ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

宗教消滅5~第2の動向:発展途上国でのプロテスタント福音派の拡大とその後の衰退

2018-09-30 10:02:21 | 心と宗教
●第2の動向:発展途上国でのプロテスタント福音派の拡大とその後の衰退

 島田氏は、現在の世界における宗教の状況の第2の動向として、発展途上国におけるプロテスタント福音派等の新宗教の拡大を挙げる。
 島田氏によれば、この現象は、戦後の日本社会で起こった日蓮系新宗教の拡大と共通した現象であり、産業構造の転換による都市化が決定的な要因となっている。だが、経済成長に歯止めがかかると、新宗教の伸びが止まる可能性が高いと島田氏は予想する。
 韓国では、戦後経済成長が進み、地方から都市部への人口の移動が起った。経済成長が始まる1960年から2000年の間に、ソウル首都圏の人口が519万人から2135万人へと4倍近くに増えた。同地域は総人口の46.3%を占めるようになり、地方出身者が圧倒的多数を占めるに至った。
 当時韓国の地方では、社会道徳としては儒教の影響が強く、信仰としては仏教が主体だった。仏教は地域共同体の中で信仰されたものであり、それを個人が都市に持ち込むことは難しかった。そのような状況で、都市に流入した地方出身者を信者として取り込んでいったのが、キリスト教だった。
 韓国では、キリスト教はシャーマニズムの文化と融合し、習合することによって、知識層だけでなく庶民層にまで広がった。島田氏は「とくにプロテスタントの宣教師の中には、説教壇で神憑りする、日本で言えば新宗教の教祖に当たるような人間たち少なくない。あるいは、宣教師の熱狂的な説教によって、信者たちが神憑り状態に陥ることもある。そうしたシャーマニズムと習合したキリスト教は、病気治癒などの現世利益の実現を約束して庶民の信仰を集めていった。
 「日本の戦後社会においては、現世利益の実現をうたい文句に新宗教が勢力を拡大したように、韓国では、同じような主張を展開したカリスマ的聖職者に率いられた庶民的なキリスト教が急成長したわけである」と島田氏は解説する。ここで庶民的なキリスト教とは、シャーマニズムと習合したプロテスタントの福音派のことである。
 私見を挟むと、日本は、1971年(昭和46年)のニクソン・ショック、73年(48年)のオイル・ショックによって高度経済成長の時期が終り、安定成長期に移った。ニクソン・ショック、オイル・ショックの影響は、外力によるものである。86年(61年)からバブル景気となったが、1991年(平成3年)2月にはバブルが崩壊した。大打撃を受けた日本経済が回復途上にあった1998年(平成10年)、今度は財政金融政策の誤りによって、デフレに陥った。その後も失政が続き、デフレが約20年続いた。島田氏のいうように単に高度成長から低成長の時代に移行したのではない。人間が年を取って、青年期・壮年期から老年期に自然と移っていくような変化とは違う。
 韓国の場合は、1997年(平成9年)のアジア通貨危機で経済危機に陥り、IMFの管理下に置かれるようになった。以後、経済の低迷期に入った韓国では、戦後急成長したキリスト教の伸びが止まった。島田氏は、韓国のプロテスタント福音派は驚異的な経済成長による都市部への人口集中によって巨大化したものであるとし、「経済成長が限界に達して、低成長の時代に入れば、それまでと違って信者を増やしていくことができなくなる」と述べている。だが、これも単に経済成長が限界に達して、低成長の時代に入ったわけではない。アジア通貨危機は、欧米の機関投資家らが人為的に仕掛けたものであり、外圧による出来事である。
 島田氏は、プロテスタント福音派の拡大は、共産主義を標榜する中国にまで及んでいるという。中国は、共産党が支配する国である。唯物論的共産主義によって、宗教に対して否定的な思想が教育されている。また、日本の内閣に相当する国務院直属の組織である国家宗教事務局を設けて、宗教管理政策を行っており、国家が認めた宗教しか活動が許されない。
 中国は、1990年代から改革開放政策により、急激な経済成長を続けている。それによって、資本主義社会以上に経済格差が拡大している。島田氏は、経済格差の拡大によって、「社会の発展から取り残された人々が存在する」と指摘し、「政治に期待することができないときには、宗教に頼らざるを得ない」と述べている。
 そのような状況で勢力を拡大しているのが、「地下教会と呼ばれる、政府に公認されていないキリスト教の教会」である、と島田氏は言う。それらの教会は「指導者がカリスマ性を発揮し、病気治しなどを行う福音派」である。
 だが、中国では、これまでの驚異的な経済発展にブレーキがかかる状況が生まれている。島田氏は、そのことが宗教にも大きな影響を与えるだろうと予想する。ここでも島田氏は、「低成長の時代に入れば、今度は宗教の衰退という局面が待っているのだ」と持説を繰り返している。だが、再び私見を挟むと、共産国の場合、経済が行き詰まると、それまで政府によって抑えられてきた宗教への信仰心が高まり、それが体制を揺るがすことが起り得る。ポーランドがその良い例であり、労働組合「連帯」による民主化運動は、国民の大多数を占めるカトリックへの信仰の高揚に裏付けられたものだった。
 次に、島田氏は、中南米の動向を挙げる。島田氏によると、世界に12億人いるとされるカトリック教徒のうち、4割を中南米の信者が占めている。中南米は「カトリックの牙城」である。ところがその中南米において、「カトリックの信仰を捨ててプロテスタントの福音派に転じる人間がかなり増えており、牙城も危機の様相を呈しているのである」。その事例として、島田氏は、中南米最大の国家・ブラジルの例を挙げる。ブラジルでは、カトリック教徒の割合が1980年には90%を超えていた。だが、プロテスタントの福音派に改宗する人間が多く、現在カトリックは60%に低下しているという。3分の2への減少は、劇的な変化である。
 第1の動向の項目で、アメリカではヒスパニックの人口の増加の割に、カトリックの割合が増えていないことを書いた。ヒスパニックの間でさえ、若年層を中心にプロテスタントの福音派に宗派替えする例が増え、信者の老齢化を招いていると島田氏は補足している。
島田氏は、中南米と北米におけるプロテスタント福音派の増加を、戦後日本における日蓮系・法華系の新宗教団体の拡大と同じパターンのものと見て、今後、経済成長に歯止めがかかると、新宗教の伸びが止まる可能性が高いと予想している。
 なお、なぜキリスト教内で、カトリックからプロテスタント、それも福音派への改宗が、発展途上国で激増しているのか、その原因・理由について、島田氏は具体的に書いていない。ここでいう福音派は、主にアメリカにおけるキリスト教の信仰復興運動の中で生まれた新しい教派を意味するはずである。アメリカでは、プロテスタントは、主流派(mainline)と福音派(evangerical)に分けられる。主流派は、宗教改革以来の伝統的なプロテスタントであり、福音派はこれに対する反主流派である。新興宗教的な教派といわれることがある。アメリカでは、福音派の方が主流派を信者数で上回り、勢いを増している。発展途上国において経済発展が進み、格差が拡大する過程で、どうしてカトリックから福音派への改宗が多く起こるのかという点には、カトリック、伝統的プロテスタント、新興的プロテスタント、それぞれの教派の教義や社会経済問題への姿勢等が関係してくるが、本書ではこの点は、論述されていない。また島田氏は、中国に関して福音派が拡大していると書いているが、地下教会には、政府支配下のプロテスタント系教会への協力を拒否するものだけでなく、共産党の統制管理に反抗しローマ教皇に忠誠を誓うカトリック系のものがあり、後者の信徒も増加していると見られる。

 次回に続く。

宗教消滅4~日本における宗教の衰退(続き)

2018-09-29 12:39:48 | 心と宗教
●日本における宗教の衰退(続き)

 島田氏は、資本主義の高度経済成長の時代には、都市への人口の集中と格差拡大という状況において、新宗教が信者を獲得して発達するが、低成長の時代に入ると、宗教は衰退するという。なぜ低成長の時代に入ると、宗教が衰退するのかについては、相関関係が具体的に述べられていない。
 島田氏の論理に基づくならば、高度成長期には、都市部で低学歴層の人口が増え、彼らを信者に獲得できたが、低成長期になると、都市部で低学歴層が増えないので、新たな信者を獲得できなくなるということになるだろう。だが、むしろ高度成長によって社会全体が豊かになり、経済格差はありながらも、中下層も豊かな生活を送れるようになったことが信者獲得数に影響していると考えられる。新宗教が発展した時代には、入信する動機は「貧・病・争」すなわち貧困、病気、家庭内等の争いといわれた。しかし、日本が経済的に豊かになり、所得が増え、国民健康保険で医療を受けられ、生活保護・老齢年金等の社会保障も充実して、世俗的な意味での幸福が一定程度得られるようになった。教育の面でも高校に進学する者が大半となり、大学への進学率も高くなると、高度成長期以前のように、教育を受けられなかったために能力を発揮できず下層に留まるという事情の人が減ってきた。こうした豊かな社会においては、貧・病・争という人々のかつての悩みは少なくなり、それに伴って新宗教に救いを求める人々が減少してきたと考えられる。
 次に、新宗教団体内での衰退の原因については、島田氏は次のように書いている。
 「新宗教の場合、どこでも運動が盛り上がっている時代には多くの人間が入信し、彼らが教団の中核を占めていく。ところが、その後、運動の熱気が次第に醒めていくと、入信者も減っていき、若い世代は入って来なくなる。となると、時間が経つとともに、信者全体の年齢が上がり、教団は活力を失っていく。そうなると、若い世代が入ってくることが余計難しくなる。世代が違うために、年齢が上の人間たちのなかに溶け込むことが難しくなるのである」
 新宗教教団が「一時期に急速に信者が増えることは、かえって後に問題を生むことになる」「特定の世代の人間たちが教団の中心を占めているために、その後の世代はその輪の中に入りにくい」「組織としての新陳代謝は進まず、運動は停滞し、よけい新しい世代が入信してくることはなくなる」「新しい信者が入って来ないのだから、高齢化した時には、ますますそれが難しくなる。そうなれば、もう打つ手はない。ただ、高齢化の一層の進展を手をこまねいて見守っていくしかないのである」と島田氏は言う。その理由は何か。「新宗教の場合、信仰を獲得した第一世代から、その子どもである第二世代に継承が進まないからでもある」と島田氏は説明する。「第一世代には、その宗教に入信するに至る強い動機がある。ところが、第二世代にはそれがない。それでは、親の信仰を子どもが受け継ぐということが難しいのである」「既成宗教の場合には、信仰は代々受け継がれていくものであり、現在信仰している人間は、個人的な動機からその宗教を選択したわけではない。親が信仰しているからそれを受け継いだだけである。信仰に対して強い情熱を持っていないために、かえってそれを自分たちの子どもにも伝えやすい。信者になっても、熱心に信仰活動を実践する必要がないからである」と。
 上記の島田氏の分析は、すべての新宗教団体にあてはまるものではない。指導者のカリスマ性や組織運営能力、企画実現力等によって、信者数を増やし、活発に信仰活動を行っている団体もあるからである。ただ、それらの団体より規模の大きい創価学会をはじめとする有名教団の多くに、衰退の傾向があるということだろう。
 また、島田氏は、衰退しているのは新宗教だけではなく、既成宗教である仏教や神道にも衰退の兆しが表れていると指摘する。真言宗の本山である高野山は、1984年には参拝者が100万人に達していたが、開創1200年を迎えた2015年には、参拝者は約60万人だった。約30年間で4割も減少している。伊勢神宮では、2013年に式年遷宮が行われ、参拝者は1400万人に達し、史上最高の参拝者数だった。だが、2015年には1000万人を大きく下回ったという。島田氏は、この二つの事例しか挙げていない。そのうち、伊勢神宮については、20年に一度の式年遷宮という特別の年とその後の年との比較だけでは、説得力を欠く。
 このように論述が粗雑で不備もあるなかで、島田氏は新宗教・既成宗教ともに「日本の宗教は確実に衰退の兆候を示しているのだ」と主張している。
 なお、島田氏は、新宗教と既成宗教という分け方をしているが、新宗教の代表例として挙げる日蓮系・法華系の団体は、仏教の団体である。厳密にいうと、新宗教ではなく、従来宗教の中の新しい団体である。新・宗教団体ではあっても、まったくの新宗教ではない。
 日本の仏教は、葬式仏教といわれるように慣習化・形骸化して久しい。そうした中で、活発に信仰活動を行ってきたのが、日蓮系、法華系の新宗教団体である。それらの団体が活力を失い、衰退の局面に入っているということは、日本の仏教が全体として衰退の傾向にあると見ることはできる。葬式仏教化している既成宗派でも、家族葬・直葬など簡略な葬儀を求める人が増え、寺院の収入の減少を招いている。
 このような観点に立てば、先進国において、欧米、特にヨーロッパでキリスト教が衰退しているのと対比される形で、日本においては仏教が衰退していると見ることができる。

 次回に続く。


■追記

 上記の掲示文を含む拙稿を次のページに掲載しています。
「宗教は消滅せず、新たな発展へ向かう~島田裕巳氏の宗教消滅論批判」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11h.htm

宗教消滅3~日本における宗教の衰退

2018-09-27 09:32:02 | 心と宗教
●日本における宗教の衰退

 島田氏は、欧米だけでなく、日本でも宗教が衰退しつつあると見ている。特に新宗教の衰退が、年を追うごとに顕著なものになってきていると指摘する。
 島田氏が依拠するのは、文化庁が発行する『宗教年鑑』である。本書には、各宗教団体が信者数として公称する数値が掲載されている。島田氏は、代表的な新宗教団体における信者の激減を指摘する。PL教団の信者数は、『宗教年鑑』平成2年版では181万2384人となっていたのが、平成26年版では92万2367人と大きく減少した。「この24年間に、PL教団の信者数は、ほぼ半減している」と島田氏は指摘する。ちなみに平成29年版では81万人となっており、27年間に半減以下、約100万人の減少となっている。立正佼成会では、平成2年版から26年版へという同じ期間に、633万6709人から308万9374人とほぼ半減した。これも平成H29年版では272万人であり、27年間に半減以下となった。霊友会では、平成2年版316万5616人から26年版136万9050人へと半分以下に縮小していることを、島田氏は指摘する。
 島田氏は創価学会の研究で知られる。創価学会では、信者数を個人単位ではなく、本尊を受けている世帯を単位として公表している。島田氏は、「その数はずっと827万世帯のまま」であり、「世帯数がここのところ全く増えていない」と言う。「数が増えていないということは、少なくとも、新しい信者を獲得できていないことを意味する」と解説する。
 ここで島田氏は、創価学会の発展の過程と現状について、次のように書いている。
 創価学会の急速な拡大が始まったのは、日本が高度経済成長に突入した1950年代に入ってからである。高度経済成長は産業構造の転換を伴った。第2次産業・第3次産業が発展する都市部では大量の労働力を必要とした。それによって、地方から都市への大規模な労働力の移動が起った。日本の農業は規模が小さく、農地を分割すれば、経営が成り立たないから、次男以下の人間は働き口を求めて都市部へと出ていかざるを得なかった。その典型が集団就職だった。中卒・高卒など学歴が低いと、労働者になっても、労働組合がしっかりと組織されているような職場に入ることができない。未組織の労働者として寄る辺ない生活を送らざるを得なかった。そうした人間たちを吸収していったのが、日蓮系新宗教であり、とりわけ創価学会だった。
 創価学会に入会すれば、都市に出てきたばかりの人間でも、仲間を得ることができた。村での人間関係のネットワークを失って「孤立」している人間が、創価学会に入会すれば、都市部に「新たな人間関係のネットワーク」を見出すことができた。
 また、高度経済成長によって経済格差の拡大が続き、社会的に恵まれない階層が生み出されていった。創価学会はこの階層を信者に取り込んだ。
 2代会長の戸田城聖は、「現世利益」の実現を掲げ、信仰し、折伏を実践すれば、それで「功徳」を得ることができると宣伝し、都市に出てきたばかりで貧しい暮らしを余儀なくされていた人間には強くアピールした。それによって、教団が巨大な組織に発展していった。
 創価学会と同じ日蓮系、法華系の新宗教団体である立正佼成会、霊友会なども同じ時期に、現世利益の実現を掲げて、大量の会員を獲得して、巨大教団へと発展した。
 だが、こうした日本の新宗教が、今や先に事例を挙げたように信者数が激減し、衰退の途をたどっていることを島田氏は強調している。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「宗教は消滅せず、新たな発展へ向かう~島田裕巳氏の宗教消滅論批判」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11h.htm

宗教消滅2~ヨーロッパにおけるキリスト教の教会離れ

2018-09-26 10:07:05 | 心と宗教
●ヨーロッパにおけるキリスト教の教会離れ

 ヨーロッパでのキリスト教における教会離れは戦後になって始まり、1950年代から目立ち始めたが、近年、「急激な教会離れが進行している」と島田氏は言う。
 1970年代から、イスラム教における「宗教復興」の陰で、ヨーロッパでは世俗化が大幅に進行してきて、「ここに来て、底なしの気配を見せている」と言う。
 特に顕著なのはフランスである。「フランスでは想像を絶する規模で、教会離れ、カトリック離れ、さらに言えば宗教離れが起こっている」と島田氏は指摘する。
 世俗化の度合いを示す数値として、ミサの参加率と聖職者の人数がある。島田氏が挙げるデータによれば、フランス人の中で日曜日にミサに参加する人は1958年には35%、すなわち3分の1以上いたが、2004年には、わずか5%にまで低下した。さらに、2011年には毎週1度は教会に通っている人は0.9%だったという調査結果もある。
 聖職者については、1950年代のフランスでは、司祭になろうとする人が、毎年1000人程度いたが、現在では毎年100人程度と、10分の1程度に減っている。
 2010年の時点でフランスの人口のうち、キリスト教徒の割合は44%だった。それに対して、無宗教あるいは神の存在に対して懐疑的な不可知論が29%おり、神の存在を否定する無神論も13%いた。この両者を合わせると42%となり、キリスト教の信仰を持つ人間の割合と拮抗している。
 島田氏は、ドイツでは、2014年にカトリック教会を正式に離脱した人の数が、21万7116人にのぼったと伝える。ドイツの総人口は同年の時点で8108万人であり、その30.8%に当たる2047万人がカトリックである。そのうち、0.88%が離脱したことになる。2013年に比べると、離脱者の数が21%増えており、毎年、離脱者の数は増え続けている。この傾向は、人口の30.4%を占めるプロテスタントでも同様であり、2014年には20万人が離脱した。カトリック教会では、日曜日にミサに出席する信者は12%に過ぎないという調査結果もあるという。
 ドイツの場合、今、多くのキリスト教徒が教会から離れているのは、教会税の存在が大きい。教会税は、アイスランド、オーストリア、スイス、スウエーデン、デンマーク、フィンランドなどにもある制度である。ドイツでは「教会税を支払いたくないがために、教会を離脱する人間が増えている」と島田氏は言う。ドイツでは、所得税とともに、所得税の8%ないし10%を教会税として徴収される。徴収するのは教会ではなく、政府である。住民票の宗教に関する欄にキリスト教と記入すれば、自動的に教会税が徴収される。こうした教会税を払いたくないので、教会を離れる人が増加しているのである。
 イギリスでは、2001年の国勢調査でキリスト教と答えた人が72%だったが、2011年には59%へと減少した。10年の間に13ポイント低下したことになる。また、4人に1人が「無宗教」と答えている。こうしたなか、英国国教会では、1年に25の教会が閉鎖されているという。
 島田氏は、ヨーロッパでは「年を追うごとに、各国において教会を離脱する人間の数が増えている。このままいけば、どの国でもキリスト教の教会は深刻な危機に遭遇する可能性が高い」と述べている。信者が教会から離れれば、教会の運営は成り立たず、教会が売却されることになる。こうした事例が増えており、最も多いのはイスラム教のモスクに転用されるケースであると島田氏は伝えている。

●アメリカでもキリスト教離れが見られる

 こうした傾向がヨーロッパだけであれば、特殊な地域事情ということになるが、アメリカでも変化が起こっている。ヨーロッパに比べてアメリカでは神を信じている人間が多い。ギャラップの2011年の調査では92%に上っている。だが、島田氏は1967年には、その割合は98%だったので、「アメリカ人でさえ、神を信じる人間の割合は減少の傾向を見せていると言える」と言う。44年間に6ポイント低下したことになる。
 教派別にみると、アメリカのプロテスタントは、1948年の時点で人口の69%を占めていた。それが次第に減り始め、2000年に52%、2010年に45%と減り、2014年のギャラップの調査では37%へと減少した。島田氏は「2010年代に入って激減していると見ることができる」と述べている。
 カトリックは、ギャラップの2014年の調査では、23%を占めた。1948年には22%だったので、プロテスタントが百分率を顕著に減らしているのに比べ、大きな変動はない。問題は、その中身である。アメリカは、1950年に人口が1億5千万人を超え、2010年には3億人を突破した。この60年間で人口が倍増したわけである。増加した人口のうち、最も多いのはメキシコ等から流入するヒスパニックである。2010年の時点で人口の16.3%を占め、5000万人を超えた。そのヒスパニックにはカトリックが多い。だが、島田氏は、アメリカではヒスパニックの人口が増加している割には、カトリックの割合が増えていないことを指摘する。その理由は、「ヒスパニックにおけるカトリックからプロテスタントへの改宗が起こっているから」だと言う。
 ヒスパニックではカトリックからプロテスタントの改宗が起っているといっても、全米の人口に占めるプロテスタントの割合は減り続けている。1948年に人口の69%だったのが、2014年には37%へと減少している。
 ここに見られるのは、アメリカにおいても、ヨーロッパほどではないが、キリスト教離れの傾向が出てきていることである。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「宗教は消滅せず、新たな発展へ向かう~島田裕巳氏の宗教消滅論批判」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11h.htm

池上彰の番組でパクリ、小中学生にやらせ

2018-09-25 12:09:44 | 時事
 池上彰氏がニュース解説をする番組は、人気が高く、多くの人々が情報源にしているようです。NHK出身の池上氏は、国内・国際のあらゆる問題を取り上げて、テレビで分かり易く解説するジャーナリストとして、他にほとんどいないような存在になっています。しかし、池上氏の解説は、しばしば内容が偏向していることが以前から指摘されてきました。池上氏は、社会主義青年同盟(社青同)という旧社会党系の学生組織に属していたと伝えられ、根本的には左翼的な思想の持ち主です。

 さて、このたび評論家の八幡和郎氏がFBに池上氏の番組について、実態を書きました。
 「池上彰の番組から取材があってさんざん時間を取らされたあと、「池上の番組の方針で、番組では八幡さんの意見ではなく池上の意見として紹介しますがご了解いただけるでしょうか」といわれたので、断固、「私が言ったことをいっさい使ったりよく似たことを池上に言わせないように」といって電話を切ったことがある。こんなのがジャーナリストのような顔してるのがおかしい。」
これをきっかけに、同じような体験をしているという人たちが、次々に発言し、池上氏の番組の問題点が表に出てきました。
 詳しくは、次のサイトに掲載されています。
http://netgeek.biz/archives/126507
 池上氏のパクリを告発したのは、八幡氏の他、有本香氏(ジャーナリスト)、宮下研一氏(株式会社イグジット、ウェルリンク株式会社)、田上嘉一氏(弁護士) 、坂東忠信氏(元刑事)、高橋洋一氏(大学教授)らです。

 こうした中で、9月7日(金)夜に放送されたフジテレビの「池上彰スペシャル」が、さらに大きな問題となりました。
 スタジオに小中学生70人を集めて池上氏が子供たちの疑問に答えていくというのが番組の事前予告でしたが、参加した小中学生が安倍総理の悪口を言い、池上氏が喜ぶという展開となりました。
 問題は、ゲストとして招かれた小中学生70人のうち、約40人が子役と判明したことです。
http://netgeek.biz/archives/126531
 子供の役者を使って番組で批判を言わせるとは、放送倫理に違反する悪質な行為です。教育上も大きな問題があります。真相を究明し、再発を防止すべきです。

宗教は消滅せず、新たな発展へ向かう1

2018-09-24 09:32:09 | 心と宗教
●はじめに

 宗教学者の島田裕巳氏は、平成28年2月に『宗教消滅』(SB新書)を刊行し、宗教界をはじめ、日本の社会に衝撃を与えた。島田氏は、我が国の新宗教の専門家であり、本書においても、近年の新宗教の衰退について経緯・原因・予想を書いている部分には専門的な知見が示されている。島田氏は、本書で、さらに現在の世界における宗教事情を書き、人類社会における宗教の将来を予想している。その予想とは、世界的な宗教の衰退・消滅、社会の無宗教化である。本稿「宗教は消滅せず、新たな発展へ向かう~島田裕巳氏の宗教消滅論批判」は、氏の所論を分析・批判し、宗教は消滅せず、新たな発展へ向かうことを論じるものである。連載は10数回の予定である。

●島田氏は宗教の消滅を予想

 島田氏は、現在の世界における宗教の状況について、三点を指摘する。
 第一は、「ヨーロッパや日本などの先進国で起こっている宗教の急速な衰退という現象である。それは、伝統的な既成宗教に起こっていることだが、同時に新宗教にも起こっている。要は、先進国の社会は世俗化、無宗教化の方向に向かっているのである」と島田氏は言う。本書において、世俗化とは、島田氏によると、「社会から宗教の影響力が失われていくこと」を意味する。
 第二は、「経済発展が続いている国では、プロテスタントの福音派を中心に、新しい宗教が勢力を拡大している」。これは「産業構造の転換による都市化が決定的な要因となっている」。ただし、「経済成長に歯止めがかかると、福音派などの新宗教の伸びが止まる可能性が高い」「低成長の時代に入れば、今度は宗教の衰退という局面が待っているのだ」という。
なお、島田氏がいう「経済発展が続いている国」とは、先進国を除いた国々をいうものであり、一般的には発展途上国と呼ぶので、本稿では以下そのように称する。
 第三は、「イスラム教の拡大」である。移民を中心としたイスラム教徒が増えているヨーロッパでは、「ヨーロッパのイスラム化」が危機感を以て語られている。イスラム教はこれからも拡大し、キリスト教を抜いて世界第一の宗教になるだろう。だが、島田氏はイスラム教の社会では現代社会に適応するため、「イスラム法の現代化、あるいは資本主義化」が進み、「イスラム教のあり方を変容させていくに違いない」という。
 私は普段、「イスラーム教」と表記するが、島田氏が「イスラム教」と表記しているので、本稿においては混乱を避けるために、「イスラム教」に統一する。
 さて、島田氏は、上記の三点を指摘したうえで、世界における宗教の現状と将来について、次のように述べている。
 「世界全体において、宗教はその力を失い、無宗教化していく傾向が著しくなっている」。「人類は、今や宗教なき世界へ向かっている。その動きは、近代に入ってから生まれたものだが、それが近年になって勢いを増している。人類は、宗教をすでに必要としなくなっているのかもしれないのだ」と。
 次にこうした島田氏の見方をより詳しく述べたうえで、批判を行いたい。島田氏は、上記の三点を「三つのポイント」と書いているが、本稿では、これを三つの動向と言い直すことにする。

●第1の動向:先進国における宗教の急速な衰退

 島田氏は、ヨーロッパや日本などの先進国における宗教の急速な衰退を指摘する。「それは、伝統的な既成宗教に起こっていることだが、同時に新宗教にも起こっている。要は、先進国の社会は世俗化、無宗教化の方向に向かっているのである」と言う。
 「ヨーロッパを中心とした先進国では、キリスト教の教会離れが急激な勢いで進行している。これは、近代社会になって以降、それに伴って必然的に起こる世俗化が勢いを増していることを意味する」として、先進国では近代化に伴う世俗化が勢いを増し、キリスト教における教会離れが急激に進行していると島田氏はいう。
 日本は欧米諸国と違い、非キリスト教的な先進国であるから、世俗化が進行するとすれば、キリスト教だけでなく、それ以外の宗教においても、宗教離れが進んでいると言うのでなければ、先進国全体の傾向ということはできない。島田氏は現代日本の宗教の専門家として、日本では新宗教をはじめ、既成宗教である仏教・神道も衰退しつつあることを指摘している。
 まずヨーロッパの動向から、島田氏のいうところを整理してみよう。

 次回に続く。

自民総裁選は安倍氏が圧勝

2018-09-23 08:44:56 | 時事
 9月21日は休みだったので、家で自民党総裁選をテレビで観ました。結果は予想通り、安倍氏の大勝でしたが、各局の報道番組は石破氏が「善戦」と強調していました。

 得票数は次の通り。
  安倍氏:国会議員票329、党員票224 計553
  石破氏:国会議員票 73、党員票181 計254

 全体で807票のうちの68.5%を安倍氏が占め、石破氏は31.5%。安倍氏が7割近くの票を獲得しています。安倍氏の圧勝と言っても過言ではありません。では、石破氏は「善戦」したと言えるでしょうか。
 前回の2012年の総裁選は、第1回投票で地方票での圧倒的な支持を集めた石破氏が1位となりましたが、決選投票で安倍氏が勝利しました。立候補者は5人。そのうち石破氏が得票数199票、うち国会議員票34票、地方票165票。安倍氏は得票数141票、うち国会議員票54票、地方票87票でした。 二人の決選投票となり、安倍氏が108票、石破氏が89票で、安倍氏が逆転勝利しました。
 この時の総裁選では、安倍氏は第1回投票で党員票の29%しか取れず、石破氏は55%取りました。それが今回は安倍氏は55%、石破氏は45%。安倍氏は29%から55%へと16ポイントも党員票を伸ばしたのです。逆に地方に強いはずの石破氏は55%から45%へと10ポイントの減少です。安倍氏の支持者が増え、石破氏の支持者が減ったのです。
 また、国会議員票は、ちょうど今回のように一騎打ちとなった前回の決選投票では、安倍氏が54.5%、石破氏が45.5%でした。これに比べ、今回は安倍氏が81.8%、石破氏が18.2%です。安倍氏が27.3ポイントも伸ばし、石破氏は同じポイントを減らしたのです。
 党員票についても前回は、石破氏は47都道府県のうち42都道府県で勝ちましたが、今回、石破氏が勝ったのは、山形、茨城、群馬、富山、三重、鳥取、島根、徳島、高知、宮崎の10県のみでした。安倍氏は逆に前回は6県のみで、今回は37都道府県で勝ちました。

 この結果を以て、石破氏の「善戦」と報道するのは、国民を欺くものです。読売新聞は「安倍首相の圧勝で終わった」と記し、石破氏に関しては「健闘」と表現しました。せいぜいこの程度の表現が妥当でしょう。安倍氏が圧勝、石破氏は惨敗と言っても過言ではないほどです。
 22日の産経抄は、次のように書いています。「現職首相の強みはあるにしろ、党員票を大きく伸ばしたのは安倍首相であり、石破氏は獲得率を減らしたというのが客観的な数字である。永田町界隈の事前予想を上回ったら善戦だというのであれば、何とハードルが低い話か。21日付朝日新聞朝刊は1面で「『圧勝』できず政権運営に影」、2面で「首相 崩れた『圧勝』」と見出しを付けていた。だが、安倍首相は全体で7割弱の票を確保したのだから、読売のように圧勝だと認める方が素直な見方だろう」。
 また、評論家の八幡和郎氏は、FBポストに次のように書いています。「自民党総裁選挙で、石破氏が善戦したというのは、安倍首相を誹謗したい人たちのふざけた中傷である。善戦だったかどうかは、予想より差が小さかったかどうかなど関係ない。ダブルスコアを善戦という日本語はない。せいぜい、「石破氏、最悪の惨敗は免れ、政治生命の首の皮一枚残す」という程度だ」

 では、なぜマスメディアの多くは、石破氏の「善戦」という欺瞞的な報道をするのでしょうか。マスメディアの多くは、安倍政権に批判的であり、また自民党に対して批判的です。左派・左翼の野党に近い思想を持っています。彼らは、石破氏のイメージを上げることで、自民党内の反安倍勢力を応援し、安倍政権の早期退陣を図っているものと思います。また、自民党内の反安倍勢力と、左派・左翼の野党は、こうしたメディアと連携して、これから「安倍おろし」を盛んに行うだろうと思います。その背後には外国勢力、中国・韓国・北朝鮮がいることを、日本人はしっかり意識する必要があります。
 左派・左翼の野党の主だった政治家は、今回の自民党総裁選のおいて、他党の党首の選挙であるのに、石破氏への支持を表明しました。これは、石破氏の思想や政策への共感によるものではなく、反安倍という一点で連携するものでしょう。次回の総裁選はポスト安倍の座を巡る選挙となり、現状をみれば石破氏が勝つ可能性が高いです。では、仮に石破政権が実現した時、左派・左翼の野党が連立を組むとか、協力するということになるかというと、私はそうはならず、今度は反石破ののろしを上げ、自民党政権を打倒し、政権交代を目指すだろうと思います。
 石破氏は、今回の総裁選で、自民党内だけでなく野党側からの支持を得るための言動を繰り返しました。また朝日新聞のような左翼新聞の報道を自分の利益になるようにする姿勢も見せました。石破氏には、政治家として一本筋の通ったものがなく、私利のために反対勢力に媚を売る節操のないところが露呈しました。

 私は、このような石破氏を自民党の総裁、日本の総理大臣にしてはならないと思います。石破氏に対抗できる政治家の出現が望まれます。安倍政権が進めてきた日本再建政策を継承・発展できるような政治家の活躍に期待します。

キリスト教105~イギリスで産業革命が始まる

2018-09-22 08:49:34 | 心と宗教
●イギリスで産業革命が始まる

 次に、イギリスにおける産業革命について述べる。
 西欧で封建制から資本主義への移行が最も早く進んだのがイギリスである。16~17世紀の西欧で、最大の産業は毛織物業だった。西欧諸国で人々の購買力が増大したのみならず、多くのヨーロッパ人が移住したアメリカ大陸などにも市場が拡大したために、毛織物の生産規模が急激に拡大した。毛織物産業が急成長し、羊毛価格が高騰した。ヨーロッパを代表する羊毛の産地だったイギリスでは、地主たちが牧羊地を広げるエンクロージャー(囲い込み)を強行し、貧しい農民たちの手から土地が取り上げられた。富裕なキリスト教が貧困なキリスト教徒から収奪を行い、階級分化が進んだ。エンクロージャーで富を蓄えた地主層は、17世紀になると政治的な発言力を強めていった。
 イギリス農村部では、自前の羊毛で毛織物を生産するようになり、毛織物を大量に生産するマニュファクチュア(工場制手工業)が発達した。生産した毛織物をアメリカ大陸に輸出した。輸出された毛織物は、そこで新大陸の銀と交換された。これによってイギリス社会に貨幣が流通し、商品交換が一般的になった。
 この過程で、農村社会に大きな社会的変化が起こった。伝統的な共同体が解体され、中間生産者層が資本家と賃金労働者に両極分化していったのである。産業資本が発生し、資本主義的な生産関係が生まれた。そのため、イギリスでは資本の本源的蓄積が自生的かつ典型的に行われたといわれる。
 17世紀半ば、イギリスでは、薄地で軽やかな織物を着る流行が始まった。そこに1660年ごろからインド木綿が流れ込んできた。17世紀末までにインド木綿は、他の衣料と比べ物にならない人気を獲得した。着心地よく、美しく、しかも安かった。
 イギリスに大量に輸入されたインド産キャラコは、伝統産業、毛織物工業を脅かした。そのため、1700年に議会はイギリス国内でのキャラコ使用の禁止を決定した。 しかし、輸入を禁止したところで、人々は快適な衣料を欲する。外国製品に対抗するには、国内の製造業の発達を待つしかない。イギリス綿工業は、アジアからの外圧に対抗する輸入代替産業として勃興した。目標は、インド木綿に匹敵する良質・安価の木綿を自力で生産することだった。
 イギリス国内で生産されたキャラコが海外市場で販売されるようになると、急速に販路を拡大した。品質が優れていたからである。原料の確保のため、イギリス人は西インド諸島のプランテーションで大量に綿花を生産させた。さらにアメリカから綿花を輸入するようになった。これには、奴隷貿易が関わっていた。その点は次の項目で述べる。
 綿布需要は急速に伸び、1750年代以降になると生産が追いつかない状態になった。そこで行われたのが、機械化である。イギリスでは、毛織物工業でマニュファクチュアが発達し、技術的分業が進んでいた。分業化された生産は、工程の一部を機械に置き換えることができる。機械化は1760年代に、まず毛織物工業で始まった。機械化はまもなく、新興の綿工業で急速に進んだ。まさに革命的な変化だった。この機械化の過程が、イギリス産業革命にほかならない。
 毛織物工業では、ジョン・ケイが考案した飛び梭(ひ)が実用化されていた。飛び梭が綿工業で使用されるようになると、織布能率が倍加して、綿糸不足が深刻になった。この隘路を解決するために、新技術の開発が求められた。
 1769年にアークライトの水力紡績機が、1770年にハーグリーブスのジェニー紡績機が、特許を受けた。1779年には、クロンプトンのミュール紡績機が完成した。こうした紡績機の開発の結果、生産性が飛躍的に上昇した。製品価格が急速に下落し、良質な綿糸の紡績が可能になった。その結果、イギリス木綿は、1802年にはイギリスの輸出高において毛織物を抜き去った。
イギリス綿工業は、ほぼ1世紀の年月をかけてインド木綿の模倣に成功した。輸入代替化に成功したイギリスは、今度はもとの供給国インドに輸出し始めた。イギリス木綿は、1820年代前後から、怒涛のごとくインドに流入した。インドがイギリスに対してもっていた生産の比較優位がここに初めて逆転した。

 次回に続く。

生コン業界のドン・武健一が再逮捕

2018-09-21 12:22:36 | 時事
 生コン業界のドン・武健一が8月28日に恐喝未遂容疑で再逮捕されました。武に続いて、9月18日には、関西生コン支部幹部らが16人逮捕されました。運送業者のセメントの出荷業務を妨害した威力業務妨害、組合加入の強要の疑いによるものです。
 日本の背骨をむしばむガンーー北朝鮮利権団体・暴力団・右から左までの親北政治家の複合体ーーを消滅しなければ、日本の再建はできません。本件の詳細を書いている東アジア黙示録のサイトの記事を紹介します。
  「武健一に最も近い辻元清美は、完全にシラを切った。本来は緊急会見レベルの大スキャンダルだが、報道各社はノータッチで仕事を放棄。囲み取材すら行われた形跡がない」
 「かつて北産砂利の利権は親北政治家と在日2世が一手に握り、流通面まで支配していた。間違いなく、吉田猛が生コン業界に及ぼした影響力は絶大だった。そして業界の不透明度は当時と変わらない。武健一が魔王化した背景に北朝鮮が絡んでいることは確実だ。マル暴担当の警察官や地方検察官が取り扱える人物ではない。国税のトップエリートでも手に余る。捜査当局は前回の逮捕で、パンドラの箱に気付きながら固く封印したが、2度目は許されないだろう。組織を壊滅させなければ、頂上作戦の意味はない」
https://s.webry.info/sp/dogma.at.webry.info/201809/article_1.html