ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

集団的自衛権は行使すべし19

2008-01-31 12:01:38 | 憲法
●集団的自衛権に関する当初の政府解釈

 集団的自衛権の行使は、憲法解釈の問題である。現行憲法が明文的に行使を否定しているものではない。戦後わが国の政府は当初、集団的自衛権を保有することを認めていた。ところが、その後、政府解釈が変化してした。1950代の鳩山首相・岸首相の時代は、集団的自衛権の行使を可能としていたが、昭和47年(1972)以降、特に56年(1981)以降、政府解釈が変更され、憲法上、集団的自衛権は行使できないという解釈が定着した。
 当初の政府解釈はどういうものだったか。

 講和条約の発効により主権を回復した後、昭和29年(1954)12月、日本民主党の鳩山一郎が首相となった。翌年、日本民主党は、保守合同によって、自由民主党となり、鳩山は自民党総裁として首相を続けた。彼は、昭和31年(1956)12月まで3次にわたって首班の地位にあった。
 昭和30年(1955)、第2次鳩山内閣の杉原荒太防衛庁長官は、国会答弁で次のように答えている。
 「日本は独力で、これは日本の自衛ということそれ自体も難しいと思います。やはり日本としては集団防衛、集団自衛ということは、やはり日本を守っていくために実際上必要である」
 昭和31年(1956)2月、鳩山首相は、衆院内閣委員会で防衛問題について答弁した。当日鳩山は公務で委員会を欠席したので、船田中(ふなだ・なか)防衛庁長官が首相答弁の要旨を代読した。内容は、以下のようである。
 「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して滅亡を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう攻撃を防ぐのに万やむをえない必要最小限度の措置を取ること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」
 誘導弾とは、ミサイルのことをいう。この時点でアメリカのほかに核兵器を持っていたのは、日本周辺ではソ連だけだった。鳩山は、ソ連を想定している。場合によって、ソ連の核ミサイル基地を攻撃することは、憲法上可能だという見解を、鳩山は明らかにしたわけである。この点は、直接集団的自衛権に関するものではない。むしろ自衛権そのものについての見解である。現在の政治家の多くは、専守防衛という政策があたかも国是であるかのように言うが、独立回復後、数年のうちの日本の政治家は、国防のための攻撃は、憲法上可能という見解を取っていたのである。
 
 鳩山の引退の後、石橋湛山が首相となったが、病気のため、短期間で内閣総辞職となり、昭和32年(1957)2月、岸信介内閣が成立した。岸は、日米安保条約の改定を最大の課題とした。 
 岸は、「いっさいの集団的自衛権を持たない、憲法上持たないということは言い過ぎ」「他国に基地を貸して、協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている」などの国会答弁を行なった。昭和33年(1958)6月に成立した第2次岸内閣の防衛庁長官となった赤城宗徳は、「憲法第9条によって制限された集団的自衛権」という表現を用いた答弁をしている。
 昭和34年(1959)同内閣の藤山愛一郎外務大臣は、国会答弁で次ぎのように答えた。在日米軍基地への攻撃に絡んで、「(日米が防衛のため)お互いに共同動作をするということは、当然の帰結」「発動の方法は個々であろうとも、共同動作をとって参りますことは、集団的自衛権を行使することになろう」と。この外相発言を受けて、高橋通敏外務省条約局長は、次ぎのように答弁した。「そのような権限を憲法の範囲内でわれわれは持っている」が、「外国の領土において外国を援助する、(略)そういう意味のいわゆる集団的自衛権の行使、これは日本の憲法にいう自衛権の範囲には入らない」と。集団的自衛権は行使できる、ただしその行使には制限があるという解釈である。高橋は、日米安保条約の改定案作成にも携わった。
 このように岸内閣は、集団的自衛権について、現在の憲法上行使不可という政府解釈とは異なり、集団的自衛権は憲法上保有しており、制限はあるが行使できるという見解だった。集団的自衛権の行使の可否は、問題にもしていない。当然可であるが、制限されるという見解である。

 次回に続く。

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集団的自衛権は行使すべし18

2008-01-30 09:34:16 | 憲法
●憲法改正なしの新安保もまた制限的
 
 現行憲法及び旧安保条約のもとで、わが国は主権を制限され、軍事的にはアメリカの非保護国的な地位にあった。この状態を改めようと、重光外相はダレス国務長官と交渉したが、ダレスは重光に対し、アメリカが日本を防衛することを義務付けるような相互的な条約に安保条約を改正するためには、その前提として、まず日本が憲法を改正し、対等な立場で集団的自衛権を行使できるようにならなければならない、と要望していた。わが国では、現行憲法がわが国に移植したアメリカ型の自由主義・デモクラシーと、戦後日本に拡大したソ連型の共産主義が国民に広がり、憲法改正や自主国防に反対する意見が強まっていた。安保条約を巡る日米の交渉は、こう着状態に陥った。
 この状態を破ったのは、駐日大使として赴任したGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーの甥ダグラス・マッカーサー2世である。マッカーサー駐日大使は、昭和33年(1958)2月、新安保条約の草案を、ダレス国務長官に示した。
 この提言は、それまでダレスが重光に突きつけていた方針を転換するものだった。わが国の憲法改正と集団的自衛権への制限解除という課題を棚上げし、その実現を待たずに、安保条約を相互性のあるものに改定する。すなわち、日本には基地提供の義務はあるが、アメリカには日本を防衛する義務はないという一方的で片務的な条約を改め、アメリカの防衛義務を明確にした相互的な安保条約を締結しようという提案である。
 結局、マッカーサー大使が提案したこの基本的な枠組みのもとで、安保条約の改定が行なわれることになった。昭和35年(1960)6月、わが国の国論を二分した安保問題は、岸信介政権のもとで新条約の締結となった。それによって、安保条約の片務性は、一定程度改善された。しかし、あくまで現行憲法の規定の範囲内での改定だから、わが国の非保護国的な地位が根本的に改善されたわけではない。
 旧安保条約の改定の交渉過程で、集団的自衛権に関する課題が浮かびあがった。ダレス・重光会談以来、実に半世紀以上にわたって、この課題は未解決であり続けている。それは取りもなおさず、現行憲法を制定時の規定のまま固守しているからこその事態なのである。

 片務性を残したまま改定された新安保条約は、昭和35年(1960)6月23日に施行された。新条約は、第5条に次のように定めている。
 「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。 」

 ここで「いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、(略)共通の危険に対処するように行動する」は、集団的自衛権の概念そのものである。「対処するよう行動する」というのだから、集団的自衛権を行使しないのではなく、行使するという規定である。ただし、この行使は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」行うとする。これは、憲法第9条の解釈として論じられ、集団的自衛権を行使できるかどうかという論点で議論されるが、日米安保第5条自体、憲法が集団的自衛権を認め、その発動には憲法の諸条項が関係することを前提としている。
 私は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」という規定は、日米それぞれの憲法における行政と立法の関係等を踏まえたものだと思う。たとえば、わが国は、憲法の下に定められた自衛隊法により、内閣総理大臣が自衛隊に防衛出動を命じるには、国会の承認を要する。憲法が三権分立や文民統制を定めているからである。
 新安保条約第5条は、日米両国が自衛権の行使、集団的自衛権の行使を相互に義務付け合ったものである。条文の始めに、「日本の施政の下にある領域」とある。施政領域内という地理的範囲、空間的限定を条件としている。日本の施政権内での米国への攻撃には、日本も共同行動をとる義務がある。日本がこの行動をとる根拠は、日本の集団的自衛権に基づく。
 しかし、施政領域外の韓国や台湾での米軍や、日本周辺の公海公空で米軍が、武力攻撃を受けた時に、日本が集団的自衛権を行使して正当防衛援助の行動に出ることを約束したものではない。当然、アメリカ本土まで自衛隊を行かせるのではない。そういう地理的条件のもとに、集団的自衛権の行使を日米が相互に義務付け合ったものである。それにもかかわらず、わが国は憲法上、集団的自衛権の行使は一般的にできないというのは、破綻した主張である。

 次回に続く。

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集団的自衛権は行使すべし17

2008-01-29 19:42:57 | 憲法
●被保護的な旧安保と集団的自衛権への制限

 日米安保条約は、昭和26年(1951)9月8日に締結された。その交渉の過程で、集団的自衛権に関する議論がされた。
 昭和26年7月、アメリカ側は、「極東における国際の平和と安全の維持」のために駐留米軍が日本の基地を使用できる旨を、安保条約の第1条に挿入するように求めてきた。交渉の結果、条文は、次のように決まった。

 「平和条約(註 講和条約と同じ)及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。」

 ここに「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」とある。これが、今日にまでいたる極東条項の起源である。日本国内の基地を使用する米軍は、日本国内およびその付近における武力攻撃の発生に対応するだけでなく、「極東における国際の平和と安全の維持」というより広い地理的範囲において行動することが前提となっている。わが国の側からすれば、必ずしもわが国の防衛には関係しない事態においても、米軍が基地を使用することを認めさせられたということになる。その点で、この条項は、アメリカから押し付けられた条項ということができる。
 また、より大きな問題は、「一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助」という部分にある。これは、わが国の治安維持を究極的にはアメリカに委ねるという軍事的な保護―被保護の関係を定めたものである。
 そして最大の問題は、この条約は、わが国には基地を提供する義務はあるが、アメリカには日本を防衛する義務があると明記されていないことである。

 当時のわが国の指導者は、日米安保条約は、旧敵国である戦勝国・占領国との間で、わが国が不利な条件で結ばざるを得なかった不平等条約であることを理解していた。だから、この条約を改正することに心血を注いだ。
 昭和30年(1955)8月、鳩山政権の重光葵(まもる)外相が訪米し、ジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談した。訪米の最大の目的は、不平等条約としての安保条約の改定を要請することだった。重光は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約(試案)」という安保改定案を準備して、会談に臨んだ。ダレスは、相互防衛条約への改定を求める重光に対し、「憲法がこれを許さなければ意味がない」「自衛力が完備し憲法が改正されて、初めて新事態といえる」と答えた。ダレスは、安保改定の要請を受け入れるには、その前提として、まず日本が憲法を改正し、対等な立場で集団的自衛権を行使できるようにならなければならないと強調したのである。

 昭和32年(1957)年3月、日米安保条約に改定案作成に、当時の外務省条約局長・高橋通敏が携わっていた。高橋らによる改定案は、集団的自衛権について、次のように記していた。
 「憲法9条の解釈上、日本に自衛権があり、その自衛権には国連憲章上、個別的のそれと集団的のそれとがありうるとしても、日本の持ちうる集団的自衛権は、自国の防衛のため他国の助けを借りうるという消極面に限られていると解すべきで、集団的自衛権があるからといって、他国と本格的な相互防衛条約を結んで他国の領域までも防衛するとなすことは(中略)、憲法9条の趣旨をあまりに逸脱した解釈であると考えられる」と。
 この記述は、現行憲法の下で集団的自衛権の行使は可能であるが、行使の範囲は第9条によって制限されるという見解である。また第9条の規定内でわが国の持ちうる集団的自衛権は、「自国の防衛のため他国の助けを借りうるという消極面に限られており、他国と本格的な相互防衛条約を結んで他国の領域までも防衛するという積極的な形での行使はできないとするものである。言い換えれば、わが国は、他から助けを受けるのみで、他を助けることはできないという被保護的な立場にあるということを示すものである。

 私は、ダレスが言ったことは重要だと思う。ただし、彼は、勝者・占領者・保護者の側から課題を指摘している。この課題をを日本人の立場から言えば、わが国が独立主権国家として主権を十全に回復するには、憲法を改正しなければならない。改正によって、国防を整備し、その一環として集団的自衛権の行使が可能であることを明確にする。そのうえで改めて自らの主体的な意思で、外国と相互防衛条約を結ぶ。これが日本の再建と自立の道である。集団的自衛権の問題は、単にその問題だけでなく、わが国の国家主権の問題の一部として重大なのである。この根本課題の実行を避けて、集団的自衛権の行使のみを追及する姑息な仕方は、かえってアメリカへの従属構造を一層深め、固定するおそれがある。この問題状況は、鳩山・重光の時代から、50年以上変わっていない。なぜなら、わが国は、旧敵国アメリカに押し付けられた憲法を一字一句改正せずに、今日に至っているからである。

 次回に続く。

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集団的自衛権は行使すべし16

2008-01-28 09:33:49 | 憲法
●日米安保条約は、集団的自衛権に基づく

 講和条約と同時に日米安保条約が発効した。日米安保条約は、講和条約にある集団的自衛権の承認のもとに、昭和26年(1951)9月8日に締結されたものである。
 この旧安保条約は、前文に以下のように定めている。

 「平和条約(註 講和条約のこと)は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。 」

 明らかに集団的自衛権のもとに、日米の安全保障条約は締結されている。もしわが国が憲法上、集団的自衛権を行使できないものならば、この条約は締結し得ない。憲法違反となる。

●日ソ共同声明も、集団的自衛権を確認

 ソ連は、サンフランシスコ講和条約への調印を拒否した。そのため、日ソ間の国交断絶が続いたが、わが国はソ連と独自に交渉を行い、昭和31年(1956)10月19日、日ソ共同宣言を発した。同宣言においては、3のb項に集団的自衛権に関する定めがある。

 「(略)日本国及びソビエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛権の固有の権利を有することを確認する」

 この共同宣言も、講和条約、日米安保条約と同様に、個別的かつ集団的自衛権を固有の権利として確認している。
 日ソ共同宣言が発表された同じ年の12月、それまで日本の国連加盟に反対していたソ連が、加盟支持に転換し、わが国の加盟が実現した。

●国連加盟によって、加盟国として自衛権を保全

 このようにわが国は、国連加盟までに、講和条約、日米安保条約、日ソ共同声明においてそれぞれ個別的また集団的自衛権の確認を受け、ついに国連に加盟することにより、国連加盟国として、国連憲章の以下の条文の適用を受ける立場となった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第51条
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 以上のように、わが国が、個別的又は集団的自衛権の固有の権利を有することは、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約、日ソ共同声明、そして国際連合憲章とも共通して認めている。

 次回に続く。

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集団的自衛権は行使すべし15

2008-01-26 08:35:58 | 憲法
●主権回復と国連加盟は、集団的自衛権の確認のうえ

 日本国憲法は、昭和21年(1946)11月3日に公布され、22年5月3日に施行された。この憲法の下、わが国は昭和26年9月8日に連合国側49国との間でサンフランシスコ講和条約を締結した。27年4月28日講和条約の発効と同時に、独立を回復した。
 講和条約締結の際、吉田茂首相は単独で、日米安保条約に署名した。この条約に基づき、占領軍の主力だった米軍部隊は在日米軍となり、日本駐留を続けた。
 独立回復後、わが国は、すぐ国連への加盟を申請したが、ソ連など社会主義諸国の反対を受け、なかなか実現しなかった。昭和31年の日ソ共同宣言と日ソ国交回復によって、この障害がなくなり、同年12月18日に国連加盟が実現した。

 日本は、国連加盟以前に締結したサンフランシスコ講和条約、日米安保条約、日ソ共同宣言において、個別的自衛権とともに集団的自衛権を認められている。国連加盟においては、当然、新たな加盟国として、個別的自衛権とともに集団的自衛権を確認された。これらの条約では、国際社会の常識として、集団的自衛権の保持と行使を分けていない。保有と行使を分けるのは、わが国でしか通用しないわが国政府独自の解釈である。
 また、わが国は現行憲法のもとで、これらの条約を結んだ。憲法が集団的自衛権の行使を、全面的に否定しているのであれば、講和条約・日米安保・日ソ共同声明・国連加盟とも、憲法に違反する。集団的自衛権を認める条約を締結し、また国連に加盟し得たということは、憲法が集団的自衛権の保持・行使を認めているという解釈によらねばならない。憲法と矛盾する条約は批准できないからである。
 戦後わが国の政府は、当初、集団的自衛権を保有することを認めていた。ところが、その後、政府解釈が変化してしまった。1950代の鳩山首相・岸首相の時代は、集団的自衛権の行使を可能としていた。それが、昭和47年(1972)以降、特に56年(1981)以降、政府解釈が変更され、憲法上、集団的自衛権は行使できないという解釈が定着した。
 この過程を確認しておこう。

●講和条約は、日本の集団的自衛権を認めている

 サンフランシスコ講和条約が締結された際、わが国は連合国より、集団的自衛権の保有を承認された。時に第5条C項である。同項に以下のようにある。

 「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛権の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」

 講和条約締結の時点では、わが国は国連に加盟していない。連合国は未加盟の旧敵国・日本に対し、個別的及び集団的自衛権を認めたわけである。我が国の側も、もし日本国憲法が集団的自衛権を全面的に否定しているのであれば、講和条約にこうした規定が盛り込まれることはありえない。わが国も講和の対象国も双方ともに、わが国が個別的また集団的自衛権を固有の権利として有することを確認したのである。

 次回に続く。

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集団的自衛権は行使すべし14

2008-01-25 12:09:59 | 憲法
●9条解釈と集団的自衛権

 そもそも自衛権は、国家の正当防衛権である。そのうち個別的自衛権は、自国のためにする正当防衛権であり、集団的自衛権は自他相互のために行なう正当防衛権である。
 第9条第1項は、国権の発動としての戦争、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇及び武力行使を放棄することを定めているが、これは不戦条約及び国連憲章と同旨である。不戦条約では、実質的な集団的自衛権が留保され、国連憲章において始めて明文化された。国連憲章では、個別的かつ集団的自衛権の行使は、単に国家固有の権利であるにとどまらず、同時にまた国際的責務ともなっている。したがって、これと同旨の第9条1項が集団的自衛権を否定するという解釈は、無理がある。
 憲法第9条が禁止しているのは侵略戦争及び侵略的な武力による威嚇及び武力行使であり、これを目的とする陸、海、空軍ならびに他の戦力の保持、ならびに交戦権である。第9条は自衛権を認めており、自衛のための戦力の保有を禁じてはいない。そう解するならば、国内法上その行使が禁止されていると解すべきでない。集団的自衛権の行使は可能である。ただし、その行使は無制限のものではない。実は、サンフランシスコ講和条約及び日米安保条約の締結、国連への加盟の時点では、わが国の政府は、そのような解釈を取っていた。
 現在の日米安保条約の第5条は日米両国が自衛権行使、集団的自衛権行使を相互に義務付け合ったものである。したがって、日本の施政権内での米国への攻撃には日本も共同行動をとる義務があり、日本がこの行動をとる根拠は、日本の集団的自衛権に基づく。ただし、この規定は日本の施政権外で米軍が武力攻撃を受けた時にも、日本が集団的自衛権を行使して正当防衛援助の行動に出ることを約束したものではない。この点を、アメリカの世界戦略に言いなりになってしまうと、わが国の独立主権国家としての主体的意思を失う。

 私自身は、もとより憲法全体をできるだけ早く改正すべしという考えである。第9条の解釈を②に是正して、集団的自衛権の行使を可能としても、それだけではアメリカの世界戦略に追従することになりかねない。憲法を放置して、集団的自衛権だけを論じるべきではない。
 事の本質は第9条の解釈にあるのではない。日本国憲法そのものに問題がある。日本国憲法は、真に日本人が作った憲法ではない。占領下で占領軍によって押し付けられた憲法であり、占領基本法とでも言うべき性格のものだった。それが独立回復後も放置されれば、憲法は日本弱体化政策の効果を継続し、日本国を呪縛し続ける働きを持つ。憲法全体を改正することなく、第9条を②のように解釈するのみでは、根本問題は解決しない。わが国は、独立回復後、すみやかにこの憲法を改正し、独立主権国家にふさわしい憲法を日本人自身の手で制定すべきだった。それが、60年以上もの間、放置されてきたことに、わが国の根本問題がある。国家、社会、企業。地域、家庭等に現れている様々な危機の根本に、憲法の影響がある。憲法改正を成し遂げて始めて、日本人は自らの意思で自らの国のあり方を決めることができる。そこに日本再建の鍵がある。日本の再建は、憲法の改正なしには、達成できない。

 わが国の政府は、憲法第9条について、③の「戦力は駄目だが自衛力なら持てる」という非戦力的自衛力是認説を取ってきた。
 当初政府は、この説に立ちながら、集団的自衛権について、保有かつ行使できる。ただし行使には制限がある、という解釈だった。これをA説とする。制限的行使可能論と呼ぶことにする。ところが、政府解釈はその後、変化した。憲法解釈は、③説で同じだが、集団的自衛権は憲法上行使できないという解釈に変わった。これをB説とする。行使不可論と呼ぶ。
 つまり政府見解は、③A説から、③B説に変化した。しかし、後に詳しく見るが、B説は、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約・日ソ共同声明の内容と矛盾する。これらの国際条約は、わが国の集団的自衛権を認めているからである。
 私見は、憲法第9条については、②の「自衛のための戦力は持てる」という自衛的戦力保持可能説を取る。自衛のためという制限はあるが、戦力の保有は可能と解釈する。また、集団的自衛権については、A説の制限的行使可能論を取る。つまり②A説である。
 憲法そのものの問題については、別に書いたので、ここでは、集団的自衛権の問題の検討を続ける。

 次回に続く。

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集団的自衛権は行使すべし13

2008-01-24 08:51:57 | 憲法
 集団的自衛権について、その本質、成立の過程を見てきた。次にこの検証を踏まえて、わが国における集団的自衛権の問題を検討したい。

●憲法第9条の解釈

 集団的自衛権の問題は、憲法の問題であり、かつその解釈の問題である。現行憲法をどう評価し、またどう理解するかが、集団的自衛権に関する議論の根底にある。

 日本国憲法については、別に拙稿を書いている。また第9条に焦点を当てたものも書いている。詳しくはそれらを参照していただくことにして、ここに私見を要約して示す。

 憲法第9条は、次のような条文である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動
たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交
戦権は、これを認めない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この第9条にはさまざまな解釈がある。私は、それらは大まかに三つに分類できると思う。

①戦争も戦力も一切放棄(完全武装放棄説)
②自衛のための戦力は持てる(自衛的戦力保持可能説)
③戦力は駄目だが自衛力なら持てる(非戦力的自衛力是認説)(政府見解)

 私見では、①の説は、誤解である。素朴な思い込みか、日本を非武装にして侵攻・支配しようとする策略である。
 基本的には、②の説が正しいと私は考える。第9条は、侵攻戦争を放棄し、そのための戦力は持たす、交戦権は否認する。しかし、自衛戦争は国家固有の権利として保持し、自衛のための戦力は保持できる。このように解釈することが適切である。
 戦後のわが国は、アメリカとの関係において②の自衛のための戦力は持てるという自衛的戦力保持可能説を取って独自の軍隊を持つことが、できなかった。自衛隊は、アメリカの管理のもと米軍を保管するものとして創設・編成された。こうした条件のもと、政府は、③の説を取り、自衛力を最小限という量的条件をつけて正当化した。この説を取れば、集団的自衛権の行使は憲法解釈上できないという見解となる。だから、もし集団的自衛権を行使できるようにするのならば、第9条の解釈を改める必要がある。それは、③の説を止めて、②の説を取るという大幅な解釈変更に帰結する。この変更は、私の論では、変更というより是正である。もともとそう解釈すべきだったものに正すということである。

 次回に続く。

関連掲示
・上記私見について詳しくは以下をご参照のこと。
 拙稿「憲法第9条は改正すべし」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08m.htm
コメント

道徳教育はどうなすべきか2

2008-01-23 08:55:19 | 教育
◆宗教や伝統文化の理解が必要

 次に、より積極的な道徳のあり方について、私見を述べたい。「自分が他者からしてほしいと思うことを、他者にしてあげなさい」ーー本来は、こちらが道徳の主たる課題である。この課題は、宗教心というもの抜きには、ほとんど考えられない。
 伝統的な文明社会では、宗教と無関係の道徳というものは、ほとんどありえないことだった。最も世俗的で合理的といわれる儒教においてさえも、天という超越的な意志や、祖先崇拝という心霊的要素がみられる。絶対的な規範を欠く「恥の文化」の社会といわれるわが国にも、「お天道様が見ている」とか「ご先祖様に申し訳が立たない」などという内心の規範があった。近代西欧が生み出した、非宗教的な、啓蒙主義・功利主義の道徳観は、特殊なものである。また、一部の知識人のものに過ぎない。
 わが国では戦後、憲法20条3項と旧教育基本法9条2項で、公立学校での宗教教育が制限されてきた。近年はこれらの条文を、極端に拡大解釈し、あらゆる宗教的な文化・習慣までを否定しようとする傾向がある。たとえば学校給食のときに、「いただきます」と手を合わせて言うのは、仏教的だから為すべきでないなどと、習慣的な礼儀までも排除しようという動きがある。しかし、欧米では今日も、公立学校で、キリスト教に基づく道徳教育がされていることが明らかにされている。実際、道徳教育は、宗教や伝統文化への理解なしには成り立たないと、私は思う。

◆宗教的情操を養おう

 わが国では、固有の宗教である神道のほかに、外来の宗教である儒教、仏教などが共存してきた。それによって、わが国には、西欧におけるような、血で血を洗うがごとき宗教戦争がなかった。神・儒・仏の三教には、先祖を敬い、生命を尊び、家族や隣人をいつくしむことが、共通している。そして、これらが渾然と融合して、庶民の生活文化に溶け込んできた。これは、わが国の伝統的な心の文化である。こうした文化を、子供たちに伝えることは、教育の大切な役割だと思う。
 また、世界には様々な宗教があり、様々な価値観があることを教えることは、国際理解につながる。宗教的な理解力がなければ、異文化の人々の心を理解し、親善友好することはできない。宗教的な情操を育むことは、今日の本格的な国際化時代において、ますます必要となっていることなのである。
 現行憲法や教育基本法の規定は、特定の宗教・宗派を児童・生徒に押し付けることを禁じたにすぎない。日本の伝統的な宗教観に根ざした規範意識や習慣の継承まで否定したものではない。宗教的情操を養う教育は、現行憲法のもとで可能なことである。そして、それを積極的に実行することによってこそ、「心の教育」は、真に教育効果を生むことができると私は思う。また、21世紀の世界を生き抜くことができる、国際的な日本人を育てることにもなると思う。(了)

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道徳教育はどうなすべきか1

2008-01-22 13:47:29 | 教育
 集団的自衛権について連載している途中だが、先日徳育の必要性を書いたので、道徳教育の基本について、簡単に私見を述べておきたい。

 道徳教育とは、何か。心を育てる教育である。心を育てるとは、心の中に価値を植えつけ、その価値を育て、自分で価値を判断する力を養うことである。価値とは、真善美聖をいう。価値を判断するとは、物事の真偽、善悪、美醜、聖俗を見分けることをいう。物事の真偽、善悪、美醜、聖俗を見分ける力を養うことにより、自ら得た価値観に照らして行動できる人間が育つ。それが、人格の形成ということになる。

◆道徳教育の復活には、教育勅語の復権を

 戦後、長く道徳教育がほとんどなされていない。昭和22年に教育基本法(旧法)が出来たが、その翌年、GHQの圧力によって、わが国の国会で、教育勅語を排除し、失効とする決議がされた。それ以来、わが国の学校教育では、道徳がほとんど教えられていない。近年の教育の荒廃や青少年の問題の噴出には、道徳教育の欠落という事態が、重大な原因の一つになっている。道徳教育の復活は、日本の教育の立て直し、ひいては日本そのものの建て直しのために急務である。
 そのポイントとして、私は教育勅語の復権を訴えている。教育勅語は、日本人の道徳の根本を説いたものであり、またそれに基づいて教育の理念・目的を示したものである。明治以来、家庭教育に対しても、基準・規範を示すものとなっていた。教育基本法の改正だけでなく、教育勅語の復権が行われてはじめて、日本の教育は、よみがえると思う。
 この点は、他所に書いてあるので、ここでは省き、次に具体的な内容に入りたい。

◆道徳の二つの基本

 道徳の基本とは、何か。私なりに古今東西の道徳説を概括すると、

 「自分が他者(ひと)からされたくないことは、他者にするな」
 「自分が他者からしてほしいと思うことを、他者にしてあげなさい」

という二つに、要約される、と思う。
 「自分が他者からされたくないことは、他者にするな」という意味で有名な言葉は、「己の欲せざる所は、人に施すこと勿(なか)れ」。『論語』にある言葉である。「人に迷惑をかけるな」というのは、これである。
 もう一つの「自分が他者からしてほしいと思うことを、他者にしてあげなさい」というのは、もっと積極的である。人に親切にするとか、人に奉仕するというのは、これである。宗教で説く愛や慈悲は、これを深め、高度にしたものだろう。これまで人類社会では、前者の実行が大きく欠けているので、まず前者について私見を述べたい。

◆自分が嫌なことは、ひとにするな

 他者からしてほしくないことには、何があるか。世界中によく知られているキリスト教の十戒と仏教の五戒は、そのうち四つが共通している。すなわち、「偽ること」「盗むこと」「犯すこと」「殺すこと」である。これらは、他者からしてほしくないことの最たるものだろう。
 人にだまされるのは、いやなものである。ものを盗まれるのも、いやだろう。これらを喜ぶ人はいない。また、自分や妻や娘が犯されるのは、許せない。まして、自分が他者に殺されるのは、一番いやだろう。自分の親や子どもや恋人を殺されるのも、絶対いやだろう。
 自分がいやなことは、人にするな。自分がしたいと思うことでも、他者がいやがることは、してはならない。だから、人を殺すのは、いけないのである。「人を殺してみたかった」などと言うのは、とんでもないことである。
 法律で殺人が犯罪と定められ、殺人を犯した者には、重い刑罰が科せられるのは、それだけ強く人がいやがることだからである。
 家庭や学校で、こういう道徳の基本を教えると、青少年の無軌道な行動は、少なくなってくるだろうと思う。逆に言うと、こういう道徳の基本となることを、幼少年期からしっかり教えていないから、青少年がどめどなく無軌道な行動に走るのである。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「教育勅語を復権しよう」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion02c.htm
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集団的自衛権は行使すべし12

2008-01-21 08:49:06 | 憲法
●五大国による準寡占体制と、拡大する地域安保体制

 新たにできた国際連合について見逃してならない点は、国連とは連合国国際機構であり、安保理の常任理事国となった第2次大戦の戦勝国を主役とするものだったことである。国連の集団安全保障体制とは、戦勝国が中心となって国際秩序を維持しようとした体制である。言い換えれば、集団安全保障体制は、米英ソ仏中の五大国による世界寡占体制として構想されたわけである。
 この寡占体制は、完成しなかった。できあがったのは、準寡占体制とでもいうべき中途半端な体制だった。その理由は、主に第2次大戦後に二大超大国となった米ソのイデオロギーと国益の対立による。そこにイギリス、フランスのそれぞれの思惑も絡んでいる。その結果、集団安全保障についても、理想にとどまった状態で、60年以上が経過している。今も、集団安全保障体制の実現の見通しはない。それゆえ、私は、集団的自衛権は集団安全保障を補完するものではなく、集団安全保障体制を構築するための基礎となるものと理解するのが現実的だと思う。

 国連は創設時から現在まで、国連に武力を集中しえていない。各国は独自に武力を保有しており、それをもとに地域的な安全保障体制を築いている。その地域的な安保体制は、旧来の軍事同盟にほぼ等しいものであり、集団的自衛権の行使である。
 特に安保理の常任理事国である米ソが冷戦を続けていた時代においては、国連は存在感が薄く、NATO(北大西洋条約機構)を中心とした西側と、ワルシャワ条約機構による東側が、それぞれ集団的自衛権による安全保障機構をつくって、軍事的に対峙していた。
 ワルシャワ条約機構は、ソ連の崩壊によって解消された。NATOは健在であり、今日の世界で最も強力な地域的安全保障体制である。これは、明らかに集団的自衛権に基づく機関である。NATOの加盟国は、どの加盟国に加えられる外部の脅威に対しても、結束して戦うことを条約で誓っている。
 アジア、太平洋、アフリカ、ラテン・アメリカ等に、地域的な安全保障条約機構が、多数作られ、世界はそうした地域機構が並列する体制となっている。戦勝五大国による世界寡占体制は構築されなかったが、米英ロ仏中の五カ国は、依然として安全保障理事会の常任理事国という地位を占め、また核保有大国として国際社会に強い影響力を維持している。

●旧敵国にとどまる日本

 国連憲章を論じる時、忘れてはならないのは、旧敵国条項である。わが国は連合国の旧敵国であり、連合国憲章としての国連憲章が定める旧敵国条項の該当国だとされてきた。
 国際連合は、連合国の敵国に対する軍事同盟が根本である。そのうえで、集団安全保障、集団的自衛権が規定されている。国際連合は憲章第2条1項に、加盟国の主権平等の原則を謳う傍ら、戦勝国である五大国のみには、拒否権という特権が与えられている。国際連合は、このように加盟国に明確な差別をした国際機構であり、戦勝国による戦後世界の寡占支配を固定しようとしたものである。連合国による戦後世界秩序という枠組みの中に、集団安全保障も集団的自衛権も意義付けられているということが、重要なポイントだと私は思う。
 旧敵国条項とは、第2次大戦中に連合国の敵国であった国々に対し、地域的機関などが、安全保障理事会の許可がなくとも強制行動を取り得ること等が記載されている条項である。第53条と第107条である。条文には明記されていないが、旧敵国とは、日本、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランドの7か国を指すと考えられてきた。アメリカも中国も、ロシアもフランスも、いざとなれば自由に日本に攻め入ってもいいということを堂々と決め、それを半世紀以上も、そのままにしてきたのである。
 旧敵国は、国連に加盟してもなお差別的に扱われているわけだから、国連の枠内での集団的自衛権も、自国の安全保障には真の意味でなってはいない。旧敵国条項を削除しない限り、旧敵国は国連加盟国の基本的な権利を保障されない。わが国が国連加盟によって、個別的自衛権及び集団的自衛権を認められたと喜ぶのは、旧敵国条項を削除してからすべきものである。

 わが国は、「国連=連合国」に加入後、その一員として誠実に役割を果たし、経済復興後は、巨額の分担金を払って、組織を支えてきた。昭和45年(1970)の第25回国連総会以来、わが国は、たびたび総会などの場で、国連憲章から「旧敵国条項」を削除すべしとの立場を主張してきた。平成6年(1994)12月、ようやく総会において憲章特別委員会に対し、「旧敵国条項」の削除の検討を要請する決議が採択された。平成7年(1995)12月には、第50回総会において憲章特別委員会の検討結果を踏まえて、削除へ向けての憲章改正手続きを開始する決議が採択された。そこからもまた、長い。もう10年以上過ぎている。
 今日においても、同採択を批准した国は効力発生に必要な数には遠く及ばず、敵国条項は依然として国連憲章にその姿を留めたままとなっている。死文化されたとはいうが、条文がある以上、悪用されないとは限らない。
 わが国民には、国連に対して幻想を抱いている人が多いようだ。「国連中心主義」などという外交・防衛政策を打ち出している政治家もいる。集団的自衛権に関する論議でも、国連への期待をもとにした意見が多く聞かれる。しかし、上記の経緯・現状を見ても、「国連=連合国国際機構」に幻想を抱くべきでなく、偶像視すべきではないのである。

 次回に続く。

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