ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

イギリスが国民投票でEU離脱決定。だが・・・

2016-06-30 10:30:04 | 国際関係
 6月23日のイギリスの国民投票の結果は、「離脱派」が勝利した。離脱が51.9%、残留が48.1%だった。わが国では、僅差ではあっても「残留派」が勝利するだろうという見方が大勢を占めていた。離脱派の勝利を意外と思った人が大多数だろう。
 イギリスのEU離脱は、短期的に見ると、日本経済には円高・株安が襲う。イギリスに拠点を作ってEUに進出している国際企業への打撃が大きい。また、世界経済には、リーマンショック級の衝撃になる可能性がある。長期的には、EUでリージョナリズム及びグローバリズムに対するナショナリズムの反攻が強まっていくだろう。さらに超長期的には、イギリスの離脱はEUの解体、再編成への引き金になると予想される。それはまた日本にも大きな影響をもたらす。日本は、激動する世界を生き抜くために、国民の団結が必要である。
 さて、イギリスのEU離脱派の主張は、EUに加盟していることによる主権の侵害、移民の増加で、税負担が増加、失業リスクが増大、古来からの民族文化を喪失、治安が悪化等への異議だった。これは、イギリスだけの問題ではない。今後、他の国々でも国民投票が実施され、英国に続く「ドミノ離脱」に発展することが予想される。そのような動きの可能性のある国として、デンマークやオランダが挙がっている。
 ナショナリズムは、もともと自由主義及びデモクラシーと結びついたものだった。国家主義・全体主義・排外主義ととらえるのは、文化・歴史をともにする国民共同体を解体しようとする共産主義的インターナショナリズムと市場原理主義的グローバリズムの影響である。これらの思想の発祥の地であるヨーロッパで、自由民主主義的・国民共同体主義的なナショナリズムが復興しているのである。
 だが、ナショナリズムは統合の原理ともなれば、分裂の原理ともなる。英国は、EU離脱の決定をきっかけとして、解体に向かうかもしれない。今回の国民投票でスコットランド、北アイルランド、そしてロンドンでは、残留に投票した票が過半数を占めた。スコットランドでは62.0%、北アイルランドでは55.8%、ロンドンでは59.9%が残留賛成だった。離脱決定後、スコットランド民族党のスタージョン党首は独立に向けて、再度の住民投票を提案した。前回の約2年前の住民投票では独立派が敗れたが、イギリスのEU離脱決定後に再び住民投票をやれば、独立派が勝利する可能性がある。スコットランドが独立すれば、連合王国は分裂する。残留に賛成の票が約60%だったロンドンでは、独立を求める署名運動が起こっている。ムスリムの新市長カーンがEU離脱交渉での発言権を主張している。
 もともと連合王国は、統合原理が弱い。わが国のように古代から一系で続く皇室を仰ぐ国柄とは違い、何度も交代を続けた複数の王朝が近代になって連合してできた国である。現在の王室は、ドイツから招いた貴族の末裔であり、国民を統合する求心力は弱い。それゆえ、もともと別の国だったスコットランドや北アイルランドが、イングランドから離れていくことは、十分考えられる。

 私は、イギリスはEU離脱・EU残留のどちらに進んでも、衰退の道をたどると予想している。離脱はナショナリズムの復興だが、同時に連合王国の解体のきっかけになる。残留はリージョナリズムの拡大だが、一層移民が増え、英国はイスラーム化していく。
 国民投票でEU離脱が決定した英国では、ポンドの急落、世界的な株価の暴落など、人々があまりの影響の大きさに驚いているようである。離脱に投じた人々のかなりの部分が離脱を選んだことを後悔しているとか。まさかこんな事態になるなんて、と。
 選挙当日の各種出口調査で、残留か離脱のどちらに投票したか聞くと、残留が52%、離脱が48%と残留がやや多かった。投票結果をどう予想するかと聞くと、残留が52%、わからないが29%で、離脱は19%しかいなかった。つまり離脱に投票したが、離脱になるとは思っていない人が多かった。こんな具合ゆえ、早くも世論が変化しつつあるようである。もし近いうちにもう一回国民投票をやったら、残留が多数を占める可能性が出てきている。
 イギリスの国民投票には法的な拘束力がない。国民投票の結果を覆すことも、技術的には可能である。英国政府は、国民投票の結果をもとに、行動することもできるが、逆に行動しないこともできる。議会で審議することにしてしまうことも可能だろう。
 EUからの離脱の交渉には、2年を要する。確信的な離脱派が新たな首相になれば、離脱交渉を推進し、確実に離脱を実現しようとするだろう。だが、交渉の過程で世論がますます残留の方に傾いて行った場合、世論と政府の方針が隔たっていくかもしれない。ポイントは、スコットランドだと私は思う。スコットランドが独立すれば、ほぼ後戻りはできなくなる。
 こういうことを考えると、キャメロン首相は国民投票の実施要求を受け入れ、また投票の結果を見るやすぐさまそれに従い、辞任を表明するなど、英国人らしいしたたかな知恵や不屈の意志を欠いた小粒な人物だと改めて思う。デモクラシーは民度が低いと衆愚政治になる。そのうえ、指導者がポピュリズムに迎合すると、国家は混迷に陥る。今後、イギリスが離脱の交渉を進め、離脱を実現するにしても、逆に残留の方に転じていくにしても、それを担う政治家の器量に、イギリスの命運がかかっているように思う。
 今後、市民個々の間でも離脱派と残留派の争いがあちこちで繰り広げられるようになれば、ピューリタン革命以来の激動になる可能性がある。そして、イギリスでの対立・混乱は大陸にも波及し、ヨーロッパ全体がさらに大きく揺れ動くだろう。その過程で、財政危機にある国々の経済状況がさらに悪化し、ドイツ等が支えきれない段階に入るのではないかと予想される。衰えゆく欧州の夜の闇は、これからいっそう深くなりそうである。
 もしイギリスが今回の決定に従い、EUを離脱すれば、最も喜ぶのはロシアのプーチン大統領である。ロシアは、冷戦終結後、かつてソ連時代に支配下に置いていた東欧諸国の多くがEUに加盟し、勢力を落とした。それを挽回しようとクリミアを併合したところ、欧米から経済制裁を受けている。イギリスの離脱でEUが弱体化すれば、ロシアには経済制裁解除の可能性が出てくる。さらにイギリスに続いて、EUを離脱する国が続けば、いっそうEUの統合力が弱まるから、ロシアにはヨーロッパ諸国との関係を有利に持っていくことができる。旧東欧諸国をロシア側に引き戻すことも可能になるかもしれない。
 中国にとっては、イギリスのEU離脱はプラス・マイナスの両面がある。イギリスはAIIBにいち早く参加し、それが欧州諸国のAIIBへの参加のきっかけになった。中国をイギリスを足掛かりに、EUに大きく進出しようとしていた。それがイギリスの離脱で若干頓挫した。だが、その反面、EUの弱体化とロシアのヨーロッパとの関係回復は、中国にとってもユーラシアでの勢力拡大の好機となる。ヨーロッパで立場が悪くなるイギリスは、アジアへの一層のかかわりを求めるだろう。中国は、そうしたイギリスを取り込んで、東アジアでの覇権確立に利用するかもしれない。
 そえゆえ、イギリスのEU離脱は、単にイギリスとヨーロッパとの関係という構図だけでなく、ロシア・中国を含めた大きな構図で見る必要がある。もちろんそこにはアメリカを加えなければならない。冷戦終結後、一時的にアメリカ一極支配と見えたわずかな時期ののちに、世界は急速に多極化してきた。アメリカの勢力後退は、多極化を一層助長する。こうした中で、ロシア・中国が世界戦略を展開している。イギリスのEU離脱決定は、ヨーロッパの不安定化の引き金となり、さらに世界的な力関係を流動化させることになるだろう。

 さて、EUが目ざすヨーロッパの統合は、ヨーロッパが生み出した近代国家の枠組みを超え、広域的な組織、市場、単一通貨を作ることが、ヨーロッパ諸国民の利益になると考えるものである。その根底には、ヨーロッパの統合を通じた世界連邦の創設という構想がある。世界政府が管理する単一の世界市場。あらゆる共同体が解体され、国民意識も崩壊して、バラバラの個人が集住する社会。こうした市場社会を運動させるものとしての共通貨幣。その管理システムーーそれらがEUやユーロという形で、ヨーロッパという地域で先駆的に進められているのである。
 だが、こうした構想は、イスラーム移民のヨーロッパへの流入によって、大きな問題にぶつかることになった。EUは、域内で関税をなくし、労働者の移動を自由にしている。域内に流入したイスラーム系移民は国境を越えて移動し、仕事を求めてイギリス、ドイツ、北欧等の豊かな国に向かう。これに対し、各国で移民への制限を行い、国民共同体を回復しようとする動きが、強まっている。我が国は、そうした主張をする政党を「極右政党」と呼んでいる。だが、それらの政党の多くは、ヨーロッパの伝統的な自由主義とデモクラシーに基づく政党である。ヨーロッパの伝統的な価値を守りたいという人々が、リージョナリズム及びグローバリズムに異議を唱えているのである。
 今回EUからの離脱を決めたイギリスは、ヨーロッパでもイスラーム系移民が最も多く、また最も速いスピードで増加している国である。多くの社会的・経済的・文化的問題が起こっている。これに対する国民の不満が高まった。
 イギリスは、かつて「七つの海」を制した大英帝国だった。世界的な覇権国家としての地位はアメリカに譲ったものの、金融においてはなお巨大な力を振るっている。また、現在も旧大英帝国が形を変えた英連邦の盟主であり、英連邦の加盟国は54ヵ国。連邦全体の人口は17億人、世界人口の約4分の1を占める。ゆるやかではあるが、帝国の威容をとどめている。
 古代ローマ帝国では、帝国の周縁部からゲルマン人が流入し、ローマ帝国は大きく傾いていった。いま、これに似たことがかつての大英帝国、英連邦の中心国・イギリスで起こっている。今日のヨーロッパ文明には、イスラーム教徒をキリスト教に改宗し得る宗教的な感化力は存在しない。イギリスもヨーロッパ文明の一部として同様の状態にある。英国国教会という独自の国家的なキリスト教宗派を保ってはいるが、近代化・世俗化の進むイギリスに、熱烈な異教徒を信仰転換できる宗教的情熱は、見られない。このままEUにとどまって、移民の大量な流入を許せば、イギリスは「イスラーム化」するだろう。
 平成21年(2009)8月、英「デイリー・テレグラフ」紙は、EU内のイスラーム人口が2050年までに現在の4倍にまで拡大するという調査結果を伝えた。それによると、EU27カ国(当時)の人口全体に占めるイスラーム系住民は前年には約5%だったが、現在の移民増加と出産率低下が持続する場合、2050年ごろにはイスラーム人口がEU人口全体の5分の1に相当する20%まで増える。イギリス、スペイン、オランダの3ヵ国では、「イスラーム化」が顕著で、近いうちにイスラーム人口が過半数を超えてしまうという。
 EU各国がこれまでのようにイスラーム系移民の流入を受け入れ続けていくならば、各国の社会には、かつて体験したことのない質的な変化が起こるだろう。白人種・キリスト教のヨーロッパ文明から、白人種・有色人種が混在・融合し、キリスト教とイスラーム教が並存・対立するヨーロッパ文明への変貌である。そのまま進めば、やがてユーラシア大陸の西端に、「ユーロ=イスラーム文明」という新たな文明が生息するようになるだろう。
 日本人は、ヨーロッパ文明を日本文明に置き換え、イスラーム系移民を中国人に置き換えて、よく比較・考察し、前車の轍を踏まないようにすべきである。流入してくるのが中国人だったら、ヨーロッパ以上にもっと大変な事態になる。世界最大の人口大国からの流入である。背後に中国共産党がついている。反日教育を受けている。礼儀もマナーもない、等々。絶対移民拡大政策はすべきではない。

関連掲示
・移民問題について掘り下げて考えたい方は、拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」をお読み下さい。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09i.htm
・ナショナリズムについて基本的なことから考えたい方は、拙稿「人権――その起源と目標第6章(2)人権とナショナリズム」をお読みください。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i-2.htm

人権324~センは人権を道徳的要求として擁護

2016-06-28 08:32:34 | 人権
●人権を道徳的要求として擁護

 センの思想について書いてきたが、ここから本稿の主題である人権に関するセンの考え方について書く。
 センの考え方を見るには、法と道徳の区別が重要である。最初にこの点について私の認識を示しておくと、第1部に書いたことだが、法と道徳の違いには、物理的強制力の有無、外面的行為と内心、相手のある義務と相手のない義務、現実規範と理想規範等の区別が挙げられる。ただし、これらは決定的な相違ではなく、相互に重なり合った部分がある。
 人権の観念は近代西欧で発生し、法によって保障される権利として発達してきた。だが、法のもとに道徳があり、道徳のもとに宗教がある。宗教は、超自然的な力や存在に対する信仰と、それに伴う儀礼や制度が発達したものであり、宗教から超越的な要素をなくすか、または薄くすると、道徳となる。道徳のうち、制裁を伴う命令・禁止を表すものが、法である。人権は人間の尊厳と個人の人格に基づくものであり、単に法的な権利ではなく、道徳的な側面がある。また、人権は道徳的な側面から宗教にも開かれている。宗教を否定し、道徳を排除したところで、人権を考えるならば、人間の尊厳と個人の人格を見失うことになる。
 非西洋文明の諸社会では、宗教の内に道徳と法を含んだ社会規範を保っている社会が、今日も多く存在する。イスラムやヒンズー教はその典型である。そして、超越的存在の観念を堅持し、それを中心とした社会規範を保ちながら、近代化を進めている文明が複数存在する。近代西欧における宗教・道徳・法の分離形態は、非西洋文明の諸社会で広く承認された形態ではない。そのことをよく踏まえて、人権の考察は行われねばならない。
 センは、インドに生まれ、インド文明を土壌としながら、欧米で西洋文明を吸収し、西洋文明と非西洋文明の比較の上に立って、人権を論じている。センは、人権を道徳的要求とし、人権を主張する様々な政治的・社会的な運動への支持を表明する。
 センは、『正義のアイデア』で、「世界のどこでも、人はすべて、ある基本的な権利を持ち、他者はそれを尊重しなければならないという考え方には非常に訴えかけるものがある」と述べ、「人権に対する道徳的要求は、拷問や恣意的な投獄や人種差別への抵抗から、世界中の飢餓や飢饉、あるいは医療サービスの不足を終わらせる要求に至るまで、様々な目的で用いられてきた」と評価する。
 センは、『人間の安全保障』の「人権を定義づける理論」において、「人権の宣言とは(略)道徳的な要求の表明とみなすべきだというのが、私の考えである。人権の宣言は本質的には倫理上の表明であって、何よりも、一般に考えられているような法的な主張ではない」と言う。『正義のアイデア』でも、次のように言う。「人権に関する宣言は、人権と呼ばれるものの『存在』を承認するような形で述べられていたとしても、実際には何をすべきかに関する強力な倫理的宣言である。それは、義務を承認することを求め、それらの権利によって特定される自由を実現するために何かがなされるべきことを示している」と。
 人権と自由との関係については、「人権の妥当性を検討する出発点として適切なのは、それらの権利の背後にある自由の重要性でなければならない」と述べている。
 こうした考えを持つセンは、人権を道徳的要求として擁護しようと試みる。人権を道徳的要求とする考え方は、実定法に定められた法的な権利のみが権利だとする考え方と対立する。センは、後者に反論するために、ベンサムを批判する。ベンサムはフランス市民革命期に人権を自然権とする思想を批判し、1791年から92年にかけて、人権の主張を完全に放棄するよう提案するために、『無政府主義的誤謬』を書いた。そこで、ベンサムは「自然権は全くナンセンスである。自然の絶対的権利は大げさなナンセンスであり、大言壮語のナンセンスである」と主張した。センは、『正義のアイデ』で、ベンサムは権利を法的にのみ解釈していたと指摘する。ベンサムは、人権を彼の説く功利主義的アプローチと代替的であり、また競合する倫理的アプローチと理解せず、人権宣言と実際の法制化された権利の法的地位の比較だ、と考えた。その結果、彼は、前者は決定的に法的根拠を欠いており、後者には明らかにそれがあると考えてしまった、とセンは述べる。
 センによれば、人権は道徳的要求が政治的・社会的な運動を通じて、法的な権利として実現されてきたものである。そして、道徳的要求は、単なる主張ではなく、道徳的な権利であるとする。必ずしも法制化する必要はなく、法制化されていなくとも、権利として擁護されるべきだという考え方である。社会的な規範には、実定法に定めたものだけでなく、掟や慣習等もある。むしろ、そうした規範が伝統としてあって、必要に応じて法制化されてきた。
 そうした歴史を踏まえると、センが次のように述べていることが理解し得るだろう。
 「人権を倫理的に理解することは、明らかに法的な要求と見ることに反し、またベンサムのように、法的に不当な主張と見ることにも反する。倫理的権利と法的権利は、もちろん、動機の点で関連している。実際、法志向的で、かつ、ベンサムの誤解を回避するアプローチが存在し、それは、人権を、法制化の根拠として用いる道徳的提案と見なす」と。(『正義のアイデア』)
 ここでセンが賛同を表明するのは、イギリスの法哲学者ハーバート・ハートの理論である。『正義のアイデア』でセンは、ハートについて、次のように書いている。
 「1955年の有名な論文『自然権は存在するか』でハーバート・ハートは、人々は『それを法制度に組み込むことを主張するとき、道徳的権利について主に語っている』と論じた。そして、彼は、権利の概念は、『道徳の一分野に属し、そこでは、どのようなときに、ある人の自由が他者の自由によって制限され、そして、どのような行為が強制的な法的規則の対象となるのかが決められる』と付け加えている。ベンサムは、権利を『法の子ども』ととらえたが、ハートは、人権を、事実上、『法の親』と見なした。それは、特定の法制化を動機付けるものである」と。
 ハートは論文の中で人権については何も触れていないが、センは、自然法の役割は法律を生み出すことだとする彼の理論は、人権の考え方にも当てはまると考えている。
 そして、センは次のように言う。「ハートは明らかに正しい。道徳的権利というアイデアが、新しい法律の基礎となり得ること、そして、実際にしばしばそうなってきたことに疑問の余地はない。それは、しばしばそのように用いられてきたし、それが、人権の主張の重要な使い方である。人権の言葉が用いられるか否かにかかわらず、特定の自由を尊重すべきであり、もし可能なら保障されるべきだという主張は、過去において、強力で効果的な政治運動の基礎であった。例えば、女性の投票権を要求する参政権拡張運動は最後には成功した。法制化を進める刺激となるという点は、人権の倫理的力が建設的に用いられる一つの方法であり、この特定の文脈において、人権という考え方とその有用性についてのハートの適切な擁護論は啓発的であり、影響力の大きなものである」と。
 センは、ハートの道徳的権利という概念に基づいて、今日の世界で人権の実現・拡大を目指す理論を説き、また活動している。

 次回に続く。

北朝鮮による朝鮮半島有事に備えよう3

2016-06-27 08:55:45 | 国際関係
●米韓は合同演習を実施

 北朝鮮の動きに対し、米軍は、2月中旬から有事の米軍増派・配備訓練を開始し、戦略部隊を続々と韓国入りさせた。なかでも、ステルス戦闘機F22を2機、沖縄・嘉手納基地から韓国に配備したことが注目される。F22は圧倒的な戦闘能力とレーダーには捕捉されないステルス性を誇り、北朝鮮の主要基地、舞水端や東倉里基地まで15分以内で到達し、核攻撃も可能である。韓国配備に期限は設けられておらず、米韓の決意が示されている。
 3月7日米韓による定例の合同軍事演習「キー・リゾルブ」と野外機動訓練「フォールイーグル」が開始された。韓国と周辺海域で、4月30日まで行われた。
 演習は北朝鮮による核実験や長距離弾道ミサイルを受け、過去最大規模で展開された。韓国軍約29万人と、沖縄駐留の海兵隊を含む米軍約1万5千人が参加した。韓国は例年の約1・5倍、米国は約2倍の規模で、米軍からは原子力空母、原子力潜水艦、ステルス戦闘機、ステルス戦略爆撃機、空中給油機など最新鋭兵器が多数投入された。
 演習では昨年策定された米韓軍の新作戦計画「5015」が初めて適用された。北朝鮮の軍事的脅威をふまえ、演習では、核ミサイル発射の兆候を把握した際の先制攻撃を想定した作戦に加え、北朝鮮の重要施設を正確に攻撃する訓練や、首脳を排除するための「斬首作戦」なども実施された。また、米韓はゲリラ戦を想定した実践的な演習も行い、北朝鮮の動きを牽制した。
 特に注目されたのは、「斬首作戦」の訓練である。この作戦は、韓国の被害を最小限にするため北朝鮮首脳部を早期に攻撃する作戦である。在韓米軍はイラク戦やアフガニスタン攻撃に投入された「敵の要人を暗殺する」特殊部隊の韓国上陸を公表し、北朝鮮に心理的な圧力もかけたものだろう。

●北朝鮮は挑戦的な姿勢

 米韓合同演習に対し、北朝鮮の国防委員会は、「最も露骨な核戦争挑発」と非難する声明を発表した。声明は、米韓に対して核武力などの軍事的威力を誇示する「先制攻撃も辞さない」と威嚇し、「情勢はもはや傍観できない険悪な境地に至った」と強硬な姿勢を示した。
 特に「斬首作戦」は、最高指導者・金正恩の首を斬る作戦だから、北朝鮮は激しく反発した。北朝鮮の国営メディアは、3月25日、金正恩第1書記(当時)の指導の下で、朝鮮人民軍が韓国の大統領府や政府機関を撃滅するための砲撃演習を行ったと伝えた。演習は、「百数十門に達する各種口径の長距離砲」を動員し「史上最大規模」で行われた。金第1書記は「攻撃命令が下されれば、ソウル市内の各統治機関を無慈悲に踏みつぶして進軍すべきだ」などと指示したという。
 一方、朴槿恵大統領は「北朝鮮は国際社会の前例のない制裁措置で孤立無援の状態にあり、無謀な挑発に踏み切る可能性が高い」と強調した上で、「北朝鮮のいかなる脅しにも韓国は少しも揺らがない。無謀な挑発は北朝鮮政権の自滅の道へつながるだけだ」と警告した。
これに対し、北朝鮮は、3月26日に朝鮮人民軍が朴槿恵大統領の謝罪と責任者の処刑を要求、応じなければ「無慈悲な軍事行動に移る」と警告する「最後通告状」を出した。ソウルの大統領府や政府機関を射程に収めた前線の長距離砲兵部隊が「先制攻撃命令を待っている」と強調し、「発射ボタンを押せば敵陣は一瞬にして灰燼と化すことになる」と威嚇した。
朴大統領は、この最後通告に譲歩せず、断固とした姿勢を崩していない。
 北朝鮮の冒険主義的な姿勢に対し、日米韓は共同で対処しなければならない。3月31日、安倍首相、オバマ大統領、朴大統領は、ワシントンで会談した。安倍首相は会談で、北朝鮮の挑発行動に歯止めをかけるため、日米韓3カ国の安保・防衛協力の強化に向けて3首脳がリーダーシップを発揮すべきだと主張した。会談では北朝鮮による核実験や弾道ミサイル発射といった挑発行為に結束して対処するとともに、安全保障分野での協力強化を確認したと伝えられる。会談後、オバマ大統領は、日米韓3カ国の安全保障協力が極めて重要であるとの認識で一致したと述べた。また、重要なことは、国連安全保障理事会の北朝鮮制裁決議を徹底して履行し、北朝鮮に核放棄なしには生存できないことを思い知らせることだと述べた。
 この間、北朝鮮は3月26日に、米国の首都ワシントンを攻撃する「最後の機会」と題したプロパガンダ映像をネット上に公開した。CG映像で潜水艦発射核ミサイルがリンカーン記念館の前の道に激突し、衝撃で爆発する連邦議会議事堂が映し出されている。
 続いて、4月6日韓国主要部を攻撃するCG映像もネット上に公開した。大統領府・政府合同庁舎・米軍基地等の7か所を攻撃するもので、すべては灰になると強調している。韓国主要部への攻撃は、先に書いた新型ロケット砲を使用すれば、可能となっていると見られる。中国製とみられる車両に搭載され移動するため、偵察衛星で上空から発射兆候をつかむのが難しい。また、弾道ミサイルと違って、迎撃は困難とされる。韓国は、深刻な脅威に直面している。

●むすびに

 北朝鮮は、5月下旬に開催された36年ぶりの朝鮮労働党第7回党大会に向けて、金正恩政権の科学技術の成果を強調し、国威を発揚して内部固めを進めたと見られる。大会終了後、朝鮮半島の緊張の度合いは、低下した。だが、北朝鮮は、着々と核・ミサイルの技術開発を進めており、保有する破壊力はそれに伴って増大しつつある。
 3月29日施行されたわが国の安全保障関連法は、朝鮮半島有事はかつての周辺事態法ではなく、重要影響事態法によって対処するものとなっている。放置すれば日本への直接の武力攻撃に至るおそれがある事態において、わが国は米軍等を後方支援する。また、米軍が北朝鮮軍から攻撃を受けた場合、わが国が集団的自衛権を行使すべき状況も生じ得る。韓国にいる日本人を救出する活動が必要な状況も生まれ得る。
 いま政治家がなすべきことは、こうした実際に起こり得る事態に対して、わが国がどう対応するかを集中的かつ徹底的に議論し、いざという時に備えることである。
 安全保障関連法は、国会で民主的な手続きを踏んで成立したものである。だが、民進党等の野党は、その法律を廃止すべきだと提案をし、わが国の安全保障の強化の足を引っ張り、日本の平和と安全の邪魔をしている。国民は、彼らの言論に惑わされることなく、朝鮮半島有事に備えなければならない。そして、さらに重要なのが、憲法の改正である。日本を守るためには、日本人の手で憲法を改正し、自らの意思で安全保障の体制を整備しなければならない。(了)

人権323~非西洋でも発達していたデモクラシー

2016-06-25 06:25:34 | 人権
非西洋でも発達していたデモクラシー

 センは、デモクラシーもまた歴史的に西洋に限らず、非西洋にも広く存在していたことを強調する。一般にデモクラシーは、民衆が政治に参加する制度を意味し、特に政府官僚を選挙で選ぶ仕組みを言う。同時にそうした制度の実現と発達を求める思想・運動をも意味する。だが、センは、デモクラシーは選挙のような制度的特徴としてとらえるのではなく、公共的推論の活用という観点からとらえるべきだと説く。推論(reasoning)とは、単なる推理ではなく、すべての事実を考慮して、一つの結論に到達する過程を意味する。
 センは、『人間の安全保障』で、次のように言う。「人々が何を要求し何を批判すべきかを自ら決め、どう投票すればよいのか判断できるようにするには、成人の選挙権を拡大し、公正な選挙を実施するだけでは十分ではない。検閲を受けない自由な討議の場が必要なのである」と。
センは、同書で、「デモクラシーを議論による政治と理解すれば、デモクラシー思想の歴史的なルーツは、世界中いたるところにあったことがわかる」と述べている。
 「ギリシャにおける民主政治の体験が、ギリシャとローマより西にある、例えばフランス、ドイツ、イギリスなどの国々に、じかに大きな影響を与えたことを示す証拠はない。一方、この時代のイラン、バクトリア(北アフガニスタン)、インドなどにおけるアジアの都市には、主にギリシャの影響を受けて、統治にデモクラシーの要素を取り入れたところがあった。例えば、アレクサンドロスの時代から数世紀後に、イラン南西部の都市スーサには選挙で選ばれた評議会と民会があり、評議会が推薦した民会が選出した行政官がいた。この時代のインドとバクトリアには、地方レベルで民主政治が行われていたことを示す証拠がかなりある」と、センは書いている。
 また『正義のアイデア』では、次のように書いている。「例えば、もっとも初期のオープンな一般の集会としては、社会的宗教的問題に関する意見の対立を解決するためにインドで行われた、いわゆる仏教の結集がある。異なる見解を持つ人たちが集まり、その違いについて論じ合うことが始まったのは紀元前6世紀のことである」「アショカ王は、紀元前3世紀に第3回目にして最大の結集を、当時のインド帝国の首都であったパトナに召集した。そして、公共的討議のための規則としては最も初期のものを成文化し、広めようとした」と。
 ここで公共的討議の規則とは、19世紀米国で作られたロバート議事法の初期の版のようなものをいう。
 センが引用文で述べるように実際、他にもシナ、韓国、イラン、トルコ、アラブ、アフリカの多くの地域には、政治や社会、文化などの問題について、公の場における議論を奨励し擁護してきた伝統がある。日本には、日本的なデモクラシーの伝統がある。センは、『人間の安全保障』で、聖徳太子に触れている。「十七条憲法は、600年後の1215年にイングランドで調印されたマグナ・カルタにも似た精神を持ち、こう主張している。『それ事は独り断(さだ)むべからず。かならず衆とともに論(あげつら)うべし』。またこうも述べている。『人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執(と)るところあり。彼是とすれば、則ちわれは非とす。われ是とすれば、則ち彼は非とす』。日本が『民主主義に向けて徐々に歩みはじめた第一歩』と中村元が呼んだものが、7世紀につくられたこの憲法に見られるのは、驚くべきことではないか」と。
 デモクラシーが西洋だけのものであり、西洋に始まり、西洋だけに栄えた考え方だという見方は、間違いである。センは、公共的討議を重んじる非西洋の様々な社会の伝統に光を当て、デモクラシーを発展すべきことを説く。そして、世界から飢饉をなくしていくためには、デモクラシーの発展が不可欠だと主張する。
 センは、『人間の安全保障』に次のように書いている。
 「デモクラシーの国家では、飢饉は起こらないとよく言われる」「飢饉が起こるのは、英領インドでかつて発生したように帝国の植民地か、軍事独裁政権、近年の例で見れば。エチオピア、スーダン、ソマリア等や、一党独裁の国家、1930年代のソ連や1958年から61年にかけての中国、1970年代のカンボジア、つい最近の北朝鮮のような国だけである。民主主義国では飢饉が起こったとなると、政府は世論の批判に持ち堪えられない。選挙で負ける恐れもある。新聞などのメディアが独立していて検閲を受けず、野党が政府を自由に批判できる場合には、世論から厳しく非難されるだろう」と。
 実際、1973年のインドや1980年代初頭のジンバブエやボツワナは、深刻な旱魃や洪水やその他の自然災害に見舞われたが、食糧供給を行って飢饉の発生を被らずに済んだ。それは、貧しい国だが、デモクラシーが発達していたからである。
 センは、著書『貧困の克服』で、次のように述べている。
 「20世紀は数々の発展を成し遂げた。しかし、その中で最も際立っているのは、デモクラシーの台頭であると迷わず言い切ることができるだろう」「もしも遠い将来に人々が20世紀に起こったことを振り返るならば、その人々もまた迷うことなく最高の統治形態であるデモクラシーの出現こそ、20世紀の最も素晴らしい発展であると考えることだろう」「デモクラシーの普遍的価値が認められる方向にあることは、史上最大の思想革命であり、しかも20世紀の最も偉大な貢献の一つであると言えるだろう」と。
 こうした見方をするセンは、アジア的価値観は欧米的価値観ほど自由を擁護せず、秩序と規律を重視するという主張や、欧米に比べてアジアでは政治的自由及び市民的自由の領域における人権を要求することは適切でないという主張に対して、批判的である。
 『貧困の克服』でセンは次のように述べている。
 「アジアにおける中国や韓国のような高い経済成長の例をもってきて、権威主義体制のほうが、経済成長の促進には好ましいとする“決定的証拠”にはできない。なぜなら、アフリカのなかでも最高の経済成長を記録してきたボツワナのケースからは、まったく逆の結論を引き出すことができるからである。実際、ボツワナは世界中で最も素晴らしい経済成長の記録の一つを達成した。そればかりではなく、ボツワナは何十年にもわたって、あのような不幸なアフリカ大陸に位置するにもかかわらず、民主主義のオアシスであり続けてきた国である」
 「アジア的価値が権威主義的だとする現代の解釈の多くが儒教にのみ集中しすぎている」
 「現在、アジア的な価値の擁護者の間で規準になっている儒教の解釈は、孔子の教えの中にある多様性を正しく扱っていない」と。これも適切な指摘である。

 次回に続く。

北朝鮮による朝鮮半島有事に備えよう2

2016-06-24 09:26:03 | 国際関係
●北朝鮮の不遜な態度の理由
 
 北朝鮮は、米韓中だけではなく、制裁を加えている国際社会に対して不遜な態度を取り続けている。
 元外交官の宮家邦彦氏は、産経新聞2月18日付の記事に、次のように書いた。
「筆者の見るところ、金第1書記(ほそかわ註 現労働党委員長)が不遜な態度で米中韓の足元を見る理由はこうだ。

◆韓国は戦わない
 1950年代ならともかく、今のソウルに第二次朝鮮戦争はあり得ない選択肢だ。もちろん、北朝鮮と米韓連合軍が戦えば戦争は数週間で終わる。しかし、その間北朝鮮の遠距離砲から発射された何万発もの砲弾でソウルは文字通り「火の海」となる。その結果、米韓は戦争に勝つが、韓国経済は崩壊する。韓国がそのような選択をするとは思えない。実際、韓国は海軍艦艇「天安」が撃沈されようが、「延坪島」が砲撃されようが、大規模軍事行動は起こさなかったし、これからも起こせない。60年前とは異なり21世紀の韓国には失うものがあまりに多過ぎるからだ。

◆米国も戦えない
 韓国に戦意がなければ、米国としても戦いようがない。かかる状態は既に90年代に始まっていた。94年に米韓連合軍が北朝鮮の核施設を攻撃しなかったのも同様の理由だ。韓国は今後も、米中のはざまで独自の動きを模索するだろう。北東アジアで存在感が低下しつつある米国も従来の「日米韓」連携戦略を部分的ながら見直す必要に迫られるかもしれない。

◆中国も北朝鮮は切れない
 一方、北京も北朝鮮など信じてはいない。かといって見捨てるわけにもいかない。北朝鮮を失うことは、独立、自由、民主的で、潜在的に反中の、米軍が駐留を続け、核兵器技術を持つ統一朝鮮国家と直接国境を接することを意味するからだ。中国にとって韓国との緩衝国・北朝鮮の重要性は今も変わっていない。

◆ロシアは様子見する
 クレムリンは北朝鮮問題の主要プレーヤーではないが、そこは強かに漁夫の利を得る権利を主張するだろう。」と。

●国連安保理がかつてなく厳しい制裁を決議

 国連安全保障理事会は3月2日公開会合を開き、北朝鮮に対する制裁決議案を採決した。米中の合意のもとロシアも賛同に回り、全会一致で採択された。
 決議は核実験を最も強い言葉で非難した。北朝鮮に出入りする全ての貨物の検査義務化、北朝鮮に対する航空機・ロケット燃料輸出の原則禁止、北朝鮮からの石炭・鉄鉱石の一部を輸入禁止とすること、北朝鮮の銀行の国外での新規支店・営業所開設の禁止などによる金融制裁を強化、渡航禁止や資産凍結の対象となる組織・個人の拡大などが制裁に盛り込まれた。その内容は、これまで以上に厳しいものである。
 決議の目的は、核開発への資金を断絶することとされる。制裁は、金政権の統治資金に照準が絞られている。決議は、金正恩体制の外貨稼ぎの総元締めである「朝鮮労働党39号室」を制裁団体に指定した。
 39号室は、北朝鮮の鉄鉱石や金など鉱山をはじめ、100社以上の貿易会社や銀行など、資源や機関を網羅して傘下に収める。決議は、39号室の管理する鉱物資源の輸出を禁輸・制限し、傘下の銀行に金融制裁をかけ、国連加盟国に北朝鮮を出入りする貨物の検査を義務付けた。金政権を資金面から締め上げて、核ミサイル戦略を取り続けることは自分の首を絞めることになることをわからせようとするものである。
 国連安保理制裁は今回が5回目である。だが、過去4度の制裁はほとんど効果がなかった。前回平成24年(2012)の核実験強行を受けた25年(2013)の制裁の結果が、年1~2月の核実験と弾道ミサイル発射ある。決議を実効性のあるものとするためには、これまでの失敗を反省し、欠陥を改めなければならない。
 今回の決議の特徴は、国連プラス各国の独自制裁で相乗効果を狙い、履行状況のチェックも強化されたことである。ただし、貨物検査にしても、検査は各国の主権事項であり、違反しても罰則はない。最大の問題は中国とロシアである。
 中国は、北朝鮮の最大の貿易相手である。また金体制の最大の後ろ盾でもある。中国が決議案に関する米中協議で米国に歩み寄ったのは、「抜け道」があるとみて譲歩した可能性がある。
 北朝鮮貿易の約9割は対中貿易である。その対中貿易の約4割を鉱物輸出が占める。制裁には、中国の要請で鉱物輸出禁止に「生計目的」や「人道目的」の例外条項が認められた。これにより主力資源の石炭、鉄、鉄鉱石輸出に許容余地が設けられた。そこに抜け道が生じ得る。北朝鮮を食糧、燃料や政治面で支えている中国が決議内容を完全に履行するよう、各国は求め続ける必要がある。
 北朝鮮は、これまでの制裁を教訓に朝鮮労働党や朝鮮人民軍傘下の外貨稼ぎ部門の拠点を中国や東南アジアといった海外に移してきたと伝えられる。中国籍を持つ華僑系住民やその親族名で会社を登記し、中国人と何ら変わらず、自由に取引しているという中国が本気で金正恩政権の資金源を断つつもりなら、中国企業を装う北朝鮮関係者の経済活動を取り締まるべきである。
 ロシアも疑わしい。ロシアが決議案に賛成したのは、米国が提案した当初案が修正されたからである。主に3カ所の条項が修正されたという。第1点は、航空機燃料輸出の項目。アメリカの草案にはなかった「海外における北朝鮮の民間航空機への燃料販売・給油は認める」という例外が加わったことである。第2点は、北朝鮮からの鉱物資源の輸入禁止に関する項目に例外が加わったことである。安保理の制裁委員会からの承認を条件に、第三国で生産した石炭を北朝鮮の羅津港を通じて輸出することが可能になる。第3点は、草案に入っていた北朝鮮の武器輸出を事実上担う朝鮮鉱業貿易開発会社(KOMID)のロシア駐在幹部1人が除かれた。
 ロシアは、ユーラシア物流ルートの拡大を目指している。北朝鮮の羅津港はその要となっている。また、北朝鮮へのロシア産重油の密輸ルートがあり、ロシア政府と中国企業に利益をもたらしていると見られる。
 上記のような事情があるから、国連安保理決議の履行は、中国とロシアによって骨抜きにされるおそれがある。

●北朝鮮の姿勢と国連の対応

 北朝鮮は国連安保理の決議に反発し、3月は3、10、18、21、29日と週1回のペースで計16発もの短中距離ミサイルを打った。3月10日は短距離弾道ミサイル、18日は中距離弾道ミサイル「ノドン」とみられるミサイルを発射した。注目されるのは、3月3、21、29日の3回は、新型の300ミリ多連装ロケット砲とみられる発射体を計12発発射したことである。金正恩第1書記が「新型ロケット砲の実戦配備を控えた最終試験射撃」を視察し、「針の穴を通すように正確だ」と述べたと伝えられる。このロケット砲は、既に軍事境界線付近に配備されており、推定射程は約200キロ・メートル。ソウル首都から、在韓米軍基地がある烏山や平沢、韓国の陸海空軍本部がある鶏龍も射程に収める。このことは、韓国にとって、新たな脅威となっている。
 3月から、金正恩の「核弾頭の小型化」に関する発言が目立った。北朝鮮の核弾頭製造は、小型化技術の完成に時間を要するとみられてきたが、既に一定の技術獲得には成功しており、最終段階の実験に入りつつある模様である。

 次回に続く。

人権322~非西洋における宗教的寛容の伝統

2016-06-23 09:50:34 | 人権
非西洋における宗教的寛容の伝統

 センは、宗教的寛容、デモクラシー、自由は西洋のみの産物ではないとし、非西洋にもこれらの伝統があることを指摘する。
 センの祖国は、インドである。インドは、多数の言語と種々の宗教・宗派を共存共栄させるという大きな課題に挑戦してきた。インドでは、デモクラシーが機能不全に陥ったら、国家の統一は保ち得ない。インドのように驚くほど多様性に富んでいる国の存続と繁栄にとって、デモクラシーは必要不可欠である。その根底にあるのは、宗教的寛容である。
 センは、『人間の安全保障』で、次のように書く。インドは、第2次世界大戦後独立し、「20世紀最大の民主主義国」となった。「この時の議論は、欧米諸国がそれまでの民主政治で経験してきたことを参考にしただけでなく、インド本来の伝統にも立ち返ったものだった。(略)ネルー(註 インドの初代首相)は、アショカ王やアクバルなど、インドの皇帝の統治方法に見られた異教や多元主義への寛容性を特に強調した。こうした寛容な政治体制のもとで公の場における議論が奨励されてきたことが、現代インドの複数政党制につながったのである」と。
 センは、様々な著書で、インドにおける宗教的寛容の歴史的な事例を繰り返し述べている。
紀元前3世紀のアショカ王は、最初厳しく過酷な王だった。だが、戦いでの勝利の残虐な現実を目の当たりにして、道徳的政治的優先順位を変え、ゴータマ・ブッダの非暴力的な教えを受け入れ、次第に彼の軍隊を解隊し、奴隷や不自由労働者を解放し、強大な支配者であるよりも、道徳の師であろうとした。他の宗派に対する寛容を重視し、他の宗派の人たちは、いかなる場合も、いかなる点でも、十分に尊重されるべきであることを主張した。残念ながら、アショカ王の広大な帝国は、彼の死後、間もなく小さな領域に分裂した。
 次に、センが挙げるのは、アクバル帝である。1590年代のインドで、ムガル帝国のアクバル帝は、多文化社会であるインドでいかに調和と協調を達成するかを課題としていた。アクバル帝は、宗教的寛容の必要性を宣言し、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒、パールシー教徒、ジャイナ教徒、ユダヤ教徒、無神論者等と対話する努力を続けた。アクバル帝は、さまざまに異なる宗教の美点を融合させながら、それらを統合しようとも試みた。当時、ローマのカンポ・デイ・フィオーリ広場では、ジョルダーノ・ブルーノが異端のかどで火あぶりの刑に処せられた。
 センは、インド以外にも宗教的寛容の事例があることを挙げている。その一つが、サラディンである。12世紀のユダヤ人哲学者マイモニデスは、偏狭なヨーロッパから移住を余儀なくされた。その時、彼はアラブ世界に寛容な避難所を見出した。カイロのサラーフ・アッディーン帝の宮廷で名誉と影響力のある地位を得たのである。このアッディーン帝は、十字軍が遠征した際に、イスラム側で激しく抵抗したサラディンである。サラディンのみならず、イスラム文明は他宗教に対して寛容だった。それは、宗教裁判が横行した西欧とは、顕著な対比をなす。
 センは、他の例も挙げながら、西洋にも非西洋にも「寛容な事例は多数あり、また非寛容な例も同じくらいある」「正しく改める必要があるのは、寛容の問題で西洋だけが特別だったとする、不十分な研究に基づく主張」であると述べている。(『人間の安全保障』)
 近代西欧で自由の思想が発達したのは、宗教的寛容の定着・拡大と切り離せない。そのことは、第2部に書いた。だが、自由は決して西洋でのみ発達したものではない。古代ギリシャのポリスと近代西洋文明のイギリス、アメリカ、フランスを結びつけて、あたかも近代西欧発の自由思想が、古代ギリシャのそれらを直接継承し、発展させたものであるかのように説くのは、誤りである。
 センは、このことを明確に指摘している。『正義のアイデア』で次のように言う。
 「西洋の古典的著作の中にも、自由を擁護するものと批判するものがあり、(例えばアリストテレスとアウグスティヌスとを比べてみよ)、西洋以外の著作にも同様に擁護と批判とが混ざり合っている(アショカ王とカウティリアを比べてみよ)」「自由を擁護するものと自由を批判するものの間の差が、地理的な二分法によってとらえられるなどという期待はほとんど持てない」と。
 引用文中のカウティリアは、古代インドのマガダ国マウリヤ朝初代チャンドラグプタ王の宰相・軍師で、「インドのマキャヴェリ」と評される人物である。センの比較文明論的な指摘は、的確である。

 次回に続く。

北朝鮮による朝鮮半島有事に備えよう1

2016-06-22 09:40:31 | 国際関係
 北朝鮮は5月22日、新型の中距離弾道ミサイル「ムスダン」とみられるミサイルを発射した。1発目は空中爆発して失敗したが、2発目は中距離弾道ミサイルとしての一定の機能を示した。ムスダンの発射はこれで5回目となる。過去4回に比べ、技術レベルがまた向上したとみられる。
 振り返ると、北朝鮮は、本年(平成28年)1月6日に核実験、2月7日には長距離弾道ミサイル発射実験を強行した。いずれも安保理決議違反だが、金正恩第1書記は意に介さない。3月2日国連安全保障理事会がこれまで以上に厳しい制裁決議案を全会一致で採択したが、北朝鮮はこれに反発し、挑戦的な姿勢を変えていない。
 北朝鮮は、5月上旬36年ぶりに朝鮮労働党大会を行った。金正恩は「責任ある核保有国」と宣言した。新設された労働党委員長に就任し、本格的な金正恩体制の時代に入った。今後、より一層金正恩体制の強化を進め、わが国や韓国、米国への攻撃力を高めていくだろう。わが国は、安保関連法のもと、朝鮮半島有事への備えを急がねばならない。

●北朝鮮は自称「水爆実験」を強行

 ここ数か月を振り返ると、金正恩政権は1月6日に「実験用の水素爆弾実験」と称して地下核実験を強行した。核実験は4度目となる。当初はその規模などから水素爆弾ではなく、実験は失敗だったという評価が多かった。ところが分析が進むにつれ、韓国では、水素爆弾の前段階のブースト型爆弾実験だった可能性が高くなり、爆発の規模をコントロールしており技術的には成功だったという見方が主流になっている。わが国の政府も、今回の核実験による地震の規模や地震波の形状、大気中の放射性物質の状況などを分析し、ブースト型原爆の技術が使われたとの見方を強めている。ブースト型原爆の技術は水爆開発に必要な技術でもあることから、北朝鮮の核開発は一段階進んだと考えられる。ブースト型原爆は核弾頭の小型化にもつながる。ミサイル技術の向上と合わせて、威力の高い長距離弾道ミサイルの開発が進むと、東アジアだけでなく米国にとっても大きな脅威となる。
 続いて、北朝鮮は、2月7日、北西部の平安北道・東倉里(トンチャンリ)にある発射場から、長距離弾道ミサイルを発射した。長距離弾道ミサイルの発射は平成24年(2012)12月以来だった。
 前回平成24年(2012)末に発射したミサイルは「テポドン2号改良型」とされる。最大射程1万キロだったとみられる。今回、発射した長距離弾道ミサイルの詳細は明らかではないが、物体を宇宙空間に運ぶことには成功した。
 東倉里の発射場では、発射台の高さが50メートルから67メートルに増築され、米東海岸に達する射程1万5千キロ以上の大陸間弾道ミサイル(ICBM)も発射できる状態になっているとみられる。
 北朝鮮はこれまで弾道ミサイルの発射を「人工衛星の打ち上げ」と主張してきているが、弾道ミサイル発射と衛星打ち上げは同じ原理である。国連安全保障理事会決議は、人工衛星を含め「弾道ミサイル技術を使った全ての発射」を北朝鮮に禁じている。
 核実験と弾道ミサイル発射を受けて、国際社会は対北制裁を強化した。北朝鮮はこれに反発し、さらなるミサイル発射や核実験に踏み切る可能性がある。

●韓国の対応

 韓国は、北朝鮮による核実験と長距離弾道ミサイルに対し、独自制裁として南北経済協力事業の開城工業団地の稼働中断等を断行した。朴槿恵大統領は、北朝鮮の「体制崩壊」に言及し、強力な制裁で「必ず変化させる」と断言した。
 北朝鮮は、工団に滞在する韓国人の追放、現地の韓国側資産の全面凍結、工団一帯の「軍事統制区域」の指定などを宣言して応酬した。
 朴大統領は2月16日、国会で演説し、「従来のやり方や善意では北朝鮮の核開発の意志を変えられない。挑発に屈服し何でも与える支援はこれ以上してはならない」と明言した。「韓国の努力と支援に北朝鮮は核とミサイルで応じた」と非難し、「韓国が事実上、核・ミサイル開発を支援する状況を続けることはできない」と述べ、金大中政権以来、韓国がとり続けてきた北朝鮮への経済協力などが失敗だったことを認めた。
 朴大統領によると、1990年代半ば以降、政府レベルの対北支援だけで22億ドル(約2530億円)を超え、民間レベルの支援を合わせれば30億ドルを超える。北朝鮮がそのほとんどを飢えと極貧に苦しむ人民のためではなく、核・ミサイル開発に充てたと推測される。

●米国の対応

 北朝鮮の暴挙に対し、米国は、すぐさま原子力潜水艦を韓国に入港させたり、B52戦略爆撃機を韓国の上空に飛行させるなどして、北朝鮮に圧力をかけた。
 これに対し、北朝鮮は金正恩(当時第1書記)自らが「実戦配備した核弾頭を発射できるよう常に準備すべきだ」と指示した。青瓦台(韓国大統領府)を第1次攻撃対象、次にアジア太平洋地域の米軍基地と米本土を第2次攻撃対象として挙げ、先制攻撃を辞さないことを言及した。
 韓国は、かつて自主防衛を主張する盧武鉉政権下で、米軍にあった戦時作戦統制権の韓国移管を決めた。しかしその後、北朝鮮の核ミサイル戦略が進展すると、朴政権は平成26年(2014)10月の国防相会談で統制権移管を無期延期とした。この判断は正解だった。
 米国は、このたびの北朝鮮の強硬な姿勢を受けて、韓国に最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の配備を認めるように迫った。朴槿恵大統領は、27年(2015)9月に北京で開かれた抗日戦争勝利70周年記念式典に参加し、習近平主席との蜜月時代を誇示した。だが、北朝鮮の脅威を前にして態度を変え、THAADの配備を認め、米日韓協力に踏み切った。
 一方、中国は、THAAD配備に強く反発している。THAADのレーダー・システムは、中国の領土も広く探査できるからである。

 次回に続く。

人権321~社会選択理論の発展と新古典派経済学への批判

2016-06-20 09:28:58 | 人権
社会選択理論の発展と新古典派経済学への批判

 アダム・スミスの政治経済学の根本には、道徳哲学があった。また政治経済学は法学や政治学等を含む総合的な社会理論の一部だった。スミスの「公平な観察者」を継承するセンは、新古典派経済学の利己的な人間観を批判し、経済学と道徳哲学を再結合した。それによって、現代の主流派経済学の姿勢を正すことに貢献をした。
 センの経済学及び道徳哲学は、社会選択理論を発展させたものでもある。社会選択理論は、個人の多様な選好(preference)をもとに、社会の選好の集計方法、社会による選択ルールの決め方、社会が望ましい決定を行なう仕組みの設計方法を解明する学問である。先駆者のひとり、ニコラ・ド・コンドルセは、多数決投票において投票者一人一人の選好順序は推移的なのに、集団としての選好順序に循環が現れる状態があるという投票の逆理を発見した。このコンドルセのパラドックスの発見を受け継ぎ、1950年代に確立されたのがケネス・アローの不可能性定理である。この定理は、人々が求めるものに対して社会的決定が正当に配慮すべきいくつかの非常に緩やかな条件を同時に満たすような合理的で民主的な社会的選択の手続きは存在しないことを示すものである。その後の理論的展開で、社会的意思決定の手続きをもっと多様な情報に基づかせることによって解決し得ることがわかった。センは、この観点から、ケイパビリティの概念によって人々の暮らしに関する幅広い情報を用いることができると主張している。
 社会的選択理論と関係の深いものに、厚生経済学がある。厚生経済学は、個人が経済活動の結果として得た福利である厚生を、諸個人の所属する社会の単位で集計した社会的厚生を最大化することを目的として、必要な所得再配分について考える。新古典派経済学の一分野である。厚生経済学は、功利主義を経済学に応用したものであり、個人主義的な自由主義に基づいている。
 センは、厚生経済学が自明視していた自由主義の価値観には、多数決すなわち全員一致原理(パレート原理)と個人の自由の承認というまったく相容れない二つの原理があることを明らかにした。これを「センのリベラル・パラドックス」という。
 センは、リベラル・パラドックスの解決策として、他人の権利を考慮して他人のために行動すること、自己の権利を主張する前に、まず他人にどのような権利が与えられているかを考えることを提案した。
 新古典派経済学は、人間の行動の動機は自己の利益を追求することだとし、合理的で利己的な「エコノミック・マン」を人間像とする。センは、この精神的に貧しい人間像を「合理的な愚か者」と呼ぶ。そして、新古典派経済学は、事実を倫理的価値から切り離すために、人間の行動の動機を狭くとらえすぎていると批判する。センは、人間は、利己的な動機だけでなく、他者に対する共感やコミットメントなど、様々な動機を持って選択や決定を行っていると主張する。共感についてはアダム・スミスに関するところに書いたが、センのいうコミットメントは、他者の権利が侵害されている時、それによって自分には何の利益ももたらさず、また、たとえそれが不利益をもたらすとしても、他者の権利の侵害をやめさせるために何らかの行動を行う決心をすることを意味する。センは、他者に対する共感を持ち、社会的なコミットメントができるような人間像を提案した。それによって、経済学は、生きた人間を再発見し、社会問題や政治問題に経済倫理の視点から取り組むことが可能となった。
 センは、著書『経済学の再生~道徳哲学への回帰』で、経済学におけるアリストテレス以来の道徳哲学的な志向、つまり人々がよく生きるために経済学はどうあるべきかを模索する姿勢を取り戻したいという思いを明らかにしている。センは、実際に人が何かをすること(doing)、または何かになること(becoming)ができる能力であるケイパビリティを、個人的福利あるいは社会的厚生を評価する際の基礎情報とするが、そうしたアプローチの根底にあるのは、経済学に道徳を回復したいという意識である。私見を述べると、経済学に道徳を回復しようとしたのは、センが初めてではない。第1部で、私は、ケインズは経済学を道徳科学と考えた、その考えはアダム・スミス以来の伝統を受け継ぐものだった、と書いた。ケインズは、富の追求はそれ自体が目的ではなく、「賢明に、快適に、裕福に」暮らす生活を実現する手段だとし、ものの豊かさの達成の上に、心の豊かさの実現を考えた。また、個人の人生や自分の世代を超えて、子孫や将来世代の発展を目指した。これは、「善い生き方」また公共善を目的とする思想である。アリストテレスやサンデルに通じる考え方である。
 センはケインズをあまり評価していないようだが、リーマン・ショック後の世界で、ケインズは再評価されている。リーマン・ショックは、新古典派経済学に基づく新自由主義による強欲資本主義の結果である。今日、強欲資本主義の反省に立って、経済的自由とその規制について考え、世界的な富の偏在、格差の是正を目指すポール・クルーグマン、ジョセフ・スティグリッツらの経済学者は、ケインズの理論の応用を図っている。彼らの試みは、人権と正義という観点から言うと、政治的な手段によって経済的な財の再配分を行って、グローバルな正義の実現を目指す動きと言える。センの思想と活動は、彼らと目指す方向は一致する。それゆえ、ケインズとセンの思想は結合し得る。結合のポイントは、自由を守り、道徳を高めることである。

 次回に続く。

人権320~スミスの「公平な観察者」とセンの開放的不偏性

2016-06-18 08:51:10 | 人権
●スミスの「公平な観察者」とセンの開放的不偏性

 ロールズは、「原初状態」において社会のすべての構成員が全員一致で受け入れることのできる社会契約を想定した。その際、「無知のヴェール」により、その社会における多様な個人の既得権益や個人的見解の影響を取り除こうとした。だが、センはこの方法には欠陥があるという。『正義のアイデア』で、センは次のように指摘する。
 「ロールズの形式の社会契約の利用は、正義の追求における参加者を、特定の政治形態の構成員、すなわち、国民に不可避的に限定する」と。
 ロールズの推論は、その特定の社会以外の人々を排除している。そのため、必ずしも偏りのない、公平な判断がされるとは限らない。判断における不偏性を追求するには、他の社会の人々の判断も取り入れられるようにする必要がある。閉鎖的な不偏性ではなく、開放的な不偏性を追求すべきである、というのがセンの主張である。
センは、特にグローバル化した現代では、ある国における決定が他の国における生活に深刻な影響を与えることがあることを強調する。また、ある国に特有の信念はグローバルな精査を受けるべきであることを主張する。
 ここでセンが注目するのが、アダム・スミスが『道徳感情論』で説いた「公平な観察者」という考え方である。スミスは、『国富論』によって古典派経済学の創始者とされるが、同時に『道徳感情論』を著した道徳哲学者でもあった。スミスによれば、人間には、他人の感情を心の中に写し取り、それと同じ感情を自分の中に起こそうとする共感の能力がある。人間は、この能力によって、自他の双方の利益に中立な「公平な観察者(impartial inspector)」を心の中に作り上げる。この第三者の立場に立って、行為が適切かどうか、適合性(propriety)を判断する。スミスは、そこに道徳の根本を見出した。スミスは、個人の利己的な行動は、「公平な観察者」の共感が得られなければ、社会的に正当であるとは判断されない、個人は「公平な観察者」の共感が得られる程度まで自己の行動や感情を抑制せざるを得ない、との旨を説いた。「公平な観察者」は正邪善悪を厳しく判断する。スミスは「胸中の法廷」「神の代理人」という言い方もしている。
 センは、『正義のアイデア』で、スミスの基本的なアイデアは『道徳感情論』で要件として簡潔に述べられているとして、次のように書いている。「自分自身の行動を判断するとき、『公平な観察者ならそうするだろうと思われる方法で吟味せよ』、あるいは同書の改訂版で書き直されているように『どのような他の公平で不偏的な観察者もそうするだろうと思われる方法で自分自身の行動を吟味せよ』ということである」と。私見を述べると、スミスの「公平な観察者」という考え方は、共感の能力に基づくものであり、キリスト教の神の教えを絶対的な規範とするものではない。また理性を道徳的能力の根源とするものでもない。相手の身になって考え、相手の感情を思いやるという、どのような文化・社会でも見られる、共感という心の働きから、道徳を考えるものである。 
 「公平な観察者」は、共感の能力を基礎として発達した理性と良心に基づいて物事の判断規準を示すものと考えられる。私は、文明や文化の違いを超えて「発達する人間的な権利」を基礎づけようとする際、種としての人類に共通する共感の能力に注目すべきと考える。それゆえ、センがスミスの「公平な観察者」に注目し、現代世界に必要な考え方であることを強調していることを高く評価する。
 ところで、センは、カントとスミスの間には影響関係があるという見方をしている。「現代の道徳哲学及び政治哲学で不偏性が強調されるようになったのは、カントの強い影響によるところが大きい。スミスがこのアイデアについて論じていたことはそれほど記憶されていないが、カントとスミスの間には本質的な共通点が存在する」「カントも『道徳感情論』(1759年初版)を知っており、1771年に弟子のマルクス・ヘルツに宛てた手紙にそのことを書いている。(略)これはカントの
 「公平な観察者」の概念によって、スミス自身がどこまでグローバルな判断を追求していたかは別として、センは「公平な観察者」を、文明間や異文化間、先進国や発展途上国の間等において不正義を取り除くために不可欠なものとする。
 センは、「遠くからの判断は、地方あるいは国内の偏狭主義に囚われるのを避けるために考慮し精査すべき重要なものである」「これはスミスが『人類の他の人びとの目に』どう映っているかを考慮することを主張した理由である」と述べている。
 古典的著作『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785年)と『実践理性批判』(1788年)よりも早く、当時、カントはスミスの影響を受けていたと考えられる」とセンは書いている。興味深い指摘である。

 次回に続く。