ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

アベノミクス批判は根拠薄弱~田村秀男氏

2013-02-27 08:51:47 | 経済
 アベノミクスと呼ばれる安倍内閣の経済政策構想が始動した。アベノミクスは「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」を三本の矢とする。まさにデフレ下で取るべき経済理論にかなった政策である。既に金融緩和と財政出動は動き出した。今後は、民間投資の喚起が焦点となる。安倍政権の誕生前後から、日経平均株価は上り続け、9千4百円台からリーマン・ショック後の最高値にまで上昇した。現在1万1千円台である。円は1ドル78円台から95円台まで円安が進んでいる。市場経済は、人々の心理で大きく動く。消費や投資には、心の動きが顕著に反映する。株価上昇と円安は内外の投資家の多くが、アベノミクスによって今後、景気が良くなると予想していることの現れである。また、現象的な変化を見て国民の多くが、アベノミクスを支持している。
 だが、アベノミクスへの懸念の声も上がっている。基本的には、財政均衡に関する誤解、デフレの怖さへの認識不足、インフレへの過剰な警戒心、財務省・日銀寄りの報道の鵜呑みによるものと思う。反骨のエコノミスト、田村秀男氏は、反アベノミクス論は根拠が薄弱だとして、日経新聞の記事を例に挙げて批判している。当該記事は日経の「経済教室」欄に掲載された「安倍政権経済政策の課題」。見出しは、「日本売りリスク」「物価高騰も」「日銀の独立性は重要」「資産バブル招く」。田村氏は、これらを論破している。大意を示す。
 「日本売り」のリスクとは、2%のインフレ目標を設定して国債発行を増やせば、国債利回りが急騰し、国債が暴落する、という意味。だが、日本国債の9割以上は国内の金融機関が保有している。民間金融機関は約200兆円の対外純債権を持ち、国債を買い支える余力は十分ある。米国はリーマン・ショック後、ドルを3・2倍も発行したが、コアコアCPIより低い長期国債利回りを実現している。小出しにしか量的緩和しない日銀の政策を転換するだけで国債暴落は避けられる。
 「物価高騰」の恐れについては、米FRBは1年前に2%のインフレ目標を設定し、大胆な量的緩和とゼロ金利政策を続けているが、米国のインフレ率は2%未満にとどまっている。米国でさえ、そうである。そもそも物価上昇率を2%以下で抑える手段とするのがインフレ目標である。
 「日銀の独立性」の侵犯については、1998年の現行日銀法施行以降、日銀は「独立」をタテに、外部からの意見に耳を貸さずにデフレ・円高を放置し、国民の所得を急減させ、若者の就労機会を奪ってきた。国民を守って初めて「独立」が正当化される。
 「資産バブル」の懸念については、株式や不動産市場が活性化する前にバブルを心配して金融緩和をやめるのは、回復しかけた重病人から栄養剤を取り上げるようなものである。メディアが何の判断基準も示さずに株価や地価が少しでも上がれば「ミニ・バブル」と騒げば、日銀は引き締めに転じ、デフレを長引かせるだろう。
 田村氏は、このように反アベノミクスが根拠薄弱であることを、明快に論じる。その上で、アベノミクスに対してネガティブな印象を世に広めるメディアは、「これまでの財務・日銀官僚主導のデフレ・円高政策を容認してきた自らの誤りを認めたくないという自己弁護の心理が多分に作用しているのだろう。それとも、官報のごとく財務省幹部や白川日銀総裁の言い分をオウムのごとく繰り返してきた安直さに慣れ切ってしまい、独自の思考能力を失ったからではないだろうか」と指摘している。
 私は、この指摘はだいぶ遠慮した控えめな表現だろうと思う。端的に言えば、財務省・日銀のちょうちん持ちになってきたメディアが、自分の責任逃れと思考力喪失のために、理論的・実証的な裏付けなく、国民に反アベノミクスを吹き込んでいるのである。財務官僚も日銀幹部も多くのメディアも、国民の幸福、国家の繁栄より、私利私欲に走って、国家国民を誤導しているのである。
 田村氏の主張は、基本的にイェール大学名誉教授で安倍内閣の内閣官房参与に就任した浜田宏一氏と同じである。2月8日の日記に浜田氏の著書を紹介した。著書『アメリカは日本経済の復活を知っている』(講談社)、及び若田部昌澄氏・勝間和代氏との共著『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』(東洋経済新報社)は、アベノミクスを経済学的に正しく理解し、また反アベノミクスの誤りを理論的に指摘するために、必読と言ってもよい本だと思う。広くお勧めしたい。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20130208
 以下は、田村氏の記事。

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●産経新聞 平成25年2月3日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130203/fnc13020311090000-n1.htm
【日曜経済講座】
編集委員・田村秀男 「反アベノミクス」を斬る
2013.2.3 11:00



根拠なきメディアの警告
 安倍晋三首相の経済政策構想「アベノミクス」は株式市場ばかりでなく多くの世論の支持を得ているが、平家の故事よろしく「水鳥の羽音」に備えろと言わんばかりの報道が目立つ。代表例が日経新聞の経済論壇、「経済教室」欄で1月16日付から4回にわたって連載された「安倍政権経済政策の課題」である。見出しは、「日本売りリスク」「物価高騰も」「日銀の独立性は重要」「資産バブル招く」。3年前から安倍首相とほぼ同様の政策を提起してきた者として、特にこの4点を看過するわけにいかない。

国債売りは自ら墓穴
 「日本売り」とは、2%のインフレ目標を設定して国債発行を増やせば、国債利回りが急騰、つまり国債が暴落する、という意味である。白川方明日銀総裁は昨年11月20日の記者会見で、「3%」のインフレ目標だと、長期金利がまず上がって国の利払い負担を引き上げ、さらに国債を大量保有する金融機関に巨額の資産評価損をもたらすと説いた。「経済教室」論文は「白川論法」にバイアスをかけ「2%」でもその恐れがあるという。
 日本国債の9割以上は国内の金融機関が保有している。国内銀行が国債を一斉に売れば確かに国債相場は暴落するだろうが、自ら墓穴を掘ることになる。民間金融機関は世界最大の貸し手として約200兆円の対外純債権を保有しているほどで、日本国債を買い支える余力は十分ある。
 さらに日銀は2%のインフレ率に近づくまでお札を刷って国債を買い上げる緩和政策を続ける役割を担っている。米国は2008年9月のリーマン・ショック後、ドルを3・2倍も発行したが、最近では長期国債を重点的に買い上げ、エネルギーと食料品を除く消費者物価指数(コアコアCPIと呼ばれる国際的インフレ指数)上昇率より低い長期国債利回りを実現している。小出しにしか量的緩和しない日銀の政策を転換するだけで国債暴落は避けられる。手堅い日本国債が暴落するなら、増税の代わりにドル札を刷っては長期国債を買い上げる世界最大の債務国米国、ユーロ札を刷ってはギリシャなど重債務国の国債を買い上げる欧州ユーロ圏を含め、世界は終わるだろう。

米でさえ2%未満
 「物価高騰」!? そもそも物価上昇率を2%以下で抑える手段とするのがインフレ目標である。1年前に2%のインフレ目標を設定した米連邦準備制度理事会(FRB)はリーマン後、短期間のうちにドルを3倍以上発行し、12年12月にはさらに失業率が6・5%に改善するまでは量的緩和とゼロ金利政策を続ける政策を打ち出した。もともとインフレ体質の米国だからお札の大量発行は悪性インフレを招くという懸念が根強いのだが、それでもインフレ率は2%未満にとどまっている。
 「中央銀行の独立性」はまさに金科玉条だ。日経などメディアの多くは安倍首相が日銀に大胆な政策転換を求めるたびに連呼してきた。1998年4月の現行日銀法施行で日銀の独立性が保証されて以来、176カ月過ぎたが、インフレ率が前年比でプラスになったのは9カ月にすぎず、しかも、0%をほんのわずか超えたのにすぎない。日銀が「独立」をタテに、外部からの意見に耳を貸さずデフレ維持政策をとってきたのは明らかだ。デフレ・円高放置により国民の所得を急減させ、若者の就労機会を奪ってきた日銀の政策をその美名のもとに擁護する感覚はまともではない。国民を守って初めて「独立」が正当化されるのだ。

バブル判断基準なし
 「資産バブル」とは何をさすのか。株式や不動産市場が活性化する前にバブルを心配して金融緩和をやめるのは、回復しかけた重病人から栄養剤を取り上げるようなものである。しかも、「株価などの値上がりの局面で『バブル』と判定できる基準はない」と、FRB幹部から聞いた。メディアが何の判断基準も示さずに株価や地価が少しでも上がれば「ミニ・バブル」と騒ぐ。日銀は待ってましたとばかりに引き締めに転じ、デフレを長引かせることだろう。
 以上のように、反アベノミクス論の多くは根拠が薄弱だ。ネガティブな印象を世に広めるメディアは、これまでの財務・日銀官僚主導のデフレ・円高政策を容認してきた自らの誤りを認めたくないという自己弁護の心理が多分に作用しているのだろう。それとも、官報のごとく財務省幹部や白川日銀総裁の言い分をオウムのごとく繰り返してきた安直さに慣れ切ってしまい、独自の思考能力を失ったからではないだろうか。
 安倍構想は図らずも、メディアの不見識ぶりを浮かび上がらせた。
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アベノミクスで政府・日銀が連携2

2013-02-26 08:58:23 | 経済
 政府・日銀の共同声明を要約すれば、政府と日銀は、デフレからの早期脱却と物価安定の下での持続的な経済成長の実現に向けて政策連携を強化し、一体となって取り組むことを決めた。日銀は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とするとし、インフレ目標2%を掲げた。この目標の下、金融緩和を推進し、これをできるだけ早期に実現することを目指すとしている。一方、政府は、日本経済の再生のため、機動的なマクロ経済政策運営に努めるとともに、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた取組を具体化し、これを強力に推進する。経済財政諮問会議は、物価安定の目標に照らした物価の現状と見通し等を定期的に検証する、と声明している。
 安倍首相は1月22日、共同声明発表後、「2%の物価目標をしっかりと書き込んで、責任を明確化したものだ。大胆な金融緩和に向けて大きな道筋ができた」「金融政策の大胆な見直しという意味でも画期的な文書になった。マクロ経済政策のレジームチェンジが行われていくことがはっきりした」と述べた。レジームチェンジは、経済政策体系の転換を意味する。わが国が平成10年(1998)後半以降、ほとんどの期間にデフレ下でデフレを悪化させるような政策が行われてきた。このたびの安倍政権により、ようやくデフレから脱却するための政策に転換する。
 一方、白川日銀総裁も同日、物価上昇率2%という目標について、「できるだけ早期に実現するには政府、日銀がそれぞれの立場で相当思い切った努力をすることが必要だ」と述べた。共同声明は「デフレから脱却するための政策連携であり、(政府が日銀に押しつける)一方的な内容ではない」「日銀の独立性にしっかり配慮がなされた」と述べた。
 デフレからの早期脱却と物価安定の下での持続的な経済成長の実現に向けて政策連携を強化し、一体となって取り組むという姿勢は、伝わってくる。ただし、現行の日銀法では、日銀に過度の独立性を与えているため、こうした共同声明を出しても、日銀が目標を達成できなかった場合、責任を取るのか否か曖昧である。目標には、努力目標と必達目標がある。今回の共同声明や白川総裁の記者会見では、目標達成に努力するというだけで、責任を持って職と組織を賭けてやるという決意表明には、なっていない。これは自分たちの責任を回避しようとする日銀の官僚的な体質によるものであると同時に、日銀法に根本的な欠陥があるためである。
 元財務官僚の高橋洋一・嘉悦大学教授は、日銀と短資会社の癒着を暴露し、短資会社が日銀職員の天下り先になっており、 そのために日銀の金利設定は短資会社が利益を上げられるように行われていることを告発している。日本国のカネを動かす中央銀行の人間が、私利私欲で金融政策を行っているとしたら、恐るべき腐敗である。日銀に巣食うカネへの盲執が、日本国に取りつく病魔であるなら、日銀を改革しないと、日本は元気になれない。大胆な改革が急務である。
 日銀法を改正して、雇用や経済成長を含む政策目標を決めるのは政府、その目標を達成するために具体的な手段を使って金融政策を実施するのが日銀という体制を明確にすべきである。現状では、政府と日銀が政策協定(アコード)を結んでも、政府が日銀に政策実施を強制できる法的根拠がない。また日銀が目標達成に失敗した場合の国民への説明責任や総裁の解任を、法に規定すべきである。日銀の役割は単に物価の安定だけではなく、雇用の確保にもある。そこことも、条文に盛り込む必要がある。カネ中心ではなく、人間中心の考え方に転換しなければならない。日銀法の改正なくして、日本経済の本格的な再生はなしえない。
 とはいえ、アベノミクスの2本目の矢「大胆な金融政策」は放たれた。これからその効果が出て来ることが期待できる。続いて、安倍政権は、3本目の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」を実行するだろう。アベノミクスの3本の矢、「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」が、次々に的を射ぬけば、デフレは退治できる。デフレという魔物を駆逐できたとき、わが国に潜在している巨大な経済成長力が発揮されるようになる。その成長力とは、日本人が内に秘めている国民の能力にほかならない。日本人の底力を信じよう。とてつもない底力を。(了)

アベノミクスで政府・日銀が連携1

2013-02-24 08:53:13 | 経済
 安倍内閣の経済政策構想は、「アベノミクス」と呼ばれる。アベノミクスは「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」を3本の矢とする。アベノミクスは、わが国が取るべき経済政策を、3本の矢という非常にわかりやすく、また印象的な表現で提示した。この政策提示能力は、見事である。
 私が日本の経済政策の問題点を強く感じるようになったのは、平成13年(2001)頃からである。小泉=竹中政権の新自由主義的な構造改革への疑問が引き金となった。バブルの崩壊の時は日米の従属関係に主原因があったが、消費増税・金融ビッグバン等と続き、市場原理主義の横行に至って、いよいよわが国の政府や官僚・学者の考え方がおかしくなっていると感じた。以来、日本経済の立て直しには財政政策と金融政策の一本化、政府と日銀の一体化、21世紀的な成長分野への戦略的投資が必要と私は考えてきた。これらが有機的に実行されたときに、日本経済の再生が可能になるに違いない。だが、小泉=竹中政権以後も自民党政権は基本的に構造改革路線を継承し、そこから転換ができなかった。また財務省の主導する財政均衡主義にとらわれてきた。そのうえ、リーマン・ショック後、わが国はデフレ脱却を最優先すべきなのに、日銀は円の供給量を増やそうとせず、民主党政権は所得の再配分に重点を置いたバラマキ政策をやって、日本経済を悪化させた。特に東日本大震災後の政府の機能不全は、深刻を極めた。
 こうした長い、長い混迷の後、ようやくまともな経済政策を打ち出したのが、安倍政権である。遅きに失した感はあるが、わが国は巨大な潜在的成長力を秘めている。これから政治の強いリーダーシップで大胆な政策を断行すれば、必ず日本は復興できる。安倍氏は、これまであまり経済理論・経済政策に通じているとは見えなかったが、首相退任後の約5年間、じっくり掘り下げて経済への理解を深め、具体策を練り上げてきたのだろう。アベノミクスは、デフレ・超円高の危機を突破するための政策体系となっている。
 さて、安倍政権は、平成24年度補正予算と新年度予算で、1本目の矢「機動的な財政出動」に積極的な姿勢を提示した。次に日銀がインフレ目標2%の導入を決めたことで、2本目の矢「大胆な金融政策」が放たれた。金融市場はこれに好反応し、円安株高が続いている。
 デフレと円高には、金融政策が有効である。デフレ下の金融政策では、金融緩和が最も基本的な手段である。安倍氏は、こうした経済理論をよく理解し、日本経済が長期間、デフレから脱却できないのは、日銀の緊縮的な金融政策が原因であり、日銀改革を進めることが経済再生の近道と考えたようである。安倍氏は、昨年12月の衆議員総選挙で「中央銀行の金融政策」を争点に掲げた。日銀法改正も視野に入れた発言を行った。以前首相だった時の安倍氏は、あまり経済理論には、強くないように見えた。だが、今度の安倍氏は違っていた。
 衆院選で自民党が圧勝すると、安倍氏は早速、日銀に働きかけた。インフレ目標を導入し、大胆な金融緩和をさせるためである。約2ヶ月間、政府と日銀の攻防が続いた。これまで大胆な金融緩和をしようとせず、また政策結果に責任を取る姿勢のなかった日銀の白川総裁が変わった。日銀は概ね政府の要望を容れ、政府と日銀は合意に達した。
 政府・日銀は1月22日に共同声明を発表した。これは、画期的な声明である。「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について」と題された共同声明の全文は、以下の通り。

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1.デフレからの早期脱却と物価安定の下での持続的な経済成長の実現に向け、以下の通り、政府および日本銀行の政策連携を強化し、一体となって取り組む。
2.日本銀行は、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することを理念として金融政策を運営するとともに、金融システムの安定確保を図る責務を負っている。その際、物価は短期的には様々な要因から影響を受けることを踏まえ、持続可能な物価の安定の実現を目指している。
 日本銀行は今後、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取組の進展に伴い持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていくと認識している。この認識に立って、日本銀行は物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする。
 日本銀行は、上記の物価安定の目標の下、金融緩和を推進し、これをできるだけ早期に実現することを目指す。その際、日本銀行は、金融政策の効果波及には相応の時間を要することを踏まえ、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、経済の持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないかどうかを確認していく。
3.政府は、我が国経済の再生のため、機動的なマクロ経済政策運営に努めるとともに、日本経済再生本部の下、革新的研究開発への集中投入、イノベーション基盤の強化、大胆な規制・制度改革、税制の活用など思い切った政策を総動員し、経済構造の変革を図るなど、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた取組を具体化し、これを強力に推進する。
 また、政府は、日本銀行との連携強化にあたり、財政運営に対する信認を確保する観点から、持続可能な財政構造を確立するための取組を着実に推進する。
4.経済財政諮問会議は、金融政策を含むマクロ経済政策運営の状況、その下での物価安定の目標に照らした物価の現状と今後の見通し、雇用情勢を含む経済・財政状況、経済構造改革の取組状況などについて、定期的に検証を行うものとする。
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 次回に続く。

人権34~権理・権義等から権利へ

2013-02-23 08:49:31 | 人権
●「権理」「権義」等を経て、「権利」が定着

 明治の知識人は、西欧の近代思想を、わが国の伝統的な思想を通じて理解した。彼らの多くは武士出身者であり、その世界観と価値観は儒教の影響を強く受けていた。ただし儒教といっても、シナの儒教そのものではなく、神道・仏教と習合し、武士道に摂取されたり、尊皇思想・国体論等に発展したりして、日本独自の思想となったものである。福沢・板垣・中江らは、こうした日本の伝統思想を血肉として共有していた。そして、それをもとに、ロックやミル、スペンサー、ルソーらの思想を理解して、日本語に表現し、わが国に紹介した。
 権利については、彼らによって「通義権理」「権理」「権義」等の訳語が試みられた後、明治22年(1889)に公布された大日本帝国憲法に、「権利」という訳語が採用された。以後、「権利」が公式用語となっている。
 「権利」に使われた「権」という漢字は、もともと木製の秤の重りや分銅を意味する。漢字学の大家・白川静氏の『常用字解』によると、「権」のつくりの部分は、神聖な鳥として鳥占いに使われたコウノトリの形象である。このつくりから「はかる」の意が生じた。「権」の字はものの重さを量る重り等の意味から、バランスに影響する重さや重さを担う力を意味するようになり、さらに社会関係に作用する人や団体が持つ勢力や資格をも意味するに至った。 「権」は、権力・権威・権勢などの意に用いられる。例えば、「権を取る」という慣用句は、「権力を握る」を意味する。
 私見を述べると、「権」という漢字には、力の概念が含まれている。力は、日常的な言語では、物事を生起させる原因を指している。目に見えないが、人やものに作用し、何らかの影響をもたらすものを、象徴的に力と言っている。「権」の原義である重り・分銅は、天秤の左右・軽重を決める力を表す。そこから転じて人間にも使われ、人が物事を決定・支配・管理する力を表す。本来、物理的な重力と人間的な能力とは別の概念であるが、状態や運動に変化をもたらす働きという点で共通性がある。
 西欧語の right/Recht/droit 等の訳語に、「権」の文字を使用したのは、適切だったと私は評価する。「権力」と訳される英語 power、独語 Macht、仏語 puissance は直接、力を表す言葉であり、ここでも訳語に「権」の文字が使われた。他に「権威」「権限」等にも「権」が使われた。西欧語には権利・権力・権威・権限等を共通して表す単語や接頭辞はない。わが国で人権や国家・国民等を論じるとき、「権」の文字の含意を論じないのは、大きな見落としであることを指摘したい。
 次に「権利」に使われた「利」の文字は、稲束を鋭い刃物でさっと切ることを意味する。そこから転じて、刃がよく切れてすらりと通ることや、事が都合よく運ぶことを表す。さらに都合よく運んで得られる儲けや、物の効用の意味にも使われるようになった。「利」の文字は、儲けの意味では利益・利潤、効用の意味では水利・地利などに用いられる,
 明治時代半ば、「権利」に「利」の文字が使われたときは、利益(interest)ではなく、功利・効用(utility)の意味だった。大日本帝国憲法の「権利」の「利」は、これである。だが、権利という言葉が定着した後、権利の「利」は利益であるという理解が広がった。もし「権理」か「権義」という訳語が採用されていれば、「理」は道理を意味し、「義」は正義を意味するから、西欧語の権利の語が含意する法や正義に通じる訳語となったことだろう。この点を私は残念に思っている。
 ところで、権利と対をなすものに、義務がある。義務に当たる西欧単語は、英語 duty、obligation、独語 Verpflichtungen、仏語 obligation 等である。この訳語にも「義」が用いられた。ちなみに義務は、簡単に言えば「~しなければならないこと」「~すべきであること」である。広義では、行動や判断、評価の基準すなわち規範の存在を前堤とし、それにより人間の意思及び行為に与える拘束のことをいう。また狭義では、法的人格に課せられる法を根拠とする拘束をいう。前者は社会的または道義的義務であり、後者は法的義務である。そのうち道義的な義務は、正義・仁義・大義・教義等の規範に基づく義務である。
 規範には社会的規範だけでなく超越的な規範がある。超越的という概念は、西洋で発達したもので、自然的世界を超えたものとしての神を意味する超越から来ているが、ここでは一般化して人間の意思や存在を越えたものを意味する。超越的な規範には、キリスト教の神や神の摂理、東洋思想の天・道等がこれに当たる。幕末・明治の知識人は、東西の超越的な規範の間にある種の共通性を見出し、義務に当たる西欧単語の翻訳に「義」の文字を用い、義務の根底には超越的な存在や原理が想定されていることを、巧みに含意させたものだろう。権利に当たる西欧単語を「権理」または「権義」と訳していれば、「義務」という訳語と合わせて、権利―義務と規範の関係を込められただろう。
 西欧では、権利も義務もキリスト教的な神に根源を持つ。単なる社会的な規範ではなく、超越的な規範に立脚している。近代化・世俗化の中で、ほとんどその根源が忘れられ、実質的に否定されているものの、歴史的・文化的な背景を確認していくことが、人権の考察においては、必要である。本稿では、権利を中心に以下、論を進める。

 次回に続く。

尖閣:「航行の自由」を守れ~アワー氏

2013-02-21 08:48:44 | 尖閣
 米国には、尖閣問題について鋭い分析を行っている専門家がいる。そのうちの一人がヴァンダービルト大学日米研究協力センター所長のジェームス・アワー氏である。アワー氏の見解は、拙稿「尖閣を守り、沖縄を、日本を守れ」第3章(6)「米国の専門家の見方も参考になる」に掲載した。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12o.htm
 そこにも書いたが、アワー氏は、日米両国のあり方について、次のように主張している。「日米両国は、中国が言葉だけでは相手を尊重しないということをわきまえるべきである。そして、航行の自由の権利を確実なものにするために、頻繁かつ定期的な南シナ海の通行を実施するとともに、日本の石油の生命線が通っているのをはじめ、世界の貿易の3分の1が経由している地域が、中国によって支配されるのを阻止するに当たり、東南アジアの国々と結束すべきである」と。
 産経新聞平成24年12月6日号では、「平和的で合意ずく(中国政府の指図抜き)の南シナ海の利用権を妨げてはならないと主張することは、米日両国とASEAN諸国の責務である」として、アワー氏は、次の三点を実行することが必要だと述べている。
 第一は、「日米両国は世界の二大民主主義・経済国として、西太平洋最大かつ最強の海軍国として、南シナ海の共有海面における航行の自由の不可侵性を確保するのに必要ないかなる手段をも取らなければならない」ということである。
 第二は、「日本は、南西諸島地域に陸海空の自衛隊部隊を配備することで、信頼し得る抑止力を構築しなければならない」ということである。南西諸島の防衛力を強化して、尖閣諸島に防衛の傘を差し伸べることは、日本の現有戦力の再配置によって、おおむね達成可能だという。
 第三は、「日米両政府は、海上境界、漁場、海底資源をめぐる紛争を平和的に、合意によって解決しようとするASEANの要求については、全加盟国(たぶん信念というよりもむしろ恐怖から行動しているカンボジアを有り得る例外として)を支持すべきだ」ということである。
 これら三点の実行が必要だと提唱するアワー氏は、「外交は、法の支配とは無関係に結果を押し付けてきたがる者を、抑止できる信頼に足る防衛力が存在するときにのみ機能する」と述べ、「仮に米国が(日本から)撤退して、中国が東シナ海と南シナ海を国有化したとすれば、自由な海洋国家としての日本の地位は、深刻な試練に直面するだろう」と外交第一主義を批判している。氏の言うところの外交第一主義とは、「日本は、中国を挑発しないように気をつけ、尖閣問題を国際司法裁判所に持ち込むと申し出るべきではないか、といった立場」である。
 アワー氏が批判する外交第一主義に該当するのが、橋下徹氏の姿勢である。橋下氏は、昨年9月27日、日本維新の会代表(当時)として、竹島について韓国との共同管理を目指すべきだと発言し、「主権領有についてではなく、漁業、海底資源など周辺海域の利用の問題」「尖閣も同じ。しっかりとルールを作るべきだ」と述べた。橋下氏は、日本の固有の領土だが韓国に実効支配されている竹島と、日本の固有の領土でありわが国が施政権を行使している尖閣の状況の区別がついていない。竹島は不法に実効支配されているから、日本国政府が国際司法裁判所に提訴するのが適当である。これに比し、尖閣は日本の施政権下にあるのだから、実効支配を強化することが課題である。橋下氏の尖閣についてわが国の領有権をあいまいにし、中国と周辺海域の共同管理をめざすかのような発想は、自ら中国の罠にはまりにいっているようなものである。仮に尖閣周辺を共同管理にした場合、次に中国が尖閣の奪取へと歩を進めてくるのは、明らかである。
 外交だけでは、尖閣諸島をめぐる問題は解決しない。外交は軍事力の裏付けなくしては、有効に進め得ない。外交は裁判とは違う。言葉と論理だけでは、正義と公正を実現できない。自分の国、自国の領土と主権を自分で守るための国防力を強化してこそ、国益を守る外交を展開することができることを、政治家も国民もともに肝に銘じなければならない。
 以下は、アワー氏の記事。

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●産経新聞 平成24年12月6日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121206/plc12120603220003-n1.htm
【正論】
ジェームス・E・アワー 「航行の自由」中国の手から守れ
2012.12.6 03:21

■ヴァンダービルト大学 日米研究協力センター所長

 中国の温家宝首相や東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国と日米韓など計18カ国の首脳が集った先月のASEAN関連サミットで、開催国であるカンボジアの指導者、フン・セン首相は露骨な中国の代弁者として、南シナ海問題は「国際化」されるべきではないというのがASEANの総意であると誤った声明を出した。

≪東シナ海でも支配を狙う≫
 ASEAN数カ国の国家元首が直ちに異議申し立てをしたこの声明の意味合いは、極めて明確に理解されるべきだ。中国は、南シナ海の使用を思い通りに支配したいのであり、その支配に異を唱えるいかなる国も中国政府によって個別に処罰されるのである。
 同じように、東シナ海の場合でも、中国の意図は、尖閣諸島に対する日本の主権を否定し、1971年の自らの領有権主張をあたかも古代の中国法で位置づけられているかのごとく提示し、米国が中日「二国間」の問題に「干渉」する筋合いではないと言い、そのうえで、南西諸島地域でほとんど防衛能力のない日本に対し、必要とあらば軍事的にも領有権主張を押し通すことではないのか。
 尖閣で日本の主権的地位の信頼性を高めようという石原慎太郎前東京都知事の計画を批判する多くの人々は日本に国の領土を守る意思があるのか、あるなら、そのための確かな措置を講じる意思があるのかを考える必要がある。
尖閣諸島の所有者が代わりに中国側に尖閣を売却し、そして、中国がそれらを封鎖していたら、日本政府はどうしていただろう。フィリピンに近接し統治されているのに、中国が領有権を主張しているスカボロー礁への進入を、同国が最近、閉ざしたように。

≪日米はASEANと連携を≫
 11月のカンボジア指導者の声明は、2年前のASEAN地域フォーラム(ARF)で、米国は「南シナ海における平和と安定の維持、国際法の尊重、航行の自由、妨害なき正当な通商に国益を」有しているとした、ヒラリー・クリントン米国務長官の声明とは明らかに矛盾する。平和的で合意ずく(中国政府の指図抜き)の南シナ海の利用権を妨げてはならないと主張することは、米日両国とASEAN諸国の責務である。
 どうすることが必要か?
 何はさておいても、日米両国は世界の二大民主主義・経済国として、西太平洋最大かつ最強の海軍国として、南シナ海の共有海面における航行の自由の不可侵性を確保するのに必要ないかなる手段をも取らなければならない。
 日本の海上自衛隊と米海軍は、国連海洋法条約を完全順守した通航の自由を日米が強く求めない場合に中国がやりかねないような、他国の支配や排除をするのではなく、いかなる国も締め出さない。ASEAN加盟のどの国でもしかり、周辺や地域の航行の自由を保証する手伝いをしてくれることはありがたい。中国といえども、アフリカ沿岸沖で海賊防止に協力しているように、南シナ海を世界の通商に開かれたものにしておくことに参加するなら歓迎だ。
次に、日本は、南西諸島地域に陸海空の自衛隊部隊を配備することで、信頼し得る抑止力を構築しなければならない。これらの部隊は、原子力空母、攻撃型潜水艦と岩国、沖縄、グアムを拠点とする海兵隊の空陸部隊から成る米第7艦隊兵力の支援が可能だ。
 日本の自衛隊は冷戦期には、日本本土や沖縄に効果的に展開されて米国ともうまく連携し合った、かなりの抑止能力を達成した。しかし、今や、日本の北方と西方に対する旧ソ連時代の脅威は薄れ、一方で、尖閣諸島が無防備で攻撃を受けやすい状況にある。

≪力なき外交は機能しない≫
 朝鮮半島、台湾、そして、今や尖閣諸島と、危険な発火点が身近に存在し続けているにもかかわらず、日本の防衛費は1990年代以来、横ばい状態、あるいは下降状態をたどるに任されている。防衛費の増大は賢明だと思える。もっとも、幸運なことに、南西諸島の防衛力を強化して、尖閣諸島に防衛の傘を差し伸べることは、日本の現有戦力の再配置によって、おおむね達成可能である。
 第三に、日米両政府は、海上境界、漁場、海底資源をめぐる紛争を平和的に、合意によって解決しようとするASEANの要求については、全加盟国(たぶん信念というよりもむしろ恐怖から行動しているカンボジアを有り得る例外として)を支持すべきだ。
外交第一主義はどうか? 日本は、中国を挑発しないように気をつけ、尖閣問題を国際司法裁判所に持ち込むと申し出るべきではないか、といった立場だ。だが、平和的で成功した1996年の台湾総統選などに例証されるように、外交は、法の支配とは無関係に結果を押し付けてきたがる者を、抑止できる信頼に足る防衛力が存在するときにのみ機能する。
 仮に米国が(日本から)撤退して、中国が東シナ海と南シナ海を国有化したとすれば、自由な海洋国家としての日本の地位は、深刻な試練に直面するだろう。
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北方領土:ロシアの対中安保脅威がカギ

2013-02-20 08:54:28 | 国際関係
 北方領土問題について、「解決には、ロシアに返還を決断させる衝動が生まれることが不可欠だが、キーワードは経済よりも安全保障にありそうだ」と述べているのが、拓殖大学海外事情研究所教授の名越健郎氏。名越氏は、2月6日産経新聞への寄稿記事に大意次のように書いた。
 「政治・安保上の安定を確保したプーチン政権は、領土返還要求に概して冷淡だったが、昨年以降、『ヒキワケ』発言など日本に歩み寄る姿勢を見せている。その背景には、中国の台頭に対する安保上の危機感が垣間見える」。「中国の国内総生産(GDP)はいまやロシアの4倍で、国防予算もロシアの2倍に上る。非合法滞在を含めたロシア国内の中国人は200万人との説もあり、人口圧力への脅威感が強い」。「ロシアが昨年来、日本との防衛交流や安保対話を求めているのも、中国への安保上の脅威感によるものだろう。外交権限を持つプーチン大統領が対中脅威感に触発され、持論の『2島』以上の譲歩に踏み込むかどうかが焦点になろう」と。
 ここで名越氏が安全保障上の危機感、脅威感というところの安全保障が、何を意味するものかは、明示的でない。ロシアの領土・領海に対する軍事的な侵攻への防衛という課題ではなく、経済力や人口力等における国力の差を踏まえた安全の確保を意味しているようである。確かに非軍事的な側面を含めた総合的な課題が国家安全保障なのだが、その中に、核心的な要素として軍事的な安全保障が意識されないと、真の安全保障上の危機感、脅威感とは言えないと思う。
 さて、名越氏は、過去にソ連・ロシア側がわが国に歩み寄ろうとした事例を挙げ、それらは「安全保障上の危機感」を契機としたものだったと指摘する。
第一は、1972年1月、グロムイコ外相が訪日し、佐藤栄作首相に対し、「1956年の日ソ共同宣言に回帰し、(歯舞・色丹の)2島を渡して平和条約を締結する案を共産党政治局に提示したい」と述べたことである。それまでソ連は「領土問題は解決済み」の姿勢だったが、ニクソン米大統領訪中を翌月に控え、米中接近を恐れて日本にアプローチしたもようだと名越氏は言う。
 第二は、グロムイコ外相が1983年のソ連共産党政治局会議で、「日本との関係を改善するため、クリール(北方領土と千島列島)の問題を利用してはどうか」と発言したことである。これも、レーガン米政権の対ソ強硬外交にソ連が安保上の危機感を抱き、日米離間を図ろうとしたととれると名越氏は言う。
 第三は、1992年3月にコズイレフ外相が日本側に、歯舞・色丹を引き渡して国後・択捉の扱いを協議し、合意すれば平和条約を結ぶとの秘密提案をしていたことである。ソ連崩壊直後の経済難から国家安全保障の危機に直面したロシアが、当時圧倒的な先進国だった日本に助けを求めたといえると名越氏は言う。
 これらのうち第三の事例は、今年1月8日に初めて報道されたものである。私はソ連で共産主義が矛盾を極め、連邦が崩壊して、経済的にどん底に陥った時が、北方領土返還交渉の好機だったと考えてきた。当時実際にロシア側から秘密提案があったことを知って、さもありなんと感じる。1992年(平成4年)3月といえば、総理大臣は宮沢喜一、外務大臣は渡辺美智雄である。わが国はバブル崩壊後とはいえ、現在より強い経済力と技術力を持っていた。交渉によっては、わが国に有利に展開できた可能性があった。だが、わが国政府は四島一括でないからという原則を主張し、秘密提案による交渉は進まなかったという。大きなチャンスだっただけに、その時の対応についてよく検証する必要がある。
 今後、ロシア側から、たとえば、2月12日に紹介した国際平和財団カーネギー・モスクワセンターのトレーニン所長の提案、すなわちロシアは日ソ共同宣言に基づき歯舞・色丹両島を引き渡す、日本は島々での露側の経済活動を支援する、両国は四島に共同経済圏を設ける、択捉・国後両島は50年後に日本側に主権を移すという香港返還に似た方法が提案されてくる可能性がある。様々なシナリオを描き、対応を研究しておく必要があると思う。
 以下は名越氏の寄稿記事。

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●産経新聞 平成25年2月6日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130206/erp13020622490004-n1.htm
「北方領土の日」に寄せて ロシアの「対中安保脅威」がカギ 名越健郎・拓殖大学海外事情研究所教授
2013.2.6 22:48

 2月7日は「北方領土の日」だ。領土返還要求運動の盛り上がりを図る行事が全国で行われる。約70年前のソ連の不法占拠に端を発する北方領土問題の解決には、ロシアに返還を決断させる衝動が生まれることが不可欠だが、キーワードは「経済」よりも「安全保障」にありそうだ。
 過去の交渉でソ連・ロシアが領土問題で歩み寄ろうとした契機は、安全保障上の危機感だった。1972年1月、当時のグロムイコ・ソ連外相が訪日し、佐藤栄作首相に対し、「1956年の日ソ共同宣言に回帰し、(歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)の)2島を渡して平和条約を締結する案を共産党政治局に提示したい」と述べたことがある。それまでソ連は「領土問題は解決済み」の姿勢だったが、ニクソン米大統領訪中を翌月に控え、米中接近を恐れて日本にアプローチしたもようだ。
 グロムイコ外相は83年の党政治局会議でも、「日本との関係を改善するため、クリール(北方領土と千島列島)の問題を利用してはどうか」と発言したことが、後に公開された政治局文書で判明した。これも、レーガン米政権の対ソ強硬外交にソ連が安保上の危機感を抱き、日米離間を図ろうとしたととれる。
 今年1月8日付本紙で、92年3月にコズイレフ外相が日本側に、歯舞・色丹を引き渡して国後(くなしり)・択捉(えとろふ)の扱いを協議し、合意すれば平和条約を結ぶとの秘密提案をしていたことが明らかにされた。ソ連崩壊直後の経済難から国家安全保障の危機に直面したロシアが、当時圧倒的な先進国だった日本に助けを求めたといえる。
 政治・安保上の安定を確保したプーチン政権は、領土返還要求に概して冷淡だったが、昨年以降、「ヒキワケ」発言など日本に歩み寄る姿勢を見せている。その背景には、中国の台頭に対する安保上の危機感が垣間見える。
 中国の国内総生産(GDP)はいまやロシアの4倍で、国防予算もロシアの2倍に上る。非合法滞在を含めたロシア国内の中国人は200万人との説もあり、人口圧力への脅威感が強い。数万人の中国人農民が極東の農地をレンタルして耕作する「実効支配」の動きもみられる。
 中露首脳は2010年、終戦65周年の共同声明で「歴史の歪曲(わいきょく)」は許さないと宣言するなど、対日歴史観で共闘姿勢を示した。しかし、その蜜月は既にピークを過ぎ、ロシアは沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国の対日強硬姿勢には同調していない。反日派のメドベージェフ首相ですら昨年8月、「ロシアは近隣諸国の過度の膨張を防ぐ必要がある」と警告した。
 ロシアが昨年来、日本との防衛交流や安保対話を求めているのも、中国への安保上の脅威感によるものだろう。外交権限を持つプーチン大統領が対中脅威感に触発され、持論の「2島」以上の譲歩に踏み込むかどうかが焦点になろう。
 ただし、東アジアの際どい均衡の中で、尖閣問題を抱えるわが国が中露離間外交を画策するのはリスクが大きい。日米同盟を再構築した上で中露に対処し、北方領土問題でロシアの譲歩を促すべきだろう。(寄稿)
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尖閣:中国の政府文書が日本名を明記

2013-02-18 10:07:19 | 尖閣
 尖閣諸島の領有権を主張する中国政府の論理は、完全に崩れた。昨年12月27日、時事通信は、中国政府が昭和25年(1950)、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことを報じた。時事通信は文書原文のコピーを入手し、ネット上に文書の一部を掲載している。
 この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」という。中華人民共和国成立の翌年1950年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されているという。
 文書の「琉球の返還問題」の項目には、「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。続いて「琉球の境界画定問題」の項目には、「尖閣諸島」と明記し、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記していると伝えられる。これは中国政府が、文書作成の時点で、尖閣諸島を日本の領土である琉球の一部と考えていた明らかな証拠である。
 中国政府が、尖閣諸島は中国領という主張を始めたのは、昭和46年(1971)である。以後、中国政府は、「台湾は中国の一部」「釣魚島(註 尖閣諸島の中国名)は台湾の一部」「日本は第二次世界大戦の敗戦の結果、台湾本島などと同様に釣魚島も中国に返還して当然」等と主張している。だが、中国政府が作成した外交文書に尖閣諸島は琉球の一部との認識が記述されていたことにより、中国政府の主張は、完全に破たんしたわけである。
これまでにも、中国政府の主張に根拠の無いことを示す証拠は、挙がっていた。人民日報は昭和28年(1953)1月8日付の紙面に掲載した記事で「琉球群島は台湾の東北に点在し、尖閣諸島や先島諸島、沖縄諸島など7組の島嶼からなる」と表記していた。また昭和42年(1967)版の中国国営の地図出版社(当時)が発行した地図は、台湾を中華人民共和国の一部とし、中国と尖閣諸島の間に国境線を引いて、尖閣諸島は日本領であることを示して、魚釣島等と日本名が書いてある。今回発見された文書は、中国政府の公的文書ゆえ、決定的なだめ押しとなるものである。
 だが、時事通信の報道に対し、在日中国大使館の楊宇報道官は昨年12月27日の記者会見で、「私はこの外交文書を自分の目で見たことはないが、文書があるとしても、中国側の立場を変えることはない」と述べ、文書の存在は尖閣諸島を自国領とする中国の立場に影響を及ぼさないとの考えを示したという。そして、尖閣諸島は「十分な歴史的、法律的な根拠」から「古来から中国の固有の領土」だと強調したという。虚偽の主張が真っ赤なウソと明らかになっても、そのことを認めない中国政府の姿勢は、まったく道理に反している。わが国の政府は、そのことを明確に指摘し、中国政府の尖閣奪取の野望を打ち砕かねばならない。
 以下は時事通信の記事。

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●時事通信 平成24年12月27日

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012122700471

中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、「琉球の一部」と認識-初めて発見



 中国外務省の外交文書「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」の原文コピー。写真右は表紙、同左は75ページにある「尖閣諸島」の文字

 【北京時事】沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。時事通信が文書原文のコピーを入手した。中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。
 尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。
 この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。
 領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする「釣魚島」の名称は一切使われていなかった。
 続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記している。これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。
 東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』と当然のように認識していたことを証明している。『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」と解説している。
 中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。
 中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。
 領土草案の文書は現在非公開扱い。中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。 (2012/12/27-14:37)
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人権33~権利とは何か

2013-02-17 08:35:47 | 人権
 本稿「人権ーーその起源と目標」は、今回から第3章「人権における権利」に入る。

●権利とは何か

 西欧発の人権という観念の核心には、自由がある。自由とは、自由な状態であり、自由な状態を確保する権利であると第2章で述べた。そして、自由について様々な角度から検討を行った。国際人権文書では、自由は「人権と基本的自由」という対で使用されることが多い。そこにいう自由は、自由への権利を意味するものであり、より重要な概念は権利である。英語の liberty と freedom の字義について書いた際、ともにその説明に right つまり権利を意味する言葉が使われていることを指摘した。これまで本稿では、権利そのものについては、詳しく述べずに論を進めてきた。本章で権利の検討を行う。
 権利とは何か。簡単に言えば、「~することができること」「~してよいこと」である。権利は、広義では、何かをする、またはしないことができる能力または資格をいう。また、狭義では、一定の利益を主張し、またこれを享受する手段として、法が一定の者に与える能力または資格をいう。前者は社会的な能力・資格であり、後者は法的な能力・資格である。
日本人にとって、権利という概念は、今日西洋の思想を強く受けたものとなっている。権利は外来語の訳語であり、元の西欧語の単語は英語 right、独語 Recht、仏語 droit等である。
 西欧言語の多くでは、「権利」を表わす言葉は「正義」と同じ語である。英語のrightは、「右」「右手」を意味し、右に価値を置く考えから、「正しい」「まっすぐな」をも意味する。そこから抽象的な「正当」「正義」「正道」の意味を生じ、さらに「権利」という意味が派生した。
 rightは、古英語のrihtから来ている。古英語は独語の方言のようなものであり、rihtはドイツ語のRechtに当たる。Rechtの原意は「まっすぐな」であり、ここから「正しい」「間違っていない」「本当の」「真の」「適切な」「ふさわしい」といった意味が生じた。さらに「法律や規範に照らして正しい」「道理にかなった」という意味となり、「権利」「法」を意味する中性名詞のRechtが生まれた。フランス語 droit (形容詞、男性形)も、「右の」「まっすぐ」「正しい」の意味があり、droitは「権利」と「法」の両義を持つ。
 このように、西欧言語の多くでは、権利は「正義」であり、「法」である。わが国及びシナでは、これと概ね重なり合う概念が存在しなかった。この点、既存の古典漢語である「自由」をfreedomやlibertyの訳語に充てたこととは対照的である。
 幕末から明治の初期、近代西洋文明がわが国に流入してきたとき、西欧のright/Recht/droitの訳語として、「通義権理」「権理」「権義」等の訳語が試みられた。
 福沢諭吉は、わが国に初めて欧米の事情を伝えた『西洋事情』(慶応2年~明治3年、1866-69)では、rightを「通義」と訳した。続いて『学問のすすめ』(明治5~9年、1872-76)で、「通義権理」と訳し、その略語として「権理」「権義」も使った。自由民権運動の指導者・板垣退助らによる国会開設期成同盟(明治13年 1880)の請願書には、「人民の通義権理」とある。また、ルソーの『民約論』を翻訳した中江兆民は、(『一年有半』明治33年 1900)で「民権是れ至理なり。自由平等是れ大義なり」と述べている。
 福沢・板垣・中江らに共通しているのは、権利に当たる西欧語を、シナ思想に由来する「理」や「義」の概念を用いて、表現しようとしたことである。 
 「理」は「ことわり」「ものの筋道」を意味し、道理・天理などに使われる。「義」も「ものの筋道」や「道理」を意味し、正義・仁義などに使われる。それゆえ、彼らは「理」や「義」を用いて権利の訳語を編み出し、権利に当たる西欧の言葉を「道理や正義に基づく能力や資格」と理解したと考えられる。

 次回に続く。

習政権下で暴動続く中国に備えを~石平氏

2013-02-15 09:44:17 | 国際関係
 中国では、急激な経済成長が社会的な矛盾を生み、都市と農村、富裕層と貧困層の格差が拡大している。また、共産党官僚の腐敗・横暴が深刻化し、多くの汚職事件が摘発されている。これらを要因として人民の不満が高まり、中国各地で多数の暴動が発生している。
 経済的な格差については、社会における所得分配の不平等さを測る指標にジニ係数がある。ジニ係数は0に近いほど格差が小さく、1に近いほど格差が大きいことを表す。0.4を超えると社会不安を引き起こす「レッドゾーン」、0.5を超えると暴動が頻発する「危険水域」と言われる。中国では既にジニ係数が0.5を超えている。
 実際、2000年代には、中国政府の発表で、毎年5万件ほどの「集団事件」と呼ばれる官民衝突や集団抗議等が発生した。平成17年(2005)には年間8万7000件、発生したと発表された。その後、政府は暴動件数を発表しなくなった。これは発生件数が一層増加しており、都合の悪い数字は出さないものと見られる。2008年リーマン・ショック、欧州債務危機等による世界経済危機の影響で、中国では失業や賃金不払い等により生活を破壊された国民が多くなった。
 中国共産党は、政権を維持するには、どうしても成長率8%を維持しなければならない。年8%以上の経済成長率を維持していたときでさえ、年間数万件の暴動が発生していた。成長率が8%を切ると、1億人以上の労働者に仕事を与えられなくなる。
 胡錦濤政権の末期となった平成23年(2011)には、暴動・騒動事件の発生件数が18万件を超えたという。これは毎日全国どこかで約500件が発生している計算になる。暴動の内容も警察の車両や地方庁舎を襲撃する暴動が続発している。土地を失った農民や就職のできない若者、環境汚染で生活に不安を持つ住民等が激しい行動を起こしているのだろう。胡政権最後の年である今年の国家予算に計上された「治安維持費」は当年度の国防費を上回った。それほど、中国社会は大きく乱れているのである。
 人民日報系の雑誌「人民論壇」が24年10月に実施した意識調査で、回答者の70%が「特権階級の腐敗は深刻」とし、87%が特権乱用に対して「恨み」の感情を抱いていると回答した。生活に困窮し、恨みの感情を強めた民衆は暴動に走り、社会不安は一層の激化・拡大が予想される。それは共産党の政権基盤が危うくなることを意味する。

 シナ系評論家の石平氏は、産経新聞24年12月6日号の「China Watch」に習近平政権下の中国の社会情勢を伝えている。
 石氏によると、当時習政権は発足後わずか10日間で、大規模な暴動事件の発生が3件もあった。11月17日習総書記がトップを務めた福建省寧徳市で、地元警察の汚職を疑う市民ら約1万人が暴動を起こし警察を襲った。20日には、浙江省温州市郊外の農村で、変電所建設に反対する地元住民1000人以上が警官隊300人と衝突し、200人が負傷した。21日には、四川省広安市隣水県で、地元公安当局に抗議する住民1万人余りの暴動が起きた。公安当局の車が数台破壊され、20人の市民が負傷した。石氏は、政権発足直後の暴動多発は、「新指導部人事に対する人々の絶望の表れでもあろうが、暴動に至るまでの経緯やその原因をみれば、背後にあるのはやはり、今の体制と社会全体に対する国民の強い反発と不満であると思う」と言う。そして、「今後中国経済の低迷はさらに続き、失業の拡大や貧困層の生活難などの問題がより深刻化すれば、暴動予備軍の裾野はさらに広がっていく。習近平政権は今後、一体どうやってそういう人々を手なずけて民衆の爆発を防ごうとするのだろうか。おそらく彼らに残される最後の有効手段は、対外的な強硬政策を推し進めることによって国民の目を外に向かわせることであろう」と予想する。
 習政権は発足後、軍事的な行動が頻繁になっている。新空母「遼寧」で初の着艦試験、東シナ海と南シナ海で軍事演習を実施、南シナ海周辺を自国領と紹介する軍監修の地図を発売などである。石氏は「内政面で追い詰められているこの政権は樹立早々、すでに危険な方向へと走っているようである」と観測している。
 今年1月19日中国海軍の艦艇が海上自衛隊護衛艦にレーダー照射を行った。管制射撃用のレーダー照射はミサイル攻撃の準備行動と理解される。1月30日には、2度目の照射が行われた。照射により自衛官が被ばくした。この事件は、日中間が尖閣諸島を巡って、かつてない一触即発の状況になっていると見られる出来事である。レーダー照射は、中国政府の指示ではなく、人民解放軍海軍副司令官の指示のようだが、国際紛争は軍が政府を引っ張るために起こす冒険主義的な行動が契機となることがある。またしばしば出先のつばぜり合いが契機となる。現在の中国では、国内の矛盾が増大し、国民の不満感情をそらすために対外的な侵攻にエネルギーを向ける可能性が非常に高くなっている。共産党指導部には、軍の行動をテコにして、政治的目的を達成しようと図る者もいるだろう。

 社会主義国が国家資本主義的な経済発展をし、そこで矛盾が増大した場合、矛盾の解決には、三つの方法があると私は考える。
 第一は、社会主義を放棄し、自由民主主義による改革を行うという方法である。これが最も望ましいのだが、現在の中国は、この方向に進むには、相当時間がかかるようである。
 第二は、共産党が社会主義的な路線に戻り、社会主義的な改革を行うという方法である。私有財産を国有化したり、市場経済をやめて計画経済に戻すというような改革となる。
 第三は、共産党指導部に替わる集団が、社会主義の第二革命を起こし、権力を奪取して社会主義建設をやり直すという方法である。この方法には、ゼネスト・蜂起型とクーデタ型がある。中国の現状では、暴動が拡大するなかで民衆に呼応したクーデタ型のほうに可能性がある。
 私は、現在の中国では、これら三つの中では、第三の社会主義の第二革命の可能性はあると見る。しかし、別の方向に進む可能性はもっと高い。それは、中国共産党のファッショ化である。中国は、平成元年(1989)から猛烈な軍拡を続けている。また共産党政府は、平成5年(1993)以後、江沢民のもと反日愛国主義の教育を行なった。国民は、統制の中で、日本への憎悪と敵愾心をたきつけられている。特に若い世代がそうである。それが、過激な反日的行動となって現われている。そのエネルギーを国外に向ける恐れが十分ある。増大する国民の不満をそらすために、中国政府がファッショ化し、周辺国へ侵攻を行なう危険性がある。そのことを私は繰り返し書いてきた。そして、今秋最高指導者の地位に就いた習近平総書記は、軍を主導して、対外的に強硬な行動を行う可能性がある。
 わが国は、今後中国でどういう展開が進もうとも、しっかりと国を守っていくための備えをしなければならない。まず尖閣諸島の防衛体制を整備し、尖閣への侵攻を防ぐために、現状で可能なあらゆることを実行することが、急務である。
 以下は、石氏の記事。

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●産経新聞 平成24年12月6日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/121206/chn12120611090001-n1.htm
【石平のChina Watch】
暴動予備軍と習政権の行方
2012.12.6 11:07

 習近平政権が発足して数週間、この政権の不吉な未来を予兆するような暗いニュースばかりが中国から伝わってきている。
 たとえば11月27日、中国株の指標となる上海総合指数は久しぶりに2000ポイント台から落ちて約4年ぶりの低水準を記録した。
 新しい政権が誕生した直後に株の「ご祝儀相場」が見られることがあるが、中国の場合、むしろ新政権への「失望相場」となっている。
 同じ日に中国証券報が伝えたところによると、米JPモルガン・チェースが発表した11月の中国市場信頼感指数(JSI)は49・2で、10月の61・2から大幅に低下した。誕生早々の習政権はすでにバブル崩壊中の経済低迷に悩まされている。
 新政権を取り巻く社会情勢はさらに深刻だ。政権発足後わずか10日間で、大規模な暴動事件の発生が3件もあった。
 まず11月17日、習総書記自身がトップを務めた福建省寧徳市で、地元警察の汚職を疑う市民ら約1万人が暴動を起こし警察を襲った。
 20日には、浙江省温州市郊外の農村で、変電所建設に反対する地元住民1000人以上が警官隊300人と衝突し、200人が負傷した。
その翌日の21日には、四川省広安市隣水県で、地元公安当局に抗議する住民1万人余りの暴動が起きた。公安当局の車が数台破壊され、20人の市民が負傷した。
 政権発足直後の暴動多発は、本欄指摘の通り新指導部人事に対する人々の絶望の表れでもあろうが、暴動に至るまでの経緯やその原因をみれば、背後にあるのはやはり、今の体制と社会全体に対する国民の強い反発と不満であると思う。
 例えば広安市隣水県で起きた暴動の場合、オートバイを運転していた住民が警察に殴られたことが事件の発端である。寧徳市の暴動の場合、1件の交通事故の発生が地元警察の汚職疑惑をもたらした。
 普通の国ではおよそ「暴動」と結びつけることのできない、警察による暴力沙汰や汚職疑惑が中国では1万人参加の暴動発生の原因となりうるのだ。
 言ってみれば、今の中国人は何らかの切実な理由があって「やむを得ず」暴動を起こしたというよりも、むしろ暴動をやりたくてうずうずしており、ちょっとした口実でもあればすぐそれに飛びついて一暴れするのである。
 中国のどこの町でも、このような危険極まりない暴動予備軍が常に万人単位で存在しているのであろう。
 この文章の冒頭でも取り上げているように、今後中国経済の低迷はさらに続き、失業の拡大や貧困層の生活難などの問題がより深刻化すれば、暴動予備軍の裾野はさらに広がっていく。
習近平政権は今後、一体どうやってそういう人々を手なずけて民衆の爆発を防ごうとするのだろうか。
 おそらく彼らに残される最後の有効手段は、対外的な強硬政策を推し進めることによって国民の目を外に向かわせることであろう。
 実際、習政権はその発足後数週間、海軍の「虎の子」の新空母で初の着艦試験を成功させたり、東シナ海と南シナ海でそれぞれ軍事演習を実行したり、フィリピンなどと領有権を争う南シナ海周辺を自国領と紹介する軍監修の地図を発売したりして、まさに軍中心の挑発的な行動を頻繁に展開し始めている。
 内政面で追い詰められているこの政権は樹立早々、すでに危険な方向へと走っているようである。
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日銀はマイナス金利政策を~田村秀男氏

2013-02-14 09:31:24 | 経済
 安倍晋三氏は、首相就任前の昨年11月15日、都内のホテルで講演し、日銀の政策金利について「ゼロにするか、マイナス金利にするぐらいのことをして、貸し出し圧力を強めてもらわなくてはいけない」と述べた。日本の政治家で、マイナス金利政策を公言したのは、安倍氏が初と見られる。
 マイナス金利政策とは、昨年7月デンマークの中央銀行が、世界で初めて実施した政策である。中央銀行と市中銀行の間で、貸し手が金利を払い、借り手が金利をもらえることにする政策である。デンマークは、マイナス0・2%の政策金利を導入した。政策金利とは銀行間の短期の取引金利の誘導目標金利のことである。、デンマークは、マイナス金利の導入と同時に、資金供給量を一挙に1・8倍に増やした。マイナス金利と量的緩和を一挙に実行したことによって、、銀行の企業向け貸出金利は下がり、全体の貸し出しも拡大傾向にあると伝えられる。
 産経新聞編集委員の田村秀男氏は、マイナス金利政策を支持し、同紙1月6日号の「日曜経済講座」に次のように書いた。
 「銀行の中の銀行である中央銀行がマイナス金利政策に踏み切ったらどうだろうか。市中銀行が余った資金を預ける中央銀行の当座預金の金利をマイナスにする政策をとればよい。すると、銀行間で資金を貸し借りする短期金融市場金利がマイナスに誘導される。銀行の資金調達コストがゼロ以下に下がるので、貸出金利に反映するはずだ。
 ただし、中央銀行がよほど大きくマイナス金利にしないと、貸出金利はマイナスにまでは下がらない。残念ながら住宅ローンなど消費者向けや中小・零細企業向け貸出金利をゼロ以下にするのは困難だ。それでも、中央銀行がマイナス金利政策をとれば貸出金利低下により、貸し出し需要が大きく増える効果が見込める」と。
 日銀は現在、市中銀行に0.1%の金利を払って、当座預金口座に資金を預かっている。市中銀行は、利回りが0.1%以下に下がった金融資産を日銀に売って、日銀の当座預金口座に預けておけば、金利の差の分、利益を得られる。これでは、市中銀行が中小企業等に積極的にカネを貸し出すはずがない。国民に金融緩和をやっているように思わせながら、実はカネが市中に回らないようにしてきたのが、日銀なのである。
 1998年以降のわが国のデフレの直接的原因は、日銀の緊縮的金融政策にある。このことは、浜田宏一氏、岩田規久男氏らによって、理論的・実証的に明らかにされている。
 政府と日銀は1月22日共同声明を発表した。そこに、「日本銀行は物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする」「日本銀行は、上記の物価安定の目標の下、金融緩和を推進し、これをできるだけ早期に実現することを目指す」等と盛り込まれた。ついにインフレ目標が政策に取り入れられた。ただし、日銀が目標達成に責任を負うことにはなっていない。
 目標を達成する手段は、日銀に委ねられている。浜田氏、岩田氏ら金融政策の専門家は、デフレを脱却し円高を是正するために、まず打つべきは量的緩和であるという。その手段として、日銀が短期国債ではなく長期国債(ただし満期まで期間の長いもの)、CP(社債)等を購入することを提案している。私は、これらの手段に加えて、田村氏の提案するマイナス金利政策も検討に値すると思う。
 田村氏は、先ほどの記事で言う。1月6日付ゆえ、22日の政府・日銀共同声明より2週間ほど前の意見である。
 「安倍首相と白川総裁はこのところ、『2%のインフレ目標』設定で妥協しつつあるように見える。半面で、安倍氏は『マイナス金利』発言を控えているようだ。だが、インフレ目標をかたくなに拒否し続けてきた白川氏を譲歩させるだけで、首相は矛を収めるべきではない。安倍政権の大目標は脱デフレ・超円高是正なのだが、民間の生産と投資を活性化しないと実現しない。それにはまず、日銀の当座預金に張り付いたまま動かない金融機関の余剰資金を中小企業など一般向けに流すよう、日銀政策を転換させる必要がある。日銀の小手先の対応にごまかされてはならない」と。
 デフレ脱却、円高是正のためには、任期終了前に辞任を表明した白川日銀総裁の後任人事が極めて重要である。白川氏は、インフレ目標2%には同意したものの、これまでの日銀の金融政策や日銀流理論の誤りを認めていない。次期総裁は、日銀の官僚的な組織体質・無責任体制を打ち破り、日銀を積極的に改革する人物でなければならない。
 昭和4年(1929)の世界大恐慌後、わが国の経済を立て直した高橋是清は、昭和6年(1931) 犬養毅内閣の大蔵大臣として、デフレ下の日本で積極財政を断行した。高橋は農商務官僚、日銀総裁等を歴任した実務家として、独自の思考で政策を構築した。そして、新規発行の赤字公債を発行して、日銀に直接引き受けさせ、それを財源として政府投資を行った。この時、日銀総裁として高橋に応えて大胆な金融政策を行ったのが、高橋の愛弟子・深井英五である。わが国の景気は、高橋・深井の財政金融政策の連携によって、回復に向った。大恐慌後の世界でわが国はいち早くデフレを脱出した。昭和8年(1933)に始まるアメリカのニューディール政策の先を行っていた。世界に誇るべき偉業であり、見事というしかない。
 今日わが国は、安倍晋三内閣において、安倍総裁と麻生太郎副総理兼財務大臣が、かつて高橋是清の成し遂げたデフレ脱却・円高是正に挑む。これを成功させるには、高橋の右腕となった深井英五に匹敵する人材を日銀総裁にすえなければならない。さらに、日銀に過度の独立性を与えた日銀法(平成10年施行)を改正し、政府と日銀が一体となって財政金融政策を行えるようにすることが必要だと私は思う。
 以下は、田村氏の記事。

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●産経新聞 平成25年1月6日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130106/fnc13010608220001-n1.htm
【日曜経済講座】
編集委員・田村秀男 「インフレ目標」だけでは不十分

2013.1.6 08:19

◆日銀はマイナス金利に転換を
 銀行にカネを預けると金利がつくし、借金すると金利を払うことが当たり前になっている。ここで言う金利とは、プラスの数値である。ならば貸し手が金利を払い、借り手が金利をもらえるマイナスの金利があってもよい。
 よく引き合いに出されるのはドイツなど欧州の一部の信用力の高い国債の金利がマイナスで市場取引されるケースである。ギリシャ、スペインなどユーロ圏で政府債務危機にあえぐ国の国債を持つよりは、金利を払ってでも優等国の国債を買って様子をみる投資家がいるのだ。この場合、実体の経済活動には影響をほとんど及ぼさない。

◆貸し出し需要増の効果
 銀行の中の銀行である中央銀行がマイナス金利政策に踏み切ったらどうだろうか。市中銀行が余った資金を預ける中央銀行の当座預金の金利をマイナスにする政策をとればよい。すると、銀行間で資金を貸し借りする短期金融市場金利がマイナスに誘導される。銀行の資金調達コストがゼロ以下に下がるので、貸出金利に反映するはずだ。
 ただし、中央銀行がよほど大きくマイナス金利にしないと、貸出金利はマイナスにまでは下がらない。残念ながら住宅ローンなど消費者向けや中小・零細企業向け貸出金利をゼロ以下にするのは困難だ。それでも、中央銀行がマイナス金利政策をとれば貸出金利低下により、貸し出し需要が大きく増える効果が見込める。
 このことにいち早く気付いた政治家が安倍晋三新首相である。安倍氏は昨年11月15日、都内の講演で日銀の政策金利について「ゼロにするか、マイナス金利にするぐらいのことをして、貸し出し圧力を強めてもらわなくてはいけない」と述べた。まさに正論である。
 今の日本のようにデフレ不況下では、現金や金融資産のモノに対する価値が上がる。そこで金融機関は安全な国債を買い、残る資金を日銀の当座預金に寝かせる。わずかでも焦げ付きリスクのある借り手に背を向けて、貸し出しを増やさない。
 日銀は表向きこそ、脱デフレのために包括的な「金融緩和」のアクセルを踏んでいると言うが、同時にブレーキをかけている。何しろ、日銀は0・1%のプラス金利を当座預金に付与しているのだ。利回りが0・1%以下に下がった金融資産を日銀に売って、そのまま代金を日銀当座預金口座に預けておけば、銀行員が昼寝していても金利を稼げる。ドブ板を踏んで貸し出し先を探すはずがない。
 安倍提案の5日後、日銀の白川方明総裁は記者会見で「一般論として」と断りながら反論した。マイナス金利による「副作用」について4点ほど挙げたが、中でも「金融機関がマイナス金利のコストを貸出金利に上乗せすることになり、結果的に企業が直面する金融環境が引き締まるという指摘もなされています」と言う。つまり、貸出金利は逆に上がるか、それとも貸し出しを渋るようになる、というのである。プラス0・1%の当座預金の現行政策を死守しようとする意図はありありだが、白川氏は金融機関をそこまで甘やかせ、中小企業などの苦境を放置して平気なのだろうか。
 日本では日銀が無視するせいかほとんど注目されないが、欧州では「テストケース」として金融界で広く注目されているのが、デンマーク中央銀行が昨年7月に踏み切った「マイナス金利」政策である。



◆デンマークで機能発揮

 同中銀は金融機関から預かる預金商品をマイナスにし、銀行間の短期金利(翌日物)をマイナスに誘導している。同時に資金供給量を大幅に増やす量的緩和政策にも踏み切った。銀行の企業向け貸出金利は下がり、全体の貸し出しも拡大軌道に乗った。「デンマークは小国で参考にならない」とけなす向きもあるかもしれないが、先進的な金融市場制度を持つデンマークでは正常な市場機能が発揮されていると読み取れる。
 安倍首相と白川総裁はこのところ、「2%のインフレ目標」設定で妥協しつつあるように見える。半面で、安倍氏は「マイナス金利」発言を控えているようだ。だが、インフレ目標をかたくなに拒否し続けてきた白川氏を譲歩させるだけで、首相は矛を収めるべきではない。
 安倍政権の大目標は脱デフレ・超円高是正なのだが、民間の生産と投資を活性化しないと実現しない。それにはまず、日銀の当座預金に張り付いたまま動かない金融機関の余剰資金を中小企業など一般向けに流すよう、日銀政策を転換させる必要がある。日銀の小手先の対応にごまかされてはならない。
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■追記

この記事ののち、日銀総裁に黒田東彦氏が就任した。黒田氏は、副総裁の岩田規久男氏らとともに、大胆な金融緩和を進めている。
いかに関連掲示を示す。

・拙稿「デフレ下での日銀総裁の条件とは」20130301
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/5e0e59862bd00600dfdf7ffc3626f1f9
・拙稿「消費増税が異次元緩和を失効させた~田村秀男氏」20141111
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/47ad77512dcb7d95e6df0f1be959812c