ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

アイヌ施策推進法11~民族と先住民族の定義

2019-05-31 09:32:07 | 時事
●民族と先住民族の定義

◆民族の定義
 アイヌ協会は「アイヌの血を引くと確認された者」等をアイヌとする。またアイヌに関する法律は、アイヌを民族と呼んできた。だが、そこには、民族の定義はない。そもそも民族とは何か。
日本語の「民族」には、(1)国民国家の国民(nation)、(2)国民国家内部におけるエスニック・グループ(ethnic group)、(3)国民国家を形成する以前のエスニック・グループや部族等の集団――という3つの意味がある。
 アイヌを民族と呼ぶ場合、上記のうち(1)の国民の意味は当てはまらない。国民とは、日本国籍を持つ者をいう。アイヌは日本国籍を持つ人々の集団であるから、日本国民とは別の集団ではない。アイヌ系日本国民である。民族と呼ぶとすれば、(2)のエスニック・グループの意味となる。
 では、エスニック・グループという意味での民族とは、どういう集団か。
 知恵蔵は、民族について次のように解説している。「文化、言語、生活様式などの特定の要素を絆として共有し、「われわれ」という意識を持った人間集団。(1)文化、宗教、言語、生活様式、肌の色など身体的形質を標識として、他集団との相違を確認できる客観的な側面と、(2)歴史意識、利害関心、未来志向などを介して、集団に共属しているという意識や感情の主観的な側面がある」と。
 これは、民族には客観的な側面と主観的な側面があるという説明である。
 ブリタニカ国際大百科事典は、より詳しく、次のように解説している。
 「一定地域に共同の生活を長期間にわたって営むことにより、言語、習俗、宗教、政治、経済などの各種の文化内容の大部分を共有し、集団帰属意識によって結ばれた人間の集団の最大単位をいう。文化の共同体としての意味合いが強い点で、種族,部族の概念とは異なるが、しばしば混用されてきた。人類学では、種族、部族を地縁集団の最大単位とするのに対し、民族はそれよりもさらに統合レベルの高い、人口や領域規模の大きい単位として、さらにしばしば国家を形成する単位として区別されることが多い。しかし実際には、人口規模あるいは社会的勢力の小さい集団を少数民族と呼び、また言語や帰属意識などを共有しない集団も含めたりすることから、民族はきわめて包括的な概念であるといえる」と。
 基本的には「言語、習俗、宗教、政治、経済などの各種の文化内容の大部分を共有し、集団帰属意識によって結ばれた人間の集団」という規定であり、前半は客観的側面を示し、後半は主観的側面を述べている。だが、最後の一文に「言語や帰属意識などを共有しない集団も含めたりする」と書かれているように、言語、習俗、宗教等の文化要素や集団的帰属意識を欠いている場合でも、ある集団を民族と呼ぶことがある。それゆえ、民族には基準があってないようなところがあり、文化要素を欠いていても、ある集団が民族を自称することができたり、また帰属意識を欠いていても、第三者がその集団を民族とみなすこともできてしまうということである。
 それだけに、法律に日本国がアイヌをエスニック・グループとしての民族と認め、これを保護する対象にするとすれば、何を以って民族と判断するかを明示する必要がある。アイヌを自称するアイヌ系日本国民の主観的な意識の尊重に傾き、客観的な要件を軽視すれば、アイヌの認定の現状は正されない。

◆先住民族の定義
 法律上、アイヌを民族と規定することと、これを先住民族と規定することは別である。
2007年の国連宣言も2008年の国会決議も先住民族とは何かについての明確な定義がない。2019年のアイヌ施策推進法は、アイヌを先住民族と規定したが、民族についても、また先住民族についても、定義がない。
 国際労働機関(ILO)は、1989年(平成元年)6月27日に「独立国における原住民及び種族民に関する条約」を採択した。ILO条約第169号と呼ばれる。日本はこの条約を批准していない。ここで原住民とはindigenous peoples、種族民とはtribal peoplesの訳である。2007年の国連宣言における先住民族は、indigenous peoplesの訳だから、これとILO条約第169号における原住民は、英語では同じ言葉である。
 ILOの原住民種族民条約は、第1条にて、適用対象を次のように定める。
 「(a) 独立国における種族民で、その社会的、文化的及び経済的状態によりその国の共同社会の他の部類の者と区別され、かつ、その地位が、自己の慣習若しくは伝統により又は特別の法令によって全部又は一部規制されているもの
 (b) 独立国における人民で、征服、植民又は現在の国境の確立の時に当該国又は当該国が地理的に属する地域に居住していた住民の子孫であるため原住民とみなされ、かつ、法律上の地位のいかんを問わず、自己の社会的、経済的、文化的及び政治的制度の一部又は全部を保持しているもの
2 原住又は種族であるという自己認識は、この条約を適用する集団を決定する基本的な基準とみなされる」。
 日本はこの条約を批准していないが、アイヌがここにいう原住民(=先住民族)に当たるかどうかは、「征服、植民又は現在の国境の確立の時に当該国又は当該国が地理的に属する地域に居住していた住民の子孫であるため原住民とみなされ、かつ、法律上の地位のいかんを問わず、自己の社会的、経済的、文化的及び政治的制度の一部又は全部を保持しているもの」といえるかどうかによる。
 アイヌの歴史の項目に書いたように、北海道におけるアイヌは、ここにいう原住民(=先住民族)には当てはまらない。和人が北海道に入る前にアイヌが先住していたとは断定できず、むしろ和人のほうが先住していたと考えた方が合理的である。

◆公的認定制度が必要
 先に書いたように、アイヌは民族であるかどうかの判断のもとになる民族の定義のないまま、アイヌは法律上、民族と規定されてきている。また、アイヌを先住民族とみなし得る歴史的な事実はない。それにもかかわらずアイヌは、この度、新たな法律に先住民族と規定された。
 最大の問題は、ある人がそのアイヌであるかどうかを認定するのが国や地方自治体ではなく、北海道アイヌ協会だということである。法律にアイヌは一個の民族だと規定するのであれば、その集団の中に誰が含まれるのかを認定する者は、公的機関でなければならない。
 アイヌと認定された者には、保護のために税金がつぎ込まれる。その税金が適切に使われるためには、国や地方公共団体等による公的認定制度が必要である。そして、公的機関が認定するためには、アイヌであるか否かを判定する基準が必要である。
 アイヌ協会は、「アイヌの血」を引くかどうかを確認しているとし、家系図、戸籍、除籍謄本等を判断資料としているというが、それらを判断資料とする場合は、公的機関による検証が必要である。また、先祖の誰かにアイヌがいれば、何代かの間に非アイヌと結婚を繰り返した子孫でも、アイヌとみなすのはおかしい。両親がアイヌの子供までとか、父親がアイヌの子供までとかに限定すべきである。そうした一定の基準を設けるべきである。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ***************

 細川一彦著『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
 https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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キリスト教205~皇室とキリスト教

2019-05-29 10:53:11 | 心と宗教

●皇室とキリスト教

 日本の皇室は、神道の祭儀を行うとともに、古代から外来の宗教すなわち道教、仏教等を取り入れている。神道を中心・根本としつつ、他の宗教と対立するのでなく、その良いところは取り入れるという姿勢である。仏教の摂取・定着・発展は、皇室なくしては考えられない。キリスト教については、江戸時代に徳川幕府が禁止したので皇室に入ることはなかった。明治維新後、キリスト教の禁教が解かれると、皇室はキリスト教に対しても、排斥排除することなく、関心と理解を示してきた。
 皇室は、明治以降、わが国は欧米からさまざまなことを学びながら近代化してきた過程で、キリスト教を西洋文明の一つの文化要素として受け入れてきた。たとえば、クリスマスにプレゼントを贈る習慣は、日露戦争のころにすでに皇室で行われていた。皇族は、外国の王族や要人と親交を持たれる立場から、こうした習慣を柔軟に取り入れたものだろう。昭和天皇は、定期的に聖書の講義を受けておられた。国際的な教養としてキリスト教に関する知識を身に着けておられたと推察される。
 敗戦後、上皇が少年だった時、4年間、クェーカー教徒のエリザベス・バヴァイニング夫人が家庭教師を務めた。彼女を明仁皇太子(当時)の家庭教師に推薦したのは、GHQのボナー・フェラーズ准将だった。
 フェラーズは、同じキリスト教徒として親交のあった恵泉女学院の河井道から日本人の天皇に対する心情を聴いて天皇の重要性を知り、マッカーサーに意見書を出し、天皇が戦犯として処刑されないように働きかけた。1971年(昭和46)年、日本政府はフェラーズに対して、勲二等瑞宝章を贈っている。叙勲の申請書には「連合国軍総司令部における唯一の親日将校として天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人」と書かれていた。
 フェラーズが、皇太子(当時)にアメリカ人女性の家庭教師をつけるようにしたのは、それによって天皇に対する欧米の世論を和らげることが狙いだった。フェラーズとヴァイニング夫人は、ともにクェーカー教徒だった。夫人は優れた児童文学者でもあった。家庭教師に選ばれたヴァイニング夫人は来日して、皇太子と弟君の義宮らに英語教育などを施した。家庭教師の役目を終えて帰国した後、ヴァイニング夫人は1952年に『皇太子の窓』を著した。同書はアメリカでベストセラーとなり、アメリカ人の皇室に対する見方を変えることに大きな役割を果たした。
 上皇は、1959年(昭和34年)、正田美智子様と結婚された。現上皇后は民間人として初めて皇室に入られた。カトリックの名家である正田家で育ち、ミッション・スクールである聖心女学院のご出身である。ただし、入内前にカトリック教会に照会し、洗礼は受けていないとされている。民間人、しかもキリスト教徒と思われる女性が、皇室に入ることには、日本の伝統を尊重する有識者の間で懸念の声が上がった。
 ご成婚後、皇族の一人がキリスト教に興味を持ったのは皇太子妃(現上皇后)の影響と聞いた昭和天皇が、皇太子妃に「皇室においてキリスト教の話はしないように」と叱責したという噂話を、当時の雑誌が書き立てた。平成28年から刊行されている『昭和天皇実録』は、このことに触れ、昭和天皇は「事実でないし、心に思ったことさえなかった」と伝えるよう側近に命じたと記している。
 雅子皇后は、妹たちがカトリックの洗礼を受けている、また、三笠宮妃信子様は、カトリックの名家・麻生家の出で、麻生太郎元総理の妹である。
 皇嗣秋篠宮の長女・眞子様は、国際基督教大学(ICU)に進学された。次女・佳子様は学習院大学を辞めてICUに進学された。ただし、同学でキリスト教に改宗する学生はごく僅かとされる。皇室関係の職員には、キリスト教徒が多いことが注目される。昭和天皇の初代の侍従長・珍田伯爵は、元外務次官でメソディスト派の牧師だった。その後の歴代侍従長もキリスト教徒が多いと言われる。たとえば、渡邊元侍従長は聖公会だった。川島元侍従長はカトリックで、同じくカトリックで日本初の国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子といとこ同士だった。
 今上天皇と皇嗣秋篠宮の養育係だった浜尾侍従はカトリック教徒であり、彼の弟・浜尾伺郎は枢機卿という高位聖職者だった。女官長にもキリスト教徒が多いとされる。歴代の宮内庁長官では、田島、宇佐美等がカトリック教徒だった。また宮内庁の職員にはカトリックが多いと伝えられる。
 このように日本の皇室はキリスト教と浅からぬ関係を持っている。だが、歴代の天皇皇后及び皇族は、皇室の伝統である神道を奉じ、また国家的な意義のある神道の祭儀を司っておられる。歴史的に仏教が先例にあるように、神道を根本・中心としながら、外来の宗教も取り入れて調和するという日本独特の文化を、皇室は堅持しているのである。もし万が一、木で言えば幹である神道から離れて、枝であるキリスト教に帰依するような皇族が出たならば、本末転倒ということになる。
 皇室において、神道がキリスト教を包摂し、指導するものとなるか、逆にキリスト教が神道の中核部を溶解させることになるか。このことは、日本と人類の将来にとって、重要な事柄である。

 次回に続く。

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 細川一彦著『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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アイヌ施策推進法10~アイヌの人口・分布・認定

2019-05-29 10:34:12 | 時事
3.アイヌの現状

(1) アイヌの存在と人口
 昭和30年(1965年)の時点で、知里真志保は、「民族としてのアイヌは既に滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」と書いた。知里は、この年、次のようにも述べている。
 「私達いわゆるアイヌといわれている者もやはり全部日本人なのです。日本語を使い、日本人の生活をし、似教(ママ)を奉じているのです。ですからいわゆるアイヌ系日本人なのです。所がなぜアイヌのみが日本人の中で異民族扱いを受けるのでしょう。これは去年行なわれた熊まつりに見られるように今(ママ)だに沢山の日本人がアイヌを見世物根性で見、特異なものとして見たがるところからきているのです。・・・また多くの人々は民族の文化の保存といいますが、現実にはアイヌ文化は明治時代以前に滅びてしまって、その後はいわゆるアイヌ系日本人によってその文化が多少とも保たれてきたわけです」(北海道大学新聞昭和30年(1955年)1月31日付)(註 文中の「似教」は仏教の誤植か)
 昭和30年(1965年)当時でさえ、アイヌは知里が書いたような状態になっていた。されにそれから今日まで50年以上たっている。現在「アイヌ」を自称している人達の中に、アイヌ語を話す純粋な「アイヌ」は一人もいない。また、アイヌは、DNA検査では認定できず、長い間に日本人と混血してきているので日本人と区別できない状態と見られる。
 国勢調査には、アイヌ人の項目はなく、国家機関での実態調査は行われていないに等しい。そのため、アイヌ人の正確な数は不明である。
 平成18年(2006年)の北海道庁の調査によると、アイヌの人口は23,782人だった。相手がアイヌであることを否定している場合は調査の対象としていないという。ただし、アイヌだと答えた人たちが本当にアイヌなのかどうかは、検証されていない。後で詳しく述べるが、その点に大きな問題がある。
 先の調査の11年後に行われた平成29年(2017年)の調査では、道内のアイヌの人口は約1万3千人だった。10年ちょっとの間に、54.7%ほどに減少している。5割近い減り方である。この減少には、調査に協力している北海道アイヌ協会の会員数が減少したこと、個人情報の保護への関心の高まりから調査に協力する人が減っていることなどが、理由にあるという。しかし、その点を考慮したとしても、減り方が非常に大きい。和人との混血や同化が進み、自称アイヌまたは自分はアイヌだという意識を持つ人たちが急速に減っているのだろう。
 一方では、奇妙な現象が起こっている。東京では、アイヌが激増しているのである。昭和63年(1988年)の調査では、東京在住のアイヌの人口は、2,700人と推計された。ところが、平成31年(2019年)には、東京に約7万5千人のアイヌがいることになっているという。30年ほどの間に、27.8倍に急増したことになる。以前は北海道在住のアイヌの10分の1程度だったのが、今や5倍以上に増えたことになる。これは、後で述べるように、アイヌ協会が認めればアイヌと認定されるから、実際にはアイヌではない者がアイヌということになっているのだろう。

(2)分布
 東京のアイヌの人口には大きな疑問符が付くので、それを除くと、アイヌが主に分布するのは、北海道である。北海道には、アイヌ居留地は存在しない。アイヌ系日本人は、日本人として、日本の社会に他の日本人とともに居住して生活している。
 アイヌ系日本人は、支庁別では胆振、日高支庁に多い。日高地方の平取町二風谷には、多数が居住する。また、道南で苫小牧に近い白老、道北の阿寒には、観光名所としてコタンと呼ばれる集落が存在する。

4.アイヌ系団体に関する問題点

(1) アイヌの認定

●認定者
 アイヌと認定するのは、国ではない。公益社団法人北海道アイヌ協会が認定している。アイヌ協会の理事長が承認すれば、アイヌと認められ、補助金等を受けられる。これがアイヌ問題で最大の問題である。
 アイヌ問題研究家の的場光昭によると、平成20年(2008年)に的場が直接、北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)に問い合わせたところ、同協会は次のように回答したという。
「アイヌの血を引くと確認された者、およびその家族・配偶者・子孫がアイヌである。また養子縁組などでアイヌの家族になった者も含まれるが、これは本人一代限りにおいてアイヌと認め同協会への入会が認められる」と。
 「アイヌの血」を引くかどうかについては、家系図、戸籍、除籍謄本等を判断資料としているらしい。だが、これらの資料は、科学的に血の継承を証明するものではなく、制度上の家族関係を表すものに過ぎない。問題は、アイヌ協会は、「アイヌの血を引くと確認された者」のほか、その家族・配偶者・子孫、養子縁組による者にまでアイヌと認定していることである。これでは、同居者や連れ子もアイヌと認定され得る。
 アイヌ系日本人である砂澤陣は、次のように述べている。「そもそも、現在アイヌと自称している人達の中に、自然と共生し、アイヌ語を話す純粋なアイヌは一人もいない。それどころか、協会が認めれば誰でもアイヌというのが現状である」と。
 実際にはアイヌの血を引いていなくともアイヌと認定されれば、異常に手厚い社会保障の特権を受けることができる。先に東京在住のアイヌが激増していると書いたが、アイヌ協会が認定すれば、誰でもアイヌになれるから、補助金目当ての偽(にせ)アイヌが増えていると考えられる。

 次回に続く。

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 細川一彦著『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)

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キリスト教204~夫婦別姓論とキリスト教(続き)

2019-05-28 09:34:03 | 心と宗教
●夫婦別姓論とキリスト教(続き)

 夫婦別姓が導入されたら、わが国の伝統的な家族主義の最も重要な部分が危うくなる。すなわち、家の墓を守ったり、先祖の供養を行うことがおろそかになるおそれがある。  
 別姓論者は、結婚によって相手の親族との姻族関係の発生をさけたいという考えを持っており、別姓の家庭の多くでは、配偶者の老親介護は考慮されなくなるだろう。
 各種世論調査によると、「老人介護は社会全体で考えるべき問題」と考える人がおよそ3分の2、「老人介護は家族で考えるべき問題」と考える人が3分の1となっている。かつての日本では、老親の世話は家族の役目と考えられていたが、今や3人に2人は社会の問題、つまり国家が面倒を見るべきだと考えているわけである。
 配偶者の老親介護を国家の問題とする考え方では、配偶者の祖先の祭祀は、行われなくなるだろう。生きているときに世話をせずして、どうして死後、祖先を敬う心が出るだろうか。共通の祖先を持ち、儀式を共にすることが、家族や親戚の結びつきを暖かいものにしてきたが、祖先祭祀が行われなくなるとき、人々の心のつながりは一層薄弱なものとなるだろう。
 この点からも、夫婦別姓の導入は、家庭を破壊し、人々の心を傷つけ、社会を混乱に導く危険性が高い。
 2015年(平成27年)12月16日、最高裁大法廷(裁判長・寺田逸郎長官)は、民法で定めた「夫婦別姓を認めない」とする規定の違憲性が争われた訴訟で、民法の夫婦別姓を認めないとする「規定は合憲」とする初めての判断を示し、原告側の上告を棄却した。
 判決は、憲法第13条の「個人の尊重」は「氏(姓)の変更を強制されない自由」まで保障したものではなく、また第24条の「婚姻の自由」は夫婦別姓の権利まで保障したものではないとして、原告らの主張を退けた。憲法第14条1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めているが、この「法の下の平等」との関係についても、民法750条は夫婦がいずれの姓を称するかはその「協議」に委ねており、「文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではない」ことを理由に、夫婦同姓制は違憲ではないとした。
 これに加えて、判決は夫婦同姓の意義や合理性について積極的に言及した。判決によれば、氏(姓)には、「家族の呼称としての意義」があり、その呼称を「一つに定めることには合理性がある」。また、「家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位」であって、全員が「同一の氏(姓)を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できる」。さらに、夫婦同姓であれば、その子も両親と「氏を同じくすることによる利益を享受しやすい」として、夫婦同姓の利点を評価した。 また、夫婦別姓論者の不利益は「氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得る」と指摘した。この最高裁の判断は、通称使用の広がりを踏まえたものであり、大法廷の多数意見は「通称使用が広がることにより、不利益は緩和され得る」とした。
 このように、最高裁は夫婦別姓論者の主張をことごとく退けたうえに、夫婦同姓制の意義や合理性にまで積極的に言及した。また、最高裁によって家族は国や社会の基盤であることが改めて位置づけられた意義も大きい。
 しかし、その後も選択的夫婦別姓を実現しようとする左翼人権主義者やキリスト教左派の動きは、決して消滅していない。彼らの動きの根本には、日本国憲法に依拠して個人主義を推し進め、家族をアトム的な個人の集合に変えるとともに、国民と非国民の区別をなくし、単なる住民の集合に変えようとする思想があるので、執拗に別姓の実現を目指しているのである。
 日本のキリスト教左派の代表的な団体として、キリスト者政治連盟がある。1975年に発足し、活動を続けている。この団体は、結成宣言に「我われは、現実の中でキリスト者として、愛と平和、正義と自由が地上に樹立されん事を祈りつつ、信仰の証しとして自由にして責任ある発言と行動を積極的に行なうべき使命を負わされている」と記している。「平和・人権・教育・戦後補償・天皇制問題など」を「直面する問題」とし、現行憲法には護憲の立場を取っている。「韓国教会や共和国の朝鮮基督教徒連盟とも連携し朝鮮半島の和解と統一のためにも祈りを強めます」と表明している。
 キリスト者政治連盟は、日本キリスト教協議会(NCC)を母体とする。NCCの加盟教会・教団には、日本基督教団、日本聖公会、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト連盟、日本バプテスト同盟、在日大韓基督教会があり、これら以外の教派も準加盟団体となっている。

 次回に続く。
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拙著『超宗教の時代の宗教概論』のご案内

2019-05-27 14:58:30 | 心と宗教

 私は、23年ほど前からインターネット上で言論活動をしてきましたが、このたび初めて紙の本を出版しました。『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)です。主にネット書店で販売します。



●本書の案内

 「人類は今日、かつてない危機に直面している。最大の危機は、核兵器による世界戦争であり、また地球環境の破壊である。われわれは、自滅したくなければ、自ら飛躍しなければならないという瀬戸際に立っている。世界平和の実現、及び文明と環境の調和のために、人類は精神的な進化に迫られている。その進化を促し、人類を善導する新しい宗教が待望されている。その新しい宗教とは、従来の宗教を超えた宗教、すなわち超宗教と呼ぶべきものとなるだろう。
 21世紀は、宗教が超宗教へと向上・進化していく時代となる。本書は、この超宗教の時代において、かつてない変化と融合の過程に入りつつある宗教一般を概説し、宗教と人類の将来を展望するものである」

●目次

はじめに
第1章 宗教とは何か
(1)宗教をどう定義するか
(2)宗教の起源
(3)宗教の分類
(4)宗教の発達
第2章 宗教の構造と機能
(1)教義――構造的要素1
(2)組織――構造的要素2
(3)実践――構造的要素3
(4)体験――構造的要素4
(5)機能
第3章 神とは何か
(1)神と呼ばれるもの
(2)神の分類
(3)天皇、キリスト、現神人
第4章 宗教における体験
(1)体験の諸相
(2)宗教的な救済
第5章 宗教的な実践
(1)苦悩の原因とその解決方法
(2)祈りの効果
(3)死の問題
(4)救いを求める宗教と予定説
(5)解脱を目指す宗教と因果説
(6)神義論と因縁果の理法
(7)大安楽往生と魂の救い
第6章 宗教と社会及び政治
(1)宗教と社会の関係
(2)宗教の政治への関わり
第7章 宗教と心理
(1)宗教と自己の実現及び超越
(2)深層心理の探究
(3)家族的無意識の重要性
第8章 宗教から超宗教へ
(1)人間観の転換を
(2)科学と宗教の融合
(3)超宗教の時代へ
結びに
あとがき

●購入


Amazon(アマゾン)
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一般の書店

 店頭で注文してください。


●読者の声

 

・日本人の魂を伝える歴史家のTU氏
 「科学の発達した現代に求められる本物の宗教を追及する細川様が、『従来の伝統的宗教は、科学の未発達な古代に生まれた宗教かその変形であり、科学的な知見との乖離が大きくなっている』という現状認識に立って、現代人が真に必要としているものは、科学と矛盾せず、現代人に確かな指針を示すことのできる新しい宗教であるとの立場(仮説)から、『心霊論的人間観に基づく宗教』を提言されている細川様の着眼(悟り)を興味深く拝見しました。
 細川様は、グローバリズムの流れにのって、八百万の神々がまします我が国に、神の存在を否定する中国人や他の宗教に対して不寛容な一神教徒たちがますます流入してくるこれからの混沌とした時代において、調和的な生き方を求めておられるのだと思いました」
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アイヌ施策推進法9~北海道アイヌ協会

2019-05-27 09:26:17 | 時事
●昭和戦後期のアイヌ
 
 アイヌは、幕末から和人に同化したことで、生活が大きく向上した。その中で新たな格差が生じた。松前藩時代の役土人制は、幕府直轄の時代から明治・大正・昭和の時代を通じて、形を変えて踏襲された。大東亜戦争後も、役付きのアイヌ系日本人は他のアイヌと違って、多くの和人以上に非常に裕福だった。
 日本を占領したGHQは、昭和22年(1947年)に農地改革を行った。この時、有力アイヌは、自分たちは大地主だから適用外にしてほしいとマッカーサーに要請した。実際、アイヌの酋長やその一族らは、裕福で広大な土地を持ち、日本人を小作人として使っていた。しかし、マッカーサーは、アイヌの要請を受け入れなかった。それでアイヌの地主は土地を没収されたが、これは日本人の地主も同じことだった。
 また、当時、GHQのスイング司令官は、「アイヌに独立する意思はないか」と尋ねた。しかし、アイヌは「自分たちは日本人だ」といって、独立を断った。日本人としてのアイデンティティを持ち、日本国民として生きることをあらためて選択したわけである。
 昭和20年(1945年)8月、ソ連は一方的に日ソ中立条約を破棄し、日本に侵攻し、南樺太と千島列島を占拠した。そこに居住していたアイヌは、残留の意志を示した者を除いて、日本に送還された。送還されたアイヌもまた、日本国民として生きることを選択したのである。

◆北海道アイヌ協会
 昭和5年(1930年)に北海道アイヌ協会が設立された。北海道庁の主唱で、アイヌの同化を前提に、アイヌの社会的地位の向上を目的として組織されたものである。その後、大東亜戦争期には活動が停滞し、敗戦後の昭和21年(1946年)に社団法人として再建された。
 昭和30年(1965年)、アイヌ出身の天才言語学者で北海道大学教授だった知里真志保は、アイヌの実態について、次のように書いた。
 「今これらの人々は一口にアイヌと呼ばれているが、その大部分は日本人との混血によって本来の人種的特質を希薄にし、さらに明治以来の同化政策の効果もあって、急速に同化の一途をたどり、今はその固有の文化を失って、物心ともに一般の日本人と少しも変わることがない生活を営むまでにいたっている。したがって、民族としてのアイヌは既に滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」(『世界大百科事典』(平凡社、昭和30年版)
 しかし、一部のアイヌ系日本人は、アイヌとしての意識を強め、組織的な活動を行ってきた。その中心となったのが、北海道アイヌ協会である。
 北海道アイヌ協会は、昭和35年(1960年)に再建総会を開催した。翌36年(1961年)に、名称を北海道ウタリ協会と改めた。ウタリはアイヌ語で「同胞・仲間」等を意味する。改称は、アイヌ差別が理由だったというが、平成21年(2009年)に再度、北海道アイヌ協会に名称を戻した。現在は、公益社団法人北海道アイヌ協会となっている。
 戦後、北海道旧土人保護法は、社会の変化によって実情と合わない点が多くなり、その廃止が課題となった。北海道ウタリ協会は、昭和59年(1984年)から新たな法律の原案を作り、立法化を図った。平成6年(1994年)、萱野茂がアイヌとして初の国会議員(参議院議員)となり、立法化が推進された。平成9年(1997年)、アイヌ文化振興法が国会で成立し、施行された。これに伴い北海道旧土人保護法は廃止された。
 アイヌ文化振興法は、アイヌを固有の民族として位置づけた初めての法律であり、国や地方自治体にアイヌ文化の調査・研究、承継者の育成、国民への啓発活動等を進めることを義務づけた。
 同法の目的は、第1条に次のように定められている。「この法律は、アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化が置かれている状況にかんがみ、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及及び啓発を図るための施策を推進することにより、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする」と。
 このように同法は、「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与すること」を目的としている。アイヌ文化については、第2条に、「アイヌ語並びにアイヌにおいて継承されてきた音楽、舞踊、エ芸その他の文化的所産及びこれらから発展した文化的所産をいう」と定めている。
 だが、同法は「アイヌの人々の民族としての誇り」の尊重を強調しながら、民族とは何かの定義が書かれていない。定義を欠いたままアイヌを民族と呼んでいる。
 また、同法はアイヌを先住民族とは認定していない。しかし、同時に衆議院,参議院内閣委員会にて「アイヌの人々の『先住性』は、歴史的事実であり、この事実も含め、アイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発の推進に努めること」が決議された。この決議は、安易に「先住性」を「歴史的事実」とする過ちを犯している。
 ところで、北海道旧土人保護法のもと、アイヌの資産管理能力の不足等を理由として、アイヌの共有財産は北海道知事が委託され管理してきた。アイヌ文化振興法の施行後、北海道は、共有財産の現金のみの返還を官報で公告した。これに対し、北海道ウタリ協会札幌支部理事の小川隆吉らアイヌ24人は、返還手続きの無効の確認を求めて提訴した。これをアイヌ民族共有財産裁判という。平成18年(2006年)に最高裁で原告敗訴が確定した。だが、これを不服とする一部のアイヌは、政治的な活動を強めてきた。次に、アイヌの現状について書く。

 次回に続く。
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キリスト教203~夫婦別姓論とキリスト教

2019-05-25 13:37:05 | 心と宗教
●夫婦別姓論とキリスト教

 わが国は、家族的・生命的なつながりを重視する伝統を持つ。GHQはその伝統を破壊しようとした。GHQが秘密裏に作成した英文草稿がもとになった日本国憲法は、天皇の権威と権能を低下させ、また家(イエ)制度を否定して欧米的な個人主義の考え方を、わが国に持ち込んだ。わが国の左翼人権主義者は、この考え方に則って、家族や国民を解体しようとしている。日本国憲法に依拠して個人主義を推し進め、家族をアトム的な個人の集合に変えるとともに、国民と非国民の区別をなくし、単なる住民の集合に変えようとしている。そうした考え方から打ち出されているのが、夫婦別姓法案、嫡出子・非嫡出子の相続の均等化、永住外国人への地方参政権付与法案、人権侵害救済法案、外国人住民基本法案等である。これらは、日本の家庭、社会、国家を解体する強力な爆弾である。
 こうした左翼人権主義者の動きに、キリスト教左派が加担している。左翼人権主義者の中には、無神論的な唯物論者や反キリスト教的なフェミニストがいるが、キリスト教左派においては、彼らの解釈するキリスト教の教えと、日本の文化・伝統・国柄を破壊する思想が融合しているようである。
 わが国のキリスト教は、ほとんどが欧米経由の西方キリスト教である。西方キリスト教文化圏は、もともと夫婦別姓である。アメリカでは、事実上夫の姓しか選べなかったし、ドイツでは夫婦は夫の姓を名乗るべしと法律で定められていた。イギリスは、夫の姓を名乗る慣習があり、今も続いている。フランスでは、現在まで民法に姓の規定はないが、事実上妻が夫の姓を名乗ることになっている。欧米でフェミニスト(女権拡張論者)たちが夫婦別姓を主張したのは、フェミニズムはキリスト教的拘束から逃れようとする反キリスト教の要素があるからである。その影響で、欧米諸国では1970年代以降、一部の国に夫婦別姓を認めるところが出てきた。だが、わが国はキリスト教国ではない。文化的・宗教的背景が違う。断片的なところだけ取り上げ、それを世界の趨勢であるかのように説き、人権という観念を使って世論を誘導するのは、非常に作為的である。
 わが国の別姓推進の急進的な団体は、欧米のフェミニズムの影響を強く受けている。また現在の日本の女権拡張運動には、左翼思想が流れ込んでいる。左翼は「革命の祖国」と仰いだソ連の共産主義体制の解体を目の当たりにして、社会主義、共産主義社会の実現の難しさを感じ、日本の家族制度と社会制度の解体を図るところに現在の活動の場を求めているのだろう。そして彼らの目標の一つが、夫婦別姓の法制化なのである。
 姓に関する歴史を振り返ると、わが国では、明治時代に国民がみな姓を名乗るようになった。その際、国民多数の要望により、夫婦同姓が法制化された。以後、わが国の社会に定着してきた。だが、この制度を止め、夫婦別姓に変えようとする動きが、1950年代に起こった。夫婦別姓論は、姓に関する個人の権利を人権として主張する。伝統的な夫婦同姓を否定し、家族より個人を重視した制度・慣行を促し、家庭において個人主義を徹底しようとするものである。
 一挙に別姓を導入しようとする夫婦別姓法案に批判が多く出ると、1975年以降、別姓の選択を可能とする選択的夫婦別姓法案に修正され、夫婦別姓を実現しようとする運動が執拗に続けられてきた。選択的夫婦別姓法案は、個人の判断で別姓を選択できるようにすることにとどまらない。それをきっかけに別姓を押し広めて夫婦別姓の社会に変えようとするものである。
 別姓推進派の主張の骨子は、日本国憲法が個人主義を原則としている以上、現民法も個人主義に基づくあり方でなくてはならない。だから、夫婦別姓は当然であるというものである。
 個人主義とは、世の中の原理を個人に置き、個人の自由と権利を守ることをなにより優先する考え方である。個人主義は、近代西欧に現れた思想である。その個人主義の思想を日本の家庭にあてはめたところに、夫婦別姓論が登場する。個人主義の考え方では、社会の基本単位は個人とされるから、家族の一体性よりも、個人の自由と権利が優先される。
 これに対し、社会の基本単位は家族であるとする考え方を、家族主義という。家族主義では、人間は親子・夫婦・兄弟姉妹・祖孫等の具体的な人間関係においてあるものと考える。個人といっても、こうした関係から切り離した抽象的でアトム的な存在とは、考えない。家族主義は、わが国の伝統的な考え方である。戦後、個人主義的な傾向が強くなったとはいえ、伝統的な家族制度の文化が土台にあるからこそ、日本の社会は安定・調和してきた。しかし、夫婦別姓推進派は、個人主義を徹底することにより、家族主義の伝統を根絶しようとしている。
 わが国は直系家族が支配的な社会である。直系家族は家族主義的な考え方を持つ。これに対し、欧米に多い平等主義核家族及び絶対核家族は個人主義的な考え方を持つ。わが国の社会では戦後、核家族化が進み、3世代以上が同居する大家族が少なくなり、親子2世代による核家族が増えつつある。これに伴い、直系家族及び家族主義に基づく伝統的な考え方である夫婦同姓を否定し、核家族的かつ個人主義的な夫婦別姓に変えるべきだという意見が現れている。
 これらの思想のうち、個人主義は西方キリスト教と親和的である。そのため、わが国のキリスト教徒の多くは、わが国の伝統的な家族主義に対して否定的である。日本の伝統的な家族主義は、単に家族の共同性を個人の権利より優先するのではなく、敬神崇祖の考え方に基づいている。祖先への感謝と尊敬は、祖霊を祀り、供養する心霊的な実践を伴う。祖霊の起源は氏神として仰がれる。また各家族の祖先は皇室につながり、または皇室から分かれたものと信じられている。すなわち、神道の宗教的伝統に根差した家族主義である。それゆえ、ユダヤ教に淵源し、祖先崇拝を偶像崇拝として否定するキリスト教の信仰者は、わが国の伝統的な家族主義に対して否定的となる。

 次回に続く。
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アイヌ施策推進法8~北海道旧土人保護法の制定

2019-05-24 09:45:16 | 時事
●北海道旧土人保護法の制定

 アイヌの窮状を救う動きが起こった。明治26年(1893年)、衆議院議員の加藤正之助は、北海道土人保護法案を帝国議会に提出した。だが、廃案になってしまった。アイヌは法案成立を目指して、自らの代表を送って国会に陳情した。
 その陳情の甲斐あって、明治32年(1899年)に北海道旧土人保護法が制定された。以後、政府はこの法律の下でアイヌの保護政策を行った。
 アイヌは文字を持たず、計算ができなかった。風呂に入る習慣がなく不衛生で、結核・疥癬・梅毒・トラホーム等が蔓延していた。そのままでは滅びてしまうので、同じ日本国民として保護するために、この法律がつくられた。
 日本政府がアイヌに対して行った政策は、台湾において行った政策と比較すべきものである。わが国は日清戦争に勝利した結果、明治28年(1895年)、シナ(清国)から台湾の割譲を受けた。以後、約50年間、台湾を統治し、国民が明治天皇の一視同仁・四海兄弟の精神を体して、台湾の発展と台湾人の幸福のために貢献した。日本人は国内においては、北海道のアイヌに対して、同様の精神を以って生活向上に努めた。北海道で開拓者たちは、橋を架け、病院を開き、学校を建て、ダムを造った。アイヌもまた北海道民として、これらの恩恵に浴した。台湾では善政を行い、アイヌには悪政を行ったのではない。
 北海道旧土人保護法は、決して差別的な内容のものではない。そのことは、法案の提案理由に次のようにあることを見れば、明らかである。「北海道の旧土人即ちアイヌは、同じく帝国の臣民でありながら、北海道の開くるに従って、内地の営業者が北海道の土地に向って事業を進めるに従い、旧土人は優勝劣敗の結果段々と圧迫せられて・・・同じく帝国臣民たるものが、かくの如き困難に陥らしめるのは、即ち一視同仁の誓旨にそわない次第という所よりして、この法律を制定して旧土人アイヌもその所を得る様に致したいというに、外ならぬことでございます」と。(現代文は、ほそかわによる)
 法律の名称に使われた「土人」という言葉には、差別的な意味はなかった。「その土地に生まれ住む人」「土着の民」という意味で、江戸時代の文献から大東亜戦争後の公文書にいたるまで普通に使われていた。旧土人と「旧」をつけたのは、「旧(ふる)くからその土地に居住する人々」という意味である。旧土人とは「旧(ふる)くから住んでいる土地の人」という意味」。昭和47年(1972年)頃から差別的な言葉と意識され、やがて使用されなくなった。

◆内容
 北海道旧土人保護法は、旧土人すなわちアイヌに無償で土地や農具、種子を与えて自立を支援し、また積極的な生活扶助・社会福祉・教育奨励を行うことを定めたものである。
 同法は、第1条で、アイヌで農業をしたいと志す者には、一戸につき土地1万5千坪を無償で与えるとしている。1万5千坪は、五町歩すなわち約5ヘクタールである。この面積は、民間の開拓者に下付された面積と同じである。屯田開拓は三町五反であり、屯田兵より優遇されていた。無償で下付した土地については、第2条で、相続以外は他に譲渡することはできない、また質権・抵当権・地上権・永小作権は設定できないとした。これは、文字が読めず、契約をよく理解できないアイヌが、悪い和人に騙されて土地を失うことのないようにしたものだろう。また、下付された土地には、30年間、固定資産税・地方税を課さないとして、特別の免税が定められている。第4条で、アイヌで貧困の者には農具及び種子を給付するとしている。
 次に、生活扶助・社会福祉については、第5条で、傷病者や病気で自費治療することができない者には、薬代を支給するとしている。第6条で、怪我・病気・身体障害・老衰・幼少のため自活することができない者を救済するとし、死亡した場合は埋葬料を支給するとしている。
 わが国で社会保障が発達したのは、大東亜戦争後である。戦前の日本で、明治時代からこのように手厚い社会保障がアイヌに対して行われていたことは、驚くべきことである。
 次に、教育奨励については、第7条で、アイヌの貧困者の子弟で就学する者には、授業料を支給するとしている。第9条で、アイヌの集落のある場所には国庫によって小学校を設置するとしている。
 こうした内容から、北海道旧土人保護法は、アイヌの保護を目的とした法律だったことは明らかである。政府は、北海道に住む和人の貧困者より、アイヌを優遇したのである。

◆保護法下の実態
 アイヌの多くは、政府から土地や農具等を与えられても、自ら汗水流して農業労働をすることを好まなかったようである。与えられた土地を、和人の小作人に貸して、小作料(当時は物納)を取っていっている者もいた。また、酋長とその一族らは、共有財産を私物化していた。
 明治時代になっても、有力なアイヌは、ウタレと呼ばれる下僕・下人を多数持ち、労働力として使っていた。歴史学者の岩崎奈緒子は、著書『日本近世のアイヌ社会』に、アッケシ(厚岸町)では、ウタレを所持していたのはアイヌの世帯全体の5%であり、有力アイヌのイコトイは、ウタレを30~40人余も所持していたと記している。アイヌ社会には、はっきりした身分や貧富の差があったのである。明治政府は、ウタレを解放し、彼らも自立できるように支援した。人権の擁護を主張する者は、アイヌの酋長と明治政府のどちらを支持するか、見解を明らかにすべきである。
 次に、明治政府は、アイヌの子供の教育のために、多大な予算と労力を注いだ。政府は、アイヌの子供に教育を受けさせるために学校を作って、文字を教えた。アイヌは、子供を家業に働かせたり、子守に出して酒代を稼がしたりしていた。子供を学校へやりたがらない親には金銭を与えて、子供を学校に行かせた。アイヌの児童には給食や学用品を与えた。アイヌの生活習慣に合わせて始業時間を遅らせた。入浴習慣がないため、風土病や伝染性の罹患率が高かったので、彼らを学校で入浴させ、身体をきれいに保つことを教えた。現場の教師が苦労してこうした指導をしたことが記録に残っている。
 こうした北海道旧土人保護法のもとに行われた政策は、アイヌを保護し、文明生活へと導いた。アイヌ自身が保護を受けて、日本の文化・社会に同化することを望んだ。明治・大正・昭和戦前期を通じて、アイヌの同化は進んだ。

 次回に続く。
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キリスト教202~靖国神社とキリスト教

2019-05-23 09:38:04 | 心と宗教
●靖国神社とキリスト教

 戦前のわが国において、靖国神社は、国事殉難者の慰霊の中心施設として、国民の崇敬を集めてきた。また、多くの国々の要人が、靖国神社に参拝し、表敬を行ってきた。そうした靖国神社に、敗戦後、存亡の危機が襲った。日本を占領した勝者アメリカは日本への復讐心に燃えていた。アメリカ人は日本国民の団結の強さは神道に基づいており、中でも靖国神社が重要な役割を果たしていると考えた。GHQの内部では、靖国神社を「焼却すべし」という意見が優勢だった。跡地はドッグ・レース場にするという案もあったという。最終的判断は、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥に任された。マッカーサーは決断を下すにあたり、キリスト教会の意見を聞くこととし、当時、駐日ローマ教皇庁代表・ヴァチカン公使代理であったブルーノ・ビッテル神父に、教皇使節団としての統一見解を出すよう要望した。1945年(昭和20年)10月のことである。ビッテル神父は、要旨以下のように答申したという。
 「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓(註 アーリントン国立墓地)を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきりいって、靖国神社を焼却することは、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。
 靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根元であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信教の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊を祀られるようにすることを、進言するものである。
 この勧告により、マッカーサーは靖国神社の焼却をやめた。1945年(昭和20年)11月20日には臨時大招魂祭が行われ、昭和天皇が行幸された。こうして、マッカーサーによって靖国神社の存続が公認されたことになった。
 以上は、木山正義著の『靖国神社とブルーノ・ビッター神父』(社報『靖国』昭和56年7月号所収)による。
 靖国神社に反対するキリスト教徒は、プロテスタントに多い。日本のプロテスタントは、戦前から社会主義との結びつきが強く、戦後も左翼的な政党や政治団体、反日的な韓国団体等の影響を受けやすい。
 もともとキリスト教は日本の宗教ではなく、西洋から来た外来の宗教である。日本の文化・伝統・国柄とは異質なものであり、皇室を中心とした国柄や祖先と子孫のつながりより、キリスト教の教えを優先する。血縁・地縁・社縁による共同体より個人を尊重する。聖書は、イエスの教えやキリスト教徒の言行録を書いた書物である前に、ユダヤ人の神話や歴史を書いた書物である。いかにユダヤ的な要素を排除しようとも、この事実を変えることはできない。また、聖書には日本民族のことは書かれていない。聖書に基づく信仰を持つならば、古事記・日本書紀に書かれた日本人である自らの祖先の歴史や、祖先との血縁によるつながりを、観念的に断ち切ることになる。日本人の現実的な子孫ではなく、ユダヤ人の観念的な子孫になって、ユダヤ人の歴史を共有したような錯覚が形成される。になる。生物学的・文明学的な日本人ではなく、仮想現実的なユダヤ人になったような思い込みが、その人の精神を覆うことになる。もちろん100%そのように思い込んだならば、現実から完全に乖離した病的な状態に陥る。それゆえ、現実的な要素を保ちながら、仮想現実的な思想を抱く。それが、日本のキリスト教徒の実態だろう。私は、日本に限らず、ユダヤ人以外の民族においては、キリスト教徒は、多かれ少なかれ、この仮想現実を生きていると考えている。
 さて、日本を占領した連合国の中心は、プロテスタント主導のキリスト教国アメリカだった。GHQは、日本の弱体化を図り、憲法までを変えた。現行憲法は、天皇の権威をひき下げ、伝統的な家族主義を排除して個人主義を強調し、国際社会の理想のもとに空想的平和主義を掲げるものとなっている。その内容は、キリスト教の考え方と親和的な面がある。現憲法の固守を訴える左翼の政治家、学者、活動家の中には、キリスト教徒が少なくない。
 特に左翼・反日勢力の影響を強く受けたキリスト教徒は、皇室を尊崇せず、国防に反対し、家族より個人の権利を主張する。旧社会党や現社民党等の左翼政党の政治家や活動家には、反日的・親韓的なキリスト教徒が少なくない。戦前の日本軍の慰安婦を性奴隷だとする虚偽の宣伝をしたり、また在日韓国人を強制連行の犠牲者だとする捏造をあえて行ったりする者たちの中にも、キリスト教徒がいる。彼らにおいては、宗教的な信条と政治的な思想が一致しているおり、その誤った信念は堅固である。カトリック教徒の中にも、解放の神学や韓国の反日勢力の影響を受けて、左翼的・反日的な思想傾向の者がいる。
 日本のキリスト教徒の中には、日本の文化・伝統・国柄を重んじ、深い愛国心を示す者もいる。戦後日本で、日本の伝統を尊重する日本的保守の論陣を張った有識者のうち、渡部昇一は上智大学の学生時代に入信したカトリック教徒であり、山本七平は親の代から日本基督教団系のプロテスタントだった。渡部や山本においては、キリスト教の信仰と愛国的な日本人の思想が矛盾なく、融合していた。先にキリスト教徒は、現実的な要素を保ちながら、仮想現実的な思想を抱くと書いたが、渡部や山本はその現実的な要素をしっかり持っていた。それは彼らが日本の文化・伝統・国柄について、非常に深い知識と見識を持っていたからである。昭和40年代後半以降、彼らの言論活動を通じて、皇室の大切さや日本文化の素晴らしさを知った者は、数多い。

 次回に続く。
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アイヌ施策推進法7~明治時代前半のアイヌ政策

2019-05-22 06:48:42 | 時事
●明治時代前半のアイヌ政策
 
◆北海道の命名
 明治2年(1869年)年8月15日、蝦夷地は太政官布告によって「北海道」と命名された。「北海道の名付け親」と言われるのは、松浦武四郎である。松浦は、幕末から明治時代初めにかけて活躍した北方探検家である。蝦夷地の他、樺太、国後島、択捉島等を探査し、詳細な記録を数多く残した。アイヌとの交流を深め、アイヌが蝦夷地で安心して暮らせるようになることを願って行動した。明治政府で開拓判官に任じられ、蝦夷地に替わる名称として「北加伊道」等を提案し、それがもとになって、「北海道」に決まった。
 同年、北海道開拓使庁が置かれ、北海道の開拓が本格的に開始された。開拓の最大の目的は、ロシアの脅威に対抗することだった。そのために西郷隆盛が屯田兵制度を立案し、明治7年(1874年)に法令が施行され、翌年から入植が行われた。一般の農民も次々と入植し、北海道の人口が増加した。
 地名には、アイヌ語由来の名称が多く採用された。その名称は、天照大神等の日本古来の神々を祀る神社の名称にも使われた。愛別神社・比布神社等がその例である。ここには、否定や排除ではなく、肯定と受容の姿勢が表れている。

◆保護政策
 明治4年(1871年)に戸籍法が制定され、翌5年に戸籍が編製された。これを壬申戸籍という。アイヌは「平民」として編入されて戸籍に登録され、日本国民の一部となった。アイヌは、これを拒否して独立運動を起こしてはいない。この時、政府は、アイヌの風習の一部を禁じる通達を出した。
 明治政府は、アイヌが幼い女児に行う刺青を禁じた。顔の口元への入れ墨は、日本国民として社会生活をするうえで、大きな不利となったからである。ただし、これに従わなくとも処罰されることはなかった。それゆえ、昭和時代初期まで半ば公然と刺青が行われていた。
 また、アイヌには、父親が死ぬと、死後の世界でその霊が困らないように、死者ともども家屋・家財を焼き払うという風習があった。明治政府は、それが富の蓄積を妨げ、貧困の原因になっているとみなし、この風習も禁止した。
 主な禁止事項は、この2点である。
 アイヌの文化を絶対視し、無条件に保護すべしと考える者は、女児の刺青や家屋・家財の焼き払いの禁止を不当とし、その復活を主張するのだろうか。それぞれの民族は、独自の文化・伝統・慣習を持つ。その中には、悪習・悪弊もある。時代の変化とともに、良い部分は維持し、悪い部分は廃止しながら進むところに、新たな創造がある。どの民族の文化もそうであり、日本の文化もまた古代からそのようにして発達してきた。既存のものをなんでも維持すべきと考えるのは、単なる頑迷である。
 なお、政府による禁止の対象ではないが、アイヌには飲酒に関する風習がある。明治時代に日本を訪れた探検家イザベラ・バードは、北海道も探検した。著書『日本奥地紀行』において、バードはアイヌの「最大の悪徳」は飲酒だと断じた。彼女によると、アイヌは交易等による儲けを全部はたいて日本酒を買い、それをものすごく多量に飲む。アイヌは、「神々のために飲む」と信じており、泥酔が「最高の幸福」であり、泥酔状態は彼らにとって神聖なものとされていたという。こうした大量飲酒は、経済的にも、健康のためにも大きな害のある習慣である。アイヌといえば、その文化・習慣のすべてを守るべき価値あるものと考えるのは、行き過ぎである。
 明治政府は、アイヌを保護するために、優先的に漁具や漁場を与えた。だがアイヌがサケや鹿の乱獲を行ったので、資源の枯渇を防ぐために規制を加えた。自然に近い生活をしている集団が、必ずしも自然の保護をするとは限らない。政府はまた、アイヌに対して授産と教化を進めた。だが、物々交換経済のアイヌは貨幣経済に馴染むことができず、成果はあまり上がらなかった。
 明治15年(1882年)に北海道開拓使が廃止され、19年(1886年)に北海道庁が設置された。道庁は、明治24年(1891年)にアイヌへの授産指導を廃止した。すると、大量飲酒の習慣があるアイヌは、焼酎一本、酒一升での漁場や耕作地を手放してしまい、政府が与えた彼らの生活基盤の多くが失われてしまった。

 次回に続く。
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