2.第9条改正の検討のための基本概念
今日、わが国は、中国・北朝鮮による軍事的危機の増大に直面している。戦後、これほどの危機は、初めてである。そうしたなかで、日本の独立と主権、国民の生命と財産を守るため、憲法第9条の改正が、いよいよ急務となっている。
平成30年3月24日自民党は、9条1項、2項をそのままとして、9条の2を新設し、次のような条文を加える案を公表した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この改正案は、現行の第9条の規定は「必要な自衛の措置」を取ることを妨げないとし、現状の自衛隊を「必要な自衛の措置」を取るための「実力組織」として盛り込み、文民統制(シビリアン・コントロール)を定めるものである。今後、国会ではこの案をたたき台にして、各党間での議論が行われることになるだろう。
この改正案を検討するには、まずそもそも国家とは何か、戦争とは何か、戦力、実力、武力とは何か、自衛権とは何かなど基本的な概念の整理が必要である。国民の常識の指針となるのは、憲法や安全保障の専門家による専門書ではなく、身近で調べることのできる辞典・事典である。そこで、代表的な辞事典の説明を手引きにして整理してみたい。
(1)国家
国家は、一般に一定の領域に定住する多数の人民で構成される集団にして、排他的な統治権を持つものをいう。広辞苑は「一定の領土とその住民を治める排他的な権力組織と統治権とをもつ政治社会。近代以降では通常、領土・人民・主権がその概念の3要素とされる」と説明している。
欧米語では、国家に当たる言葉が複数ある。例えば、英語では、 nationは、政治的・文化的・歴史的な共同体、stateはその共同体が持つ統治機関を意味する。nationは「国民・民族・国家・共同体」等と訳され、stateは「政府・国府・国家・国政」等と訳される。わが国では、これらをともに「国家」と訳すことが多いため、少なからぬ混乱を生じている。国際連合の場合は、the United Nations であり、nation が政治的統一体としての国家の意味で使われている。米国では、stateは州の意味で使われ、合衆国全体を表す時は、nationが使われる。
関連掲示
・国家については、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第4章(1)をご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
(2)戦争
広辞苑は、戦争を「①たたかい。いくさ、合戦 ②武力による国家間の闘争」と定義している。①は広義であり、②は狭義である。同書は、武力を「軍隊の力。兵力」と定義する。この定義は、デジタル大辞泉、大辞林も同様である。
広辞苑は、軍隊を「一定の組織で編制されている軍人の集団」と定義する。武力の定義において武力を発揮する主体は軍隊とされているから、戦争の定義における②の「武力による国家間の闘争」は「軍隊の力を用いた国家間の闘争」と言い換えることができる。(1)の国家の定義と合わせるならば、領土・人民・主権を有する国家が、軍隊の力を用いて他国と闘争する行為または闘争している状態が戦争である。
次に、ブリタニカ国際大百科事件小項目辞典は、戦争を「広くは、民族、国家あるいは政治団体間などの武力による闘争をいう」と定義し、「国家が自己の目的を達成するために行う兵力による闘争がその典型である」と説明している。この定義は、武力は国家が有するものに限らないことを前提している。また、国家以外も武力を持ち得るのであり、その武力による闘争を広く戦争としている。この定義においては、武力を発揮するものは、軍隊とは限らないことになる。実際、武力の発揮を目的として組織された集団であれば、それを軍隊と見なすかどうかに関わらず、戦争を行う主体となり得る。ブリタニカの定義は、広辞苑の定義よりも整ったものになっている。
ところで、人間の集団が闘争を行う時、単に身体的な力だけでなく、道具を使うことによってその力をより大きなものとすることができる。道具は身体の延長であり、それによって人間の力は物理的に何倍にも増幅される。そこに生じるのが、武力である。武力は闘争用に作られた道具を通じて発揮されるものである。この道具を、武器または兵器という。
デジタル大辞泉は、この点を踏まえて、戦争を「軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと」と定義している。同書は兵器を「戦闘に用いる器材の総称。武器」と定義する。兵器または武器は、戦闘の際に攻撃及び防御に用いる道具であり、器具や材料である。この要素を加えるならば、戦争は、人間が戦闘を目的とした集団を組織し、闘争のための道具を用いて行う行為である。
また同書は、戦争について先のように定義した上で、「特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態」と説明している。ここで軍隊の語は、国家が有する軍事的な集団に限らず、国家以外が有する集団についても使われている。そのうち特に国家が軍隊を用いて、その武力を行使して闘争する状態を、戦争の典型として定義しているものである。
戦争については、これと関連する概念――紛争、内戦、武力行使、軍隊等――を整理したうえで、再度考察する。
(3)紛争と内戦
戦争に関連する概念に、紛争と内戦がある。
紛争について、広辞苑は「もつれて争うこと。もめごと」と定義している。対立する者同士が争う状態を広く意味する言葉で、武力が関わっていなくとも使う。それゆえ、紛争は戦争より上位の概念であり、紛争のうち、武力を用いた紛争、特に国家間の武力による紛争を戦争という。一方、内戦は、国家間の争いではなく、同一国内での争いをいう。
ただし、紛争は、戦争よりも比較的小規模な武力衝突について使われることがある。国家間の対立であっても、フォークランド紛争のように、規模や程度が比較的小さかったり、一時的・突発的なものを紛争というものである。また、一国内の争いについても、内戦まで至らない小規模・短期間のものを紛争ということがある。一方、一国内の争いであっても、アメリカの南北戦争のように暫定的に国家と見なされる者同士の争いを戦争と呼ぶことがある。また、ベトナム戦争のように内戦の性格を持ちながらも、他国が介入し、国家間の争いにもなっている場合を、戦争と呼ぶこともある。シリア内戦のように、内戦と呼ばれるが、諸外国が介入している実質的な国際紛争も多い。
憲法第9条の条文のおいては、1項の後半は「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」は「国際紛争」を解決する手段としては、永久にこれを放棄すると規定している。ここでは、まず上位の概念に「国際紛争」があり、その紛争には、戦争と、戦争には至らない「武力による威嚇又は武力の行使」があるという分類がされていると理解できる。
次回に続く。
今日、わが国は、中国・北朝鮮による軍事的危機の増大に直面している。戦後、これほどの危機は、初めてである。そうしたなかで、日本の独立と主権、国民の生命と財産を守るため、憲法第9条の改正が、いよいよ急務となっている。
平成30年3月24日自民党は、9条1項、2項をそのままとして、9条の2を新設し、次のような条文を加える案を公表した。
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第9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
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この改正案は、現行の第9条の規定は「必要な自衛の措置」を取ることを妨げないとし、現状の自衛隊を「必要な自衛の措置」を取るための「実力組織」として盛り込み、文民統制(シビリアン・コントロール)を定めるものである。今後、国会ではこの案をたたき台にして、各党間での議論が行われることになるだろう。
この改正案を検討するには、まずそもそも国家とは何か、戦争とは何か、戦力、実力、武力とは何か、自衛権とは何かなど基本的な概念の整理が必要である。国民の常識の指針となるのは、憲法や安全保障の専門家による専門書ではなく、身近で調べることのできる辞典・事典である。そこで、代表的な辞事典の説明を手引きにして整理してみたい。
(1)国家
国家は、一般に一定の領域に定住する多数の人民で構成される集団にして、排他的な統治権を持つものをいう。広辞苑は「一定の領土とその住民を治める排他的な権力組織と統治権とをもつ政治社会。近代以降では通常、領土・人民・主権がその概念の3要素とされる」と説明している。
欧米語では、国家に当たる言葉が複数ある。例えば、英語では、 nationは、政治的・文化的・歴史的な共同体、stateはその共同体が持つ統治機関を意味する。nationは「国民・民族・国家・共同体」等と訳され、stateは「政府・国府・国家・国政」等と訳される。わが国では、これらをともに「国家」と訳すことが多いため、少なからぬ混乱を生じている。国際連合の場合は、the United Nations であり、nation が政治的統一体としての国家の意味で使われている。米国では、stateは州の意味で使われ、合衆国全体を表す時は、nationが使われる。
関連掲示
・国家については、拙稿「人権――その起源と目標」第1部第4章(1)をご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i.htm
(2)戦争
広辞苑は、戦争を「①たたかい。いくさ、合戦 ②武力による国家間の闘争」と定義している。①は広義であり、②は狭義である。同書は、武力を「軍隊の力。兵力」と定義する。この定義は、デジタル大辞泉、大辞林も同様である。
広辞苑は、軍隊を「一定の組織で編制されている軍人の集団」と定義する。武力の定義において武力を発揮する主体は軍隊とされているから、戦争の定義における②の「武力による国家間の闘争」は「軍隊の力を用いた国家間の闘争」と言い換えることができる。(1)の国家の定義と合わせるならば、領土・人民・主権を有する国家が、軍隊の力を用いて他国と闘争する行為または闘争している状態が戦争である。
次に、ブリタニカ国際大百科事件小項目辞典は、戦争を「広くは、民族、国家あるいは政治団体間などの武力による闘争をいう」と定義し、「国家が自己の目的を達成するために行う兵力による闘争がその典型である」と説明している。この定義は、武力は国家が有するものに限らないことを前提している。また、国家以外も武力を持ち得るのであり、その武力による闘争を広く戦争としている。この定義においては、武力を発揮するものは、軍隊とは限らないことになる。実際、武力の発揮を目的として組織された集団であれば、それを軍隊と見なすかどうかに関わらず、戦争を行う主体となり得る。ブリタニカの定義は、広辞苑の定義よりも整ったものになっている。
ところで、人間の集団が闘争を行う時、単に身体的な力だけでなく、道具を使うことによってその力をより大きなものとすることができる。道具は身体の延長であり、それによって人間の力は物理的に何倍にも増幅される。そこに生じるのが、武力である。武力は闘争用に作られた道具を通じて発揮されるものである。この道具を、武器または兵器という。
デジタル大辞泉は、この点を踏まえて、戦争を「軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと」と定義している。同書は兵器を「戦闘に用いる器材の総称。武器」と定義する。兵器または武器は、戦闘の際に攻撃及び防御に用いる道具であり、器具や材料である。この要素を加えるならば、戦争は、人間が戦闘を目的とした集団を組織し、闘争のための道具を用いて行う行為である。
また同書は、戦争について先のように定義した上で、「特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態」と説明している。ここで軍隊の語は、国家が有する軍事的な集団に限らず、国家以外が有する集団についても使われている。そのうち特に国家が軍隊を用いて、その武力を行使して闘争する状態を、戦争の典型として定義しているものである。
戦争については、これと関連する概念――紛争、内戦、武力行使、軍隊等――を整理したうえで、再度考察する。
(3)紛争と内戦
戦争に関連する概念に、紛争と内戦がある。
紛争について、広辞苑は「もつれて争うこと。もめごと」と定義している。対立する者同士が争う状態を広く意味する言葉で、武力が関わっていなくとも使う。それゆえ、紛争は戦争より上位の概念であり、紛争のうち、武力を用いた紛争、特に国家間の武力による紛争を戦争という。一方、内戦は、国家間の争いではなく、同一国内での争いをいう。
ただし、紛争は、戦争よりも比較的小規模な武力衝突について使われることがある。国家間の対立であっても、フォークランド紛争のように、規模や程度が比較的小さかったり、一時的・突発的なものを紛争というものである。また、一国内の争いについても、内戦まで至らない小規模・短期間のものを紛争ということがある。一方、一国内の争いであっても、アメリカの南北戦争のように暫定的に国家と見なされる者同士の争いを戦争と呼ぶことがある。また、ベトナム戦争のように内戦の性格を持ちながらも、他国が介入し、国家間の争いにもなっている場合を、戦争と呼ぶこともある。シリア内戦のように、内戦と呼ばれるが、諸外国が介入している実質的な国際紛争も多い。
憲法第9条の条文のおいては、1項の後半は「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」は「国際紛争」を解決する手段としては、永久にこれを放棄すると規定している。ここでは、まず上位の概念に「国際紛争」があり、その紛争には、戦争と、戦争には至らない「武力による威嚇又は武力の行使」があるという分類がされていると理解できる。
次回に続く。