと思う。海洋進出を活発化させている中国に対抗することは、日本と東南アジア諸国の共通課題である。安倍首相は、先の東南アジア3国訪問において、「日本外交の新たな5原則」を表明するとともに、ASEANへの経済協力の拡大を表明し、また集団的自衛権の行使や国防軍保持の方針を説明した。外交はただ理念や目標だけ説くのではだめであり、経済力と軍事力を伴ったものでなければならない。価値観の共有は、実利に裏付けられてこそ、連携の価値を高める。
 先に引いた遠藤氏の所論に話を戻すと、遠藤氏は「価値観外交は、それ自体が目的ではない。それは米中間に打ち込む楔である。中国の増長を抑制し、東アジアの安定と繁栄を担保するための秩序を日米が主導してつくるためのツールの1つである」と述べている。
 この価値観外交は「米中間に打ち込む楔」であるという見方は鋭い。米国には、経済的利益のために中国と協調し、中国市場への投資によって富を得ようという巨大国際資本が多数存在する。だが、経済的自由の拡大に傾くと、中国の統制主義を容認し、覇権主義を助長することになる。先に私は、親中派のケリー氏が国務長官になったことへの懸念を述べ、わが国の政治家・外交関係者は「ケリー国務長官が中国の領土的野心、覇権主義を理解し、同盟国日本の重要性を認識できるよう、働きかけを強めるべきである」と書いたが、この働きかけにおいて有効な方法が、価値観外交である。
 「米中間に打ち込む楔」を打ち込む価値観外交を展開して国際関係を有利に進めるには、自国がしっかりしないと、空回りとなる。遠藤氏は「何より肝心なのは、首相が強調しているように日本自身が政治、経済、安全保障、そして精神面で力強さを回復することだろう」と書いている。この点もその通りである。
 日本の復興は、日本人の精神的復興をもってのみ、実現し得る。そして憲法を改正し、国防を強化しないと、力強い外交は進められない。同盟国である米国に対しても、同様である。またデフレを脱却し、潜在的な生産力を存分に発揮できてこそ、実利が伴う外交を展開できる。特に東南アジアやインド、西アジア諸国にはそうである。わが国は精神的に復興すれば、平和と繁栄を得られ、最高に発展できるが、反対に精神的に後退を続ければ、他からの攻撃をうけながら衰滅する運命を持った国なのである。
 わが国が推し進めるべき価値観外交について、私は、単に「普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)」に基づくだけでなく、日本独自の価値であってかつ普遍性の価値を加えて世界に打ち出すべきものと考える。現在行われている価値観外交の価値は、近代西洋文明が生み出した価値であり、それを受け入れ、共にする諸国の範囲で一種の普遍性を持っているものに過ぎない。私は、現在、ブログとMIXIで人権論を連載しているところだが、そこに書いているように人権という価値もまだ発達途上のものである。近代西洋文明が生み出した価値を、より一層普遍性のあるものに基礎づけ直すとともに、近代西洋文明には欠けているものを、東洋・アジアから発信していくことが、日本の役割とされねばならない。私は、そうした加えるべき価値として、物心調和、共存共栄を挙げたい。日本独自の価値であり、しかも人類に普遍性を持った価値を打ち出すのでなければ、価値観外交といっても西欧発の近代化・合理化を補助するものに過ぎなくなる。21世紀の日本外交は、物心調和・共存共栄の文明への転換を促進するものとして展開されるべき時に来ているのである。(了)

関連掲示
・拙稿「安倍首相が東南アジアで戦略的外交」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/ba934c1d801d215842d5d3533bfbaf0b

米中再接近をけん制し、価値観外交の展開を1

2013-05-25 10:21:38 | 国際関係
 わが国は、米中再接近の動きをけん制し、アジア太平洋に平和と繁栄を実現するために、価値観外交を展開すべきである。またその価値観外交は、単に自由、民主主義、基本的人権等の西欧発の価値に基づくだけでなく、日本独自の価値を加えて世界に打ち出すべきものと考える。この点について、私見を述べたい。
 現在わが国は、戦後の冷戦期から冷戦終結後の今日までで、最大の国際的緊張の中にある。特に尖閣諸島をめぐって、日中関係は、一触即発の状況になってきている。中国は、日本に軍事的な圧力をかけているだけでなく、わが国の防衛の要である日米安保体制を突き崩そうと、日本に対して、また米国に対して、さまざまな外交的術策を仕掛けている。中国にとっては、普天間基地移設問題も、沖縄の独立運動も、慰安婦問題も、日米関係にひびを入れ、拡大し、引き裂くことに利用できる格好の材料である。わが国は、これに対し、受け身のままでは、じわじわと不利な状況に追い込まれる。この点、安倍首相は、確かな外交思想と高度な戦略的思考、鋭い外交感覚を持って、中国との外交戦を敢然と展開していると私は思う。
 安倍首相は今年2月に訪米し、オバマ大統領と会談した。その際、「日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活した」と大統領の横で断言した。まだ普天間基地問題の解決していない段階ではあるが、「日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活した」と言い切ることで、米国民や中国政府に対して、日本の最高指導者としての決意を強く表した。米国民を日本に引き付けるとともに、中国政府をけん制する見事なスピーチだった。また安倍首相は、ワシントンのシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)でのスピーチでは、「強い日本を取り戻す。世界により一層の善をなすため、十分に強い日本を取り戻そうとしている」と強調した。これもまた自ら訪れた米国で首相自身が語ることで、強いメッセージを発したものである。
 中国をめぐる日米関係が今、どういう状況にあるか。拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 氏の見方が参考になる。遠藤氏は産経新聞平成25年2月27日号に「価値観外交で米中の間に楔を」と題した記事を書いた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130227/plc13022703300004-n1.htm
 遠藤氏は言う。「米国に従っていれば何とかなるという時代は終わった。ある意味で日本が米国をリードしなければならなくなっている。日本の安全と繁栄のために米国をいかに取り込むか、米国をして日本を味方に取り入れた方が利益に適うといかに納得せしめられるか、そこに課題の中心がある」と。
 この見方は重要である。米国は帝国の衰退期に入っており、今や債務増大による財政危機のため、国防費を削減し、アジア太平洋への関与を縮小しなければならなくなっている。そこで米国には、中国と協調して経済的な利益を追求する一方、直接対決を避けるため、中国のアジア太平洋進出をある程度容認するような動きが出てきている。この時にわが国の政府が米国に対して、日本にとってもまたアジア太平洋地域にとっても、米国が貢献してくれるように働きかけていかないと、米国が後退する分、中国が荒々しく進み出てくるだろう。わが国の政府は、積極的に対米外交を行い、米国にアジア太平洋重視の政策を続け占めるようにリードする必要がある。
 では、どのようにリードするか。ここで注目すべきが、安倍政権が行っている価値観外交である。価値観外交とは、外務省によると、「普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)に基づく外交」である。
 遠藤氏は、安倍首相は価値観外交というカードを駆使しているとして、「就任早々、日米豪印4カ国による『アジアの民主主義セキュリティー・ダイアモンド』構想を提起し、東南アジア訪問を通じて、『対ASEAN外交5原則』を掲げた。今回の米国訪問でもそうだが、自由や民主主義、基本的人権、力ではなく法による支配、アジアの多様性等々の強調は、これらの諸価値を認めず力でゴリ押しする中国に対する牽制あるのはもちろん、米国や東南アジア諸国に対しても、価値観を異にする中国と組むことが利益に適うのかという問い掛けになっている」と評価している。

 次回に続く。

人権46~力と権力

2013-05-24 09:23:30 | 人権
●力と権力

 人権の考察のため、第2章で自由、第3章で権利の検討を行った。そのなかで浮かび上がったのが、権力と国家の問題である。自由と権利は権力と国家と間で、獲得や保障がされる。本章では、人権との関係において、権力について検討する。その後、次章で国家について述べる。
 権利には主体と対象がある。主体は権利を所有し行使する者である。対象は、権利を行使する相手である。主体と対象は相互に主体となり、対象となる。主体―対象は、相互的に行為を行う。行為は意思の活動による能力の発揮であり、権力の行使またはこれへの対応である。権利に係る行為は、主体―対象に効果を生む。この行為による権利の行使・対応及びその効果を、作用と呼ぶ。権利の作用は、主体―対象の相互作用である。こうした権利の相互作用を力の観念でとらえたものが、権力である。権力は意思を現実化する能力であり、他者の行為に対する強制力である。特に強制力を中心として権利の作用をとらえたものが、権力と呼ばれているものである。
 権力と訳される西洋語は、英語の power、独語の Macht、仏語の puissance である。これらはどれも力を表す言葉である。日常的な言語では、目に見えないが人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを力という。力は物事を生起させる原因に係る概念である。
 力とはまず身体的な力である。その典型が腕力である。腕の動きは、押す、掴む、殴る、奪う、投げる等、直接相手の身体に働きかける。その働きを力の観念でとらえたものが、腕力である。
 力とはまた物理的な力である。自然界の風や水等の動きや火、石等の働きが、力と感じられる。人間が自然の仕組みを利用して作る道具は、身体的な力をより強いものにする。道具は、手や腕の延長である。道具が複雑な機構を持つ様になったものが機械である。機械に動力を加えることにより、人間はさらに大きな力を生み出すことができる。
 力とはまた社会的な力である。人間は集団生活を送る動物であり、集団の行為によって、身体的・物理的な力は社会的に組織された力となる。物理的な力には、作用・反作用があり、相反する方向に働く。社会的な力も、支配/保護、抑圧/解放、対立/協調、奪取/供与等、相反する働きをする。権力とは、身体的・物理的な力をもとにした社会的な力である。権力も社会的な力として、相反する働きをする。
 さて、力を意味する英語 power は、仏語の pouvoir から来ている。pouvoir は「~することができる」を意味する動詞である。その派生名詞 puissance は力を意味し、権力を意味するほかに、勢力や効能・機能をも意味する。
 例えば、ロングマンの英語辞典は、power を次のように定義している。

 the ability or right to control people or events. /the legal right or authority to do something/the ability to influence people or give them strong feelings.

 すなわち、power とは、人や出来事を支配する能力や権利、何かを行う法的な権利や権威、人に影響を及ぼし、強い感情を与える能力である。この定義には、能力や権利を意味する語が使われており、権力と権利の概念は、重なり合うことを示している。日常語の中に潜むこういう意味の相関関係を整理することで、概念を明確化することができる。
 幕末・明治のわが国では、西洋語の power、Macht、puissance 等を政治的・社会的な文脈で使われる場合は、「権力」と訳した。「権」の文字については先に書いたが、もともと木製の秤の重りや分銅を意味する。白川静氏の説では、「権」のつくりの部分はコウノトリで、神聖な鳥として鳥占いに使われた。そこから「はかる」の意が生じた。「権」の字は重さを量る物の意味から、バランスに影響する重さや、重さを担う力を意味するようになり、さらに社会関係に作用する個人や集団の持つ勢力や資格をも意味するに至った。 power、Macht、puissance 等を単に「力」と訳さず、「権」の字を加えて「権力」と訳したことによって、日常語の「力」と区別することができている。これは見事な工夫である。
 力を含む漢字単語には、「腕力」「武力」「実力」「暴力」「協力」等、様々なものがあるが、元の西洋語には必ずしも「力」を意味する文字は明示されていない。例えば、「暴力」は英語の violence、「協力」は cooperation の訳語に使われるが、もとのほうには「力(power、force)」を意味する接頭辞や接尾辞はない。日本人が、こうした西欧単語を漢字を使って翻訳した時、「力」の文字を加えて訳したのは、深い洞察によっていると思う。

 次回に続く。

■上記の項目を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」の全文を下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm

尖閣:米中再接近の動きに注意すべし3

2013-05-23 08:45:11 | 尖閣
●親中派ケリー氏への国務長官の交代

 第1期オバマ政権はアジア太平洋重視の外交を続けた。それを主導したのは、クリントン国務長官だった。だが、健康問題を抱えるクリントン氏は国務長官を勇退し、氏の後任に、ジョン・ケリー氏が指名された。国防長官は、レオン・パネッタ氏からチャック・ヘーゲル氏に交替した。
 ケリー氏は平成16年(2004)大統領選では、民主党の候補としてブッシュ子と戦って敗れた。その後、上院外交委員長を務め、第1期オバマ政権ではアフガニスタンやイラク問題で外交の実務で活躍した。ヒラリー・クリントン氏に勝るとも劣らない大物である。だが、私はケリー氏の国務長官就任で、オバマ政権が対中融和路線に戻る可能性があることに懸念を覚えた。ケリー氏は、親中派なのである。平成16年(2004)ブッシュ子前大統領と戦った大統領選で、「中国は一つ」との認識で一貫し、米国が台湾支援の根拠としている台湾関係法には一切言及しなかった。
 案の定、今年1月末の米議会上院公聴会で、ケリー国務長官は、「米国は中国を敵視せず、協力相手とみなすべきだ」と主張し、「アジア太平洋地域での軍事力増強は中国包囲網との印象を与える」と親中的な姿勢を示した。ケリー氏は、上海生まれの母方の祖父が、アヘン貿易で財を成したという家系の過去に反省の意識を持っているらしい。フランクリン・デノア・ルーズベルトも、母方のデラノ家がやはりアヘン貿易で財を成した富豪だった。そういうコンプレックスが、彼の対中政策に影響を与えたと指摘されている。ケリー氏の場合、その点はどうか分からないが、対中融和的であることは、明らかである。
 2期目のオバマ政権は、「財政の崖」と呼ばれる財政危機に直面しており、強制的に国防費を削減することとなった。ヘーゲル国防長官は、この課題を担っている。国防費の削減は、アジア太平洋地域での軍事的対応の縮小につながる。ちょうどそういう時期に、親中派のケリー氏が国務長官になった。一方のへーゲル国防長官は、これまでアジア太平洋地域の安全保障に携わったことがなく、日本や中国に対してどういう認識を持っているか、まだよく分かっていない。
 4月12~15日、ケリー長官は東アジアを歴訪した。韓国・中国に続いてわが国も訪問した。13日には、習近平国家主席と会談した。このとき、習主席は、「先ごろオバマ大統領との電話会談で中米の協力関係を強化し、『新型大国関係』の構築を模索することで合意した。双方が戦略的、長期的な視点から積極的に協力関係を拡大することを希望する」と語ったと報じられる。
 ケリー長官は北京で興奮気味に、「期待したよりもずっと多くの分野で、ほとんどの分野で、いや全ての分野で、不同意よりも同意が実現した。(米中という)世界最強の2カ国、世界最強の2大経済国、2大エネルギー消費国、国連安保理の2大国が、国際社会の隅々にまで目配りするとき、相乗作用が生じるのです」と語った。櫻井氏は「米中協調を国益とする二大国主義(G2)への転換を思わせる発言だった」と書いているが、ケリー氏の発言は、オバマ政権があたかも第1期のスタート時点に戻ったかのようである。
 習主席が唱える「新型大国関係」には、「双方の核心的利益を尊重し合う」という条件がある。中国の「核心的利益」とは、台湾・チベット・新疆ウイグル、そして南シナ海・東シナ海を含む。ケリー国務長官が、クリントン氏もそうだったように、中国との外交に実際に当たる中で、相手の正体に早く気づき、外交姿勢を改めることができるかどうか。それによって、米中関係、さらにアジア太平洋地域の情勢が大きく左右されることになるだろう。

●米中再接近を防ぎ、日米の連携を強化する

 私は、世界の平和と安定にはアジアの平和と安定が不可欠だと考える。そのためには、日米が連携し、アジア太平洋における中国の覇権主義を抑える必要がある。中国は尖閣諸島だけでなく、尖閣の次は沖縄を狙っている。沖縄を略取したら、さらに日本全体を狙ってくる。だから、尖閣を守ることは、沖縄を、そして日本を守ることになる。このことは、米国にとっても重大な意味を持つ。沖縄には米軍基地がある。沖縄から米軍が撤退した後、沖縄が中国領になれば、米国はアジア太平洋における拠点を失う。沖縄が中国の手に落ちると、アジア太平洋における軍事的なバランスが大きく崩れる。クリントン前長官は、この点の理解がかなり進んでいたようだが、ケリー長官はまだしっかりした認識を持っていないように見受けられる。
 東アジア歴訪の最後にわが国を訪れたケリー長官は、4月15日安倍首相、岸田外相と会談した。対北朝鮮政策、尖閣諸島、普天間移設等を議論し、日米の連携の強化が図られた模様だが、その一方、ケリー長官は会談で中国への言及が少なかったと伝えらえる。中国との融和・協調に意識が傾き、中国の術策にはまって、日米間に隙間を生じないようにしれもらいたいところである。
 米国政府では、知日派のカート・キャンベル国務次官補が退任したが、後任には幸い知日派の国家安全保障会議(NSC)のダニエル・ラッセル・アジア上級部長が内定した。近く上院で承認を受ける見通しである。わが国の政治家・外交関係者は、日本をよく知る米国の政治家・外交官等とのつながりを生かし、ケリー国務長官が中国の領土的野心、覇権主義を理解し、同盟国日本の重要性を認識できるよう、働きかけを強めるべきである。そのことが現下で米中再接近の動きを防ぎ、日米の連携を強化する上で要になると思う。
 以上で本稿を終える。価値観外交については、引き続き、稿を改めて書く。

関連掲示
・拙稿「2013年明けの『財政の崖』は回避、だが米国に次の危機が」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12.htm
 目次から項目36へ
・拙稿「米中が競い合う東南アジアと日本の外交」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12p.htm

尖閣:米中再接近の動きに注意すべし2

2013-05-21 10:17:02 | 尖閣
●東南アジアが米中の競い合う場に

 中国は、米国をけん制しつつ、東南アジアへの経済・外交・安全保障面での影響力を拡大している。とりわけ、南シナ海のほぼ全域を「核心的利益」と呼んで領有権を主張し、覇権の確立を目指している。これに対し、米国はアジア太平洋における中国の行動をけん制するため、ASEANとの関係の強化を図ってきた。冷戦時代に、米国と中国はインドシナ半島で激しく勢力争いをした。ベトナム戦争やカンボジア内戦は、米中の勢力争いの舞台だった。今日その争いの再現を思わせるほど、東南アジアは再び米中が激しく競い合う地域となっている。
 オバマ大統領は、23年(2011)秋、それまで以上に「アジア太平洋シフト」外交の姿勢を明確にし、在日米軍再編など日米同盟を通じた対中抑止強化に踏み出した。ただし、中国に対して柔軟な対話路線を取り、軍拡・海洋問題では牽制しながら、対北朝鮮・対イランでは協力を要請するという複雑な外交を展開しているものである。
 24年(2012)11月6日オバマ大統領が再選された。大統領が引き続きアジア太平洋重視の方針を堅持する姿勢を示したことは、日本にとってもアジア太平洋地域にとっても歓迎すべき事柄だった。
 再選されたオバマ大統領はタイ、ミャンマー、カンボジアの3カ国を、再選後初の外遊先に選んだ。このことは、2期目もアジア太平洋重視の方針を堅持することを示しただった。11月19日、オバマ氏は現職の米大統領として初めてミャンマーを訪問した。オバマ氏は、スー・チー氏を自宅に訪ねて会談した。スー・チー氏の肩を抱いて微笑むオバマ氏の写真は、ミャンマーの民主化と米国の関与を強烈に印象付けた。オバマ氏のミャンマー訪問は、ミャンマーを中国から引き離し、自由民主主義の勢力の側に引き付ける外交をさらに大きく前進させるものとなった。
 このときプノンペン行われた一連のASEAN関連首脳会議で、東南アジアにおける米中の対立が一段と鮮明になった。南シナ海問題について、オバマ大統領は「多国間の枠組みでの解決」を主張した。一方、中国の温家宝首相は「あくまで2国間で解決すべきだ」と従来の姿勢を繰り返した。中国は多国間協議を拒否し、個別撃破の政略を取っている。中国の反対により、南シナ海の紛争回避に向けた「行動規範」の策定協議入りは先送りされた。
 中国が南シナ海で覇権を確立すれば、東シナ海でも覇権確立の動きを強化することは明白である。南シナ海の領有権問題は、わが国にとっては東シナ海の領有権に直結する問題である。南シナ海から東シナ海へ、さらにインド洋へと勢力を広げようと企む中国の野望に対抗するため、わが国は、米国・東南アジア諸国に加えて、南方のオーストラリア、西方のインドへも連携の輪を広げ、太く、強くする必要がある。米国の政権が、日米安保条約を堅持し、中国に対して積極的に対抗する外交を行う政権であることは、わが国にとっても、またアジア太平洋地域の多くの国々にとっても、喜ばしいことなのである。

 次回に続く。

尖閣:米中再接近の動きに注意すべし1

2013-05-20 08:46:59 | 尖閣
 櫻井よしこ氏の尖閣問題・国際問題に関する記事を5月14日の日記に掲載したが、櫻井氏はその記事の中で、第2期オバマ政権における米中関係の変化についても述べている。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/3bd07287f5c4eaf7242c642f6797cd59
 櫻井氏は言う。
 「米国は、アジア・太平洋政策を転換させつつあるかに見える。同盟諸国や価値観を同じくする友好国と連携して事実上中国を包囲する、いわゆるピボット政策が、第2期オバマ政権では、中国との協調重視の路線に変わりつつある」
 「4月12~15日、韓国、中国、日本を歴訪したケリー国務長官は北京で興奮気味にこう語った。
 『期待したよりもずっと多くの分野で、ほとんどの分野で、いや全ての分野で、不同意よりも同意が実現した。(米中という)世界最強の2カ国、世界最強の2大経済国、2大エネルギー消費国、国連安保理の2大国が、国際社会の隅々にまで目配りするとき、相乗作用が生じるのです』
 米中協調を国益とする二大国主義(G2)への転換を思わせる発言だった」
 「米中関係の微妙な変化は、北朝鮮の核・ミサイル、北方領土、竹島、歴史認識問題などに連鎖反応を及ぼす。わが国はかつてない深刻な危機の中にある。米国との同盟関係重視は不変にしても、独立国家としての自覚がますます必要になろう」と。
 米中再接近の動きに注意し、これを防ぎつつ、日米の連携を強化する必要がある。この点について私見を述べたい。

●オバマ政権第1期はアジア太平洋重視で中国対抗姿勢

 オバマ政権は1期目の始め、ドルの維持とイラン等への対応のために中国の協力を必要することから、対中融和外交路線を取り、中国への対応は低姿勢が目立った。
 平成21年(2009)11月北京で行われた米中首脳会談で、バラク・オバマ大統領と胡錦濤国家主席は、米中が戦略的関係を強め、世界規模の問題で協調することなどで合意した。オバマ大統領は、対中封じ込め政策を放棄し、米中の軍の交流が開始された。
 中国の大国化と米中の協調により、「G2」の時代の到来は近いと思わせた。「G2」とは、米中二国が世界規模の問題に共同で対処する体制をいう。中国では、「中美共治」と呼ぶ。「美」は美国、アメリカである。「中美共治」は、文字通り中国と米国で世界を統治するという意味である。
 だが、オバマ政権第1期は、途中から中国に対する姿勢を改めた。ヒラリー・クリントン国務長官やカート・キャンベル国務次官補らが中心となって、G2路線を軌道修正した。もともとヒラリーは親中的で、ビル・クリントン政権に中国との間の高度技術提供や政治資金授与の疑惑が出た際には、ファーストレディである彼女の関与が疑われもした。平成20年(2008)の米国大統領選で民主党の候補者争いでは、ヒラリーが候補者中最も親中的で、日本にはやや敵対的だった。ヒラリーはオバマに敗れ、オバマが民主党の候補者として、ジョン・マケインに勝って大統領となった。オバマはライバルのヒラリーを国務長官に指名した。国務長官になったヒラリーは、外交の実務についてから中国を警戒するようになったのだろう。彼女がオバマ政権の軌道修正を主導したと見られる。
 オバマ大統領は、平成21年(2009)11月14日、東京・赤坂のサントリーホールで行った演説で、アジア太平洋重視の方針を打ち出した。大統領は「日米同盟が発展し未来に適応していく中で、対等かつ相互理解のパートナーシップの精神を維持するよう常に努力していく」として日米同盟の重要性を述べ、「米軍が世界で二つの戦争に従事している中にあっても、日本とアジアの安全保障へのわれわれの肩入れは揺るぎない」として日本とアジアの安全保障への取り組みに変わりはないことを強調した。また、オバマ氏が「私はハワイで生まれ、少年期をインドネシアで暮らした米国の大統領だ。環太平洋地域は私の世界観を形成してくれた」「私は米国初の『太平洋大統領』として、この太平洋国家が世界で極めて重要なこの地域においてわれわれの指導力を強化し持続させていくことを約束する」と述べた。オバマ大統領は、自分がアジア太平洋地域で生まれ育ったことを強調し、合衆国を「太平洋国家」と呼び、「太平洋大統領」と自称して、アジア太平洋地域に積極的に関与することを明言したのである。
 以後第1期オバマ政権はアジア太平洋重視の外交を続けた。それを主導したのは、クリントン国務長官だった。クリントン氏は22年(2010)1月のホノルル演説で、「米国はアジアに戻る。そしてとどまる」と宣言した。そして、同年7月中国と南シナ海諸国の間の領有権争いについて、多国間交渉を支持する姿勢を打ち出した。中国は南シナ海問題で多国間協議を嫌い、2国間での解決を強く主張している。2国間協議なら、中国は個別的に自国の利益になる原則を適用できるからである。しかし、米国が積極的な関与するようになると、これに意を強くした大多数の関係国が、国際規範による解決を主張するようになった。

 次回に続く。

人権45~集団の権利あっての個人の権利

2013-05-18 06:47:57 | 人権
●集団の権利あっての個人の権利

 権利の個人性・集団性、協同性・闘争性、侵略性・防衛性について書いてきた。ここであらためて個人の権利は集団の権利あってのものであることを強調しておきたい。
 先に集団の権利が確保されて、初めて成員個々の権利が保障されると述べたが、現在の世界における国家の主要形態である国民国家においては、国民個々の権利を保障する主体は、全体としての国民である。政府は、国民を代表して国民の権利を保障する統治機関である。権利は政府によって保障されるものであると同時に、国民が相互に保障するものである。国民が政府から権利の保障を受ける受動性に傾き、互いに権利を保障し合う積極性を失えば、その国民は領土を失い、独立も主権も、自由も権利も、生命も財産も失うことになる。
 独立主権国家として権利を保持するためには、他国に対して権利を主張し、他国の承認を得ねばならない。また権利を侵害された場合は、権利の回復を求め、それが容れられなければ、権利の奪還を図らねばならない。これは国家主権の発動の問題となる。主権については、後の章で国家との関係で述べるが、集団としての権利の一つに国家の権利があり、国家の権利が主権の実態である。国民が主権に参与している場合は、主権は国民の権利である。主権は、国民の個々の権利を協同的に行使してこそ、対外的によく発揮できる。
 人類の歴史は、集団と集団の権利のぶつかり合いを繰り返してきていると先に書いたが、人類史の多くの部分は戦争の歴史だった。戦争のなかった時期の方が珍しい。しかし、20世紀に入り、第1次世界大戦が起こり、戦後、1928年に欧米諸国を中心に不戦条約が結ばれた。不戦条約は、国際紛争の解決はすべて平和的手段によるものとし、一切の武力使用を禁止した。だが、1930年代以降のブロック化、ファシズムの台頭等は不戦条約を空無化し、再び世界大戦が起こった。第2次世界大戦は、科学兵器の発達を促し、最終兵器としての原爆が登場した。しかし、その後も、多くの地域紛争が起こり続けている。こうしたなか、政府と国内の諸個人・諸団体の権利関係及び諸個人・諸団体同士の権利関係を定める国内法に対し、主に国家と国家の権利関係を定める国際法が発達した。
 国際法違反を犯した国家には国家責任が生じ、原状回復、損害賠償、陳謝といった事後救済の義務が生じる。だが、国際社会においてそれを強制執行する仕組みは十分確立されていない。また、客観的な事実認定・違法性認定や法適用を行う制度的保証はない。それゆえ、被害国の自衛権及び非軍事的復仇が認められている。こうした国家レベルでの集団の権利が十分機能するには、国民が権利を協同的に行使し、協力・団結して集団の目的を追求しなければならない。
 わが国の例を取れば、日本は幕末において欧米列強の圧力を受け、不平等条約を締結し、関税自主権を失い、列強に治外法権を与えた。明治維新後、政府は不平等条約の改正に努力し、ようやく明治44年(1911)に両権利の回復を実現した。国家として外国に対する関税の権利を失ったり、外国人に対する裁判の権利を失ったりすると、個人としては相手国に対抗できない。個人の権利として主張しても政府間の取り決めのもとでは認められない。民権は国権が強化されてこそ、拡大し得るものだった。また、わが国は第2次世界大戦末期、ソ連に北方領土を侵攻・占拠された。北方領土の元居住者や土地所有者が、ソ連に対して権利を主張しても認められない。国家として政府が領土返還を交渉し、返還後初めて、個人の権利の回復が可能になる。個人個人の権利の主張では、集団の権利としての領土の領有権を守れない。個人の人権は、国家の安全保障と切り離せず、むしろ後者を前提とするものである。人権を説く論者の多くは、この点において本末転倒に陥っている。
 さて、第2章から第3章にかけて、自由と権利について検討を行った。自由の観念の発生・発達、自由と平等・道徳・経済、権利の歴史、権利の要素、権利の個人性と集団性、協同性と闘争性、侵略性と防衛性を見てきた。この過程で、人権と呼ばれる「発達する人間的な権利」は、国家との関係で考察しなければならないものでるあることが明らかになった。国家との関係で人権を考察するには、まず権力について検討する必要がある。そこで次章は権力について論じたい。

 続く。