明治維新において、政治の御一新に当たって、明治天皇が大方針を打ち出したものが、五箇条の御誓文です。御誓文は、その言葉のとおり、天皇が神に誓いを立て、それを国民に発表したものでした。
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。
一、官武一途(いっと)庶民に至るまで、各々其の志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめむことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし。
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし
大意は、次の通りです。
一、広く人材を集めて会議体を設け、重要政務はすべて衆議公論によって決定せよ。
一、身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国策を遂行せよ。
一、朝臣武家の区別なく、さらには庶民のすべてにわたって、各自の志を達成できるようにはからい、人々を失意の状態に追いやらぬことが肝要である。
一、これまでのような、かたくなな習慣を打破して、普遍性のある道理に基いて進め。
一、知識を世界に求めて、天皇の大業を大いに振興せよ
見逃してはならないのは、これに続く明治天皇の言葉です。
「我国未曾有の変革を為(なさ)んとし、朕躬(み)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大(おおい)に斯(この)国是を定め、万民保全の道を立(たて)んとす。衆亦此(この)旨趣(ししゅ)に基き協心努力せよ」
すなわち、「わが国に前例のない変革を行おうとするにあたり、私は自ら国民の先頭に立って、天地の神々に誓い、重大な決意をもって国政の基本条項を定め、国民生活を安定させる大道を確立しようと思う。国民もまたこの趣旨に基いて心を合わせて努力せよ」
ここには、天皇が自ら先頭に立って国民とともに新しい国づくりをしていこうという決意が、打ち出されています。こうした決意のもとに、天皇は神に向かって五つの誓いを立て、それを国民に明らかにしたのです。率先垂範、有言実行の精神が、そこに溢れています。
これは単なる官僚による作文ではありません。天皇が自らの思いを国民に伝えようとしたものでした。そのことを裏付けるものが、五箇条の御誓文が発表された、明治元年(1868)3月14日に出された御宸翰(ごしんかん)です。宸翰とは天皇直筆の文書です。そこに明治天皇は直筆で次のような意味のことを記しています。
「今回の御一新にあたり、国民の中で一人でもその所を得ない者がいれば、それはすべて私の責任である。今日からは自らが身を挺し、心志を苦しめ,困難の真っ先に立ち、歴代の天皇の事績を踏まえて治績に勤める。そうしてこそ、はじめて天職を奉じて億兆の君である地位にそむかないものとなる。自分はそのように行う」と。
すべての国民が「所を得る」ような状態をめざし、全責任を担う。天皇の決意は、崇高です。
また、御宸翰の文章の先の方には、次のように記されています。
「朕いたづらに九重のうちに安居し…百年の憂ひを忘るるときは、つひに各国の陵侮(あなどり)を受け、上は烈聖を恥しめ奉り、下は億兆を苦しめんことを恐る」と。
すなわち、「天皇である自分が宮殿で安逸に過ごし、…国家百年の憂いを忘れるならば、わが国は外国の侮りを受け、歴代天皇の事績を汚し、国民を困苦に陥らせることになってしまう」。
明治天皇は、こうした事態に至らぬよう、国家の元首として、最高指導者として、自らを律し、国家の独立と発展、国民生活の安寧を実現するために尽力したのでした。
五箇条の御誓文と、同日に出された御宸翰には、明治天皇の真摯誠実な精神が現れています。ここに、私たちは「公」の体現者としての天皇の姿を見ることができるのです。そして、神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼んで、大切にしてきたわが国の皇室の伝統が、ここに生きているのです。
次回に続く。
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。
一、官武一途(いっと)庶民に至るまで、各々其の志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめむことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし。
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし
大意は、次の通りです。
一、広く人材を集めて会議体を設け、重要政務はすべて衆議公論によって決定せよ。
一、身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国策を遂行せよ。
一、朝臣武家の区別なく、さらには庶民のすべてにわたって、各自の志を達成できるようにはからい、人々を失意の状態に追いやらぬことが肝要である。
一、これまでのような、かたくなな習慣を打破して、普遍性のある道理に基いて進め。
一、知識を世界に求めて、天皇の大業を大いに振興せよ
見逃してはならないのは、これに続く明治天皇の言葉です。
「我国未曾有の変革を為(なさ)んとし、朕躬(み)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大(おおい)に斯(この)国是を定め、万民保全の道を立(たて)んとす。衆亦此(この)旨趣(ししゅ)に基き協心努力せよ」
すなわち、「わが国に前例のない変革を行おうとするにあたり、私は自ら国民の先頭に立って、天地の神々に誓い、重大な決意をもって国政の基本条項を定め、国民生活を安定させる大道を確立しようと思う。国民もまたこの趣旨に基いて心を合わせて努力せよ」
ここには、天皇が自ら先頭に立って国民とともに新しい国づくりをしていこうという決意が、打ち出されています。こうした決意のもとに、天皇は神に向かって五つの誓いを立て、それを国民に明らかにしたのです。率先垂範、有言実行の精神が、そこに溢れています。
これは単なる官僚による作文ではありません。天皇が自らの思いを国民に伝えようとしたものでした。そのことを裏付けるものが、五箇条の御誓文が発表された、明治元年(1868)3月14日に出された御宸翰(ごしんかん)です。宸翰とは天皇直筆の文書です。そこに明治天皇は直筆で次のような意味のことを記しています。
「今回の御一新にあたり、国民の中で一人でもその所を得ない者がいれば、それはすべて私の責任である。今日からは自らが身を挺し、心志を苦しめ,困難の真っ先に立ち、歴代の天皇の事績を踏まえて治績に勤める。そうしてこそ、はじめて天職を奉じて億兆の君である地位にそむかないものとなる。自分はそのように行う」と。
すべての国民が「所を得る」ような状態をめざし、全責任を担う。天皇の決意は、崇高です。
また、御宸翰の文章の先の方には、次のように記されています。
「朕いたづらに九重のうちに安居し…百年の憂ひを忘るるときは、つひに各国の陵侮(あなどり)を受け、上は烈聖を恥しめ奉り、下は億兆を苦しめんことを恐る」と。
すなわち、「天皇である自分が宮殿で安逸に過ごし、…国家百年の憂いを忘れるならば、わが国は外国の侮りを受け、歴代天皇の事績を汚し、国民を困苦に陥らせることになってしまう」。
明治天皇は、こうした事態に至らぬよう、国家の元首として、最高指導者として、自らを律し、国家の独立と発展、国民生活の安寧を実現するために尽力したのでした。
五箇条の御誓文と、同日に出された御宸翰には、明治天皇の真摯誠実な精神が現れています。ここに、私たちは「公」の体現者としての天皇の姿を見ることができるのです。そして、神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼んで、大切にしてきたわが国の皇室の伝統が、ここに生きているのです。
次回に続く。