ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

中国天津大爆発事故で政権に乱れ~石平氏

2015-09-28 09:34:18 | 国際関係
 8月12日中国の天津で爆発事故が起こった。猛毒のシアン化ナトリウムをはじめ硝酸アンモニウム・硝酸カリウム・炭化カルシウム等が貯蔵されている危険物取り扱いの倉庫が爆発したものである。死者は100名以上と発表された。世界第4位の港湾がマヒ状態に陥った。爆発現場では、24トンまでしか保管できないと法律で規定されている危険物が、700トンも置かれていたらしい。あまりにもずさんな保安体制、国民に実態を隠そうとする政府の態度、工場関係者・消防士・周辺住民等の人権の軽視等を見て、中国に幻滅した人々は多いだろう。そのうえ、行方不明者が多数いるにもかかわらず、事故現場を巨大な公園にする計画が発表された。多数の死者ごと事故現場を埋めて隠蔽し、人々の記憶から消し去ろうとするものだろう。共産党が支配する中国は、GDP世界2位の経済大国になったとはいっても、政治、社会、国民の心性は、今も開発独裁の発展途上国と変わらない状態にある。
 石平氏は、産経新聞8月27日付でこの事故を取り上げ、「この処理に際し、中央テレビや新華社、そして国務院と規律検査委の取った一連の行動には『一元的指導』のかけらも感じられない。むしろ、政権内部の乱れと習氏自身の統率力の欠如が露呈されている」と指摘している。
 中央テレビ、新華社の行動というのは、中国中央テレビは現場に出動した北京公安消防総隊幹部の話として、「爆発が起きた付近の大気から神経ガスの成分が検出された」と伝えたのに対し、天津市環境保護局は「検出されていない」と否定し、さらに、新華社通信は専門家の話として「爆発現場では神経ガスは生成できない」と報じたこと。共産党宣伝部直轄の中央テレビが伝えた重要情報を、同じ宣伝部管轄下の新華社が否定し、打ち消すという「前代未聞の異常事態」が起きた。不都合な情報に対する隠蔽工作の疑いもある、と石氏は観測する。
 国務院と規律検査委の行動とは、爆発事故直後に、国務院は「事故対応チーム」を編成し、楊棟梁・国家安全生産監督管理総局長をチーム責任者として現場に派遣した。楊氏は、17日まで現場で事故処理の指揮をとっていたが、ところが、18日になって共産党中央規律検査委員会が突如、現場で事故処理の指揮をとっていた楊氏について「重大な規律違反と違法行為で調査している」と発表し、楊氏はただちに現場から連れ去られ、拘束されたこと。石氏は、事故発生後、「国務院が彼を責任者として現場に派遣したということは、規律検査委の調査が中国政府の中枢であり、楊氏所属の国務院にすら知らされていないということ」である、と指摘する。
 これら2件は、「政権内部の乱れと習氏自身の統率力の欠如」が露呈したものと石氏は、主張する。「成立から3年足らず。一時に強固な権力基盤を固めたかのように見える習近平体制は早くも綻びを見せて、転落への下り坂にさしかかっているようである」と石氏は、述べている。
 以下は、記事の全文。

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●産経新聞 平成27年8月27日

http://www.sankei.com/column/news/150827/clm1508270009-n1.html
2015.8.27 12:50更新
【石平のChina Watch】
天津事故に見た習近平体制の綻び

 中国発の株安が世界経済にパニックを引き起こした。中国経済の自壊が始まるなかで、私が注目したのが、今月12日に起きた天津市の大爆発事故の処理に当たっての政権側の混乱ぶりである。
 たとえば「神経ガス検出」の一件、中国中央テレビは現場に出動した北京公安消防総隊幹部の話として、「爆発が起きた付近の大気から神経ガスの成分が検出された」と伝えたのに対し、天津市環境保護局は「検出されていない」と否定した。さらに、新華社通信は専門家の話として「爆発現場では神経ガスは生成できない」と報じた。
 中央テレビの報道に対する天津市当局および新華社の否定と反論は、「不都合な情報」に対する隠蔽(いんぺい)工作の疑いもあるが、問題は「不都合な情報」であるなら、同じ政権側の中央テレビがなぜそれを出してしまったのか、である。結果的には共産党宣伝部直轄の中央テレビが伝えた重要情報を、同じ宣伝部管轄下の新華社が否定し、打ち消すという前代未聞の異常事態が起きたのである。
 政権内部の乱れが見えてきた別の出来事もある。
 爆発事故直後に、中国政府(国務院)は「事故対応チーム」を編成し、楊棟梁・国家安全生産監督管理総局長をチーム責任者として現場に派遣した。楊氏は天津市の副市長を長く務めた人物で国家の「安全生産」の総責任者だから、この人事は妥当と見るべきであろう。そして楊氏は実際、17日まで現場で事故処理の指揮をとっていた。
 ところが18日になって共産党中央規律検査委員会は突如、楊氏に対し「重大な規律違反と違法行為で調査している」と発表した。楊氏はただちに現場から連れ去られ、拘束されたという。
 規律検査委が楊氏の「違法行為」を調べているなら当然、天津事故以前から始まっているはずだ。つまり事故発生後、国務院が彼を責任者として現場に派遣したということは、規律検査委の調査が中国政府の中枢であり、楊氏所属の国務院にすら知らされていないということだ。
 そして、事故処理の最中に現場の責任者をいきなり失脚させるとは、あたかも政府が急ぐ事故処理を、党の規律検査委が横から妨害しているようにも見える。
 習近平国家主席が自ら「事故の迅速かつ円満な処理」を指示したにもかかわらず、規律検査委はなぜこのような唐突な「妨害行動」に出たのか。
 真相は不明だが、少なくとも、「国家的危機」ともいうべき天津爆発事故への処理に当たって、党の機関と政府が歩調を合わせず、むしろバラバラになって互いを邪魔し合うような状況となっているのは明らかである。
 共産党政権成立以来、何事に当たっても中央指導部の「一元的指導下」で党と政府、宣伝機関などが一枚岩となって行動することは「優良なる伝統」であった。習近平政権になって、習氏自身が指導部に対する全党幹部の「無条件従属」を求め、毛沢東並みの権限集中を図ってきたことも周知の事実である。
 しかし、今回の天津爆発事故の処理に際し、中央テレビや新華社、そして国務院と規律検査委の取った一連の行動には「一元的指導」のかけらも感じられない。むしろ、政権内部の乱れと習氏自身の統率力の欠如が露呈されているだけである。
 こうした中で、政権が全力を挙げて展開してきた「上海株防衛戦」も既に敗色濃厚となっている。習氏肝いりで政権の浮揚策としていた「9月3日反日行事」も世界の主要先進国からソッポを向かれそうな状況である。
 成立から3年足らず。一時に強固な権力基盤を固めたかのように見える習近平体制は早くも綻(ほころ)びを見せて、転落への下り坂にさしかかっているようである。
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コメント

人権205~フィヒテのナショナリズム思想

2015-09-27 06:31:49 | 人権
●フィヒテは自由と統一を目指すナショナリズム思想を展開

 ヘルダーの言語起源論と歴史哲学を発展させ、ナショナリズムの思想を打ち出した思想家が、フィヒテである。フィヒテは、カントの自由に関する倫理思想を発展させたドイツ観念論の哲学者であり、個人にとっての完全な自己決定を実現するために、民族における自己決定を要請した。フィヒテは、またヘルダーの思想を受けつぎ、民族語の保持と民族精神の発揚を訴えた。
 フィヒテにおけるナショナリズム思想は、ドイツがナポレオンのフランスに占領されている状況で樹立されたものだった。フィヒテは、フランス革命に感激し、思想・表現の自由と革命権の擁護を説いた。ところが、革命後のフランスは、周辺諸国に侵攻し、支配下に置いた。ナポレオンは、フランス人権宣言を継承したナポレオン法典を、他のヨーロッパ諸国に普及させて、ヨーロッパを統一することを構想した。1797年からドイツに侵攻したナポレオンは、1806年にライン同盟を結成させ、神聖ローマ帝国を崩壊に導いた。1807年のティルジットの和議によって、プロイセン領土の割譲、貢納金の支払い等極めが約定され、ドイツは、ほぼ全土がフランスの支配下に入った。こうした状況下にあって、ドイツは、封建制を脱して近代化を推し進めながら、ナポレオンからの解放とドイツの統一を目指すという、非常に困難な課題を遂行なければならなかった。
 フィヒテは、ナポレオン占領下のプロイセンで、1807年12月から翌年3月にかけて毎日曜日、14回にわたって、「ドイツ国民に告ぐ」と題した講演を行った。
 フィヒテは、第1回の講演の冒頭で、大意次のように述べる。「独立を失った国民は、時代の潮流に影響を与え、その内容を自由に左右する能力をも失っている。この状態を改めなければ、外国のために解体され、運命を制せられてしまう。この状態から再起するには、新たな世界を開き、新たな時代を作り、その世界を発達させ、その時代の内容を充実させる以外に道はない」。「この講演の目的は、こうした世界を創造する手段を述べることである」と。この再起の手段とは、教育の全面的な改革であるとして、フィヒテは、ドイツの独立と統一を達成するために、祖国愛を高める国民教育の重要性を強調した。また、国民一人ひとりを「精神的な眼」を持った人間へ、「新しい自我」へ改造することが、ドイツ救済の唯一の手段だと訴えた。
 この教育の基礎に置かれるものは、「知識学」と称するフィヒテの哲学である。フィヒテは言う。「知識学は、人間を自然的で所与の現存在から、自由を持った存在へ、自由の自覚へ拡大する」と。ここで「自由な存在」となった「新しい自我」とは、アトム的な個人ではない。フィヒテは、個人の意志と国家の意志が一致するとき、個人はこの国家への没入の内に自由を見出すとする。私見を述べると、ロック=カント的な個人の自由は、ここで集団の一員としての自由となる。集団が自由な意思決定をできてこそ、構成員個々の自由もまた実現し得るという構造である。
 フィヒテは、ヘルダーに学び、ドイツ人に共有の言語であるドイツ語とドイツ人が持つドイツ精神を重視した。ドイツ語はゲルマン民族のもともとの言語であり、生きた言語である。ゲルマン民族でありながら、新ラテン語を話す人々は、死んだ言語を話している。それゆえ、ドイツ語を話すドイツ人には、重要な使命がある。ただし、それは一民族の利己的な繁栄のためではない。フィヒテはドイツ人の使命を、全人類を世界史の発展の次の段階、つまり「自由」と「理性の支配する時代」に導くことにあるとした。彼にとって最終的な目標は人類の進歩であり、また自由の実現だった。教育もそのためのものだった。教育を通じて、ドイツ人を精神的に覚醒させ、ドイツ人が人類の歴史を発展させることによって、「全人類の改良」を目指すという構想である。
 フィヒテは、フリーメイソンに加入していた。先に触れたように、フリーメイソンはアメリカ独立革命やフランス市民革命で重要な役割をした。18世紀末から19世紀の初めにおいてドイツでも知識人の間でメイソンは、少なくなかった。フィヒテは、『フリーメイソンに関する講義』を著している。そこでフィヒテは、「全人類の目標は唯一の結合をつくること」であり、そのために一人一人の自己完成と全人類の共同体の形成を目指しているのが、フリーメイソンに他ならないと述べている。ただし、彼の哲学は、祖国なき世界市民思想ではなかった。フィヒテにおいて、祖国愛と人類愛は対立するものではなく、祖国愛あってこその人類愛だったのである。
 フィヒテのナショナリズムの思想は、ヘーゲルに影響を与えた。へーゲルは、先に書いたように、個人と全体は有機的組織を形づくり、個人の実体は国家であるとし、市民社会は「普遍的究極目的と諸個人の特殊的利益との一体性」であり、「自由の理念の現実態」である国家へと止揚されるべきことを説いた。ヘーゲルの国法哲学は、ナショナリズムの思想であり、ドイツのみならず、英米や日本等にも大きな影響を与えた。
 ナショナリズムの思想は、ドイツにおいて、カントに端を発し、ヘルダー、フィヒテ、ヘーゲルという影響のつらなりを以て発展したのである。

 次回に続く。
コメント

新安保法制のもとで憲法改正へ

2015-09-26 08:53:14 | 時事
 9月19日平和安全法案が成立した。中国・北朝鮮の侵攻から日本を守り、日本人自らの手で日本を再建するための重大な一歩である。当面同法によって安全保障体制を整備したうえで、本来の課題である憲法の改正を行わねばならない。今回の新安保法制は、憲法を改正して、ちゃんとした体制を創るまでのつなぎである。できるだけ早く憲法を改正し、国家を再建して、日本の平和と安全を守る体制を確立しなければならない。
 実際に、存立危機事態、グレーゾン事態、重要影響事態、国際平和共同対処事態、邦人救出や駆け付け警護の必要な事態が発生した時、効果的に対応できるのか。新安保法制は、国際標準から見て決して十分なものではない。この点をよく認識しておく必要がある。
 法案の審議過程及び成立後に出された有識者の発言及び報道記事で、参考になるものをクリップしておく。

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●立命館大学客員教授・宮家邦彦氏の発言

 9月8日に行われた参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」における参考人としての発言
http://blogos.com/article/134463/
 •BLOGOS編集部
 •2015年09月21日 08:44

 (略)今回の法案が、たしかに多数の法律の修正というものを伴う、わかりにくいという議論があることは承知しております。しかし、その理由はちゃんとあるんです。
 最大の理由は「ポジ・リスト」か「ネガ・リスト」かの違いであります。主要国の安全保障法制というのは基本的に「ネガ・リスト」であります。すなわち禁止条項を列挙し、それ以外は実施可能とする構造です。だからこそ各国はシームレスな対応が可能になっています。
 ところが、日本では「ポジ・リスト」。すなわち、実施可能なもののみを列挙して、それ以外はできない。このような虫食い 状態ですから、臨機応変の対応をしようと思えばどうしても、いかなる状態に、危機的状況にも対応できるようにするためには、この「ポジ・リスト」を拡大していくしかないのであります。だからこそ、基本の法令の修正が多くなってしまう。これはある程度、仕方がないのかもしれません。
 もちろん、最もわかりやすい方法は、自衛隊法を「ネガ・リスト」にすればいいのかもしれません。ただしそうすれば、1955年以降、50年代以降の、国会の答弁の積み重ねというのはいったいどうなるんだ、ということを考えれば、やはり「ネガ・リスト」は採用しないとした、今回の判断は正しかったと思っています。

●第29代航空幕僚長・田母様俊雄氏のツイート

田母神俊雄 ‏@toshio_tamogami · 9月17日
野党が実力行使で参議院の審議を妨害。我が国の国会でさえこんなことが起きる。我が国を取り巻く状況を見れば、国外で話し合いですべてが解決することなど考えられない。自分たちが話し合いで解決できないことを証明しておいて、実力行使する国に対して安保法案を準備しなくていいというのはおかしい。

田母神俊雄 ‏@toshio_tamogami · 9月19日
安保法案が可決されてほっとしている。安倍総理の頑張りに拍手を送りたい。しかしこれはまだ国を守る態勢への第一歩でしかない。最終的には自衛隊が世界の軍と同じように国際法、すなわち禁止規定(ネガティブリスト)で動けるようにならなければ、紛争にきちんと対応できない。まだ道は遠い。

●慶應義塾大学総合政策学部准教授・神保謙氏の発言

 9月8日に行われた参議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」におけるにおける参考人としての発言
http://blogos.com/article/134467/
 •BLOGOS編集部
 •2015年09月21日 08:44

 (略)現下の安全保障環境の変化を鑑み、現在提出されている法案でも、なお不充分であり、仮に法案が成立したとしても、不断の体制整備が必要であるという問題意識を、私からは表明させていただきます。(略)
 僭越ながら私見では、平和安全保障法をめぐる最大の論点は、この法案がシームレスな安全保障体制を確保できているかどうかということにあると考えております。しかもその点に関して、私は研究者という立場から現行の提出された法案では充分ではないと考えております。これが、仮に本法案が成立したとしても、不断の体制整備が必要だと冒頭に申し上げたゆえんでございます。
 絞って3つの論点のみ申し上げます。
 第1の論点は先ほど来、申し上げておりますグレーゾーン事態への対応でございます。これは警察権と自衛権の切れ目を埋める方策ということが焦点となっているわけですけれども、この方法に関しましては、海上保安庁及び警察の能力の権限拡大と、自衛隊による警察権の行使の適用拡大という、いわば下から上へのアプローチと、上から下への双方のアプローチがございます。
 今回の安保法制ではグレーゾーンに対して上から下、つまり自衛隊の海上警備行動や、治安出動の迅速な閣議決定の手続きや、平時に活動する米国に対する武器等防護というものを当てはめようとしているわけでございます。当然、私自身も海上保安庁のみで対応できない事態に、自衛隊の出動を柔軟に担保することは重要だと考えておりますが、他方で、もう一方の下から上への作用、つまり海上保安庁の権限拡大については、特に海上保安庁法第20条、これは警察官職務執行法第7条の適用の、規定の準用になっておりますけれども、これに事実上がんじがらめになっている武器使用権限をどうするかということの議論については、依然として本国会では欠落したままになっていると考えております。
 当該事態に対して、海上保安庁の権限、能力を拡大して、警察権、いわば英語でいいますとホワイトホールを拡大するのか、それとも軍事組織を早期に投入する方がいいのかということを考えるのは、これは日本が国家としてエスカレーション管理をどうするのかということの戦略にかかわる問題でございまして、この戦略論こそが法制度に反映されなければいけないと考えているわけでございます。これが第1点です。
 第2の論点は武力行使の「新3要件」として提示された存立危機事態をめぐる問題でございます。私はかねてより、日本が集団的自衛権の行使を認めることは当然という立場で議論をしてきました。この観点から昨年の7月の閣議決定において、武力行使に関する「新3要件」として我が国と密接な関係にある他国を含めたことは画期的であると考えております。 しかしながら、その後段であります「我が国の存立が脅かされ国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という定義が付加された結果、その行使できる範囲が限定されすぎた。限定することは反対しておりませんが、それが限定されすぎたのではないかという懸念をもっているわけでございます。
 例えば、これまでの事例研究でもございましたように、日本以外の他国に向かうミサイルを日本のイージス艦が迎撃できるかどうかは、この解釈によればはなはだ疑わしいところだと言わざるを得ません。このままの状況では日米のミサイル防衛に関する共同行動には重大な支障が生じるという可能性を危惧いたします。
 時間がまいりましたので、最後簡単に述べたいと思います。第3は国際平和協力の改正をめぐる問題でございます。
 今回の改正案の焦点となっているのは、PKOの参加5原則に関して受け入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、駆けつけ警護を含む任務遂行型の武器使用を可能としたということでございます。この方向性自体は、日本のPKO参加を国際標準に合わせていく上で必要不可欠であり、歓迎すべきであるというふうに考えております。
 しかしながら、問題となるのは、その前提となる受け入れ同意が安定的に維持されているという情況認識そのものでございます。現代の中東、北アフリカ、西アフリカにおける秩序の不安定化は、しばしば広域に偏在する越境型の武装組織、これが特に組織化されているわけですけれども、こうした組織による破壊活動によってもたらされております。
 これは国家の分裂等によって、紛争当事者が固定的に存在していた90年代のPKOの状況とは大きく異なるわけでございます。これらの地域に展開される現代のPKOは、越境型の過激組織のテロ活動や急速な治安の悪化等の事態の変化にも対応することが求められます。より現代の実態に即したPKO参画の法的基盤が今後、形勢されるということを望みたいと思います(略)

●産経新聞 平成27年9月21日

http://www.sankei.com/politics/news/150921/plt1509210018-n1.html
2015.9.21 17:44更新
【安保新時代(下)】9条の制約 防衛法制は未完

 (略)「戦争法案」などのレッテル貼りの陰に隠れ、国会審議でほとんど顧みられなかった視点がある。
 「法案はなおも不十分だ。成立しても不断の態勢整備が必要だ」。参院の参考人質疑で、慶応大の神保謙准教授はそう指摘し、一例として集団的自衛権の行使要件を挙げた。
 「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、財産、幸福追求権が根底から覆される明白な危険」。この要件は厳格すぎるほど厳格だ。神保氏が指摘したように、日米共同で北朝鮮の弾道ミサイルに対処中、米国に向かうミサイルの撃墜を、要件の範囲内で実施できるかは微妙だ。それは日米の信頼関係に決定的な亀裂をもたらしかねない。
 国連平和維持活動(PKO)をめぐっても、自衛官が住民保護の際に民間人を誤射してしまった場合、誤射を過失として裁こうにも、日本に諸外国のような軍法会議はない。憲法で禁じられているからだ。
 「『軍法で裁くから許して』という言い訳ができない。重大な外交問題に発展する」。そう指摘した東京外国語大大学院の伊勢崎賢治教授は「PKOの現実としてしっかり想定すべきだ」と強調した。
 今回の法制は、憲法の制約と安全保障の現実的な要請をギリギリの範囲で折り合わせたが、なおも不合理や、足らざる部分は残る。
しかし、それは自衛隊の存在すら規定しない憲法自体に由来する不合理だ。国会論戦ではそうした視点は顧みられず、安全保障の本質的な議論を行うことの難しさを改めて示した。(略)
 日本の安全保障は歴史的な一歩を踏み出した。しかし、首相には憲法改正という大事業が残されている。これを成し遂げない限り、日本の防衛法制は未完のまま終わってしまうだろう。

●帝京大学教授・志方俊之氏の見解

http://www.sankei.com/column/news/150924/clm1509240001-n1.html
 安全保障関連法案の成立はゴールではなくスタートである。現場の部隊が、新しい法律で可能となる任務を遂行するのに必要な態勢をとるため、何をどのように準備するかを検討しなければならない。少なくとも「行動基準(ROE)」を決め、追加が必要な装備、変えるべき編成、訓練の基準を定め、実際に訓練を繰り返さなければならない。(略)
安保法制の背景にあるのは、中国における急速な軍備拡大に対する危機感である。
 尖閣諸島で相次ぐ海警船舶および潜水艦の領海侵犯、海自護衛艦に対する射撃管制レーダーの照射、空自偵察機への戦闘機の異常接近、日中中間線近くでの多数の採掘施設の建設、南シナ海における滑走路建設など、中国は「力による現状変更」を強行してきた。
 さらに9月3日に行われた「抗日戦争勝利70周年」軍事パレードでも分かるように、核弾道ミサイル戦力の強化を顕示した。非核政策を堅持するわが国としては、米国の核抑止力に全面的に依存することから、日米の協力体制を強化する必要性を多くの国民が感じとったはずである。
 野党が学生や知識人を使って安保法制の成立を阻止しようとしたが、それをなし得なかったのは議席数のせいだけではない。中国の軍事的拡大にいかに対応するのか、野党としての政策や、そのための法整備の代案を国民に示し得なかったことによる。
 自衛隊が今回の法制に盛られた新しい任務に関して準備することは、先に示した「行動基準」という狭い意味のものだけではない。とくに陸上自衛隊は、南西諸島防衛に適した「戦力開発」を行わなければならない。監視部隊やミサイル部隊を配置するだけではなく、上陸した敵を排除し島を奪還する「水陸両用団」、空自の新型輸送機で全部隊を運べる装備と編成を持つ「即応機動連隊」を開発し、西への備えを強化しなければならない。
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 上記の有識者の提案は、以下のように整理できるだろう。

・自衛隊が禁止規定(ネガティブリスト)で動けるようにする。
・海上保安庁の権限・能力(武器使用含む)を拡大して警察権を拡大するのか、それとも軍事組織を早期に投入する方がいいのかを決める。
・武力行使の新3要件によって行使できる範囲の限定が厳しすぎないか、見直しを行う。
・自衛隊のPKO活動を越境型の過激組織のテロ活動や急速な治安の悪化等の事態の変化にも対応できるようにする。
・新安保法制のもとでの自衛隊の「行動基準(ROE)」を決め、追加が必要な装備、変えるべき編成、訓練の基準を定め、実際に訓練を繰り返す。

 これら以外に必要なこととして、集団的自衛権を限定的に行使することになった新安保法制下における領域警備法の制定の検討がある。新安保法では、グレーゾーン事態について電話閣議による緊急対応を決めたが、領域警備については規定されていない。そのため、グレーゾーン事態への対処には、依然として隙がある。
 民主党と維新の党が共同で領域警備法案を提出すると報じられていたが、結局提出されなかったようである。集団的自衛権の行使を認めずに領域警備法を作っても戦争抑止力は強化されず、あまり実効性がないものとなっただけだろう。今度は新安保法が成立したところで、あらためて領域警備法を作る必要がある。新法を作るのでなく、既存法を改正して、そこに盛り込むのでもよい。今のままでは、中国の民間船が尖閣諸島を包囲したり、武装民間人(偽装含む)が離島を上陸占拠することを、事前に防ぐことができないと思う。
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人権204~ナショナリズム思想の発生

2015-09-25 08:57:04 | 人権
●カントからナショナリズムの思想が発生した

 ドイツ観念論は、人権の発達史において重要な役割を果たした。それは、その哲学的展開から、マルクス主義とともにナショナリズムの思想が登場したことである。ナショナリズムについては、第6章で理論的に検討した。ここでは、思想史的な側面を見ていきたい。
 ナショナリズムの研究者のうち、その思想史的な考察をしたのが、エリ・ケドゥーリーである。ケドゥーリーの著書『ナショナリズム』によると、ナショナリズムの理論的出発点は、カントにおける人間の自律性の主張にある。カントの倫理思想の中核にある自己決定の観念が、彼の後継者たちの道徳的政治的論説の支配的観念となった。フィヒテによって、個人にとっての完全な自己決定を実現するために、民族における自己決定が要請されるに至った。
 私見によれば、カントは、人間は自分の意志で行為する、その限りでのみ人間は自由である、と説いた。カントは、次のように言う。「自由はあらゆる理性的存在者の意志の特質として前提されねばならない」。カントの自由は、自らの意志で法則を制定するという積極的な概念であり、積極的概念の自由は、自律と同義である。カントは、意志の自律とは「意志が彼自身に対して法則となるという、意志のあり方のこと」であるとする。自らの意志で自己の法則を制定できること、道徳の領域における立法者であることである。
 ドイツにおけるカントの継承者たちは、こうしたカントの倫理思想から、個人と集団が一致する国家理論を作り上げた。人間の目的は自由である。自由とは自己実現であり、自己実現とは普遍的意識への完全な没入である。したがって個人と国家が一体になった時、個人は初めて自由を実現するという理論である。カントの自律的存在は個人が主体だったが、その主体を集団に置き換え、集団が意志の自由を持つ時にこそ、その構成員である個人も意思の自由を持つ、という論理が成り立つ。その論理からナショナリズムの思想が発生・発達した。

●ヘルダーは、民族の言語・精神の独自性を説いた

 ナショナリズムの発生・発達に重要な影響を与えたのが、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーである。ヘルダーは、若いカントの天文学や自然地理学等の講義を聴いて感銘を受けた。だが、普遍的規則のものさしをあてはめる啓蒙主義や自然科学的な合理主義に反対するヘルダーは、理性批判や歴史哲学において、カントの論敵となった。ヘルダーは『言語起源論』(以下、『起源論』、1772年)で、普遍的理性の一元性に解消することのできない各民族の言語の生命を説き、また言語ひいては理性の歴史的発達という構想を述べた。その構想のもとに、『人間性形成のための歴史哲学異説』(1774年)、『人間性の歴史哲学への構想』(以下『構想』、1784年)等で、民族の多様性を重んじる立場から、人類とその知性の発達に関する歴史哲学を展開した。
 ヘルダーは、『起源論』の冒頭に「人間は動物としてもすでに言語を持っている」と書いて、言語が神から与えられたという言語神授説を批判した。動物語から人間の言語が生まれたのは、人間の精神的な能力によると説いた。『構想』においては、次のように主張した。「人間の理性と文化とは言語から始まる」「ただ言語のみが人間を人間らしくする」「言語は必ず、個々の民族の言語」であり、「民族は一つの言語共同体として、実に顕著な独自の生を持っている」と。ヘルダーは、民族への共感、感情移入の必要性を強調し、文学の民族性を重視し、各言語の民謡などのうちに「民族の声」を聞き取り、それを通して歴史的風土的に発達した「民族精神(Volksgeist)」を見出そうとした。民謡の収集は、19カ国語に及ぶ。
 ヘルダーは、言語の多様性に注目することによって、人類の普遍性に対して民族の特殊性を位置づけた。諸民族・各時代は固有性を持っており、他の尺度によって測られるべきでない。進歩は反面では喪失であり、歴史に永遠なものは存在しない。だが、それにもかかわらず、歴史は全体として、「人間性(Humanitate)」の形成という神の計画を表現しているという歴史観を打ち立てた。
 ヘルダーによると、人間は自然の一部であり、人間の生活はすべて日々歳々の地球の運行に拘束される。「人間性」は、人間が直立歩行することによって形成され始めたが、多様な「風土」に応じて諸民族の多様な性格となって展開してきた。気象、山脈、河川等の地理的条件の相違によって、生活様式や性格、考え方の違いが生まれる。また、人間は言葉の習得によって「理性」を持つに至り、自然の根源的な流れは、精神の内の流れとなる。精神としての人間は、他の人間との交渉や教育によって人類の一員になるが、歴史の中で先祖からの文化を継承することによってこそ、真の人間となる。 
 「個人における人間性の形成は、精神的発達、教育によって、その両親や教師と友人と、彼の生涯の経歴における一切の環境と、したがって民族や民族の先祖と、最後に実に、何か一つの項において彼の精神力の一つと接触している人類全体の鎖と連関している」とヘルダーは言う。
 ヘルダーにとって、人間性とは民族の興亡盛衰を通して形成されてきたものであり、カントの定言命法におけるような、行為の努力目標や理想として掲げられるものではない。現実の人間のうちに既に発現しており、また絶えず発達しつつあるものである。
 ヘルダーは、多様性は宇宙の基本的特徴の一つであり、神の目的であるとした。あらゆる文化、あらゆる個性は、他と比較し得ない固有の価値を持つだけでなく、それぞれの固有の特性を発達させる義務がある、と説いた。このようなヘルダーの思想は、各民族が固有の言語を尊重して民族精神を発揚し、それによって全人類の人間性の発達への貢献を求めるものである。和辻哲郎は、主著『倫理学』でヘルダーにつき、「いかなる民族もそれ自身の特殊性において独自の意義を担い、その独自性のままで充分に人道(註 人間性)の実現たりうるとせられる」と論評した。
 私は、ネイションとエスニック・グループを区別する。第6章に詳しく書いたが、前者は近代主権国家の国民、後者は前近代や非西欧にも存在してきた民族とする。またナショナリズムとエスニシズムを区別する。前者は近代国際社会における国家主義・国民主義、後者は世界史に広く見られる民族主義である。この視点から、ヘルダーの思想はエスニシズムであり、エスニシズムからナショナリズムの思想が生まれる土壌となったと考える。ただし、ヘルダーのエスニシズムは、独善的で偏狭な思想ではなく、人類的な観点を持つ思想だった。それは、彼が当時の多くの知識人が加入したフリーメイソンの一員だったことにもよっているだろう。
 ヘルダーは、人間性を固定的なものではなく発達途上のものとした。また歴史と風土の中で、エスニックな特徴を示しながら発達するものとした。この考え方は、いわゆる人権は歴史的・社会的・文化的に発達する権利であるとすると見方に通じるものである。

 次回に続く。
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ギリシャ総選挙で与党勝利

2015-09-24 08:52:32 | 経済(ユーロ)
 ギリシャで9月20日国政総選挙が行われた。与党・急進左派連合(SYRIZA)が中道右派の最大野党・新民主主義党(ND)を抑えて勝利し、チプラス前首相が新首相に就任した。
 一院制で定数300のところ、SYRIZAの獲得議席数は145議席で過半数に届かなかった。10議席を獲得した右派の独立ギリシャ人党との連立を継続する。
 チプラス氏は本年1月、反財政緊縮策を掲げて前回選挙に大勝し、首相に就任した。だが、ユーロ圏離脱や財政破綻の危機に陥ったことで方針を転換し、緊縮策を伴うEU支援の受け入れを決めた。これに対し、SYRIZAの党内から反緊縮路線から転換したことに反発する造反者が続出し、チプラス政権は事実上少数派政権となった。この状況を打開し政権基盤を立て直すために、チプラス氏は、新方針について国民の信を問う選挙に打って出た。その結果、予想を超える形で勝利を収めた。SYRIZAは前回選挙時の149議席から微減したが、造反組が離党した改選前の124議席から党勢をほぼ回復した。逆に、SYRIZAを離脱した反緊縮強硬派が結成した「民衆統一」は、全く議席を獲得できなかった。チプラス氏が賭けに勝った形である。
 チプラス氏は、選挙結果を受け、「われわれには困難が待ち受けているが、展望はある」と述べ、EUの金融支援の下、財政再建路線を堅持する考えを強調したと報じられる。だが、チプラス政権の行く手には、数多くの難問が待ち受けている。来月(10月)には860億ユーロ規模の金融支援に伴う次回の融資実行の可否の判断のため、EU等による緊縮策の履行状況の審査が迫っている。新政権にとっては、国内銀行の資本増強が急務となる。チプラス首相は債務負担が軽減されない限りギリシャは景気後退から脱却できないと主張しているが、まずこの審査を通過しなければ、首相がEU側に求める膨大な政府債務の負担軽減策の議論は始まらない。
 また、支援条件である年金改革や税制改革、公営企業民営化が実行されねばならない。トルコ経由でギリシャに流入する移民らへの対応も迫られている。移民の流入に有効な対処が出来なければ、国内事情は悪化し、国際的な評価は低下する。
 拙稿「ギリシャ財政危機でユーロ圏が揺れている」に、私は「ギリシャ問題は単なる経済問題ではなく、またヨーロッパ地域の問題だけでもなく、米欧とロシア・中国の世界的な勢力争いの一つの焦点になっている」「世界情勢への影響は、今後、ギリシャがユーロ圏にとどまるにせよ、離脱して独自の道を進むにせよ、ギリシャ国民に自力で自国を再建しようという意思があるかどうかによって変わってくるだろう」と書いた。今後のギリシャの動向が注目される。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12-1a.htm

 以下は、関連する報道記事。

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●ロイター 平成27年9月21日

http://jp.reuters.com/article/2015/09/21/gr-elex-idJPKCN0RL1J720150921
[アテネ 21日 ロイター] - ギリシャで20日に行われた議会(一院制、定数300)選挙は、チプラス前首相率いる与党・急進左派連合(SYRIZA)が145議席を獲得し、中道右派の最大野党・新民主主義党(ND)に勝利した。
 SYRIZAの得票率は約35%。選挙前にSYRIZAと連立を組んでいた「独立ギリシャ人」は、得票率3.7%で10議席を獲得した。
 選挙結果を受け、チプラス氏は21日午後に首相に就任。860億ユーロ規模の支援策の1回目の見直しを来月に控え、第2次チプラス政権にとり国内銀行の資本増強が急務となる。
チプラス氏は債務負担が軽減されない限りギリシャは景気後退から脱却できないと主張。SYRIZA幹部は、チプラス氏は債権団との債務軽減をめぐる交渉を「最初の重要な戦い」と位置付けているとしている。
 チプラス氏はSYRIZA内で新たな支援策の内容をめぐり対立が見られたことを受け、国民の真意を問うために解散総選挙を実施。世論調査の結果を超える票数を獲得し、連立相手は1党のみで済みことから、より自由な政策運営が可能になると見られる。
 政治評論家のアリスティデス・ハトツィス氏は今回の選挙結果について、「チプラス氏は個人的に大きな勝利を収めた。同氏はかつてない政治的な主導権を手にした」と指摘。一部アナリストの間では、チプラス氏が強い指導力を発揮できる立場を獲得したことで、債権団との交渉がこじれ、ギリシャによるユーロ圏離脱につながる恐れが出てくる可能性もあるとの懸念も出ている。
 コンサルタントのユーラシア・グループによると、ギリシャが向こう2年間にユーロ圏を離脱する確率は30%となっている。 (略)
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人権203~ヘーゲルからマルクスへ

2015-09-23 08:44:20 | 人権
●ヘーゲルの絶対的観念論からマルクスの史的唯物論へ

 ヘーゲルは壮大な観念論哲学の体系を構築した。その思想は、キリスト教の信仰に基づくものであり、彼流にキリスト教の教義を哲学的に体系化したものである。それゆえ、キリスト教に関する基本的な理解が変わると、その体系は崩壊に向かう可能性を秘めていた。ヘーゲルの死後、ダーフィト・シュトラウスが『イエスの生涯』(1835~36年)で、福音書は事実の記録や故意の創作ではなく神話であり、原始キリスト教団の宗教的理念の象徴的な表現だとする聖書神話説を打ち出すと、激しい論争が起こった。その結果、へーゲル学派は左派、中間派、右派に分裂した。新たな思想を生み出したのは左派で、シュトラウスの解釈を支持する集団で、青年ヘーゲル派とも呼ばれる。
 左派に属したルートヴィヒ・A・フォイエルバッハは、『キリスト教の本質』(1841年)で、キリスト教で神として疎外され崇拝されてきたものは、人間の「類的本質」に他ならない、神は人間が自己の願望の対象を理想化した幻影にすぎない、と説いた。フォイエルバッハは、ヘーゲル哲学の本質は神の彼岸性を否定する点にあるとし、「神学の秘密は人間学であり、神学の本質の秘密は人間の本質であること」を知らねばならない、「神の主体は理性である。しかし、理性の主体は人間である」と述べた。ヘーゲル批判を通じて、フォイエルバッハは唯物論に転じた。
 フォイエルバッハの説について私見を述べると、宇宙には万物を生々流転させる理法にして力が実在する。科学はこれを対象的に認識しようとするが、これを人格化してとらえることは可能である。神話や宗教の多くは、宇宙の理法にして力を人格化し、象徴的に表現している。ユダヤ民族も日本民族もアーリア民族も同様である。とらえ方や表現の仕方は異なるが、対象は同一である。キリスト教はユダヤ民族が人格化した神を、唯一男性神として崇拝する。その人格化された神を否定しても、理法にして力は宇宙に実在する。それをカミと呼ぼうが、存在と呼ぼうが、ブラフマンと呼ぼうが、人間の認識に関わらず実在する。このように考えると、フォイエルバッハのキリスト教批判は、キリスト教が人格化した神(God)を否定し、その人間学的または心理学的な解明をしたことにはなっても、人格化される前の本源の神(the godhead)を否定するものにはならないのである。
 だが、フォイエルバッハ以降、キリスト教の人格神を否定することで無神論に転じ、同時に宗教一般を否定できたつもりの唯物論者が、近代西欧には多く現れた。その代表格が、カール・マルクスである。マルクスは、市民革命の後の時代になるが、市民革命の時代に現われた思想の影響範囲になるので、ここに記しておく。
 マルクスは、フォイエルバッハの説を受けて観念論を批判し、史的唯物論を唱導した。マルクスは、ヘーゲルが依拠した宗教については「宗教は、悩める者のため息であり、心ある世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である」として、現実の変革を主張した。(『ヘーゲル法哲学批判序説』) そして歴史はヘーゲルの説くような絶対精神の自己展開ではなく、階級闘争の歴史であるとする唯物史観を打ち出した。その思想は、マルクス主義と呼ばれる。近代西洋文明では、キリスト教以後、最大の影響力を振るった。
 マルクスは『経済学批判』(1859年)の序言で唯物史観を定式化している。「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的生活諸過程一般を制約する」「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。そのとき社会革命の時期がはじまるのである」と。こうした歴史観を以て、マルクスは、社会的不平等の根源を私有財産に求め、私有財産制を全面的に廃止し、生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り、人間社会の諸悪を根絶しようとする理論を説いた。
 ロックは、所有権を自然権とした。だが、マルクスは、所有権が自然権であることを否定する。私有財産制は、生産力の発達段階において現れたものとする。ロックの説く普遍的・生得的な権利はブルジョワジーの階級意識の表現として、これを批判した。権利は階級闘争によって発達してきたものであり、人間一般の権利を認めない。権利は、共産革命によってプロレタリアート(無産階級)が戦い取るべきものとした。
 マルクスと盟友のフリードリヒ・エンゲルスは、プロレタリアートとなった労働者階級を組織し、革命を起こすことによって、共産主義社会を実現することを目標とした。共産主義とは、コミュニズムの訳語である。コミュニズムとは、コミューンをめざす思想・運動を意味する。コミューンとは、私有財産と階級支配のない社会であり、個人が自立した個として連帯した社会であるとされる。それは、新しい人的結合による社会だという。エンゲルスは、『反デューリング論』(1878年)で、建設すべき共産主義社会について、「人間がついに自分自身の社会的結合の主人となり、同時に自然の主人、自分の自身の主人になること――つまり自由になること」「必然の王国から、自由の王国への人類の飛躍である」と書いた。マルクス=エンゲルスは、その社会について、具体的には語っていない。むしろ語れなかったというべきだろう。想像の中にしかない社会であり、空想に近いものだったからである。
 しかし、マルクス=エンゲルスは、共産主義を科学的社会主義とも自称した。彼らによる共産主義こそ、啓蒙思想の一つの帰結である。無神論・唯物論・物質科学万能の思想は、合理主義を極端に推し進めたものである。極度の合理主義としての共産主義は、人類に大きな災厄をもたらすことになる。

 次回に続く。

関連掲示
・マイサイトの「共産主義」の項目
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion07.htm
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カナダ、豪州、米国・加州で慰安婦の像・碑の設置が阻止

2015-09-22 08:47:54 | 国際関係
 8月16日、米サンフランシスコ市の中華街で「海外抗日戦争記念館」が開館した。抗日戦争記念館が中国国外に設置されるのは初めてだった。観光客が多い全米最大規模の中華街に、反日拠点が置かれることになった。これに続いて、サンフランシスコ市議会では、慰安婦碑または像の設置を支持する決議案が市議らから提案され、9月22日も採決される可能性がある。9月17日の委員会審議と公聴会を前に韓国人元慰安婦が表彰されるなど、決議案支持の動きが進んでいる。
 中韓は反日で共闘し連携して各国で慰安婦の像または碑の設置を進めている。これに対し、設置を阻止しようとする現地日本人・日系人の努力が続けられている。本年4月にはカナダ・バーナビー市で、8月には豪州・ストラスフィールド市、米カリフォルニア州フラトン市の議会で、その設置が否決または見送りがされた。少しづつ流れは変わってきている。
 フラトン市での設置反対の日本人の活動については、クリス三宅さんがご自身のブログ「L.A発、よみがえれ我が祖国・日本!」に報告を書いている。転載にて紹介する。
http://nipponeseclub.blog70.fc2.com/

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「L.A近郊のフラトン市の博物館で計画されていた「慰安婦像」建立が中止となった!

あのマイク・ホンダ同様、反日で、下院外交委員会議長のエド・ロイスや、昨年、カリフォルニア州下院議員に選出された韓国系のヤング・キムのお膝元のフラトン市で計画中だった「慰安婦像建立」は中止となった。
ヤング・キムの御主人は韓国の抗日団体の大幹部だが、フラトン市議会、博物館側は「慰安婦像」設置に「ノー」を決定した!

この勝利の立役者は、みなさん御存知の米軍海兵隊の退役軍人で、日系退役軍人会前会長のロバート和田氏だ。さすがに名誉ある退役軍人には政治家であろうが、韓国系であろうが、反論はできまい。

以前、ブエナパークでの「慰安婦建立計画」も実質、阻止したのは、なでしこアクションとロバート和田氏の功績、それに多くの現地、日本のサポーターの御協力によってこういう結果を呼び込んだ。
カナダのバーナビー市の「慰安婦像建立」を阻止したのも、現地、及び多くの日本のサポーター、ロバート和田氏のメールも影響していると思う。 

ロバート和田氏は85歳だが、締まった体に、マッチョな考え方の元海兵隊員だ。往年のアクションスターが、いい歳を重ねているような、魅力的な人だ。

数時間前に市議で、慰安婦反対を唱えていたJan Flory女史からロバート和田氏に電話があり、中止決定を知らせてくれたそうだ。
和田氏は数多くの手紙や和田氏自身が出版した本を博物館関係者や市議に送ったが、誰一人として何も言ってこないので、時間と労力を無駄にしたかと思っていた矢先のいい知らせだった。

Jan Flory市議からの電話で、博物館関係者には「慰安婦像建立」に反対していた人が多かったことを聞かされた。どうも韓国系団体、KAFCが強引に通そうとしていたようだ。

博物館側はKAFCに対して、もし「慰安婦」関連で訴訟を起こされたら、博物館は一切関与しないが、KAFCは全責任をとれるのか?と追求されて、KAFCは「慰安婦像建立」を断念した!

これでフラトン市近郊にお住まいの日本人や日系人はホッと一息だ。

この勝負は、またもや退役米軍海兵隊員、日本人連合に軍配が上がった!
バンザーイ!万歳!日本政府、外務省も今後は気合いを入れて頑張れ!
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 以下は関連する報道記事のクリップ。

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●産経新聞 平成27年4月18日

2015.4.18 07:00更新
http://www.sankei.com/world/news/150418/wor1504180012-n1.html
慰安婦像設置は「当面保留」 カナダ西部バーナビー市 日系住民の反対奏功

【ロサンゼルス=中村将】カナダ西部のブリティッシュコロンビア州バーナビー市に、韓国の姉妹都市や現地の韓国系住民らが慰安婦像の設置を提案していた問題で、同市のコーリガン市長が像設置の判断を当面保留する決断をしたことが分かった。地元日系住民らの反対が奏功した形だ。
 コーリガン市長は15日に発表した声明で、「(韓国側からの)提案を検討する初期段階で、情報収集したり、住民らの意見を聞いたりした結果、地元の日系カナダ人社会などにおいて懸念が生じる可能性があることに気づいた」とし、現状のままでは設置計画を進めないことを表明した。今後については、「日系と韓国系の双方が納得する提案がなされれば、そのとき検討する」と含みを持たせた。
 韓国側からの提案が表面化して以降、日系住民側は直筆の反対署名を少なくとも500人分以上集め、市に提出。このほか、インターネットで1万3千人分以上の反対署名が集まった。市や公園管理当局に現地の日系人らが反対理由を直接説明したほか、米国の日系人らも反対の手紙を送るなどしていた。
 韓国側の提案は、バンクーバー市との境にある森林公園「セントラルパーク」内にある朝鮮戦争戦没者記念像の近くに慰安婦像を設置するもの。2月には除幕式を行い姉妹都市の華城市の市長も参加する計画だったとされる。碑文に「韓国の女性が日本軍に強制連行され、性奴隷にされた」などと記されることも提案されていたという。保留になったことで韓国側の働きかけが強まる可能性もある。
 一方、声明には「最近、日系社会と韓国系社会が和解と協力を促進するための対話への意思を示している」とし、双方が納得する提案があれば、改めて検討するとしている。ただ実際にそうした動きは見られないため、「懐柔策」との疑念を持つ日系住民もいる。
 カナダで慰安婦像設置の動きが浮上したのはバーナビー市が初めて。自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」でも取り上げられた。

●産経新聞 平成27年8月11日

http://www.sankei.com/politics/news/150811/plt1508110022-n1.html
2015.8.11 20:27更新
【歴史戦】
慰安婦像設置案を全会一致で否決 シドニー郊外の市議会で豪州初の判断 「反日運動で地域分断」懸念も

 【シドニー=吉村英輝】オーストラリア最大都市シドニー郊外のストラスフィールド市で、韓国系と中国系市民らが公共の場に「慰安婦像」を設置するよう嘆願していた問題で、同市は11日、特別議会を開き、全会一致で設置を認めないことを決めた。中韓系市民らは「旧日本軍が少女らに売春を強要していた」と主張し、豪州内で慰安婦像を10カ所設置するなどと表明してきたが、自治体による初の判断が示され、今後、実現は困難になった。
 特別議会で、ある女性市議は「慰安婦は私たちの問題ではない」と指摘。市長も、事務局から今月、戦争の英雄などを顕彰する市の記念碑設置基準の「どれにも該当しない」と見送り勧告を受けたとし、市長を含む市議6人全員が設置に反対した。設置を唱えていた韓国系市議は、関係者という理由で冒頭で退席した。
 この日の採決に先立つ公聴会では、一般の賛成派と反対の市民各4人が意見を表明。嘆願運動を行った中国人男性は「20万人の女性が旧日本軍の犠牲になった」と述べ、人権意識向上のため設置を要求した。
 一方、同市に住むオーストラリア人男性は、賛成派団体が市役所前で日本語で「安倍は日本の恥だ」などと書かれたプラカードを掲げていたことを明らかにし「慰安婦像設置の本質は反日運動で、地域社会の分断につながる」と訴えた。
 今回の問題で同市議会は昨年4月、判断を連邦や州政府に委ねると決議したが差し戻されていた。

●産経新聞 平成27年8月16日

http://www.sankei.com/politics/news/150816/plt1508160002-n1.html
2015.8.16 00:45更新
米に「抗日戦争記念館」、中国国外で初のオープン サンフランシスコの中華街…15日に前倒し

 【サンフランシスコ=中村将】日中戦争での対日抗戦を顕彰する「海外抗日戦争記念館」が15日(日本時間16日)、米カリフォルニア州サンフランシスコの中華街で開館する。抗日戦争記念館が中国国外に設置されるのは初めて。観光客が多い全米最大規模の中華街に、反日拠点が置かれる。
 館長には在米女性実業家、フローレンス・ファン(中国名・方李邦琴)氏が就任。設置計画が発表された昨年7月、関係者は「記念館では戦時中の日本軍の残虐行為を示す歴史的な写真と記録などを展示する」と説明していた。
 当初は中国が定める9月3日の「抗日戦争勝利記念日」に合わせて開館する計画だったが、ファン氏は今年3月、中国を訪問し、終戦の日の8月15日に開館を前倒しすると発表していた。開館を翌日にひかえた14日、館内では展示物の陳列作業などが行われた。

●産経新聞 平成27年8月21日

http://www.sankei.com/world/news/150821/wor1508210017-n1.html
2015.8.21 08:40更新
【歴史戦】
韓国どう出る? 米フラトン市が慰安婦碑設置見送りへ 反対署名受け、カナダ・豪州に続き

 【セドナ(アリゾナ州)=中村将】韓国系団体から慰安婦碑の設置を提案されていた米カリフォルニア州フラトン市の博物館が、設置を見送る方針を固めたもようだ。設置に反対していた米国市民に19日(現地時間)、同市市議から「設置されない」と連絡があった。慰安婦像や碑をめぐっては、4月のカナダ・バーナビー市、今月の豪州・ストラスフィールド市に続く設置見送りで、反対派の日本人や米国人の働きかけが功を奏した形だが、韓国側の出方が注目される。
 碑の設置を提案したのは、同州グレンデール市の慰安婦像設置を推進した「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム」(KAFC)。フラトン市議会は昨年8月、KAFCが提案した、慰安婦問題を人身売買と関連づけて日本政府を非難する決議案を賛成多数で採択した。
 フラトン市は、米連邦下院外交委員長で、慰安婦問題で日本非難を続けるエド・ロイス議員の選挙区の一部。市議会で決議案が採決された際、ロイス議員も訪れ、決議案に賛成の立場からスピーチしていた。
 これを受け、慰安婦碑を市立博物館の敷地内に設置する提案がなされ、在米日本人や日系米国人らによる大量の反対署名や電子メールなどが同博物館に寄せられた。こうした背景などから、設置に反対する博物館委員も少なくなかったといわれる。慰安婦像・碑の設置は最近、歴史認識より地域の調和といった観点から見送られる傾向にある。

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人権202~独観念論を極限まで進めたヘーゲル

2015-09-21 08:51:02 | 人権
●ドイツ観念論を極限まで進めたヘーゲル

 ゲオルク・W・F・ヘーゲルは、フィヒテの絶対我、シェリングの同一性を批判しつつ、独自の思考を展開した。ヘーゲルは、『精神現象学』において、「絶対知」という概念を提出し、人間理性は精神の弁証法的な上昇運動によって神的理性に達し得ることを主張した。そして、絶対精神の自己展開としての体系的な哲学を構築した。
 ヘーゲルは、感覚から始まる人間知の歩みは、絶対知にまで到達しなければならないと考えた。「宗教の最高段階であるキリスト教は、人間知の絶対性を内容としながらも、神人一体の理念をイエスという神格に彼岸化し、その内容を表象化している。この彼岸性・表象性・対象性を克服したところに絶対知が成り立つ」とした。宗教と哲学とは同一内容の異なった形式であり、宗教はまだ絶対知ではない。「哲学は人間知の絶対性にまで達成しなければならない」と説いた。
 啓蒙主義によって、近代西洋人は、人間理性への自信を強め、自信のあまり、人間の知力でできないことは何もないかのような錯覚を生じ、人間が神に成り代わったかのような傲慢に陥った。人間がすべてを知り得るという思想は、人間理性が全体知と絶対的真理を知り得るというヘーゲルでその頂点に達した。カントによる悟性に対する理性の優位は、ヘーゲルで徹底された。
 ヘーゲルは、理性を悟性と区別される弁証法的思考の能力とした。分析的な悟性が固守する有限なものの対立を融解させ、相互の一面性を否定して制限から解き放ち、高次の統一の新たな契機としてそれらを高め保存する働きを、理性とした。また、心の能力としての静的で同一な従来の理性を、歴史において自らを展開し実現する理性へと転換させ、悟性をこの生成する理性の契機とみなした。
 弁証法は、もともと対話・弁論の技術の意味だったが、ヘーゲルは、現実世界の一切の運動の原理とした。有限者はすべて自己に内在する矛盾を動因として対立物を生み出し、それを媒介として共により高次の段階へ止揚されると主張するヘーゲルは、弁証法を思考と存在の統一的な論理とした。それゆえ、ヘーゲルの理性は、弁証法的かつ歴史的な理性である。
 ヘーゲルは、「これまでの哲学史を貫く一本の『太い糸』を発見して、これを合理的法則によって説明しなければならない」と考え、その「太い糸」をイデー(理念)と名づけた。イデーは、プラトンのイデア(観念)を継承したものである。
 プラトンのイデアは、現象界の事物の原型・模範であり、超感覚的で永遠不変の真実在を意味した。イデアは道徳、存在、自然等の統一的で超越的な原理だった。ヘーゲルのイデーは、「人間の理性によって到達し得る最高の真理」を意味し、その点ではプラトンのイデアに通じるが、人間の歴史において顕現し、自己発展するとした点が独特である。叡智界に想定されるイデアが現象界に歴史的に展開するというヘーゲルの発想は、キリスト教から来ている。キリスト教は始源から終末に向かう直線的な歴史における救済を説く。ヘーゲルはその宗教的な歴史観を哲学で表現したのである。
 ヘーゲルのイデーは、人類の歴史の中に顕現して弁証法的に自己発展していく絶対精神とされた。ここで弁証法的とは、神の原初的同一性が疎外(外化)され、これが止揚されてより高い同一性に還帰するという過程的な構造をいう。また絶対精神については、『歴史哲学講義』(1831年、死後出版)の序論に、ヘーゲルは次のように書いた。「魂を導くヘルメスに似て、イデーこそが、まさに民族や世界の真の導き手であり、精神の持つ理性的かつ必然的な意思は、いつの時代にあっても現実の事柄を導くことにある。この精神が世界を導くさまを認識するのが我々の哲学的な歴史の目的である」と。また同書の末尾では、「日々の歴史的事実は、神なしに起こり得ないということのみならず、歴史的事実がその本質からして神自らの作品であることを認識する」と述べている。このように、ヘーゲルの絶対精神とは、人間の精神を通した思想や行動によって自己表現されていく精神のことである。歴史哲学の一部をなす『宗教哲学』では、「人類の歴史発展の根底には、人間が絶対精神にまで自らを向上させたいという願望と、その理想を実現したいという営為努力があった」と述べている。
 本稿の主題である人権との関係では、自由と国家の関係についての所論が注目される。ヘーゲルは、絶対精神の自己展開としての歴史は自由の実現を目的とするとし、「自由はまさに精神の本質である」と説いた。歴史において個々人の動きを通して自己を主張しているのは、理性であるとし、それを世界精神と呼んだ。世界精神は歴史の主体であり、自由の真の領域である国家においてのみ具体的に自己を実現する、とした。ヘーゲルは、『法の哲学』(1821年)で、家族、市民社会、国家を即自、対自、即自かつ対自の弁証法的な三段階とし、市民社会の諸矛盾は国家においてすべて止揚されると説いた。ヘーゲルがとらえた市民社会は、個々人の欲求の体系であり、「人間を原子的孤立状態に解体させ」「個人的私益を求める万人の万人に対する戦場」だった。ヘーゲルは、個人と全体は有機的組織を形づくるのであり、個人の実体は国家であるとし、市民社会は「普遍的究極目的と諸個人の特殊的利益との一体性」であり、「自由の理念の現実態」である国家へと止揚されるべきことを説いた。
 知識の範囲と限界を示したカントと、絶対知に到達しようとするヘーゲルは、哲学的な立場は大きく異なる。だが、自由を追求する点は共通する。彼らは、現実の社会で自由を実現しようと運動したのではなく、道徳や法に関する哲学の中で自由の理念を追求したのである。

 次回に続く。
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「ギリシャ財政危機でユーロ圏が揺れている」をアップ

2015-09-20 10:36:04 | 経済(ユーロ)
 ギリシャは本日が国会総選挙ですね。結果によっては、連立政権の脆弱さから、また揺れが起こるでしょう。9月2日から13日にかけてブログとMIXに書いた拙稿をまとめて、マイサイトに掲載しました。通しでお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■ギリシャ財政危機でユーロ圏が揺れている
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12-1a.htm
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平和安全法案成立! 次は憲法改正へ

2015-09-19 09:45:30 | 時事
 平和安全法案が参議院で可決、成立しました。中国・北朝鮮の侵攻から日本を守り、日本人自らの手で日本を再建するための重大な一歩です。次は、本来の課題である憲法改正に向けて頑張りましょう。
 来夏の参院選が天下分け目の戦いとなります。偏向したマスメディアの世論操作や中韓朝の反日工作を押し返して、日本人の魂の覚醒を呼びかけてまいりましょう。

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