●イラク戦争がアメリカへの反発を強めた
トッドの著書「帝国以後」は、2001年(平成13年)9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件の約1年後に刊行された。本書は、トッドのアメリカ論であり現代世界論であるが、その中でトッドは9・11以後のアメリカの行動を批判している。
一方、ハンチントンは、9・11同時多発テロが起こる5年前に刊行した著書「文明の衝突」で、アメリカ国民に警告していた。アメリカが現代世界を唯一の超大国が支配する一極体制であると誤認し、自国の思想や文化を普遍的なものと考えて、他の文明に押し付けないようにすべきだと言うのである。トッドは「帝国以後」でハンチントンの理論や主張を批判しているが、この二人のアメリカに対する見方には、共通する点が多くある。
ハンチントンは、トッドより早い時期から、冷静にアメリカの衰退を観察している。現在の世界は超大国アメリカと複数の地域大国による一極・多極体制であるが、やがて世界は真の多極体制に至るとハンチントンは予想した。こうした長期的な予想のもとに、アメリカが西欧という自分の文化的な根を自覚し、西欧と連携して、西洋文明として団結することを提案した。
ブッシュ子政権は、ハンチントンの警告・提言を無視するように、9・11の翌月、アフガニスタンに侵攻した。ハンチントンは、事件の約1年後、「2001年9月11日以降、『文明の衝突』で示した理論で、国際社会が直面する問題をより明確に説明できるようになったと私は確信している」「世界貿易センタービルとペンタゴンへの攻撃は、ある意味で『文明の衝突』で述べたことの証明になった」と著書「引き裂かれる世界」(ダイヤモンド社)に書いている。ただし、この事件は、西洋文明とイスラム文明の文明単位の衝突ではなく、アメリカとイスラム諸国の一部、イスラム過激派の争いとハンチントンは認識していた。そして、イスラム世界全体を敵対化させてはならないと警告した。
ところが、ブッシュ政権は、9・11の2年後、2003年(15年)3月にイラク戦争を開始した。アメリカは多数の国々に参戦を求め、戦争を拡大した。その行動は、イスラム文明諸国の激しい反発を買った。これはハンチントンの主張とは、反対の行動だった。イラク戦争は、正規軍同士の戦闘はその年のうちに終了したが、今もイラク国内では戦闘が続いている。
ハンチントンの警告・提言がブッシュ子政権に受け入れられなかったのは、政権の中枢をネオコンが占めていたからである。冷戦の終結後、アメリカは世界で唯一の超大国となった。このとき、アメリカの世界的な覇権を確立するために、その圧倒的な軍事力を積極的に使用すべきだという戦略理論が登場した。それが、ネオ・コンサーバティズム(新保守主義)、通称ネオコンである。ネオコンの多くはユダヤ系であり、親イスラエルの軍事強硬論者である。
ハンチントンは、ネオコンの戦略と行動を批判した。ハンチントンは「文明の衝突」を避けるように提案したのだが、ブッシュ子政権は「文明の衝突」を自ら作り出したのである。
●ネオコンがドイツを離脱させた
トッドは、「帝国以後」の出版後、各国のメディアに自著について書いたり、識者との対談に応じたりした。日本にも来て、講演や対談を行なった。それらをまとめたものが、「『帝国以後』と日本の選択」(2006年、藤原書店)である。本書(以後、「日本の選択」)において、トッドは、9・11以後のアメリカとヨーロッパの関係について、意見を述べている。
トッドは、次のように言う。「ハンチントンの文明の衝突論は西洋文明とイスラムの間の衝突が問題でしたが、アメリカとヨーロッパの間に衝突が起こったのは皮肉です」と。イラク戦争は、米欧の間に反目を引き起こした。もっともそれはハンチントンの言う「衝突(clash)」にまではいかない。またアメリカの行動によって米欧が対立することのないように、ハンチントンは警告していた。しかし、ハンチントンの警告を無視して独仏連合の離脱を招いたのは、ネオコンである。
トッドは、ネオコンについて「日本の選択」で次のように言う。「アメリカは単に金融の上で世界に依存しているだけでなく、もはや世界の周辺になってしまった。つまり金融的に世界に依存し、そして世界の片隅、周辺に位置している。もはや世界の中心ではない。それをいかにイデオロギーとして、アメリカこそが世界の中心だという言説をでっち上げるのかが、ネオコンの役割だったのです」と。
ハンチントンは、1998年(平成10年)に日本で行った講演「21世紀における日本の選択」で、アメリカが共通の文化を持つヨーロッパとの健全な協力関係が、超大国アメリカの「孤立を防ぐための最も重要な手段」であると説き、特にドイツとの関係が「対ヨーロッパの鍵」となることを指摘していた。しかし、ブッシュ子政権によるイラク戦争は、フランスの反発を買い、さらにドイツの離反を招いた。これを見た非西洋文明の諸国が、反米的な姿勢を強め、アメリカは苦境に立った。
ハンチントンが対ヨーロッパの鍵としたドイツについて、トッドは次のように言う。
「第2次大戦の敗者であり、アメリカによって負かされ、そしてアメリカによって改造された二つの国、そして経済大国になったのはドイツと日本です」「大戦で負けた二大大国ドイツと日本は、アメリカ・システムの二本の柱でした。ドイツも日本も主要な輸出工業国です。この二国を支配している限り、合衆国は本当の意味で世界の主人でした。したがってドイツの支えを失ったことは極めてつらいことでした」と。
トッドは、根っからの感情的反米主義者ではない。戦後のアメリカについては、自由主義的民主主義を守り、広めた国として高く評価している。しかし、経済的に他国に依存する略奪者となったアメリカ、弱小国に侵攻して存在を誇示するアメリカ、イスラム諸国を力で変革しようとするアメリカを厳しく批判するのである。
次回に続く。
関連掲示
・9・11については、拙稿「9・11~欺かれた世界、日本の活路」をご参照ください。トッドやハンチントンは、同時多発テロ事件に関する米国政府の公式発表内容を疑っていないが、私は、ブッシュ政権が事件に関与した可能性が高いという見方をしている。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12g.htm
トッドの著書「帝国以後」は、2001年(平成13年)9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件の約1年後に刊行された。本書は、トッドのアメリカ論であり現代世界論であるが、その中でトッドは9・11以後のアメリカの行動を批判している。
一方、ハンチントンは、9・11同時多発テロが起こる5年前に刊行した著書「文明の衝突」で、アメリカ国民に警告していた。アメリカが現代世界を唯一の超大国が支配する一極体制であると誤認し、自国の思想や文化を普遍的なものと考えて、他の文明に押し付けないようにすべきだと言うのである。トッドは「帝国以後」でハンチントンの理論や主張を批判しているが、この二人のアメリカに対する見方には、共通する点が多くある。
ハンチントンは、トッドより早い時期から、冷静にアメリカの衰退を観察している。現在の世界は超大国アメリカと複数の地域大国による一極・多極体制であるが、やがて世界は真の多極体制に至るとハンチントンは予想した。こうした長期的な予想のもとに、アメリカが西欧という自分の文化的な根を自覚し、西欧と連携して、西洋文明として団結することを提案した。
ブッシュ子政権は、ハンチントンの警告・提言を無視するように、9・11の翌月、アフガニスタンに侵攻した。ハンチントンは、事件の約1年後、「2001年9月11日以降、『文明の衝突』で示した理論で、国際社会が直面する問題をより明確に説明できるようになったと私は確信している」「世界貿易センタービルとペンタゴンへの攻撃は、ある意味で『文明の衝突』で述べたことの証明になった」と著書「引き裂かれる世界」(ダイヤモンド社)に書いている。ただし、この事件は、西洋文明とイスラム文明の文明単位の衝突ではなく、アメリカとイスラム諸国の一部、イスラム過激派の争いとハンチントンは認識していた。そして、イスラム世界全体を敵対化させてはならないと警告した。
ところが、ブッシュ政権は、9・11の2年後、2003年(15年)3月にイラク戦争を開始した。アメリカは多数の国々に参戦を求め、戦争を拡大した。その行動は、イスラム文明諸国の激しい反発を買った。これはハンチントンの主張とは、反対の行動だった。イラク戦争は、正規軍同士の戦闘はその年のうちに終了したが、今もイラク国内では戦闘が続いている。
ハンチントンの警告・提言がブッシュ子政権に受け入れられなかったのは、政権の中枢をネオコンが占めていたからである。冷戦の終結後、アメリカは世界で唯一の超大国となった。このとき、アメリカの世界的な覇権を確立するために、その圧倒的な軍事力を積極的に使用すべきだという戦略理論が登場した。それが、ネオ・コンサーバティズム(新保守主義)、通称ネオコンである。ネオコンの多くはユダヤ系であり、親イスラエルの軍事強硬論者である。
ハンチントンは、ネオコンの戦略と行動を批判した。ハンチントンは「文明の衝突」を避けるように提案したのだが、ブッシュ子政権は「文明の衝突」を自ら作り出したのである。
●ネオコンがドイツを離脱させた
トッドは、「帝国以後」の出版後、各国のメディアに自著について書いたり、識者との対談に応じたりした。日本にも来て、講演や対談を行なった。それらをまとめたものが、「『帝国以後』と日本の選択」(2006年、藤原書店)である。本書(以後、「日本の選択」)において、トッドは、9・11以後のアメリカとヨーロッパの関係について、意見を述べている。
トッドは、次のように言う。「ハンチントンの文明の衝突論は西洋文明とイスラムの間の衝突が問題でしたが、アメリカとヨーロッパの間に衝突が起こったのは皮肉です」と。イラク戦争は、米欧の間に反目を引き起こした。もっともそれはハンチントンの言う「衝突(clash)」にまではいかない。またアメリカの行動によって米欧が対立することのないように、ハンチントンは警告していた。しかし、ハンチントンの警告を無視して独仏連合の離脱を招いたのは、ネオコンである。
トッドは、ネオコンについて「日本の選択」で次のように言う。「アメリカは単に金融の上で世界に依存しているだけでなく、もはや世界の周辺になってしまった。つまり金融的に世界に依存し、そして世界の片隅、周辺に位置している。もはや世界の中心ではない。それをいかにイデオロギーとして、アメリカこそが世界の中心だという言説をでっち上げるのかが、ネオコンの役割だったのです」と。
ハンチントンは、1998年(平成10年)に日本で行った講演「21世紀における日本の選択」で、アメリカが共通の文化を持つヨーロッパとの健全な協力関係が、超大国アメリカの「孤立を防ぐための最も重要な手段」であると説き、特にドイツとの関係が「対ヨーロッパの鍵」となることを指摘していた。しかし、ブッシュ子政権によるイラク戦争は、フランスの反発を買い、さらにドイツの離反を招いた。これを見た非西洋文明の諸国が、反米的な姿勢を強め、アメリカは苦境に立った。
ハンチントンが対ヨーロッパの鍵としたドイツについて、トッドは次のように言う。
「第2次大戦の敗者であり、アメリカによって負かされ、そしてアメリカによって改造された二つの国、そして経済大国になったのはドイツと日本です」「大戦で負けた二大大国ドイツと日本は、アメリカ・システムの二本の柱でした。ドイツも日本も主要な輸出工業国です。この二国を支配している限り、合衆国は本当の意味で世界の主人でした。したがってドイツの支えを失ったことは極めてつらいことでした」と。
トッドは、根っからの感情的反米主義者ではない。戦後のアメリカについては、自由主義的民主主義を守り、広めた国として高く評価している。しかし、経済的に他国に依存する略奪者となったアメリカ、弱小国に侵攻して存在を誇示するアメリカ、イスラム諸国を力で変革しようとするアメリカを厳しく批判するのである。
次回に続く。
関連掲示
・9・11については、拙稿「9・11~欺かれた世界、日本の活路」をご参照ください。トッドやハンチントンは、同時多発テロ事件に関する米国政府の公式発表内容を疑っていないが、私は、ブッシュ政権が事件に関与した可能性が高いという見方をしている。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion12g.htm