ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

現代の眺望と人類の課題119

2009-03-27 08:53:30 | 歴史
●通常取引では考えられない特典つきの叩き売り

 旧長銀問題については、浜田和幸著「ハゲタカが嗤った日」(集英社インターナショナル)に詳しい。以下は本書に多くを負っている。
 旧長銀は、外資に超破格値で叩き売られただけではない。保有する不良債権は、3年間、無条件で保護するという瑕疵担保契約まで結んでいた。瑕疵担保条項によってリップルウッド側は日本政府に不良債権を押し付けることができる。外資は、絶対に損をしない売買をした。逆にわが国は、絶対に損はさせませんから、どうぞ買ってくださいと、相手に差し出したわけである。
 それだけではない。リップルウッドは、オランダに設立した投資組合ニューLTCBパートナーズ(以下、パートナーズ)を通じて旧長銀を買収した。パートナーズは、登記地がオランダであるため、日本では一切、上場益に対して課税されない。そのため、新生銀行の上場によって得られた株式売却益に対して、日本は一円も課税することが出来なかったのである。
 どうしてオランダ籍の投資組合が、日本の銀行の買収に登場するのか。後に詳しく触れるが、オランダはビルダーバーグ・クラブ発祥の地であり、旧長銀の買収には、ビルダーバーガーが動いていたのである。
新生銀行の株の保有比率も、おかしな決め方だった。パートナーズは1200億円を出資したが、これは全体の資本勘定の20%にすぎなかった。残りの80%は、日本政府が負担した。そうであれば、持ち株比率は、日本政府が80%、パートナーズが20%となるはずではないか。実際は、日本政府が33%、パートナーズが67%という比率になった。日本側が多くの金を出して、どうぞもらってくださいと差し出したようなものである。

 こうして旧長銀は、超破格の安値、瑕疵担保契約、非課税、株式3分の2保有という異常な条件で、旧長銀は売却された。叩き売りの上に、これでもかこれでもかのおまけつきである。それを皮切りに、「日本市場のバーゲン・セール」(浜田和幸氏)に、欧米の投資ファンドが相次いで参入した。掘り出し物の買い捲りである。

●本当に資産を売る売国的行動

 旧長銀の売却の際、日本側からは、中央三井信託銀行他のグループが手を挙げていた。外資への売却が決まったのは、競争入札の結果ではあるが、当時の旧長銀は、わが国の国有銀行である。外資から国益を守るという意志が政治家にあれば、自国の投資家に売却しただろう。わずか10億円の売却だったのだから、日本人投資家に買えないわけがない。
 それゆえ、旧長銀の一時国有化に始まる一連の展開は、外資に売り渡すための手順だったのだろうと私は考える。旧長銀の買収は、リップルウッドとその背後にいるロックフェラー、ロスチャイルド等、米欧の所有者集団によって、あらかじめ入念にシナリオが練られ、必ず勝負に勝てるやり方を日本政府に押し付けたものだったのだろう。そして、当然、日本側にこのシナリオに沿って、相手の条件を飲み、外資による買収を推進した人間がいたと考えられる。

 売国とは、一般に、私利のために、自国の内情や秘密を敵に通牒することをいう。国民を裏切り、国益を損なう行為である。国を「売る」と言うのは、情報を提供することを売買にたとえたものである。しかし、わが国には、本当に国を「売る」人間がいる。ここで国を売るとは、国民の資産を外国人に売り渡すことである。当然、それによって、売国をなした者たちは、私的な利益を得たに違いない。
 現代の日本には、国利民益を損なうことで、私腹を満たす者がいる。国を売る政治家・財界人を一掃しなければ、日本の富は奪われ続け、日本は衰亡する。国民が一致団結しなければ、国家は内部から崩壊する。日本人は精神的に団結することが必要である。旧長銀の買収と後に述べる郵政民営化は、この課題を鮮明に浮かび上がらせるものである。

 次回に続く。

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現代の眺望と人類の課題118

2009-03-21 08:37:55 | 歴史
●旧長銀の買収は、外資乗り込みの皮切り

 先に文明論的な観点から、長期的な展望を書いたが、現在の日本は、アメリカに再従属化した状態にある。再従米化の過程について、続けて書きたい。
 日本の再従米化の過程で、最も深刻な出来事だったのは、1998年から2000年(平成10~12年)にかけての旧長銀の買収と、2001年から03年(13~15年)にかけての郵政民営化である。この2点をよく押さえておかないと、日本人は、2008年(20年)の世界経済危機への対処を誤ると思う。また日本の再建を進める上でも、これら2点の理解は重要である。

 1998年(平成10年)10月、日本は日米経済戦争で「第ニの敗戦」を喫した。その同じ月に経営破たんしたのが、日本長期信用銀行だった。「マネー敗戦」後の日本占領の象徴的な出来事が、外資による旧長銀の買収である。
 長銀は、1952年(昭和27年)、設備資金等長期資金の安定供給を目的として設立された民間銀行である。わが国の産業の復興・発展に長年貢献した大手銀行だった。ところが、バブル崩壊後に多額の不良債権を抱え込み、経営危機に陥った。
 長銀の破綻は、欧米資本が日本市場に猛烈に乗り込む皮切りとなった。わが国は急遽金融再生法を制定し、長銀は一時国有化されて、株式上場も廃止された。旧長銀を救済するために、わが国政府は8兆円もの公的資金を投入した。その後、売却が行われた。日本側からは、中央三井信託銀行他のグループが手を挙げた。しかし、競争入札の結果、外資への売却が決定した。相手は、アメリカの投資会社リップルウッド・ホールディングを中心とする投資組合ニューLTCBパートナーズという。

●叩き売りによる「史上最高のリターン」

 リップルウッドは、1995年(平成7年)にアメリカで設立された新興投資ファンドである。99年(11年)、旧長銀の買収に名乗りを上げた時点では、わが国では無名の会社だった。いわゆる「ハゲタカ・ファンド」である。
 また、ニューLTCBパートナーズには、ロックフェラー一族やロスチャイルド一族等が相乗りで出資していた。米欧の所有者集団が手を結んで、日本市場を狙っていたのである。
 2000年(12年)3月、リップルウッドの投資組合は、旧長銀の経営権を取得した。買収金額は、わずか10億円だった。長銀救済のために8兆円の公的資金が投入された。公的資金とは国民が納めた税金である。巨額の税金を投じて救済した、資産20兆円の旧長銀がわずか10億円で、外資に叩き売られたのである。
 旧長銀は、同年6月に社名を新生銀行に改称された。そして、2004年(16年)2月には、株式上場を果たした。10億円で買収したリップルウッドの投資組合は、その後の増資で1200億円を投資したとはいえ、新生銀行の株式上場の際、保有株式の35パーセントを売却して、約2400億円を手にした。これだけで約1200億円の純利益を得た。さらに残り65パーセントの保有株で、7200億円もの含み益を得た。
 わずか10億円の元手でこれほど巨額の利益を得た例はかつてなく、投資業界では「史上最高のリターンを上げた」と言われている。
 その一方、わが国は巨大な損失をこうむった。これが、「マネー戦争」、私の言う大東亜経済戦争に敗れた結果なのである。これは日本市場への外資の乗り込みの皮切りに過ぎなかった。そこで、旧長銀売却問題を詳しく見ていきたい。

 次回に続く。

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G20の協議は対立含みで先送り

2009-03-16 13:57:18 | 時事
 先進国中心のG7を拡大し、新興国を加えたG20が、イギリスで開かれた。
 どのような協議になるか注目したが、世界的な経済危機の克服に向けて、総論賛成、各論多様で、具体的方策は決まらずという結果に終わった。アメリカと独仏の思想と利害の相違が浮かび上がり、米欧が一枚岩ではなくなっていること、また新興国の存在感が一層増していることが印象的である。こうした中、危機克服にリーダーシップを期待されるわが国・日本は、アメリカへの追従が目立ち、新たな世界を構築するビジョンを示すことができず、残念な状態である。
 欧州、ロシア、中国、インド、ブラジル等がアメリカに対し、自主的な姿勢を強めているのに比べ、わが国は依然として対米従属国的な外交を行なっている。アメリカ経済は、今後一層深刻な状態になっていくことが予想される。わが国は主体性を回復しないと、道連れ破産に陥るおそれがある。極楽でも地獄でも添い遂げると一蓮托生を決する値するほど、アメリカという国は、公正でも親日でもない。わが国の指導層は、目を覚ますべきである。
 
 以下は報道のクリップ。

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●産経新聞 平成21年3月16日号

http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/090315/fnc0903152340004-n1.htm
G20検証 危機克服の処方箋は先送り 米欧対立の火種は残った

 20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議は、財政出動など「必要な努力を継続する」ことなどで合意、金融危機克服に向けて協調姿勢を示した。ただ、財政出動や金融規制の各論では米欧の間には意見の相違も目立ち、対立の火種は残った。4月2日に開かれる第2回金融サミット(首脳会合)の前哨戦となったG20の議論を検証する。(ロンドン 木村正人、ワシントン 渡辺浩生)

■歩み寄った米国
 今回のG20は事前に米欧の対立が懸念されていた。焦点だった財政出動による景気刺激策について、米国は事前に「GDP(国内総生産)比2%」という数値目標を示し、欧州に追加財政出動を迫ったからだ。これに対し、ドイツ、フランスなど財政赤字の増大を懸念した欧州勢は「重要なのは財政支出を増やすことではなく、金融規制を整備することだ」(サルコジ仏大統領)と猛反発した。
 結局、財政出動の数値目標に応じたのは日本だけ。追加景気対策の必要性を認めたのも英国のほかは、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)4カ国にとどまった。だが、「現実的になるべきだ」というダーリング英財務相の仲介によって、ガイトナー米財務長官は欧州が抵抗する財政出動の数値目標を取り下げた。声明では「成長を元に戻すために、たゆまぬ努力を続ける」という表現にとどめ、各国に実施を迫る明確な公約は回避された。

■規制の詳細は不明確
 一方、英国を除く大陸欧州には、今回の危機は米英型金融資本主義が原因との思いが強い。このため、独仏を中心に金融規制の強化を強く求め、マネーゲームによって市場を混乱させたとの批判があるヘッジファンドについて、「登録制を導入し、情報管理を徹底する」ことを声明に盛り込んだ。シュタインブリュック独財務相は「最初の一歩を成し遂げた」と強調した。
 ただ、規制強化にはもともと米英が消極的で、G20で合意できた内容は、どの国からも文句が出ない「目くらまし」(英紙フィナンシャル・タイムズ)。ヘッジファンドの登録にしても、規制の詳細な内容は現時点では明確ではなく、実効性を上げるための議論は今後に委ねられた。

■米欧の“痛み分け”
 今回のG20は、金融サミットに向けての準備会合との位置づけだが、議論から垣間見えたのは、先進国間の溝の深さだった。財政出動と金融規制をめぐる米英と独仏の対立は“痛み分け”に終わったともいえる。
 米証券大手リーマン・ブラザーズが破(は)綻(たん)してから半年が経過したにもかかわらず、世界経済はいまだに浮上のきっかけをつかめないでいる。今、求められているのは危機克服に向けた具体策だ。
 本番までの2週間あまりで、どこまで実効性のある処方箋(せん)を見いだせるのか。サミットが国際交渉舞台のデビューとなるオバマ米大統領は、いきなりその指導力を試されることになる。

http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/090316/fnc0903160210000-n1.htm
【主張】G20金融会合 首脳会議で一層の協調を
2009.3.16 02:10

 英国で開かれた主要20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議は、世界経済の成長が回復するまであらゆる政策手段をとり続けることと保護主義防止などで合意して閉幕した。
 昨年9月のリーマン・ブラザーズの破綻(はたん)から半年がたったが、世界的な金融不安は収まらず、実体経済は日米欧がそろってマイナス成長を記録するなど悪化が続いている。世界経済の危機克服に向けてスピード感を持って政策協調を実現させてほしい。
 今回の会議では、財政出動について具体的な数値目標を掲げることを主張した米国に対して、ドイツなどが反対した。そのため、各国が個別に財政拡大に努力し、国際通貨基金(IMF)がその成果を評価することにした。
 数値目標では合意に至らなかったが、各国がそれぞれ財政出動を行えば、世界経済の底割れを防ぐことに役立つだろう。重要なのは各国が景気対策の実行に責任を持つことである。
 金融政策では、従来の金利政策にとどまることなく、各国の中央銀行が量的緩和などを含むあらゆる政策を採用するとの方針を打ち出した。金融システム安定化とともに十分な資金を供給し、財政政策との緊密な連携が必要だ。
 今回の金融危機のきっかけになった複雑な証券化商品をめぐる投機的取引については、ヘッジファンドや格付け会社などを登録制にすることと情報開示の強化などで合意した。
 過度な投機的資金の流れに対しては一定の規制が必要だ。健全な市場機能を回復させるために、バランスある規制のあり方を工夫してほしい。
 今回の会議は来月2日にロンドンで開かれるG20首脳会議(金融サミット)の準備会合の意味合いがあった。金融資本市場を納得させるためにも、サミットに向けて各国は具体的な効果が見えるよう努力し、さらなる協調を目指さなければならない。
 日本への期待も大きい。与謝野馨財務・金融・経済財政担当相は、追加の経済対策を実現すれば、日本の財政出動規模は米国が求める国内総生産(GDP)比2%以上を十分超えるという見通しを示した。
 ただ、規模を確保しても単なるばらまきになってはならない。追加対策は将来の経済再生を確実にする政策が不可欠である。
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現代の眺望と人類の課題117

2009-03-14 08:39:05 | 歴史
●円を使って、日本を叩く

 アジア通貨危機は、東アジア各国に多大な投資をしてきた日本も、大きな損害を受けた。バブルの崩壊後の苦境のなか、東アジアに活路を見出していた日本は、再び勢いを削がれた。
 日本は当時から超低金利政策を取っていた。米欧のヘッジファンドは、日本の金融機関から大量の円を借り入れてドルを調達し、アジアの新興市場で投機を繰り返した。それによって、巨額の利益を得た。これを「円キャリー・トレード」という。日本の銀行もヘッジファンドに投資していたから、一緒に利益には預かった。
 しかし、やがて日本自体が攻撃対象となっていることが分かる。ヘッジファンドの代表的存在であるジョージ・ソロスは、日本経済の弱点は、系列による企業間の株の持ち合いにあると見ていた。この点を突けば、日本経済を弱体化させられると。ソロスの見方は、米欧企業に周知されていた。
 ソロスはユダヤ人であり、ロスチャイルド家に育成された投資家といわれる。彼の背後にはロンドン・ロスチャイルド銀行やイギリス王室、西欧諸国の中央銀行・大手銀行等が存在する。それらは莫大な資金をソロスに委託し、東アジア及び日本への攻撃に参加していた。

 アジア諸国が経済的危機にあった時、わが国は救援に乗り出そうとした。「ミスター円」こと榊原英資氏は、当時大蔵省(現・財務省)の財務官だった。榊原氏は円を基金としたアジア通貨基金(AMF:Asia Money Fund)を構想した。しかし、アメリカの反対と政治工作によって、断念せざるを得なくなったという。東アジア諸国はIMFに救援を求めた。IMFは厳しい再建政策を突きつけ、米欧資本の進出を先導した。
 米欧連合による攻撃は、さらに日本に向けられた。既に1993年(平成5年)、クリントン大統領は、日本に対して「経済戦争」を開始し、アメリカは攻勢を続けていた。アジア通貨危機は、進行する日米経済戦争の過程で起こり、またそれをきっかけに日本への攻撃が増強された。それゆえ、私は、アジアの通貨を狙う投機は、躍進するアジアの中心である日本への攻撃の一環だったと思う。
 優れた製品で米欧市場を席巻し、東アジア諸国に進出して、米欧への脅威を増している日本を、足元のアジアから叩き、そのうえで、日本本土への総攻撃を行うという作戦があったのだろうと私は推測する。そして、本土への総攻撃とは、金融自由化の実現であり、その後の外資による日本企業の買占めである。こうしてわが国は98年(10年)10月「マネー敗戦」を喫したものと思う。

●大東亜経済戦争の被害を越えて、日本とアジアは成長する

 文明論的に言えば、西洋文明が、日本を中心としたアジア諸文明の台頭を抑え、西洋文明の優位を維持することを目論み、計画的に仕掛けたのが、対日経済戦争であり、対アジア通貨戦争と言えよう。
 私は、1997~98年(平成9~10年)のアジア通貨危機及び日本の「マネー敗戦」を一連の出来事とし、大東亜経済戦争と呼ぶのがよいと思う。20世紀の半ばから後半にかけて、東アジアでは三つの主要な戦争が起こった。それらを私は、一連のものとし、シナ事変・大東亜戦争を第1次東アジア戦争、朝鮮戦争を第2次東アジア戦争、ベトナム戦争を第3次東アジア戦争とする見方を提唱している。このとらえ方で言えば、アジア通貨危機と日本の「マネー敗戦」は、第4次東アジア戦争に比せられる。
 先の三次の戦争は、軍事力を行使した戦争だが、1997~98年(平成9~10年)の第4次東アジア戦争=大東亜経済戦争は、経済力による戦争である。戦争というのは、もちろん比喩である。しかし、経済戦争で、軍事戦争に匹敵するほどの資産の破壊や略取が行われた。それを強調するために戦争に例えるのである。

 これらの四次にわたる東アジア戦争は、人類の文明の中心が、西洋文明から日本およびアジアの文明へと移動する過程で、西洋文明が時の流れに抵抗し、流れを押し戻そうという試みだった。しかし、時の流れには、人為では変えられない勢いがある。西洋文明諸国の抵抗を越えて、文明転換の流れは進みつつある。1990年代末には、アジアに対する優位を再構築し、支配を永続化するかと見えた米欧諸国だが、その本体が自ら破裂した。それが2008年(平成20年)の世界経済危機であると私は見ている。
 21世紀の現在、中国・インドは、新たな経済大国になると予想されている。アジアは、まさに世界の経済的中心地域となり、人口、生産力、発展可能性等で北米や欧州等、他の地域を抜いている。そして、アジアが経済的に発展するとともに、アジア諸文明の精神文化の再評価も進んでいる。日本は、ここ十数年、下り坂になってはいるが、日本が持つ潜在的な成長力は計り知れない。新しい技術が続々と開発され、実用化されつつある。メタンハイドレートや水資源等の活用は、日本の現状を大きく変える可能性を持つ。
 文明の転換期において、旧来の勢力は新興の勢力を抑えようとする。しかし、日本及びアジアは、米欧に叩かれ、叩かれしながらも、発展を続けていくだろう。

 次回に続く。

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現代の眺望と人類の課題116

2009-03-07 09:32:18 | 歴史
●米欧が日本・アジアに侵攻した大東亜経済戦争

 私は、1997年(平成9年)のアジア通貨危機と翌98年(10年)の日本の「マネー敗戦」は、別々の出来事ではないと理解している。これらは、どのように関係しているのか。
 アジア通貨危機及び日本の「マネー敗戦」とは、西洋文明が日本を中心としたアジア諸文明の台頭を抑え、西洋文明の優位を維持し、支配を永続化することを目指して、計画的に仕掛けた対日・対アジアの経済戦争だった、と考えられる。私は、これらを一連の出来事ととらえるために、大東亜経済戦争と呼んでみたい。戦争といっても軍事戦争ではなく、一つの比喩である。経済競争には宣戦布告も講和もないから、開始・終了があるわけではない。恒常的に継続されているわけだが、戦争という比喩によって見えてくるものがある。

 大東亜経済戦争の一局面であるアジア通貨危機については、先に詳しく書いたので、ここでは要点にとどめる。1960年代に日本は、高度経済成長を成し遂げた。非西洋文明ではじめて、西洋文明諸国を抜くほどの存在となった。続いて1970年代には、韓国、台湾、香港、シンガポールが急速に発展した。新興工業経済地域(NIES)、四小龍と呼ばれた。1973年(昭和58年)の第4次中東戦争とそれに伴う石油危機によって、石油価格が高騰し、スタグフレーションが長期化した。国際市場での企業間の価格競争が激化し、国際競争に打ち勝つための安価な労働力の獲得と新たなビジネス機会を狙って、先進国から周辺の途上国への資本、技術の流出が急速に進んだ。アジアでは、日本やアメリカが資本の投下と技術の移転を進めた。それがNIESの発展の推進力になった。
 1980年代に入ると、NIESの後を追って、タイ、マレーシア、インド等も工業化政策を進めて経済開発に成功した。そうしたなか、85年(昭和60年)、プラザ合意が締結され、日本は急速な円高が進んだ。輸出よりも対外投資が有利となったため、大量の資金が海外に投資された。とりわけ東アジア各国に多く投資された。それによってこの地域の経済成長はさらに加速した。
 80年代後半から90年代には、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心とした東アジア諸国が目覚しい経済発展を見せた。その現象を「東アジアの奇跡」と呼ぶ。東アジアは「世界の成長センター」と称されるほどになった。
 1991年(平成3年)、ソ連の崩壊で米ソ冷戦が終結した。冷戦の終結は、アジアが成長するために一層好環境を与えた。冷戦期には反共同盟的な連合体となっていたASEANが、本来の目的である地域経済協力を本格的に推進するようになった。95年(平成7年)には、ベトナムがASEANに加盟し、急速な経済成長を示した。また1990年代に入ると共産中国が経済特区を設けるなど経済自由化を進めた。中国は安い賃金と豊富な労働力で生産拠点として台頭し、「世界の工場」となった。

 こうして急速な経済成長を続けるアジアに対し、米欧は、黙ってその成長を許してはいなかった。そこに起こったのが、1997年(9年)のアジア通貨危機である。
 95年(平成7年)、アメリカのクリントン大統領は、それまでのドル安円高政策から、経常収支赤字を減らすため「強いドル」政策に転じた。ドルが高めに推移するようになると、連動して東アジア各国の通貨の価値が上昇した。それらの国々の輸出は伸び悩んだ。ヘッジファンドは、東アジア諸国の経済状況とその国の通貨の評価に開きが出て、通貨が過大評価されていると見た。空売りを仕掛け、安くなったところで買い戻せば、差益が出る。ここで狙われたのが、タイの通貨バーツだった。
 97年(平成9年)7月、ヘッジファンドは、バーツに空売りを仕掛け、タイ政府が買い支える事を出来なくした。それによって、バーツは暴落した。タイ経済は壊滅的な打撃を受けた。通貨暴落の波は、マレーシアやインドネシア、韓国にまで波及する経済危機に発展した。各国は経済の建て直しのために、IMFに援助を求めた。IMFの管理下で、強力な経済改革が進められるとともに、外資がどっと参入し、その国の企業・資産を安く買い占めた。東アジア諸国では、通貨危機とIMFの管理のため、「世界の成長センター」といわれるほどの経済成長にブレーキがかかることになった。これがアジア通貨危機である。

 次回に続く。
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