ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

イスラーム49~西洋文明との関係

2016-04-30 08:41:32 | イスラーム
●イスラーム文明と世界の諸文明の関係

 ハンチントンは、21世紀初頭の世界は一つの超大国(アメリカ)と複数の地域大国からなる一極・多極体制を呈するようになったとし、今後、世界は多極化が進み、真の多極・多文明の体制に移行すると予想した。また特に西洋文明とイスラーム文明・シナ文明との対立が強まり、西洋文明対イスラーム=シナ文明連合の対立の時代が来ると警告した。後者の連合は、「儒教―イスラーム・コネクション」ともいう。このことは、多極化・多文明化する世界において、米国が徐々に衰退する一方、中国が経済的・軍事的な影響力を増すことを予想するものでもある。
 ここで、多極化・多文明化と米中の覇権争いが予想される21世紀の世界において、イスラーム文明と他の主要文明の関係がどのようになっていくかを考察したい。

●西洋文明との関係

 イスラーム文明が歴史的にお最も深い関係を持っている異文明は、西洋文明である。それは、現在から数十年先の将来にかけても変わらない。ハンチントンは『文明の衝突』で、西洋文明とイスラーム文明の衝突の可能性を警告した。これに反論して、トッドは文明は「衝突」せず「接近」するという将来予測を打ち出している。「接近」とはイスラーム文明における識字率の向上と出生率の低下による近代化、さらに脱イスラーム化の進行に基づく現象である。
 私は、長期的な傾向としては「接近」の可能性を認めるが、現状は、むしろヨーロッパへのイスラーム移民の流入により、ユダヤ=キリスト教的西洋文明とイスラーム文明の対立・摩擦が強まっていると思う。ハンチントンは、文明の衝突は文明の断層線(フォルトライン)で起こるだけでなく、文明の内部でも起こると述べた。ヨーロッパでは、文明と文明が地理的空間的に衝突しているのではない。一つの広域共同体の中で、先住の集団と外来の集団が混在し、その間で衝突が起こっている。ヨーロッパにおける主たるフォルトラインは、ある文明に属する諸国と、別の諸国との国境地帯にあるのではなく、都市の街区や学校の教室の中に立ち現れている。国境のフォルトラインで戦争が起こるのではなく、都市のフォルトラインで、爆弾テロが起こる。地理的空間的に展開する軍隊同士の争いではなく、地下鉄や劇場でゲリラが攻撃を仕掛ける。
 実際、イスラーム教過激派によるテロが都市で頻発している。2004年2月、スペインのマドリードの3駅で列車爆破テロが起こり、約190人が死亡した。2005年7月、イギリスのロンドンの地下鉄3か所、バス1台で同時テロが起こり、52人が死亡した。2015年(平成27年)1月のフランス風刺週刊紙襲撃事件や同年11月のパリ同時多発テロ事件等に見るように、文明の違い、価値観の違いによる対立・摩擦は深刻さを増している。これはハンチントンの予想を大きく超えた事態であるし、トッドはパリで、メトロで、コンサートホールで、無差別自爆テロが起こることを想定できていなかった。
 2016年3月18日ベルギーの捜査当局は、パリ同時多発テロの実行犯の一人、サラ・アブデスラム容疑者を、潜伏していたブリュッセル首都圏のモレンベーク地区で逮捕した。ベルギーは、パリ同時多発テロの実行犯グループがテロを準備する拠点となっていた。
 アブデスラム逮捕への報復が懸念されるなか、3月22日、ブリュッセルの国際空港及び地下鉄駅で連続爆弾テロが発生し、34人が死亡し、230人以上が負傷した。ブリュッセルは、欧州連合(EU)の本部があり、EUの首都とも呼ばれる。テロが起こった地下鉄駅は、EU本部に近くに位置する。
 3月22日の連続テロについて、ISILが犯行声明を出した。犯行声明は、正確に空港や地下鉄を標的にしたと指摘した上、「侵略の代償として十字軍連合は暗黒の日々を迎える」とし、ISIL掃討を目指す欧米諸国に対して警告した。
 フランスのオランド大統領は、「狙われたのは欧州全体だ」と語り、EUの連携を呼びかけた。またバルス首相は、「われわれは戦争状態にある」と述べ、国際社会の団結を訴えた。
ヨーロッパにおけるイスラーム文明と西洋文明の衝突は、ポストモダン型の戦争となっている。ISILは、自らが支配する領域への各国の空爆への反攻として、パリ・ブリュッセル等で大規模テロを行っている。彼らの側からすれば遠隔地の敵国への攻撃であり、遠隔地戦争である。そして、その戦争は手段を選ばずに一般市民を大量殺害することを目的としている。ヨーロッパは、その自由と普遍的人権の観念によって、恐るべきテロリストを地域内に抱えてしまった。
 ベルギーのテロは、2015年11月のパリ同時多発テロ事件より、はるかに過激だった。そのテロは最初、原子力発電所が標的だったのである。その動きを察知したベルギー当局が警備を厳重にしたため、都心部でのテロに変えたのだった。もし原発を攻撃されていたら、かつてない大惨事になった可能性がある。今回は、原発テロを未然に防げたが、今後、最大限の警戒・警備が必要である。
 深刻さを増す一方のイスラーム文明と西洋文明の関係は、将来どのようになっていくのだろうか。2009年(平成21年)8月、英『デイリー・テレグラフ』紙は、EU内のイスラーム人口が2050年までに現在の4倍にまで拡大するという調査結果を伝えた。それによると、EU27カ国の人口全体に占めるイスラーム系住民は2008年には約5%だったが、現在の移民増加と出産率低下が持続する場合、2050年ごろにはイスラーム人口がEU人口全体の5分の1に相当する20%まで増える。イギリス、スペイン、オランダの3ヵ国では、「イスラーム化」が顕著で、近いうちにイスラーム人口が過半数を超えてしまうという。
 近い将来、イスラーム人口が過半数を超えると予想されるイギリスでは、第2次大戦後、非ヨーロッパから多数の有色人種が流入した。主な移民は、ヒンズー教の一種であるシーク教徒のインド人、イスラーム教徒のパキスタン人、キリスト教徒のアンチル諸島人である。彼らは当初、イギリス社会に同化する気構えを持っていたが、イギリス人の拒否に会った。イギリスは、絶対核家族を主とする社会であり、自由と不平等を価値観とする。その価値観は、諸国民や人間の間の差異を信じる差異主義の傾向を生む。人間は互いに本質的に異なるという考え方である。移民集団は、イギリスでその差異主義による拒否に出会った。集団によって、それぞれ異なる結果が現れた。受け入れ社会と移民の文化の組み合わせによって、結果が違ったのである。ポイントは家族型の違いにある。
 インド人のシーク教徒の家族型は、直系家族である。彼らにはイギリスの差異主義が幸いし、囲い込みという保護膜に守られた形で同化が進んでいる。しかし、パキスタン人の家族型は、共同体家族である。共同体家族は、兄弟間の平等から諸国民や万人の平等を信じる普遍主義の傾向を持つ。世界中の人間はみな本質的に同じだという考え方である。この普遍主義とイギリスの差異主義がぶつかり、パキスタン人は隔離された。これに対しもともとイスラーム教スンナ派であるパキスタン人は、宗派の異なるイランのシーア派の活動組織と結び、イスラーム教原理主義に突き進んだ。
 イギリスの差異主義と衝突したイスラーム系移民の一部は過激化し、ロンドン等の大都市で、無差別テロ事件を起こしている。また、イギリス社会では、シャーリア(イスラーム法)の導入を巡って摩擦が起き、一つの社会問題となっている。イスラーム系移民の人口は、年々増加している。その過程で、イギリスの社会には、かつて欧米諸国が体験したことのない質的な変化が起こるだろう。
 イギリス以上にオランダの状態は深刻である。イギリス、ドイツ、フランスにおける移民の人口比は7~9%だが、2010年(平成22年)現在でオランダは10%を大きく超え、20%に近くなっている。オランダは、EUの加盟国以外の外国人にも、地方参政権を与えている唯一の国である。オランダは、この地方参政権付与によって、大失敗した。イスラーム系移民は、オランダ人とは融和せず、都市部に集中して群れを成して居住する。アムステルダムなどの都市部では、彼らが形成するゲットーにオランダ人が足を入れようとすると、イスラーム系住民は敵意を燃やして攻撃する。そういう険悪な状態に、オランダ人も危険を感じるようになった。特に新たに流入したイスラーム系移民たちの暴力、犯罪や組織犯罪が目立ってくると、関係は悪化した。国内に別の国家が作られたような状態となってしまった。人口全体の20%というのは、こういう社会になり得るレベルということである。
 欧州連合(EU)では2014年(平成26年)からイスラーム文明諸国からの難民・移民の流入が急増している。シリアの内戦やアフガニスタン、リビア等の混乱が原因である。2015年11月のパリ同時多発テロ事件後、ヨーロッパの相当数の国々で、こうした難民・移民を本国に帰そうとする動きが起こっている。EUは、2016年3月トルコと密航した難民・移民らのトルコへの送還などの措置で合意した。これらの政策変更によって、イスラーム文明諸国からの難民・移民の流入に一定の制限・抑止が働くだろう。だが、既にヨーロッパには、1000万人以上のイスラーム移民が定住している。今後、そうしたイスラーム移民の多くがヨーロッパ文明に同化するのか、それとも同化を拒否するイスラーム移民がますます対立的闘争的になって文明の「衝突」が深刻化するのか。この問題は、ヨーロッパ文明の運命に関わる大問題である。
 私は、前者つまりヨーロッパ文明への同化よりも、後者つまり文明の「衝突」の深刻化の可能性の方が遥かに高いと考える。かつて第1次世界大戦後、オズワルド・シュペングラーが『西洋の没落』を書いたヨーロッパは、第2次大戦後は、イスラーム教徒という「月と星の民」を多く受け入れることで、没落の道を覆う夜の闇を深くしている、と私には見える。
 ヨーロッパにおけるイスラーム教徒によるテロについて、わが国では、世俗主義・政教分離を強制するからムスリムが屈辱感を感じてテロが起きるという見方がある。だが、池内恵氏は、次のように指摘する。「ベルギーは政教分離を強制するどころか、移民集団の自由に任せ、放置してきた。それなのに(だからこそ)テロが起きている。なお、植民地主義の過去もなく、人道主義で意図的に移民・難民を受け入れてきた北欧ですらテロが起きている、ということも深く受け止めましょう」と。すなわち、移民コミュニティを放置してもテロが起きる、ホスト社会に統合しようと思想信条に介入してもテロが起きる。それが、ヨーロッパの深刻な現実である。
 トッドは、フランスが取るべき移民政策として「率直で開かれた同化主義」を説くが、移民の数が増大すれば、ある段階からその政策は機能し得なくなるだろう。どこの国でも移民の数があまり多くなると、移民政策が機能しなくなって移民問題が深刻化する、その境界値は人口の5%と私は考える。ヨーロッパが自らの西洋文明を守るには、各国で移民の規制をする必要がある。移民を合法的手段で強制的に本国に帰国させる方法があるし、人口の何%以内と上限を定める方法もある。ヨーロッパは、早くそうしないと手遅れになる。西洋文明だけでなく、イスラーム文明の人々にとっても、不幸な結果になるだろう。
 その点、米国の場合は、人口に対するイスラーム教徒の割合は、現在のところ約1%であり、2050年の時点でも約2.1%と予想されているから、ヨーロッパにおけるほど米国内の問題は深刻化しないだろう。しかし、政府による国家間においては、もはや米国とイラク、シリア、イラン、アフガニスタン等の関係が、それぞれ抜き差しならない関係となっている。今後もイスラーム文明との外交は、米国の対外政策において重要な位置を占め続けるだろう。特にイスラエルとの関係とイスラーム教諸国との関係のバランスのとり方がますます重要になっていくだろう。また、イスラーム文明にとっても、米国との関係は一層重要性を増すだろう。その際、世界的規模で米国と覇権を争う中国が中東外交を強化しており、イスラーム文明は、米中の覇権争いの舞台となる。
 先にEU内のイスラーム人口が2050年までに現在の4倍にまで拡大するという『デイリー・テレグラフ』紙の調査結果を記した。人口全体に占めるイスラーム系住民は、現在の移民増加と出産率低下が持続する場合、2050年ごろには20%まで増える。イギリス、スペイン、オランダの3ヵ国では、近いうちにイスラーム人口が過半数を超えてしまうと予想される。
 帝国の中心部(メトロポリス)に、周縁部(ペリフェリ)から移民が流入し、やがてその移民が帝国の運命を左右する。これは古代ローマ帝国で起こった出来事である。周縁部からゲルマン人が流入し、ローマ帝国は大きく傾いていった。帝国中心部の経済力・軍事力を、周縁部の生命力・人口力が徐々に凌駕していく。かつて古代ゲルマン人がヨーロッパ先住民族を圧倒したように、今度はイスラーム教徒が現代ゲルマン人を圧倒していくことが起こりかねない。古代ローマ帝国は部族的信仰を持つゲルマン人をキリスト教に改宗させ得た。それが、キリスト教的なヨーロッパ文明を生んだ。しかし、今日の西洋文明には、イスラーム教徒をキリスト教に改宗し得る宗教的な感化力は存在しない。世俗化の進む欧州諸国では、熱烈な異教徒を信仰転換できる宗教的情熱は、みられない。近代化・合理化は、他の文明から流入する移民の価値観を変え得る。だが、人々が宗教に求める人生の意味、魂や来世の問題については、何ももたらすものがない。イスラーム教はその信徒に近代化・合理化の進む西洋文明がもはや与え得ない宗教的な安心感を与えているようである。そのため、増加するイスラーム教国出身者及びその子孫がそのままイスラーム教の信仰を続け、逆にキリスト教徒をイスラーム教に改宗させる事例が増えていくことが予想される。
 『デイリー・テレグラフ』紙の調査によればイギリス、スペイン、オランダでは人口の過半数がイスラーム系移民になっていく。彼らの人口が増大する過程で、それらの国々の社会には、かつてどの国も体験したことのない質的な変化が起こるだろう。これと並行して、他のヨーロッパ諸国でも、イスラーム系移民の流入・増加による変化が、様々な形で現れるだろう。白人種・キリスト教のヨーロッパ文明から、白人種・有色人種が混在・融合し、キリスト教とイスラーム教が都市部を中心にモザイク的に並存・対立するヨーロッパ文明への変貌である。このまま進めば、やがてユーラシア大陸の西端に、「ユーロ=イスラーム文明」という新たな文明が生息するようになると思われる。ヨーロッパの人々が、それを避けようと欲するならば、早い段階で移民を規制する政策に転換すべきである。

 次回に続く。
コメント

人権300~第2次大戦までの正義論の展開

2016-04-29 06:35:19 | 人権
●19世紀後半から第2次世界大戦までの正義論の展開

 19世紀後半以降の欧米では、自然科学をモデルとする科学的合理主義が支配的になり、社会科学では事実と価値が峻別されるようになった。事実の領域では、認識や判断の客観性や合理性が厳格に問われる一方、価値の領域では、価値は状況や判断者によって異なり得る相対的な観念であるとする考え方が現れた。価値相対主義によると、価値は主観的なものであり、突き詰めれば個人の選好の問題だということになる。こうした風潮において、正義もまた相対的なものとされ、規範的な理論の追求が重要視されなくなった。政府は多様な価値観に対して中立的でなければならないという主張が優勢になり、政治の役割は個人主義的で価値中立的な自由主義を保障することとされる。
 正義は、もともと宗教的・道徳的・法的な規範に沿っている状態またはその規範を実現する行為に関する概念である。文明の中核には、宗教がある。その宗教が精神的な指導力・統合力を失い、文明が世俗化すると、その社会の規範が揺らいだり、失われたりする。それとともに、正義の概念も揺らぎ、さらに正義の感覚も失われる。近代西欧において、この傾向を最も深くとらえた概念が、ニーチェのニヒリズムである。
 20世紀初頭のヨーロッパでは、資本主義の不均等な発展と植民地の再分割によって各国の利害対立が激化し、第1次世界大戦が勃発した。かつてない規模の戦争が長期化し、参戦した諸国は疲弊した。戦争の末期、東方のロシアで共産主義革命が起こり、西欧諸国は自国の共産化の危機に直面した。以後の世界は、経済思想に関しては国内的にも国際的にも資本主義と社会主義の対立を軸に展開した。この対立は、自由と平等という価値観の対立であり、また個人中心と全体優先という価値観の対立である。マルクスの理論を実践したソ連は、共産党官僚が「革命貴族」と呼ばれる特権階級となり、労働者・農民が支配される体制となった。自由が剥奪され、平等ではなく不平等が拡大し、自由も平等もない国家が、ソ連の実態だった。だが、当時は共産主義国家は平等の理念を実現したものという幻想が広がり、共産主義は、正義を実現する思想として、各国で勢力を伸ばした。
 この一方、第1次大戦後の欧米では、ベルサイユ体制が樹立された。ベルサイユ体制は、戦勝国による国際秩序であり、勝者の論理を正当化し、勝者の正義を制度化したものだった。敗戦国のドイツには、過酷な報復が加えられた。これに対する反発のなかから、ナチスが台頭した。ナチスは、人種主義の思想に基づき、ユダヤ人を組織的・計画的に抹殺しようとした。ユダヤ人であるということによって自由と権利を奪われた多くの人々が、強制収容所に送られて殺戮された。ここにおいて、近代西欧で発達した人権の思想は、巨大な壁にぶつかった。普遍的・生得的とされた人権は、ナチスの暴虐によって、無残に踏みにじられた。
 ナチスは、ゲルマン民族の生存圏の確保を図った。自己民族の生存・繁栄のために、武力による侵攻・支配を正当化した。それによって、第2次世界大戦が勃発した。英米等の自由主義諸国は、ナチス・ドイツと戦うために、共産主義のソ連と連合を結んだ。ナチス・ドイツもソ連も全体主義の国家である。そこで、この戦争を、民主主義とファシズムとの戦いとして正当化した。実態は、主権国家間の権力闘争だが、それを正義を守るための戦いと位置付けた。わが国は、ドイツ・イタリアと三国軍事同盟を結んだため、連合国から全体主義勢力として一括りにされた。だが、わが国は大東亜戦争を大東亜解放のための戦いとして戦った。15世紀以来、欧米白人種に植民地とされてきたアジア諸民族の解放を目指す正義の戦いと意義付けたわけである。ユダヤ人に対しては、戦前からナチスの迫害に加担せず、逆に亡命を求める多数のユダヤ人に便宜を図った。
 第2次世界大戦は、各国の掲げる正義の衝突だった。だが、戦争の結果は、どちらの正義が、真の正義だったかによるのではない。力と力のぶつかり合いは、武力に優るものが勝利する。勝者は、自らの論理を正義の概念で正当化する。勝った者は正しいのであり、正しい者が勝ったのだという勝者の正義が打ち立てられる。連合国が日本に受諾を迫った「ポツダム宣言」には、「世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義に基づく新しい秩序は不可能である」という一節がある。ここに正義の文言が使われていることが、勝者の論理をよく表している。
 戦勝国による正義の論理は、さらに戦後の国際軍事裁判で鮮明に打ち出された。わが国の国家指導者は、東京裁判で被告とされ、その多くが処刑された。東京裁判は、裁判という名のリンチであり、見せしめの儀式だった。しかも、近代西欧法の原則を破り、事後法によって裁判がされた。これは、グロチウス以来、発達してきた国際法の精神にも反するものだった。勝者による偽善の正義が打ち出される一方、連合国の犯罪は一切問われなかった。最も重大なのは、アメリカによる原爆の使用が、免罪されたことである。原爆投下は民間人の無差別大量殺戮だった。しかし、東京裁判では、民間人である犠牲者・被爆者の人権は、問題とされなかった。また、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州・樺太等に侵攻したことも問われなかった。ソ連によるシベリア抑留・強制労働も人権を蹂躙し、国際法に違反した犯罪だった。しかし、共産主義諸国による犯罪もまた東京裁判では一切裁かれなかった。
 東京裁判の判決が下された翌月、1948年(昭和23年)12月10日の第3回国連総会、すなわち連合国総会で世界人権宣言が採択された。「宣言」の採択の2週間後に、東京裁判のいわゆる「A級戦犯」の処刑が行われた。東京裁判と「宣言」の起草の時期は重なり合う。「宣言」の起草は、東京裁判が開始されて約1年後にはじまり、東京裁判と並行して進められた。「宣言」は連合国の力の優位と連合国の犯罪行為の不問の上に出された文書である。「宣言」の謳う人権と正義は、その時点では勝者の独善によって発せられたものなのである。

 次回に続く。
コメント

イスラーム48~人権に関する動向

2016-04-28 08:17:48 | イスラーム
●イスラーム文明の人権に関する動向

 トッドは、識字率の向上と出生率の低下によって、イスラーム文明は近代化が進み、脱イスラーム化する、と予測している。この近代化及び脱イスラーム化の進行は、イスラーム文明における人権に関する考え方にも変化をもたらすだろう。
 人権については、拙稿「人権――その起源と目標」に詳しく述べている。人権は普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」である。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i.htm
 人権は第2次世界大戦後の世界で中心概念の一つになっている。近代西欧に発した人権の概念は、第2次大戦後、世界に広まり、イスラーム文明においても、これにどう対処するかが課題となった。
 1948年(昭和23年)国際連合で世界人権宣言が採択された際、サウディアラビアは、イスラーム教の教義から宣言の定める自由と権利の一部は受け入れられないとして、採択を棄権した。世界人権宣言音の後、1966年(昭和41年)に宣言の理念を条約に具体化する国際人権規約が国連で採択され、76年に発効した。また、これに続いて種々の国際人権条約が多数の国々の参加で締結されてきた。それら国際人権諸条約に定められた個人の自由及び権利は、国家の体制のいかんを問わず、実現すべき価値であるという認識が、世界的に深まりつつある。
 この間、イスラーム教諸国会議機構に加盟する中東、北アフリカの国々は、人権に関する協議を重ねた。そして、これらの諸国は、1993年(平成5年)のウィーン会議を前後して、1990年(平成2年)に「イスラーム教における人権に関するカイロ宣言」を採択し、94年(平成6年)には「人権に関するアラブ憲章」を採択した。
 カイロ宣言及びアラブ憲章は、人権概念とイスラーム教の教義及び国家原理との調和を図るためのものである。イスラーム教諸国の側から欧米に向けて発せられた「どのような人権なら受け入れることができるか」を示すメッセージだったとも理解できる。カイロ宣言では「イスラーム教における基本的権利及び普遍的自由は、イスラーム教の信仰の一部である」ことが確認された。アラブ憲章では、人権が「イスラーム教のシャリーア(イスラーム法)及びその他の神の啓示に基づく諸宗教によって堅固に確立された諸原則」であることが確認された。このことは、イスラーム教諸国は人権が西洋文明の所産であるという見方を否定したことを意味する。移動や居住の自由、表現の自由といった個別的な人権については、シャリーアの優越が強調された。またカイロ宣言は、イスラーム教諸国の地域性を反映して「高利貸しは絶対的に禁止される」とし、アラブ憲章は「アラブ・ナショナリズムが誇りの源泉である」「世界平和に対する脅威をもたらす人種主義とシオニズムを拒否する」等の他地域の人権条約にはみられない規定が盛り込まれた。
 このように、イスラーム教諸国の人権解釈は、イスラーム教の教義に人権の概念に当たるものを見出して、教義と人権概念の矛盾を解消し、それでもなお矛盾の生じかねない部分、たとえば移動・居住・表現等の自由については、シャリーアの規定を優先させている。ここには西欧発の人権思想を一定程度摂取しながら、それをイスラーム教に固有の概念で置き換えて土着化させるという文明間における主体的な対応がみられる。
 今日の世界で、国際人権規約の自由権規約及び社会権規約は、160以上の国が締約国となっている。個別的人権条約についても、締約国が最も多い子どもの権利条約は190以上の国が締約国となっている。また女性差別撤廃条約も締約国は180以上となっている。イスラーム教国も多くがこれらの条約を締結している。だが、サウディアラビアやイランなどでは、キリスト教に根拠を置く人権思想を異教の思想として受け入れられないとする考えが根強い。その一方、イスラーム教諸国も、血の神聖さなどの教義を中心としたシャリーア(イスラーム法)における人権という考え方を持って欧米の人権思想との整合性を図っている。これに対し、イスラーム法の人権は制限が厳しく、欧米から人権侵害であると非難されている。特に女性の権利への制限は、西洋文明と大きな価値観の相違を示している。そこには、宗教だけでなく、家族型による価値観の違いが表れている。むしろ、家族型的な価値観が宗教的価値観の基底にあることを理解すべきである。
 中東・北アフリカに広がるアラブ社会の家族型は、内婚制共同体家族である。また父系的でもあるので、内婚制父系共同体家族と呼ばれる。この家族形態は、アラブ圏全域に加えて、イラン、アフガニスタン、パキスタン、トルコ、トルキスタンに分布する。東アジアのインドネシア、マレーシア等を除くイスラーム圏の大半の地域である。
 共同体家族は、子供が遺産相続において平等に扱われ、成人・結婚後も子供たちが親の家に住み続ける型である。アラブ社会の遺産相続制度は、男子の兄弟のみを平等とし、女子を排除する。それゆえ、女性の地位は低い。女子は家内に閉じこめられ、永遠の未成年者として扱われる。欧米の価値観に立てば、女性の権利が制限されるアラブの文化、ひいてはイスラーム教の文化は、人権侵害となる。逆にイスラーム教徒から見れば、女性が顔や肌を露出し、性的に自由な行動をする欧米の文化は不道徳となる。アラブの族内婚は、伯叔父・伯叔母の家に嫁ぐために、親しく大事にされ、族外婚の女子が体験するような苦労がない。アラブ社会は、西洋的な価値観に立てば、女性が抑圧されているとみられるが、親族内で女子が守られるという一面もある。それゆえ、文明間においては、こうした家族型による価値観の違いを理解し、そのうえで相違の次元の根底にある共通の次元を見出し、それぞれが人民の自由と権利を拡大していくのでなければならない。
 イスラーム教諸国は女性差別撤廃条約その他の条約を締結はしているが、『クルアーン(コーラン)』やシャリーアを根拠とする多数の留保や宣言を付している。その中には欧米諸国や条約実施機関から条約目的と両立しないという異議や懸念を表明されたものが少なくない。イスラーム教徒は、世界人口の4分の1近くを占める。世界の中でごく一部の国々が異論を唱えているのではない。欧米で発達した人権思想は、イスラーム文明ではそのままでは受け入れられない。それは文明、宗教、価値観の違いに根差すものである。
 イスラーム文明は、イスラーム教を宗教的な中核とする文明であり、人間やその権利についてイスラーム教の教義に基づいて、またその枠内で規定する。それゆえ、西洋文明に発する人権についても、これまでのように、イスラーム文明という単位で対応が行われていくだろう。この過程において、トッドが指摘する識字率の向上と出生率の低下による意識と価値観の変化が、イスラーム文明における人権の概念に大きな影響を与えていくに違いない。そして、この意識と価値観の変化が、イスラーム教という教義の変更を許さない宗教の非常に硬直した規範体系をも変化させる段階になった時、トッドのいう脱イスラーム化が、イスラーム文明の全体において進行していくだろう。

 次回に続く。
コメント

人権299~近代西欧における正義論の展開(続き)

2016-04-27 08:57:05 | 人権
●近代西欧における正義論の歴史(続き)

 西欧には社会契約説を否定する思想の系統もある。これも第2部に書いたが、ヒュームやアダム・スミスは、歴史の研究から社会契約を否定し、市民社会の秩序は自生的に誕生すると説いた。彼らは、人間には利己心だけでなく共感の能力があることを主張し、共感による社会の秩序と繁栄の道を説いた。スミスは、労働が国民の富の源泉であり、分業と資本蓄積が社会の繁栄を促進するとした。市場は、「独占の精神」ではなく「フェア・プレイ」を受け入れる正義感、他人とものの交換をしようとする「交換性向」、及び交換のために人と言葉を交わし理解を得ようとする「説得性向」によって支えられている。これらは、共感の能力に基づいている。それゆえ、市場社会を支える根本は、自愛心とともに共感である、とスミスは考えた。スミスにおける個人は、共感の能力を持ち、心の中の「公平な観察者」によって、行為の適合性を判断する人間である。利己心のみで行動し、利益拡大のために競争する人間ではない。
 ベンサムは、社会契約説否定の系統から現れた。最大多数の最大幸福を目指す功利主義を打ち出し、快楽を量的に表現して計算することができるとし、効用の最大化を正義とした。ベンサムの思想は、公的な善より私的な善を優先し、かつ善を正義より優先するものである。
 功利主義の正義観は、社会を構成する個人の満足の合計が最大となるように社会制度が編成されている場合に、その社会は正義に適っているというものである。これは、正義から独立に善を規定し、その善の最大化を目標とする理論である。その理論は、神や超越的な理念に根拠を置く宗教的・道徳的な規範を排除し、当時の科学的合理主義に適う社会理論となった。
 ここで政治思想について触れると、17世紀から西欧で人権の思想を発達させたのは、国家権力から権利を守るために権力の介入を規制する思想・運動としての自由主義(リベラリズム)である。これと民衆が政治に参加する制度を求める民衆参政主義(デモクラシー)が融合したものが、自由とその実現のために政治参加を求める自由民主主義(リベラル・デモクラシー)である。この思想は、欧米を中心に広がり、浸透していった。
 自由民主主義の中には、もともとの自由主義の側面に重点を置く古典的自由主義と、民衆参政主義の側面に重点を置く修正的自由主義がある。修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、社会改良と弱者救済を目的として自由競争を制限する。名前は同じ自由主義だが、古典的自由主義は国権抑制・自由競争型、修正的自由主義は社会改良・弱者救済型で、思想や政策に大きな違いがある。
 ベンサムの思想は、効用最大化を目指す画期的な思想だったが、個人の尊重や少数者の権利の保護を欠いていた。この点について、古典的自由主義者からも修正自由主義者からも批判の声が上がった。ベンサムを継承したJ・S・ミルは、最大幸福を目的としつつ、古典的自由主義を修正し、自由と平等の調和を図った。労働者の団結権を擁護し、所有・相続・土地等の制度改革を承認した。また労働者の選挙権の拡大、婦人参政権を主張した。経済思想においては、生産面では自由放任を説きつつ、分配面では政府の関与によって正義を実現するという社会改良策を提案した。政治的自由に加えて、新たに社会的自由を主張した。これは、多数者の横暴からの自由であり、少数者の権利を保護するものである。こうしてミルは、平等に配慮して修正的自由主義を発展させた。
 17世紀以降、ロック、カント、ヒューム、スミス、ベンサム、ミルらはそれぞれ思想的な特徴を異にしつつも、自由を中心的な価値とする近代西欧の自由主義の思想を発展させた。自由主義は、政治的・市民的自由とともに経済的自由の実現を追求する。それゆえ、資本主義を肯定する。近代以前の社会と近代以後の社会の違いは、資本主義の発達による。資本主義の発達とともに、共同体の解体と都市社会の形成が進み、個人と個人は相互扶助ではなく、競争原理によって動く関係となった。市場経済が支配的な社会では、個人間で自由に契約のできる枠組みが正義とされる。
 しかし、経済的自由の拡大は、階級の分化を助長し、貧富の格差を拡大する。そこにおいて自由を至上のものとする考え方と、平等を求める考え方が対立するようになる。自由が実現されている状態が正義であるという考えを極端に進めると、競争社会における弱者の立場は考慮されない。そこで自由を優先しつつも平等に配慮することが正義だという考えが出てくる。前者はロックやアダム・スミスらによる古典的自由主義の正義観であり、後者はJ・S・ミルらによる修正的自由主義の正義観である。これらに対し、財産の私有制が不平等の原因であり、有産階級の自由を制限または剥奪して平等を実現することが正義であるという考えも出てくる。これが、社会主義の正義観である。社会主義のうち、議会を通じて合法的かつ漸進的に実現を図るのがよいとするのが、イギリス議会政治で発達した社会民主主義であり、暴力革命によって急進的に実現を図ろうとするのが、マルクス=エンゲルスによる共産主義である。
 古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義の正義観は、自由と平等に対する評価の度合いと、目指すべき状態を実現する方法の違いによって分かれている。そして、これら4種の政治思想が、自由と平等という二つの理念をめぐってぶつかり合い、権利と権力の獲得・拡大を目指して闘争する状況が、19世紀の西欧に生まれた。

 次回に続く。
コメント

イスラーム47~近代化から脱イスラーム化へ

2016-04-26 09:26:04 | イスラーム
4.将来

●トッドの将来予測~近代化から脱イスラーム化へ

 サミュエル・ハンチントンは、1996年(平成8年)に出版した『文明の衝突』で、冷戦終結後の世界では文明のアイデンティティが人々の結束や分裂、対立のパターンを形成しつつあると説き、特に西洋文明とイスラーム文明の衝突の可能性とその回避の方法を論じた。これに対し、エマニュエル・トッドは、西洋文明とイスラーム文明の将来は、文明の「衝突」ではなく「接近(ランデブー)」となると説いている。トッドの説の根拠は、人口学・家族人類学の理論に基づく。イスラームの宗教と文明の将来を考える時、トッドの説は最も注目すべきものの一つである。
 先に書いたように、トッドは、近代化の主な指標である識字化と出生調節の普及という二つの要素から、イスラーム教諸国では近代化が進みつつあるととらえる。
 トッドによると、識字率が50%を超えると、その社会は近代的社会への移行期に入り、「移行期の危機」を経験する。男性の識字率が50%を超えると、政治的変動が起こる。女性の識字率が50%を超えると、出生調節が普及し、出生率の低下が起こる。イスラーム文明では、1970年代にイラン、2010年代に北アフリカ・中東等の国々が、この50%超えの段階に入った。
 イスラーム教の中心地域であるアラブ諸国では、出生率の低下が伝統的な家族制度を実質的に掘り崩しつつある。また、男性の識字化は父親の権威を低下させ、女性の識字化は、男女間の伝統的関係、夫の妻に対する権威を揺るがしている。識字化によって、父親の権威と夫の権威という二つの権威が失墜しつつある。
 トッドによると、「アラブの春」は、17世紀のイギリス、18世紀のフランス、20世紀のロシアなどで起こった近代化の過程における危機と同じ「移行期の危機」の現象である。イスラーム教原理主義は「移行期の危機」におけるイデオロギーである、とトッドは解釈する。そして、次のように言う。「アラーの名において行なわれるジハード(聖戦)は、移行期の危機を体現しているのである。暴力、宗教的熱狂は、一時的なものにすぎない」と。
 トッドは、イスラーム教諸国は、この人口学的な危機を乗り越えれば、近代化の進行によって、個人の意識やデモクラシーが発達し、やがて安定した社会になると予想する。識字率の向上と出生率の低下で、人口は安定し、政治的・宗教的な過激行動は鎮静化する。そして、イスラーム教諸国は民主化が進む、とトッドは予測している。
 トッドは、2007年(平成19年)に刊行した『文明の接近――「イスラームVS西洋」の虚構』で、次のように言う。「イスラーム圏は現在、人口学的・文化的・心性的革命に突入しているが、その革命こそ、かつて今日の最先端地域の発展を可能にしたものに他ならない。イスラーム圏もそれなりに、世界史の集合点に向かって歩みを続けている」と。
 近代化によって「世界史の集合点」に向かうことが、トッドの言う文明の「接近」である。これに加えて、トッドがイスラーム文明についてもう一つ予測することが、脱イスラーム化である。
 イスラーム教の分布地域は、中東から中央アジア、南アジア、東南アジア、アフリカ等に広がる。各社会の家族型は、地域によって異なる。中東・北アフリカでは、主に共同体家族である。ただし、通婚制度には違いがあり、中心地域のアラブ諸国やイラン、トルコ等は、内婚制共同体家族である。その周縁にある中央アジアは、外婚制共同体家族である。北インドも外婚制共同体家族が多い。東南アジアは、地域的には核家族が多い。最周縁のアフリカ南部には、代表的な型がなく多種の家族型が存在する。
 社会の基礎を成す家族制度の変化は、社会全体に変化をもたらす。トッドは、その変化の方向はデモクラシーの普及だという。識字化はデモクラシーの条件である。識字化によって、イスラーム教諸国もデモクラシーの発達の道をたどっている、とトッドは指摘する。そして、トッドは、その行き着く先にイスラーム教諸国における脱宗教化を大胆に予想するのである。
 トッドは、『文明の接近』の「最も根底的な命題」は、「イスラーム教は、キリスト教と同様に、俗世間の非宗教化と信仰の消滅にまで行き着くことがありうる、というもの」であると言う。
 「あらゆる宗教は公然もしくは暗然の形で、出産奨励的である。何故なら宗教とは人の命に意味を与えるものだからである。識字化と並んで、宗教の動揺と、それに続いた消失が、出生率の低下の条件になったのは、そのためである」。それゆえ、それぞれの宗教の教えの違いにかかわらず、「普遍的法則」が存在するのではないか、とトッドは考えている。そのような考えに立って、トッドは、イスラーム教諸国について、「脱イスラーム化のプロセスもすでに始動している可能性は大いにある。そして人口動態はその痕跡を示しているのである」「やがては脱イスラーム化されたイスラーム圏の可能性が、ほとんど確実なものとして輪郭を現している」と述べている。
 このように、トッドは、イスラーム文明は近代化が進行し、さらに脱イスラーム化するという将来予測を打ち出している。

 次回に続く。
コメント

人権298~近代西欧における正義論の展開

2016-04-25 09:37:00 | 人権
●近代西欧における正義論の展開

 17世紀から西欧で支配的になっていった機械論的な世界観は、機械をモデルとする世界観である。それまでの西欧の世界観は、有機体論的な世界観であり、生物をモデルにしたものだった。生物は目的論的な性質を持つから、有機体論的な世界観は総じて目的論的である。これに対し、機械をモデルにする機械論的世界観は、因果論的である。
 機械論的な世界観は、自然を外から与えられる力によって動くものであり、様々な部分の集合ととらえる。西欧で機械論的な世界観が確立すると、社会観にも変化が起こった。新たに登場した社会観では、個人は原子(アトム)のようにそれ自体で存在するものと考え、互いに自由で独立した個人の集合が社会とされる。親子・夫婦・祖孫等の家族的血縁的なつながり、集団における生命の共有と共同性は、よく考慮されていない。
 こうした社会観の広がりは、近代化の進行に伴うものだった。近代化は、生活全般の合理化であり、文化的・社会的・政治的・経済的の四つの側面をもって進行する。近代化の進行とともに、それまでの共同体を中心とする考え方から、個人を中心とする考え方への変化が加速された。
 近代化の進行は、正義に関する考え方にも変化をもたらした。アリストテレスは、古代ギリシャのポリスという共同体において正義を説いた。その思想がヨーロッパ文明の正義観に大きな影響を与えたのだが、近代化とともに伝統的な共同体が解体して市民社会が成立し、また市場経済が支配的になると、西欧では契約に基づく交換における正義という考え方が確立された。交換的正義は、アリストテレスの配分的正義に替わる概念である。配分的正義は、共同体の目的のもとにおける貢献に比例した地位・名誉等の配分をいい、共同体の目的である公共善を前提としたが、交換的正義は、個人と個人の契約に係る正義である。
 近代西欧では、共同体の解体とともに、共同体全体にとっての公共善を正義とする古代的・中世的な価値観に替わって、個人の私的な善を実現する枠組みを正義とする近代的な価値観が現れた。この変化は、正義観における重大な変化である。諸個人がそれぞれ私的な善を実現し得る状態が自由であり、それを実現する能力・正当性が権利であるという考え方が優勢になった。近代西欧的な交換的正義の考え方と不可分のものである。
 こうした変化の過程で、人権の思想が現れた。人権の思想は、近代西欧における個人の自由と権利を確保・拡大する運動の中で発達したものである。人権の思想の発達過程で重要なのは、中世西欧の自然法の概念が変化せられ、その中から自然権の思想が現れたことである。人権とは、人間の自然権を人権と呼ぶようになったものである。この自然法から自然権への転換を最初に進めたのが、ホッブスである。トマス・アクィナスは、自然法論において、「自然法則」に基づく事物の本性に基づく正しい状態・事柄を「自然的正」と呼んだ。ホッブスはこの「自然的正」を「自然権」だとし、「各人の自由」だと主張した。ここに個人と自由と権利が自然権として主張されることになった。
 ホッブスは、アトム的な個人を要素とする社会契約説を唱え、人々は自分自身の利益のために社会を形成すると考えた。ホッブス及びその後の社会契約説については第2部に詳しく書いたが、プラトン、アリストテレス、トマスの公共善に代わる新たな思想を、ホッブスは説いた。ホッブスの自然状態は戦争状態である。ホッブスによると、自然状態では正義も不正義も存在しない。正義は法が定められ、共通の権力が発生した後に発生する。社会契約は、共同体的な公共善の概念に代わって、国家を設立し、正義を実現するためのものである。人間が理性を働かせて戦争状態を終わらせるために定めた自然法の一つが正義の法であり、正義の法は契約を守ることを求めるものである。契約に反することは不正義であり、契約を守らせるように強制する権力は正義の権力である。絶対王政を擁護するホッブスの理論においては、主権者に対するあらゆる反逆は不正義とされる。
 ホッブスと異なり、ロックの自然状態は平和な状態である。ロックによると、自然状態では、すべての人が自然法を執行する権利を持ち、自然法に違反する者を処罰する権利を持つ。国家ができる前から、正義の原理は存在する。社会契約が行われるのは、自然状態の正義が失われ、不正な状態になったのを解消するためである。しかし、絶対王政は社会契約を締結した人民に対して不正義の体制である、とロックは説いた。ホッブスは社会契約論で絶対王政を擁護したが、ロックは社会契約論で市民革命を正当化した。
 ルソーは、ロックの思想を急進化した。ルソーによると、社会契約は正義を実現するためのものであり、正義が実現されなくなった社会契約は本来の意味を喪失している。そうした社会では、正義のために革命と新たな社会契約の締結が必要だ、とルソーは説いた。ロックは抵抗権・革命権を説いて、名誉革命や米独立革命の理論を提供し、ルソーは人民主権を説いて、フランス市民革命に思想的な影響を与えた。
 カントは、今日人格を尊重する道徳哲学を構築し、すべての人の人権を守ることが正義としたという評価を受けている。カントの思想は、現代の通説によると、公的な善より私的な善を優先し、かつ正義を善より優先するものと理解されている。カントは、国家の起源については、基本的には社会契約論に立つ。ただし、社会契約を歴史的事実ではなく、「理念」としている。契約をしたという事実がないのに契約論を採るとすれば、理念とするしかないだろう。カントは、社会契約を突然廃止して結び直す革命は契約の原理から認められないとし、根源的契約の精神から共和的な政体が望ましいとする。カントの「共和的」とは、立法権が執行権から厳しく区別せられ、それが代議士を通じてすべての公民の手にあるという意味である。言い換えれば「法の支配」である。カントは、共和政体の実現を漸進的・連続的に進めるべきと説く。共和政体はすべての政治体制の目的であり、そこでこそ国民は自由で平等となり、完全な正義が実現されるだろうとする。カントは、共和的な国家で形成される国家連合が永遠平和の実現の基礎となると考えた。また国内法と国際法を補う世界公民法をつくることによってのみ、世界的な正義と永遠平和の実現が期待できるとした。
 社会契約説の展開の中で形成されたロック=カント的人間観が、世界人権宣言等に盛られた人権思想の背後にある。また、ルソーの社会契約は正義を実現するためのものという理論が、正義を人権に結び付けた。

 次回に続く。
コメント

イスラーム46~無差別自爆テロを防ぐための宗教的課題

2016-04-24 08:39:23 | イスラーム
●無差別自爆テロを防ぐための宗教的課題

 一般市民への無差別テロは非人道的行為であり、また自爆テロも多くの宗教や倫理思想では許容される行為ではない。だが、イスラーム教においては、これらが宗教的に正当化される。
 イスラーム教にも、ユダヤ教・キリスト教と同じく最後の審判の思想がある。アッラーのために戦い、ジハード(聖戦)で死んだ者は、最後の審判の時、イスラーム教徒はすべて肉体を持って生き返り、神の審判を受ける。しかし、聖戦で倒れた者は、すぐに生きたまま天国に入ることができる、と考えられている。これなら、戦闘に当たり、現世の死など恐れるに足らないだろう。こうした他の多くの宗教や倫理思想にはみられない来世観、死生観、そして戦争観が、イスラーム教を特徴づける。そして、それが絶対唯一神の教えとして若者の心をとらえる時、ごく普通の若者が、来世の至福を信じて、自爆による異教徒の無差別殺人を決行することになると考えられる。
 イスラーム教過激派は、自分たちの行動をジハードだと主張し、異教徒の無差別殺戮を行う。その際の特徴的な戦闘行動が自爆テロである。自爆テロは、2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件の直前までは行われていなかった。この9・11は、米国政府によって、アルカーイダの犯行とされている。自爆テロが一般化したのは、レバノンのシーア派過激組織ヒズブッラによる。ヒズブッラは、圧倒的なイスラエルの軍事力と戦うために、自分の体に爆弾を巻きつけて戦う戦法を考え出した。だが、イスラーム教は自殺を禁じているから、これは自殺ではなくジハードだとして正当化した。これによって、ジハードと自爆テロ結び付いた。
 スンナ派過激組織アルカーイダから「イラクのアルカーイダ」が派生し、「イラクとレパントのイスラーム国」(ISIL)を自称するようになった。ISILは、アルカーイダ以上に過激な組織であり、2014年(平成26年)に最高指導者のアブバクル・バクダーティがカリフ制国家を宣言し、イラクやシリアで急速に支配領域を広げた。カリフは、ムハンマドの死後、「神の使徒の代理」とされてきた役職である。オスマン帝国の崩壊に伴い、カリフ制は廃止されていた。だが、ISILはカリフ制国家を復興することで、西洋近代文明に発する国際秩序を拒否し、またイスラーム教の既存の体制に挑戦している。
 宗教に基盤を持つ対立・抗争は、宗教が主な原因だから、その解決には、宗教者が取り組まなければならない。特に、各宗教宗派の内部における問題は、その宗教宗派が解決に努力しなければならない。だが、イスラーム教の宗教的指導者は、スンナ派・シーア派の対立の融和にも、スンナ派内部の正統派と過激派の争いの解決にも、ほとんど無力のように見える。これには、イスラーム教の教義の特徴が関係している。イスラーム教は、ムハンマドを最後の預言者としており、『クルアーン』は神の言葉そのものとされるので、教義の変更が許されない。イスラーム教においては、法は啓典の中に発見すべきものとされ、新しい立法という考えは出にくくなった。シャリーア(イスラーム法)は、教義の枠内での細目の整備を積み重ねてきたものである。黒田壽郎氏は、著書『イスラームの心』に次のように書いている。「8世紀から9世紀にかけて登場した主要法学派の内容が、千年を経過したのちのにもさしたる発展を示していない点に彼らの退嬰性は歴然と浮き彫りにされている」「訓詁の学を煩瑣にするばかりで、創造的活気を失っている」と。特にスンナ派では、ウラマー(法学者)と呼ばれる宗教指導者たちは政治権力に従属的で、政治を正す力を発揮できない傾向がある。ウラマーの多くは、現状の体制と権勢の維持のために改革を望まぬ支配者に迎合する傾向があると指摘される。
 池内恵氏は、2015年(平成27年)11月のパリ同時多発テロ事件後、次のように書いた。「スンナ派では構造的に宗教者の政治・経済的基盤が弱いことで政治支配者への従属は必然的となり、また、宗教解釈権において『イマーム』のような超越的存在がないことにより、教義の根底での変更を行う権限を持つ人間が現れない(過去の人物に託して変えることもできない)。そもそもそのような『法的安定性』こそがスンナ派の強みである。『イスラーム国』はスンナ派の構造的な柔構造から現れてくる。『イスラーム国』の根底を覆そうとするとスンナ派の宗教思想・権威・権力の構造そのものが揺らぎかねないという危機感を多くが抱くだろう」と。
 スンナ派における主流派・穏健派の法学者と過激思想の指導者が論争した場合、前者が教義の解釈において後者を論破できないという指摘がある。そうだとすれば、イスラーム文明において、ISILが自称する「イスラーム国」が各地で拡大していくことを防ぐことは困難だろう。
 私は、イスラーム教におけるジハード(聖戦)という教えの特殊性、及びその極端な解釈に問題があると考える。ジハードの項目に書いたが、『クルアーン』は、しばしば聖戦について言及している。アッラーは、信徒の勇気を鼓舞し、激しい表現で決然と「戦え」「殺せ」と命じる。また、アッラーは、聖戦で死ぬ者を救うことを約束する。聖戦で殉教した者は、最後の審判を待たずに天国に直行すると信じられている。
 こうした教えを極端に解釈すると、自爆テロによる無差別大量殺人の決行ということになるだろう。だが、『クルアーン』は、次のように戒めてもいる。「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない」。「だがかれらが(戦いを)止めたならば、本当にアッラーは、寛容にして慈悲深くあられる」。「迫害がなくなって、この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。だがもしかれらが(戦いを)止めたならば、悪を行う者以外に対し、敵意を持つべきではない」(第2章第190節~193節)。
 またシャリーアの第一法源であり、ムハンマドの言行・事跡を記録した『ハディース』には、ムハンマドが「敵国のいかなる老人、子供及び婦人を殺してはならぬ」「僧院に在る僧侶、礼拝の場に座る人々を殺してはならぬ」と信者に命じたと記録されている。過去の歴史においては、イスラーム教は、迫害を止めた者や戦争で降伏した者には寛大であり、支配地域の諸民族に改宗を強制することもなかった。むしろ、キリスト教の方が、十字軍戦争やレコンキスタでイスラーム教徒を残虐に大量殺戮したり、北米や南米で先住民を大量虐殺したりしている。
 今後、イスラーム教の内部から根本的な改革の動きが出てくるか、あるいはイスラーム教を発展的な解消に進めるような新たな宗教が出現するかでないと、イスラーム教諸国も人類全体も、平和と安定を得られないことになるだろう。これは、ユダヤ教、キリスト教を含むセム系一神教全体に共通する課題でもある。

●キリスト教側の動き

 ISIL等のイスラーム教過激組織のテロによって、世界各地で無辜の人々が多数犠牲になっている。犠牲者には、キリスト教徒が多くいる。特に欧米でのテロでは、そうである。
 こうしたなか、2016年2月12日、ローマ法王フランシスコと、東方正教会の最大勢力であるロシア正教会のキリル総主教が、キューバの首都ハバナの国際空港で会談した。両教会のトップが会談するのは史上初めてという。
 キリスト教は、1054年に教義の相違等から東西に分裂した。13世紀にカトリック教会が派遣した十字軍が東方正教会の中心地コンスタンチノープルを攻略したことで、溝は深まった。20世紀に共産主義が勢力を広げたソ連・東欧では、ロシア正教は弾圧された。共産主義政権の崩壊後、東欧をはじめ旧ソ連圏でカトリックが影響力を拡大した。特にウクライナでの布教をめぐってロシア正教会側が強く反発した。
 しかし、今回、東西のキリスト教会は、本格和解に向けて歴史的な一歩を踏み出した。そのきっかけは、イスラーム教過激組織のテロによってキリスト教徒が犠牲になっていることである。2月12日に署名された共同宣言には、テロリズムや中東でのキリスト教徒迫害に対処する必要性が盛られている。
 総主教は署名後、「2つの教会は今日、世界のキリスト教徒保護のため積極的に協力できるようになった」と述べて対話を継続する姿勢を見せ、法王も「兄弟のように話した」と語ったと報じられる。
 東西の教会の教義に対する見解の相違やわだかまりは依然大きい。今回の会談でも、ウクライナでの布教をめぐる対立を棚上げし、イスラム過激派によるキリスト教徒迫害といった両教会の共通課題への対応が優先された。
 なお、ロシア正教側には、シリアやウクライナの問題で孤立を深めたプーチン政権に、バチカンとの接近を通じて欧米の態度軟化を引き出したい思惑があるという見方がある。
 カトリック教会の法王とロシア正教会の総主教が共同宣言を出すというこのキリスト教側の動きは、キリスト教徒の保護という限定されたものであり、一面では、イスラーム教とキリスト教の対立を強める方向に進む可能性もある。

 次回に続く。
コメント

人権297~ヨーロッパへ続く正義論の歴史

2016-04-23 08:53:14 | 人権
●古代地中海帝国からヨーロッパへと続く正義論の歴史

 古代ギリシャではポリスに依拠する思想に反対する思想もあった。その主な担い手は、ポリスでは参政権を与えられない異邦人だった。彼らは、各ポリスの思想・宗教・文化の相対性を認識し、個々のポリスの価値観を越えた普遍的な価値を追求した。自らを世界(コスモス)をポリスとする者として、世界市民(コスモポリテース)と称した。彼らコスモポリタンは、ポリスの枠組みを越えた正義を希求した。古代ギリシャのコスモポリタンは、現代のコスモポリタンの遠い前例である。
 古代ギリシャは、ポリスを単位とする社会から、巨大な帝国へと成長した。各ポリスは帝国の統治機構に組み込まれた。アリストテレスの弟子アレクサンドロス(アレクサンダー大王)は前4世紀に、アジアへ東征し、広域的な国家を築いた。ヘレニズム時代のギリシャは、政治社会の拡大と異文化間の交流によって思想的に大きな変化を遂げた。
 イタリア半島に現れ、ギリシャを上回って発展したローマ帝国は、ギリシャのポリスよりはるかに大きな規模の奴隷制社会だった。ギリシャ思想はローマ帝国の法制度や政治に強い影響を与えた。コスモポリタンが説いた思想もまた影響力を持った。そのうち最も有力なのは、ストア派である。 
 ストア派は、ギリシャの異邦人であるキプロスのゼノンを始祖とし、ローマではキケロを代表的存在とした。ストア派によれば、ポリスや民族によって異なる正義や習慣は、ポリスや帝国の法を越えた普遍的な法に由来するものであり、もとは一つである。彼らは、自然そのものが規範を形成するとし、自然に従うことが正義であると考え、宇宙と人間をともに貫く自然法に従って生きる哲学を説いた。
 やがてローマ帝国では、ユダヤ民族から出現したキリスト教が、392年に国教になった。西ローマ帝国が476年に滅亡した後、キリスト教はゲルマン民族に浸透し、ヨーロッパ文明の精神的中核となった。その際、教父アウグスティヌスが大きな影響を与えた。アウグスティヌスの思想の根本にあるのは、唯一神による無からの天地創造説、神の似姿としての人間の創造説、「イエス=救世主」説、神と子と聖霊の三位一体説である。こうした教義は、従来のギリシャ=ローマ思想とは、まったく異なる思想だった。アウグスティヌスにとって、最高善は、異教徒であるアリストテレスの説く政治的に実現する公共善ではなく、キリスト教の信仰による魂の救済だった。彼は、著書『神の国』で、歴史は善の意志を持つ天使と人間による「神の国」と、悪の意志を持つ天使と人間による「地上の国」との対立・抗争の過程であり、最後の審判へと向かっているととらえた。そして、「神の国」における神の正義を説くとともに、人々が遍歴の途上にある「地上の国」においては、平和と秩序をもたらすために国家の法には一定の正義があり、それに従わねばならないと説いた。
 中世ヨーロッパ最大の思想家トマス・アクィナスは、13世紀に『神学大全』を著してキリスト教神学とアリストテレス哲学の総合を図った。イスラム文明を経由して摂取されたアリストテレス哲学は、キリスト教の教義の整備に利用された。トマスにおいて、自然法則は、人間の事物・生物・理性という三相に基づく本性の傾向、すなわち自己保存、種の保存、神の認識と共生の傾向から導かれ、モーゼの十戒に集約される。トマスは、法的な正義は「共通善」(bonum commune)を基準とするとした。法は正義の要素を有する限りにおいて、法としての力を有する。法は共通善へと秩序づけられる行為を命じるのであり、この命令に従って市民は正義や平和などの共通善を維持してゆくように教導し、形成されると説いた。共通善は、プラトン、アリストテレスの公共善を継承したもので、神、教会、共同体への義務が強調された。またトマスは、アリストテレスの一般的正義をより明確に、共通善を対象とするものとし、特殊的正義は他者の人格の善を対象とするものとした。
 西洋思想では古代ギリシャ・ローマ、中世ヨーロッパを通じて、公共善の実現が正義とされてきた。その背景には、近代以前の世界で広く見られた世界観があった。その世界観とは、世界は神または超越者が秩序を与えているもの、または創造したものであり、万物は究極的な目的のもとに生成・展開しているという目的論的な世界観である。宇宙はコスモス、すなわち調和的秩序の体系であるとされ、人間はその中に包摂され、そこに規範を見出していた。そして、社会において階層的な秩序を実現することが、公共善としての正義だった。
 この世界観は、ストア派による自然法の思想をキリスト教の教学に取り込んだものでもあった。キリスト教では、神は言葉によって天地を創造したとし、自然は神の被造物であり、神の支配下にあると考える。また人間は神の似姿として造られ、知恵を与えられているとする。中世西欧では、こうした教義のもとに、自然法は神の意思による宇宙と社会の秩序とされた。自然法は、神が定めた宇宙の法則であるとともに、神が人間に与えた道徳の原理を意味するものだった。
 アウグスティヌスは、「神の国には完全無欠な神の永遠法が支配するが、地の国には罪ある人間の不完全な人定法しかありえない。しかし愛の神は、人間に理性の能力を授け永遠法の一部を認識して人定法の模範とさせるようにした。これが自然法である」と説いた。トマス・アクィナスは、聖書が啓示し教皇が命ずる法を神法とし、自然法の上に置いた。人間は神の叡智を理性として分有しており、自然法を理解できるが、人間には神の栄光に浴すには決定的な限界があり、これを超えられるのは信仰によってのみであるとした。
 中世西欧では、カトリック教会の権威によって、人定法、自然法の上にある神の永遠法や神法の解釈は教会に委ねられていた。しかし、社会の変化に伴う宗教改革・宗教戦争等によって、教会の権威は大きく揺らいだ。そのうえに、コペルニクスの地動説やニュートンの力学の登場によって、それまでの世界観が否定され、機械論的な世界観が支配的になっていった。その過程で、正義の概念もまた大きく変化することになった。

 次回に続く。
コメント

イスラーム45~イスラーム文明全体の課題

2016-04-22 08:47:47 | イスラーム
●イスラーム文明全体の課題
 
 イスラーム文明は、「アラブの春」によって、大きな地殻変動を起こしつつある。その中から、従来のテロ組織の枠を超え出たISILが台頭し、この地殻変動を非常に深刻なものにしている。
 ISILが急激に勢力を伸長した背景には、イラク、シリアが破綻国家になりつつあるという事情がある。イラクは、民主化の進展を見たアメリカが撤退したら、途端に政情が不安定になり、その隙にISILが伸長した。シリアは、アサド大統領率いる軍事政権とこれに対抗する反政府勢力との内戦が泥沼化し、多数の難民が欧州に押し寄せている。これら両国の政府は自国の統治がまともにできていない。正規軍も事実上なくなっている。そういう状態だから、ISILが拡大するのである。これをなんとかしないとISIL問題は解決に向い得ない。とりわけシリアの内戦を終結させることが、ISILを壊滅させるためには、不可欠である。シリア内戦の経過と現状については、先に書いたとおりである。
 ISIL問題は、もはや欧米やロシア、トルコ等が関与する一大国際問題となっている。だが、この問題は、なによりアラブ諸国の問題である。アラブ諸国が自分たちで地域をしっかり統治すべきなのである。だが、それができていない。周辺のアラブ諸国でISILへの対応のために地上軍を送っている国は一つもない。空爆だけでISILを壊滅させることはできない。「国家」を名乗るテロ集団の拡大を許したアラブ諸国のあり方が変わらねばならない。
 宮家邦彦氏は、次のように述べている。「『イスラム国』問題は長期化し、国際社会は難しい対応を迫られる。『イスラム国』が攻撃を続ける以上、短期的には物理的な外科手術が必要だ。さらに、中期的には欧州・関係各国で内外警備を強化する必要もあるだろう。しかし、それだけでは不十分だ。長期的に『イスラム国』のようなテロ集団を根絶するには、中東アフリカの破綻国家を再建し、まともな中央政府と正規軍を再構築する必要がある。これこそ日本が貢献できる分野だが、主要国の足並みはいまだそろっていない。日本の貢献にも限界があることだけは確かである」と。
 中東で破綻国家の再建が進まず、逆に、無政府状態に近い国や果てしない内戦の続く国が増えると、それによってさらにISILが勢力を伸ばすだろう。特に中東の弱い環とみられるイエメン、ヨルダンで政権が倒れ、国内に混乱が広がると、ISILはそこに付け込んで、勢力を伸ばそうとする。それが奏功すれば、各国にいるISILの傘下組織や同調するグループが過激な行動を広げていくおそれがある。各国にまだら的にISILが支配する地域が広がり、各国政府軍、反政府軍、過激組織等が入り乱れて戦闘する。そうした状況において、過激なイスラーム教徒の一部がイスラエルへのテロ攻撃を活発化するならば、ユダヤ教国対イスラーム教諸国という最大最凶の対立が再び現実になるかもしれない。
 さらに、破綻国家の再建と周辺各国の安定化が進まなければ、中東は今後、核拡散の舞台となるおそれがある。元外交官で作家の佐藤優氏は、ISILが核兵器を持つ可能性があると警告している。かつてオウム真理教は核開発を進めようとしていた形跡がある。イスラーム教過激組織も当然核の保有を考えるだろう。ISILが核兵器を持って脅迫したら、欧米の民主主義国は国民の人命尊重のためにテロリストの要求に従う可能性がある。持ち運び可能な核兵器で自爆テロを決行されたら、多大な犠牲者が出る。イスラーム教の過激派は、自爆テロで自分は欲望全開の天国に直行できると狂信しているから、志願者が出るだろう。
 私は、過激組織は核兵器以上に生物兵器・化学兵器を入手する可能性が高いと思う。核より安価だし、取り扱いも核ほど難しくない。オウム真理教は、1995年(平成7年)に地下鉄サリン事件を起こした。アメリカでは2001年(平成13年)にイスラーム教過激派と思われる者が炭疽菌を使ったテロを行った。イスラーム教徒の犯行とみられる。ISILが生物兵器・化学兵器を使って欧米の大都市で自爆テロを行った場合、犠牲者数は、軽機関銃や体に巻きつける爆弾によるテロ事件の比ではないものとなるだろう。
 人類は自ら生み出した宗教と思想と科学技術によって、地球を修羅場に変え、自壊滅亡の道に陥りかねない危険なところに来ている。イスラームの宗教と文明で指導的な立場にある人々は、そのことを深く認識し、イスラームの宗教と文明の中において、問題の解決に叡智を結集すべきである。

 次回に続く。
コメント

人権296~古代ギリシャにおける正義の思想

2016-04-21 08:54:22 | 人権
●古代ギリシャにおける正義の思想

 西洋思想の源の一つは、古代ギリシャにある。古代ギリシャの最も古い思想は、神話に表現されている。
 神話は、宇宙の始まり、神々の出現、人類の誕生、文化の起源等を象徴的な表現で語る物語である。一つの世界観の表現であり、またその世界で生きていくための規範が表現されている。神話においては、宗教・道徳・法は未分化であり、それらが分かれる前の思考が象徴的な形式で表現されている。しかし、その思考には、独自の論理が見られる。
 古代ギリシャの神話が表すのは、多神教の世界である。ヘシオドスの『テオゴニア(神統記)』は、ギリシャの神々の系譜を記している。神々は様々な権能と領域を与えられている。最高神ゼウスは世界の統治を担当しているが、絶対的な存在ではなく、神々の世界の秩序(コスモス)を守らなければならない。ゼウスはヘラを本妻とするが、その他に娶っている女神の中にテミス(掟の神)がいる。神々や人間は、時に傲慢(ヒュブリス)によって神聖な秩序を乱す。すると、ゼウスとテミスの子であるディケー(正義の神)が傲慢と対決する。神聖な秩序を保つ掟を踏み越えた者は、やがて報復を受けることになる。こうした神話に、古代ギリシャ人の世界観と規範が表現されている。
 紀元前6世紀ころから、古代ギリシャには、世界には神聖な秩序があり、踏み越えてはならない掟(ノモス)がある。それを踏み越えると世界や社会の秩序が乱れる。そうした時には、これを元に戻さなければならないという考え方があった。ソクラテス以前の哲学者であるエンペドクレスやアナクシマンドロスは、このような思想をそれぞれの言葉で語っている。政治や社会だけではなく、医学においてもそうである。西洋医学の祖とされるヒポクラテスは、人間の体は秩序を守っている時には健康だが、バランスが崩れた時には病気になる。それを元に戻すのが医学の役割だということを説いている。
 政治学者の佐々木毅によると、こういう考え方が「ギリシャ思想の原型というべきもの」であり、その後いろいろな変化をこうむったけれども、古代ギリシャでは「一つの基本的な原則」だった。佐々木は、「よき秩序をどのようにして実現するか、あるいはそれが乱された場合、どのようにして戻すかということが、病気の人を健康にし、乱れた政治をよき政治に持っていくことであり、これをもとにものの考え方の基本的な枠組みがつくられていた」という主旨のことを述べている(『よみがえる古代思想』)
 始めは、神々と人間を貫く掟、言い換えれば自然と社会と心身を貫く理法(ノモス)に従うことが、絶対的な規範だった。ところが、社会の変化によって、絶対的とされてきた理法の権威が疑われるようになった。正不正、善悪の価値観や人間のあり方について大きな動揺が広がった。そういう時代に現れたのが、賢者ソクラテスだった。
 ソクラテスが生きた古代ギリシャは、ポリスの社会だった。ポリスは都市国家であり、政治・祭祀・軍事の共同体だった。ポリスは、自由民と奴隷から成り立っていた。自由民と奴隷は大体1対4~5の比率だった。特権的な市民は奴隷ではないという意味で自由だった。だが、ギリシャには、今日われわれがいうところの自由に正確に対応する言葉はなかった。ギリシャ人たちが深い関心を持っていたのは、「善い生き方」「善い活動」などの「善い」ということ、善(アガトン)だった。自由民は、参政権を含む権利を持つ自由な状態にあったから、それ以上に自由を望むことはなく、自由な立場で追求したのが、「善い生き方」を実現することだったわけである。
 「善い生き方」とは、個人的私的な意味で善い生き方ではなく、ポリスにおいて集団的公的な意味で善い生き方だった。ここにおける重要な概念が、正義(ディカイオシュネー)だった。
 当時の古代ギリシャでは、正義とは、人々がそれぞれのアレテーを発揮することを意味するようになっていた。アレテーは、「徳」または「卓越性」と訳される。卓越性とは、人より優れた能力や性質である。そして、正義は、各人がそれぞれの身分や職能において卓越性を発揮し、ポリスの秩序を維持し、調和することだった。いわばすべてのものが、その所を得た状態である。ポリスという国家共同体にとっての善、公共善が正義だったのである。
 ここで注意したいのは、絶対的とされてきた理法の権威が疑われるようになった後に、人間の間での相対的な状態としての卓越性の概念が現れ、それを基にしたものへと正義の概念が変化したことである。
 ソクラテスは、正義と善について深く考察した。ソクラテスは、プラトンの著作の中に登場する。プラトンは、師のソクラテスの言葉を通じて、イデア(形相)こそが真の実在とし、万物は最高のイデアである「善のイデア」を目的として秩序づけられているという世界観を説いた。そして、その世界観のもとに、国家や魂における調和として正義を説いた。プラトンの主著『国家論』は、同時に正義論でもある。プラトンは、国家にあっては、統治者たる政治家、守護者たる軍人、そして一般大衆がそれぞれのアレテーを発揮し、分に応じた役割を果たして調和することを正義とした。また個人の魂においては、理性的部分、気概的部分、欲求的部分がそれぞれのアレテーを発揮して調和することを正義とした。調和とは、諸要素・諸部分の関係に秩序のある状態である。
 プラトンの弟子アリストテレスは、万物は一つの目的のもとに、自らの自然・本性を実現すべく運動しているという目的論的な世界観を表した。アリストテレスは、プラトンの正義をより明確に公共善の実現として打ち出した。アリストテレスは、著書『政治学』で人間をポリス的な動物と定義した。人間が家族を形成するだけでなく、政治的な共同体をつくるのは、共通の善を目指すためである。正しい国制を構築するには、人間の自然・本性を完成するための「善い生き方」とはどういうものかを、まず考察する必要がある。正義とは最高の善にふさわしいあり方を示すものだとした。
 アリストテレスにとって、最高の善とは、幸福(エウダイモニア)だった。十分に恵まれて善い行為をすることのできる状態である。この幸福という目的を追求するために必要とされる特質が、徳だった。アリストテレスは、徳は個人の生活の中だけでなく、ポリスの生活の中に見出され、また養成されることを説いた。
 アリストテレスは、道徳・法に適っていることが正義だとした。正義は、法と道徳と一体のものだった。その究極の目的は、ポリスの中で、ポリスの一員として善く生きる有徳の人物を養成することにあった。
 アリストテレスは道徳・法に適うことを一般的正義とする一方、これとは別に特殊的正義という概念を立てた。特殊的正義には、配分的正義と矯正的正義がある。配分的正義は共同体の目的のもとにおける貢献に比例した地位・名誉等の配分をいい、矯正的正義は損害に対する補償等を均等に実現することをいう。こうしたアリストテレスの正義論は、古代ローマの思想に影響を与え、さらにヨーロッパ文明の伝統的な正義論の基礎となった。同時にこうした正義論が近代西欧発の人権思想に影響を与えてきた。
 以上、古代ギリシャにおける正義の概念について概略を述べたが、ここで注意すべきことを2点補足したい。
 まずポリスにおける正義は、対内的な正義と対外的な正義が異なっていたことである。対内的には、市民はともに公共善の実現を目指したが、対外的には戦士の共同体として戦闘における勝利を目指した。戦いに負ければ、ポリスの成人男性は奴隷として連れ去られることさえ稀ではなかった。対外的には戦いにおける勇敢さ、対内的には礼儀正しさや寛大さが徳とされた。祖国のために身を捧げることはそれ自体が正しく称賛に値する行為であり、勝利への貢献は名誉だった。その貢献に応じて地位や名誉が配分された。こういう二重の性格を持った共同体が、ポリスだった。ソクラテスは、哲学者である前に、歴戦の勇士として尊敬されていた。アリストテレスは、アテネという祖国を正義の唯一の実践の場と考えて、その政治学・倫理学を子弟に教えた。この対内的正義と対外的正義の区別、共同体の内と外における正義の二面性は、今日の国民国家による国際社会においても、基本的に共通している。
 次に、プラトンやアリストテレスが活躍した古代のアテネは、決して近代西欧国家のような自由で民主的な国家ではなかったことである。アテネは約30万人の総人口の上に、民会の構成員たる3万5千人の男性が君臨する国家だった。自由民であっても、女性や外国人には政治的な自由はなかった。ポリスの政治に参加する男性は、家庭という私的領域では奴隷を所有し、奴隷に労働をさせて生活していた。労働する必要がない彼らが、公的領域において目指した「善い生き方」とは、古代奴隷制に基づく支配集団にとっての「善い生き方」だった。正義もまた支配集団における正義だった。そして、対内的に正義が成り立つのは、支配―被支配の関係が安定している時であり、また対外的に独立を維持し得ている状況においてだった。国内で支配―被支配関係が動揺したり、国家の独立を失ったりすると、正義は成り立たなくなった。

 次回に続く。
コメント