●憲法改正案は自主防衛と非常事態規定を欠く
去る4月28日わが国が独立回復60年を迎えるに際し、自民党は憲法改正案を発表した。みんなの党、たちあがれ日本は、新憲法の大綱を公表した。次の衆議院選挙は自民党が大勝すると予測されており、その自民党が憲法改正を政権公約の第一に掲げるから、憲法が選挙の争点の一つとなるだろう。戦後初、ようやく来る好機である。
さて、維新版八策の骨子は、憲法改正を第8の課題としているが、内容は「憲法改正要件(96条)を3分の2から2分の1に緩和する」「首相公選制」「参議院の廃止をも視野に入れた抜本的改革」「衆議院の優越性の強化」の4項目のみ。道州制の導入も憲法改正を要する政策だが、第1の課題である統治機構の作り直しには挙げてあるものの、憲法改正の課題には書いていない。その意図はわからないが、最大の問題はそもそも何のために憲法改正をするのかが説かれていないことである。維新八策の「目的」のキーサードである「決定」「責任」「自立」との関係を、ほそかわなりに慮れば、統治機構を作り直すために憲法を改正するということになるだろうが、憲法改正の課題に、そのように明記はされていない。
憲法改正に関し、特に重要なのは日本の安全保障をどう確保するかである。ところが、維新八策は、肝心の憲法9条に触れていない。要点を欠いている。大きな欠陥である。第7番の外交・安全保障政策の課題には、「自主独立の軍事力を持たない限り日米同盟を基軸」という前提付きの表現を使っている。日米同盟を基軸とするのは日本外交の根本だが、自主独立の軍事力を持つならどうなのか、自主独立の軍事力を持とうという政策なのか、現在の自衛隊をどうするのか、全体があいまいである。また「日米豪で太平洋を守る=日米豪での戦略的軍事再配置」「国際貢献する際の必要最低限の防衛措置」等と挙げてはいるが、集団的自衛権の行使には踏み込んでいない。
維新八策の骨子発表後、憲法第9条をどう考えるのか、橋下氏にマスメディアが質問を向けた。橋下氏は2月24日、ツイッターで、憲法9条改正の是非について、意見を明らかにした。そして、9条について「決着をつけない限り、国家安全保障についての政策議論をしても何も決まらない」と指摘。9条改正の是非について2年間と期間を区切って徹底した国民的議論を行い、国民投票で方針を定めることを提案した。
また橋下氏は、被災地のがれき処理の受け入れが各地で進まない現状について、ツイッターで「すべては憲法9条が原因だと思っている」と述べた。3月5日、発言の真意を報道陣に問われた橋下氏は、「平穏な生活を維持しようと思えば不断の努力が必要で、国民自身が相当な汗をかかないといけない。それを憲法9条はすっかり忘れさせる条文だ」と述べた。「9条がなかった時代には、皆が家族のため他人のために汗をかき、場合によっては命の危険があっても負担することをやっていた」「憲法9条は、自分が嫌なことはしないという価値観だ。自己犠牲しないのなら、僕は別の国に住もうかと思う」と語った。その一方、「平和を崩すことには絶対反対で、9条を変えて戦争ができるようになんて思ってない。9条の価値観が良いか悪いかを、国民の皆さんに判断してほしい」とも述べた。
こうした一連の発言を見ると、橋下氏は憲法第9条の弊害を強く意識し、戦後の日本人が社会の中で進んで自分の役目を果たそうという姿勢や、互いに助け合い、支え合う生き方を失ってきているのは、第9条が原因だと考えているようである。だが、そこまで強く意識しているのであれば、国民に憲法第9条の改正を訴え、どのような条文としたいのか、どのように「自主独立の軍事力」を持って、「日米豪で太平洋を守る」ようにしたいのか、具体的に提示すべきだろう。政治家がなすべきことは、国民に話し合いと判断を求める前に、自分はこうしたい、それはこういう理由・目的だからだ、と率直に語ることだろう。橋下氏は、それができていない。自分の国を自ら守るという国防の義務を訴えていないからである。この自主独立国家の根本的なあり方を取り戻さないと。日本は本当にはよくならない。そのようにはっきり言わないと、国民への呼び掛けにはならない。ぜひもう一歩、考えを進めて、国民にはっきりと呼び掛けてほしい。
そういう呼び掛けのできる指導者になるには、まず「自己犠牲しないのなら、僕は別の国に住もうかと思う」という言葉を撤回することが必要である。他人が自己犠牲しないなら、自分が「別の国」に住もうと考えるのは、本当の愛国心ではない。他の誰も自己犠牲しなくとも、我一人でも国を守るという決意こそ、同胞の心を動かす。橋下氏は先の言葉を吐いたことを恥じ、まずそれ撤回したうえで、国防に関する考えを進めてほしい。
次に、憲法改正に関し、橋下氏は、非常事態規定について、何も述べていない。これも要点を欠く。これも大きな欠陥である。私は、6年前に新憲法案を作って、マイサイトに公開している。その私案に非常事態条項を設け、折に触れて非常事態規定の必要性を説いてきた。特に独創的なことではなく、明治憲法には規定があり、世界各国の憲法は非常事態の対処を規定している。独立主権国家であれば、不可欠の規定である。昨年東日本大震災が発生し、原発事故が深刻化するなか、私は、この国家非常事態において、早急に憲法に非常事態条項を定め、対応を強化できるように訴えてきた。
だが、橋下氏は、日本人が大地震・大津波・原発事故という手痛い経験をした後であるのに、憲法改正案に非常事態条項の新設を挙げていない。この点を見て、私は、橋下氏は、日本国民1億2千万を率いる真の指導者に成り得る人材なのか、大きな疑念を持つ。橋下氏は、教育・財政・年金・社会保障・公務員制度等については、改革のできる能力を持っているかもしれない。しかし、一国の総理大臣たるべき人物は、他国からの侵攻、内乱、大規模自然災害等の国家国民の最大危機において、敢然と国民を指導し、国家機関を指揮できなければならない。
現在の橋下氏は、安全保障と非常事態に関して、国家最高指導者に必要な気構えを持っていないように私には見える。近年の中国の軍拡や北朝鮮の核開発といった東アジアの厳しい国際環境、そして今後も巨大地震が首都や東海・東南海・南海が発生する可能性――こういう環境と時代を生きている日本人としては、橋下氏はまだ状況認識が浅く、感覚が鈍いのではないか。意識と覚悟が変われば、国防の義務と非常事態規定は憲法改正における極めて重要なポイントであることを理解できるようになるだろう。
次回に続く。
去る4月28日わが国が独立回復60年を迎えるに際し、自民党は憲法改正案を発表した。みんなの党、たちあがれ日本は、新憲法の大綱を公表した。次の衆議院選挙は自民党が大勝すると予測されており、その自民党が憲法改正を政権公約の第一に掲げるから、憲法が選挙の争点の一つとなるだろう。戦後初、ようやく来る好機である。
さて、維新版八策の骨子は、憲法改正を第8の課題としているが、内容は「憲法改正要件(96条)を3分の2から2分の1に緩和する」「首相公選制」「参議院の廃止をも視野に入れた抜本的改革」「衆議院の優越性の強化」の4項目のみ。道州制の導入も憲法改正を要する政策だが、第1の課題である統治機構の作り直しには挙げてあるものの、憲法改正の課題には書いていない。その意図はわからないが、最大の問題はそもそも何のために憲法改正をするのかが説かれていないことである。維新八策の「目的」のキーサードである「決定」「責任」「自立」との関係を、ほそかわなりに慮れば、統治機構を作り直すために憲法を改正するということになるだろうが、憲法改正の課題に、そのように明記はされていない。
憲法改正に関し、特に重要なのは日本の安全保障をどう確保するかである。ところが、維新八策は、肝心の憲法9条に触れていない。要点を欠いている。大きな欠陥である。第7番の外交・安全保障政策の課題には、「自主独立の軍事力を持たない限り日米同盟を基軸」という前提付きの表現を使っている。日米同盟を基軸とするのは日本外交の根本だが、自主独立の軍事力を持つならどうなのか、自主独立の軍事力を持とうという政策なのか、現在の自衛隊をどうするのか、全体があいまいである。また「日米豪で太平洋を守る=日米豪での戦略的軍事再配置」「国際貢献する際の必要最低限の防衛措置」等と挙げてはいるが、集団的自衛権の行使には踏み込んでいない。
維新八策の骨子発表後、憲法第9条をどう考えるのか、橋下氏にマスメディアが質問を向けた。橋下氏は2月24日、ツイッターで、憲法9条改正の是非について、意見を明らかにした。そして、9条について「決着をつけない限り、国家安全保障についての政策議論をしても何も決まらない」と指摘。9条改正の是非について2年間と期間を区切って徹底した国民的議論を行い、国民投票で方針を定めることを提案した。
また橋下氏は、被災地のがれき処理の受け入れが各地で進まない現状について、ツイッターで「すべては憲法9条が原因だと思っている」と述べた。3月5日、発言の真意を報道陣に問われた橋下氏は、「平穏な生活を維持しようと思えば不断の努力が必要で、国民自身が相当な汗をかかないといけない。それを憲法9条はすっかり忘れさせる条文だ」と述べた。「9条がなかった時代には、皆が家族のため他人のために汗をかき、場合によっては命の危険があっても負担することをやっていた」「憲法9条は、自分が嫌なことはしないという価値観だ。自己犠牲しないのなら、僕は別の国に住もうかと思う」と語った。その一方、「平和を崩すことには絶対反対で、9条を変えて戦争ができるようになんて思ってない。9条の価値観が良いか悪いかを、国民の皆さんに判断してほしい」とも述べた。
こうした一連の発言を見ると、橋下氏は憲法第9条の弊害を強く意識し、戦後の日本人が社会の中で進んで自分の役目を果たそうという姿勢や、互いに助け合い、支え合う生き方を失ってきているのは、第9条が原因だと考えているようである。だが、そこまで強く意識しているのであれば、国民に憲法第9条の改正を訴え、どのような条文としたいのか、どのように「自主独立の軍事力」を持って、「日米豪で太平洋を守る」ようにしたいのか、具体的に提示すべきだろう。政治家がなすべきことは、国民に話し合いと判断を求める前に、自分はこうしたい、それはこういう理由・目的だからだ、と率直に語ることだろう。橋下氏は、それができていない。自分の国を自ら守るという国防の義務を訴えていないからである。この自主独立国家の根本的なあり方を取り戻さないと。日本は本当にはよくならない。そのようにはっきり言わないと、国民への呼び掛けにはならない。ぜひもう一歩、考えを進めて、国民にはっきりと呼び掛けてほしい。
そういう呼び掛けのできる指導者になるには、まず「自己犠牲しないのなら、僕は別の国に住もうかと思う」という言葉を撤回することが必要である。他人が自己犠牲しないなら、自分が「別の国」に住もうと考えるのは、本当の愛国心ではない。他の誰も自己犠牲しなくとも、我一人でも国を守るという決意こそ、同胞の心を動かす。橋下氏は先の言葉を吐いたことを恥じ、まずそれ撤回したうえで、国防に関する考えを進めてほしい。
次に、憲法改正に関し、橋下氏は、非常事態規定について、何も述べていない。これも要点を欠く。これも大きな欠陥である。私は、6年前に新憲法案を作って、マイサイトに公開している。その私案に非常事態条項を設け、折に触れて非常事態規定の必要性を説いてきた。特に独創的なことではなく、明治憲法には規定があり、世界各国の憲法は非常事態の対処を規定している。独立主権国家であれば、不可欠の規定である。昨年東日本大震災が発生し、原発事故が深刻化するなか、私は、この国家非常事態において、早急に憲法に非常事態条項を定め、対応を強化できるように訴えてきた。
だが、橋下氏は、日本人が大地震・大津波・原発事故という手痛い経験をした後であるのに、憲法改正案に非常事態条項の新設を挙げていない。この点を見て、私は、橋下氏は、日本国民1億2千万を率いる真の指導者に成り得る人材なのか、大きな疑念を持つ。橋下氏は、教育・財政・年金・社会保障・公務員制度等については、改革のできる能力を持っているかもしれない。しかし、一国の総理大臣たるべき人物は、他国からの侵攻、内乱、大規模自然災害等の国家国民の最大危機において、敢然と国民を指導し、国家機関を指揮できなければならない。
現在の橋下氏は、安全保障と非常事態に関して、国家最高指導者に必要な気構えを持っていないように私には見える。近年の中国の軍拡や北朝鮮の核開発といった東アジアの厳しい国際環境、そして今後も巨大地震が首都や東海・東南海・南海が発生する可能性――こういう環境と時代を生きている日本人としては、橋下氏はまだ状況認識が浅く、感覚が鈍いのではないか。意識と覚悟が変われば、国防の義務と非常事態規定は憲法改正における極めて重要なポイントであることを理解できるようになるだろう。
次回に続く。