ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

道徳の教科化と親学の振興で道徳教育の充実を4

2014-06-30 09:53:37 | 教育
●有識者の見解

 道徳教育の充実を求める有識者は増えている。そのうち、教育評論家の石井昌浩氏、政治ジャーナリストの細川珠生氏、明星大学教授の高橋史朗氏の意見を紹介する。
 まず、石井昌浩氏の意見。東京都国立市の教育長等を歴任した石井氏は、「もともと教育には押しつけなしには成立しないところが多い。価値観が多様化している現代だからこそ、子供たちには社会を構成する一員として守るべき時代を超えて変わらないルールや、その場にふさわしい振る舞いのできる弁(わきま)えを身に付けさせるべきである。幼いうちから『ダメなものはダメ』と子供に教え育てることは押しつけでも何でもない」「道徳の教科化により体系的理論や古今東西の先人の『生き方の座標軸』が提示されることで、子供たちには『人格の完成』のような人間性を高めるための普遍的目標が初めて身近なものとして理解されてくるだろう」と述べている。
 以下、石井氏の記事の転載。
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●産経新聞 平成25年3月23日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130323/edc13032307420000-n1.htm
【解答乱麻】
教育評論家・石井昌浩 道徳の教科化に賛成する理由
2013.3.23 07:41

 政府の教育再生実行会議が道徳の教科化を提言したが、教科化についての反対論も少なくない。賛否両論その理由はさまざまだが、道徳教育をめぐる認識の違いが浮き彫りにされていて興味深い。教科化に賛成の立場で論点を整理してみたい。
 第1に、「価値観の押しつけに反対」の立場からの批判について。価値観の押しつけは教育になじまないという耳に心地よい言葉を口実に、親と教師は子供たちに道徳を語ることから逃げてきたと思う。
 戦後社会において私たちは、価値観多様化を理由に価値判断の分かれる事柄について深く立ち入ることを避けてきた。このような「価値相対主義」によって立つのが道徳教育の主流だった。そこでは、子供たちの人格形成、価値判断の基準となる、人生の羅針盤の役割を果たす具体的モデルを示すことはしなかった。
 もともと教育には押しつけなしには成立しないところが多い。価値観が多様化している現代だからこそ、子供たちには社会を構成する一員として守るべき時代を超えて変わらないルールや、その場にふさわしい振る舞いのできる弁(わきま)えを身に付けさせるべきである。幼いうちから「ダメなものはダメ」と子供に教え育てることは押しつけでも何でもない。
 第2に、「道徳の教科化がいじめ問題解決につながらない」という批判について。「道徳の時間」がいじめ問題の解決に寄与できなかった理由の一つに、教科でないために授業がおざなりにされてきたことがある。
 大人、子供を問わず、人間の集団にはいじめがつきものだ。学校も人間の集団なのだからいじめが起きるのが当たり前である。いじめは幼児のいたずらに近いものから犯罪といいうべきものまで多種多様なので、完璧ないじめ対策などあるはずがないと思う。それでも、死を招くような深刻ないじめについては断じて食い止めなければいけない。
 子供たちの人間形成の多くは学校における学習や生活の場面での子供同士の交流を通してなされる。楽しいことや、不愉快なこと、屈辱的なことも含めて多様な経験を重ね子供たちは自らの道を切り開いて社会的自立を果たしていくのだ。
 道徳の教科化により体系的理論や古今東西の先人の「生き方の座標軸」が提示されることで、子供たちには「人格の完成」のような人間性を高めるための普遍的目標が初めて身近なものとして理解されてくるだろう。
 第3に、「道徳は評価の対象になじまない」という批判について。教科でないので教科書もなく、指導方法も確立しないままにすべてを学校任せにしてきた「道徳の時間」を前提に評価を論じるのには無理がある。
 教科化により検定教科書が使われ、指導方法の研究開発が進むにつれて評価方法も改善されよう。そもそも他の教科が道徳と比べて成績評価が容易だと考えるのは筋違いである。たとえば美術、音楽、技術・家庭、保健体育などの技能の習熟を目指す教科における技能評価の難しさは言うまでもないが、国語や社会、理科、数学・算数、英語などの教科の成績評価も決して簡単ではない。道徳だけがことさらに評価が難しいという主張の根拠は乏しい。
 道徳を教科化することにより長いあいだ形骸化していた「道徳の時間」を立て直し、すべての教師が道徳と真剣に向き合える環境が初めて整うのだ。道徳の教科化は半世紀前からの積み残された課題である。
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 次回に続く。

人権102~フランス市民革命と人権宣言

2014-06-29 08:38:49 | 人権
●フランス市民革命と人権宣言

 アメリカで独立と建国がなされたことは、西欧諸国に大きな影響を与えた。最も早く反応が現れたのがフランスである。フランス市民革命は、ロックの思想の影響のもと、アメリカの独立革命に強い刺激を受けたものである。そして、主権と民権と人権の歴史において、画期的な出来事となったと見なされている。
 フランスはイギリスに比べて絶対王政が長く続いた。ブルボン家のルイ14世(1643-1715)の時代には、その絶頂に達した。王権は神に授けられたものだとする王権神授説が唱えられ、君主専制が行われた。重商主義政策を推進し、強力な常備軍を作り、ヨーロッパ随一の陸軍力を誇った。しかし、ルイ16世(1754-1793)の時代になると、イギリス等との植民地獲得戦争や宮廷の浪費が財政の悪化を招いた。そのうえ、アメリカ独立戦争を支援したことにより、財政は一挙に悪化した。
 アメリカでは、1776年1月に刊行されたトマス・ペインの『コモン・センス』が、独立運動の高揚に決定的な影響力を振るった。本書はその年の内にフランス語に訳され、フランスでも広く読まれ、大きな影響を及ぼした。
 ルイ16世は特権階級への課税で財政を改善しようとした。これに貴族が反発した。国王は事態打開のため、1789年に三部会を召集した。当時のフランスは、封建的特権を持つ聖職者(第一身分)と貴族(第二身分)、そして参政権がなく課税の義務を負う農民や市民(第三身分)に分かれていた。三部会は封建制のもとでの身分制議会だが、平民の代表も参加していた。
 それまで175年間招集されていなかった三部会が開催されると、会議は議決方法をめぐって紛糾した。シェイエス神父が『第三身分とは何か』を著し、「第三身分はこれまで無であったが、これからは力を持つべきだ」と訴えた。シェイエスに呼応した第三身分は、独自に国民議会を結成した。
 ルイ16世は軍隊をもって国民議会に圧力をかけた。怒ったパリ市民は武装蜂起を図り、7月14日、武器・弾薬の保管所となっていたバスティーユ監獄を襲撃した。蜂起の成功を受けて、国民議会はアメリカ独立宣言等を参考にした「人間及び市民の権利宣言」を採択した。このいわゆるフランス人権宣言は「人間は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」と宣言した。そして、国民主権、法の前の平等、意見表明・表現の自由、所有権の不可侵等が謳われた。人権宣言の思想については、項目を改めて書く。国民議会は91年、一院制の立憲君主制、有産市民の選挙権等を盛り込んだ憲法を制定した後、解散した。
 憲法のもとに、新たに立法議会が発足した。立法議会では、共和制を主張するジロンド派が台頭した。ジロンド派は、ジャコバン修道院に集うジャコバン・クラブから自立した穏健共和主義者だった。
 立法議会は、92年、亡命者送還の要求に応じないオーストリアに宣戦を布告した。ここでフランス市民革命は、国内の変革だけでなく、対外戦争を伴うものに拡大した。フランス軍は苦戦したが、「祖国の危機」が叫ばれ、義勇兵が結集した。この時歌われた「ラ・マルセイエーズ」がフランス国歌となっている。
 抗争と戦争の中で民衆はチュイレーリ宮を襲撃し、王権の停止を宣言した。また男子普通選挙による国民公会の招集が決定された。9月20日、国民公会は、王政の廃止と共和制の成立を宣言した。以後、革命前の体制は、アンシャン=レジーム(旧制度)と呼ばれる。
 翌93年、ルイ16世と王妃マリー=アントワネットは、断頭台(ギロチン)で処刑された。このことは、諸外国の王族・貴族に衝撃を与えた。イギリスが中心となって第1回対仏大同盟が結成された。外圧による危機が高まるなか、国民公会でジャコバン・クラブの急進共和主義者が主導権を握った。より急進的なコンドリエ・クラブからもこれに合流した。彼らをモンターニュ派と呼ぶ。その中心指導者のロベスピエールやダントンは、ジロンド派等の反対派を次々に断頭台に送って処刑した。国王が処刑されて君主制が廃止され、共和制が実現し、独裁者が登場し、粛清が行われたという展開は、まるでイギリス・ピューリタン革命の悲劇の再演である。
 恐怖政治の最中、エベール等の過激派によって、理性を神格化した「理性の祭典」が行われた。過激派は、カトリック教会の破壊や略奪を強行した。ロベスピエールやダントンは、無秩序が広がるのを恐れ、過激派を逮捕・処刑した。その後、独裁者となったロベスピエールは、94年「至高の存在の祭典」を行った。ロベスピエールは無神論に反対し、「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」と主張し、カトリック教会の神観念に代わるものとして、「至高の存在」を祭壇に祀った。
 恐怖政治への反発は強まった。94年7月27日、クーデタが決行された。今度は、ロベスピエールが襲われた。その死が銃殺か自殺かは不明である。これをテルミドールの反動というのは、急進共和主義をよしとする立場からの言い方である。95年には穏健な共和派によって、5人の総裁による総裁政府が成立したが、不安定な政局が続いた。
 ところで、18世紀後半のフランスでは、フリーメイソンが活動していた。ロックの思想は、フランスのメイソンにも影響を与えていた。絶対王政やカトリック教会を批判した啓蒙主義者のモンテスキューやヴォルテール、百科全書を編纂したダランベール等はメイソンだった。革命の指導者には、多くのメイソンがいた。シェイエスはその一人である。メイソンは一枚岩ではなく、意見の違いから対立・抗争し、革命の混乱は深まった。フランス革命の思想面については、第9章で市民革命から20世紀初めまでの時代に現れた思想について書く際に述べる。

 次回に続く。

道徳の教科化と親学の振興で道徳教育の充実を3

2014-06-27 08:47:39 | 教育
●本年度から使用の新教材「私たちの道徳」(続き)

 前回掲載した「私たちの道徳」は、大人も読みたくなる内容である。家庭で親子で読み、それを題材に話し合いができるようなものとなっていると思う。地域や民間の青少年活動でも有効に利用できるだろう。
 私としては、中学生用の教材には、エルトゥールル号遭難事件が取り上げられたことに拍手を送りたい。
 明治23年(1890)に和歌山県沖で沈没したトルコ船エルトゥールル号の乗員を、近くの集落の人々が総出で救助した。非常時のために蓄えていた食糧をすべて提供してトルコ人遭難者の介抱に努めた。トルコでは、この事実が語り継がれ、青少年にも教育しており、知らない人はいないと言われる。エルトゥールル号遭難事件から100年近くたった昭和60年(1985)、イラン・イラク戦争が激化する中、日本人多数がテヘラン空港に取り残された。この時、トルコ政府が日本人のために救援機を飛ばし、全員を脱出させてくれた。それは、エルトゥールル号の遭難者を救助してくれたことへの感謝の行動だった。
 「私たちの道徳」は、この史実を取り上げ、自らの困窮も構わずに人を助ける日本人の「無私の心」が、100年も続くトルコの親日感情に結びついたのだと、生徒に気づかせる構成になっている。
 しかし、先に引いた産経新聞2月23日号の記事は、次のようにも書いている。「問題は、この新教材が学校現場で適切に活用されるかどうかだ。日教組や一部マスコミは道徳教育に反対しており、小中学生に配布しても、授業では扱われない可能性もある」と。道徳を正式教科とし、検定教科書を作成・配布し、道徳教育に関する教師への研修を実施するところまで進めないと、現状の改革は大きくは進まないだろう。

●文科相が中教審に教科化を諮問、超党派の議連も始動

 安倍政権で教育行政の責任担当者となっている下村博文文部科学相は、本年2月17日に開かれた中央教育審議会総会で、「道徳の教科化」について諮問した。第1次安倍政権では議論だけに終わったが、昨年第2次安倍政権下で、教育再生実行会議と文科省の有識者会議が昨年、正式な教科に格上げするよう提言した。今回、改めて諮問するにあたり下村文科相は「規範意識や自己肯定感、社会性、思いやりなど豊かな人間性を育むために道徳教育は重要だ」としている。今後、検定教科書や成績評価、教員養成のあり方について議論が進められ、秋をめどに答申が出される。文科省は、教科書の作成から使用まで数年かかることから、正式な教科化は30年度以降となるが、学習指導要領が一部改訂されれば、早ければ27年度にも先行実施する方針と報じられている。
 政界では、人格教育の重要性を訴える超党派の「人格教養教育推進議員連盟」が6月10日に設立された。呼掛け人は、事務局長の山田宏代議士、会長は下村博文文部科学大臣である。政府内にある道徳の教科化の動きを後押しする狙いという。自民党の安倍首相と民主党の野田前首相が最高顧問を務める。保守系国会議員を中心に70名が入会した。
 東京都豊島区議会議員の細川正博氏によると、議連の目的は、道徳の教科化ということだけでないとし、以下の3点を掲げている。

1.規範形成教育の再興
・子育て(家庭教育)から就学前(幼稚園、保育園教育)、就学後(小学校教育、中学校教育)を通じて、規範形成を一貫性をもって実施する体制の整備

2.教師の養成(規範が教えられる教師の養成)

・家庭教育=親に対する子育て教育支援
・幼稚園、保育園教育=幼稚園教員、保育園保育士に対する教習の機会の提供
・小学校、中学校教育=教師に対する教育機会の提供

3.地域、学校、家庭の三位一体の教育
・家庭教育、学校教育に対する地域からの支援
・地域の独自性を活用した規範形成教育の実施
http://ameblo.jp/hosokawamasahiro/

 議連会長の下村文科相は、教育勅語に記されている「兄弟・姉妹は仲良くしましょう」「人格の向上に努めましょう」などの12の徳目に注目し、「今でも十分に通用し、中身は普遍性がある」と述べている。議連では教育勅語の精神を道徳教育にどう生かすについても議論するという。また親のモラル低下も最近の教育問題の一つとして、規範意識を親世代にも浸透させるために道徳教育への親の参加の是非などに関しても意見交換する予定と伝えられる。
 特に親への働きかけは重要であり、道徳の教科化は親学の振興と結びついてこそ、真に効果が期待できるものである小学校から道徳の教科教育を行ったとしても、就学前に基本的な道徳を家庭で身に付けていないと、十分な効果は上がらない。とりわけ3歳までに人間としての土台を作ることが極めて大切である。土台ができていてこそ、学校での道徳教育が充実したものになる。親学については、下記の拙稿をご参照願いたい。私は特にしつけあっての教育と訴えているところである。

拙稿「親学を学ぼう、広めよう」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02j.htm
拙稿「『しつけ』あっての教育」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02.htm
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 次回に続く。

道徳の教科化と親学の振興で道徳教育の充実を2

2014-06-26 10:42:41 | 教育
●本年度から使用の新教材「私たちの道徳」

 本年2月14日文部科学省は、26年度(26年4月~)から全国の小中学校に配布する道徳用の新教材「私たちの道徳」を公表した。これは、検定教科書ができるまでの道徳教材として、現在配布されている「心のノート」を全面改定したものである。読み物を充実させ、ページ数を約1・5倍に増やした。「心のノート」と同様、小学校低学年、中学年、高学年、中学校用の4種類である。全小中学生の手に渡るよう計約1000万部作成された。作成費は郵送代を含めて約9億8000万円。文科省は小中学校の「道徳の時間」や家庭や地域での活用を想定しているという。
 「私たちの道徳」の内容については、産経新聞2月23日号が詳しく伝えているので、以下その記事を転載する。

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●産経新聞 平成26年2月23日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140223/edc14022312000001-n2.htm

【道徳教育】
大人も読みたい新教材「私たちの道徳」 日本人としての自覚、礼をつくす「道」の精神…
2014.2.23 12:00

(略)
祇園祭の練習から導かれる伝統文化継承の大切さ
 「日本には四季があり、美しい風土がある。先人たちは、これらに合った生活様式や文化、産業などを生み出し、我が国を発展させてきた。これらを受け継ぐとともに、日本人としての自覚をもって、この国を愛し、その一層の発展に努める態度を養っていきたい…」
 文科省が作成した新教材「私たちの道徳」の中学生用に書かれた一文だ。この新教材は、現在配布している「心のノート」を全面改定し、ページ数を1・5倍に増やすなど内容を充実させたものだが、とくに「日本人としての自覚」を深めるテーマが数多く盛り込まれた。
 小学1・2年生用の教材にも、「日本人としての自覚」と「伝統文化を受け継ぐ心」の大切さが、次のような分かりやすい物語で示されている。
コンコンチキチキ、コンチキチン…。京都に住む小学生が、祇園祭に向けてお囃子(はやし)の練習に励んでいる。しかし最初はなかなか上手に鉦(かね)を合わせることができず、周りの大人に叱られたりして、「もう、やめたい」と弱音を吐く。
 すると父親が、こう言って励ました。
 「お父さんも、よく おじいさんに しかられながら、れんしゅうしたものだ。みんな、そうやって、千年もつづく ぎおんまつりを まもってきているんだよ」
 この言葉に力を得て、小学生は練習を続け、祇園祭で鉦を気持ちよくたたくというストーリー。「自覚」や「伝統」といった難しい言葉はなくても、日本の伝統文化を親から子へ、子から孫へと継承する姿勢を、自然に学ばせる構成になっている。

あのメダリストの秘話も…「自分の記録と闘うんだ」
 「私たちの道徳」にはこのほかにも、(1)いじめの未然防止につながる題材(2)社会に進んで貢献しようとする題材(3)情報モラルを高める題材-などが重点的に盛り込まれた。
 著名人の伝記や名言も多く、坂本龍馬、二宮金次郎、緒方洪庵、葛飾北斎ら歴史上の人物や、イチロー、澤穂希、内村航平ら世界で活躍するスポーツ選手らのエピソードなども紹介されている。
小学3・4年生用で取り上げられたのは、2000年のシドニー五輪で日本人女性として初のマラソン金メダリストとなった高橋尚子の物語「きっとできる」だ。
 高校時代、予選落ちなどまったく結果の出なかった尚子が、大学時代の練習中、走りながらふと気づく。
 《人と戦うんじゃない、自分の記録と戦うんだ》
 《長い階だんを一気にかけ上がろうとすれば、途中でばてる。時間がかかっても、一だんずつしっかり登っていけば、上まで登り切れる》
 昨日の自分の新記録を、今日の自分が破るという挑戦を続けながら、最後は金メダルに輝く尚子の物語を通じ、「粘り強くやり遂げる」ことの大切さを説いている。
 小学5・6年生用には、「赤ひげ先生」として知られる江戸時代の町医者、小川笙船(しょうせん)の物語が掲載された。
 八代将軍吉宗に建言して貧者のための「小石川養生所」をつくってもらい、寝る間も惜しんで貧しい病人たちの治療につとめる笙船が、ある日、元気になった貧者の一人から、恩返しにとたくさんの大根を届けられるというストーリー。
 社会の中で自分の役割を自覚し、その責任を果たすことの意義を考えさせる内容になっている。大人が読んでも、心をうつ物語が並んでいる。

ようやく盛り込まれた日本古来の「道」の精神
 さまざまな題材が新教材に掲載される中、道徳教育に詳しい高橋史朗・明星大教授が注目するのは、武道や茶道など日本古来の「道」の精神が盛り込まれたことだ。
 小学5・6年生用には、「人間をつくる道-剣道-」とのタイトルで、試合に負けた後でも立派な態度で礼をする剣道の美しさを読み物にして掲載。「剣道は、『礼に始まり礼に終わる』と言われるように、礼というものをとても大切にします。これは、日本人が昔から大切にしてきた相手を思いやる精神です。我々が受けついでいかなければならないことです」と諭している。
 中学生用でも「礼儀」を取り上げ、「日本の伝統文化である茶道や華道、武道などにおいては、それを楽しむことや技を磨くことだけでなく、自分を律する心や相手を尊敬し感謝する心を大切にし、それを礼儀の形で表している」と説明している。
 こうした題材について高橋教授は、「武道など『道』の精神は、技とともに戦前の学校では広く教えられてきたが、戦後はGHQによって禁止された。昭和28年の中学学習指導要領で柔道などが『格技』の名称で復活したものの、体育の授業で技を教えるにとどまり、精神面についてはなかなか学校教育で教えられなかった。それが今回、国が作成する道徳教材の中で取り上げられたことは、日本人としてのアイデンティティーを育成する上で、とても意義深い」と話す。(略)
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 次回に続く。

道徳の教科化と親学の振興で道徳教育の充実を1

2014-06-25 08:48:22 | 教育
●はじめに

 戦後日本では道徳教育が軽視されてきた。GHQの圧力で教育勅語が廃止され、日教組が道徳教育に反対してきたからであるす。しかしいま現状を改革しようとする力強い動きが起こっている。安倍政権は本年度から新教材「私たちの道徳」を小中学生に配布し、また道徳の教科化を実現しようとしている。本件について短期連載する。6回の予定である。

●日本は敗戦後、優れた道徳教育を失った

 世界から称賛される日本人の高い道徳性は、長い歴史の中で培われたものであるとともに、明治以降の学校教育の成果でもある。明治以降の教育は、近代国家日本を担う国民を育てることに根本目的を置いていた。その教育方針を示したのが教育勅語であり、教育勅語のもとに国民を育てる道徳教育が行われた。道徳教育は「修身」という正式科目であり、国定教科書によって行われていた。修身の内容は、教育勅語に盛られた孝行、友愛、博愛、義勇など12の徳目を分かりやすく教えることが中心だった。
 ところが、敗戦後、GHQの圧力によって、教育勅語は廃止を余儀なくされた。修身も禁止された。留意したいのは、GHQの幹部は教育勅語それ自体は何ら悪いところはないと考えていたことである。内容よりも、戦前のわが国で行われていた勅語の解釈や運用を問題としたものだった。
 教育勅語については、拙稿「教育勅語を復権しよう」に詳しく書いた。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion02c.htm
 占領期間を終え、昭和27年4月28日サンフランシスコ講和条約の発効で主権を取り戻した日本政府は、道徳教育の復活を目指したが、日教組が強硬に反対した。そのため、わが国では戦後、まともな道徳教育が行われないまま、70年近く経過している。昭和33年から小中学校で週1時間、「道徳の時間」として、年間35時間の授業枠が設定されているが、正式な教科ではなく、ホーム ルームや自習時間に充てられるなど形骸化している。
 私は、戦後50年を迎えた平成7年(1995)からわが国は精神的な劣化が目立ってきたと見ている。その年には、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。平成9年(1997)には神戸連続児童殺傷事件や11年(1999)には栃木女性教師刺殺事件・光市母子殺害事件等の社会を揺るがすような凶悪な少年犯罪が相次いで発生した。
 そうしたなか、「心の教育」の必要性が強調されるようになり、文部科学省は、道徳の補助教材として「心のノート」を作成し、平成14年(2002)、全国の小・中学校に無償配布した。小学校低学年、中学年、高学年、中学校用の4種類が作られた。心ある教育者はこの教材を使って、いじめや自殺等を防ぐために懸命に取り組んだ。だが、道徳は正式科目ではなく、さらなる道徳教育の充実が求められている。
 ちなみに日教組は道徳教育の廃止を唱え、「心のノート」の配布・使用に反対してきた。日教組を支持母体とする民主党は政権を取ると、事業仕分けで予算を削り、「心のノート」の配布をやめてしまった。痛恨の出来事だった。

●いま道徳教育の充実を目指す取り組みが

 しかし、いま現状を改革しようとする力強い動きが起こっている。その動きを推進しているのは、現首相・安倍晋三氏である。安倍氏は「戦後レジームからの脱却」をめざし、その課題の一つとして教育改革を掲げている。道徳教育の充実についても積極的に進めようとしている。
 平成18年、第1次安倍政権は、国と郷土を愛する教育や公共心の育成などを重視するよう約60年ぶりに教育基本法を改正し、教育改革に意欲を示した。同政権が設置した教育再生会議は、道徳の教科化を提言し、中教審で議論がされた。しかし、検定教科書について「個人の内面にかかる問題を扱うので検定になじまない」といった慎重意見が多く、平成20年1月の新学習指導要領に向けた答申では判断が先送りされた。その後の自民党政権、民主党政権では、この課題への取り組みは進まなかった。
 平成24年12月、第2次安倍内閣が発足すると、25年2月政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は、いじめと体罰問題に関する提言をまとめ、安倍首相に提出した。提言は、学校や教員によって充実度にばらつきがあった「道徳」について、「他者への思いやりや規範意識を育むよう」新たな枠組みで教科化することを求めた。
 25年12月文部科学省の有識者会議「道徳教育の充実に関する懇談会」が下村博文文科相に報告書を提出した。報告書では、「歴史的経緯に影響され、道徳教育そのものを忌避しがちな風潮がある」などの課題を指摘し、抜本的な改善を図るには「特別の教科」として位置づけることが適当とした。ただし、5段階などの数値評価は行わず、記述式など多様な評価方法を検討するよう求めた。教材は新たに検定教科書を導入するのが適当と判断した。
 本年1月24日安倍首相は施政方針演説で、第1次政権から取り組む課題の1つである教育再生に強い意欲を見せた。「学力の保障」「道徳」「英語力」を柱とする施策強化を訴え、将来の日本を支える次世代教育に注力する。首相は演説で「すべての子供たちに必要な学力を保障するのも公教育の重要な役割だ」と強調。国の責務として基礎学力などが備わるよう教科書の改善に取り組むと訴えた。さらに「公共の精神や豊かな人間性を培う」ことを目的に、道徳を特別教科と位置付けた。

 次回に続く。

移民受け入れではなく「1億人目標」の脱少子化政策を

2014-06-23 08:51:58 | 少子化
 政府は今月27日に経済財政運営の指針「骨太方針」の閣議決定を目指している。その方針案に、中長期の課題として人口減問題に対応するため「50年後に1億人程度の安定した人口を保持する」と初めて数値目標が明記された。
 方針案は、平成32年をめどに「人口急減・超高齢化」への流れを変えると強調し、少子化に対応するため子どもを生み育てる環境を整え、第3子以降への重点的な支援を行うなど「これまでの延長線上にない」少子化対策を検討課題とする。少子化対策への予算配分を「大胆に拡充」するとしているほか、女性の活躍促進、出産や育児の両立などを目指すとしている。
 これは政府の経済財政諮問会議の専門調査会の提案に基づくもので、同調査会は、日本の人口は出生率が回復しない場合、現在の約1億2700万人から2060年には約8700万人まで減少する見通しを示した。50年後に人口1億人を維持するには、2030年までに合計特殊出生率を現在の1.3~1.4程度から人口維持が可能な2.07まで回復させ、安定させる必要があると指摘している。2030年までに2・07に回復することを想定している。
 私は、平成18年(2006)に書いた拙稿「少子化・高齢化・人口減少の日本を建て直そう」で、人口目標1億人という政策案を紹介した。これは、北海道大学大学院教授の金子勇氏が提案しているものである。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion02g.htm
 金子氏は、従来の政府の少子化対策を次のように批判する。「現今の少子化対策は、最終的な少子化阻止という具体的目標が不鮮明であり、同時に社会全体における世代内・世代間の協力方法が鮮明には描かれていない」。つまり、目標とその達成方法がともにあいまいだというのである。そして、「少子化・高齢化・人口減少という三位一体の人口変化が進む社会すなわち『少子化する高齢社会』を『適正人口社会』に質的に転換する」ことを、大方針として提示する。そして国家全体の目標値として、2040年における人口1億人を「適正人口」と位置づけ、「適正人口1億人」を実現すべき目標とする。「適正人口社会」を目指すために、金子氏は、少子化ではなく「増子化」を唱え、2035年に「合計特殊出生率1.80」を達成することを目標とした増子化を展望したいと述べている。
 私は、金子氏の提案に賛同し、先の拙稿で少子化の原因、従来の政府の政策の欠陥、脱少子化に必要な考え方と具体的方策について書いた。
 今回の政府の「骨太方針」が少子化の原因をどうとらえ、従来の政策をどう反省し、どういう考え方に立って、どういう方策を打ち出そうとしているのか、まだよくわからないが、最も重要なのは、社会のあり方についての根本的な考え方である。
 脱少子化のためには、未婚率の低下と既婚者の出生率の上昇を達成しなければならない。未婚率を下げるには、結婚する人が増えなければならない。未婚者の結婚への意欲を高め、また結婚したいという希望を実現しやすくすることだろう。また既婚者の出生力が上がるには、既婚女性にもっと子供を産むようになってもらわなければならない。仕事中心の生活の人が、子供を生み育て、家庭で保育できるような条件を整えること。専業主婦が、もっと子供を多く産み育てやすい環境を提供することだろう。
 これらを進めるには、生命に基づいたものの考え方、生き方を取り戻すことが、根本的に必要である。そういう考え方、生き方の実践をするには、家族を重視し、家庭の機能を回復・強化する方策が求められる。その方策の実行のために、憲法に家族条項を盛り、教育基本法を再改正し家庭教育・幼児教育を盛る。そのうえで、家庭の機能の回復・強化による脱少子化方策を実行することが必要である。
 また、人口1億人を維持する方針は、脱少子化によって日本人の増加を図るものでなければならない。少子化対策に移民の大量受け入れを組み合わせるようなものであってはならない。移民問題については、平成24年(2012)の拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」に詳しく書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm
 労働生産人口を確保するために移民を1000万人受け入れるという提案があるが、諸外国の失敗に学び、その道は絶対取ってはならない。特にわが国の場合、流入する外国人の大多数は、共産党支配下の中国人となることをよく認識する必要がある。
 日本人は、民族の自滅となる移民大量受け入れ政策ではなく、家族の回復による脱少子化を進めて日本の人口を維持する道を進まねばならない。安倍政権には、人口問題で「国家百年の計」ならぬ「国家50年の計」を誤らぬようしっかり検討を行ってもらいたいものである。
 以下は関連する報道記事。

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●産経新聞 平成26年6月9日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140609/fnc14060921210014-n1.htm
骨太方針骨子案 人口減克服「1億人目標」少子化対策 大胆に拡充
2014.6.9 21:21

 政府は9日、経済財政諮問会議を開き、27日の閣議決定を目指す経済財政運営の指針「骨太方針」の骨子案を示した。中長期の課題として人口減問題に対応するため「50年後に1億人程度の安定した人口を保持する」と初めて明記。少子化対策への予算配分を「大胆に拡充」するとした。
 安倍晋三首相は同日、「人口急減、超高齢化への流れを変えるため、従来の枠組みにとらわれない抜本的な取り組みにより、継ぎ目ない支援を行っていくことが重要」として、具体化を急ぐよう指示した。
 骨子案では、安倍政権の経済政策「アベノミクス」の進展で日本経済の現状は力強さがあると分析。デフレから脱却しつつある日本経済の今後の課題として、人口減への対応のほか、消費税率引き上げ後の反動減への対応、経済の好循環の拡大、経済再生と財政健全化の両立を挙げた。
 人口減については、平成32年をめどに「人口急減・超高齢化」への流れを変えると強調。第3子以降への重点的な支援を行うなど「これまでの延長線上にない」少子化対策を検討課題とした。さらに、女性の活躍促進、出産や育児の両立などを目指すとした。
 増税後の反動減への対応では「回復過程を注視し、引き続き『三本の矢』を一体的に推進する」とした。
 経済の好循環を拡大させるための施策としては、医療や農業の成長産業化、規制改革の推進などを盛り込んだ。安価かつ安定的なエネルギーの確保のため、原子力規制委員会が安全と判断した原子力発電所の再稼働も求めた。
 財政健全化では、国と地方の基礎的財政収支の赤字額を27年度に国内総生産(GDP)比で22年度から半減、32年度に黒字化する目標は堅持する。
 個別分野では、医療費や生活保護の見直しなどの社会保障改革や社会資本整備における公共事業の優先順位を明確化することも求めた。

●産経新聞 平成26年5月13日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140513/plc14051312320010-n1.htm
日本の人口、50年後も1億人維持へ 政府が初の数値目標、経済財政諮問会議に提出
2014.5.13 12:32

 政府の経済財政諮問会議の下に設置された専門調査会は13日、日本経済の持続的な成長に向けた課題をまとめた中間整理案を公表した。少子化に対応するため子どもを生み育てる環境を整え、50年後に人口1億人程度の維持を目指すとの目標を盛り込んだ。
 政府が人口に関して明確な数値目標を打ち出すのは初めて。
 甘利明経済再生相は会議で、「日本発の新しい成長発展モデルを構築することが可能であるというメッセージを打ち出した」と強調した。中間整理案の内容は、近く行われる諮問会議に提出し、6月に策定する経済財政運営の指針「骨太方針」に反映させる。
 中間整理案では、日本の人口は出生率が回復しない場合、現在の約1億2700万人から2060年には約8700万人まで減少する見通しを示した。50年後に人口1億人を維持するには、2030年までに出生率が現在の1.3~1.4程度から人口維持が可能な2.07まで回復させ、安定させる必要があると指摘。「これまでの延長線上にない少子化対策が必要」と強調した。
 また、当面は人口減少が続くことで、国民生活の悪化を避けるため「経済活動の担い手となる人口をある程度の規模で保持することが必要だ」とも指摘。女性や高齢者の労働力としての活用が必要として、高齢者の身体能力が過去10年あまりで若返っていることをふまえ、生産年齢人口を15歳以上65歳未満から、70歳未満と見直すことも選択肢としてあげた。
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関連掲示
・拙稿「少子化・高齢化・人口減少の日本を建て直そう」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion02g.htm
・拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm

人権101~米国の人権事情

2014-06-22 10:14:20 | 人権
●米国の人権事情

 1787年制定の合衆国憲法には当初、いわゆる人権の規定がなかった。権利の章典を付けていなかった理由は、連邦政府は人民から委託された権限のみを行使し得る権利を制限された政府であるから、権利の章典を付けることは、この原則を侵すものとなるという点にあった。だが、権利の章典がないことをもって憲法案に反対する意見があり、権利の章典を追加することを条件として、憲法案を承認した州が少なくなかった。
 そこで89年第1連邦会議で権利の章典が提案され、所要の数の州の承認を得て、91年に発効した。これが、合衆国憲法修正10カ条である。修正第1条は、国教の禁止、信教の自由、言論及び出版の自由、集会の権利、請願権に係ることを規定した。以下の条文は、捜索・逮捕押収、死刑・破廉恥罪、不利益な供述、財産の徴収、裁判、弁護人の依頼、保釈金、罰金、刑罰等に関する権利を規定した。今日も合衆国の特徴の一つである人民の武器保有と武装の権利は、修正第2条に規定されている。、また修正第3条には民兵と兵士の舎営に関する権利が規定されている。これらの権利は、米国の国民の権利であり、修正10カ条をすべて人権とみなすのは適当ではない。むしろ、修正10カ条は、米国民の権利を連邦憲法に定めたものである。
 修正10カ条の主な内容は、自由権だった。自由権を国民の権利として保障した。ただし、権利の主体は白人男性のみを対象としていた。白人女性、インディアン、黒人は除外されている。ここに定められた権利は、特定の人種・性を前提にしたものゆえ、人権とは言えない。普遍的でなく特殊的な権利は、特権である。すなわち、合衆国憲法が修正条項に定めた権利は、アメリカ国民である白人男性の特権だった。合衆国憲法に、「婦人参政権修正」として知られる修正第19条が追加されたのは、1920年だった。黒人に参政権を与える修正条項が追加されたのは、1865年から70年にかけてだった。憲法に婦人参政権を定めたのは、それより約50年後のことだった。
 本章が対象とする時代の範囲を少し超えるが、黒人問題について補足すると、アメリカ国民は19世紀半ば南北戦争で国内を二分する内戦を戦った。南北戦争は今日、内戦(シヴィル・ウォー)とされているが、南部諸州は独立国家を結成したのだから、国際紛争と見るべきである。北部側は、かつてイギリスから独立していながら、自国からの独立は認めないというわけである。
 最初は南部が優勢だった。しかし、リンカーンは1862年に、国有地に5年間居住・開墾すれば無償で与えるという自営農地法(ホームステッド法)を発布し、これによって、西部農民の支持を獲得した。さらに、63年に奴隷解放宣言を発し、内外世論を味方につけた。ゲティスバーグの戦いで北部が優勢になり、65年北部が南部に勝利した。
 欧米では、16世紀から黒人奴隷貿易が盛んに行われ、約1000万人に上る黒人が、アフリカからアメリカ大陸に送られた。19世紀に奴隷廃止運動が起こり、1833年にイギリス、48年にフランスで奴隷労働が廃止された。1860年の英仏通称条約で奴隷貿易が禁止され、実効性を持たせるため、海上での臨検の権利を定め、奴隷貿易を海賊行為とした。こうしたヨーロッパの動向がアメリカ合衆国に影響を与えた。
 南北戦争後の1865年から70年にかけて、修正第13条、14条及び15条が追加された。これらの3カ条は、「南北戦争の結果たる修正」として知られる。第13条は1863年の奴隷解放の布告を憲法上明文化したものであり、本条によって奴隷制度が廃止された。また14条は黒人に市民権を付与するもので、15条は黒人の参政権を保障しようとしたものだった。だが、実質的な差別は存続した。黒人解放運動が成果を上げるようになったのは、1940年以降であり、1964年にようやく公民権法が成立した。権利においては平等が実現した。しかし、現在も米国の大都市では、居住地と学校において、黒人の隔離が続いている。
 トッドが明らかにしたように、米国における黒人たちは、身体的差異という宿命的な違いによって差別される。黒人は、「お前は人間だ」と言われながら隔離される。それによって、心理的・道徳的な崩壊に追い込まれる。ここに米国という差異主義社会の根本構造が立ち現れる。すなわち、白人/黒人の二元構造である。そして、アジア人を含む広義の「白人」の平等と黒人差別の共存は、アメリカ建国当時の「領主民族のデモクラシー」が今日まで、アメリカのデモクラシーの本質として続いていることを示しているのである。
 21世紀の現在、超大国アメリカは世界で最も豊かな国でありながら、貧富の差が大きい。1980年代から、急速に差が広がった。日本や欧州諸国より機会の均等が実現しておらず、富裕層と貧困層が固定しつつある。貧困層の多くを、黒人が占める。社会保障が発達しておらず、国民全体をカバーする医療保険制度がなく、新生児死亡率が高い。その面では、先進国とはいえない。ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは、極端な格差の原因には「白人による人種差別意識がある」と告発している。こうした現状は、アメリカ独立革命に含まれていた構造的な特徴に源を持つ。アメリカ独立革命を「自由の革命」と理想化することは、誤りであることを知らねばならない。

 次回に続く。

「歴史の精算」が中国外交のテーマ~石平氏

2014-06-20 06:39:14 | 国際関係
 昨19日、拙稿「南シナ海で中国を駆り立てる中華ナショナリズム」を日記に書いた。中華ナショナリズムは、南シナ海に向けてのみ、高揚しているのではない。中国は現在、19世紀以来の屈辱の歴史の精算を国家的な主題としている。
 習近平国家主席は、3月下旬から4月1日まで、オランダ、ドイツ、フランス、ベルギーの4カ国を訪問した。シナ系評論家の石平氏は、産経新聞4月17日の記事で、この欧州歴訪の意味を述べている。
 石氏は「歴訪の中で習主席が欧州への対抗意識と欧州に対する『優越感』を自らの言動に強くにじませていることは明らかだ」とし、「かつての西洋列強にさんざんいじめられ、屈辱の近代史を経験した中国としては、自国の国力が増大し欧州諸国を凌駕している今こそ、屈辱の歴史への意趣返しとして、欧州を上から見下ろしてやりたいのだ」と言う。
 「経済面など実利の視点から中国と仲良くしようとする欧州諸国の外交志向とは一味違い、中国の方はむしろ歴史の怨念を心の中で引きずり、『歴史の清算』を外交政策の根底に置いている」と石氏は見ている。習主席は就任以来、「民族の偉大なる復興」を国家目標として掲げているが、その一環が、屈辱の歴史の精算なのである。石氏は適切にそのことに触れたうえで、「中国にとっての清算すべき歴史は、欧州とのそれだけではない」「『欧州征服』を果たした後、彼らにとっての次の雪辱の対象は、やはりこの日本をおいて他にない」と述べている。
 人間には自尊心がある。自尊心が強い人間ほど、自尊心を傷つけられると、そのことへの恨みは深く、大きくなる。もともとシナ民族は復讐心が強く、憎悪の感情を行動に表すことに、自制心を働かそうとしない傾向がある。そのうえ、共産主義は階級間の憎悪を駆り立て、敵愾心を革命の駆動力とする。共産中国では、特に文化大革命の時期に、伝統的な道徳は徹底的に破壊された。道徳が消失した集団では、膨張した怨恨、燃え上がる復讐心を抑えるものがない。そうした集団が世界を破壊し尽くすほどの軍事力を持つに至っている。わが国は、誠に危険な大国を近隣に持っている。国民は、そのことをはっきりと認識すべきである。
 日本人は日本精神を取り戻し、国家の再建を成し遂げねば、中国の奴隷になる。最悪の将来を避けるために、自己本来の日本精神に目覚めよう。
 以下は、石氏の記事。

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●産経新聞 平成26年4月17日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140417/chn14041712300003-n1.htm
【石平のChina Watch】
習氏の欧州歴訪 隠れたテーマは「歴史の清算」
2014.4.17 12:30

 今月1日までの11日間、中国の習近平国家主席はオランダ、ドイツ、フランス、ベルギーの4カ国を訪問した。就任後初の欧州歴訪である。
 訪問中の習主席の言動と中国内の報道を見ていると、どうやら中国側はこの欧州歴訪に「親善外交」とはかけ離れた別の意味合いを持たせようとしているように見える。
 中国内の報道が強調していることの一つは、習主席が訪問先各国で「破格の最高格式の礼遇」を受けた点だ。報道だけみれば、あたかも、各国の王室や政府首脳が一斉に習主席の前でひれ伏し、この大国元首を恭しく迎えたかのような風情である。
 習主席の振る舞いも尊大なものである。オランダとベルギーの国王が開いたそれぞれの歓迎晩餐(ばんさん)会で彼はわざと一般的外交儀礼を無視して中国式の黒い人民服を着用して臨んだ。
 そして、フランス大統領との会談で習主席は「中国の夢はフランスにとってのチャンスだ」と語り、ドイツで行った講演の中では「ドイツは中国の市場を無くしてはいけない」と強調した。あたかも中国が欧州の「救世主」にでもなったかのような言い方である。
 ベルギーでの講演で習主席はまた、立憲君主制や議会制などの政治制度を取り上げ、そのいずれもが「中国の歩むべき道ではない」と語った。
 つまり彼は、世界史上いち早く上述の政治制度を整えた欧州諸国の先進性を頭から否定した上で「中国はあなたたちから学ぶことはない」と宣したのである。
 このように、歴訪の中で習主席が欧州への対抗意識と欧州に対する「優越感」を自らの言動に強くにじませていることは明らかだ。
 問題は、欧州と対抗しなければならない現実の理由が何もない今の中国がなぜ、各国に対し、このような奇妙な意識をむき出しているのかである。考えてみれば、唯一の理由はやはり「歴史」である。
 つまり、かつての西洋列強にさんざんいじめられ、屈辱の近代史を経験した中国としては、自国の国力が増大し欧州諸国を凌駕(りょうが)している今こそ、屈辱の歴史への意趣返しとして、欧州を上から見下ろしてやりたいのだ。
 実際、訪問先のベルリンで習主席が「アヘン戦争以来列強によって奴隷扱いされた歴史の悲劇」に触れたのも、中国は決して「歴史の屈辱」を忘れていないことの証拠である。そしてフランスで行った講演の中で、主席は、かつてナポレオンが中国(清)のことを「眠れる獅子」と評したことを逆手にとって、「中国という獅子は既に目覚めた」と高らかに宣言した。
 このとき、おそらく彼自身とその随員たちは、この度の欧州歴訪が、まさに歴史への清算を果たした「雪辱の旅」となったことを実感していたのであろう。
 結局、経済面など実利の視点から中国と仲良くしようとする欧州諸国の外交志向とは一味違い、中国の方はむしろ歴史の怨念を心の中で引きずり、「歴史の清算」を外交政策の根底に置いている。
 それはまた、習主席自身が提唱してやまない「民族の偉大なる復興」の政策理念の隠されたテーマの一つだ。
 もちろんその際、中国にとっての清算すべき歴史は、欧州とのそれだけではない。彼らからすれば、近代史上西洋列強よりも中国をひどい目に遭わせた国は「もう一つ」ある。そう、東洋の日本なのである。
 だからこそ、習主席は訪問先のドイツで何の脈絡もなく日本との「歴史問題」に触れ、(何の根拠もない)「南京大虐殺30万人」を言い出したわけだ。
 「欧州征服」を果たした後、彼らにとっての次の雪辱の対象は、やはりこの日本をおいて他にない、ということである。
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関連資料
・拙稿「南シナ海で中国を駆り立てる中華ナショナリズム」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/06d4e3d4e4ba60f383c9f2301f514234
・拙稿「中国の日本併合を防ぐには」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12a.htm

南シナ海で中国を駆り立てる中華ナショナリズム

2014-06-19 08:46:14 | 国際関係
 なぜ中国は南シナ海で力づくの現状変更を強行するのか。目的には、共産党の覇権主義的な方針、石油・天然ガス等海洋資源の確保、うっ積する国内の不満を外部に向けさる大衆の意識操作があるだろう。その上、ここ4月以降に限れば、米国がリバランス政策でどこまで本気なのかを試すという目的があるだろう。さらに加えて、習近平国家主席が掲げる「中華民族の偉大な復興という中国の夢の実現」という心理的な要因があるだろう。
 どの民族、どの国民にも、ナショナリズムは存在する。だが、共産中国の場合、そのナショナリズムは、他にない特徴を三つ持つ。第一に、共産主義国が共産主義では国民を統合できなくなったとき、国民を統合するために持ち出されたものであること。江沢民による反日的な愛国主義がそれである。第二に、かつて世界最高の民族だったとの自尊心を傷つけられたという意識から、復讐心に燃えるものであること。アヘン戦争以来の屈辱を晴らしたいという感情がそれである。第三に、世界最大の人口、世界第二位のGDP、そして世界屈指の軍事力を持つ国におけるものであること。特に、短期間に強大化した軍事力が、ポイントである。これら三つの特徴を、共産中国のナショナリズムは、持っている。
 習近平氏は、平成24年(2012)11月の第18回中国共産党大会で総書記に選出された。この大会で、中国共産党は、21世紀の国家発展戦略として、「海洋強国」になるという目標を掲げた。習氏は総書記就任演説で、「中華民族」という言葉を繰り返し使った。漢民族や中国人民はあっても「中華民族」など存在しないのだが、多民族国家の中国であえて「中華民族」という言葉を掲げ、国家意識の高揚を図ったものだろう。
 25年(2013)3月習氏は、国家主席に選出された。主席として初めて行った演説で、習氏は「中華民族の偉大な復興を実現することは中華民族の最も偉大な夢である」と強調し、国内だけでなく海外にいる「同胞」にも団結を呼びかけた。この習氏の「中国の夢の実現」の柱になるのが「海洋強国」である。この時の全人代で、国家海洋局の中に海洋での警察権を行使する部門を統合した「中国海警局」が創設され、習主席の指導下に、「海洋強国化」を推進する態勢が打ち出された。
 その後の昨25年5月、東海大学教授・山田吉彦氏は、中国で海洋政策に携わる官僚や軍関係者と会う機会があった。国家海洋局の官僚に海洋進出の目的を尋ねると、「中華民族の復興が根本的な目標。そのために海洋強国になる必要がある」との答えが返ってきたという。
 中国は7月11日を「航海の日」と定めている。1405年に、明の太監、鄭和が2万7千人を乗せた艦隊を従え、北アフリカへの大遠征に南京付近の港を出立した日である。鄭和が通過した国々は明への朝貢国となり、実質的な支配下に組み入れられていった。
 中国指導部、当局者らが、「海洋強国」建設による「中華民族の偉大な復興」を言うとき、軍事力と経済力でアジアの国々を影響下に置いた、この全盛期の壮図をイメージしているのではないか。私は、中国は、海洋に関しては明朝の最盛期、陸地に関しては清朝の最盛期を「中華民族の偉大な復興」の目標としているものと思う。
 習氏の中華民族復興の夢という思想のもとは、毛沢東にある。習氏は毛沢東を崇拝している。毛沢東は、漢民族の矜持と強烈な反米感情に彩られた現代の中華思想を懐き、19世紀清王朝末期に失った地域覇権を取り戻そうと考えた。共産主義は本来、インターナショナリズムの思想だったが、スターリンによってナショナリズムに逆転し、さらに毛沢東によって中華思想と結びついたのである。ナショナリズムと結合した共産主義は、ファシズムに類似したものに変容する。ファッショ的共産主義である。既に中国は、マルクス・レーニンの名を掲げてはいても、実態はウルトラ・ナショナリズムを基盤とするナチス・ドイツに似た国家に変質している。
 ただし、中国の地域覇権への志向は、過去の支配権の範囲にはとどまるものではない。現時点では、過去の版図をもって膨張主義を正当化する材料にしているだけである。既に米国に対して、太平洋の東西分割統治を持ち出しているのが、その表れである
 中国は、東アジアにおける地域大国であるだけでなく、世界覇権国家アメリカに挑戦しようとしている。これは、西洋文明とシナ文明の中核国家同士の争いである。サミュエル・ハンチントンが予想した「キリスト教文明」対「イスラム・儒教文明連合」の対立が現実になるとすれば、世界覇権をかけた米中対決となるだろう。中国の挑戦は、単なる覇権主義的な野望によるものだけでなく、中華ナショナリズムという心理的要因があると考えられる。
 現在、南シナ海で起こっている事態は、単に石油掘削による資源の獲得ではなく、また南シナ海の領海化だけでもなく、さらに大きな米国への挑戦によるアジア・太平洋地域の帝国的支配への衝動の表れと考えられる。重大な歴史的事件であると私は思う。わが国の中国への対応は、政治、経済、外交、安全保障の観点だけでなく、こうした心理学的了解また文明史的な構図を以て、なされるべきである。

ウクライナ情勢の北方領土交渉への影響とわが国の対応

2014-06-17 10:07:59 | 国際関係
 ロシアは、クリミア併合に続いて、ウクライナ東部に触手を伸ばしている。そこには、ロシア流のやり方が現れている。北海道大学名誉教授・木村汎氏は、ロシア式の外交行動様式や戦術は他国のそれとは異なる特色を持つという。産経新聞4月16日の氏の記事によると、第1は、「目的のためには手段を選ばない性向」である。第2は、「戦術を系統的、定期的に使用し、そして、同じ戦術を飽きることなく執拗に繰り返す」ことである。第3は、ロシア人が愛用し最も頻繁に用いる「パカズーハ(見せかけ)」や「バザール(駆け引き)」戦術である。
 クリミア半島を併合したロシアは、現在ウクライナ東部に対して、これらの特色のある行動様式・戦術を用いている。目的のためには手段を選ばないやり方は、クリミアを武力による脅しを用いて併合したことに現れているが、ウクライナ東部にもこのやり方を繰り返そうとしている。また、木村氏の指摘のうち、プーチン政権は「バザール」戦術を用いている。バザール戦術とは、「最初に高値を吹っかけて相手を驚かした後に妥協案を探る形で、当初に狙っていたものを手に入れるという手法」である。木村氏は、プーチン大統領は東部をロシアの手中に収めるかのような大きな危機を演出して、東部に世界の注目を集中させることによってクリミア併合を既成事実化すること、次に、キエフの暫定政権に「連邦制」を採用させることを狙っている、と分析する。
 クリミアと同じくウクライナ東部でも、ロシアは親露派武装集団に「トロイの木馬」の役割を演じさせようとしている。この「『トロイの木馬』が独り歩きしたりしない限り、「パカズーハ」「バザール」という伝統戦術に基づくプーチン氏のウクライナ戦略は見事、奏功するだろう」と木村氏は予測している。
 ロシアはクリミア併合によって、領土問題に関してかつてのソ連のような強硬姿勢を示すようになった。冷戦終結以来の歴史的な変化である。それによって、北方領土の返還交渉は従来より厳しくなったと見られる。クリミア併合で、プーチンへの国民の支持は急拡大した。併合は、ロシア人の大国意識やナショナリズムの感情を満足させている。そのようななかで、今秋来日予定のプーチンが、国民の感情を裏切る形で、領土問題で譲歩するとは考えにくい。
 木村氏は、「プーチンがクリミアで行ったことは、旧ソ連の独裁者スターリンが日本に行ったことと同根だ」として、クリミア併合がソ連時代の領土拡張の動きと酷似していると非難している。木村氏は、今秋来日予定のプーチンは北方領土について2島返還を超える選択肢は考えていないという見方が、ロシア側研究者の間では支配的だという。そして、木村氏は、わが国は「なぜ日本はウクライナの問題で遠慮しなくてはならないのか。むしろ、積極的に対露制裁に踏み込むべきだ」と述べている。
 わが国は、ロシアのクリミア併合は断固認められないという姿勢を示さねばならない。もし国際社会がロシアのクリミア併合を結果として容認する形となれば、ソ連=ロシア流の領土拡張がまかり通ることとなり、わが国は北方領土返還交渉で一層、厳しい立場になるだろう。しかし、一方でロシアとの政治、安全保障問題についての対話は絶やさないようにすることが必要である。
 プーチン大統領は5月24日、サンクトペテルブルクで主要国の通信社代表と会見し、ウクライナ情勢をめぐって日本が対ロ制裁を発動したことについて「驚いた」と不快感を表明し、日本が北方領土問題について、「交渉のプロセスを止めた」と指摘した。その一方、ロシアには交渉の用意があるとも述べ、柔道の「引き分け」の精神を貫けば、双方の妥協による解決は可能との見解を示した。プーチンは、平和条約締結後の歯舞、色丹2島の引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言には両島の主権がどの国に属するか明記されていないと指摘、「それは交渉の対象だ」と述べたと報じられる。
 プーチンは、領土交渉に気を持たせてわが国がロシア離れするのを防ぎ、領土を餌にして日本にエネルギー資源を売ったり、経済支援をさせようとしているものだろう。そのために、都合がよいのが、二島返還論である。旧ソ連が四島を不法占拠し、ロシアがそれを引き継いでいるのだが、半分半分といえば、あたかも柔道の「引き分け」の精神で公正な態度を取っているかのように演出できる。
 だが、2島返還論には、落とし穴がある。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏は、クリミア併合は「北方領土交渉の意義」を根源的に問い直すことにつながると指摘する。
 そして、住民投票を経てクリミアが併合されたプロセスが持つ意味を熟慮すべきだと警告している。
 佐藤氏は、3月22日の「SANKEI EXPRESS」の記事で次のように述べている。「北方領土に日本人が定住する中長期戦略を構築する必要がある。日本側の要求が全面的に満たされ、北方四島が返還され、択捉島とウルップ島の間に国境線が引かれ、日露平和条約が締結されたとする。現状から推定すれば、色丹島、国後島、択捉島の住民の大多数はロシア系であろう(歯舞群島は無人島)。このロシア系住民が、4島の独立宣言を行った上で、ロシアへの再編入を求めるという住民投票を行い、それが賛成多数となれば、クリミアの例にならって、ロシアに編入される可能性がでてくる。一旦、合意して決定した国境が、一方的に変更される危険をはらんでいる状態では、領土交渉を行うこと自体の意味がない。
 北方四島は、われわれの祖先が開拓した固有の領土なので、その返還を絶対に諦めてはならない。今こそ、北方領土に日本人が定住することができるメカニズム構築を真剣に考えるべきだ。仮にクリミアに居住するウクライナ人が、圧倒的多数を占めていたならば、ロシアも今回のような強硬策を取ることはできなかったと思う」と。 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140322/erp14032214040010-n1.htm
 この日本人の定住ということは、北方領土返還交渉における重要なポイントである。既に北方四島には、多数のロシア系住民が住んでしまっているから、これを返還と共に、排除することは難しい。また返還後、ロシア系住民の人口を越える日本人が移住しないと、佐藤氏が指摘するロシアへの再編入がされる可能性は大きい。ロシア政府とすれば、日本に全面的に譲歩して四島を返還しても、四島を餌に日本から経済的利益を得たところで、民主的な手続きを踏んで四島を再編入すれば、領土もそっくり戻ってくるというわけである。
 これに対して、わが国はどういう中長期戦略を立てるか。政府・外交当局者はよく研究してもらいたいものである。

関連掲示
・拙稿「クリミア併合後、プーチン訪中で中露は連携を強化した」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12.htm
 目次から項目53へ
・拙稿「領土問題は、主権・国防・憲法の問題」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12.htm
 目次から項目2へ
・拙稿「対ロシア『包括的アプローチ』は焦らずに~木村汎氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/5ef3a847ff0c1c1462797091fb03bddd