ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

トッドの移民論と日本92

2011-10-31 09:45:38 | 国際関係
●移民国家オーストラリアの失敗

 坂中英徳+浅川晃広著『移民国家ニッポン』は、日本が学ぶべき移民国家のモデルとしてオーストラリアを挙げる。
 オーストラリアに関しては、浅川氏が執筆した第5章「移民先進国オーストラリアに学ぶ『社会統合』の重要性」に主に書かれている。
 浅川氏は、「数多くの移民が国家を形成してきた豪州は、世界有数の「移民国家」であり、毎年一定数の移民枠を設定して、移民を受け入れる政策を展開している。豪州は、我が国と同様に、陸上で接する国がなく、また地域的にも同じアジア太平洋地域にあることからも、大いに参考とすべき国であると言える」と言う。そして「『移民国家ニッポン』を目指す上で参考となる『移民先進国』とも言える豪州」と述べている。
 果たしてそうか。オーストラリアは、イギリスを中心に白人が移住して、原住民(アボリジニー)を駆逐して作った正真正銘の移民国家である。わが国は長い歴史を持った国であり、由来がまったく違う。オーストラリアはもともとの移民国家が、近年さらに移民を多く受け入れてきたのである。
 オーストラリアは、白豪主義を方針としていた。白人以外の人種、特に黄色人種の入国・定住を排斥するのが、白豪主義である。しかし、1970年に政策を転換し、白豪主義が名実共に撤廃されるようになった。替わって、1970年代から導入されてきたのが、多文化主義だった。浅川氏は、その政策を「人種による選別は行わないとする無差別移民政策」と呼んでいる。
 1996年、自由党のジョン・ハワード政権は、1983年から13年間続いてきた労働党政権から政権を奪取した。ハワードは国民党と保守連合を組み、2007年まで長期にわたって首相を務めた。
 ハワード政権も、多文化主義を継続した。ところが、2005年12月11日、シドニー郊外のクロナラ海岸で人種暴動事件が起こった。レバノン系集団による暴力事件に抗議する集会で、一部が暴徒化し、中東系の人々に暴行を行ったのである。この年は、10月にフランスでアフリカ系移民2世、3世による暴動事件が発生するなど、多文化主義の問題点が表面化した年だった。
 浅川氏は「移民やその子孫の社会統合に失敗すれば、単に失業や福祉依存、犯罪問題となるだけではなく、テロ事件や暴動の遠因ともなり、国家の屋台骨に関わる決定的な事態に陥りかねない」と書いている。オーストラリアのハワード政権は、浅川氏によると、「社会統合の失敗の象徴的事件例がクロナラ海岸での事件であったという認識から、移民の国籍取得における『市民権試験』によって、英語能力を高めるインセンティブを提供し、単に法律上で国民とするだけでなく、実質的な『社会統合』を実現しようとしている」。市民権試験とは、「英語の実用的能力や、オーストラリアの価値、慣習、制度、法律、歴史の総合的理解を求める」ものである。市民権試験の導入は、多文化主義政策からの大きな方向転換だった。
 オーストラリアの移民政策には、主に配偶者を受け入れる「家族移民」、英語能力や専門知識・技術のある者を受け入れる「技術移民」、海外の難民キャンプにいる者などを受け入れる「人道移民」といったカテゴリーがある。ハワード政権は、技術移民を大幅に増加させた。技術移民は英語能力と専門知識・技術を持ち、雇用などにより社会参加・貢献しており、社会統合において大きな問題は生じないとされる。移民政策の変化は、「どういった移民を積極的に受け入れるべきかどうかの範囲設定の問題」であり、「その基準として社会統合能力を設定」しようというものである。浅川氏は「ハワード政権下の豪州の移民政策における最近の『社会統合』を重視する傾向は、人口減少を踏まえたうえで、『移民国家ニッポン』を目指す中で重要な示唆を含んでいると言えるだろう」と言っている。
 坂中氏・浅川氏は、『移民国家ニッポン』で、「人材育成型移民政策」を提唱している。これは「基本的には社会統合能力を重要視するもの」だという。「人口減少の日本が必要とする外国人」は、「若さ、専門知識、日本語能力の三拍子を兼ね備えた人材」であり、「こうした要素の有無が社会統合に直結する重要なもの」であるとする。国際社会は英語が主ゆえ、「英語圏である豪州においては、英語と専門技術を持つ移民を集めることは可能だろう。しかし、日本語圏がない我が国においては、そうした能力を兼ね備えた人材を積極的に育成していかねばならないことは明らかだ。移民先進国・豪州の事例を参考としながら、我が国の現状に適した政策を構築し、『移民国家ニッポン』を目指す必要がある」と説く。
 私も、オーストラリアにおける多文化主義からの転換は、わが国が注目すべきものだと思う。ただし、坂中氏・浅川氏は、目標が「移民国家ニッポン」である。その目標をめざすために、他国から参考になる点を採ろうとしている。だが、オーストラリアの事例が示しているのは、日本が他国を真似て移民国家をめざすこと自体に、問題があることである。また、一度多文化主義を導入すると、後で問題があるからと方針を転換しても、もはや遅いということである。そして、ポイントは中国人移民への対応である。その点を次回に書く。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本91

2011-10-30 08:32:06 | 国際関係
●日本を変造する「革命」の書

 坂中氏は『日本型移民国家への道』で、「日本復活に向けて取り組むべき最優先課題は移民国家の確立」「これは移民国家宣言」「移民国家の創建こそ究極の日本改革」「移民1世の国籍取得に際し二重国籍を容認」「日本人は百年かけて純種系民族から雑種系民族へ進化を遂げなければならない」等と述べ、2050年には日本は「アメリカにつぐ世界第2の移民大国」となり、「移民の中から救世主が登場」等と書いている。
 こういう文言に溢れる冊子を使って、坂中氏は日本を「移民国家」にし、日本民族を雑種系民族に変える「革命」を起こそうとしている。そして、この冊子を「日本型移民国家」の創建の担い手となる若者を育成する「坂中塾」のテキストに使うという。坂中氏は「日本の未来を担う若者が移民と手を携えて人類未到の『多民族共生国家』の創造に挑む。これ以上に若者のチャレンジ精神をかきたてるものはない」と言う。そして「日本型移民国家」を創る革命の戦士を育成しようとしている。坂中氏は、この「革命」を「明治維新のような大改革」と呼び、「このような世紀の大事業は、幕末の吉田松陰、坂本龍馬の如き、20代・30代の志士が大役を果たさなければ成就しない」とし、「平成の志士を育てたい」と言う。だが、松陰や龍馬は、白人列強から日本を守るために行動したのであり、日本は天皇を仰ぐ比類ない国と理解し、天皇を中心とした新しい日本を建設しようとした。それゆえ、日本を「移民国家」とし、日本民族を雑種系民族に変える「革命」を、明治維新に例えるのは不適切であり、その「革命」の戦士を育てるのに、松陰や龍馬を持ち出すのは不当である。歴史の知識を欠き、民族の自覚を欠いた若者を惑わすものといえよう。
 そもそも移民国家とは、外国から移住した民族が作る国家をいう。アメリカ合衆国で言えば、インディアンの土地に白人が移住して、白人の国家を創ったのが、移民国家である。オーストラリアで言えば、アボリジニを駆逐して、白人が移民国家を創ったのである。日本の場合であれば、海外から移住してきた民族がそれまでの日本という国とは異なる国家を創るとき、それが移民国家である。
 もともと自生的に発展した自生国家が、移民を多く入れて多民族国家になるとすれば、その国家を移民国家とはいわない。今日のドイツは、ヨーロッパ最 大の多民族国家になったが、由来から見て移民国家ではない。
自生国家が多民族化することを説くのなら、目標は移民国家にならない。移民国家が目標だというのは、坂中氏がこれまでの日本という自生国家を否定して、新たな移民国家を創建しようとしているからである。それが「日本型移民国家」という言葉に示されている。そういう言葉を使うこと自体、馬脚を現しているのである。
 では、坂中氏の「革命」で、日本を否定して創建する移民国家の主体は誰か。移民国家である以上、建国の主体は先住民の日本人ではありえない。海外から日本に渡来する移民が主体となる。具体的には、外国から日本に最も多数流入している中国人ということになるだろう。だから、坂中氏の説く「日本型移民国家」とは、日本を中国の自治区に変え、中国人が多数移住し、中国人が支配する区域に変える動きを誘導しているようなものである。この過程を粉飾して、日本人、及び日本の若者をたぶらかすものなのである。
 私は、冊子『日本型移民国家』に非常に危険なものを感じる。この冊子を読了して感じたのは、この冊子が放つ強いエネルギーである。そのエネルギーは、私がかつて北一輝の『日本改造法案大綱』や太田龍の『辺境最深部に向かって退却せよ』に感じたものと似ている。北の著作は戦前の青年将校たちを過激な行動に駆り立て、太田の著作は戦後の共産主義者や無政府主義者を激烈な闘争に駆り立てた。坂中氏の冊子は、クーデターや爆弾テロを教唆・扇動するものではない。政策の提言であり、理論的かつ戦略的、具体的かつ実際的な書である。国家議員や財界人、官僚等に提案し、既成の秩序のもとに、合法的に日本の変造を行おうとするものである。坂中塾の対象も、政治家の卵や若い官僚、学生・研究者たちだろう。それゆえ、私の連想に対し、奇妙な感じを受ける人が多いかもしれない。だが、私が冊子に感じるのは、人を、ある観念のもとに、変革に駆り立てる独特のエネルギーなのである。このエネルギーを受けて、日本を「移民国家」に変えようと行動する者たちを警戒しなければならない。

●最優先課題は、移民国家ではなく、日本精神の復興

 坂中氏は「日本復活に向けて取り組むべき最優先課題は移民国家の確立」だというが、これがとんでもない妄説であることを私は指摘した。最優先課題は、日本を守り、外国人による移民国家の建設を防ぐことである。
 坂中氏と私は、国家の目標像が異なる。坂中氏は多民族国家を目標とし、細川は国民国家を目標とする。坂中氏は憲法護持による日本変造を図り、私は憲法改正による日本の再建を目指す。また、少子高齢化・人口減少への対処が異なる。坂中氏には少子高齢化への取り組みがほとんどなく、移民増大に頼ろうとする。経済的繁栄を追及するために、「和の精神」という触れ込みで、多民族化を進めようとする。私は脱少子化を推進し、国民国家としての日本の発展を考える。国家安全保障を重視し、日本人の共同性を回復・強化しようとする。
 今日日本人がまず為すべきは、日本精神の復興であり、日本の伝統・文化・国柄の継承・発展である。これをしっかり成し遂げることなく、多文化主義を採り、移民を多く受け入れ、多民族国家に向うと、日本は崩壊する。日本精神の復興、日本の伝統・文化・国柄の継承・発展は、日本人の自覚を高める。日本人として、日本国民として、また日本民族としての意識が回復・発達すると、家族の形成、子育て、勤労、社会貢献等への意欲が高まり、婚姻率・出生率が上がり、生産労働人口が増え、ニートが減るなど、社会が活性化してくる。安易に外国人移民に頼らずとも、日本人自身がもっと能力を発揮するようになる。その結果、移民1000万人計画は不要のものとなる。
 この点は、後に項を改めて書くことにする。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本90

2011-10-29 08:35:47 | 国際関係
●「日本型移民国家への道」の危険性

 坂中氏は平成23年(2010)5月に、『日本型移民国家への道』(東信堂)という冊子を出版した。これを氏は「私の移民政策論の完成品と言えるもの」だという。確かにそれまでの提言に比べ、より戦略的に練り上げられ、より具体的な多くの施策を提案している。
 東日本大震災後に発行したこの冊子で、坂中氏は次のように書く。
 「歴史が始まって以来の人口危機と、それに追い打ちをかけるような千年に1度の大災害に見舞われた日本は、時代を画する移民政策と農林漁業革命の同時達成に活路を求めるしかないと考える」と。
 この冊子はそれまでの氏の提言以上に過激な主張に満ちている。「政治が日本復活に向けて取り組むべき最優先課題は移民国家の確立である」「これは移民国家宣言である」「移民国家の創建こそ究極の日本改革」「移民1世の国籍取得に際し二重国籍を容認する」「日本人は百年かけて純種系民族から雑種系民族へ進化を遂げなければならない」等と述べ、2050年には日本は「米国に次ぐ世界第2位の移民大国」となり、「日本の政界にも移民から救世主になる逸材が出ている」等と書いている。
 さて、坂中氏は、この冊子で、私が氏は変節したのではないかと疑っている点について、自ら弁明している。概略次のようなものである。
 「私の基本的な立場は小さな日本に軸足を置いたものである。移民政策も今の英、仏、独水準並みの移民人口(総人口の1割)に抑えるものだ。人口動態の急激な変化に対応できない国の根幹部門(たとえば農林水産業、町工場、社会保障制度など)を存続させるのに必要最小限の移民にとどめる」
坂中氏はここで自分は「小さな日本」に「軸足」を置いていると言う。しかし、平成16年(2004)の時点で坂中氏が言う「小さな日本」とは、「ほぼ単一民族国家」としての日本だった。それが、23年(2011)の冊子では、その「小さな日本」は「日本型移民国家」であり、「多民族国家」に変わっている。「多民族国家」は、以前は「大きな日本」の姿だったのに、今度は目指す国家の民族構成が正反対に変わっている。にもかかわらず坂中氏は、その多民族国家を「小さな日本」だと強弁する。私に言わせれば、国の大小、人口の多少よりも、「ほぼ単一民族国家」か「多民族国家」かの違いこそが重要である。
 日本は移民国家ではない。日本は長い歴史の中で自ずと生まれた国家である。これを、自生国家と呼ぶとすれば、日本が自生国家であることをやめ、移民国家に変わろうとすることは、歴史始まって以来の大変化である。坂中氏は、この変化を「革命」と呼び、そのための移民政策を「革命的」と呼ぶ。「移民国家の創建こそ究極の日本改革」だとし、「純種系民族から雑種系民族へ」と、この変化を表現する。坂中氏は、「ほぼ単一民族国家」である本来の日本から、「多民族国家」である別の日本へと、日本を変造しようとしているのである。氏は「純種系民族から雑種系民族へ進化を遂げなければならない」というが、どうして「雑種」になることが「進化」なのか、理解に苦しむ表現である。
 坂中氏は、人口1億人のうち移民が1000万人というのは、現在のイギリス、フランス、ドイツ並みの「普通の移民国家」になるだけだという。それを「人類未到の大事業」とも言うから、どうして「普通」が「人類未到」なのか、これも理解に苦しむところである。それはさておき、目標とする1億人は、現在の1.27億人より人口は、少ない。その点では「小さな日本」だが、坂中氏は最初から、1.27億人以上の人口を目指す案を提示していない。現状程度の人口の日本を「大きな日本」、1億程度の日本を「小さな日本」と坂中氏は呼んでいるだけである。本質的な違いは、人口の多少ではなく、「ほぼ単一民族国家」か「多民族国家」かという点にある。
 ところが、坂中氏は、この本質的な変化を人口の多少の話しにすり替えている。そして、あたかも自分の主張が首尾一貫しているかのように振舞う。この態度は、不誠実である。考えを変えたのなら、率直に変えたと言えばよい。そうせずに不誠実な言動をしているのが、坂中氏である。
 『日本型移民国家への道』の提言は、細部においては、一見優れた施策が随所に見られる。だが、問題は国家の目標である。日本をどういう国にするかという目標が全く違っていれば、優れた施策と見えるものは、日本を破壊し、変質させるためのプログラムとして機能する。
 そこで私は言う。坂中氏は、かつて「小さな日本」をよしとしていて変節し、移民国家・多民族国家をめざす立場に急変していながら、なお「小さな日本」に「軸足」を置いているとして、あたかも首尾一貫した言動を取っているかのように装っており、日本の伝統に基づいているようで、日本を全く異なる国に変えようとする虚説の指導者である、と。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本89

2011-10-28 08:43:30 | 国際関係
●坂中氏の無節操な変容(続き)

 坂中氏は、平成16年(2004)に書いた「外国人受け入れ政策は百年の計である~目指すべきは『小さな日本』か『大きな日本』か」では、「小さな日本」「ほぼ単一民族国家」をめざすべしと書いていた。ところが、3年後の平成19年(2007)に出した『移民国家ニッポン』では、まったく主張を変えている。「小さな日本」ではなく「大きな日本」、「ほぼ単一民族国家」ではなく「多民族国家」をめざすことを主張するようになったのである。
 『移民国家ニッポン』で坂中氏は、50年後の日本の人口は1億人、うち日本人が9000万人、外国出身者が1000万人と想定する。平成16年の論文では、「大きな日本」をめざす場合、「50年間で3000万人近い数の外国人を移民として受け入れる」としていた。その際の移民受け入れの量的目標より、受け入れる外国人の数が、1000万人と少なくなった。だが、日本が目指すべきとする国家の姿が、「多民族国家」に変わっている。ここが重要である。国の小さい、大きいよりも、「ほぼ単一民族国家」か「多民族国家」かの違いがポイントである。
 坂中氏は、明らかに主張を変えたのである。それなのに、坂中氏は自分の主張の変更について説明しない。ずっと一貫して、多民族国家論を説いてきたかのように装っている。これはおかしい。平成16年の論文は「小さな日本」を説いていた。坂中氏はその論文を「理論篇」とし、19年の『移民国家ニッポン』を「応用篇」と呼ぶ。「応用篇」なら、「小さな日本」をめざすための具体的政策を発表すべきところである。実際は、目標が反対方向に変わったのだから、「応用篇」ではなく「変更篇」または「変節篇」というべきではないか。

●小泉構造改革の結果、移民拡大政策が要求されるように

 一体、坂中氏はどうしてこれほどまでに大きく意見を変えたのか。坂中氏は、平成17年(2005)に法務省を退職し、同年外国人政策研究所を設立して、19年(2007)から活発に発言するようになっている。17年(2005)から19年(2007)の間に何があったのか。私は、小泉構造改革の影響だろうと推測する。
 小泉内閣は、平成13年(2001)4月から18年(2006)9月まで続き、構造改革を行った。小泉構造改革は、わが国に本格的にアメリカ発の新自由主義・市場原理主義を導入するものだった。その結果、名目GDPは落ち込み、税収は激減し、財政赤字は増大した。さらに格差の拡大、地方の疲弊、自殺者の増大、家庭の崩壊、教育の荒廃、共同性の喪失等を産み出した。
そのため、わが国の指導層の一部に、安価な移民労働力を求めて、外国人労働者をもっと大規模に入れるべきだという考えが強まったのである。そして、移民を増大する方向への転換は、平成20年(2008)に起こったと見られる。官僚は、しばしば政府や財界の意向が変わると、それに付き従って、政策も思想も変える。坂中氏もこれに似た変節をしたのではないか。
 先の平成20年(2008)、坂中氏は、「幸運にも、移民立国で日本の活性化を図る決意を固めた中川秀直衆議院議員(自民党外国人材交流推進議員連盟会長)とめぐりあい、私が唱えてきた『移民国家構想』は政治課題にのぼることになった。」と書いている。中川氏こそ、現在の自民党で、小泉構造改革を継承し、新自由主義的・市場原理主義的な政策を説く「上げ潮派」の代表格である。坂中氏の移民1000万人計画は、新自由主義的・市場原理主義的な施策をよしとする政治家・財界人の求めに応えるものと言えるだろう。そして、大企業経営者を主とする財界人には、中国に進出し、中国人を安価な労働力として利用し、企業利益を上げようとする者が多い。一方でアメリカの意向に従い、一方で中国との経済活動を拡大する。そういう政治家・財界人こそ、移民1000万人計画を推進しようとしている。坂中氏は、過去の自説を巧みに変容させて、その求めに応えているのだろう。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本88

2011-10-27 08:41:58 | 国際関係
●坂中氏の無節操な変容

 坂中氏は、長年、法務省入国管理局で出入国管理行政に携わった。昭和50年(1975)に書いた論文「今後の出入国管理行政のあり方について」は、坂中論文という通称で呼ばれ、「外国人政策を考える上での不可欠の文献とされている」という。その後も、坂中氏は、出入国管理行政の実務者として発言を続けた。そして、平成16年(2004)に坂中氏が「私の外国人政策論の集大成であり、政策提言を行うときの指針となる文章」であるという論文を発表した。月刊『中央公論』平成16年2月号に掲載された「外国人受け入れ政策は百年の計である~目指すべきは『小さな日本』か『大きな日本』か」と題した論文である。
 坂中氏は『移民国家ニッポン』(平成19年、2007)で、「本論文は、私たちが本書で展開した『移民国家ニッポン』の政策構想の源流でもある。それがいわば『理論篇』で、この本はその『応用編』と位置づけることができるだろう」と述べる。
 この論文で、坂中氏は、次のように書く。「人口減少社会への対応のあり方として、理論上は、次のような両極端のシナリオが考えられる。人口の自然減に全面的に従って縮小してゆく『小さな日本』への道と、人口の自然減を外国人の人口で補って現在の経済大国の地位を守る『大きな日本』への道である。言い換えれば、前者は日本民族が圧倒的な多数を占める現行の国家体制(ほぼ単一民族国家)を維持するものであり、後者は日本民族以外の民族の占める比重が加速度的に大きくなってゆく新しい国家体制(多民族国家)へ移行するものである。どちらの道を選択しても、人口減少社会に生きる日本国民は厳しい試練を乗り越えなければならない」と。
 この時点(平成16年、2004)では坂中は「小さな日本」をよしとしていた。そしてその「小さな日本」とは、「日本民族が圧倒的な多数を占める現行の国家体制(ほぼ単一民族国家)を維持するもの」を意味した。
坂中氏は述べる。「『大きな日本』は、外国人の大量導入で人口の自然減に対処し、経済成長の続く『活力ある日本』を目的とするものである」「『大きな日本』を目指す場合には、50年間で3000万人近い数の外国人を移民として受け入れる必要がある。これはかつて経験したことのない規模の他民族の受け入れである。日本国は、日本列島に古くから住んでいる日本民族と、世界各地から新たにやってきた民族で構成される『多民族国家』となる」と。
 しかし、坂中は「日本の歴史と現実を踏まえ人口減少社会の将来を展望すると、年間60万人もの外国人を移民として受け入れる能力は日本社会にはないし、それだけの度量の大きさを日本人に期待できないと推測される」とし、それゆえに「人口の大幅減が続く日本は、基本的な方向としては、構成員が激減してゆく『縮小社会』へ向かわざるを得ないと考えられる」と言う。
 ただし、日本は、50年後に人口が3千万人ほど減って1億人前後の人口になっても、今のフランス(6000万人)やドイツ(8300万人)より多い人口大国であることに変わりはない、と坂中氏は言う。そして、人口減少を肯定的にとらえて、「50年ないし100年後の日本国民に美しい自然環境と安定した社会を遺すことを重視する立場からすると、少なくとも2000年代の前半期は人口が減少してゆく社会こそ望ましいのであって、『小さいながらも美しい日本』を目標にする国民的合意を期待するものである。国民が生活にゆとりと安寧をもたらす人口減少社会に大きな意義を見出し、小さくなった人口規模に相当する経済・社会体制の日本に作り変えてゆく。あわせて、外国人人口の流入を許さない厳格な入国管理政策を堅持する。これらについて国民の総意が形成されることになれば、それは日本列島の中にいわば『壮大な理想郷』を実現しようというものであって、地球環境を大切にする世界の潮流にも合うものだと言うことができる」と書いていた。
 また「大規模な他民族の渡来に遭遇し、民族の異なる人たちと渡り合った経験の少ない日本人と日本国が、十分な心構えもなしに大量の外国人を入れるのは危険だ」「仮に、外国人の大きな力を借りて人口減少社会を乗り切るという方針をとる場合には、社会の多数者の日本人と少数者の外国人の融和の度合い、多民族の国民統合の進み具合などを勘案して、日本社会の健全な発展との調和をとりながら漸進的に外国人を入れてゆくべきである」とも書いていた。
「十分な心構えもなしに大量の外国人を入れるのは危険」「社会の多数者の日本人と少数者の外国人の融和の度合い、多民族の国民統合の進み具合などを勘案して、日本社会の健全な発展との調和をとりながら漸進的に外国人を入れてゆくべき」というのである。
 私が坂中氏について書いたことを、ここまで読んできた方は、驚かれるだろう。同じ人物が、平成16年(2004)には、このように自分で書いていたのである。

 次回に続く。

TPP反対の国会議員が増加中

2011-10-26 14:45:49 | 時事
 全国農業協同組合中央会(JA全中)は、TPP交渉参加に反対する請願を衆参両院議長に提出した。請願はTPPが農林水産業だけでなく地域の経済・社会の崩壊を招く恐れがあるなどとして、TPPに参加しないこと、安心・安全な食料・エネルギーの安定供給などに向けた施策を確立することを求めている。
 JA全中は請願提出に必要な紹介議員として、356人の名前も併せて公表した。内訳は民主120人、自民166人、公明25人、共産15人、社民10人など。自民は所属議員の8割以上、公明は6割以上、共産・社民は全議員である。
 わが国の国会議員の定数は、722人。そのうちの356人ゆえ、約49%、ほぼ半数がTPP反対請願に賛同。政務三役など80人は慣例で請願書に協力できないというから、それを除くと、実質的には反対が半数を超えていることになる。だが、まだ際どい情勢であり、もっと国会議員にTPPの危険性を理解してもらわねばならない。
 戦前の日独伊三国同盟の時は、陸軍がヒトラーに同調して同盟を進め、国を誤らせた。今日は、財務省がアメリカの意思に迎合して、国を誤らせようとしている。方や軍事官僚、方や経済官僚。ともに優秀な国家官僚が失策を重ねても責任を取ろうとせず、基本姿勢を改めないまま、国のかじ取りをしようとしている点が共通している。国民とその代表である政治家がしっかりしないと、痛恨の歴史を繰り返す。

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●時事通信 10月25日(火)20時18分配信

賛同議員、356人公表=TPP反対請願―JA全中

 全国農業協同組合中央会(JA全中)は25日、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加に反対する請願を衆参両院議長に提出したと発表した。両院議長への提出には国会議員の紹介が必要で、紹介議員356人の名前も併せて公表した。民主党の山田正彦前農林水産相や自民党の森喜朗元首相らが名を連ねた。
 JA全中によると、請願ではTPPは農林水産業を行う地域経済や社会の崩壊を招く恐れがあるなどとして、不参加を求めた。JA全中は、紹介議員の名前を組合員に提供し、選挙の判断材料として活用してもらう考えだ。
 紹介議員は、民主党が山田前農水相や渡部恒三最高顧問ら120人。自民党は森元首相や町村信孝元官房長官ら166人と最も多かった。公明党は井上義久幹事長ら25人、共産党が志位和夫委員長ら15人、社民党が福島瑞穂党首ら10人、国民新党が亀井静香代表ら4人―など。 
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トッドの移民論と日本87

2011-10-26 08:44:42 | 国際関係
●国際的・進歩的で伝統にもかなっているようだが

 坂中氏は、わが国が中国人移民を大量に受け入れた場合の危険性をよく理解していない。無防備に近い意識状態で、日本人や日本の政治家に、移民1000万人計画を吹聴する。それが一見、国際的で進歩的と見えるだけでなく、日本の伝統にかなったことを説いているように見えるので、非常に大きな悪影響をもたらしている。
 坂中氏は、「民族名や民族文化を尊重して、日本の国籍取得を促すのは同化ではなく共生だ」という。だが、日本人主体で外国人を精神的に日本人とする「同化」と、国籍だけは日本だが、文化・思想は外国のままという外国人にも国籍を与える「共生」とは、全く違う。
 坂中氏の「同化ではなく共生」とは、多文化主義の考え方である。多文化主義はアメリカ発でヨーロッパや日本に輸出された。ヨーロッパは、多文化主義を移民政策の理想としたが、多文化主義を採ったオランダは国内が混乱に陥り、ドイツではメルケル首相が「多文化主義は失敗だった」と表明している。
エマニュエル・トッドは、アメリカ発の多文化主義を批判し、米英独のように移民を隔離または排除するのではなく、受け入れ社会に同化させることを主張している。トッドはフランスにおいて、独善的に同化を押し付けるのではなく、「率直で開かれた同化主義」を取るべきことを提唱している。私は、わが国は、多文化主義を採ってはならず、トッドの「率直で開かれた同化主義」に学ぶべきだと思う。
 坂中氏は、「同化ではなく共生」という多文化主義を、読む者に受け入れさせる巧みな表現力を持っている。
 例えば、次のように。「日本が多様な民族から構成される多民族国家になっても、国の基本的な枠組みは、日本語に代表される日本文化と、日本の社会・経済・法律制度が中心であることに変わりはない。日本国の秩序のもとで、外国出身者が『日本が好きだ。早く日本人になりたい』という気持になってもらえる社会環境を整えること、それが社会統合政策の目的である」
 「日本が未曾有の数の外国出身者を受け入れるのであれば、日本民族と他の民族がお互いの立場を尊重し合って生きる社会、すなわち多民族共生社会を作るという日本人の覚悟が必要である。そのとき日本人に求められるのは、自らの民族的アイデンティティを確認し、かつ異なる民族すべてを対等の存在と認めて待遇する心構えを持つことである。日本民族の根本精神を堅持するとともに、少数民族の固有文化を尊重しなければならない」
 「日本人は、一般に言われるような排他的な国ではない。むしろ海外の文化を積極的に取り入れてきた歴史を持つ、多様性に富んだ社会である。日本人には、多様な価値観や存在を受け入れる『寛容』の遺伝子が脈々と受け継がれ、日本社会には『共生』や『人の和』を創り出す豊かな精神風土が育まれてきた」「古来、日本は『和をもって貴しとなす』(十七条憲法)を基本とする国柄であったのだ」等と。
 こうした坂中氏の文言は、日本人を多文化主義へと誘う。だが、この言説に乗ったら、日本人は日本の非日本化に歩み出し、実質的なシナ化に向うことになる。

●坂中氏の「和の精神」は似て非なるもの

 坂中氏は「国の基本的な枠組みは、日本語に代表される日本文化と、日本の社会・経済・法律制度が中心であることに変わりはない」と言うが、それを確固としたものにするには、現行憲法を改正し、憲法に日本の歴史・伝統・文化・国柄を明記し、日本とはどういう国であるか、日本国民とはどういう国の一員であるかを提示する必要がある。そして、「異なる民族すべてを対等の存在と認めて待遇する心構え」を持ち、「少数民族の固有文化を尊重」する前に、日本人は「自らの民族的アイデンティティを確認」し、「日本民族の根本精神を堅持」しなければならない。それには、多文化共生教育ではなく、国民教育・民族教育をしっかり実行しなければならない。憲法の改正に伴って、教育基本法を再改正し、愛国心・道徳心・公共心を涵養する教育を推進しなければならない。
 坂中氏の移民政策論には、こうした日本を守るための根本的な政策が、まったくない。「和」とか「アイデンティティ」などと言うが、そこには本当の日本の精神はない。
 例えば、坂中氏は「古来、日本は『和をもって貴しとなす』(十七条憲法)を基本とする国柄であったのだ」と言う。そこから「和」→「共生」→多民族国家は、日本の伝統が自ずと示す進路のように思わされる人がいるだろう。だが、この誰もが知っている「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の文言は、天皇を中心とした和を説くものである。天皇を敬い、そのもとで国民が調和するのが、わが国の国柄であり、その国柄を守るのでなければ、日本の本質は失われていく。坂中氏が移民に日本国籍を与え、日本国民とする際、この日本の他国に比類ない伝統・国柄に、一切触れない。私は、坂中氏の「和の精神」は、似て非なるものだと思う。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本86

2011-10-25 10:12:37 | 国際関係
●多民族国家は欧州イスラム化の二の舞に

 日本は、平成16年(2004)の1億2800万人をピークに、17年(2005)から人口減少時代に入った。18年末(2006)に発表された政府の将来人口推計は、出生率が今の低水準で推移すれば、50年後は9000万人を切り、100年後は現在の3分の1にまで減少すると推定している。
 坂中氏は、この人口減少に対応するため、外国人を多数受け入れるとともに、在日コリアン出身の政治家の「活躍」で、日本を多民族国家にしようと目論む。
 坂中氏は、「人口減少期の日本が努力して世界のモデル国として生まれ変わる未来像」を提示する。平成19年(2007)時点の記述である。
 「2010年の日本。時の内閣が、移民の受け入れで人口減少社会を乗り切るため、『日本型多民族共生社会』の樹立を国の基本方針とする旨を閣議決定する。そして、世界から多士済々が移住したいと憧れる『移民国家ニッポン』を目指し、民族や文化の異なる人たちを正当に評価する社会作りを国民に呼びかける。同時に、移民受け入れ政策の立案、多民族共生教育、多民族の国民統合などを担当する移民庁を設置する。家庭、学校、職場、地域社会においては、外国人との共生運動を展開し、外国人と交わり、切磋琢磨することで、新たな可能性と喜びを見出す日本人が増える社会環境を整える。
 その上で、政府は人材育成型移民政策大綱を定め、50年間で1000万人の移民を計画的に受け入れる国家的事業を開始する。
 やがて多民族共生が人口減少社会の時代精神となり、これまで日本人が体験したことのない新しい世界を実現しようという声がほうぼうから上がる。厳しい試練の時を迎えて、外国人との共生に向って日本国民は立ち上がる」
 本年は平成23年(2011)だが、幸い坂中氏が想定した22年(2010)に、わが国政府は上記のような決定をしなかった。
 坂中氏の未来像を続けよう。
 「時は流れて2050年。総人口1億人のうち外国出身者は1000万人。同じように外国人を多数受け入れた欧米諸国で民族問題が深刻な状態にあるのと比較して、日本ではそういう状況にはなっていない。日本には寛容の心で外国人をもてなす良き伝統があって、日本人と外国出身者の関係は総じて良好である。もともと人間は異なる民族への憧れや好奇心を潜在的に持っている。日本社会全体が多様性を重視する方向に舵を切ったことで、異なる文化を持つ人に対して好意的なまなざしを向ける人たちが、次々と現れている。若い世代からは人種や文化の相違に魅力を感じる人が続出し、異民族結婚ブームが起きている。多様な民族の受け入れを歓迎する国民が一丸となって、世界に冠たる多民族共生社会の創造のため奮闘している」。
 まず言っておかねばならないのは、計算が合わないことである。坂中氏は、50年間で移民を1000万人受け入れ、2050年に人口1億人のうち1000万人にするという計画を提示している。これでは数字が合わない。2010年スタートとすれば、その50年後は、2060年。2050年の時点では、まだ開始後40年である。40年間で1000万人を受入れとするのか、2060年に1億人とするのか、どちらかにしてもらいたい。
 人口1億人のうち、移民が1000万人ということは、日本人が9000万人。人口の10%を移民が占めるという状態である。ヨーロッパの場合、人口の8%前後を超えると、政府が移民の増大を制御することはできず、どんどん増え続けている。オランダでは、人口の約10%を超えたとき、ムスリム系移民と元の国民の間の対立が激化し、国内に別の国家が出現したような状態になった。その後も政府は移民問題を制御できないまま、移民の人口は19%になっている。
 平成21年(2009)8月、英紙デイリー・テレグラフの記事を引用したが、同紙は「2050年ごろにはイスラム人口がEU人口全体の5分の1に相当する20%まで増える」「特に、英国、スペイン、オランダの3カ国でイスラム化が顕著で、近いうちにイスラム人口が過半数を超える」と予想している。オランダはこうした予想のされる国の一つであり、すでにムスリムが20%近いのだから、ヨーロッパで最も早く人口の過半数がイスラム系移民という国家となるだろう。オランダではイスラム系移民規制を唱える自由党が勢力を拡大しつつあるが、今から規制をして流れを変えるのは、至難だろう。わが国も移民を10%まで入れたら、欧州諸国の二の舞になるに違いない。
 坂中氏はこういう欧州諸国の深刻な実態と将来予想を見ようとしない。そして、「欧米諸国で民族問題が深刻な状態にあるのと比較して、日本ではそういう状況にはなっていない」という未来像を描いている。実に甘い。「日本には寛容の心で外国人をもてなす良き伝統」があるのは事実だが、流入する外国人の量と速度が重要である。古代における渡来人は、数がごく少なかった。日本人は小数の外国人移民に対して、「和の精神」を発揮しながら、ゆっくり同化していけばよかった。しかし、今日のように、多数の移民が続々と押し寄せる時代においては、移民の数を制限し、速度をコントロールし、かつ選別を行うという、しっかりした対策が必要である。また、欧州に流入するのはムスリム系移民が主だが、わが国に流入するのは、主に中国人である。この中国人移民の問題の危険性については、先に詳しく書いた。坂中氏は、視野が狭く、その危険性をよく理解していない。
 この点、坂東忠信氏は、著書『日本が中国の自治区になる』で、次のように警告している。
 「自民提言では外国人移民の定住化のために、永住許可要件の大幅な緩和を目指すとしていますが、自国の素晴らしさを子供たちに教えず、国を大切にする考えのない今の日本に、10人に1人の外国人が流入してきたら、しかもそれが反日教育で洗脳された漢民族や韓国朝鮮人が主体となるなら、私たちの住むこの地は日本列島であっても日本ではなくなります」と。
 坂中氏は、単に出入国を管理しているだけの役人だったが、坂東氏は入国した外国人の犯罪を取り締まってきた刑事だった。その体験の差が両者の認識の違いに大きく関係していると思われる。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本85

2011-10-24 08:46:34 | 国際関係
●移民国家建設論は日本を多民族国家にする動き

 坂中氏の提案をより詳しく見てみよう。坂中氏は、『移民国家ニッポン』で、「人口減少社会に入った日本は、多民族共生社会を作ることが国民的な課題となる。現在、定住外国人の数は在日コリアンを含めて120万人ほどで、日本人口の1%にすぎないが、人口減少期の日本は相当程度の定住外国人を受け入れて多民族社会へ向うだろうと予想される」と述べる。
 では、坂中氏は、日本がどのような社会になると想像しているか。「私が描く多民族社会というのは、日本列島に日本人を中心に多様な国の出身者が居住する社会だ。オールドカマーの在日コリアンはもとより、ニューカマーの外国人の大半も日本国民になり、各民族が固有の文化を維持しながら生活している多様性に富んだ社会というイメージを持っている。日本人のほか、コリア系日本人、チャイナ系日本人、ブラジル系日本人、フォリピン系日本人などが活躍する『多民族国家ニッポン』である」と坂中氏は言う。
 ここでのポイントは、「オールドカマーの在日コリアンはもとより、ニューカマーの外国人の大半も日本国民になり」と書いているように、わが国政府が在日外国人や今後入国する外国人に、できるだけ早く日本国籍を付与し、また日本国籍を得た「各民族が固有の文化を維持しながら生活している」という多文化主義の政策を行うことが方針として、含まれていることである。そういう社会になっていくことが自然の趨勢であるかのように書かれている。だが、政府がこうした方針を採らない限り、日本は多民族国家にはならない。
 そして、坂中氏の一見、国際的で進歩的に見える提案の核心には、在日コリアンがいる。坂中氏は「多民族共生社会創造のカギを握るのが在日コリアンだ」と明言する。
 「多民族の国民統合を進めるためには、社会から疎外された経験を持ち、弱者の気持を汲むことができる、いわゆるマイノリティ出身の政治家に活躍してもらわなければならない。私は、その役割を在日コリアンに託したい。コリア系日本人の政治家の輩出を期待する。日本民族による、日本民族のための政治では『多民族共生国家ニッポン』は創造できないからだ」と坂中氏は述べている。
 つまり、日本を多民族国家にする構想は、在日コリアンを始めとする非日本民族のための構想である。既にわが国では、コリア系の帰化人が政界に進出し、少なからぬ影響力を振るっていると思われる。日本名を取得・使用していれば、外見上は帰化人とわからない。だが、日本の国益より韓国・北朝鮮の国益、日本民族の利益よりコリアンの利益を重んじる言動は、日本国民の立場を利用して、外国・異民族に奉仕するものである。日本の国会議員にあるまじき言動をしている政治家については、この点を注意する必要がある。
 坂中氏には、こういう見方がまったくない。それどころか、次のように書いている。
 「2050年の日本の政治について、私はこんな夢を描いている。国政選挙に外国出身の日本人が多く立候補している。マイノリティ出身の衆議院議員・参議院議員は50人を数える。現内閣の首相は日本人、閣僚のうち3人は外国出身者。中国、韓国及び米国出身の大臣がいる」
 わが国の国会議員の定数は、721人。そのうちの50人以上とは、6・9%以上。閣僚は現在の内閣法で最大人員が、17人。そのうちの3人とは、17.6%。わが国の政治は、全く違ったものとなってしまうだろう。日本をこういう国家に変えることが、坂中氏の日本多民族国家構想であり、坂中氏はその実現のために在日コリアンに期待しているわけである。
 実際に坂中氏が思い描くような国会・内閣になったならば、首相は日本人であっても、外国出身の帰化人グループがロビー活動を行って彼らの意思を実現しようとし、逆に首相や与党は、権力を握るために彼らの票数を利用しようとするだろう。
 これを中国・韓国・北朝鮮等の側から見れば、日本に自国民が多数移住し、日本国籍を取り、日本の国政に参加し、自国の国益のために日本の政治を動かすという目標となるだろう。その観点を加えて言えば、坂中氏の構想は、中国・韓国・北朝鮮等の思惑のままに、それらの外国人を日本に引き入れ、日本を彼らと共有するものとなる。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本84

2011-10-23 08:39:20 | 国際関係
●坂中英徳氏の移民国家建設論

 わが国の政財界には、計画的に外国人労働者、外国人移民の受入れを推進しようという動きがあると書いたが、その構想を立案し、具体的に推進しようとしているのは、国家官僚である。
 移民推進派の中心となってきた官僚が、坂中英徳氏である。坂中氏は「1000万人移民計画」を提唱する自民党の中川秀直元幹事長のブレインと見られる。
 坂中氏は、自身のブログにて、平成21年(2009)1月15日に「日本型移民国家への道」と題して、次のように書いている。
http://blog.livedoor.jp/jipi/archives/51223756.html
 「2008年2月、幸運にも、移民立国で日本の活性化を図る決意を固めた中川秀直衆議院議員(自民党外国人材交流推進議員連盟会長)とめぐりあい、私が唱えてきた『移民国家構想』は政治課題にのぼることになった。最終的には、自民党国家戦略本部『日本型移民国家への道プロジェクトチーム』が私の提案を取り入れて、2008年6月、『人材開国!日本型移民国家への道』という報告書を福田康夫首相(当時)に提出した。
 つづいて、日本経済団体連合会が同年10月、『人口減少に対応した経済社会のあり方』という題名の提言書を発表した。その中で『高度人材に加え一定の資格や技能を有する人材を中心とする幅広い層の受入れ、さらにはその定住化を図っていくという観点から、内閣府に担当大臣を置き、関係省庁が一体となって施策に取り組む体制を整えるとともに、関連分野にまたがる法制面の整備などを含めた、総合的な「日本型移民政策」を本格的に検討していくことが求められる』と提言した。
 これは日本経団連が初めて『移民』の受け入れの立場を打ち出したもので、歴史的な第一歩と位置づけられる。
 日本経団連の提言の目指す方向は、私の移民政策論と一致する。『日本型移民政策』確立の一翼を日本経団連に担ってもらえるとの確信を得た。
 経済界を代表する団体が日本型移民政策を支持する提言を出したことを受けて、人口減少社会の外国人政策は定住支援型の『移民』の受け入れである、ということで各界の意見がまとまることを期待する。国家の構成員(国民)が減っていく国のとるべき外国人政策は、新しい国民の誕生が期待できる『移民政策』しか考えられないからだ」と。
 坂中英徳氏は35年間、法務省入国管理局で出入国管理行政に携わった。その間、昭和50年(1975)に書いた論文「今後の出入国管理行政のあり方について」は、「外国人政策を考える上での不可欠の文献とされている」という。平成17年(2005)に退職すると、同年外国人政策研究所を設立し、19年(2007)から積極的に移民政策について発言している。その坂中氏が提唱しているのが、50年間で1000万人の移民を受け入れ、日本を多民族国家とするという構想である。
 坂中氏の名を広く知らしめたのが、『移民国家ニッポン』(日本加徐出版、2007年)である。本書は坂中氏と浅川晃広氏の共著である。浅川氏は坂中氏の外国人政策研究所の事務局長、名古屋大学大学院の講師で、移民政策論、オーストラリア政治社会論が専門という。
 坂中氏は、本書で、「外国人の入国在留問題と取り組んできた経験を踏まえ、人口減が続く時代の日本の移民受け入れ政策の方向を示したいと思う」と言う。
 氏によると、「人口減が深刻化する一方の日本は、もはや手をこまねいているわけにはいかない。今こそ、日本の大改革に向けて、活発な国民的議論を始めなければならない」。そのような危機感を持つ著者らは、本書において、「日本が人口減少社会を乗り切るための有力な施策」として、「今後50年間で1000万人の移民を受け入れる外国人政策」を提案し、「さらに、人口減の日本が外国人を受け入れる基本的な枠組みについても検討し、『人材育成型』の移民政策をとるべきだと提案」する。
 そして、坂中氏の政策提言の第一は、移民1000万人の受け入れである。坂中氏は、「50年間で1000万人の移民を円滑に受け入れるためには、内閣府に移民庁を設置し、専任の国務大臣を置く必要がある。この中央官庁は入国管理のほか、移民受け入れ政策の企画立案、民族的少数者の社会統合の推進、多民族共生教育の実施、民族差別の監視などを担当する」としている。
 提案の第二は、人材育成型の移民政策である。坂中氏は、人材育成型の移民政策とは「技能実習制度の目的を従来の国際技術移転型から、国内人材確保型へ転換し、人口減社会にふさわしい外国人受け入れ制度に改めるものだ。すなわち、人材育成と定住促進を車の両輪として、人口減が続く時代に適応する制度によみがえらせる構想である」と述べている。
 これらの提案は、自民党PTの移民1000万人受け入れ計画と要素がいくつか共通しており、自民党PTの計画のもとになっていることが推測される。
 坂中氏は、「もし仮に、日本が秩序ある外国人受入れ制度の構築に失敗した場合には、日本の入国管理を最大限の厳戒体制で固めても、海外からの人口流入圧力によって『国境の堤防』が崩壊する危機に瀕する事態も想定される」と説いて、日本を移民国家にする提案を受け入れさせようとする。この人口流入の最大の圧力は、中国人移民である。坂中氏はそのことを意識して秩序ある受け入れを提案する。その主旨はわかるが、私は、移民1000万人の移民国家をめざすという目標が問題だと思う。もしわが国が坂中氏の政策を採用したら、日本は大失敗する。移民国家への移行は、日本崩壊への道である。

 次回に続く。

■本稿を含む「トッドの移民論と日本の移民問題」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm