ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「2020年東京オリンピックに向けて、日本の心を取り戻そう」をアップ

2014-10-31 10:38:24 | 日本精神
 10月28~30日にブログとMIXIに連載した東京オリンピックに関する拙稿を編集し、マイサイトに掲載しました。通してお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■2020年東京オリンピックに向けて、日本の心を取り戻そう
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion04e.htm

2020年東京オリンピックに向けて、日本の心を取り戻そう3

2014-10-30 08:46:15 | 日本精神
●本題(続き)

 最近は日本の伝統・文化・国柄に触れ、これを高く評価する外国人が多数いる。日本人も気が付かないほど、ディープなところに目を向けて、日本の良さを感じ取っている外国人が増えている。
 早くから日本の伝統・文化・国柄を高く評価している外国人の一人が、アルバート・アインシュタイン。アインシュタインは、20世紀最高の天才科学者。第1次世界大戦後の1922年に来日し、伊勢神宮に参拝して、次のように語った。
  「近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界の一箇所くらいなくてはならないと考えていた。
 世界の未来は進むだけ進み、その間、いく度か争いは繰り返され、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類は真実の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならぬ。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた、最も古くまた尊い家系でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに還る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
 我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を造っておいてくれた事を」
 アインシュタインがこれほどまでに高く評価する日本の国に伝わるものが、日本精神である。

 日本精神を説く最も代表的なのは、聖徳太子が十七条憲法で説いた「和を以て尊しとなす」という和の精神。古代の日本はシナ文明の影響下にあったが、平安時代から、シナの漢文による教養を意味する漢才に対して、日本人の生活の中で発達した知恵を「大和魂」と呼び、日本人の独自の精神を発揮してきた。江戸時代には、徳川光圀の「大日本史」の編纂によって、日本の歴史の研究が進み、他国に比類ない国柄が自覚された。当時シナでは、漢民族が異民族に支配されていた。古代の王朝は、とうの昔に消え失せていた。だが、わが国には神話の時代から皇室が続いている。その事実の認識が、日本人の精神を高めた。幕末に黒船が来航すると、独自の国柄の自覚を以て、若者たちが立ち上がり、明治維新を成し遂げた。明治時代に日本は国際社会に広く参加し、欧米を含む各国の精神と比較して、日本精神の研究が深められた。学者や有識者の多くによるのは、古事記・日本書紀などの書物から、日本精神とはこういうものだろうと考察するもの。
 しかし、ここでご紹介する大塚寛一先生は、日本精神の捉え方の次元、深さが違う。大塚寛一先生は、日本精神復興の啓発活動を展開された。聖徳太子の「和」の精神は人の和を説くものだが、大塚先生は、宇宙万物を貫く法則、調和の理法に立って、日本の国に伝わる精神を見ておられる。そして、日本精神は、宇宙の根本理法が人間生活のうえに表われたもので、自然の法則にかなっていると言っておられる。そして、日本精神の神髄を初めて明らかにされた。真の日本精神とは、一言でいえば、宇宙の法則にのっとって、人と人、人と自然が調和して生きる生き方である。だから、世界中どこにもあてはまる精神である。
 私たちの先祖は、日本精神の神髄のところまでは、把握できていなかったものの、親から子、子から孫へと日本の心を伝えてきた。それによって、世界にも稀な立派な国柄を形成し、維持・発展してきた。その神髄を学ぶことによって、日本精神の真価を理解できるようになる。
 さて、大塚先生は、世界は大転換しつつあり、21世紀には、日本精神が世界で重要な役割を果たすようになると早くから説いておられる。まず、日本を再建し、そして世界にもっと貢献できるようにめざしたい。そのために、日本精神を取り戻し、さらに日本精神の神髄を学んでいただきたい。

 結びに、私の活動についてお話しする。私の<オピニオン・サイト>は、「日本の心」と「オピニオン」に分かれている。「日本の心」の部分は、日本の伝統・文化・国柄等について、「オピニオン」の部分は、政治・経済・国際関係・文明等について書いている。今後も、主にインターネットを使った活動を続ける。東京近郊であれば、講演や勉強会も可能である。

●質疑応答

 参加者から質問を受けた。大意次のような質疑応答をしたと記憶する。

Q 愛国精神と日本精神の違いは何か。
A 愛国精神は愛国心ともいう。愛国心はどこの国にもある。祖先が作ってくれた国、祖先が維持・発展に尽くしてきてくれた国を愛し、これを受け継ぎ、さらに発展させようという愛国心は、どこの国でも大切にされている。日本精神は、古来日本人に先祖代々に伝わる精神。その中には、国を愛する愛国心も含まれている。

Q 海外に行ったいとこが、自分の国について聞かれて答えられず、ますます日本を嫌いになってしまった。どうすればよいか。
A 海外留学をして、ますます日本から心が離れてしまう人と、それをきっかけに日本について学び、日本の良さに気付く人がいる。学校等で日本の特徴や素晴らしさが教えられていないため、外国人に自信を以て日本の良さを話せない人が多い。自分の国に無知であるために、自信が持てない。
 いとこさんには、例えば、日本の皇室は、古代から125代の天皇まで、ずっと今日まで続いている。そういう事実を何かのきっかけに知ってもらうようにするといいと思う。

Q 大塚先生は、夜の時代と昼の時代と言っているが、2014年の現在、どちらになるか。
A 大塚先生は、これまでの人類の歴史は、対立・抗争の夜の時代だったが、21世紀には、光明・平和の昼の時代に替わると説いている。2014年の現在は、夜から昼に移り変わる夜明けの時代に当たる。これから、21世紀が進むにしたがって、昼の時代に入っていくと予言している。

Q 「イスラム国」のような、国家ではない組織が活動し、テロを行うなどしているが、どのように対処するとよいか。また日本にはどういう役割があるか。
A 「イスラム国」はイスラム過激派組織が、「イスラム国」を自称しているもの。こうした国家外の組織の活動が各地で目立っている。そのため、世界が混沌としているという感じを受けるだろうが、歴史的に大きく見ると、20世紀半ばまでは、国家間の利害対立は、すぐ戦争になった。だが、今日では国家間での戦争を避け、対話や協調によって解決しようという方向に大きく変わってきている。国家以外の組織に対しても、国家間の国際的な協力で対処することが必要である。日本には和の精神を発揮し、対立・抗争する双方に対話の場を作り、協調を促していく役割がある。

Q オリンピックに向けて日本の心を取り戻すために、明日からでも実行できることは何か。
A 相手の身になって考えることを実行することをお勧めしたい。家庭でも職場でもビジネスでも、自分の気持ちや感情や利害を一方的に押し出すと、ぶつかり合いになる。相手の立場、相手の気持ちを考えることで、気持ちのずれや感情のもつれ、利害の対立に解決の道が浮かび上がってくる。
 世界から評価されているおもてなしは、相手の身になって考える日本人の細やかな心配りの現れ。客にくつろいでいただこう、喜んでいただこう、楽しんでいただこうと相手の立場、相手の気持ちを考える気遣いが高く評価されている。
 普段の生活でも相手の身になって考えることを心掛けたい。それなら、だれでも今日からでもできる。(了)

2020年東京オリンピックに向けて、日本の心を取り戻そう2

2014-10-29 08:46:22 | 日本精神
●本題(続き)

 これからスポーツの振興、施設の整備等が進められていく。多くのビジネス・チャンスもある。だが、6年後に東京オリンピックを行うに当たり、わが国には様々な危機もある。そのことを、私はお話ししたい。
 一つは、国内的な危機。日本人の中で、日本精神を失っている人が多くなっており、社会が混迷していること。もう一つは、国際的な危機。国際環境が厳しさを増している。とりわけ中国・韓国との関係が悪化している。

 国内的危機としては、1964年東京オリンピックの時より、日本人が日本精神を失ってきていることがある。原因の一つは、日本人は敗戦で自信を喪失したこと。二つ目は、そのうえ占領軍による日本弱体化政策で精神的に骨抜きにされたこと。三つ目は、東京オリンピック後の経済成長で経済中心・もの中心の考え方に陥り、個人中心・自己中心の考え方が蔓延していること。そのため、日本人は世代を追うごとに日本精神を失ってきた。それが、日本の社会に混迷をもたらしている。
 この根本的な問題に取り組むことなく、ただスポーツの振興、施設の建設等だけでは必ずしもオリンピック、パラリンピックを成功できるとは限らない。日本人は、50円前の東京オリンピックの時の団結心を失ってきているからである。そこで、2020年東京オリンピックに向けて、日本精神を取り戻す運動を盛り上げていく必要がある。
 10月12日に渋谷で「日の丸大行進」が行われたが、これは日本精神を取り戻そうと訴える活動の一つ。昭和43(1968)年から行われている。その行進でも訴えがされた「日本再生のための三つの提言」は、日本精神を取り戻し、日本を再建するために有効なもの。
 第一は、国に対する誇りを持つこと。戦後の自虐的な歴史教育を改め、日本の素晴らしい伝統や文化を、青少年に伝えよう。第二は、日の丸の国旗を立てること。どこの国でも国旗を大切にする。祝日には家庭で国旗「日の丸」を掲げよう。第三は、家庭に日本の心を取り戻すこと。明るい家庭は世界平和の礎。親子一体・夫婦一体・敬神崇祖を心掛けよう。
 こうした提言をもとに、日本精神を取り戻す運動を盛り上げたい。

 次に国際的な危機は、国際環境が厳しさを増していること。とりわけ中韓との関係が悪化している。来年は第2次大戦終結から70年。それに向けて、中韓は従来の反日的な行動を一層強めてきている。歴史認識に関し、慰安婦、南京事件、首相の靖国参拝等を問題化し、誇張・捏造の限りを尽くして、日本を貶めようとしている。日本人の自信を打ち砕き、誇りを持てないようにし、団結させないようにしている。朝日新聞が吉田清治証言に関する記事の取り消しを発表したが、慰安婦も南京事件も靖国参拝もすべて朝日が捏造・虚報を世界にまき散らした。
 中国は、単に思想や情報に関する戦いを仕掛けているのではなく、尖閣諸島・沖縄の武力による奪取をもくろんでいる。これに対し、わが国は集団的自衛権の限定的行使を容認する閣議決定をし、関連法の整備を進めつつある。また米国との同盟を軸に、東南アジア諸国、オーストラリア、インド等との連携を強め、対中国の国際的な安全保障を強化しつつある。だが、中国は、石油資源が不足、バブル経済が悪化、社会不安が増大するなかで、覇権主義的な行動を取ろうとしている。
 仮に2020年までに、尖閣諸島への侵攻を受け、沖縄までも中国の支配下に陥れば、日本は中国の属国と化す。当然、東京オリンピックの成功も難しくなる。中国はバブルが破裂しつつあり、その影響で、リーマンショックの比ではない規模で世界経済に激動が起こる可能性もある。金正恩の健康動静が注目されているが、朝鮮半島は今後北朝鮮の体制崩壊や南北激突の可能性を孕んでいる。東アジアから目を世界に広げると、本年2月のロシアのクリミア併合により、欧米日等とロシアに冷戦終結後最大の緊張関係が生じている。今後さらに国際的なバランスが大きく崩れる可能性がある。イラク・シリアで「イスラム国」を称する過激組織が領域を広げ、アメリカが中心となって空爆を行っているが、これへの報復としてテロリストが国際的に活動する恐れもある。
 これらの事柄が今後、6年後の東京オリンピックまでにいつくか現実になる恐れがある。そのことも心にとめて、2020年東京オリンピックの準備を進める必要がある。

 こうした内外の危機を乗り越えるには、日本を根本から再建しなければならない。それには、憲法の改正が不可欠である。憲法は国の基本法であり、それをもとに政治・社会等の仕組みが作られている。憲法に欠陥があれば、国のあり方にも欠陥が生じる。戦後日本の憲法は、戦勝国によって押し付けられたもので、日本の伝統・歴史・国柄が書いておらず、家族が解体、社会が分裂するような内容になっている。特に国防を規制し、他国に依存せしめる規定となっている。災害の対処にも必要な非常事態条項もなく、日本は極めて脆弱である。私は、数年前から憲法改正私案をネットに公開している。当時から非常事態条項の必要性を述べてきたが、東日本大震災後、ようやく本格的に検討されるようになった。
 2016年(平成28年)7月に参議院選挙があるが、その時に同時に憲法改正の国民投票を行うことを目標にした運動が広がりつつある。10月1日に設立総会が行われた「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、ジャーナリストの櫻井よしこさんが共同代表を務める。できれば、約1年9か月後に憲法を改正し、国家を再建し、不測の事態に備えたい。仮に、2020年東京オリンピックの時にも憲法の改正ができていなければ、日本が深い混迷に陥っていく恐れもある。
 日本の伝統・文化・国柄を盛り込んだ憲法を、日本人自身の手で作り上げよう。それには、日本人は戦後失ってきた日本精神を取り戻す必要がある。そのためにも、日本の伝統・文化・国柄について深く学ぼう。自分の趣味や好きなこと、得意なことを通じてで、よいと思う。伝統・文化・国柄について深く学び、6年後のオリンピックの時には外国人に自信を以て、伝えられるようになろう。

 次回に続く。


関連掲示
・拙稿「『美しい日本の憲法をつくる国民の会』が設立!」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/aa43be4efc1fd770646d4f65e54a6a09

2020年東京オリンピックに向けて、日本の心を取り戻そう1

2014-10-28 09:57:29 | 日本精神
 10月25日東京・渋谷で「日本のココロを学ぼうセミナー」が行われた。主催は「Nipponのココロ」という大学生を中心とした団体。東京オリンピック2020を成功させるには、どうしたらよいかというテーマで、講演を依頼された。演題は「2020年東京オリンピックに向けて、日本の心を取り戻そう」。当日はプレゼンを使ったが、話の大要をここに掲載する。

●自己紹介

 私は、昭和29年(1954)生まれ、60歳。高校の時が70年安保の前後。大学紛争・高校紛争の世代で、共産主義の影響受けた。その克服に苦労した。
 学生時代に縁あって大塚寛一先生を知った。大塚先生は、戦前昭和10年代、三国同盟に反対、米英と開戦すれば大敗を喫する、新型爆弾を投下され、大都市は焦土と化すと予言。時の指導層に建白書を送付。指導層はこれを入れずに開戦し、大敗。大塚先生は当時から真の日本精神を説き、戦後も一貫して啓発活動をされた。私はそのことに感銘を受け、今日まで活動してきた。
 個人としても、日本の復興のため、日本精神の復興を呼びかける言論活動を行っている。私は、学者や専門の研究者ではない。一人の日本人、一国民として思うところを書いている。ブログを書く人はブロガーというが、私はウェブ・ライターを自称している。ブログが世に現れる前からネットに書いており、サイトは今年で開設15年となった。個人として書くものは、ネット上に無料で公開し、自由に読み、活用してもらうことをポリシーとしている。
 最近は、第2次世界大戦後の世界の歴史と現在の国際関係、及び21世紀に実行すべき人類の課題を書いた。また人権に関する考察をブログに連載中。人権というと個人を中心に考える傾向があるが、人権の歴史を振り返ると、集団の権利あっての個人の権利であることがわかる。私は家族・民族・国家を大切に考える立場から、人権を考察している。今日掲げたのが、119回目。全体の3分の1ほど掲載したところ。あと3~4年で完成する予定。

●本題

 2020年、平成32年、2度目の東京オリンピックの開催が決定された。56年ぶりとなる。
 25年9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会で開催地の最終選考がされた際、わが国は総力を挙げて働きかけをした。高円宮久子様、安倍首相、猪瀬都知事、スポーツ関係者等のチームワークで、日本の良さを訴えた。東京決定は国を挙げての熱意、治安の良さ、おもてなしの心等が世界から評価されたものと思う。
 現在わが国は東日本大震災からの復興、デフレからの脱却を課題とする。そうした日本にとって、大きな目標ができた。日本でのオリンピックは、特に若い世代、子供たちに大きな夢と希望を与えるものとなっている。またオリンピック開催は、経済効果が3兆円とも4兆円以上とも試算される。デフレを脱却し、力強く経済成長をする絶好の機会である。
 ここで、日本人の団結で、6年後のオリンピック、パラリンピックを成功させよう。これを節目に、日本が大きく発展していけるように頑張ろう。

 さて、1964年(昭和39年)東京オリンピックを振り返ってみよう。当時の日本は敗戦からわずか19年。焼け野原から立ち上がって、奇跡の復興を成し遂げた日本にとって、オリンピックは、世界のひのき舞台へ復帰する一大行事になった。
 当時細川は10歳。小学4年生。北海道の田舎の小学校に通っていた。学校の授業で、テレビ放送を見た。日本人の活躍に、感動した。男子重量挙げの三宅義信選手が金メダルを取り、男子体操、柔道、女子バレーボール(東洋の魔女)等が続いた。日本はいい国、素晴らしい国と思うようになったはじめだったと記憶する。
 当時日本人はオリンピックを成功させようと懸命に努力した。そうしたエピソードを二つお話しする。
 国立競技場のバックスタンド最上段に、聖火台がある。最近東日本大震災の被災地・石巻に貸し出された。この聖火台は川口市の鋳物師・鈴木萬之助さんと文吾さん親子による作品。納期3カ月という非常に厳しい条件の下だったが、「鋳物の街、川口に恥じない物を作る」という意気込みで取り組んだ萬之助さんを悲劇が襲う。製作工程2ヶ月にはいったところで鋳型の爆発があり振り出しに戻ったのだ。そのショックにより萬之助さんは帰らぬ人になった。納期まで残り1ヶ月というわずかな期間にもかかわらず、息子の文吾さんは「作らなければ川口の恥、日本の恥」という思いで連日徹夜の作業の末、納期直前に聖火台を完成させた。
 開会式では航空自衛隊のアクロバット飛行チーム、ブルーインパルスが妙技を見せた。計画では、聖火台に聖火が点火され、選手宣誓の後、約1万羽の鳩が大空に放たれ、鳩がぐるっと回って上に向かい、観客が上空に目を向けた時に、五輪の輪が描かれるようにする計画。ところが、練習では一度もうまくいかなかった。失敗したら、日本の権威は地に落ちる。そうした中で、10月10日国立競技場で開会式が行われた。意を決して、ブルーインパルスの飛行チームは埼玉県の入間基地を出発。江の島方向から東京へ向かった。当日は予定より、式典が遅れた。昭和天皇の御臨席のもと、各国代表が列席した。聖火の点火、選手宣誓、鳩が放たれ、観客が空に目を向けた時、見事に快晴の空に、五色の輪が描かれた。奇跡的な成功だった。
 この時、当時世界最速の東海道新幹線が建設され、東京を近代都市にする首都高速道路が開通された。何としても成し遂げようとする日本人の精神が、オリンピックを成功させた。ちょうど50年前の10月のことである。

 日本はその後の半世紀で大きく変わった。オリンピックをきっかけに1960年代に高度経済成長を成し遂げ、世界有数の経済大国となった。だが、1990年前後にバブルの崩壊起こり、長い経済不況に陥った。その上、1998年に戦後先進国で唯一デフレに陥り、今もなお脱却できていない。そこに3年前の2011年、東日本大震災が起こった。震災からの復興に懸命に努力しているところで、東京での二度目のオリンピックが決まった。
 今度のオリンピックも、先人、先輩の努力を振り返り、立派にオリンピックを成功させよう。それを跳躍台として、日本の再建・躍進を進める好機である。またオリンピック、パラリンピックの時は、世界中からアスリート、観戦客が東京に来る。おもてなしの心を発揮して外国人をもてなし、日本の良さ、素晴らしさを世界に広めるチャンスでもある。

 次回に続く。

関連掲示
・より詳しい自己紹介
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/profile.htm
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/profile-s.htm
・拙稿「現代の眺望と人類の課題」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09f.htm
・拙稿「人権――その起源と目標」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i.htm

中国で軍部が政治・外交に介入~石平氏

2014-10-26 09:34:07 | 国際関係
 シナ系評論家の石平氏は、最近、中国で軍部が台頭し、政治や外交の介入が本格化している、と日本人に強く警戒を促している。
 まず本年6月26日の産経新聞の記事に、石氏は大意次のように書いた。
 6月13日、中国中央テレビは習近平国家主席が「中央財経指導小組(指導グループ)」の会議を主宰したことを報じたが、列席者の中に人民解放軍の房峰輝総参謀長の姿があった。軍の幹部が本来、「財経会議」に顔を出すようなことはないのにである。この会議の前、房氏は5月15日米軍関係者との共同記者会見でベトナムとの紛争に言及し、「中国の管轄海域での掘削探査は完全に正当な行為だ」とした上で、「外からどんな妨害があっても、われわれは必ずや掘削作業を完成させる」と宣した。
 石氏は、次のように述べている。「一軍関係者の彼が、政府そのものとなったかのように『掘削の継続』を堂々と宣言するのは、どう考えても越権行為以外の何ものでもない」「習政権の政治と外交の一部が既にこの強硬派軍人によって乗っ取られた、と言っても過言ではない。そして今月、房氏は、本来なら軍とは関係のない『中央財経会議』にも出席している。軍人の彼による政治への介入が本格的なものとなっていることが分かるであろう。もちろん房氏の背後にあるのは軍そのものである。軍がこの国の政治を牛耳るという最悪の事態がいよいよ、目の前の現実となりつつあるのである」と。
 南シナ海での掘削作業はその後、中止された。国際社会の非難が高まったためである。この作業中止によって、石氏の懸念は行き過ぎたものだったと感じた人もいたかもしれない。
 だが、中国で軍の幹部が政治や外交に介入するという大きな傾向が収まったのではない。石氏は10月2日の記事で、新たな動きを伝えた。9月17日から19日、習主席がインドを訪問した。インド入りした当日、中国との国境に接するインド北西部ラダック地方で、約1千人の中国軍部隊が突如インド側に越境し、数日間、中国軍とインド軍とのにらみ合いが続いた。習主席のインド訪問が危うく壊される寸前の際どい場面であった。中国軍がこの「重要訪問」をぶち壊そうとするような行動に出たののである。
 そのうえ、9月19日には、中国海軍の呉勝利司令官が、習主席と中央指導部の権威をないがしろにするような発言をした。アメリカ海軍大学校で開催中の国際シンポジウムに参加した呉氏が、香港フェニックステレビのインタビューに応じ、米中関係のあり方について「米中間では原則面での意見の相違があり、その解消はまず不可能だ」と語った。石氏は言う。「それは明らかに、習主席や中央指導部の示す対米関係の認識とは大きく異なっている」「外交方針を定める中央指導部の権限に対する軍人の『干犯』以外の何ものでもない」と。
 石氏は、日本人に強く警戒を呼び掛けている。「今の中国では、中央指導部の外交権や政策の遂行に対する軍人たちの干犯や妨害がますます増幅しているように見えるし、名目上の最高指導者である習主席の『権威』は彼らの眼目にはなきもの同然のようだ。あるいは、習主席という『みこし』を担いで軍人が専権するような時代が知らずしらずのうちに始まっているのではないか、という可能性も考えられるのである」と。
 私は、こうした石氏の分析を読んで、昭和10年代のわが国で軍部が台頭した経緯に似た点があるのを感じている。当時日本の軍人の一部は、明治天皇の軍人勅諭に反して政治に口出しをした。政治家へのテロを行ったり、勝手に軍を動かしたりして、政府が軍を統制できなくなり、日本は泥沼の戦争に引き込まれていった。
 軍人は軍事の専門家であって、政治・経済・外交等に関しては、幅広い経験や見識を欠く傾向がある。個人としては資質を持つ者もいるが、組織を背景にすると組織の論理に拘束されやすい。そのため、多くの軍部指導者は、国家が窮地に陥った時、武力を頼んで危機を打開し、強権的な治安の強化を行い、しばしば硬直した組織の論理によって対外的な軍事行動を進める。
 戦前のわが国は、立憲議会政治、男子普通選挙が行われる民主主義国家だった。我が生涯の師にして神とも仰ぐ大塚寛一先生は、日独伊三国同盟の締結、英米との戦争に反対し、開戦すれば大敗を喫すると警告する建白書を、時の指導層に送付し、逮捕も投獄もされなかった。その警告に耳を傾ける政治家・軍人もいた。
 これに比し、今の中国は、事実上共産党の独裁国家であり、建国以来一度も選挙が行われていない。ITによる高度な情報管理体制が敷かれ、政府を批判する者は厳しい弾圧を受ける。軍部の動きをけん制、是正することは、戦前の日本より、はるかに難しい。中国における軍部の台頭には、大いなる警戒が必要だと思う。 
 以下は、石氏の記事。

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●産経新聞 平成26年10月2日

http://www.sankei.com/premium/news/141002/prm1410020010-n1.html
2014.10.2 11:30更新

【石平のChina Watch】
習近平氏もヒヤリ…目に余る中国軍の「外交権干犯」

 先月17日から19日、中国の習近平国家主席はインドを訪問した。国際社会でも注目される訪問だったが、中国国内ではなおさら、異様な興奮ぶりで盛り上がっていた。訪問開始の翌日に人民日報は1面から3面までを関連記事で埋め尽くし、訪問後、政府は国内の専門家やマスコミを総動員して「偉大なる外交的成功」を絶賛するキャンペーンを展開した。中国政府と習主席自身にとって、それが大変重要な外交イベントであったことがよく分かる。
 しかし、この内外注目の外交舞台に立った習主席に冷や水を浴びせたような不穏な動きが中国国内で起きた。フランスのAFP通信が9月18日に配信した記事によると、習主席がインド入りした当日の17日、中国との国境に接するインド北西部ラダック地方で、約1千人の中国軍部隊が突如インド側に越境してきて、それから数日間、中国軍とインド軍とのにらみ合いが続いたという。
 中国軍の行動は当然、インド側の怒りと強い不信感を買った。18日に行われた習主席との共同記者会見で、インドのモディ首相が厳しい表情で「国境地域で起きていることに懸念を表明する」とメモを読み上げたとき、習氏の表情はいきなり硬くなった。
それは、習主席のインド訪問が危うく壊される寸前の際どい場面であったが、中国軍がこの「重要訪問」をぶち壊そうとするような行動に出たのは一体なぜなのか。
 実は同じ9月の19日、中国軍高官の口から、習主席と中央指導部の権威をないがしろにするような発言が別の場所でなされた。
 アメリカ海軍大学校で開催中の国際シンポジウムに参加した中国海軍司令官の呉勝利司令官が香港フェニックステレビのインタビューに応じ、米中関係のあり方について「米中間では原則面での意見の相違があり、その解消はまず不可能だ」と語った。それは明らかに、習主席や中央指導部の示す対米関係の認識とは大きく異なっている。
 習主席や中国政府も米中間の「意見の相違」を認めてはいるが、これに関する指導部の発言はむしろ「努力して相違の解消に努めよう」とのニュアンスに重点を置くものだ。「相違の解消は不可能だ」という突き放したような断言が中国側高官の口から出たのは呉氏が初めてである。
 しかしそれはどう考えても、外交方針を定める中央指導部の権限に対する軍人の「干犯」以外の何ものでもない。米中関係がどういう性格のものか、中国がアメリカとどう付き合うべきか、中央指導部によってではなく、呉氏という一軍人が勝手に決めようとしたのである。
呉氏はインタビューの中でさらに「一部の人々は(米中間の)意見の相違は双方の努力によって縮小することができる、あるいは解消することができると考えているようだが、それは甘すぎる」と発言した。それは読みようによっては、習主席自身に対するあからさまな批判ともなるのである。
 たとえば9月9日、習主席は北京で米国のライス大統領補佐官と会見した中で、「中米は対話を強化し、理解を増進し、意見の相違を適切に処理して摩擦を減らさなければならない」と語ったが、前述の呉氏発言からすれば、「甘すぎる」のはまさに習主席その人ではなかろうか。
 このようにして、今の中国では、中央指導部の外交権や政策の遂行に対する軍人たちの干犯や妨害がますます増幅しているように見えるし、名目上の最高指導者である習主席の「権威」は彼らの眼目にはなきもの同然のようだ。
 あるいは、習主席という「みこし」を担いで軍人が専権するような時代が知らずしらずのうちに始まっているのではないか、という可能性も考えられるのである。

●産経新聞 平成26年6月26日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140626/chn14062615000005-n1.htm
【石平のChina Watch】
「掘削は続ける」政府方針まで宣言、習政権乗っ取る強硬派軍人
2014.6.26 15:00

 今月13日、中国中央テレビは習近平国家主席が「中央財経指導小組(指導グループ)」の会議を主宰したことを報じた。国民はこれで初めてこの「小組」の存在を知るようになったが、大変奇妙なことに、関連ニュースは一切なく、その構成メンバーの名簿も公表しなかった。
 そこで同14日、一部国内紙は、中央テレビが流した「小組」の映像で参加者の顔ぶれを確認し、リストを作って掲載した。確認された列席者の中には、中国人民解放軍の房峰輝総参謀長の姿もあった。
 しかし解放軍は普段、国の経済運営には関与していない。軍の幹部が本来、中央の「財経会議」に顔を出すようなことはない。特に解放軍総参謀長という職務は軍の作戦計画や遂行をつかさどるものであって、国の経済運営とはまったく関係がないはずだ。
 ならばなぜ、房峰輝氏は堂々と習主席主宰の「財経会議」に出席しているのか。これに対する一つの答えは、房氏自身が先月、中国とベトナムとの紛争についておこなった際どい発言にあった。
 5月初旬、中国がベトナムとの係争海域で石油の掘削を断行したことが原因で、中国海警の船舶とベトナム海上警察の船舶が南シナ海のパラセル(西沙)諸島周辺海域で衝突し、中越間の緊張が一気に高まり、現在までに至っている。
 同月15日、訪米中の房峰輝氏は、米軍関係者との共同記者会見でベトナムとの紛争に言及した。彼は「中国の管轄海域での掘削探査は完全に正当な行為だ」とした上で、「外からどんな妨害があっても、われわれは必ずや掘削作業を完成させる」と宣した。
 ベトナムとの争いが始まって以来、中国側高官が内外に「掘削の継続」を宣言したのは初めてのことだが、宣言が中国外務省でもなければ掘削を実行している中国海洋石油総公司の管轄部門でもなく、解放軍の総参謀長から発せられたことは実に意外である。
 中国の場合、軍の代表者は外国との外交紛争に関して「中国軍として国の主権と権益を断固として守る」とコメントするのが普通だ。あるいは掘削の件に関して、もし房氏が「中国軍として掘削作業の安全を守る決意がある」と語るならば、それはまた理解できる。
しかし、一軍関係者の彼が、政府そのものとなったかのように「掘削の継続」を堂々と宣言するのは、どう考えても越権行為以外の何ものでもない。本来ならば政府の掘削行為を側面から支援する立場の軍幹部が、政府に取って代わって「掘削継続」の方針を表明したことに大いに問題があるのである。
 軍総参謀長の彼が「掘削継続」と宣言すれば、その瞬間から、中国政府は「やめる」とはもはや言えなくなっている。つまり、房氏の「掘削継続発言」は実質上、政府のいかなる妥協の道をも封じ込めてしまった。
 実際、今月18日に中国の外交担当国務委員、楊潔●(チ=簾の广を厂に、兼を虎に)氏が「問題解決」と称してベトナムを訪問した際、中国側が「掘削継続」の強硬姿勢から一歩たりとも譲歩せず、双方の話し合いが物別れとなった。つまり楊氏のベトナム訪問以前から、前述の房氏の「掘削継続発言」によって、中国政府の基本方針はとっくに決められた、ということである。
だとすれば、習政権の政治と外交の一部が既にこの強硬派軍人によって乗っ取られた、と言っても過言ではない。そして今月、房氏は、本来なら軍とは関係のない「中央財経会議」にも出席している。軍人の彼による政治への介入が本格的なものとなっていることが分かるであろう。
 もちろん房氏の背後にあるのは軍そのものである。軍がこの国の政治を牛耳るという最悪の事態がいよいよ、目の前の現実となりつつあるのである。
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人権119~国民国家とそれに関連する概念

2014-10-25 10:30:05 | 人権
●国民国家とそれに関連する概念

 第8章となる本章では、これまで書いた市民革命までの主権・民権・人権の展開を踏まえ、国民国家の形成・発展の時代から帝国主義の時代への展開における人権思想の発達について述べたい。
 人権思想の発達は、リベラリズム、デモクラシーだけでなく、国民国家の形成・発展やナショナリズムの発生・発達とも深い関係がある。人権は主に「国民の権利」として発達したからである。
 西欧では、絶対王政の下で中央集権化が進み、1648年のウェストファリア条約をきっかけに、主権国家体制が生まれた。絶対王政における国王の主権は、17世紀半ば以降、市民革命によって、貴族・新興階級と共有するものとなったり、新興階級に簒奪されたり、または国民全体が所有するものへと変化したりした。この過程で、17世紀末から19世紀にかけて、絶対王政国家に代わって登場したのが、国民国家である。
 最初に国民国家とそれに関連する概念について概術しておきたい。
 国民国家とは、他国と領域を区別する国境を持ち、領域内の全住民を国民という単位にまとめ上げて成立した国家をいう。領域内の住民は、政治的・文化的に共通の意識を持つ集団へと形成され、国民としての自己意識を持つにいたった。
 国民国家の原語nation-state は、nationとstateが複合した言葉である。ネイションは、「国家」「国民」「民族」「共同体」等と訳される。一方、ステイトは、「政府」や統治機構、または政府や統治機構を持つ政治的共同体としての「国家」を意味する。これらのnationとstateという二つの語を組み合わせたnation-stateを、nation(国民)によるstate(国家)として、国民国家と訳している。日本語の「国家」は家族的共同体を連想させるが、国民国家は「国民(nation)の政府(state)」とも訳しうることに留意したい。
 後に詳しく述べるように、私は、最初の国民国家は17世紀末にイギリスで誕生したと考える。だが、多数説では18世紀末にフランスで誕生したとされる。また、政治学者ベネディクト・アンダーソンは、ヨーロッパではなく新大陸で18世紀末から19世紀初めに誕生したという。何に重点を置くかによって説が異なる。
 絶対王政国家から国民国家への変化の過程で、君主政治は君民共治政治または民主政治へ移行した。国民国家の政治形態は、共和制とは限らない。国民国家には、君主制の国民国家と共和制の国民国家がある。国民のうち、君主制の国家の国民を臣民(subject)という。君主制の国家においては、臣民は同時に国民である。共和制の国家の国民は、「公民(英語citizen、仏語citoyen)」という。citizen、citoyenは、「市民」とも訳す。市民は、一般的には都市民のことだが、歴史的には市民革命や市民社会の担い手となったブルジョワジーや商工業者を指す。市民革命はbourgeois revolutionの訳語である。西洋語では、citizen revolutionとは言わない。
 絶対王政で確立した主権は、国王一人の権利から、国王と国民が共有する権利または国民が所有する権利へと変化した。統治権者の数は、中世の封建制国家では少数、近代初期の絶対王政では単数、それ以降の国民国家では多数と変化した。
 国民国家における「国民」としてのネイションは、古代ローマ帝国において用いられた「生まれ」「同郷の集団」を意味するラテン語ナチオ(natio)を語源とする。ナチオは本来、郷土を同じくする集団だった。そのナチオが、17世紀の西欧において、近代的な国家・国民(nation)の観念と結びつけられた。共通の対象が、郷土から国家・国民へと拡大された。
 西欧の封建国家は、国境が明確でなく、住民の多くには帰属意識がなく、一定の統治権を持つ集団だった。これに対し、近代主権国家は、他国との明確な国境、国家に所属する国民、領域における主権を持つ集団である。ウェストファリア条約の成立時点で、それぞれの主権国家は、国境で区切られた領土を持ち、その区域内の住民は、法理論的にはその国家の国民となったと考えられる。だが、まだ国民としての意識は発達しておらず、国民は形式的な存在だった。そうした形式的な国民が、国民としての集団的な自己意識を持ち、一体性が生まれていったことを、私は、国民の実質化と呼ぶ。絶対王政の主権国家が国民国家となると、政府が国民の意識の統合と文化的な均一化を進め、国民の実質化が一層進んだ。
 政治学者アンソニー・スミスは、ネイションとは「歴史上の領域、共通の神話と歴史的記憶、大衆的・公的な文化、全構成員に共通の経済、共通の法的権利・義務を共有する、特定の名前のある人間集団」と定義している。この定義におけるネイションは、国家形成過程の集団をいう場合は民族を意味するが、国家形成後の集団をいう場合は国民を意味する時と民族を意味する時がある。前者の国民としてのネイションは、国家の総構成員または国籍の所有者の総体をいう。後者の民族としてのネイションは、次に述べるエスニック・グループと重なり合う。
 近代的なネイションが形成される過程では、しばしばそのネイションのもとになった集団が存在した。それが、エスニック・グループ(ethnic group)である。エスニック・グループは、しばしば「民族」と訳される。血統・出自・言語・文化・宗教・生活習慣等によって、「われわれ」意識を持ち、自己の集団と他の集団を分ける集団である。そうしたエスニック・グループが核になって、ネイションが形成され、政府を樹立し、独自の国家を持つようになった場合が多い。
 ネイションは、必ずしも一つのエスニック・グループが発達したものとは限らない。複数のエスニック・グループが併存し、複数の言語・文化・宗教等が存在している場合がある。それゆえ、ネイションの形成において重要なのは、言語・文化・宗教等が統一されることより、自分たちは一個の集団であるという集団的な自己意識の確立である。この集団的自己意識は、個人におけるアイデンティティの一部ともなる。
 国民国家の統治機構は、国によって異なる。国民国家には、単一国家と連邦国家がある。単一国家は、一つまたは複数のエスニック・グループが中央集権的な政府によって統治されている国家である。これに対し、連邦国家は、複数の州または国家等と呼ばれる政治組織が、連邦政府によって統治されている国家である。連邦を構成する国家は、独立主権国家ではないが、一定の自治権をもつ。連邦国家の国民をネイションと捉える時は、その下位の政治的な集団をサブ・ネイションと呼ぶことにする。
 エスニック・グループ、ネイション、国民国家に関係する概念に、ナショナリズムがある。社会人類学者アーネスト・ゲルナーは、ナショナリズムを「政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければいけないと主張する一つの政治的原理」と定義している。ゲルナーのこの定義における「民族的」はナショナルの訳である。だが、私は、これはナショナルではなくエスニックとすべきと考える。このことは、エスニック・グループとネイションをどのようにとらえるかに関わる事柄である。ナショナリズムに対し、エスニック・グループが独自に示す現象をエスニシズム(ethnicism)という。エスニシズムは、ある集団がエスニック(民族的)な特徴を積極的に維持・発揚しようとする思想・運動である。
 ナショナリズムには、国家形成段階のものと国家発展段階のものがある。国家形成段階のナショナリズムには、国内において市民革命によって権力を奪取または権力に参加しようとする市民革命型、一つのネイションにおいて植民地人民が本国政府から独立しようとする独立建国型、自民族の統一を目指し、民族統一的な国家を作ろうとする民族統一型、国内において自治権を獲得・拡大しようとする自治拡大型がある。国家発展段階のナショナリズムには、自国・自国民の国内的発展を目指したり、文化的同化や思想の共有による国民の実質化を図ったりする内部充実型、他国・多民族を支配またはそれらを併合して発展しようとする対外拡張型がある。こうした理論的な検討を通じて、ナショナリズムとは何かを明らかにしなければ、人権について深く論じることはできないと私は考える。
 以上、簡単に国民国家とそれに関連する概念について書いた。国民国家、ネイション、エスニック・グループ、エスニシズム、ナショナリズムは互いに関係し合っている。これらについて論じるに当たり、まずエスニック・グループとネイションの関係について考察し、次に国民国家の形成・発展の過程について書く。そこでは、国民国家の各国における展開を述べる。その後に、ナショナリズムについての理論的な検討を行う。こうした記述を通じて、国民国家の形成・発展の時代における人権思想の発達を明らかにしたい。

 次回に続く。

うちわ配布は、辞任した松島前法務相だけではない

2014-10-23 08:48:05 | 時事
 松島みどり法務大臣が、10月20日うちわ配布問題で辞任した。自身の選挙区内でうちわを配ったことについて、民主党の蓮舫議員から公職選挙法違反の疑いが指摘されたためである。20日別の民主党議員が公選法違反の疑いで提出した告発状を、東京地検特捜部が受理した。
 公職選挙法は、寄附について、第179条2項及び199条の2の1項で、次のように定めている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第百七十九条  (略)
2  この法律において「寄附」とは、金銭、物品その他の財産上の利益の供与又は交付、その供与又は交付の約束で党費、会費その他債務の履行としてなされるもの以外のものをいう。

第百九十九条の二  公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。以下この条において「公職の候補者等」という。)は、当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域。以下この条において同じ。)内にある者に対し、いかなる名義をもつてするを問わず、寄附をしてはならない。ただし、政党その他の政治団体若しくはその支部又は当該公職の候補者等の親族に対してする場合及び当該公職の候補者等が専ら政治上の主義又は施策を普及するために行う講習会その他の政治教育のための集会(参加者に対して饗応接待(通常用いられる程度の食事の提供を除く。)が行われるようなもの、当該選挙区外において行われるもの及び第百九十九条の五第四項各号の区分による当該選挙ごとに当該各号に定める期間内に行われるものを除く。以下この条において同じ。)に関し必要やむを得ない実費の補償(食事についての実費の補償を除く。以下この条において同じ。)としてする場合は、この限りでない。
2  (以下略)
―ーーーーーーーーーーーーー―――――――――――――――――――――――――――――――

 このように公職選挙法は、公職者や選挙の候補者が選挙区内で「金銭、物品その他の財産上の利益」がある有価物を配ることを、寄付行為として禁じている。松島氏のうちわ配布を批判した蓮舫氏は、松島氏が自分の名前入りのうちわを自身の選挙区内の祭りで配ったことが、上記の規定における寄附であり、違反行為だという。松島氏は「うちわとして使えるが、討議資料」と釈明したが、蓮舫氏自身も、紙に穴を開けて指を通すと「うちわ」として使えるものを配った経験があったが、「個人ビラとして届け出ており、選管の承認を得ている。寄付に当たらない」「個人ビラで選管の承認も得ている」という。松島氏の配布物は、骨組みと柄のあるものだったため、蓮舫氏はこれを有価物の「うちわ」として追及し、松島氏を辞任に追い込んだ。



 東京都選管によると、「一枚の紙など均質な素材だけで作られたものなら社会通念上、ビラと呼べる。持ち手部分を取っ手のように細工し、補強していたりするとそうではないだろう」という。公選法では、選挙で候補者が配布するビラは「縦29・7センチ、幅21センチ以内であれば形や材質は自由」と規定しているとのことで、穴あきのものもビラと認められるらしい。だが、紙に穴をあけて指を入れるとうちわとして使えるものは、うちわとして使えるように製作したものであり、ただのビラではなく、うちわ型のビラだろう。
 うちわ問題が国会で問題になるや、ネットには、様々な政治家がうちわとして使える配布物を配っているとして、多数の写真が掲載された。そのうちの一部を次に掲載する。中には松島氏と同じく骨組みと柄のあるものもある。



 マスメディアは、松島前法務相のうちわばかりを報道し、こうした多数のうちわ及びうちわ型ビラを取り上げなかった。
 ネットでは、うちわだけでなく、候補者や政党の名称等が入ったTシャツやのぼりはどうなのだと、多数の写真が掲載された。



 上記の写真のうち、上段・中段のTシャツは、仕分けを売り物にした蓮舫議員のものである。のぼりには顔写真、氏名が掲載されている。何本も並べて立てている写真もある。



 公職選挙法第146条1項は次のように定めている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ーーーーー――
第百四十六条  何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第百四十二条又は第百四十三条の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。
2  (略)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 マスメディアは、これらのTシャツやのぼりは、取り上げなかった。果たして、松島前法務相のうちわだけが公職選挙法違反なのか、良識あるメディアは検証してほしい。各地の選挙管理委員会に取材し、許可したもの、しなかったもの、許可不許可の基準を明らかにしてほしい。また、告発状を受理した東京地検特捜部には、国民に納得がいくような捜査をしてもらいたいものである。

中国では1%の富裕層が個人資産の3分1を握っている

2014-10-22 10:17:12 | 国際関係
 中国では、貧富の差が急速に拡大している。都市と農村の間だけでなく、都市部内でも格差の拡大が顕著になっている。
 まず昨年の話だが、2013年(平成25年)8月、北京大学の中国社会科学調査センターの調査によって、中国都市部の最富裕層(上位5%)と最貧困層(下位5%)の世帯年収を比較したところ242倍もの格差が存在し、格差の幅も急速に拡大していることが判明した。
 この研究グループは、2010年、中国全土の約1万5千世帯(約5万7千人)を戸別訪問して年収を聞き取り調査した。2012年に同じ世帯を再訪し、増減を比較した。それによると、都市部では対象世帯の上位5%の総年収が占める比率が24.2%だったのに対し、下位5%は0.1%で、242倍の格差があった。2010年には格差は約82倍だったので、わずか2年で差が約3倍に急拡大したわけである。
 2012年の調査で全体の58.3%の富が上位25%の富裕層に集中し、下位25%の貧困層は4.8%の富しか得ていなかった。
 それが、今年7月の報告書「中国民生発展報告2014」では、中国の上位1%の富裕層家庭が全国の3分の1以上の財産を保有していることが分かった。一方、最下層25%の家庭が保有する財産は全国のたった1%程度という結果となり、富の偏在と貧富の格差の深刻さが浮き彫りにしなった。中国共産党機関紙、人民日報のサイト「人民網」などが報じた。
 報告は「富める者がさらに富み、貧しい者がさらに貧しくなる悪循環」と指摘。深刻化する経済格差が社会不安を引き起こしかねないと警告している。
 所得分配の不平等さを示す指標に、ジニ係数がある。数値が1に近づくほど格差が大きいことを意味する。社会が不安定になって騒乱多発を警戒すべきラインを、0.4とする。先の北京大の研究グループは、これまでの調査で、1995年のジニ係数は0.45、同じく2002年は0.55、2010年は0.61だとしていた。それが、今年の報告では、2012年は0.73だったとした。わずか2年で1.2ポイント上昇している。危険水域を超えているうえに、さらに格差拡大に拍車がかかっていることを意味する。
 産経新聞7月26日付の記事で、河崎真澄記者は、「富裕家庭の資産の多くは不動産だ。中国共産党の幹部や政府高官、国有企業の幹部らが特権を使い、家族名義などで不動産を安価に購入、高値で転売する手口を繰り返して富を蓄積したとみられる。海外で所有する資産を加味すれば、格差はさらに広がりそうだ」と書いている。
 今後も中国では、貧富の差がさらに拡大し、ジニ係数が0.8台に上がっていくことが予想される。

 中国は、今も共産党が支配する国家である。マルクスによる共産主義の目標は、私有財産制を廃止し、生産手段を社会の共有にすることにより、貧富の格差を解消することにあった。マルクスは、都市と農村の格差の解消にも強い関心を持っていた。だが、中国共産党の支配のもと、共産中国では、資本主義国以上に貧富の格差が拡大している。
 莫大な富を手に入れた中国人富裕層は、財産を海外に移転させている。中国から不法に海外に流出した資金は平成23年(2011)の6千億ドルから24年(2012)には1兆ドルを突破し、25年は1兆5千億ドルに達したとみられる。石平氏によると、1千万人民元(約1億6千万円)以上の資産を持つ中国国民の6割はすでに海外へ移民してしまったり、あるいは移民を検討している。さらに、個人資産1億元以上の富豪企業家では27%が移民済みで、47%が検討中という。理由は、中国経済への不安だろう。国家債務が急増しており、昨年秋から不動産バブルが破裂し始めている。私有財産を守る究極の安全策は、海外への移民ということになるのだろう。中国人富裕層の利己的な行動は、自分の国、現在の政権を信頼していないことの表れでもあるだろう。
 
 社会主義的全体主義が、私有財産制を認め、資本主義的要素を多く取り入れれば、資本主義的全体主義に近づく。資本主義的全体主義をファシズムと言うならば、現在の中国は、共産主義がファシズムに変質しつつあると見られる。とりわけ、対外戦略は、ナチス・ドイツに似た思想と行動を表している。現在の中国は、かつてのソ連以上に、もっとナチス・ドイツに似てきている。「社会主義市場経済」という原理的に矛盾した言い方にならって、このファシズム化しつつある共産主義を、私は「ファシズム的共産主義」と呼ぶ。共産主義の矛盾が全面化したした末期的な段階である。
 もはや「ファシズム的共産主義」にまで至った共産主義を破棄することなしには、中国人民の安寧と幸福はない。中国を共産党から解放する、真の改革が必要である。
 以下は関連する報道記事。

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●日本経済新聞 平成25年8月3日

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0301Q_T00C13A8FF8000/
中国都市部、貧富格差242倍 北京大調査
2013/8/3 23:17

 【北京=共同】中国都市部の最富裕層(上位5%)と最貧困層(下位5%)の世帯年収を比較したところ242倍もの格差が存在し、格差の幅も急速に拡大していることが3日、北京大学の調査で判明した。
 貧富の格差是正を唱える中央政府の「掛け声」とは裏腹に、都市と農村の差だけでなく、これまで明らかになっていなかった都市部内で広がる「絶望的格差」(関係者)が浮き彫りになった。
 北京大の研究グループが2010年、中国全土の約1万5千世帯(約5万7千人)を戸別訪問して年収を聞き取り調査。12年に同じ世帯を再訪し、増減を比較した。
 このうち都市部では12年、対象となった全世帯の上位5%の総年収が占める比率が24.2%だったのに対し、下位5%は0.1%で、242倍の格差があった。10年は約82倍で、わずか2年で差が約3倍に急拡大した。
 上位25%の富裕層で見ても、12年の調査で全体の58.3%の富が集中。下位25%の貧困層は4.8%の富しか得ていなかった。
 一方、中国全土の1人当たり平均年収は経済成長を反映し、富裕層も中間層も増加。ただ、都市部の最貧困層の年収は12年で1200元(約2万円)と、10年に比べ300元減少していた。
 北京大の改革派研究者は「既得権益層が構造改革に徹底抵抗しているのが原因。格差がこのまま拡大し続けると動乱につながりかねない」と危機感を募らせている。
 中国では、都市に暮らす特権層が職務権限を利用する不正収入や闇給与が巨額に上るとされる。
 格差の程度を示すジニ係数(1に近いほど不平等)でみると、中国は10年に0.61。経済協力開発機構(OECD)の統計によると、日本は0.336、米国0.380、ドイツ0.286。

●産経新聞 平成26年7月26日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140726/chn14072617440003-n1.htm
中国の経済格差拡大 1%の富裕家庭が個人資産の3分の1握る 北京大調査
2014.7.26 17:44

 【上海=河崎真澄】中国の国内個人資産の3分の1を1%の富裕家庭が握り、貧困家庭との経済格差が一段と広がっているとの調査報告を、北京大学の中国社会科学研究センターがまとめた。中国共産党機関紙、人民日報のサイト「人民網」などが26日までに伝えた。報告は「富める者がさらに富み、貧しい者がさらに貧しくなる悪循環」と指摘。深刻化する経済格差が社会不安を引き起こしかねないと警告している。
 この調査は「中国民生発展報告2014」で、貧困層を含む下位25%の家庭では国内個人資産の1%しか所有していないという。
 報告では家庭の所得格差を示すジニ係数が2012年に0・73に達したとしている。ジニ係数は1に近づくほど格差が開き、0・4を超えると社会不安が広がるとされる。中国国家統計局では、12年のジニ係数を0・474と発表しているが、報告では実際の格差は公式統計をはるかに上回る危険水域だと指摘した。
 富裕家庭の資産の多くは不動産だ。中国共産党の幹部や政府高官、国有企業の幹部らが特権を使い、家族名義などで不動産を安価に購入、高値で転売する手口を繰り返して富を蓄積したとみられる。海外で所有する資産を加味すれば、格差はさらに広がりそうだ。
 こうした報告を北京大がまとめた背後には、倹約令や腐敗撲滅を掲げる習近平指導部が「貧困層など大衆の不満を利用し、党内権力闘争の相手である一部の既得権益層に“圧力”をかけようとした可能性」(上海の学識経験者)がある。
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関連掲示
・拙稿「脱中国が加速している」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/04209f8f84f324be3bd5f789f8dcfbe5
・拙稿「中国経済に死期の前兆が現れている~石平氏」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/6114d7de9f61d6da850d49bcc10f78d9

脳は生涯、発達し続ける~村上和雄氏

2014-10-20 10:30:12 | 人間観
 筑波大学名誉教授の村上和雄氏は、国際的な分子生物学者である。1983年、世界に先駆けてヒト・レニン遺伝子の解読に成功した。村上氏は、人間にはまだわからない『未知の何者か』が遺伝子をコントロールしているとしか思えないとして、人間を超えた「サムシング・グレート」と呼ぶ存在を想定する。
 村上氏は、産経新聞平成26年9月26日付に「脳は生涯にわたり発達し続ける」という記事を書いた。興味深い内容なので、要点を記す。

・脳神経細胞は環境に応じて再配線できる。運動、精神的活動、社会的なつながりが、神経細胞の発展を促す。
・脳はテレビやラジオの受信機のようなものであり、心や意識が真の創造者である。脳は私たちが「できる」と思っていることしかできない。逆にいえば、「できない」と考えていることはできないのだ。
・DNAは単なる設計図にすぎず、それも環境によって書き換え可能な設計図である。生命を支配しているのは、DNAや脳ではなく「人間の意識」である。生命の真の創造者は、人間の意識をも超えた大自然の偉大な働き「サムシング・グレート」である。
・脳に使われるのではなく、脳を上手にコントロールして使うことが肝心だ。そのためには、固定観念を捨て去り、柔軟性を持ってリラックスすること、素直であること、心配しないことなどが大切である。そうすることにより、あらゆる局面を切り開くことが可能になる。
・ヒトにはあるもののチンパンジーにはないという遺伝子は一つもない。ヒトとチンパンジーのゲノムの違いは、遺伝子のオンとオフに関与する配列にある。
・人は心の持ちようを変えることによって、遺伝子のオンとオフを切り替えれば、一生涯進化できる可能性がある。

 脳は生涯、発達し続けるという説は、私自らの体験及び多くの体験者の観察から、正しい説だと考える。人間の脳は、20歳代を過ぎても発達し得る。脳細胞が活性化すると、頭骨が隆起するほどの変化が起こる。この「頭部隆起」という現象を、80歳代、90歳代で体験した人もいる。自閉症、発達障害等の子供が、「頭部隆起」を通じて、健全に成長できた体験もある。
http://www.srk.info/library/nouryoku.html
 この事実は、人間の脳と心には、現代の科学ではまだ解明のできていない大きな潜在力が存在することを示唆している。人類が21世紀に物心調和・共存共栄の文明を創造できるかどうかは、この自らに内在する可能性を開花しえるかに、かかっているだろう。
 以下は、村上氏の記事。

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●産経新聞 平成26年9月26日

http://sankei.jp.msn.com/science/news/140926/scn14092605020002-n1.htm
【正論】
脳は生涯にわたり発達し続ける 筑波大学名誉教授・村上和雄
2014.9.26 05:02

 黄金期を迎えつつある脳研究によって、私たちが従来教えられてきた脳に関する常識は、次々と破られてきた。
 例えば、傷ついた脳が自然に治ることはないという通説は誤りで、脳神経細胞は環境に応じて再配線できる。
 さらに運動、精神的活動、社会的なつながりが、神経細胞の発展を促すといった事実が判明した。従って、脳の働きは決して固定的なものではなく、作り替えが可能である。以前なら思いもよらなかったような驚異の治癒力が脳に備わっていることが分かった。

《脳の働きを制御するのは心》
 脳から全身の細胞に指令が出ているから、脳は身体を動かすリーダーのように見えていた。しかし、決してそうではなかった。
 脳を動かしているのは、自分の心であり、意識だ。脳はテレビやラジオの受信機のようなものであり、心や意識が真の創造者である。脳は私たちが「できる」と思っていることしかできない。逆にいえば、「できない」と考えていることはできないのだ。
このダイナミックでしなやかな脳の働きは、遺伝子の働きに関する最近の研究とよく符合する。
 ヒトの全遺伝情報(ゲノム)の解読以前は、DNAは生命の設計図であり身体の働きを支配していると考えられていたが、事実は違っていた。
 DNAは単なる設計図にすぎず、それも環境によって書き換え可能な設計図である。従って、生命はDNAに支配されていなかった。それでは、生命を支配しているのは脳か? そうではない。
 脳は、前に述べたように情報の受信装置のようなものであり、受信装置そのものが歌ったり、考えたり、ドラマを制作したりするものではない。
 真の制作者は、DNAや脳ではなく「人間の意識」であると考えざるを得ない。そして、生命の真の創造者は、人間の意識をも超えた大自然の偉大な働き「サムシング・グレート」だといえる。

《脳には無限の可能性がある》
 心身医療の分野で世界のリーダーであるディーパック・チョプラ博士は、身体と心を統合的に癒やす独自の理論を展開して成果を上げている。彼は米誌タイムによる「20世紀の英雄と象徴100人」にも選出されている。
 ごく最近、チョプラ博士と対談する機会があった。彼の考え方は、私どもが「心と遺伝子研究会」で10年にわたり研究し、発見した実験結果や考えに驚くほど近いことが分かり、今後、情報交換しようということになった。
 博士の近著「スーパーブレイン」(ディーパック・チョプラ、ルドルフ・E・タンジ共著、保育社)の翻訳にも携わり、多くのことを学んだ。博士は次のように述べている。
 慢性病は意識がつくり出している。怒りや恨みや憎しみなどの感情を持つと、それが悪い遺伝子を活発にしてしまい、ガンや心臓病の原因となる炎症を起こす。一方、喜びや愛、他人の成功を喜ぶという感情を持つと、良い遺伝子が活発になり、身体は病気にかかりにくくなって、肉体年齢も若返る。脳には心と身体と外界のバランスをとる自己制御装置があり、これを上手に使うことによって、素晴らしい人生を築くことができる-と。
 脳に使われるのではなく、脳を上手にコントロールして使うことが肝心だ。そのためには、固定観念を捨て去り、柔軟性を持ってリラックスすること、素直であること、心配しないことなどが大切である。そうすることにより、あらゆる局面を切り開くことが可能になる。
身近なところでは、なかなかできないダイエット、振り払えない心の傷、仕方がないとあきらめていた体力の減退、脳の老化にかかる認知症や鬱病まで克服できる可能性がある。

《遺伝子のオンとオフで進化》
 脳は現在も環境や心と相互に作用しながら進化を続けている。今や、ヒトの全遺伝情報(ゲノム)とチンパンジーのゲノムを比較することができるようになった。
 そこで判明したのは、ヒトにはあるもののチンパンジーにはないという遺伝子は一つもないということだ。では、ヒトとチンパンジーのゲノムはどこが違うのか。それは、タンパク質をコードする配列ではなく、遺伝子のオンとオフに関与する配列にあった。
 脳は固定的で、機械的で、確実に衰えていくものだと思われていた。しかし、実際の脳の姿は全く異なることが分かっている。この瞬間も私たちの脳は変化を続けており、新しい現実を生み出している。
 人は心の持ちようを変えることによって、遺伝子のオンとオフを切り替えれば、一生涯進化できる可能性がある。
 一般に、頭がいい人と悪い人がいるといわれているが、脳そのものにはいい、悪いの区別はない。使い方によって、良くなったり悪くなったりする。脳を上手に使えば、思いは必ず実現する。(むらかみ かずお)
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参考資料
・村上和雄著「生命の暗号」(サンマーク出版)
・ディーパック・チョプラ著「クォンタム・ヒーリング」(春秋社)

「憲法9条にノーベル賞を」の「普通の主婦」とは

2014-10-19 08:56:42 | 時事
 今月初め、日本国憲法の第9条を守ってきた「日本国民」がノーベル平和賞の候補に挙げっていると報じられた。毎年ノーベル平和賞の受賞予測を発表しているノルウェーのオスロ国際平和研究所(PRIO)が10月3日、「憲法9条を守ろうとする日本の人々」が、今のところ最有力だ、と発表したとして、一部の日本人は期待に胸を高鳴らせたようである。
 結果は、「日本国民」ではなく、女性や子どもの権利を訴えてきたパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17歳)とインドのカイラシュ・サトヤルティさんの2人に、平和賞が授与されることが発表された。
 「憲法9条にノーベル平和賞を」という活動を発案したのは、神奈川県座間市の鷹巣直美氏。この発案を受け、昨年8月末、「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会が設立された。ノーベル賞委員会への推薦人には大学教授ら約40人が名を連ねた。同賞委員会は本年4月9日「推薦を受理した」と連絡してきた。賛同者の署名は41万8千筆に上ったという。
 朝日新聞は、本年4月2日、「普通の主婦」が「憲法9条にノーベル賞を」ということを思いついたと報道した。その後のテレビ番組でも、「普通の主婦」が強調された。



 だが、鷹巣氏は社会活動家であり、いわゆる「プロ市民」であることが明らかになっている。下記のサイトは、鷹巣氏について、次のように書いている。
http://ameblo.jp/phenix753/entry-11842267832.html

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 自称普通の主婦鷹巣直美さんはバプテスト教会連合・大野キリスト教会員で、2013年「難民・移住労働者問題キリスト教連絡会<難キ連>」の共済でチャリティーコンサートを行っています。
 <難キ連>の住所東京都新宿区西早稲田2-3-18は、数多くの韓国キリスト教系左翼団体と反日工作の巣窟です。

◆在日韓国人問題研究所       新宿区西早稲田2-3-18
◆在日本大韓基督教会        新宿区西早稲田2-3-18
◆在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)  新宿区西早稲田2-3-18
◆在日外国人の人権委員会     新宿区西早稲田2-3-18
◆外登法問題と取り組む全国キリスト教連  新宿区西早稲田2-3-18
◆外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
◆平和を実現するキリスト者ネット 新宿区西早稲田2-3-18
◆キリスト教アジア資料センター  新宿区西早稲田2-3-18
◆石原やめろネットワーク     新宿区西早稲田2-3-18(現在活動中止)
◆キリスト者女性のネットワーク  新宿区西早稲田2-3-18
◆女たちの戦争と平和資料館    新宿区西早稲田2-3-18
 日本軍の従軍慰安婦の強制連行という捏造と虚構を宣伝し、日本人に罪悪感を植え付ける活動を行っている
◆戦時性暴力問題連絡協議会    新宿区西早稲田2-3-18 (バウネット)
http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/index.html
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 上記の諸団体の住所は、すべて「新宿区西早稲田2-3-18」である。朝日新聞は鷹巣氏を「普通の主婦」だと報じて、読者を無防備・無警戒にさせ、ノーベル平和賞の推薦署名に誘導したわけである。
 「憲法9条にノーベル平和賞を」と働きかけたり、賞を欲しがってたりしているのは、社民党や共産党、韓国・北朝鮮とつながっている市民運動家等だろうと思っていたが、自民党幹事長の谷垣禎一氏は、10月10日の記者会見で憲法9条が受賞候補になっていることに対し、「戦後の日本の歩み全体への評価だ。誇りに思う」と断言していた。自民党の元総裁が、である。自民党のど真ん中にこういう不見識な政治家がいる。おそらく自民党内の保守系リベラルには、谷垣氏と同じような反応をした政治家がいただろう。
 平和賞授与者の発表後、共産党の小池晃副委員長は「今後受賞すれば、改憲の動きが抑えられる」と期待感を示した。社民党の福島瑞穂副党首は「受賞すれば憲法改悪への批判が高まった。非常に残念」とコメントしたと報じられた。「普通の主婦」を装うプロ市民とそれに協力する左翼市民団体、またそれと連携する韓国の反日団体が、政界では共産党、社民党とつながっている。今後も、この「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動は続けられるだろう。「憲法9条にノーベル平和賞を」、日本国民に平和賞を、という耳当たりの良いスローガンは、反日・親中・親韓勢力が国民大衆を憲法改正反対に誘導するのに、もってこいのものとなる。現行憲法の根本的問題点をより多くの日本国民が理解し、国防の死活的重要性に気付くように、啓発活動の拡大が必要である。

関連掲示
・拙稿「“美しい日本の憲法をつくる国民の会”が設立!」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/aa43be4efc1fd770646d4f65e54a6a09
・拙稿「国防を考えるなら憲法改正は必須」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08d.htm